Thursday, June 20, 2024

クランブルックハウス&ガーデン 和菓子&ほうじ茶ワークショップ開催

2020年3月3日(火)、デトロイト郊外ブルーム フィールドヒルズ市にあるクランブ
ルックハウスにて、和菓子作家の杉井ステフェス淑子さんによる和菓子づくりの講習会が行われた。

  今回イベントが行われたクランブルックハウスは、1908年にクランブルックの創設者であるジョージ・ゴウ・ブースとエレン・スクリップス・ブースの住居として建てられたもの。新聞業で財を成した彼らは、この地に教会、教育施設、美術館、科学館などを建設し、現在のクランブルックコミュニティを作りあげた。

 邸宅自体は、デトロイトのフィッシャービルなどの設計で有名な建築家アルバート・カーンにより設計された英国チューダー様式の邸宅で、デトロイト近郊で一般に公開されている最古の邸宅である。ライブラリ、ダイニングルーム、ブースのオリジナルのオフィスのほか、家具や装飾品が残されている。

 今回のイベントは、クランブルックハウス&ガーデンにある日本庭園の再建プロジェクトの一環として、日本の芸術を4回にわたり紹介するレクチャーシリーズの第一回目。当時の美術品、家具がそのまま残されたライブラリルームに40名近くが集まり、日本の和菓子について熱心に耳を傾けた。

 和菓子づくりレクチャーでは、「和菓子は五感の要素を大切にする」ということで、日本人の視覚において季節を感じる心、控えめの甘さや香り、素材の大切さや、和菓子を見て想像力で聞こえる鳥のさえずりなど、生活に彩りを与えてくれる和菓子の良さについて説明し、ちょうどこの日はひなまつりということもあり、あっという間に、桃の花、そして桜、菊の花の生菓子(練り切り)を作り上げた。また、琥珀糖を例に出し、天草(Agar agar)砂糖、水、など材料はアメリカでも入手できるものであると説明した。練り切りも、「白玉粉、水、砂糖、あんは市販のものにすれば手軽にできますよ」と杉井さん。試食には、宝石のように透明感がある琥珀糖を用意し「和菓子でも繊細なつくりの生菓子は茶道でいただくもの、と敷居が高く思われがちですが、気軽に家で作って楽しんでもらいたいです」と話してくださった。杉井さん上梓の「甘くてかわいい、食べられる宝石 琥珀糖のレシピ(池田書店)」には、作って楽しいレシピがたくさん紹介されているので興味のある方はぜひ。Japan News Club Back Number 4月号P.12では、春の和菓子レシピをご紹介)

 和菓子のあとは、滋賀県の甲賀市より朝宮茶のプロモーションのためにミシガン来訪中の茶園、かたぎ古香園、七代目片木隆友氏によるお茶のレクチャーへと続いた。この茶園は、先代の片木明さんが1975年より有機栽培に切り替え、以降これまでずっと完全無農薬で茶園を営まれている数少ない茶農家だという。当日はほうじ茶をその場で煎り、試飲。現地の方もその香りに魅せられていた。現在、こちらの緑茶、ほうじ茶などはミシガン州の日本食材店ワンワールドや、近郊のカフェでも購入可能となっている。詳しくは、www.japannewsclub.comにて。当日購入された収益の一部はクランブルックコレクション研究センターに寄付された。

第15回デトロイト・オープン剣道トーナメント第15回デトロイト・オープン剣道トーナメント

<!--:en-->第15回デトロイト・オープン剣道トーナメント<!--:--><!--:ja-->第15回デトロイト・オープン剣道トーナメント<!--:--> 4

 2月17日(日)、デトロイト剣道道場主催のデトロイト・オープン剣道トーナメントが開催された。このトーナメントは毎年行われており、全米各地やカナダの剣道道場から多数の剣士が参加する大きな規模で、15回目の記念大会となった今年の大会には約300人の剣士が参加し、技を競うと共に交流を深めた。
 前日の土曜日には昇段審査の後、合同稽古セミナーが催された。例年、日本から国内トップクラスの剣士を招いているが、今年は警察大学教授の石田利也剣道教士八段と石田葉子剣道教士七段がご夫妻で渡米。共に男性女性として最高の段位を持つ最強のご夫妻である。
 今回は、例年には無い女性向けのセミナーが別室で行われた。セミナー申込者が多かったために無段者と子供もこちらに振り分けられたが、石田葉子教士は同じ稽古内容でも上級者と初心者へ別々の指示を与えるなど的確に稽古を進めていた。会場となったどちらの体育館も気合の入った声と熱気が溢れていた。
 二つの会場を見て回ったところ、偶然にも共に“足の運び”を注意していた。後で伺うと、日本の道場と違い、体育館の床が固い為もあり、足さばきが目に付き、それを良くするよう強調したそうだ。20年ぶりのアメリカでの指導だという石田利也教士の話では、当時よりレベルが確実に上がっているとのこと。セミナーの最後に「どんなに強かろうが勝つときも負ける時もある。明日、一瞬で力が出せるように」と激励の言葉が伝えられた。

トップクラスの剣士の技に触れる機会

 朝8時から始まった開会式では、デトロイト剣道道場師範である田川順照剣道教士八段による歓迎の挨拶と来賓紹介に続いて、在デトロイト日本国総領事館の松田邦紀総領事の来賓スピーチがあり、参加者に対して、今ある達成は精神的肉体的な鍛錬の賜物であり本大会で最大限の力を発揮できるよう励ましの言葉を伝えた後、「ここは水準が高く、ひとえに田川先生のご指導による」と称賛。田川教士が日本国外に居りながらも最高段位を有し、渡米以来多くの剣士の模範になった旨を称えた。
 このトーナメントの場において、田川教士に対し松田総領事より、剣道の普及を通じて日米友好関係への多大な貢献を果たしたことを評して在外公館長表彰が授与された。(次ページに在デトロイト総領事館発信の関連公報を掲載)

 続いて両石田教士による日本剣道形の演武が行われ、舞いのように美しく無駄のない動きに剣士たちは注視していた。午前の部の最後には、模範稽古が披露され、まず、石田葉子教士と二人の女性高段者との立会いから始まった。女性らしい柔らかな構えから仕掛けられる技には素早さと冴えがあり男性同士の立会いとは違った魅力を見せた。次に石田利也教士八段、田川順照教士八段、共に七段教士と立会われたあと、八段同士のお二人の立会いが行われた。威風堂々とした構えから発せられる気合いと塾連された鋭い技が観戦者を圧倒した。
 トーナメントは朝9時の試合開始から夕方6時まで長時間にわたった。ユース及びに成人無段者の個人戦から始まり、女子の部、三段までの個人戦後、ユースの団体戦が6面のコートで同時に進められていった。対戦者の掛け声や進行の呼び声が騒然と溢れ、「一本あり」を認める旗が揚がると、すかさず拍手や賞嘆の声が上がり、活気に満ちていた。午後には四段以上の個人戦、成人の団体戦が行われ、観戦者が息を飲むほどの激しい打ち合いや目にも止まらない鋭い決め手などが続出し、迫力ある真剣勝負が繰り広げられた。
 本大会でのデトロイト剣道道場の結果は、一般団体部門でデトロイトのチームが三位、少年団体部門で一位を収めた他、以下のデトロイト道場の選手が個人戦の入賞を果たした。
女子部門二位及び
初段部門三位:Misato Takei
少年部門一位:Colin Sherrod
少年部門三位:Asuka Aki
 剣道は日本の古武道の剣術を競技化した伝統的な武道であり、その理念として「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」と全日本剣道連盟が謳っている。当地の剣士は日本人や日系人に限らないが、スポーツとして体を鍛え、力や技を競うことに留まらず、精神面も高められる点に惹かれて剣道を続けている人が多い。剣道を通じて日本的な美徳、礼、精進など、日本の心も理解伝承されている。防具の面をかぶると髪も目の色も分からない様々な人種の剣士たちが堂に入った仕草で礼(あいさつ)や正座をする姿に感銘を受ける。同時に、国外で暮らす日本人が日本の礼節や心を忘れずに保持することの難しさと必要を感じさせられた。
 1996年に田川氏により設立されたデトロイト剣道道場は当地での剣道の指導の拠点となっており、1998年以降毎年オープン剣道トーナメントを開催しているほか、日本文化イベントでの剣道の披露を通じて日米の相互理解に貢献している。今後も日本文化への関心と理解を深め、親日家を増やしていくことであろう。

デトロイト剣道道場の情報は
Website:www.detroitkendodojo.comをご覧ください。

 2月17日(日)、デトロイト剣道道場主催のデトロイト・オープン剣道トーナメントが開催された。このトーナメントは毎年行われており、全米各地やカナダの剣道道場から多数の剣士が参加する大きな規模で、15回目の記念大会となった今年の大会には約300人の剣士が参加し、技を競うと共に交流を深めた。
 前日の土曜日には昇段審査の後、合同稽古セミナーが催された。例年、日本から国内トップクラスの剣士を招いているが、今年は警察大学教授の石田利也剣道教士八段と石田葉子剣道教士七段がご夫妻で渡米。共に男性女性として最高の段位を持つ最強のご夫妻である。
 今回は、例年には無い女性向けのセミナーが別室で行われた。セミナー申込者が多かったために無段者と子供もこちらに振り分けられたが、石田葉子教士は同じ稽古内容でも上級者と初心者へ別々の指示を与えるなど的確に稽古を進めていた。会場となったどちらの体育館も気合の入った声と熱気が溢れていた。
 二つの会場を見て回ったところ、偶然にも共に“足の運び”を注意していた。後で伺うと、日本の道場と違い、体育館の床が固い為もあり、足さばきが目に付き、それを良くするよう強調したそうだ。20年ぶりのアメリカでの指導だという石田利也教士の話では、当時よりレベルが確実に上がっているとのこと。セミナーの最後に「どんなに強かろうが勝つときも負ける時もある。明日、一瞬で力が出せるように」と激励の言葉が伝えられた。

トップクラスの剣士の技に触れる機会

 朝8時から始まった開会式では、デトロイト剣道道場師範である田川順照剣道教士八段による歓迎の挨拶と来賓紹介に続いて、在デトロイト日本国総領事館の松田邦紀総領事の来賓スピーチがあり、参加者に対して、今ある達成は精神的肉体的な鍛錬の賜物であり本大会で最大限の力を発揮できるよう励ましの言葉を伝えた後、「ここは水準が高く、ひとえに田川先生のご指導による」と称賛。田川教士が日本国外に居りながらも最高段位を有し、渡米以来多くの剣士の模範になった旨を称えた。
 このトーナメントの場において、田川教士に対し松田総領事より、剣道の普及を通じて日米友好関係への多大な貢献を果たしたことを評して在外公館長表彰が授与された。(次ページに在デトロイト総領事館発信の関連公報を掲載)

 続いて両石田教士による日本剣道形の演武が行われ、舞いのように美しく無駄のない動きに剣士たちは注視していた。午前の部の最後には、模範稽古が披露され、まず、石田葉子教士と二人の女性高段者との立会いから始まった。女性らしい柔らかな構えから仕掛けられる技には素早さと冴えがあり男性同士の立会いとは違った魅力を見せた。次に石田利也教士八段、田川順照教士八段、共に七段教士と立会われたあと、八段同士のお二人の立会いが行われた。威風堂々とした構えから発せられる気合いと塾連された鋭い技が観戦者を圧倒した。
 トーナメントは朝9時の試合開始から夕方6時まで長時間にわたった。ユース及びに成人無段者の個人戦から始まり、女子の部、三段までの個人戦後、ユースの団体戦が6面のコートで同時に進められていった。対戦者の掛け声や進行の呼び声が騒然と溢れ、「一本あり」を認める旗が揚がると、すかさず拍手や賞嘆の声が上がり、活気に満ちていた。午後には四段以上の個人戦、成人の団体戦が行われ、観戦者が息を飲むほどの激しい打ち合いや目にも止まらない鋭い決め手などが続出し、迫力ある真剣勝負が繰り広げられた。
 本大会でのデトロイト剣道道場の結果は、一般団体部門でデトロイトのチームが三位、少年団体部門で一位を収めた他、以下のデトロイト道場の選手が個人戦の入賞を果たした。
女子部門二位及び
初段部門三位:Misato Takei
少年部門一位:Colin Sherrod
少年部門三位:Asuka Aki
 剣道は日本の古武道の剣術を競技化した伝統的な武道であり、その理念として「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」と全日本剣道連盟が謳っている。当地の剣士は日本人や日系人に限らないが、スポーツとして体を鍛え、力や技を競うことに留まらず、精神面も高められる点に惹かれて剣道を続けている人が多い。剣道を通じて日本的な美徳、礼、精進など、日本の心も理解伝承されている。防具の面をかぶると髪も目の色も分からない様々な人種の剣士たちが堂に入った仕草で礼(あいさつ)や正座をする姿に感銘を受ける。同時に、国外で暮らす日本人が日本の礼節や心を忘れずに保持することの難しさと必要を感じさせられた。
 1996年に田川氏により設立されたデトロイト剣道道場は当地での剣道の指導の拠点となっており、1998年以降毎年オープン剣道トーナメントを開催しているほか、日本文化イベントでの剣道の披露を通じて日米の相互理解に貢献している。今後も日本文化への関心と理解を深め、親日家を増やしていくことであろう。

デトロイト剣道道場の情報は
Website:www.detroitkendodojo.comをご覧ください。

 

JBSD Foundation Grand Award CeremonyJBSD基金2011年度 Grant Award 贈呈式

<!--:en-->JBSD Foundation Grand Award Ceremony<!--:--><!--:ja-->JBSD基金2011年度 Grant Award 贈呈式<!--:-->

文化・芸術・教育・公共・慈善など40の団体に寄付

 JBSD基金2011年度 Grant Award 贈呈式が12月9日、ノバイ市のシェラトンホテルで行われた。JBSD基金は、Japan Business Society of Detroit(デトロイト日本商工会)によって、米国社会への地域貢献と感謝の気持ちを表すために1992年に設立され、今回は20周年にあたる。日本人子女が通う現地校や日米交流に貢献している団体に限らず、教育・文化など地域社会促進に貢献している組織、研究機関などを対象に資金面の支援を継続してきている。

 2011年度は右記のデトロイト近郊の40団体に総額約7万9百ドルが贈られた。加藤栄治JBSD基金理事長の挨拶後、各受賞団体の代表者に寄付金が手渡され、それぞれの代表者は感謝の言葉と、各団体の概要や活動内容、基金の使途を伝えた。

 この基金の恩恵を受けて日本訪問を予定している高校生が代表者とともに挨拶に立った。「ペンパルとの交流やホームステイが楽しみです。将来的にはJETプログラムに応募することも考えています。このグラントがあることで、とても高額な旅が可能になり、とても感謝しています。」(原文は英語)と、期待や意欲の言葉を直に伝えた。

 又、ウェイン・ステイト大学では初めてジャパンクラブが立ち上げられ、贈呈されるグラントは今後の活動に大きく貢献するとのこと。会場にはミシガン大学やイースタン・ミシガン大学のジャパンクラブの会長も揃い、活発な意見交換とアドバイスのやりとりがなされる姿も見られた。

 世界的な不景気の煽りから随所で、特に教育現場での厳しい予算削減が余儀なくされている昨今、デトロイト近郊社会への、特に将来を担う若者たちへのたゆまぬ資金援助は、大変重要な意義を持つ。基金そのものの社会的貢献もさることながら、援助する側とされる側が一堂に会し互いの存在と努力を確認し合う、相互理解と日米親善を再認識させられる尊い場であった。

As released by the JBSD Foundation:

Novi, MI, December 9, 2011 – The Japan Business Society of Detroit (JBSD) Foundation has donated $70,900 in financial assistance to 40 cultural, artistic, educational, civic, and charitable organizations, it was announced by Mr. Eiji Kato, President of the JBSD Foundation.

The JBSD Foundation hosted the 20th Annual Grants Award ceremony to celebrate these contributions on Friday, December 9, 2011, from 4:00 – 6:00 p.m at the Sheraton Detroit Novi Hotel, Novi, MI. The Honorable Kuninori Matsuda, Consul General of Japan at Detroit, and other dignitaries participated in the event.

“This is the 20th Anniversary of JBSD Foundation and we are proud of our continued support of community organizations that promote community enhancement, education, and research as well as unity between the Japanese and American cultures for 20 consecutive years. Many of our recipients represent youth and non-profit scholastic programs,” said Mr. Kato.

To date, $1.5 Million has been distributed to organizations throughout Southeast Michigan, with a special emphasis on the Greater Detroit Metropolitan area.

The JBSD Foundation is the philanthropic arm of the Japan Business Society of Detroit (JBSD), which oversees the largest group of global investors in Michigan, with over 250 companies and 1,550 members. The JBSD enhances understanding and mutual cooperation between Japanese and Americans through community and business involvement.

文化・芸術・教育・公共・慈善など40の団体に寄付

 JBSD基金2011年度 Grant Award 贈呈式が12月9日、ノバイ市のシェラトンホテルで行われた。JBSD基金は、Japan Business Society of Detroit(デトロイト日本商工会)によって、米国社会への地域貢献と感謝の気持ちを表すために1992年に設立され、今回は20周年にあたる。日本人子女が通う現地校や日米交流に貢献している団体に限らず、教育・文化など地域社会促進に貢献している組織、研究機関などを対象に資金面の支援を継続してきている。

 2011年度は右記のデトロイト近郊の40団体に総額約7万9百ドルが贈られた。加藤栄治JBSD基金理事長の挨拶後、各受賞団体の代表者に寄付金が手渡され、それぞれの代表者は感謝の言葉と、各団体の概要や活動内容、基金の使途を伝えた。

 この基金の恩恵を受けて日本訪問を予定している高校生が代表者とともに挨拶に立った。「ペンパルとの交流やホームステイが楽しみです。将来的にはJETプログラムに応募することも考えています。このグラントがあることで、とても高額な旅が可能になり、とても感謝しています。」(原文は英語)と、期待や意欲の言葉を直に伝えた。

 又、ウェイン・ステイト大学では初めてジャパンクラブが立ち上げられ、贈呈されるグラントは今後の活動に大きく貢献するとのこと。会場にはミシガン大学やイースタン・ミシガン大学のジャパンクラブの会長も揃い、活発な意見交換とアドバイスのやりとりがなされる姿も見られた。

 世界的な不景気の煽りから随所で、特に教育現場での厳しい予算削減が余儀なくされている昨今、デトロイト近郊社会への、特に将来を担う若者たちへのたゆまぬ資金援助は、大変重要な意義を持つ。基金そのものの社会的貢献もさることながら、援助する側とされる側が一堂に会し互いの存在と努力を確認し合う、相互理解と日米親善を再認識させられる尊い場であった。

As released by the JBSD Foundation:

Novi, MI, December 9, 2011 – The Japan Business Society of Detroit (JBSD) Foundation has donated $70,900 in financial assistance to 40 cultural, artistic, educational, civic, and charitable organizations, it was announced by Mr. Eiji Kato, President of the JBSD Foundation.

The JBSD Foundation hosted the 20th Annual Grants Award ceremony to celebrate these contributions on Friday, December 9, 2011, from 4:00 – 6:00 p.m at the Sheraton Detroit Novi Hotel, Novi, MI. The Honorable Kuninori Matsuda, Consul General of Japan at Detroit, and other dignitaries participated in the event.

“This is the 20th Anniversary of JBSD Foundation and we are proud of our continued support of community organizations that promote community enhancement, education, and research as well as unity between the Japanese and American cultures for 20 consecutive years. Many of our recipients represent youth and non-profit scholastic programs,” said Mr. Kato.

To date, $1.5 Million has been distributed to organizations throughout Southeast Michigan, with a special emphasis on the Greater Detroit Metropolitan area.

The JBSD Foundation is the philanthropic arm of the Japan Business Society of Detroit (JBSD), which oversees the largest group of global investors in Michigan, with over 250 companies and 1,550 members. The JBSD enhances understanding and mutual cooperation between Japanese and Americans through community and business involvement.

海外の東洋美術 コレクターと商人の関わりを紐解いた講演 『The Business of Asian Art: Yamanaka & Company and Charles Lang Freer』海外の東洋美術 コレクターと商人の関わりを紐解いた講演 『The Business of Asian Art: Yamanaka & Company and Charles Lang Freer』

<!--:en-->海外の東洋美術 コレクターと商人の関わりを紐解いた講演 『The Business of Asian Art: Yamanaka & Company and Charles Lang Freer』<!--:--><!--:ja-->海外の東洋美術 コレクターと商人の関わりを紐解いた講演 『The Business of Asian Art: Yamanaka & Company and Charles Lang Freer』<!--:--> 2

  日本国外の美術館を訪れて日本美術品の充実ぶりに驚いた経験はないだろうか。私(リポーター)はニューヨークやワシントンDCの美術館で、日本セクションの一級品や仏教美術品の多さに愕然とした。いったい誰が海外に持ち出しのただろうか。

  4月末、日本をはじめアジアの美術品を大量に売買した山中商会に関する講演会がデトロイト美術館(DIA)で開催された。講演者に『東洋の至宝を世界に売った美術商——ハウス・オブ・ヤマナカ』の著者であるジャーナリストの朽木ゆり子氏(ニューヨーク在住)を招き、英語による講演が行われた。これは、以下団体の協賛、また、在デトロイト総領事館の支援を得て実現したもので、会場には200人を超える聴講者が足を運んだ。

協賛:The Freer House, Wayne State University; Friends of Asian Arts & Cultures, DIA; Japan America Society of Michigan and Southwestern Ontario

  協賛団体の筆頭に記載した“The Freer House”は、デトロイトで巨万の富を築いた美術コレクターであるフリーア(Charles Lang Freer, 1854-1919)の旧宅の名称で、デトロイト美術館の近くに現存している。建物は残っているものの、蒐集品はワシントンDCのフリーア美術館(スミソニアン博物館群の一つ)に収蔵されて旧宅には残っていないが、邸宅の保存修復とフリーアの業績を伝え広める目的をもつ「フリーア友の会」が絵画のレプリカを元の位置に飾るなど復元を進めている。

 フリーアの蒐集品はアジア美術において世界屈指と言われながら、彼の遺言により門外不出であるためにあまり知名度が高くないが、日本にあれば重要文化財、国宝間違いなしと評される逸品が数多く揃っていることにも触れておきたい。フリーアは数回も訪日したほど日本美術に傾倒し、フリーアハウスにも東洋の美を愛していたことが見て取れる。

  朽木氏の講演は、フリーアと山中商会との関係に焦点をおき、海外に渡った美術品の種類や傾向、売却の経緯、そして商会の盛衰について多数の映像を交えて解説した。山中商会(ハウス・オブ・ヤマナカ)は19世紀末のニューヨーク進出を機に、第2次世界大戦まで欧米各地に店を構え、海外の蒐集家に大量のアジア美術を販売。人脈と信頼を糧に、日本や中国の書画骨董を買い集めては売り渡したという。仏教美術品も、寺院の経済事情を背景に海を渡ることになった。

 当時の浮世絵は作品によっては$35程度の値段であったこと、山中商会のニューヨーク店は一等地であった5番街に構え40人ほどの従業員を擁していたことなど、素人にも面白い話が多く、高い関心を集めていた。品物の確かさやマージンの低さが功を奏して繁栄していた商会であったが、敵国となったためにアメリカ政府に美術品やその他の資産をすべて接収・売却され閉店を余儀なくされたという話に関して、質問タイムに聴講者から従業員らの行方・・・強制収容されたのかを懸念する質問が上がった。聴講者の9割以上が日本人以外と見られたが、盆栽収集についての質問もあり、日本文化についての知識や関心の高さが窺われた。

  山中商会のような美術商によって大量の美術品が国外に流出したのは事実であり、否定的にとらえる向きもあるが、同時に、海外にアジア美術を紹介した功績は大きいといえる。浮世絵は国内では挿絵かプロマイド程度の位置づけであったものが、海外でその技術の高さや美しさを評価されたことで“美術品”の域に価値があがり、紙くず扱いの危機を免れたように、保護現存に寄与したのも事実である。フリーアのようなコレクターの存在価値も然りであろう。

  講演を聴いた日本人からも、「優れていると認められ、海外に売られることがなければ、捨てられたり消失していたのかもしれない」「海外で日本美術が見られることに感謝の気持ちが生まれた」との声が聞こえた。

  講演後には、フリーアハウスの邸内ツアーが提供された。現在はWayne State Universityに属する研究所のオフィスとして使われており、通常、一般に公開されていない。アメリカのNational register of Historic Placesに登録されている歴史的建造物を見学する貴重な機会となった。余談ではあるが、フリーアは庭の植物の詳細な購入記録を残していたため、それを基に庭の再現プロジェクトも進行中とのこと。フリーアハウスに関する問い合わせは 313-664-2500 または www.mpsi.wayne.edu/freer/

  朽木氏に、海外にある日本美術品の見方について助言を求めたところ、「印象派やフランス美術に人気があるのは、作品が世界中に拡散したから。日本美術も広く見られれば日本に対する理解も深まると思います」との言葉をいただいた。また、DIAの展示品に関して、西洋美術やコンテンポラリーの内容が素晴らしいと評価。講演前に廻る機会を得たというデトロイトのダウンタウンについては、「デトロイト市破産から、デトロイト美術館が独立法人になるまでのプロセスは外部から見ていて感心した。デトロイトは実行力があるんですね。」とのこと。最後に「美術コレクターがいる。そして、破たんしかけたデトロイトの美術館を存続するために寄贈した人々がいる。そういう土地なのでしょう」と穏やかな口調で語った。

朽木ゆり子氏の著書

『東洋の至宝を世界に売った美術商 ハウス・オブ・ヤマナカ』 新潮文庫 750円

  日本国外の美術館を訪れて日本美術品の充実ぶりに驚いた経験はないだろうか。私(リポーター)はニューヨークやワシントンDCの美術館で、日本セクションの一級品や仏教美術品の多さに愕然とした。いったい誰が海外に持ち出しのただろうか。

  4月末、日本をはじめアジアの美術品を大量に売買した山中商会に関する講演会がデトロイト美術館(DIA)で開催された。講演者に『東洋の至宝を世界に売った美術商——ハウス・オブ・ヤマナカ』の著者であるジャーナリストの朽木ゆり子氏(ニューヨーク在住)を招き、英語による講演が行われた。これは、以下団体の協賛、また、在デトロイト総領事館の支援を得て実現したもので、会場には200人を超える聴講者が足を運んだ。

協賛:The Freer House, Wayne State University; Friends of Asian Arts & Cultures, DIA; Japan America Society of Michigan and Southwestern Ontario

  協賛団体の筆頭に記載した“The Freer House”は、デトロイトで巨万の富を築いた美術コレクターであるフリーア(Charles Lang Freer, 1854-1919)の旧宅の名称で、デトロイト美術館の近くに現存している。建物は残っているものの、蒐集品はワシントンDCのフリーア美術館(スミソニアン博物館群の一つ)に収蔵されて旧宅には残っていないが、邸宅の保存修復とフリーアの業績を伝え広める目的をもつ「フリーア友の会」が絵画のレプリカを元の位置に飾るなど復元を進めている。

 フリーアの蒐集品はアジア美術において世界屈指と言われながら、彼の遺言により門外不出であるためにあまり知名度が高くないが、日本にあれば重要文化財、国宝間違いなしと評される逸品が数多く揃っていることにも触れておきたい。フリーアは数回も訪日したほど日本美術に傾倒し、フリーアハウスにも東洋の美を愛していたことが見て取れる。

  朽木氏の講演は、フリーアと山中商会との関係に焦点をおき、海外に渡った美術品の種類や傾向、売却の経緯、そして商会の盛衰について多数の映像を交えて解説した。山中商会(ハウス・オブ・ヤマナカ)は19世紀末のニューヨーク進出を機に、第2次世界大戦まで欧米各地に店を構え、海外の蒐集家に大量のアジア美術を販売。人脈と信頼を糧に、日本や中国の書画骨董を買い集めては売り渡したという。仏教美術品も、寺院の経済事情を背景に海を渡ることになった。

 当時の浮世絵は作品によっては$35程度の値段であったこと、山中商会のニューヨーク店は一等地であった5番街に構え40人ほどの従業員を擁していたことなど、素人にも面白い話が多く、高い関心を集めていた。品物の確かさやマージンの低さが功を奏して繁栄していた商会であったが、敵国となったためにアメリカ政府に美術品やその他の資産をすべて接収・売却され閉店を余儀なくされたという話に関して、質問タイムに聴講者から従業員らの行方・・・強制収容されたのかを懸念する質問が上がった。聴講者の9割以上が日本人以外と見られたが、盆栽収集についての質問もあり、日本文化についての知識や関心の高さが窺われた。

  山中商会のような美術商によって大量の美術品が国外に流出したのは事実であり、否定的にとらえる向きもあるが、同時に、海外にアジア美術を紹介した功績は大きいといえる。浮世絵は国内では挿絵かプロマイド程度の位置づけであったものが、海外でその技術の高さや美しさを評価されたことで“美術品”の域に価値があがり、紙くず扱いの危機を免れたように、保護現存に寄与したのも事実である。フリーアのようなコレクターの存在価値も然りであろう。

  講演を聴いた日本人からも、「優れていると認められ、海外に売られることがなければ、捨てられたり消失していたのかもしれない」「海外で日本美術が見られることに感謝の気持ちが生まれた」との声が聞こえた。

  講演後には、フリーアハウスの邸内ツアーが提供された。現在はWayne State Universityに属する研究所のオフィスとして使われており、通常、一般に公開されていない。アメリカのNational register of Historic Placesに登録されている歴史的建造物を見学する貴重な機会となった。余談ではあるが、フリーアは庭の植物の詳細な購入記録を残していたため、それを基に庭の再現プロジェクトも進行中とのこと。フリーアハウスに関する問い合わせは 313-664-2500 または www.mpsi.wayne.edu/freer/

  朽木氏に、海外にある日本美術品の見方について助言を求めたところ、「印象派やフランス美術に人気があるのは、作品が世界中に拡散したから。日本美術も広く見られれば日本に対する理解も深まると思います」との言葉をいただいた。また、DIAの展示品に関して、西洋美術やコンテンポラリーの内容が素晴らしいと評価。講演前に廻る機会を得たというデトロイトのダウンタウンについては、「デトロイト市破産から、デトロイト美術館が独立法人になるまでのプロセスは外部から見ていて感心した。デトロイトは実行力があるんですね。」とのこと。最後に「美術コレクターがいる。そして、破たんしかけたデトロイトの美術館を存続するために寄贈した人々がいる。そういう土地なのでしょう」と穏やかな口調で語った。

朽木ゆり子氏の著書

『東洋の至宝を世界に売った美術商 ハウス・オブ・ヤマナカ』 新潮文庫 750円

Japan Festival in Saginawサギノー市の日本文化センター『阿波鷺能庵』主催 日本祭

<!--:en-->Japan Festival in Saginaw<!--:--><!--:ja-->サギノー市の日本文化センター『阿波鷺能庵』主催 日本祭<!--:--> 12

 サギノー市(Saginaw)にある本格的茶室と日本庭園を擁する日本文化センター『阿波鷺能庵(あわさぎのうあん)』で、9月16日(日)日本祭が催された。四つの大きな川が合流し湾に流れ出るサギノー市は、かつて材木都市として繁栄を誇り、近隣は観光名所フランケンムースや全米最大級のアウトレットモールなどで賑わう。徳島市と姉妹都市であり、1986年に両市の友好のシンボルとして阿波鷺能庵が造られた。両市が建設費を出し合い敷地を共有し、共同で管理を続けている。

 両市が姉妹都市提携を結んだのは1961年。徳島からの全米派遣農業実習生がサギノー市に滞在中に現地のホストファミリーと親しくなり、帰国後も交流を続けたことがきっかけとなって話が持ち上がり、実現した。

 茶室の設立にあたっては、1957年に同市に移り住んだモスナー陽子さんがゼロからの資金集めをスタートさせた。反日感情もあらわな当時のアメリカで、茶室のモデルを携え足労を重ね、サギノー有数の企業など随所でプレゼンテーションをし、何故必要なのか、を説いて回るところから理解を深めていったという。徳島側とサギノー側の通訳兼パイプ役を担い忍耐と努力の末、長い時を経て茶室の着工に漕ぎつけた。その後も陽子さんはセンターの管理と運営に携わり、国際姉妹都市交流を支えてきた。また、両市の他、徳島市国際交流協会や茶道裏千家淡交会徳島支部、両市のロータリークラブなどの市民団体の活発な支援によって、日本文化センターの活動と国際交流が継続されている。

 同センター主催の日本祭には例年、サギノー市在住の日本人・日系人、交換留学生やビジネス関係者たちが協力して日本文化や食べ物を紹介している。今年は生け花や書道、折り紙の実演や体験のほか、お手玉や福笑いで遊ぶコーナー、寿司の売店などが設けられた。竹とんぼの飛ばし方を上手に見本を示して教えている白人男性も見られ、長きにわたる姉妹都市交流と同センターのお陰で日本通も多いことも窺えた。赤い太鼓橋や竹垣もある庭園は実に美しく日本的な空間であり、日米の訪問者が和やかに交わる場所となっていた。

 オープニングの挨拶で在デトロイト総領事館の竹内首席領事は、「このセンターほど日本祭の場として相応しい所はミシガンに無い」「みごとな日本建築がこの地にあることに感銘を受けた」と語り、長年ディレクターを務めているモスナー陽子さん並びにスタッフたちの功労を称えねぎらった。

 茶室ではJ S D ウィメンズクラブのサポートによる実演が3回行われた。同茶室の設立由来や構造建築の説明に続いて、茶道の歴史について解説があり、7世紀に皇族など身分の高い人々の中で盛んになったが、現代では裕福な人だけのものではなく、また女性だけが嗜むものでもないことなどが分かりやすく講じられた後、茶の湯の点前が披露された。

 特設野外ステージには、メトロデトロイト地区から和太鼓グループ『雷音』、邦楽グループ『KONAMI』、男性コーラス『ホワイトパイン』が出演、ミシガン西部から沖縄県人会『ちむぐくる(楽しみたい)会』も駆けつけ沖縄舞踊と音楽を披露した。さらにデトロイト剣道道場と、同日本文化センターで練習をしているタイチー(太極拳)グループによる武道の実演も行われ、穏やかな秋晴れの中、訪問者の多くが、3時間の開催中途切れなく続くプログラムやワークショップをのんびりと腰を据えて楽しんでいた。

 同センターでは各地の学校のフィールドトリップも数多く迎え、他州からの観光客も多いということで、文化紹介と日米の交流との場として貴重な役割を果たしている。

Japanese Cultural Center & Tea House

www.japaneseculturalcenter.org

 サギノー市(Saginaw)にある本格的茶室と日本庭園を擁する日本文化センター『阿波鷺能庵(あわさぎのうあん)』で、9月16日(日)日本祭が催された。四つの大きな川が合流し湾に流れ出るサギノー市は、かつて材木都市として繁栄を誇り、近隣は観光名所フランケンムースや全米最大級のアウトレットモールなどで賑わう。徳島市と姉妹都市であり、1986年に両市の友好のシンボルとして阿波鷺能庵が造られた。両市が建設費を出し合い敷地を共有し、共同で管理を続けている。

 両市が姉妹都市提携を結んだのは1961年。徳島からの全米派遣農業実習生がサギノー市に滞在中に現地のホストファミリーと親しくなり、帰国後も交流を続けたことがきっかけとなって話が持ち上がり、実現した。

 茶室の設立にあたっては、1957年に同市に移り住んだモスナー陽子さんがゼロからの資金集めをスタートさせた。反日感情もあらわな当時のアメリカで、茶室のモデルを携え足労を重ね、サギノー有数の企業など随所でプレゼンテーションをし、何故必要なのか、を説いて回るところから理解を深めていったという。徳島側とサギノー側の通訳兼パイプ役を担い忍耐と努力の末、長い時を経て茶室の着工に漕ぎつけた。その後も陽子さんはセンターの管理と運営に携わり、国際姉妹都市交流を支えてきた。また、両市の他、徳島市国際交流協会や茶道裏千家淡交会徳島支部、両市のロータリークラブなどの市民団体の活発な支援によって、日本文化センターの活動と国際交流が継続されている。

 同センター主催の日本祭には例年、サギノー市在住の日本人・日系人、交換留学生やビジネス関係者たちが協力して日本文化や食べ物を紹介している。今年は生け花や書道、折り紙の実演や体験のほか、お手玉や福笑いで遊ぶコーナー、寿司の売店などが設けられた。竹とんぼの飛ばし方を上手に見本を示して教えている白人男性も見られ、長きにわたる姉妹都市交流と同センターのお陰で日本通も多いことも窺えた。赤い太鼓橋や竹垣もある庭園は実に美しく日本的な空間であり、日米の訪問者が和やかに交わる場所となっていた。

 オープニングの挨拶で在デトロイト総領事館の竹内首席領事は、「このセンターほど日本祭の場として相応しい所はミシガンに無い」「みごとな日本建築がこの地にあることに感銘を受けた」と語り、長年ディレクターを務めているモスナー陽子さん並びにスタッフたちの功労を称えねぎらった。

 茶室ではJ S D ウィメンズクラブのサポートによる実演が3回行われた。同茶室の設立由来や構造建築の説明に続いて、茶道の歴史について解説があり、7世紀に皇族など身分の高い人々の中で盛んになったが、現代では裕福な人だけのものではなく、また女性だけが嗜むものでもないことなどが分かりやすく講じられた後、茶の湯の点前が披露された。

 特設野外ステージには、メトロデトロイト地区から和太鼓グループ『雷音』、邦楽グループ『KONAMI』、男性コーラス『ホワイトパイン』が出演、ミシガン西部から沖縄県人会『ちむぐくる(楽しみたい)会』も駆けつけ沖縄舞踊と音楽を披露した。さらにデトロイト剣道道場と、同日本文化センターで練習をしているタイチー(太極拳)グループによる武道の実演も行われ、穏やかな秋晴れの中、訪問者の多くが、3時間の開催中途切れなく続くプログラムやワークショップをのんびりと腰を据えて楽しんでいた。

 同センターでは各地の学校のフィールドトリップも数多く迎え、他州からの観光客も多いということで、文化紹介と日米の交流との場として貴重な役割を果たしている。

Japanese Cultural Center & Tea House

www.japaneseculturalcenter.org

りんご会入園式・入学式が行われる

りんご会入園式・入学式が行われる

4月13日、デトロイト・りんご会補習授業校の入園・入学式が行われた。その週は冷たい雨が数日間続いていたが、この土曜日は入園・入学を楽しみに待っていた子供のたちの思いがかなったような、美しい青空が広がった。

「新一年生はお父さん、お母さんに手を引かれてこの日を待っていた様子がよくわかります。幸せそうな雰囲気でした」と、初日を終えた後、小学部・教務主任の高橋美季先生は語ってくださった。午前中、ノバイメドウズ校体育館で行われた小学部入学式では、校長先生のお話の後、最初は緊張していた新一年生も、校長先生からの何度かの問いかけに元気な声で答えていた。新六年生は式で校歌のプレゼントをした。貫禄あるお兄さん、お姉さんとして、新一年生に「小学部は楽しいことがいっぱいあるよ」とメッセージを送った。

 

中・高等部の入学式は小学部に先立って、もう一つの借用校舎のノバイ高校体育館で行われた。参式した来賓の在デトロイト日本国総領事館の小川伸首席領事は「皆さんの年代は自分を知るチャンスの時期です。デトロイト郊外のこの地域での生活を楽しんでください。そしてアメリカで学ぶということ、国際人として世界のことに目を向けて行ってください」と新たなスタートに臨む生徒たちにお祝いと励ましの言葉を送った。田中孝学校長は詩人・宮沢章二氏の「流れの中で」を引用し、二度と戻らない時間を大切にすることを話した。りんご会運営委員長の藤代俊氏も励ましの言葉を述べた。平日通う現地校との両立の大変さを乗り越え、小学部、中学部から上の学部に進級する生徒も多い。新入生代表はその大変さ以上に土曜日に会える友達との楽しい学校生活、行事活動に期待を膨らませ頑張っていく、と決意の言葉を発表した。在校生代表からも、真の学びあいの場として時間を大切にしていこうと、歓迎の言葉が語られ、同校の生徒たちの伸びやかさがうかがわれた。午後からは、メドウズ校にて幼稚園部の入園式も行われた。

入園・入学生は幼稚園部34名、小学部91名、中学部49名、高等部24名。デトロイトりんご会補習授業校は、昨年創立50周年を迎え、次の半世紀への新たなスタートを切った。日本国派遣教員の校長、教頭の指導の下、812名の児童生徒、107名の教職員で年間42週の日本語による補習授業を行うほか、大運動会、文化祭、音楽会、お餅つきなど、日本国内の教育活動を基にした行事等をカリキュラムに含む、ミシガンの日本語教育施設の中核をなす学校である。

“夢を生きる:テイラー・アンダーソン物語” 上映される“夢を生きる:テイラー・アンダーソン物語” 上映される

東日本大震災記念行事 EMU(イースタンミシガン大学)で開催

“LIVE YOUR DREAM: The Taylor Anderson Story”

 3月4日、イースタンミシガン大学の学生会館で“夢を生きる:テイラー・アンダーソン物語”の上映会が催された。上映会は同大学とJETAA(JETアラムナイ:同窓会)により実現した。JETは「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略称で、東日本大震災の犠牲になったテイラー・アンダーソンさん(当時24歳) は、このJETプログラムの英語指導助手として、2008年8月から2011年3月11日に起きた東日本大震災の津波で亡くなるまで、宮城県石巻市に赴任していた。地震発生時には小学校で勤務しており、彼女は校庭に避難した子どもたちを保護者に引き渡した後、自転車で帰宅。その後津波に巻き込まれ、還らぬ人となった。

 映画“夢を生きる”は、テイラー・アンダーソンという人物とその生涯、そして日本とアメリカの架け橋となったことが描かれたドキュメンタリー映画で、監督とアンダーソン一家によってこの作品は、世界中の数々の上映会で発表されてきた。

 この日の上映会には、監督のライフ氏、テイラー・アンダーソンさんの父親、そしてもう一人のJET教師で陸前高田にて犠牲者となったモンティ・ディクソンさんの家族が招かれ、上映後には追悼の公開談話が行われた。

 同大学の人文科学学部長の学長は開会の辞で、「大事なメッセージが伝わることだろう。」「我々の責任は東北で起きたことを決して忘れないこと。今夜視聴した後、少なくとも一人に話をして欲しい。」と話した。

 映画の冒頭はテイラーさんの幼少期からの写真、そして家族や友人のインタビューを通して、彼女が前向きで明るく、人々に元気を与える性格で、子どもの頃から日本への強い興味があり、JETでの日本行は長年の夢であったことが分かるものであった。中盤は日本の勤務地でのJETの仲間たちや日本人教師がいかにテイラーさんが日本での暮らしを謳歌し、熱心に指導にあたっていたかを語り伝えた。そして3月11日の震災。津波が町を襲う映像が映し出される。早朝ヴァージニア州の両親に津波のニュースは届いた。「日本で大地震発生」。テイラーさんの携帯電話には何度かけても通じず安否確認が掴めない。 10 日あまりが過ぎ、駐日米国大使館から訃報が届いた。父親とテイラーさんの恋人が日本に渡り、遺体を確認した。

 石巻での生活を愛していたテイラーさんは、2011年8月にはアメリカへ帰国を予定していたが、その後も日本と関わり続けたいと願っていた。遺族は彼女の夢であったアメリカと日本の架け橋になるという想いを引継ぎ、石巻と東北地方の学生や学校、その家族の復興援助を目的として『テーラー・アンダーソンメモリアル基金』を立ち上げた。その一つである

 『テイラー文庫』は、テイラーさんが愛読していた本を、本棚と一緒に寄贈するというもので、贈与が実現した折には家族揃って石巻を訪れた。母親は語る、「娘は他人を優先する子だった。その夢を叶えなくては。」と。

 上映後、片岡総領事が壇上で、心を動かされると同時に勇気を与えられる映画であると感想を述べた。また、両親の強さに感銘し、この場で会えたことが嬉しいと伝えた。遺志は生き続け、文庫と寄付は二国の絆を強固なものにしていると語った。加えて、東日本大震災後のミシガンの人々からの寄付や励ましに対する感謝の意も伝えられた。

 談話と質問応答では、まずテイラーさんの父親が「皆さんの心の中に留まってくれれば嬉しい。」「JETで日本へ行くことは娘がしたかったこと。人の役に立ちたいという娘の想いを引き継いで活動していきたい。」と話した。観客からは映画の内容についての称賛と、家族が制作に協力し、さらに当地を訪れてくれたことへの感謝の言葉が続いた。「ストーリーを分かち合ってくれただけでなく、強い生き方を示してくれた。」という声もあり、「やりたいことを選ぶ。」と心を定め、JETプラグラム参加の気持ちを強くした学生もいた。

 イベントに参加した誰もが、夢に生きたテイラーさんのストーリーに心を動かされ、そして娘の愛した日本のために活動しているご両親と家族に対して敬服の念で一杯になったことであろう。

テイラー・アンダーソン記念基金のホームページ(日米両国語)

www.taylorandersonmemorialfund.org

東日本大震災記念行事 EMU(イースタンミシガン大学)で開催

“LIVE YOUR DREAM: The Taylor Anderson Story”

 3月4日、イースタンミシガン大学の学生会館で“夢を生きる:テイラー・アンダーソン物語”の上映会が催された。上映会は同大学とJETAA(JETアラムナイ:同窓会)により実現した。JETは「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略称で、東日本大震災の犠牲になったテイラー・アンダーソンさん(当時24歳) は、このJETプログラムの英語指導助手として、2008年8月から2011年3月11日に起きた東日本大震災の津波で亡くなるまで、宮城県石巻市に赴任していた。地震発生時には小学校で勤務しており、彼女は校庭に避難した子どもたちを保護者に引き渡した後、自転車で帰宅。その後津波に巻き込まれ、還らぬ人となった。

 映画“夢を生きる”は、テイラー・アンダーソンという人物とその生涯、そして日本とアメリカの架け橋となったことが描かれたドキュメンタリー映画で、監督とアンダーソン一家によってこの作品は、世界中の数々の上映会で発表されてきた。

 この日の上映会には、監督のライフ氏、テイラー・アンダーソンさんの父親、そしてもう一人のJET教師で陸前高田にて犠牲者となったモンティ・ディクソンさんの家族が招かれ、上映後には追悼の公開談話が行われた。

 同大学の人文科学学部長の学長は開会の辞で、「大事なメッセージが伝わることだろう。」「我々の責任は東北で起きたことを決して忘れないこと。今夜視聴した後、少なくとも一人に話をして欲しい。」と話した。

 映画の冒頭はテイラーさんの幼少期からの写真、そして家族や友人のインタビューを通して、彼女が前向きで明るく、人々に元気を与える性格で、子どもの頃から日本への強い興味があり、JETでの日本行は長年の夢であったことが分かるものであった。中盤は日本の勤務地でのJETの仲間たちや日本人教師がいかにテイラーさんが日本での暮らしを謳歌し、熱心に指導にあたっていたかを語り伝えた。そして3月11日の震災。津波が町を襲う映像が映し出される。早朝ヴァージニア州の両親に津波のニュースは届いた。「日本で大地震発生」。テイラーさんの携帯電話には何度かけても通じず安否確認が掴めない。 10 日あまりが過ぎ、駐日米国大使館から訃報が届いた。父親とテイラーさんの恋人が日本に渡り、遺体を確認した。

 石巻での生活を愛していたテイラーさんは、2011年8月にはアメリカへ帰国を予定していたが、その後も日本と関わり続けたいと願っていた。遺族は彼女の夢であったアメリカと日本の架け橋になるという想いを引継ぎ、石巻と東北地方の学生や学校、その家族の復興援助を目的として『テーラー・アンダーソンメモリアル基金』を立ち上げた。その一つである

 『テイラー文庫』は、テイラーさんが愛読していた本を、本棚と一緒に寄贈するというもので、贈与が実現した折には家族揃って石巻を訪れた。母親は語る、「娘は他人を優先する子だった。その夢を叶えなくては。」と。

 上映後、片岡総領事が壇上で、心を動かされると同時に勇気を与えられる映画であると感想を述べた。また、両親の強さに感銘し、この場で会えたことが嬉しいと伝えた。遺志は生き続け、文庫と寄付は二国の絆を強固なものにしていると語った。加えて、東日本大震災後のミシガンの人々からの寄付や励ましに対する感謝の意も伝えられた。

 談話と質問応答では、まずテイラーさんの父親が「皆さんの心の中に留まってくれれば嬉しい。」「JETで日本へ行くことは娘がしたかったこと。人の役に立ちたいという娘の想いを引き継いで活動していきたい。」と話した。観客からは映画の内容についての称賛と、家族が制作に協力し、さらに当地を訪れてくれたことへの感謝の言葉が続いた。「ストーリーを分かち合ってくれただけでなく、強い生き方を示してくれた。」という声もあり、「やりたいことを選ぶ。」と心を定め、JETプラグラム参加の気持ちを強くした学生もいた。

 イベントに参加した誰もが、夢に生きたテイラーさんのストーリーに心を動かされ、そして娘の愛した日本のために活動しているご両親と家族に対して敬服の念で一杯になったことであろう。

テイラー・アンダーソン記念基金のホームページ(日米両国語)

www.taylorandersonmemorialfund.org

日本留学を支援するJBSD基金スカラシップ

2019年度のJBSD基金スカラシップ(奨学金)授賞式が去る6月7日(金)に、受賞者の家族を招いて開催された。

同奨学金制度は、1998年にJBSDの25周年記念事業の一環として発足し、高校生ならびに大学生向けの日本留学プログラムを支援してきている。大学生の部は、JCMU(Japan Center for Michigan Universities:ミシガン州立大学連合日本センター)プログラムに対する支援で、ミシガンの州立大学15校に在籍する学生等を対象に、滋賀県にあるJCMU日本センターに滞在しての1年あるいは半年の留学を提供。高校生の部は、YFU(Youth For Understanding)プログラムへの支援。高校生の海外ホームステイ留学をオーガナイズしているこのプログラムは、1951年にドイツの高校生をミシガンに留学させるプログラムとして発足したもので、1957年にミシガンー日本間の高校生交換留学プログラムが立ち上がった。今回選考された高校生たちは6月下旬から6週間にわたり、様々な地域に散らばりホームステイをしながら体験留学をする。

留学体験による日本の理解者を1人でも増やするために、JBSD基金では、会員からの寄付などから奨学金を拠出して支援に充てている。

情報交換や歓談を交えた軽食のあと、JBSD事務局長である植田氏より受賞者へのお祝いと合わせて、新しい機会と生活を有意義に過ごして欲しいとのメッセージ、そして異なる文化や日本での体験についてエッセイを書いて欲しいと伝えた。また、保護者たちに向けて、外国で学ぶことの意義を認識し、送り出すことを理解してくれたことに対して感謝の言葉を届けた。

在デトロイト総領事館の酒井領事からも祝辞が述べられ、関係者に向けての謝意も伝えられた。「人生のかけがえのない思い出になることでしょう」と贐の言葉を贈り、帰国後には地元のコミュニティーに語り伝えて欲しいと願いを伝えた。

受賞者たちのスピーチでは、各自、受賞し日本を訪問できる喜びに加えて、「言葉も文化もできる限り学びたい」「英語の教師になるのが夢。語学教育のレベルをあげることに尽力したい」などの抱負を示した。高校生の「制服が楽しみ」との言葉に会場から温かい笑いが上がった。同席していた同プログラムの経験者やJBSD基金の役員たちは大きな拍手で彼らの受賞と意気込みを称えた。

過去に同奨学金を得てYFUプログラムに経験した高校生からは、「今も自分の生き方に影響している」「独立する力も付いた」と語った。他の留学経験者からも経験談や日本事情が告げられ、貴重な体験に感謝する言葉が伝えられた。ホストファミリーや友人との関係が続いている参加者が多く、短期留学ではあるが、絆や影響が長く及び続けるであろうことが窺われた。

貴重な素晴らしい経験であったと語る経験者同様に、またそれ以上に、今年度の参加者が日本の文化や人々に対して良い印象を得て戻り、異文化を理解する豊かな人として、その後の人生に経験を生かしていくことを心から期待したい。

2016 JETプログラム参加者 ~ 壮行会

2016 JETプログラム参加者 ~ 壮行会

05_jet_img_0062去る7月29日、次の日に日本への出発を控えたJETプログラム参加者の直前オリエンテーションと壮行レセプションが在デトロイト総領事公邸で開催された。在デトロイト総領事館の管轄地域であるミシガン州とオハイオ州からのJET参加者を送り出した。

JETプログラムとは「The Japan Exchange

and Teaching Programme」の略称で、総務省、外務省、文部科学省及び財団法人自治体国際化協会(CLAIR)の協力の下、地方公共団体が主体となり実施している国際交流事業。1987年に4か国から848名の参加で始まり、統計では、平成 25 年までに6万2千人以上の人々が本事業により訪日、その内のほぼ半数が米国からの参加者だという。JET参加者は言語指導員(ALT)、国際交流員、そしてスポーツ交流員(SEA)3つの職種に分かれており、北米からは主に ALT と CIR として派遣される。派遣先は、要請を出した地方公共団体の何処かで、大都市から地方の中小都市や農村漁村に至るまで全国津々浦々。参加者の希望で1年から3年の滞在となる。

オリエンテーション後の歓送レセプションでは今春当地に赴任された和田総領事より、まず、「当地のJET壮行レセプションのホストをするのは初めてあり、人生の冒険の船出の前日に皆様に会うことが出来て光栄である」といった旨の歓迎の言葉で始まり、ご自身が勉学や仕事のために様々な土地に訪れた経験に照らして、その土地の人々に会ったり歴史や伝統を学ぶことによって、そこでの経験がより豊かになり、理解が深くなったと語り、参加者に日本でのかけがえのない機会を大いに活かすようとの祈念のことばが伝えられた。

文化歴史・伝統に直接触れる経験は何物にも代えがたく、自分の人生を豊かにしてくれたと振り返り、「人生をも大きく変えるかも知れない貴重な経験となることであろう」と語りかけた。猛暑日が続く日本に飛び立つ若者たちに、実り多い日々になるようにエールを贈った。

今期の当地からの参加者は54名に上り、全米3900名以上の応募者から厳正なる審査を経て資格を得た人々であるので必ずや成果を挙げることを信じていると言明し、さらに、語学指導のアシスタントなどの仕事に従事するだけでなく、米国の外交の一環も担っていると告げた。最後に、帰還後には深い日本理解と米国を新鮮に見る視野を持って日米交流に寄与し続けて欲しいと結んだ。

異国での任務を決意し、国際交流に役立とうという意欲に溢れるJETプログラム参加者らが、日米両国の架け橋として成果を上げることを期待したい。

地域や住民に密着した活動を通じて日本を体験した参加経験者らは、母国に帰った後、単なる日本研究者とは違った知日家、親日家として様々な分野で活躍し,日本と母国との間の貴重な橋渡し役となっている。

【ミシガン州&オハイオ州の卒業生の皆さま】 卒業写真をJapan News Clubに掲載しませんか?

To the graduating class of 2022!!! 

ご卒業おめでとうございます!!!

今年もJapan News Club7月号プリント版に卒業の記念に写真を掲載しませんか?

遠方にお住みのご家族・親戚・ご友人へぜひ記念にどうぞ!

  • お名前(日・英)
  • 写真(300dpiできれば解像度が高いもの、印刷に適しているもの)
  • 卒業する学校(高校または、大学)
  • シニア・クォート(Quote 希望者のみ)

応募は、以上を

japannewsclub@pntrpress.com

までEメールにて送信、もしくはグーグルアカウントをお持ちであれば、下記のグーグルフォームよりご応募いただけます(写真は別途Eメールでも大丈夫)。スペースに限りがある場合は、ご連絡させていただきます。

卒業写真を載せたい! グーグルアカウントをお持ちですか?

>> 応募はグーグルフォームからもOK!!!

 

日本とアメリカの懸け橋 Japan Festival in Saginaw 2年ぶりに開催

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

9月12日、ミシガン州Saginaw市にあるJapanese Cultural Centerにて、在デトロイト日本国総領事館のスポンサーのもとJapanese Festivalが行われた。コロナウイルスの影響で昨年はオンラインイベントとなり、実質2年ぶりとなったこちらのフェスティバル。進藤雄介総領事を迎え、約30人のボランティアが活躍した。スタッフはミシガン州在住の書家、藤井京子氏がした文字入りのTシャツを着て、約300人の入場者を温かく迎えた。

 Japanese Cultural Centerはデトロイトから約100マイル北にあるSaginaw市にある。Saginawと徳島市は姉妹都市。1961年、徳島からSaginaw市へ留学した高木宏幸氏が帰国後もSaginaw市滞在時に知り合った友人と友情を深めていた。その友人の知人がSaginaw市長に就任したことがきっかけで、徳島市とSaginaw市との縁は姉妹都市提携へと発展した。1971年に日本式庭園(徳島サギノー親善庭園)が開園。その後、日本の茶室建築と庭園の匠をアメリカにもたらした。茶室の建築設計と組み立てを一度日本で行い、解体し、それをアメリカで現地の労働者とともに組み立てなおした。1986年、日米の共同の力で16世紀の数寄屋造様式の茶室、は生まれた。その茶室と3エーカーの敷地を誇る日本庭園を舞台に、Japan Festival in Saginawは地元からの入場者を中心ににぎわった。

最も人気の茶会は2回、各回17名限定で行われた。残念ながら茶菓の提供はコロナ感染防止のためなかったが、立礼式茶室に設けられた椅子席に集まった観覧者は1回目は裏千家、2回目は表千家のお点前の観覧を十分楽しんだ。所作の一つ一つ、亭主と客のやり取り、床の間に掛けられた掛け軸、生け花が持つ季節感、茶道具にこめられた匠の極みについてボランティアが逐次英語で参加者に説明した。観覧者は静寂と荘厳さを理解した。お点前中には音もたてず見入るように所作に注目していた人々は、最後に出演者が一堂に会し観覧者に一礼したときには一挙に拍手でその感動を表した。「亭主はなぜ一緒に茶を飲まないのか」「客と亭主の会話の内容は決まっているのか」など、もてなしと味わいに対する本質的な質問もでた。

 テレビでの案内を見てグランドラピッズからこの茶会に参加したご夫婦は「所作の一つ一つに敬意、深い意味、自制を感じた。すべてに現代には失われているものをお点前に見た。Discipline(規律、立ち振る舞い、などの意)、まさにその通り。」と感動を語った。その女性はK-12(幼稚園から高校まで)の教育に携わっている方で、ひとしお一連の所作に感動していた。

 お茶会の後に表・裏千家のみなさんにお話を伺った。「楽しくお点前を披露できた」「2年ぶりの日本祭りでの披露だったが、終わってほっとしている」「お茶を好きな方にもっと知っていただきたい」「コロナの収束を願っています」等、安堵とともに今後も日米の懸け橋として日本文化を広く楽しんでいただける方との交流を望んでいる力強いメッセージをいただいた。

会場は阿波鷺能庵の周囲の日本庭園。入場した人々が楽しめるように、折り紙、生け花、書道、盆栽のブース、グッズや地元陶芸家の作品販売、パフォーマンスステージが設置された。現地の若い人の入場者が多い印象だった。書道体験ではボランティアの補助を受けながら、慣れない筆遣いに苦労しながらも自分の名前を書いて楽しむ入場者や、折り紙の世界の精巧さに興味を示す人々の姿が見られた。遠方からのパーフォーマンス参加では、長年ワシントンDCのNational Bonsai & Penjing Museum of the U.S. National Arboretum でキューレーターを務めた盆栽家Jack Sustic氏が、参加者に作品をプレゼントするラッフル(くじびき)を企画し、入場者を楽しませた。地元陶芸家のTim Rickettsさんの作品の展示販売も行われた。

 

 Saginawのダウンタウンと隣の教会を木々の合間に垣間見ながら、水量豊かなSaginaw川沿いに建てられた茶室と縁側から臨む日本式庭園は、あたかも日本の一景色を切り取ったようだった。ミシガンにいながら日本の趣を感じた空間とも言える。特設テントに設けられたステージでは、地元歌手Emily Bischoffさんの歌、Ensemble Hanabi, Koto, Cloud Hands of MichiganのTaichiと多彩なジャンルの発表があった。Japanese Festivalの締めくくりはダイナミックな太鼓のパフォーマンスだった。Great Lakes Taiko Centerの演奏は、ミシガン湖やミシガンの自然を時には力強く、また時にはその静けさを表現し、人々をひきつけていた。

 主催者Japanese Cultural Center, Tea House and Gardens of Saginaw, Inc.の阿津ますみさんは、コロナ感染に対しての安全対策がやはり一番の課題であり、会場の設定を若干変えたり、準備の段階からボランティアには十分に衛生と感染予防の指導をして協力を求めるなどコロナ禍の中安全な環境を提供できることをまず考えていた、と語った。今回のイベントは2年間の思いを温め、その準備が十分なされており大成功だったと言えよう。若い入場者が多く、日本文化への理解を求めている地元の人々の関心の高さを伺うことでき、多彩な出演者・出品者を得たのは主催者の熱意を反映していた。

 阿波鷺能庵のあるJapanese Cultural Centerへは、Novi方面からはUS-23を走ると1時間ほどで着く。毎月第2土曜日に予約制のお点前のデモンストレーションを行っているので、日本文化に興味のあるアメリカ人を誘うには最高の機会だ。参加費は$10。すぐに予約がいっぱいになるので、早めの予約を。また、日本文化に関するイベントも企画されている。Japan Festivalのパンフレットにもあるように、阿波鷺能庵の運営は50%がSaginaw市から、10%はイベントなどの催しものから、残りは寄付で賄っている。この本格的な茶室の維持には地域からの協力が大切になってくる。ぜひ、ご興味のある方は下記ウェブサイトでも寄付を募っている。

The Japanese Cultural Center,  Tea House, and Gardens

http://japaneseculturalcenter.org/   

第28回 JBSDスポーツ部会主催 親善ソフトボール大会

第28回目のJBSD(デトロイト日本商工会)スポーツ部会主催による親善ソフトボール大会が9月8日と9月15日の2日間にわたり開催された。31チームによるトーナメント式の試合がノバイ市のレクリェーションパークのグラウンド4面を使って順次行われた。

JBSDスポーツ部会主催 親善ソフトボール大会

第28回目のJBSD(デトロイト日本商工会)スポーツ部会主催による親善ソフトボール大会が9月8日と9月15日の2日間にわたり開催された。31チームによるトーナメント式の試合がノバイ市のレクリェーションパークのグラウンド4面を使って順次行われた。

優勝チーム 桜組

今年は昨年のベスト8チームが2日目からのシード扱い。昨年は初日に各グランドで6ゲームを組んでいたが、今回は最大4ゲームと変わった。

ソフトボールのリーグに入って日ごろから慣れているチームもある一方、大会直前になってメンバーを募って集結し、この日に挑んでいるチームもある。任期を終えて抜ける人、出張のために参加が叶わない人もおり、強さは流動的といえる。また、5イニング戦、または規定制限時間内という短めのゲームとあり、早く波をつかんだチームがそのまま勝利をつかむ傾向がみられる。

秋空が広がった初日。15試合中、9試合が10点以上の差のある勝敗となった。

 ブルーグランドでは初戦Toyota Tsusho America inc.チームが相手に1点も与え

ず13点を取って勝ち進んだが2回戦ではTRAM RED Swings相手に13点差で敗退となった。またToyota Boshoku America

が1回戦・2回戦ともに13点を取って勝ち進んだ。レッドグランドではNISHIKAWAらばーずが2回戦目でこの日の最高得点20点を獲得したほか、Hi-Lexが次週へ駒を進めた。他のグランドでは、NMB Muskratsが17-0、Team JTEKTが18-0と、相手に得点を許さず圧勝して進出。MEIDEN AMERICAインドアサッカー部、DIAM PG2も勝利をつかみ次週へ繋げた。

午後からの雨が危惧される曇天となった大会2日目。第一試合でベスト8が決定。

昨年第4位のTGNAチームは今大会最高の23点の大量得点を出しベスト8入り。昨年の覇者桜組(Sakura-Gumi Softball Club)も着実に勝ちあがった。

片や、昨年は準優勝を収めて今回シードチームのYasakiArrowsがTRAM RED Swingsに大差をつけられて敗退。攻守に力を見せたTRAM RED Swingは、この後も勝ちあがり決勝戦まで進んだ。

同じくシード扱いの昨年3位のBOMBERSは初戦で1対1の同点の末、コイントスで運をつかめず出ばなをくじかれた。Hi-Lexが幸運の女神に微笑まれてベスト8に入ったが、この日も大量得点で悠々とベスト8入りしたNISHIKAWAらばーずに準決勝進出を阻まれた。

前年の4強チームが準決勝に進んだ昨年のトーナメントとはかなり様相の異なる今回の準決勝戦。どのチームも強く、それまでのように大量得点は出ないゲーム展開となった。NISHIKAWAらばーずが12-0の無失点で準決勝にあがってきていたが、TRAM RED Swingがその行く手を阻止し決勝進出へ躍り出た。

もう一方の準決勝戦は、今大会での最高となった得点を出し進撃を続けてきたTGNA Trefuerzaが、昨年の準決勝と同じ顔あわせとなった桜組の攻防に力及ばず。桜組が決勝進出を獲得した。

いよいよ注目の決勝戦。両者ともに、この日4回目のゲーム。疲れているに違いないが、相手の見事な当たり球を素晴らしい守りでアウトにするという場面が続き、攻守優れた両チームの粘りが観客を魅了した。桜組が守りの隙をついた鋭いヒットでその均衡を破り、勢いに乗って得点を重ね、TRAM RED Swingの攻撃を抑え込み優勝の栄冠を再び手にした。3連覇である。

桜組のチーム代表である遠藤氏は、「3試合やった後で、皆、足にきていました」と言いつつ、勝利の感想を寄せてくださった。疲れても、どんな強打者が出てきても、いつもの野球をしよう、と心がけたとのこと。桜組はノバイのリーグでプレーしている。JBSDソフトボール大会の歴史にはTGNAによる(*会社として)5連覇の記録がある。「それを抜いて6連覇を目指したいです」と意気込みを語った。

同時に行われた3位決定戦ではその5連覇の偉業を成したTGNAのチームの一つであるTGNA TrefuerzaがNISHIKAWAらばーずを抑えて3位を勝ち取った。

*TGNA Trefuerzaは、TGNA TIGERSが3連覇した次の年に、2チームに力を分散するために結成された。

 家族や同僚の応援の声が飛び交う中、熱い戦いが繰り広げられた大会は、今年も話題と思い出を残して爽やかに幕を閉じた。親善ソフトボール大会は秋のスポーツイベントとして担当企業の支えによって継続され、当地日本コミュニティーに定着している。勝ちを狙いつつも、スポーツを通した交流の場所として盛大かつ和やかに続いていくことを願いたい。

日米で人気の 『アメリカの数のえほん』 を翻訳日米で人気の 『アメリカの数のえほん』 を翻訳

<!--:en-->日米で人気の 『アメリカの数のえほん』 を翻訳<!--:--><!--:ja-->日米で人気の 『アメリカの数のえほん』 を翻訳<!--:--> 2

ミシガン州在住 サライン須美子さん インタビュー

  アメリカで大ヒットした絵本『アメリカの数のえほん』(作:デビット・M.シュワルツ)の邦訳を手がけた女性がここミシガンに在住している。

  『アメリカの数のえほん』は『100万ってどれくらい?』『100万ドルあったなら』『100万をはかってみよう』の全3巻からなる絵本集で、Amazon(オンラインショッピング)では‘子ども向けの算数啓発書’と分類されているが、大人も驚きをもって楽しめる本。日本語版の監修を務めた秋山仁先生が絶賛しており、『100万ってどれくらい?』は小学校3年生の国語教科書(三省堂、2011年~2015年)で紹介されている。全国学校図書館協議会選定図書ならびに日本図書館協会選定図書にも選定されている。

  サライン須美子さんは翻訳専門家ではない。なぜ無謀ともいえる挑戦をし、成し遂げることができたのか、お話を伺った。

Q:なぜ翻訳しようと?

「子供の頃、算数が苦手でした。この本に出合っていたら興味を持っていただろうに・・・。日本の子供たちに読んで欲しいという想いが翻訳したいという気持ちになりました。」

Q:日本語の本があったら良いのにと思っても、翻訳家でない人が手がけようとは普通は考えないと思いますが・・・。

☆ ☆ ☆

  サライン須美子さんは地元アナーバー市の公立学校でELL(English Language Learnerの指導者として長年勤務しており、2004年、その一校で「アメリカの数のえほん」の作者デビット・M.シュワルツ氏を招いた講演会が催された折に日本人生徒への通訳のために参加した。話を聴き、本を知り、「こんな本に子供の頃に出合ったら算数が嫌いにならないで興味を持つに違いない」と思った。シュワルツ氏に尋ねたところ、フランス語、スペイン語、ドイツ語はあるが、日本語版は未だ無いとのこと。「日本の子供たちにも算数の楽しさを知ってもらいたい」と翻訳の意欲を駆り立てられた。しかし翻訳本についてはシュワルツ氏に決断権は無く、「自分のエージェントとして交渉したら良い」と提案してくれたため、決意を固めた。

   即刻はりきって翻訳に取り組み、翻訳文を添えた本を仕上げて日本の名だたる出版社に送ったが、出版社には企画部があり自社で翻訳本の選択をして翻訳家の手配も行うため、持ち込みは受け付けてもらえず諦めるしかなかった。無念にも翻訳本は2年間余り、御蔵入りとなってしまった。

  突然転機が訪れた。 須美子さんが医療通訳の仕事を請け負ったミシガン大学のイベントで通訳を務めた医療書の翻訳家を自宅に泊めたことがきっかけであった。その翻訳家は「秋山仁氏の推薦状をもらったら」と提案。ご存知の方も多いと思うが、秋山氏は、子供から大学受験生そして一般向けに算数/数学の啓発書や攻略本を多数執筆し、テレビ講座にも出演する著名な数学者である。この案は無謀かに思えたが、サライン家の親しい隣人である日本人ミシガン大学教授がかつて秋山氏の教え子であり、その縁と、その教授による“ミシガン大学の封筒を使う”アイデアが効を奏して、秋山氏の了解を得ることができた。そして出版社は、秋山氏が監修を務めることを条件に積極的に出版を進め、2007年には刊行が実現。その後、冒頭に記したように、国語の認定教科書でも取り上げられるほどの地位を獲得するまでになった。

  転機が訪れてからの進展スピードをみるとトントン拍子であったかのようであるが、訳に関しては一度ではOKが出ず、秋山氏から厳しい指摘も受け、推敲を重ねて再提出したという苦い経験もしたそうである。

  エレメンタリースクールを中心にバイリンガルテューターなどをした経験が言葉の選択に大いに生きたが、もとより苦手な算数の理論については、エンジニアである夫に教えを請い協力を得たという。

  「タイミングや人との繋がりが不思議なくらいぴったりと合っていたのです」と須美子さんは感慨をこめて話す。とはいえ、機会を得られるような幅広い活動をしていたのも、それを生かしたのも須美子さん自身であり、人脈を築いてきたのも彼女である。

  そもそも、経験の無い翻訳や、資格認定が厳しい医療通訳に、人生の半ば過ぎといえる年齢になって挑むエネルギーが何故生まれるのか。「原動力は?」と尋ねたところ、須美子さんは「子供のころ、勉強が苦手で苛られていました。それを打ち破りたかったんです。」と朗らかに答えた。烙印に押しつぶされず、逆にそれをバネにしてきたのだ。「日本の子供たちに読ませてあげたい」という翻訳動機に、改めて合点した。

  それまでの経験や生き様が実を結んだ業績といえる。「人生に無駄なことは何もない」という言葉があるが、それを実証するストーリーであった。

  「『アメリカの数のえほん』は本当に優れた本です。『100万をはかろう』は、日本でも親御さんたちに好評でした。大人の方には本文でなく後書きを是非読んで頂きたいと思います。本文をより細かく説明しているので、面白いはずです。アメリカに住んでいる方にはとても興味をそそる絵本だと思います。」と推奨。そして「楽しく学んで欲しい」と願いをつぶやいた。

(インタビュア―:JNC政田典子)

『100万をはかってみよう』

昔はどうやって長さや重さをはかっていたのか、そしてアメリカの単位を中心に、メートル法についても紹介している。

『100万ってどれくらい?』

実感しづらい大きな数についてイメージを膨らませたり、視覚でわかりやすく表したりしている。

『100万ドルあったなら』

100万ドルがどんなに大きなお金であるかを認識するだけでなく、お金の大切さ、銀行の役割も学べる。

ミシガン州在住 サライン須美子さん インタビュー

  アメリカで大ヒットした絵本『アメリカの数のえほん』(作:デビット・M.シュワルツ)の邦訳を手がけた女性がここミシガンに在住している。

  『アメリカの数のえほん』は『100万ってどれくらい?』『100万ドルあったなら』『100万をはかってみよう』の全3巻からなる絵本集で、Amazon(オンラインショッピング)では‘子ども向けの算数啓発書’と分類されているが、大人も驚きをもって楽しめる本。日本語版の監修を務めた秋山仁先生が絶賛しており、『100万ってどれくらい?』は小学校3年生の国語教科書(三省堂、2011年~2015年)で紹介されている。全国学校図書館協議会選定図書ならびに日本図書館協会選定図書にも選定されている。

  サライン須美子さんは翻訳専門家ではない。なぜ無謀ともいえる挑戦をし、成し遂げることができたのか、お話を伺った。

Q:なぜ翻訳しようと?

「子供の頃、算数が苦手でした。この本に出合っていたら興味を持っていただろうに・・・。日本の子供たちに読んで欲しいという想いが翻訳したいという気持ちになりました。」

Q:日本語の本があったら良いのにと思っても、翻訳家でない人が手がけようとは普通は考えないと思いますが・・・。

☆ ☆ ☆

  サライン須美子さんは地元アナーバー市の公立学校でELL(English Language Learnerの指導者として長年勤務しており、2004年、その一校で「アメリカの数のえほん」の作者デビット・M.シュワルツ氏を招いた講演会が催された折に日本人生徒への通訳のために参加した。話を聴き、本を知り、「こんな本に子供の頃に出合ったら算数が嫌いにならないで興味を持つに違いない」と思った。シュワルツ氏に尋ねたところ、フランス語、スペイン語、ドイツ語はあるが、日本語版は未だ無いとのこと。「日本の子供たちにも算数の楽しさを知ってもらいたい」と翻訳の意欲を駆り立てられた。しかし翻訳本についてはシュワルツ氏に決断権は無く、「自分のエージェントとして交渉したら良い」と提案してくれたため、決意を固めた。

   即刻はりきって翻訳に取り組み、翻訳文を添えた本を仕上げて日本の名だたる出版社に送ったが、出版社には企画部があり自社で翻訳本の選択をして翻訳家の手配も行うため、持ち込みは受け付けてもらえず諦めるしかなかった。無念にも翻訳本は2年間余り、御蔵入りとなってしまった。

  突然転機が訪れた。 須美子さんが医療通訳の仕事を請け負ったミシガン大学のイベントで通訳を務めた医療書の翻訳家を自宅に泊めたことがきっかけであった。その翻訳家は「秋山仁氏の推薦状をもらったら」と提案。ご存知の方も多いと思うが、秋山氏は、子供から大学受験生そして一般向けに算数/数学の啓発書や攻略本を多数執筆し、テレビ講座にも出演する著名な数学者である。この案は無謀かに思えたが、サライン家の親しい隣人である日本人ミシガン大学教授がかつて秋山氏の教え子であり、その縁と、その教授による“ミシガン大学の封筒を使う”アイデアが効を奏して、秋山氏の了解を得ることができた。そして出版社は、秋山氏が監修を務めることを条件に積極的に出版を進め、2007年には刊行が実現。その後、冒頭に記したように、国語の認定教科書でも取り上げられるほどの地位を獲得するまでになった。

  転機が訪れてからの進展スピードをみるとトントン拍子であったかのようであるが、訳に関しては一度ではOKが出ず、秋山氏から厳しい指摘も受け、推敲を重ねて再提出したという苦い経験もしたそうである。

  エレメンタリースクールを中心にバイリンガルテューターなどをした経験が言葉の選択に大いに生きたが、もとより苦手な算数の理論については、エンジニアである夫に教えを請い協力を得たという。

  「タイミングや人との繋がりが不思議なくらいぴったりと合っていたのです」と須美子さんは感慨をこめて話す。とはいえ、機会を得られるような幅広い活動をしていたのも、それを生かしたのも須美子さん自身であり、人脈を築いてきたのも彼女である。

  そもそも、経験の無い翻訳や、資格認定が厳しい医療通訳に、人生の半ば過ぎといえる年齢になって挑むエネルギーが何故生まれるのか。「原動力は?」と尋ねたところ、須美子さんは「子供のころ、勉強が苦手で苛られていました。それを打ち破りたかったんです。」と朗らかに答えた。烙印に押しつぶされず、逆にそれをバネにしてきたのだ。「日本の子供たちに読ませてあげたい」という翻訳動機に、改めて合点した。

  それまでの経験や生き様が実を結んだ業績といえる。「人生に無駄なことは何もない」という言葉があるが、それを実証するストーリーであった。

  「『アメリカの数のえほん』は本当に優れた本です。『100万をはかろう』は、日本でも親御さんたちに好評でした。大人の方には本文でなく後書きを是非読んで頂きたいと思います。本文をより細かく説明しているので、面白いはずです。アメリカに住んでいる方にはとても興味をそそる絵本だと思います。」と推奨。そして「楽しく学んで欲しい」と願いをつぶやいた。

(インタビュア―:JNC政田典子)

『100万をはかってみよう』

昔はどうやって長さや重さをはかっていたのか、そしてアメリカの単位を中心に、メートル法についても紹介している。

『100万ってどれくらい?』

実感しづらい大きな数についてイメージを膨らませたり、視覚でわかりやすく表したりしている。

『100万ドルあったなら』

100万ドルがどんなに大きなお金であるかを認識するだけでなく、お金の大切さ、銀行の役割も学べる。

はばたけ、りんご会補習校 卒園・卒業生! 今年は 対面&オンライン両形式で挙行

2021年3月20日(日)デトロイトりんご会補習授業校で午前中は幼稚園部の卒園式と、午後は第48回卒業証書授与式が今年はオンライン・対面の両形式にて、ノバイメドウズ小学校の体育館にて挙行された。

 昨年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により急遽中止となった同式だが、家から安全に式に参加する生徒と、当日マスクをして距離を保ちながら参加する生徒とその保護者(一名のみ入館可)と、学校運営側も細心の注意を払い準備をすすめ、午前は幼稚園、午後は小中高学年の卒園・卒業式がかたちとなった。

 今年度行われたすべての授業がオンラインとなった生徒たちは、最初で最後のクラスメイトとの対面となった。現時点では、次年度は5月より対面とオンラインのハイブリッド形式の授業が始まる予定となっているが、皆が顔を合わせて賑やかな学校生活が戻る日が来ることを願うばかり。

 当日は卒業生一人ひとりの名前が読み上げられると、対面・オンラインにかかわらず皆大きな声で返事をし、対面参加をした生徒たちは卒業証書を恭しく受け取る姿に教師、保護者たちは成長を感じたことだろう。

 この日、早期日本帰国された井口豪校長は、日本からオンラインで臨席。小中高校生の卒業式では、「コロナ禍で各自が成長できたプラスの面を振り返ることも重要」と話し、未来へ羽ばたく71名に「あなたにはいつまでも忘れられない景色は残っていますか?」と問いかけた。浮かんだ景色にはその画だけでなく、空気感も思い浮かぶのではないか。ある学校ではバーチャルリアリティで京都の寺を回ったと聞いたが、境内に満ちる線香の香りは感じられない。コロナが収束した暁には、五感を使った本物に触れる機会も忘れないでほしい、と話した。

 続いて、来賓として在デトロイト日本国総領事館中川勉総領事がスクリーン越しに祝辞を述べた。コロナ禍で培った予期せぬ事態への対応力をもった卒業生へ、「どんな困難な状況下もでも、支えてくれる方に感謝し、失敗を恐れずチャレンジを。日々学ぶ姿勢を大切に」と温かなメッセージを送った。

 その後、デトロイトりんご会水野浩介理事長は、挨拶で「着眼大局 着手小局。夢は大きく持ち、その実現に向けできることから始めよう。一歩を踏み出そう。そして、『ありがとう』の気持ちを忘れないこと」と語りかけた。補習授業運営委員長、デトロイトりんご会父母会執行部長も臨席し、また参加が叶わなかった教師からもお祝いのことばが読み上げられた。高校生との運動会やキャンプで語りあった思い出を紹介し「清く、正しく、しかも豪快に、それぞれの夢のひとつひとつを両手でつかみとって」とエールを送った。

 最後は、卒業生代表として、幼稚園部から高等部3年までの13年間同校に通い続けた三浦大和さんのスピーチだが、残念なことに、当日現地校のクラスからコロナ感染者が出たことにより出席が叶わなかったが、ビデオメッセージで会場に素晴らしいスピーチを披露した。「現地校との両立に、何度断念しようと思ったか」「どうして二つの学校に通う必要があるのか」と考えたことも。しかし、出した答えは「僕が僕であるために」。アメリカ人であり、日本人でもあるというアイデンティティの形成に、どちらも必要な場であった。この一年、人と人とのつながりの大切さ、また、運動会、キャンプ、ミニ文化祭など「当たり前」は当たり前でなく全てが貴重な時間だったことに気づいたと話す。補習校はかけがえのない場所のひとつだったと述べ、これまで指導を受けた先生や関係者、両親に感謝の言葉を述べた。

 卒業生は友達と過ごした楽しい思い出を胸に、それぞれ次のステージへの階段をのぼる。

6/2/2013: 15th Anniversary Spring Family Concert6月2日:ホワイトパイン・グリークラブ 「15周年記念スプリング・ファミリー・コンサート」のお知らせ

<!--:en-->6/2/2013: 15th Anniversary Spring Family Concert<!--:--><!--:ja-->6月2日:ホワイトパイン・グリークラブ 「15周年記念スプリング・ファミリー・コンサート」のお知らせ<!--:-->

1998年に駐在員を主体に始まった男声合唱団 ホワイト パイン・グリークラブは今年で15周年を迎えました。6月2日に「15周年記念スプリング・ファミリー・コン サート」を行います。ビジネスマンの合唱は決して上手ではありませんが、忙しい仕事の合間を縫って一生懸命練習しました。皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。

日時: 6月2日(日) 午後2時30分 開場
住所:Faith Covenant Church
35415 West 14 Mile Rd, Farmington Hills, MI 48331 (14 Mile/Drakeの角)
共演:トリリアム(女声コーラス) と 雅(みやび-琴)
入場料:無料
問い合わせ: sfc-info@wpgc-mi.org

デトロイト日本商工会 会員総会・JBSD基金総会・新年会開催

新年会に 歌手 杉山清貴さんを迎え、盛大に

1月27日、JBSD(デトロイト日本商工会)の新年会がノバイ市にあるバンケット会場Suburban Collection Showplaceで催された。恒例の特別余興イベントには多数のヒット曲を生み出している杉山清貴さんを迎え、JBSD会員や地元団体の代表者などアメリカの招待ゲストを含めて580名が一堂に会する盛大な集まりとなった。

午前中に行われたJBSD総会で任期満了となった藤田佳幸氏に代わって2019 年度の会長に選任された Toyota Motor North America, Incの安井慎一氏が挨拶にあがり、展望を述べ協力を仰いだ。続いて、来賓である中川総領事よりJBSDの発展を期する言葉が述べられた。また、Michigan Economic Development CorporationのPresident & CEOのメイソン氏より、JBSDと日本企業の当地における貢献に対する謝意と、ミシガン/米国と日本との友好がさらに深まるようにとの祈念の言葉が述べられた。

食事後には余興イベントとして、杉山清貴さんが約1時間にわたってギターを奏でながら歌の数々を届けた。選曲はJBSD側の希望に合わせたとのことで、「サイレンスがいっぱい」でスタートし、トークを交えながら、JALのキャンペーンソングおよびミノルタのCMソングにも起用された「最後のHoly Night」などのヒット曲を素晴らしい歌声と華麗なギターさばきで次々に披露した。会場からは「杉山さ~~ん!」の黄色い声がかかり、「嬉しいですね」と杉山さんが笑顔で応じるシーンもあった。今年還暦を迎えるという杉山さんは「40代、50代の人々にはぴったりな世代なのでしょうね」、「このような機会をいただいて嬉しい」と話し、ラストにソロ歌手としてのデビュー曲「さよならのオーシャン」を会場の人々の手拍子と共に熱唱した。熱いアンコールに応えて再登場し、「ふたりの夏物語」で幕を閉じた。演奏を楽しんだ人々からは、「あの曲の頃は自分は高校生で、大ファンでした」「私はアメリカ・・・」「あの頃に戻って若返った気分」との述懐や喜びの言葉が飛び交い、声やメロディーへの称賛がアメリカ人からも多数届いた。

新年を祝う催しに相応しい穏やかさと華やかさに溢れたイベントであった。

新年会の前にはJBSD通常会員総会とJBSD基金総会が開催され、前年度の活動報告、収支報告に続き、2019年度の常任委員が選任され、各担当者より活動方針や予算が報告された。JBSDは商工会であるが、会員企業の事業発展のみならず、日米両国間の相互理解・親睦の促進、地域貢献に繋がる幅広い事業活動を行っている。2018年度には、商工部会による「自動車セミナー」「税務セミナー」など計14のセミナー、文化部会と他団体との共催による「雛祭り、Japan Cultural Development日本文化紹介(於: デトロイト美術館)」「写生大会」や「日本祭り、スポーツ部会によるボウリングやマラソン、ゴルフ、ソフトボール大会など多数の企画、さらに、青年委員会は「蚤の市」や各種バスツアーをはじめとする8件のイベントを提供した。

2 0 1 8 年度の会長を務めた藤田氏より、JBSDの活動に対する会員そして常任委員、ボランティアの方々の支援に対するお礼が述べられたが、多く人々の貢献によって様々な催しが実施されている。

J B S D の活動やイベントの詳細はhttp://www.jbsd.orgで。JBSDには法人や事業者でなくとも、日本人コミュニティに寄与または援助する人は個人会員として入会が可能。

【ミシガン州】ー Japan News Club 2021年1月号 ー

<Japan News Club – Pointer Pressからのご挨拶>

新年あけましておめでとうございます

昨年は、誰にとってもこれまでにない大変な一年となり、当たり前が当たり前でなくなった一年でした。2021年は、皆さまが、この新しい変化を少しでも力に変えながら、輝きを取り戻していけますよう、微力ながらもJNCがそのお役に立つことができましたら幸いです
皆さまにとって、健康で良い一年となりますよう心よりお祈りいたします。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

では、早速Japan News Club 2021年 1月号です!
掲載広告に関しましては、現在の新型コロナの影響により営業時間や営業形態が変更されている可能性があるためウェブサイトやお電話(広告上のウェブアドレスをクリック)でご確認の上ご利用ください。

—–

Japan News Club 1月号クリック

02 ・・・新年のご挨拶 続き
03 ・・・豊田市xデトロイト市姉妹都市提携60周年
04 ・・・喧喧諤諤
06 ・・・心臓病治療の最前線
08 ・・・ブリューワリー
09 ・・・言葉の架け橋/ゴルフノスゝメ
10 ・・・アメリカ生活の豆知識 /お花の随筆
11 ・・・アメリカ医療のトリセツ
12 ・・・寄り道スポット
13 ・・・デトロイトりんご会補習授業校 高等部生徒募集
14 ・・・With新型コロナ社会の帰国生入試
15 ・・・おうちでできるマインドフルネス練習法
16 ・・・Standard Golf
17 ・・・クラシファイド広告
18 ・・・2021年カレンダー
19 ・・・コミュニティ情報

Budo Master From Japan at Ann Arbor Dojo日本から武道家を迎え、アナーバーの道場で特別セミナー

<!--:en-->Budo Master From Japan at Ann Arbor Dojo<!--:--><!--:ja-->日本から武道家を迎え、アナーバーの道場で特別セミナー<!--:--> 2

 去る8月17日から19日まで、アナーバーにあるJapanese Martial Arts Centerにおいて同センター主催による柔術と柔道を中心にした集中セミナーが開催された。Japanese Martial Arts Centerはスイノ氏(Mr. Nicklaus Suino)が6年半前にオープンした道場で、柔術、柔道、居合道のクラスが開かれている。現在の道場は1年半前に移転したもので、畳敷きの広々とした道場には掛軸や数十本の刀などが掛けられ、充実した施設である。

スイノ氏

スイノ氏は、幼少の頃の虚弱体質と近所の荒れた環境を心配した両親から、何か良い自己統制と護身術をと勧められ1968年よりアナーバーYMCAで柔道を始めた。1979年からは同市のAsian Martial Arts Studioで空手と合気道も習い始める。1988年に武士道の発祥の地を見ようと決意。身の回りの物を売り払い航空券を購入して日本へ渡った。1992年までの間、柔道、柔術、居合道、弓道を学び、1989年にはInternational Martial Arts Federation(国際武道院)東京本部より海外部門事務局長に任命される。国内外で数々のトーナメント受賞歴を持ち、定期的に日本を訪れ修練を積む。英文著書「The Art of Japanese Swordsmanship」、「Budo Mind and Body」など武道関連の書籍の販売部数は6万部以上。2009年より法人、個人向け武道コンサルタント、現在Shudokan Martial Arts Association代表及びInternational Martial Arts Federation アメリカ支部(IMAF-Americas)のミシガン地区ディレクターを務めている。

 今回開催された集中セミナーは「日本武道 基本と進展」と題され、日本から、旧友でありアメリカ大使館柔道クラブの筆頭師範であるケージ・ジョン先生と、日本を代表する武道家で日本合気道協会理事などを務める佐藤忠之先生が講師として招かれた。日本からゲストを招いての特別セミナーは今回初めての試みで、同スタジオの生徒のみならず州外からの参加者も受け入れ、約40人が3日にわたり貴重な指導を受けた。

 初日のオープニングは一般公開で行われ、スイノ氏の開会の辞に続き、在デトロイト総領事館の竹内首席領事の挨拶、五大湖太鼓センターによる和太鼓演奏、そして佐藤氏と弟子による演武披露など、厳粛な幕開けとなった。

 竹内首席領事は、アメリカにおける日本武道は120年ほどの歴史があり、柔道は1890年代に紹介されてすぐに柔道クラブが創設され、セオドア・ルーズベルト大統領が柔道茶帯(三段)を取得するほど武道に通じた人であり、同大統領の推挙によってWest Pointの士官候補生たちが柔道を学んだことを紹介した。また、武道は日本の伝統に基づいた精神的・道徳的な要素が強く、技術習得と同時に精神修養に重きを置いていることに触れて、このセミナーが肉体と精神をともに高めていく刺激になることを期待していると述べた。

 稽古は、佐藤氏が手本を示し説明を加えては全員が実技をするという細かいステップで進められ、視野、体のバランス、間合いの取り方といった基本から、難しい足さばきなどが指導された。

佐藤氏

 佐藤氏は非常勤講師として合気道及び柔術を教えている早稲田大学の休みを利用し例年海外へ飛び武道の指導にあたっている。出身校でもある早稲田大学の合気道部や、出身地にある静岡大学のスポーツ合気道部、さらに警察大学校ほか多数の道場の師範を務めている。元来は初心者が稽古する‘組む’部分のみがスポーツ化した講道館柔道が広がっていることを憂い、海外での指導では柔道・柔術・合気道の違いと共通項を教え武道の源流を知ってもらうことにフォーカスし、より深く広く修練できるよう指導しているという。

 佐藤氏に伴い訪米した弟子の日本人男性は、海外でのセミナーの様子を初めて見た時、外国の人々が日本の文化を学ぶ熱心な姿勢に大きな刺激を受けたという。互いに刺激を与え合うことで今後も個々の武道への情熱、さらには武道界の活気がより高まってゆくことであろう。

Japanese Martial Arts Center

3853 Research Park Drive, Ann Arbor, MI
Telephone: (734)645-6441
E-Mail: info@japanesemartialartscenter.com

 

 去る8月17日から19日まで、アナーバーにあるJapanese Martial Arts Centerにおいて同センター主催による柔術と柔道を中心にした集中セミナーが開催された。Japanese Martial Arts Centerはスイノ氏(Mr. Nicklaus Suino)が6年半前にオープンした道場で、柔術、柔道、居合道のクラスが開かれている。現在の道場は1年半前に移転したもので、畳敷きの広々とした道場には掛軸や数十本の刀などが掛けられ、充実した施設である。

スイノ氏

スイノ氏は、幼少の頃の虚弱体質と近所の荒れた環境を心配した両親から、何か良い自己統制と護身術をと勧められ1968年よりアナーバーYMCAで柔道を始めた。1979年からは同市のAsian Martial Arts Studioで空手と合気道も習い始める。1988年に武士道の発祥の地を見ようと決意。身の回りの物を売り払い航空券を購入して日本へ渡った。1992年までの間、柔道、柔術、居合道、弓道を学び、1989年にはInternational Martial Arts Federation(国際武道院)東京本部より海外部門事務局長に任命される。国内外で数々のトーナメント受賞歴を持ち、定期的に日本を訪れ修練を積む。英文著書「The Art of Japanese Swordsmanship」、「Budo Mind and Body」など武道関連の書籍の販売部数は6万部以上。2009年より法人、個人向け武道コンサルタント、現在Shudokan Martial Arts Association代表及びInternational Martial Arts Federation アメリカ支部(IMAF-Americas)のミシガン地区ディレクターを務めている。

 今回開催された集中セミナーは「日本武道 基本と進展」と題され、日本から、旧友でありアメリカ大使館柔道クラブの筆頭師範であるケージ・ジョン先生と、日本を代表する武道家で日本合気道協会理事などを務める佐藤忠之先生が講師として招かれた。日本からゲストを招いての特別セミナーは今回初めての試みで、同スタジオの生徒のみならず州外からの参加者も受け入れ、約40人が3日にわたり貴重な指導を受けた。

 初日のオープニングは一般公開で行われ、スイノ氏の開会の辞に続き、在デトロイト総領事館の竹内首席領事の挨拶、五大湖太鼓センターによる和太鼓演奏、そして佐藤氏と弟子による演武披露など、厳粛な幕開けとなった。

 竹内首席領事は、アメリカにおける日本武道は120年ほどの歴史があり、柔道は1890年代に紹介されてすぐに柔道クラブが創設され、セオドア・ルーズベルト大統領が柔道茶帯(三段)を取得するほど武道に通じた人であり、同大統領の推挙によってWest Pointの士官候補生たちが柔道を学んだことを紹介した。また、武道は日本の伝統に基づいた精神的・道徳的な要素が強く、技術習得と同時に精神修養に重きを置いていることに触れて、このセミナーが肉体と精神をともに高めていく刺激になることを期待していると述べた。

 稽古は、佐藤氏が手本を示し説明を加えては全員が実技をするという細かいステップで進められ、視野、体のバランス、間合いの取り方といった基本から、難しい足さばきなどが指導された。

佐藤氏

 佐藤氏は非常勤講師として合気道及び柔術を教えている早稲田大学の休みを利用し例年海外へ飛び武道の指導にあたっている。出身校でもある早稲田大学の合気道部や、出身地にある静岡大学のスポーツ合気道部、さらに警察大学校ほか多数の道場の師範を務めている。元来は初心者が稽古する‘組む’部分のみがスポーツ化した講道館柔道が広がっていることを憂い、海外での指導では柔道・柔術・合気道の違いと共通項を教え武道の源流を知ってもらうことにフォーカスし、より深く広く修練できるよう指導しているという。

 佐藤氏に伴い訪米した弟子の日本人男性は、海外でのセミナーの様子を初めて見た時、外国の人々が日本の文化を学ぶ熱心な姿勢に大きな刺激を受けたという。互いに刺激を与え合うことで今後も個々の武道への情熱、さらには武道界の活気がより高まってゆくことであろう。

Japanese Martial Arts Center(ジャパニーズ・マーシャル・アーツ・センター)

3853 Research Park Drive, Ann Arbor, MI
電話: (734)645-6441
Eメール:info@japanesemartialartscenter.com

 

中島和子トロント大学名誉教授による講演会「グローバル人材育成と バイリンガル教育」中島和子トロント大学名誉教授による講演会「グローバル人材育成と バイリンガル教育」

<!--:en-->中島和子トロント大学名誉教授による講演会「グローバル人材育成と バイリンガル教育」<!--:--><!--:ja-->中島和子トロント大学名誉教授による講演会「グローバル人材育成と バイリンガル教育」<!--:-->

  去る10月4日(土)、デトロイトりんご会補習授業校にて、表題の特別講演会が催された。

  講演者である中島和子先生は、言語教育分野での多岐にわたる研究で知られ、特に日本のバイリンガル教育研究の権威である。現在トロント補習授業校の高等部校長を務めている。

  今回の講演会は、りんご会補習授業校が昨年度新たに加えた設置目的である“将来、日本と国際社会をリードできる人材を育成する教育を提供すること”の実現に向けて、保護者にできること・すべきこと、また補習校としてやれることについて学ぶ機会となった。中島先生御自身が北京の日本人学校で学校教育をスタートし、御子息を日本国外で育て補習校に通わせていたとの自己紹介があり、長年の研究と経験に基いた講話に、保護者は真剣な面持ちで聞き入っていた。

  講演の前半は、在外教育施設のひとつである補習校の歴史的経緯と現状、また、グローバル人材の定義と国の施策、グローバル型学習のポイントなどを多数のデータを示して解説。後半は、バイリンガル教育の留意点について、実例を挙げて教示した。

  以下、講話の一部を紹介させていただく。

  補習校は1958年に米国ワシントンDCに初めて設立され、帰国後の同化という面が重視されてきたが、1980年代後半になってようやく「国際人の卵」として帰国生が認識されるようになり、2000年代に「グローバル人材」として注目され始めた。とはいえ、「日本語の支援が要る子」として、1990年代以降に増加した日本滞在外国人の子どもと同様に対処されてきた感があり、また、近年文科省が進める事業として、海外からの留学生の獲得(2020年を目処に30万人)や国際バカロレア資格取得可能なプログラムの拡充などが推進されているが、海外で育つ子供はその視野に入っていないことに言及した。ある識者が「これからの日本に必要なグローバル人材の芽は海外でたくましく育っている」と声を発した一方で、文科省の見解は、グローバル人材とは、語学力、コミュニケーション能力、協調性など掲げつつ“日本人としてのアイデンティティ”を欠かせないものに挙げていることなど、現状が伝えられた。

  グローバル型学習では、探究的、協働的、(教科別ではなく)総合的・横断的であり、発表力が重視される。複数言語や言語交差の使用の利点を示した上で、“両言語のリソースをフルに活用することで力をつけよう”というのが最近のバイリンガル教育の新しい考え方であり、複数言語話者は、一つの言語を使用していても瞬時に別の言語を活用できるので、シフトしたりミックスしたりしても、言語の力が弱いからそうするわけでなないと述べた。

  バイリンガル教育に関する話の中、一つの言語レベルが高ければ弱い方はいずれ時間が経てば伸びるので問題無いが、両方共に低いのは憂慮すべきであると指摘があった。トロント補習校での調査結果を踏まえて、幼児期が大切であり、未熟な母語はすぐに後退しやすく、母語が弱いと英語も伸び悩むことが示された。具体的な留意点やサポートの仕方など、貴重な情報が届けられた。

◇2言語育成の留意点より抜粋

  • 親が自信のある言語を使う。(絵)本の読み聞かせが必要。
  • バイリテラシー(2つの言語で学習することのできる人)の育成は時間がかかる。
  • 社会的に劣位な(そこでの必要性や評価が低い)言語には価値の吊り上げが必要。親の励ましが大事。
  • 6年生ぐらいまでに母語を継続的に伸ばさないと学力が伸び悩む。
  • 日本語を強めると英語も強まる。思考力と関係が深いところは共有される。

◇家庭でできる支援のポイント

  • 家と学校の言葉の切り替えで言語発達が遅れることはない。
  • 家の会話の中で、意図的に漢熟語や抽象語彙を使用。
  • 既存知識を活性化し背景知識を与える。
  • 足場掛けをして内容理解を助ける。
  • アイデンティティを肯定する。
  • 親も言葉を一生懸命に使うことで、子どもの言語を伸ばす。

  補習校などでの学習仲間との助けあいや学び合いを通して「二言語ができる子」としてのアイデンティティが育つとの中島先生の言葉が印象的であった。

  バイリンガル教育に関する詳細は、中島先生による著書『言葉と教育-海外で子どもを育てる保護者のみなさまへ』などで入手されたし。

  去る10月4日(土)、デトロイトりんご会補習授業校にて、表題の特別講演会が催された。

  講演者である中島和子先生は、言語教育分野での多岐にわたる研究で知られ、特に日本のバイリンガル教育研究の権威である。現在トロント補習授業校の高等部校長を務めている。

  今回の講演会は、りんご会補習授業校が昨年度新たに加えた設置目的である“将来、日本と国際社会をリードできる人材を育成する教育を提供すること”の実現に向けて、保護者にできること・すべきこと、また補習校としてやれることについて学ぶ機会となった。中島先生御自身が北京の日本人学校で学校教育をスタートし、御子息を日本国外で育て補習校に通わせていたとの自己紹介があり、長年の研究と経験に基いた講話に、保護者は真剣な面持ちで聞き入っていた。

  講演の前半は、在外教育施設のひとつである補習校の歴史的経緯と現状、また、グローバル人材の定義と国の施策、グローバル型学習のポイントなどを多数のデータを示して解説。後半は、バイリンガル教育の留意点について、実例を挙げて教示した。

  以下、講話の一部を紹介させていただく。

  補習校は1958年に米国ワシントンDCに初めて設立され、帰国後の同化という面が重視されてきたが、1980年代後半になってようやく「国際人の卵」として帰国生が認識されるようになり、2000年代に「グローバル人材」として注目され始めた。とはいえ、「日本語の支援が要る子」として、1990年代以降に増加した日本滞在外国人の子どもと同様に対処されてきた感があり、また、近年文科省が進める事業として、海外からの留学生の獲得(2020年を目処に30万人)や国際バカロレア資格取得可能なプログラムの拡充などが推進されているが、海外で育つ子供はその視野に入っていないことに言及した。ある識者が「これからの日本に必要なグローバル人材の芽は海外でたくましく育っている」と声を発した一方で、文科省の見解は、グローバル人材とは、語学力、コミュニケーション能力、協調性など掲げつつ“日本人としてのアイデンティティ”を欠かせないものに挙げていることなど、現状が伝えられた。

  グローバル型学習では、探究的、協働的、(教科別ではなく)総合的・横断的であり、発表力が重視される。複数言語や言語交差の使用の利点を示した上で、“両言語のリソースをフルに活用することで力をつけよう”というのが最近のバイリンガル教育の新しい考え方であり、複数言語話者は、一つの言語を使用していても瞬時に別の言語を活用できるので、シフトしたりミックスしたりしても、言語の力が弱いからそうするわけでなないと述べた。

  バイリンガル教育に関する話の中、一つの言語レベルが高ければ弱い方はいずれ時間が経てば伸びるので問題無いが、両方共に低いのは憂慮すべきであると指摘があった。トロント補習校での調査結果を踏まえて、幼児期が大切であり、未熟な母語はすぐに後退しやすく、母語が弱いと英語も伸び悩むことが示された。具体的な留意点やサポートの仕方など、貴重な情報が届けられた。

◇2言語育成の留意点より抜粋

  • 親が自信のある言語を使う。(絵)本の読み聞かせが必要。
  • バイリテラシー(2つの言語で学習することのできる人)の育成は時間がかかる。
  • 社会的に劣位な(そこでの必要性や評価が低い)言語には価値の吊り上げが必要。親の励ましが大事。
  • 6年生ぐらいまでに母語を継続的に伸ばさないと学力が伸び悩む。
  • 日本語を強めると英語も強まる。思考力と関係が深いところは共有される。

◇家庭でできる支援のポイント

  • 家と学校の言葉の切り替えで言語発達が遅れることはない。
  • 家の会話の中で、意図的に漢熟語や抽象語彙を使用。
  • 既存知識を活性化し背景知識を与える。
  • 足場掛けをして内容理解を助ける。
  • アイデンティティを肯定する。
  • 親も言葉を一生懸命に使うことで、子どもの言語を伸ばす。

  補習校などでの学習仲間との助けあいや学び合いを通して「二言語ができる子」としてのアイデンティティが育つとの中島先生の言葉が印象的であった。

  バイリンガル教育に関する詳細は、中島先生による著書『言葉と教育-海外で子どもを育てる保護者のみなさまへ』などで入手されたし。

秋のMetro-Detroitを彩る日本祭り、今年も大盛況

秋のMetro-Detroitを彩る日本祭り、今年も大盛況
秋のMetro-Detroitを彩る日本祭り、今年も大盛況

秋のMetro-Detroitエリアを彩るJapan Festivalが10月8日にノバイ高校にて開かれた。日本商工会(JBSD)とJSDウイメンズクラブ共催で、日本人コミュニティーだけではなく、地域の方々も毎年楽しみに待つ人気イベント。今年は盛況を呈した昨年よりもさらに多くの来場者が訪れ、にぎやかな秋の午後となった。伝統芸能、武術、芸術のデモンストレーション、日本の伝統的な遊びの体験、お祭りの雰囲気を醸し出す縁日、そして地域・姉妹都市からの展示など、オーディトリアムのステージ、アトリウムではバラエティーに富む日本文化紹介が繰り広げられた。

デトロイト剣道道場の皆さんは、道具付け、稽古、黙想と一連の流れを紹介。ステージ上で師範・田川順照氏ら指導者が、学ぶ剣士からの面、小手、胴の指導を行った。動きのある稽古から、「礼に始まり、礼をもって行ない、礼で終わる」日本の武道の精神を観客に伝えた。女性3部コーラス・グループTrilliumは、1999年結成。現在12名のメンバーで日本の歌の紹介活動を行っている。今回はピアノと筝の演奏を交え、大正時代の「赤とんぼ」から平成時代の「地上の星」を含む楽曲をしっとりとした歌声で歌い上げた。指揮者・指導者の稲村尚美さんは、頑張っている人たちへの歌を届けた、11月12 日に開催する秋のコンサート(本紙P8 告知)では、大正から令和までの歌を披露する、とインタビューに答えた。

秋のMetro-Detroitを彩る日本祭り、今年も大盛況
秋のMetro-Detroitを彩る日本祭り、今年も大盛況

ステージの発表の中では、この日本祭りを幼少から楽しんだ世代がパフォーマーとして活躍したことが光った。O.CO.MEはこの日のために結成された高校生のグループ。メンバー7 人で力強くソーラン節を舞ったあと、JSDウイメンズクラブのカンガルークラブ(ノバイ、ノースビルを中心に活動する子育てサークル)のお子さんたちをステージ上に招き、コラボレーション。10代の世代とさらに幼い子供たちがともに歌と踊りを楽しみ、ステージは翻る大漁の旗やプラカード、浴衣、甚平姿のこれからの時代を担うフレッシュなエネルギーでいっぱいになった。その後、O.CO.MEは「音楽と光のショーを楽しんでください」とMCした後、 ヲタ芸を披露。満員に近い観客を魅了した。インタビューでは「古い文化と新しい文化の融合を演じた」と、頼もしい言葉も。練習風景が、彼らのインスタグラム(@o.co.me388)でも発信されている。

秋のMetro-Detroitを彩る日本祭り、今年も大盛況
秋のMetro-Detroitを彩る日本祭り、今年も大盛況

同時進行でアトリウムでもパフォーマンスが行われた。人気のお点前の披露と体験は今年も三つの流派が行った。ミシガン州在住の藤井京子氏による書道のパフォーマンスでは、映画「千と千尋の神隠し」からの一節を揮毫。白い和服を身にまとい揮毫する藤井氏の一筆ごとの呼吸を、観覧していた人々は一体感を持って見守っていた。Ikebana Internationalの皆さんは今年もステキな作品を展示。Ann Arbor Chapter183のPresident Elizabeth Larwa氏は、自身は日本に行ったことがないが、母が小原流を習っていたので生け花に親しみを持つようになった、とIkebanaを始めたエピソードを語り、この日本祭りのために金曜日からFarmar’s Marketなどで材料を求め作品を作った、とお話しくださった。そして、Novi Public Libraryは今年も日本語の書籍や読み聞かせタイム等の紹介のブースを開いた。International Services LibrarianのShannon O’Leary氏は流暢な日本語でNovi図書館のプログラムについての質問に笑顔で答えてくださった。

アトリウムやフロアーでは射的、折り紙、書道体験、そして大人気で長蛇の列の水ヨーヨー釣り、おもちゃ釣り、お菓子の景品を目指す輪投げなど、子供も楽しめる企画が目白押しだった。浴衣を着た子どもたちが、ボランティアの高校生やJBSDの方々と日本文化についての楽しい交流をする様子があちらこちらでうかがえた。3時間の日本祭りではこの記事内で紹介できないほどの多くのステージ発表、フロアーの文化体験、姉妹都市や日本語プログラム、地域へのボランティア活動の展示やデモンストレーションがあった。

JBSDによると入場者数は2~3000人で、過年度よりもさらに多く、ボランティア・パフォーマーは約225名とのこと。多くの方々に支えられ、そして日系コミュニティーだけではなく、日本・日本文化を楽しむ方々でにぎわった秋の午後だった。

SAKURA NOVI プロジェクト 起工式へ

2023年10月10日(火)、ディベロッパー及びパートナーらと関係者、市長や賓客が集い、桜ノバイの起工式(Ground Breaking Event)が行われた。朝の気温が摂氏5度、6度と急に冷え込み始めた週の、式当日午後3時の気温は10℃。石やコンクリート製パイプの並ぶ工事現場に真っ白いテントが張られ、平らに均された土の上に整然と椅子の並べられた特設会場に於いて、小雨の降る中、この日を心待ちにしていた関係者らの熱い想いを聞くことができた。

長いプランニングを経てやっとこの日を迎えたこと。パンデミックをくぐりぬけ、人件費の高騰や下落、利子率のピークなどローラーコースターを次々と経験する中、ノバイ市の後援、デトロイト日本国総領事の関心と理解、日本商工会事務局長との意見交換などに支えられ、多くの素晴らしい人々と出会いながら今日に至ったこと。ノバイタウンセンターに隣接するこのアジアを概念とする多目的不動産開発プロジェクトは、食、美容、健康、仕事の面において人々を楽しませ、ローカル、およびリージョナルコミュニティーをも刺激する、新しくパワフルな事業の到達点となりうること。

来訪者が散策を楽しめることになる日本風ガーデンには、アジア系周辺住民のためにバイリンガルサインも掲げられ、子どもたちの遊び場や、オーセンティックな建物も建設されるという。また、サイト西側に建設予定の賃貸住宅のマーケティング担当者によれば、賃貸住宅は、在宅勤務などのポストパンデミックの生活様式をも反映、融する、融通の利く多目的スペース中心のタウンホームスとなる。

ハイライトの地じぎょう形の鍬くわ入れでは、事業関係者と来賓が一列に並び、ショベルを土に入れ、プロジェクトの成功を願っての記念撮影。人々の笑顔と和やかな空気の中、グラウンド・ブレイキングは完了。悠然と池に浮かぶカナダグースの群れが憩いのひとときを上手に演出していた。

当日、にこやかに、丁寧にインタビューに答えてくださった新藤雄介デトロイト総領事は、日本人の一番多く住むノバイ市の学校や環境の充実について触れ、「日本人の皆様にも是非、このプロジェクトを応援し、盛り上げて行っていただきたい」と大いなる期待を語った。また、日本を離れて恋しいものとして「食べ物」を筆頭に挙げ、活力の源である食事の大切さと海外で生活する日本人の食の充実への希望を語った。「日本で味わえるものの素晴らしさを是非紹介し、知っていただきたいと力を入れています」と話すと、次のイベントとなるオークランドコミュニティカレッジの料理学校で行われる日本酒の紹介レクチャーへと向かわれた。

アメリカミシガン州ノバイ市中心部に完成する「SAKURA NOVI」。パンデミックによる混沌と静寂も経て、実に5年以上に渡った構想は、時代の変化に合わせた文化融合の開花実現へと向け、より住みよいコミュニティーを求める人々の大きなエネルギーと共に、いよいよ動き出した。

会場では、桜ノバイに開店予定のレストランよりブルゴギ、バーベキューチキン、フライドチキンを主菜にした弁当三種と、ストロベリーグリーンティーが列席者へ紹介された。