Tuesday, May 21, 2024
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今年も大盛況! “ローカル忘年会”クリスマスライブ & 無料カラオケ

今年も大盛況! “ローカル忘年会”クリスマスライブ & 無料カラオケ 2

経験豊かな根っからの音楽好きが、仲間と手作りで始め続けて来た地域一般向けの人々の交流の場は、「誰でもどうぞ、入場無料の年齢不問」と早くから呼びかけられ、ふらり一人で立ち寄ったビジネスマン、カップル、家族連れ、また以前の経験から前もって着席の予約を入れ来場したグループなど、年齢層も国籍も在米年数も様々な地元の人々の、いろどり鮮やかな社交スポットとして今回も大きな盛り上がりを見せた。

「ギターでもハーモニカでも、歌でもタンバリンでも、なんでもいいんです。この企画が、ジャンルを問わず“賑やかな楽しい音”を媒体として、普段なかなか接点のない地域一般の方々の横のつながりと、何か小さな会話を発端とした交流の輪を、どんどん広げて行っていただくきっかけとなってくれたら、本当に嬉しく幸せに思います。」とは関係者談。このイベントのお蔭様で長く無沙汰をしていた友人にも再会出来た、と寄せた人も。日系企業のオフィスに長く勤めるスタッフや、以前日本にビジネスや兵役で駐在していた経験を持つというアメリカ人来場者も少なくなく、親日の共通点や多角で豊富な話題満載の、貴重なおしゃべりの機会が展開した。

会場となったノバイ市内のローカルバーの随所で、気軽な挨拶や歓談が花開き、飲みながら、食べながらのアットホームでリラックスした雰囲気の中、歌と演奏に拍手が沸き、トークと笑いに声の飛ぶ、カジュアルで時間を忘れた地域国際交流のひとときが深夜まで織りなされた。
会場を去る人々からは「来て良かった、とても楽しかった。こういった機会には是非これからも参加したい。」との感想が寄せられていた。誰もが気軽に参加できる爽やかでインターアクティブな音楽ソーシャルイベントを、今後も一般向けに提供してゆきたいと願う主催者側は、このコンセプトとしての次回は、8月終わりの開催を目指す。

いけばなインターナショナル デトロイト支部主催イベント A Glimpse of Japan

華道池坊の教授を迎えて和やかに

  例年になく冬が長かったミシガンに春の花ばなが咲き誇った5月10日(木)、いけばなインターナショナルのデトロイト支部(Detroit chapter 85)による文化交流イベントがサウスフィールド市にある教会にて催された。会場のあちらこちらにメンバーが用意した生け花が飾られ、花の香が満ちる華やかな空間が生まれていた。五月の節句飾りも展示され、雅さを添えていた。

 

在デトロイト日本国総領事ご夫妻も出席し、総領事の挨拶に続いて、当地で活躍する書道家の藤井京子さんが書の実演を行なった。書は畳大の紙に2つ。季節に相応しい、春を迎えた喜びを表した「一陽来復」の熟語とその意味を隷書体で、そして、紀友則の代表歌「久方の ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ」を行書体で書き上げて、英語で意味を解説した。歌中にある‘花’は桜を指し、日本のソメイヨシノは当地のチェリーブロッサムとは異なり、とても繊細で、その美しさを愛でている歌であると講釈した。

  次に登場したのは、デトロイトダウンタウンに在る「PuppetART」の団員による『鶴の恩返し』の人形劇。「PuppetART」では、日本の昔話『鶴の恩返し』:英語名“The Crane Maiden”を恒例の演目の一つに加えており、この日は序の場面である太郎の庭・薬草畑で花を愛でたり、鶴の化身である女性との出会ったりする場面を抜粋して演じた。人形や操り手の衣装・舞台のアート性が高く、日本的な自然感も織り込まれた演出に、参席者は引き込まれるように見入っていた。

この日のメインイベントとして、ノースカロライナ州から招かれた華道家元池坊の鈴木笑子教授による実演に移った。鈴木教授は在住地であるノースカロライナ州ヘンダーソンビルに日本文化紹介施設“WNC Japanese Culture Center”(WNC:Western North Carolina)を設立し、いけばなの普及伝播に努めている。実演は7種(7瓶)に及び、ユーモラスな話を交えた英語の解説つきで進められ、始終和んだ雰囲気に溢れた。池坊の3つのスタイルである「立花」(最も古い様式)、「生花」(江戸時代に成立したシンプルな様式)、そして「自由花」(フリースタイル)、それぞれの特徴を分かり易く説きながら実演紹介していった。

鈴木教授は、2年前に盛大に開催された同支部創立50周年記念イベントにも招へいされ、その折には8瓶の生け花の花材を事前に処理し生ける段階のみを実演したが、今回は枝葉を落としたりワイヤーで形を整えたりするところも披露した。

  「春の風を入れるために枝をトリムしましょう」「美しい茎のラインを見せるために余分な物:茎葉を取ります」など、分かりやすく説明。それぞれの花材を生かすための手品のようなワイヤー処理や、庭の枯れ枝や身近な花々から生まれた、季節感・生命力あふれる作品に、参加者から称賛の声が上がった。日本の華道であるが、トロピカルな葉や花などをあしらうこともある。今回はアスパラガスの花茎も使用され、「Wow!」の声があちらこちらで発せられていた。「自然界ではありえない取り合わせを一瓶の中で楽しむことができるのも生け花の面白さです」との言葉に、より一層、生け花の魅力を感じた人が多かったのではないだろうか。

  メンバーの大半が非日本人であり、その友人を主とする大勢の米人が訪れていたが、それぞれに表情のある美しい生け花作品や、藤井さんの書に高い称賛の言葉が交わされていた。

  いけばなインターナショナルデトロイト支部は、恒例となったデトロイト美術館の「ひな祭り」イベントや、デトロイト日本商工会とJSDウィメンズクラブ共催による日本祭りで生け花の実演や展示を行なっている。いけ花を楽しみつつ、花を通じて日本伝統の美意識と華麗さを人々に紹介し広める一助となっている。

Learning Japanese Etiquette in America日本を離れてマナーを見直す ~礼法勉強会

<!--:en-->Learning Japanese Etiquette in America<!--:--><!--:ja-->日本を離れてマナーを見直す ~礼法勉強会<!--:--> 3

 柔らかな春の光が溢れる4月末日、日本人の個人宅を会場にして礼法勉強会が催された。「アメリカでの暮らしになれてしまうと、ついつい日本人らしい立ち居振る舞いを忘れがちになります。日頃何気なく実践しているちょっとした行儀や作法、言葉遣い・・・本当に正しく身についているかしら?・・・あらためて見直してみたい貴女のための勉強会です。」との呼びかけで、好ましい挨拶(おじぎ)の仕方、よそのお宅を訪問する際の心得、和室における作法など、基本的なマナーについて、2時間ほどの限られた時間で講話と実習がなされた。会場となったお宅は、アメリカの住宅内に畳を敷き詰めた和室をしつらえている、礼法のお稽古に最適な家。講師には、日本で「装道礼法」高等師範科を修了し、装道礼法講師の資格をもつ松嵜美穂さんを迎えた。決まりごとの意図や理由についても折々に説明が添えられ、日本のマナー、さらには日本の美学を見直す貴重な機会になった。

  「装道」という言葉を耳にしたことがない人も多いのではないだろうか。かつては、ごく日常的なきものを装う文化は、生活の中で母から娘へと、その技術のみならず礼儀作法をも伝えていたが、戦後、その文化はきものの装いとともに断絶寸前になりつつあった。「装道」とは、山中典士氏なる人物が、日本独自の美をもつきもの文化が滅びることを憂慮し、1964年に創立した、茶道や華道に比べて新しい、時代の移り変わりの中で生まれた‘道’といえる。着付けに留まらず、きものの心や「愛・美・礼・和」の智慧を次世代へ、さらに世界に伝えている。「装道礼法」自体は新しいが、古来の伝統的な武士の作法を元に、所作を女性的に改良したものだそうだ。昨今、教育の現場で、伝統を重んじる流れの中、授業にも取り入れられているということ。

 奥が深い礼法の世界であるが、この日は装道についての簡単な説明の後、まず、教則本『センスアップマナー』の中から、‘礼(おじぎ)’と訪問宅でのマナーについて読み進めた。洋室や戸外でする立礼と日本間での坐礼があるが、いずれも「より深く頭を下げれば丁寧でベター」というわけではなく、相手や状況に応じて傾け方が変わり、また、視線(他に向けないこと)も大切、「姿勢を良く」が基本、などなど、実習も交えて確認していった。形は心の現われ。人と快く関わろうとする思いや感謝の気持ちなど、相手を思いやる気持ちを形で示すことが‘礼’の根底にある。続いて訪問のマナーとしてコート類や靴の扱い、挨拶や手土産を渡すタイミングなどについて学んだ。部屋には上座下座があって座順には配慮が必要なことや座布団の扱いなどは、日本の習慣では最も基本的なこと。場数を踏んで身につけることが何よりだが、海外生活にあっては、帰国時に備えて本などでリヴューしておく必要がありそうだ。

 ちなみに、装道礼法きもの学院が行なっているセンスアップマナー講座や、履歴書にも記載できるマナー検定は、当節、若い女性の人気を集めているそうだ。

 ルールを丸暗記しようとするとややこしく感じてしまうが、失礼のないように、和を乱さないようになどといった配慮を元に考えれば、理解し易い。

 この日講師を務めた松嵜さんはきものを持っているのに自分で着ることができないことを残念に思って、装道礼法きもの学院に通い始め、着付けを習うに留まらず、師範科まで修了し「きものコンサルタント」の資格も取得した。松嵜さんは「マナーは規則ではなく、集団の約束ごとであり、暗黙の了解のもとに成り立っています。人との関わりを気持ちよく、スムーズにしようという気持ち、相手を気づかい、いたわる心が大元になっています。マナーをより儀礼的な約束ごとにまで発展したのが礼法です。」と説明してくださった。

 茶道の作法とも異なるルールがあるそうだが、「招かれた時には分かる限り相手方のやり方に合わせる」「たとえ違っていても、失礼にならないように心がけて振舞うことが大切」ということだ。国が異なれば‘礼’を含む慣習も差異があり、グローバルな社会ではあまり役に立たないと考える人もいるが、自国の文化が分かってはじめて、他を理解し尊重することができる。対人関係のルールには、その土地や国の人々が何を大切にしているかが現れている。海外に居るからこそ、日本人が大切にしてきた伝統について、奥義を極めるまではいかずとも、理解を深めたいものだ。

 柔らかな春の光が溢れる4月末日、日本人の個人宅を会場にして礼法勉強会が催された。「アメリカでの暮らしになれてしまうと、ついつい日本人らしい立ち居振る舞いを忘れがちになります。日頃何気なく実践しているちょっとした行儀や作法、言葉遣い・・・本当に正しく身についているかしら?・・・あらためて見直してみたい貴女のための勉強会です。」との呼びかけで、好ましい挨拶(おじぎ)の仕方、よそのお宅を訪問する際の心得、和室における作法など、基本的なマナーについて、2時間ほどの限られた時間で講話と実習がなされた。会場となったお宅は、アメリカの住宅内に畳を敷き詰めた和室をしつらえている、礼法のお稽古に最適な家。講師には、日本で「装道礼法」高等師範科を修了し、装道礼法講師の資格をもつ松嵜美穂さんを迎えた。決まりごとの意図や理由についても折々に説明が添えられ、日本のマナー、さらには日本の美学を見直す貴重な機会になった。

  「装道」という言葉を耳にしたことがない人も多いのではないだろうか。かつては、ごく日常的なきものを装う文化は、生活の中で母から娘へと、その技術のみならず礼儀作法をも伝えていたが、戦後、その文化はきものの装いとともに断絶寸前になりつつあった。「装道」とは、山中典士氏なる人物が、日本独自の美をもつきもの文化が滅びることを憂慮し、1964年に創立した、茶道や華道に比べて新しい、時代の移り変わりの中で生まれた‘道’といえる。着付けに留まらず、きものの心や「愛・美・礼・和」の智慧を次世代へ、さらに世界に伝えている。「装道礼法」自体は新しいが、古来の伝統的な武士の作法を元に、所作を女性的に改良したものだそうだ。昨今、教育の現場で、伝統を重んじる流れの中、授業にも取り入れられているということ。

 奥が深い礼法の世界であるが、この日は装道についての簡単な説明の後、まず、教則本『センスアップマナー』の中から、‘礼(おじぎ)’と訪問宅でのマナーについて読み進めた。洋室や戸外でする立礼と日本間での坐礼があるが、いずれも「より深く頭を下げれば丁寧でベター」というわけではなく、相手や状況に応じて傾け方が変わり、また、視線(他に向けないこと)も大切、「姿勢を良く」が基本、などなど、実習も交えて確認していった。形は心の現われ。人と快く関わろうとする思いや感謝の気持ちなど、相手を思いやる気持ちを形で示すことが‘礼’の根底にある。続いて訪問のマナーとしてコート類や靴の扱い、挨拶や手土産を渡すタイミングなどについて学んだ。部屋には上座下座があって座順には配慮が必要なことや座布団の扱いなどは、日本の習慣では最も基本的なこと。場数を踏んで身につけることが何よりだが、海外生活にあっては、帰国時に備えて本などでリヴューしておく必要がありそうだ。

 ちなみに、装道礼法きもの学院が行なっているセンスアップマナー講座や、履歴書にも記載できるマナー検定は、当節、若い女性の人気を集めているそうだ。

 ルールを丸暗記しようとするとややこしく感じてしまうが、失礼のないように、和を乱さないようになどといった配慮を元に考えれば、理解し易い。

 この日講師を務めた松嵜さんはきものを持っているのに自分で着ることができないことを残念に思って、装道礼法きもの学院に通い始め、着付けを習うに留まらず、師範科まで修了し「きものコンサルタント」の資格も取得した。松嵜さんは「マナーは規則ではなく、集団の約束ごとであり、暗黙の了解のもとに成り立っています。人との関わりを気持ちよく、スムーズにしようという気持ち、相手を気づかい、いたわる心が大元になっています。マナーをより儀礼的な約束ごとにまで発展したのが礼法です。」と説明してくださった。

 茶道の作法とも異なるルールがあるそうだが、「招かれた時には分かる限り相手方のやり方に合わせる」「たとえ違っていても、失礼にならないように心がけて振舞うことが大切」ということだ。国が異なれば‘礼’を含む慣習も差異があり、グローバルな社会ではあまり役に立たないと考える人もいるが、自国の文化が分かってはじめて、他を理解し尊重することができる。対人関係のルールには、その土地や国の人々が何を大切にしているかが現れている。海外に居るからこそ、日本人が大切にしてきた伝統について、奥義を極めるまではいかずとも、理解を深めたいものだ。

クランブルックにて日本関連の講演と フランク・ロイド・ライト設計の家にて茶の湯

 8月25日、Bloomfield Hills市にあるクランブルック(cranbrook)の収集・研究センター:Center for Collections and Research主催で日本に関連したイベントが開催された。クランブルックは世界有数の教育・科学・芸術の総合センターであり、芸術大学ならびに学校、美術館、科学博物館、ガーデンをはじめとする数々の歴史ある施設を保持しているが、今回は広大な敷地内にある科学博物館での講演と、クランブルックが敷地外に所有する“FRANK LLOYD WRIGHT SMITH HOUSE”(以下『スミスハウス』)での茶会の2本立て。講演会の前には日本的なケーキと緑茶を楽しむ“朝の茶会”タイムも設定され、事前に参加登録した数十名の人々がこのイベントや日本への関心について言葉を交わす和んだ姿が見られた。ケーキは受賞歴のあるパティシエChef Doran Brooksが準備。Novi 市並びにClawson市に日本的なケーキやパンの店をオープン予定とのこと。

 同センターのディレクターより挨拶の中で、今から百年以上も前の1915年にクランブルックに日本庭園が造園され、その改修を進めつつ維持しており、また、日本との繋がりを持つフランク・ロイド・ライト設計の『スミスハウス』を保持するなど、日本との関連を祝すためのイベントであると告げられた。

 “Japanese Tea Gardens and Tea Houses: From Japan to Frank Lloyd Wright and Today”と題された講義の前半には、「近代建築の三大巨匠」と呼ばれるフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright、1867 年-1959年)と、彼の日本芸術やデザインとの関係について、Cranbrook Center for Collections and Researchの研究員が弁をふるった。フランク・ロイド・ライトは19世紀後半のシカゴ万国博覧会で日本の芸術や建築に出会い、その後、少なからぬ影響を受けていることが指摘されている。この講義では、スクリーンに浮世絵や清水寺など日本の実存建造物の写真と、ライトによる設計図や彼が手掛けた建築物の写真が並べて映し出され、その共通性や構図の類似性を重ねて指摘。日本の影響を多大に受けたことは間違いないと強調した。帝国ホテル旧本館(通称ライト館)設計は日本における大プロジェクトであり、自身が5年(1918-1922)に亘って訪日していたこと、そして、ライト氏の自宅も日本からの収集品に満ち、また生活スタイルも日本文化に影響を受けていたことも伝えられた。現在クランブルックが所有する『スミスハウス』の持ち主=設計依頼主であったスミス氏は、いち教師であったが、ライト氏設計の家に住むのが夢で、長期ローンを抱えてまで実現した。コストを抑えるために無駄を抑え、各所に日本的な要素が見られる。スミス氏もまた日本文化に興味を持つようになり、多くの日本人を家に招待し、日本の陶磁や版画などを持つようになったという。ライト氏の弟子がこの家の後ろにある池の淵に小さな茶室を設計したが実現には及ばなかったそうである。

続いて、日本のガーデンデザイナーであり一級造園技能士である武内千里氏が講師を務め、“Japanese Garden ~The First Step to Tea(日本庭園 – お茶への第一歩”とのタイトルでプレゼンテーションが行われた。まずは茶の湯についての簡単な解説から始まり、茶人であり僧でもあった千利休が‘侘びさび’というシンブルで自然な有様を尊び、その文化が広がり、茶室の形式を確立させたことが伝えられた。近年では女性が楽しんでいるが元々は武将の交流・戦いの話をする場であり、刀を持ち込まない構造は今も残っているといった話に、観客から小さなどよめきの声があがった。茶室ならびに茶の湯の理念などを説明した後、伝統的な茶室は露地と称する庭園の中に建てられ、その庭園は、掃き清められたうえで故意に季節の花や葉をちらし季節感をだすことや、古さを讃える故、灯篭や石を古めいて見せたり早く苔蒸す状態にする技法なども紹介された。茶室は俗世と隔てた空間であり、客も亭主も

様々な清めの所作があることにも言及し、「茶道で尊ばれる自然を愛で大切にする心や、もてなす心の在りように触れるため、茶庭園と茶室を訪れて欲しい」と願いを届けた。聴講者から大きな拍手が上がった。

 講演の後半には日本独特な庭園スタイルである枯山水の作り方を箱庭づくりで実演紹介した。山に見立てた石や砂など全ての材料は当地の工芸店で調達したものとのことで、聴講者は身近に感じたのか、作業の手元を大きく映し出したスクリーンを身をのりだして注視。石の周りの砂にフォークの背で水紋が描かれると会場のあちらこちらで感嘆の声が漏れた。武内千里氏の招へいは当地の日本国領事館がスポンサーになり実現。寿司や緑茶など食の領域、また漫画やアニメで日本の文化が浸透しているが、日本のガーデニングや、さらには、もてなしの心、自然との調和といった伝統の良さも認められ広がっていくことが期待される。

 午後には、フランク・ロイド・ライト氏が手掛けた住宅の一つである『スミスハウス』で、当地のウィメンズクラブのメンバーが茶の湯を実演披露した。解説を務めた領事館職員により、「ティーバックの緑茶とは異なり、抹茶を点てる茶道は長年にわたり修練しなければならないほど、決まり事や様々な知識を要する芸術である」との説明がなされた。本来であれば外界とは切り離された茶室という静かな環境の中で、社交の会話ではなく、自然や茶器、そして茶の湯そのものを楽しむものであることは、武内氏の講演や同館の案内説明でも伝えられていた。スミス・ハウスは、その直線的な外観や全体の構造ならびに内装、そしてふんだんに使われた美しい木材など、日本的なデザインがあちらこちらに見られるが、かつては住宅と使用され、現在はCranbrookの所有で様々なイベントが行われている施設であるため、茶席が設けられたリビングルームにはグランドピアノや多数の家具や調度品が置かれており、侘び寂びとは程遠い雰囲気。しかしながら、楚々凛としたお点前の所作や立ち居振る舞いに引き込まれたように、参加者たちは物音一つ立てることなく静かに真剣に見入っていた。窓の外には公園のように広々とした明るく緑豊かな自然が広がり、穏やかなひと時となった。参加者から「ライト氏設計の家での茶の湯に参加でき、素晴らしい時間だった」との声が届いた。

 『スミス・ハウス』は常時公開はしていないが、冬季を除き月に数回、見学ツアーが組まれている。

Frank Lloyd Wright Smith House Tour

9/15、9/22、9/23、10/13、10/20、10/21 11/10、11/11に、日に2,3回ずつ予定

*有料。事前レジストレーションが必要

https://center.cranbrook.edu/events/tours

JETプログラム参加者 ~ 過去最多62名JETプログラム参加者 ~ 過去最多62名

<!--:en-->JETプログラム参加者 ~ 過去最多62名<!--:--><!--:ja-->JETプログラム参加者 ~ 過去最多62名<!--:--> 1

翌日に日本出発を控えた参加者たち

去る8月1日、平成 26 年度JETプログラム参加者の歓送レセプションが総領事公邸で開催された。今年は管轄地域(ミシガン州とオハイオ州)より過去最多の62名のJET参加者が新たに日本の自治体へ派遣された。

  JETプログラムとは「The Japan Exchange and Teaching Programme」の略称で、総務省、外務省、文部科学省及び財団法人自治体国際化協会(CLAIR)の協力の下、地方公共団体が主体となり実施している国際交流事業。 1987 年に4か国から848名の参加で始まり、28 年の歴史を重ねた。若い読者の中には日本の学校の英語指導助手としての彼らの恩恵を受けた人もいることだろう。

   JET参加者は言語指導員(ALT)、国際交流員、そしてスポーツ交流員(SEA)3つの職種に分かれており、北米からは主に ALT と CIR として派遣される。統計では、平成 25 年までに6万人に近い数の人々が本事業により訪日、その内の半数である3万人が米国からの参加者だという。派遣先は、要請を出した地方公共団体の何処かで、大都市から地方の中小都市や農村漁村に至るまで全国津々浦々。参加者の希望で1年から3年の滞在となる。

  この日の歓送レセプションでは片山総領事より、外交官として中国、米国、マレーシア、ベルギーに勤務した経験をもとに、その国の人々と日々交わり、その国の文化歴史・伝統に直接触れる経験は何物にも代えがたい貴重な経験であり、自分の人生を豊かにしてくれたと振り返り、参加者にはそのような経験が日本で待っていると語りかけた。

  また、JET経験者であり、ミシガン地区のJETアルミニ(同窓会)の代表者からは、自身の忘れがたい思い出話を織り込みつつ、積極的に人と関わり、多くの経験をすることを奨励。特に地元でのお祭りはコミュニティーを理解し絆を深めるのに非常に有意義なので極力足を運ぶようにと勧めた。加えて、参加経験者同士の結びつきは後年まで続いており、東日本大震災のおりにJETアルミニが手を携えて募金活動やイベントを実施した旨も伝えた。

  異国での任務を決意し、国際交流に役立とうという意欲に溢れるJETプログラム参加者らが、日米両国の架け橋として成果を上げることを期待したい。

  尚、この10月にノバイ高校にて開催される日本祭りの会場で、初の企画として、今期訪日したJETプログラム参加者が各赴任地で発見した日本の格好いいもの・感動した景色等を写真に納めた写真展及びコンテストが行なわる予定。新JET参加者から見た日本はどのような国なのか,日本人にとっても新鮮な気づきがあるに違いない。

翌日に日本出発を控えた参加者たち

去る8月1日、平成 26 年度JETプログラム参加者の歓送レセプションが総領事公邸で開催された。今年は管轄地域(ミシガン州とオハイオ州)より過去最多の62名のJET参加者が新たに日本の自治体へ派遣された。

  JETプログラムとは「The Japan Exchange and Teaching Programme」の略称で、総務省、外務省、文部科学省及び財団法人自治体国際化協会(CLAIR)の協力の下、地方公共団体が主体となり実施している国際交流事業。 1987 年に4か国から848名の参加で始まり、28 年の歴史を重ねた。若い読者の中には日本の学校の英語指導助手としての彼らの恩恵を受けた人もいることだろう。

   JET参加者は言語指導員(ALT)、国際交流員、そしてスポーツ交流員(SEA)3つの職種に分かれており、北米からは主に ALT と CIR として派遣される。統計では、平成 25 年までに6万人に近い数の人々が本事業により訪日、その内の半数である3万人が米国からの参加者だという。派遣先は、要請を出した地方公共団体の何処かで、大都市から地方の中小都市や農村漁村に至るまで全国津々浦々。参加者の希望で1年から3年の滞在となる。

  この日の歓送レセプションでは片山総領事より、外交官として中国、米国、マレーシア、ベルギーに勤務した経験をもとに、その国の人々と日々交わり、その国の文化歴史・伝統に直接触れる経験は何物にも代えがたい貴重な経験であり、自分の人生を豊かにしてくれたと振り返り、参加者にはそのような経験が日本で待っていると語りかけた。

  また、JET経験者であり、ミシガン地区のJETアルミニ(同窓会)の代表者からは、自身の忘れがたい思い出話を織り込みつつ、積極的に人と関わり、多くの経験をすることを奨励。特に地元でのお祭りはコミュニティーを理解し絆を深めるのに非常に有意義なので極力足を運ぶようにと勧めた。加えて、参加経験者同士の結びつきは後年まで続いており、東日本大震災のおりにJETアルミニが手を携えて募金活動やイベントを実施した旨も伝えた。

  異国での任務を決意し、国際交流に役立とうという意欲に溢れるJETプログラム参加者らが、日米両国の架け橋として成果を上げることを期待したい。

  尚、この10月にノバイ高校にて開催される日本祭りの会場で、初の企画として、今期訪日したJETプログラム参加者が各赴任地で発見した日本の格好いいもの・感動した景色等を写真に納めた写真展及びコンテストが行なわる予定。新JET参加者から見た日本はどのような国なのか,日本人にとっても新鮮な気づきがあるに違いない。

Scallop and Sake Social開催 〜 北海道産ホタテと日本酒のうまみをみなさんへ

Scallop and Sake Social-ホタテとお酒のうまみを皆さんへ

北海道産のホタテと日本酒の魅力を伝えるイベントが、2月5日在デトロイト日本国総領事の公邸で開かれた。ホストは進藤総領事夫妻。ミシガン州で経済、文化、教育、食品分野で活躍する人々が参加した。イベントのオープニングでホストの進藤総領事は「東日本震災では日本は多くの国、特にアメリカからメッセージをいただいた。その後復興において努力を重ねてきたがこの度、科学的根拠よりも輸入を制限した国があることは残念、そのインパクトは大きいがそれを払拭すべく、安全でおいしい日本の北海道産のホタテをミシガンの3人のシェフが料理で披露、それを皆さんに味わっていただき、その素晴らしさを伝える機会を持ちました」と述べた。

中華のDanny Yu氏(Hong Hua, Farmington Hills)のGolden scallops and shrimpsは「卵の黄身」を加えたフライで、ホタテの甘さと柔らかさが口の中に広がるおいしさ。アメリカ料理のJames Rigato氏(Mabel Gray, Hazel Park)は新鮮なホタテをCrudoというイタリア料理風にキュウリ、ゆず、こしょうのブロスに漬け、大根、グレープフルーツ、Gochugaru(Korean red chili)をガーニッシュに添えた。容器も竹の器の雰囲気を演出。寿司の長尾謙氏(写楽、West Bloomfield)は日本のホタテを知ってもらうチャンスとしてお醤油でいただく握り、炙りはレモンと佐渡の深海330mからの塩を添え、スパイシーな味付で生臭さを取り、ちょっと趣向の変わった軍艦巻の3種のプレゼンテーション。三者それぞれにホタテガイの調理の多様さや味付けによる口当たりの違いから、魅せる料理の食材としてのホタテガイを織りなした。参加者の中の、デトロイト・ダウンタウンのルネサンスセンターやカジノのレストラン関係者は、このプレゼンテーションに舌鼓を打っていた。

 ホタテガイ料理とともに、日本酒の試飲コーナーも設けられた。イベントのオープニングで進藤総領事は、お酒は古代から飲み物というよりも神への捧げものの意味があった、精米歩合が高いほど香りやスムーズさがあり、それぞれがユニークなお酒となる、どれがホタテ料理と合うか試してみてください、と紹介した。試飲コーナーには姉妹州県の滋賀をはじめ、福井、山形、山口、三重、新潟、兵庫県、カリフォルニアの10種類の日本酒がずらりと並び、終始試飲を楽しむ人で絶えなかった。係の人によると滋賀県の「神開 No77 あまずっぱい」が一番の人気だった、という。

ホストの進藤総領事は、飲むこと食べることを通して皆さんに楽しんでいただけた、とイベントの盛会について語った。この日は、BentOn(和食ミールキットサービス会社)も約18種類のキットとキットを利用したホタテガイの料理を紹介した。

 水産庁の統計によると、ホタテガイとその調製品は輸出先は中国が50%を超えている(令和4年度 水産白書、『(4)水産物貿易の動向』水産庁のHPより)。昨年8月の東京電力福島第一原子力発電所のALPS処理水の海洋放出により、中国政府がしいた日本の水産物の輸入全面禁止は水産業者、特にホタテガイにかかわる人々に大きな影響を与えている。中国だけに輸出先を依存しない、多様なサプライチェーンにより、アメリカやその他の国での需要を高めることが今後大切となってくるだろう。

 

 

 

 

Redac Detroit Office New Comer’s Partyリダック・デトロイトオフィス “New Comer’s Party” (リダカマ)を開催

<!--:en-->Redac Detroit Office New Comer's Party<!--:--><!--:ja-->リダック・デトロイトオフィス “New Comer’s Party” (リダカマ)を開催<!--:-->

 日系総合不動産会社リダック(株式会社リロ・ホールディング海外子会社)が、同社を通じて住宅を成約した駐在員やその家族の内“New Comer”(赴任後1年まで)の顧客を対象に、9月26日(水)夕方、同社のサービスアパートがあるコミュニティーアパート群(Citation Club Apartment)内のクラブハウスにて「Redac New Comer’s Party(略称リダカマ)」を開催した。

 このリダカマは、デトロイト近郊に新しく赴任してきた人同士が現地の情報交換をし、友人・知人を作る機会を提供したいという思いをこめた企画で当日は数家族と単身者、同社社員ら約30名が集まり、軽食やデザート、ドリンクをとりながら、歓談の時が持たれた。社員が、住宅だけではなく生活全般に関する相談も受け、様々な情報を提供。参加者同士の情報交換も行なわれた。夏にミシガン生活を始めた参加者からは、当地の印象について「ゆったりしたところで教育を受けられるのが良い」との感想が寄せられた。

 参加者からリダックスタッフのもとへは、住宅選びの折に得た学校事情や地域の環境などのアドバイスのお陰で良い選択ができたという感謝の言葉も届いた。生の声を伝え合うことでサービスが向上していくに違いない。リダックは、「お客様に安心して快適なアメリカ生活を送っていただけるよう、今後もこうした交流の場をご提供していく予定です」と話している。

 リダックは賃貸住宅の斡旋だけでなく、入居時の電気やガスの申込といった、生活を立ち上げる雑事の他、入居期間を通して、大家との交渉や修理の依頼等の仲介も請け負っている。

リダック・デトロイトオフィス

27780 Novi Road, Suite 240, Novi, MI 48377
電話番号: 248-305-8913

 日系総合不動産会社リダック(株式会社リロ・ホールディング海外子会社)が、同社を通じて住宅を成約した駐在員やその家族の内“New Comer”(赴任後1年まで)の顧客を対象に、9月26日(水)夕方、同社のサービスアパートがあるコミュニティーアパート群(Citation Club Apartment)内のクラブハウスにて「Redac New Comer’s Party(略称リダカマ)」を開催した。

 このリダカマは、デトロイト近郊に新しく赴任してきた人同士が現地の情報交換をし、友人・知人を作る機会を提供したいという思いをこめた企画で当日は数家族と単身者、同社社員ら約30名が集まり、軽食やデザート、ドリンクをとりながら、歓談の時が持たれた。社員が、住宅だけではなく生活全般に関する相談も受け、様々な情報を提供。参加者同士の情報交換も行なわれた。夏にミシガン生活を始めた参加者からは、当地の印象について「ゆったりしたところで教育を受けられるのが良い」との感想が寄せられた。

 参加者からリダックスタッフのもとへは、住宅選びの折に得た学校事情や地域の環境などのアドバイスのお陰で良い選択ができたという感謝の言葉も届いた。生の声を伝え合うことでサービスが向上していくに違いない。リダックは、「お客様に安心して快適なアメリカ生活を送っていただけるよう、今後もこうした交流の場をご提供していく予定です」と話している。

 リダックは賃貸住宅の斡旋だけでなく、入居時の電気やガスの申込といった、生活を立ち上げる雑事の他、入居期間を通して、大家との交渉や修理の依頼等の仲介も請け負っている。

リダック・デトロイトオフィス

27780 Novi Road, Suite 240, Novi, MI 48377
電話番号: 248-305-8913

日本の伝統文化をたしなむ女性たちが実演 デトロイト美術館で雛祭り日本の伝統文化をたしなむ女性たちが実演 デトロイト美術館で雛祭り

<!--:en-->日本の伝統文化をたしなむ女性たちが実演 デトロイト美術館で雛祭り<!--:--><!--:ja-->日本の伝統文化をたしなむ女性たちが実演 デトロイト美術館で雛祭り<!--:--> 4


「とても素敵!」「華やかな気持ちになったわ!」。笑顔とともに、称賛の声が集まった。

  3月1日の日曜日、デトロイト美術館で日本の雛(ひな)祭りイベントが開催された。デトロイト総領事館によるプログラムで、雛人形の展示の他、生け花、茶の湯のお点前、琴の演奏などの日本の伝統文化を大勢の来場者が鑑賞した。

  受付の女性は来館者に、「美しくて、素晴らしいプログラム」と推奨。「ここで催されるイベントで最も好き」「着物姿の女性たちも素敵」と絶賛の言葉を寄せた。

   会場となった「リベラ・コート」は、同美術館が誇る荘厳なスペースで、壁には「Detroit Industry」という労働風景の巨大フレスコ画(画家Diego M. Rivera)が四面に施されている。そこには少々場違いともいえる優美で繊細な雛壇が飾られ、品格を放っていた。

  まず、総領事館の文化担当者アニータさんより、女の子の成長を祝うと同時に春の訪れを祝う意味もあるといった雛祭りの概要や伝統的な祝い方の説明に加え、日本の家屋事情や着物について、また、ボーイズデー(端午の節句)の飾りやゴールデンウィーク事情の話題も織り交ぜて、日本紹介が行われた。

   実演は、いけばなインターナショナルデトロイト支部のメンバーによる生け花の披露でスタート。流派や花材の異なる3人が同時にアレンジを進め、伝統スタイルや基本概念などの解説が添えられた。配置構成に「天・地・人」の考え方があり、単なるアレンジメントでは無いと説いた。美しい作品が仕上がると大きな拍手が巻き起こった。

   続いてJSDウィメンズクラブのメンバーによる風呂敷ラッピングと茶道の実演に移り、風呂敷の名称は元々風呂屋へ行く折に衣類や用具を包み、敷物にも使えることに由来しており、一時廃れたが、場所を取らず再利用できる優れものとして再び見直されていると紹介がなされた。バック(手提げ)包、スイカ包み、2本のワインボトルで二本包み、などを手際よく披露した。単なる四角い布が変化自在に、様々な形の物を包んでゆく手順に観客は釘付けとなっていた。ビデオでもユニークなバリエーションが紹介され、日本人の観客も、包み方の多様性とアレンジの美しさに感心していた。

  茶道実演では、即席の茶席ながらも、茶の湯の落ち着いた雰囲気を生み出していた。凛とした美しい立ち振る舞いや点前に惹きこまれ、観客席も粛々とした気配が漂った。お点前の進行に合わせた所作の意味のほか、茶道具や掛け軸に絡めて、日本の美意識や考え方についても話が添えられた。

   プログラムの最後は、邦楽グループ『雅(みやび)』のお二方による琴の演奏。この行事名と同じ琴曲『ひな祭り』の他、ポピュラーな洋楽曲として、カーペンターズがヒットさせた『Cross to you』と『シバの女王』を繊細な美しい音と見事な弦さばきで披露し、透き通った音色が会場を包んだ。琴曲『ひな祭り』は童謡の『うれしいひな祭り』とは趣が異なり、華麗で流れるような旋律が穏やかを感じさせる曲。すまし顔でこの日のプログラムを楚々着々と進めた女性たちと重なるものであった。

  桃の節句とも呼ばれ、春の訪れを伝える行事でもある雛祭り。2月上旬の大雪がまだ解けきれずに残るほど、春には遠いミシガンの午後であったが、美術館のこの一画は優雅な癒しの空間になっていた。


「とても素敵!」「華やかな気持ちになったわ!」。笑顔とともに、称賛の声が集まった。

  3月1日の日曜日、デトロイト美術館で日本の雛(ひな)祭りイベントが開催された。デトロイト総領事館によるプログラムで、雛人形の展示の他、生け花、茶の湯のお点前、琴の演奏などの日本の伝統文化を大勢の来場者が鑑賞した。

  受付の女性は来館者に、「美しくて、素晴らしいプログラム」と推奨。「ここで催されるイベントで最も好き」「着物姿の女性たちも素敵」と絶賛の言葉を寄せた。

   会場となった「リベラ・コート」は、同美術館が誇る荘厳なスペースで、壁には「Detroit Industry」という労働風景の巨大フレスコ画(画家Diego M. Rivera)が四面に施されている。そこには少々場違いともいえる優美で繊細な雛壇が飾られ、品格を放っていた。

  まず、総領事館の文化担当者アニータさんより、女の子の成長を祝うと同時に春の訪れを祝う意味もあるといった雛祭りの概要や伝統的な祝い方の説明に加え、日本の家屋事情や着物について、また、ボーイズデー(端午の節句)の飾りやゴールデンウィーク事情の話題も織り交ぜて、日本紹介が行われた。

   実演は、いけばなインターナショナルデトロイト支部のメンバーによる生け花の披露でスタート。流派や花材の異なる3人が同時にアレンジを進め、伝統スタイルや基本概念などの解説が添えられた。配置構成に「天・地・人」の考え方があり、単なるアレンジメントでは無いと説いた。美しい作品が仕上がると大きな拍手が巻き起こった。

   続いてJSDウィメンズクラブのメンバーによる風呂敷ラッピングと茶道の実演に移り、風呂敷の名称は元々風呂屋へ行く折に衣類や用具を包み、敷物にも使えることに由来しており、一時廃れたが、場所を取らず再利用できる優れものとして再び見直されていると紹介がなされた。バック(手提げ)包、スイカ包み、2本のワインボトルで二本包み、などを手際よく披露した。単なる四角い布が変化自在に、様々な形の物を包んでゆく手順に観客は釘付けとなっていた。ビデオでもユニークなバリエーションが紹介され、日本人の観客も、包み方の多様性とアレンジの美しさに感心していた。

  茶道実演では、即席の茶席ながらも、茶の湯の落ち着いた雰囲気を生み出していた。凛とした美しい立ち振る舞いや点前に惹きこまれ、観客席も粛々とした気配が漂った。お点前の進行に合わせた所作の意味のほか、茶道具や掛け軸に絡めて、日本の美意識や考え方についても話が添えられた。

   プログラムの最後は、邦楽グループ『雅(みやび)』のお二方による琴の演奏。この行事名と同じ琴曲『ひな祭り』の他、ポピュラーな洋楽曲として、カーペンターズがヒットさせた『Cross to you』と『シバの女王』を繊細な美しい音と見事な弦さばきで披露し、透き通った音色が会場を包んだ。琴曲『ひな祭り』は童謡の『うれしいひな祭り』とは趣が異なり、華麗で流れるような旋律が穏やかを感じさせる曲。すまし顔でこの日のプログラムを楚々着々と進めた女性たちと重なるものであった。

  桃の節句とも呼ばれ、春の訪れを伝える行事でもある雛祭り。2月上旬の大雪がまだ解けきれずに残るほど、春には遠いミシガンの午後であったが、美術館のこの一画は優雅な癒しの空間になっていた。

元なでしこジャパン 山口麻美氏を迎えて講演会

元なでしこジャパン 山口麻美氏を迎えて講演会 3

DSC_3917デトロイトりんご会 補習授業校 りんごハウス特別企画

アメリカとスウェーデンでの豊富な経験や、怪我からの復帰の道のりをもとに子どもたちにエール

デトロイト補習授業校では理事運営委員会が主催し、中高生・保護者ボランティアとともに準備・運営する、「放課後活動の体験」、「工作・製作を楽しむ場の提供」を目的とした『りんごハウス』を企画・開催している。補習授業校ならではといえるが、父親たちも積極的に携わり、各々の技術や才能、人脈を活かして様々な企画を実施してきた。

2月末のりんごハウスでは「割箸鉄砲作り」を開催し、50名以上の子どもたちが参加。子どもたちは割箸と輪ゴムを使って割箸鉄砲を製作した後、それを使って実際に的当てもして楽しんだとのこと。

2016年度の最終回となった3月4日のりんごハウスでは、特別企画として、元なでしこジャパンの山口麻美氏を迎えて講演会を開催した。講演は、山口麻美氏と懇意で、今回の企画の橋渡しをつとめた高橋亮氏とのトークショースタイルで行なわれ、聴講者に質問を投げかけたり、質問を受けたり、オープンな雰囲気で進められた。補習授業校のサッカースクールでサッカーを習っている子ども達が多く集まり、大人たちもサッカーファンが多いと見え、一般的にはあまり周知されていないような質問にも正解が続出した。サイン・握手会の時間も設けられ、貴重な機会を楽しむ姿が見られた。

山口麻美さんは、1 9 9 9年に日テレ・メニーナ入団。3年後、日本女子サッカーで最強の日テレ・ベレーザに昇格し、2 シーズン目には 18 試合 9 得点の活躍をおさめた。2005年に日テレを退団しフロリダ州立大学に留学しサッカー部に入部。その間、2007年ユニバーシアードに出場する日本代表に選出。また、北京五輪アジア最終予選に向けた日本代表のアメリカ遠征メンバーに初召集され、アメリカ戦で代表デビューを飾った。一方、米国大学女子サッカーリーグでは 24 得点 18 アシストを記録し、フロリダ州立大創設初のハーマン杯を受賞。2008年にスウェーデンへ渡り、名門ウメオIKに入団し女子スウェーデンカップ、UEFA女子カップに出場、在籍中2度のリーグ優勝を経験、という輝かしい経歴をもっている。

ハーマン杯は米大学サッカーの年間最優秀選手に贈られるもので、日本人初の快挙。講演中、高橋氏より、それがいかに非常な名誉であるかという解説に加えて、引退した今も“レジェンド”と呼ばれおり、また、フロリダ州立大学内のアスリート殿堂入り記念館に彼女のコーナーがあり、ユニホームなどが展示されていることも紹介した。山口麻美さんからは、生い立ちや、海外での経験談、そして怪我からの再起についてなど、スライドを映しながら盛りだくさんの話が披露された。高校生でリーグサッカーに入団したために、帰りが夜中になることもあったが、サッカーだけと思われたくなくて勉強もやった。トップを目指していて、サッカーのためなら頑張れたと話す。

DSC_3861世界で活躍する選手になりたくて、その為には一流のプレーヤーの中で・・・と考え、高校卒業後すぐに、子どもの頃から憧れていたアメリカに留学。言葉の壁、文化の違い、そしてフィジカルの壁に直面。勉強ができないとサッカーができない条件であったため、授業を録音して家庭教師と勉強した。勉強とサッカーだけの毎日であったと苦労を話した。2 年ほど経って話せるようになってからは自分からチームメートとコミュニケーションを取るようにしたという。

その後、世界トップクラスのスウェーデンのチームに移籍し、リーグでの優勝、超一流選手とのプレー、3万人の観客の前でのプレーなど、貴重な経験を重ねた後、アメリカのチームに移籍。人脈やオファーを活かして活躍の場を築いてきたことが伝えられた。

IMG_5778話は2011年のワールドカップに移る。予選には出場したものの本大会では外された、その時の心境を、言葉では表さず、他の選手たちの失望の場面を集めた映像を通して示した。その直後には怪我をして繰り返し手術。さらに原因不明の怪我が重なり、一度はサッカーを辞めたという。2年半もの長いリハビリ生活の後にベレーザに復帰し、出場後いきなり得点。その後ベレーザは皇后杯で優勝。「諦めなくて本当に良かった」「怪我のおかげで、リハビリの場での出会いもあった。素晴らしい人と出会え、学ばせていただいた」と語った。

選手引退後、アメリカに戻ってフロリダ大学を昨年卒業した。目標を成し遂げる彼女の精神力に脱帽する。現在はニューヨークを拠点に、サッカーだけでなく、いろいろな仕事をしている。「仕事の場でも世界で活躍したい」との抱負を語った。

最後に、「辛いことやいろんなことがあったが、キーワードは“ ポジティブ”

“行動力”。どんな局面でもポジティブに捉えて。必ず良いことがある」と、経験に基づいた、強く、そして暖かいエールを贈ってくれた。重くストレートに響くメッセージであった。

全写真提供:デトロイトりんご会補習授業校

Hiller’s Market Grand Opening in South Lyon, MI大型スーパーマーケット ヒラーズ(Hiller’s)South Lyon店のグランドオープニング

<!--:en-->Hiller's Market Grand Opening in South Lyon, MI<!--:--><!--:ja-->大型スーパーマーケット ヒラーズ(Hiller’s)South Lyon店のグランドオープニング<!--:--> 3

 10月12日、日本食材を多数扱っていることで知名度が高いヒラーズマーケットの新店舗South Lyon店でグランドオープニングが催された。この日は2 0以上のベンダーによる無料試食のブースが設けられ、子供向きのイベントも行われ、多くの客が足を運び大盛況のスタートを飾った。

 日本食コーナーは、ヒラーズCommerce店の広さと種類には及ばないものの、人気のある商品を厳選した品揃えになっている。冷凍食品の上にずらりと並んだ日本の酒類の数は30種ほど。お米の種類も充実している。この日の日本食の試食は焼きたての餃子(冷凍)とお茶。ヒラーズ全店にわたって日本食材の統括をしている恭子さんを中心に、試食品や他の商品について、受け答えが行われていた。

 ヒラーズマーケットは地元の製品や生鮮食品の提供に力を入れており、‘Made in Michigan’のサインをあちらこちらの売り場で見かける。試食ブースにも近隣のケーキ屋やレストランによるオリジナル商品、北部ワイナリーのワインなどが並んだ。

South Lyon店が他店舗に無い特徴は、カウンター席タイプのドリンクバーとその横にある実演用キッチン。ドリンクバーではコーヒーやビール、ワインを注文して、その場で飲むことができる。デリコーナーで買った出来合いの軽食やサンドイッチをここで食べてもOK。

実演用キッチンは、料理番組のセットのように、料理人の手元が映し出されるスクリーンが備わっている本格的なもの。オープンニングのこの日はチーズの作り方と、さらにそれをワンタンの皮で包んで揚げたものを披露した。担当者はヒラーズ全店の料理部門責任者で、料理本を出しているほどの実力者Ms. Ruth Mossok Johnston。今回、ワンタンの皮を利用したように、アジア系のアレンジをよく試みるのだそうだ。今後も毎土曜日の昼と、週一回(曜日は不定)夜、料理教室を開催していく予定とのこと。(ウェブにスケジュールや内容がアップされる。)尚、惣菜(デリカテッセン以外)は彼女の監督の下、日によってメニューを変え、店内で調理されている。

ヒラーズ各店は、日本食材に限らず、店舗によって地域性に合わせた独自の商品を置いている。他の店舗に近い方も足を運ぶ価値あり。他にはないローカルな品を探すのにもうってつけと言える。

South Lyon店

51847 Ten Mile Road South Lyon, MI 48178
(Ten Mile Road and Johns Road)

ヒラーズのホームページ: http://www.hillers.com/ 

 

 10月12日、日本食材を多数扱っていることで知名度が高いヒラーズマーケットの新店舗South Lyon店でグランドオープニングが催された。この日は2 0以上のベンダーによる無料試食のブースが設けられ、子供向きのイベントも行われ、多くの客が足を運び大盛況のスタートを飾った。

 日本食コーナーは、ヒラーズCommerce店の広さと種類には及ばないものの、人気のある商品を厳選した品揃えになっている。冷凍食品の上にずらりと並んだ日本の酒類の数は30種ほど。お米の種類も充実している。この日の日本食の試食は焼きたての餃子(冷凍)とお茶。ヒラーズ全店にわたって日本食材の統括をしている恭子さんを中心に、試食品や他の商品について、受け答えが行われていた。

 ヒラーズマーケットは地元の製品や生鮮食品の提供に力を入れており、‘Made in Michigan’のサインをあちらこちらの売り場で見かける。試食ブースにも近隣のケーキ屋やレストランによるオリジナル商品、北部ワイナリーのワインなどが並んだ。

South Lyon店が他店舗に無い特徴は、カウンター席タイプのドリンクバーとその横にある実演用キッチン。ドリンクバーではコーヒーやビール、ワインを注文して、その場で飲むことができる。デリコーナーで買った出来合いの軽食やサンドイッチをここで食べてもOK。

実演用キッチンは、料理番組のセットのように、料理人の手元が映し出されるスクリーンが備わっている本格的なもの。オープンニングのこの日はチーズの作り方と、さらにそれをワンタンの皮で包んで揚げたものを披露した。担当者はヒラーズ全店の料理部門責任者で、料理本を出しているほどの実力者Ms. Ruth Mossok Johnston。今回、ワンタンの皮を利用したように、アジア系のアレンジをよく試みるのだそうだ。今後も毎土曜日の昼と、週一回(曜日は不定)夜、料理教室を開催していく予定とのこと。(ウェブにスケジュールや内容がアップされる。)尚、惣菜(デリカテッセン以外)は彼女の監督の下、日によってメニューを変え、店内で調理されている。

ヒラーズ各店は、日本食材に限らず、店舗によって地域性に合わせた独自の商品を置いている。他の店舗に近い方も足を運ぶ価値あり。他にはないローカルな品を探すのにもうってつけと言える。

South Lyon店

51847 Ten Mile Road South Lyon, MI 48178
(Ten Mile Road and Johns Road)

ヒラーズのホームページ: http://www.hillers.com/ 

 

U of M日本研究センターによるコミュニティづくりコンファレンス Building Community in Detroit & Regional Japan

U of M日本研究センターによるコミュニティづくりコンファレンス Building Community in Detroit & Regional Japan 3

DSC_7928去る9月末、ミシガン大学日本研究センター(通称CJS)の主催によるデトロイトそして日本のコミュニティ再建に関するイベントが実施された。CJS創立70周年の記念として企画された特別シンポジウム・シリーズの一つである。

IMG_3843農業 ~ 9月27日には、デトロイトにあるPLUM STREET MARKET GARDENを会場に農業起業に関するコンファレンスが開かれた。PLUM STREET MARKET GARDENはKeep Growing Detroitというデトロイトを発展させる使命を持つ団体の運営。デトロイトの食に関する産業や食文化を向上させるための研究施設を兼ねたガーデンで、適した品種や生産方法を栽培を通して模索しつつ、地元の農業従事者や新参を考えている人々に教授している。子供たちが作物について学ぶ場にもなっている。MGMグランドホテル&カジノが間近に見える都会の中心地であり、広大とは言えないスペースだが、温室も備え、膨大な種類の作物や花を栽培している。非雇用者が多く、また荒廃によって空地も多いデトロイトで、近年、都市近郊農業が伸びつつあるが、知識提供などのバックアップは不可欠である。

また、野菜の購買者である人々の食に対する意識:ジャンクフードから野菜へのシフトという変化も必要であり、この企画をに協賛したFoodLab Detroitは食関連のビジネス推進のみならず、そういった知識の普及も行っている。デトロイト市も様々な形で支援し、コミュニティを健全化・活性化しようと努めているということである。

IMG_3828日本から共催参加したのは、宮城県を拠点とする農業生産法人GRA inc。代表である岩佐大輝氏は東京でIT関連の会社を設立していたが、東日本震災後、郷里に戻り、ITなどの技術を駆使した先端施設園芸による「東北の再創造」に尽力。地元のイチゴビジネスに構造変革を起こし、ひと粒1000円で売れる「ミガキイチゴ」を生み出したことで注目を集めた。土が被害を受けたため、従来どおりの栽培は難しくなり、画期的な栽培方法を模索。熟練生産者から学びつつも、ITを駆使し、経験に頼らない管理システムを構築し、成功にこぎつけた。被災地での活路であったばかりでなく、日本の若い後継者もシステムを学んだり、さらには人出不足で悩むカルフォルニアのファーマーも関心を寄せているという。既にインドでは企業とNPOの協業でオペレーションを展開しており、ハウスでの日本品種のイチゴ栽培をしているという。岩佐氏は「被害による土の汚染がなければ、新しい方法は受け入れられなかったと思う」と話す。ちなみに、カルフォルニアでは、移民などが農作業の大きな担い手であるが、地味な土いじり作業が多い農業には就きがらない人が増え、労働者の確保が難しくなっているフォームもあるのだそうだ。IT管理という技術重視の栽培方法や安定性が注目と期待を集めている。

DSC_7925デトロイトと日本の被災地で、どちらも、いってみれば“負”または“無”から、復興ではなく新興を目指している。デトロイトにおけるビジネスとしての農産物生産はまだまだ道半ばであるが可能性は十分にあることがデータも元に語られた。新参者でも生産管理ができる加藤氏のシステムに大いに関心が集まっていた。

DSC_7926イベント中には、デトロイト産のハーブティーやここで採れた作物で作ったマリネサラダ、さらにはミシガン産のイクラの握りずしもサンプルに出され、当地における地産の広がりを知ることができた。

家具  ~ 9月28日から30日まで、東日本大震災による津波の被害を受けた石巻で「地域のものづくりの場」としてスタートした家具メーカー『石巻工房』の米国初の展示会がデトロイトのダウンタウンで開かれた。展示会に出展されたのはシンプルな台やベンチなど、規格サイズの木材で簡単にDIY:自作ができるものばかり。椅子にもテーブルにもなるストール(右上写真の手前)は、組み立て後は重ねることができるため多機能かつコンパクト収納という優れものである。技術と物資が限られた中、仮設住宅での利用を考慮して一流デザイナーたちが考案した製品であるが、石巻工房を立ち上げ、プロダクト第1号となる「石巻ベンチ」をデザインした芦沢啓治氏の説明を受けてさらに驚いたのは、床面がスムースでなくとも加重が掛かることによってガタつかなくなること。接点に遊びを設けてある故との話。これらの機能的で美しい家具、そして工房の一連の取り組みは国内外のメディアに広く注目されている。

IMG_3842制限が多い中から優れたものが生まれた。前述のイチゴ栽培に通じるものがある。芦沢啓治氏はミシガン大学で『Community Building and DIY Design』 のタイトルで講演も行なった。

一連の企画として他にも、コミュニティー・デザイン、空き家・空き店舗など不動産問題などのコンファレンスも催された。

デトロイト補習授業校・年始イベントレポート 受け継がれる日本の学校行事、文化を紡ぐ子どもたち

1月14日(土)小学部 元気いっぱい! 三年ぶりの音楽会開催

デトロイトりんご会補習授業校の音楽会が3年ぶりにノバイ・メドウズ校の体育館で行われた。小学1年生から4年生までが、学年ごとに趣向を凝らしたプログラムで、演奏したり合唱した。1年生は、『さんぽ』や『こぶたぬきつねこ』などの曲を元気に歌い、2年生は『小犬のビンゴ』を歌とゲームで披露した。3年生と4年生は、プログラムの中に民謡を取り入れ、楽器や振り付けも加えて、豊かに日本の文化を表現した。たくさんの保護者にも参観いただき、短い時間ではあったが、児童と保護者ともに、心温まる充実した音楽会であった。

1月21日(土)墨の香とはつらつとした新年への思いー 新年書初め会

穏やかな冬の日が続いていた1月21日、デトロイト補習授業校の中・高等部総勢150人の生徒が恒例の新年書初め会で、日本の伝統文化を体験した。

書初めは国語の授業で行われた。中学部1年は四字「不言実行」の初歩の行書体、2年は「夢を信じる」、3年は「友好の精神」、高等部は東晋の名書家・王義之の集字から「陽生天地春(陽は生ず 天地の春)」を手本にした。学年によっては、作品に押印する雅印づくりも行い、文化と美術双方の深いつながりも体験した。

 

 

アメリカの生徒が日本語クイズ対戦 2019 Michigan Japanese Quiz Bowl

3月10日(日)、恒例のMichigan JapaneseQuiz Bowlが開催された。Japanese Teachers Association of Michigan(ミシガン日本語教師会)と、担当校との共催で企画・運営されており、今年は昨年のイースタンミシガン大学からバトンタッチしてミシガン大学がホスト役を務め、他の州立大学の教師陣を含め、多数の日本語指導者、学生、一般ボランティアの協力のもとに実施された。デトロイト日本商工会、日本国総領事館も協賛している。

 このクイズ大会は、ミシガン州内のハイスクールで日本語を学ぶ生徒達が日本語能力や日本に関する知識を競うクイズゲーム式の競技大会で、参加者は学校毎にチームに分かれ、2チームの対抗で様々な問題に挑戦した。一つの学校からの複数チームの参加も可能で、学年分けではなく、日本語学習時間数で区切った5つのディビジョンに分かれて、日頃の学習とゲーム形式に対応するための練習の成果を発揮すべくバトルを繰り広げた。テレビのクイズ番組にあるような早押し問題もあり、ゲーム的な要素があるゆえか、生徒たちの意気込みが高い。日本語教師によれば、日本語学習の一つの大きな目標にして、楽しみつつ励んでいる生徒が多いという。

 午前中に行なわれた3ラウンドまでは、保護者や指導者(コーチ)にも非公開。午前中の各ラウンドでの総得点が高い2チームが午後の一般公開のファイナルラウンドに進んだ。

 会場には昨年同様に‘文化エキスポ’と称された日本文化紹介や日本関連団体のブースも設けられ、学生による書道の体験コーナー、剣道クラブによる実演、JSDウィメンズクラブ有志メンバーによる茶の湯実演、折り紙のワークショップや浴衣体験などのほか、日本語プログラムの紹介をメインにした各大学のブースも並び、クイズ挑戦だけではなく、日本文化を体験したり、将来に向けての情報を得ることができる場にもなっている。非営利団体『ひのき財団』による「ひのき杯“Hinoki Cup”」 という3年生から8年生を対象にしたバイリンガルクイズ大会も午前中に開催された。これは、昨年スタートした企画で、日本語学習年数の制限は無く、日本語が継承言語でも良いため、日本人の子供の参加もOKというオープンな大会とあり、人種や言語力に関わりなく楽しむ姿があった。

 午後、いよいよファイナルラウンドの会場にあてられた講堂でフォーマルプログラムが開始。決勝対決に先がけて、まず在デトロイト日本国総領事館の中川総領事より、指導者方、参加生徒たち、本大会の開催関係者に対する感謝のことば、そして、日本語を学んでいる生徒たちへの称賛とエールを届けた。

 クイズ問題の内容は多岐にわたり、日本語文章の聞き取り、漢字熟語やカタカナの読み・英訳から、諺の意味、さらに文化や習慣を知らなければ答えられないような出題もある。生徒たちの日本語力のみならず知識の豊かさに感心させられる。真剣勝負ながらも楽しんでいる様子が伝わってきた。

 クイズ大会の他に、事前に応募と審査があった年賀状コンテストの表彰もこの場で行なわれた。こちらも絵柄や言葉から、作者が日本の文化にも通じていることが窺えるものが多く上がっていた。

 日本語や日本文化を学ぶ生徒たちは両国の架け橋であり理解者である。さらなる進歩と将来の活躍を大いに期待したい。

デトロイト・ジャズ・フェスティバル ~ 音楽で日米交流~

デトロイト・ジャズ・フェスティバル ~ 音楽で日米交流~ 4

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9月2日~9月5日に開催された「第37 回デトロイトジャズフェスティバル2 0 1 6 」に、今年からスタートした横浜ジャズプロムナードとデトロイトジャズフェスティバルとのアーティスト交流プログラムの第1弾アーティストとして、日本のピアノ・トリオ Trisonique(トライソニーク)が出演した。

地元デトロイトはもとより、有名なアーティストが多数出演するこのフェスティバルは今年37回を数える。1980年当時廃虚化が進行していたデトロイトの復興プロジェクトの一環としてスタート。「あらゆる人種・階級の人々を街に呼び込み、世界一流のエンターテインメントを提供する」というテーマのもと、デトロイト指折りの大イベントとして定着し、今年は(主催者発表) 延べ75万人もが訪れた。

img_5216トリオTrisoniqueを率いるジャズ・ピアニスト、ハクエイ・キム氏は日本人と韓国人のクォーターとして京都市に生まれ、5歳の頃からピアノを始め、高校時代にはロックに傾倒した後、オーストラリア・シドニー大学音楽院に学び、当地の名ジャズ・ピアニスト、マイク・ノックに師事し多大な影響を受けた。2005年に初アルバム『Open the Green Door』を発表。2009年にピアノ・トリオである Trisoniqueを、杉本智和

(ベース)、大槻”KALTA”英宣(ドラムス) と共に結成。2011年にはユニバーサルミュージック ジャパンの新レーベル「area azzurra」の第1弾作品として『トライソニーク』をリリース、タイトル曲はテレビ東京系全国ネット『美の巨人たち』エンディング・テーマに採用された。キム氏は2012年には日韓合作の映画『道~白磁の人』(高橋伴明監督作品)のエンディング・テーマの作曲と演奏を担当した経歴も持つ。現在は東京に拠点を置き、国内外をツアーで回り、活躍の場を広げている。

img_5239「激しくて、ロマンティック。音が景色になっていく。 時に強く、時に儚く、エレクトリック・サウンドで描かれる圧倒的な音世界」と評価を受けている。

9月3日(土)、デトロイトリバー沿いのハートプラザ公園と、そこからやや離れた街中、合わせて数カ所設置された大小のステージのうち、Trisoniqueはコンクリートで囲まれた石段が客席のステージを会場に1 時間1 5 分に及ぶ演奏を行なった。フェスティバル全体としてはアフリカ系を主とする様々な人種が入り乱れていたが、彼らの演奏では白人のオーディエンスが9割ほどであった。

3人の卓越した技と見事な調和が生み出したパフォーマンスは観客を釘づけ。

img_5229『コートエンジン』という曲では、3人の演奏とは思えないビッグバンドのような重厚な音色を響かせた一方、繊細なメロディーと音色が優しい曲もあり、実に変化自在な演奏を見せてくれた。「ジャッキー・チェンが走り回るような曲」とキム氏が紹介した『ジャッキー・オン・ザ・ラン』の演奏では、音楽に乗せて楽しそうに体を揺する人の姿が多く見られた。ラストソングが終了した途端、惜しみない拍手と喝采が湧いた。日本のグループと知って聞くからか、「和を感じるサウンド」との感想も聞こえた。

img_5243特別インタビュー

演奏後、時間を割いて、弊紙のインタビューに応えていただいた。

― ハクエイ・キム氏 (ピアノ)

うまく合いの手をいれてもらって、温かさとアメリカらしさを感じました。ジャズが文化として根付いているなと思いました。

― 杉本智和氏 (ベース)

楽器はすべて借り物で、音もどう反響するか分からない会場で、良くも悪くも変化が起きました。ジャズ本場のアメリカ、しかも由緒ある硬派なフェスティバルで、緊張しました。

― 大槻 “KALTA” 英宣氏 (ドラムス)

5年までに自分のグループで出場し、その時は別の街中のステージでしたが、人の多さはこれ程では無かった。街の変化を感じました。オーディエンスが優しく有難く、安心でした。

3人共に、スタッフや出会った人々の人の良さを口にし、同イベントで演奏の機会を得た喜びをかみしめていた。また来たい、来れたら嬉しいとも。

T r i s o n i q u e は、2 日後には、「E a s t Meets West」と称されたプログラムのゲストとして出演し、地元デトロイトのアーティスト等と共にジャズセッションを行なった。この日の演奏はダウンタウンの道路を閉鎖して設置されたメインステージが会場。サックス、トランペット、マリンバなどのプレイヤー、そしてシンガーが加わり、高層ビルの谷間に艶やかな音色を反響させた。のメンバーの表情、演奏は前々日より“熱”が高めの印象。即席のジョイント演奏、中でも各々のソロ演奏に息を合わせるために、視線も鋭く、神経を張り巡らせている様子が見られた。スタンダードな演奏となり、「一昨日の方が個性が出ていてのびやかで良かった」との声も聞かれたが、ジャズらしいジャズで、演奏者も聴衆も、この一期一会のパフォーマンスを満喫していることが窺えた。「あらゆる枠を超える“音”を是非みなさんと共有出来るよう願っております」と事前に述べていたキム氏の願いは実現されたようであった。

追加情報

横濱ジャズプロムナードも、市民とミュージシャンが一体となって1993年にスタートして以来、多くの市民ボランティアに支えられ毎年その規模を拡大し、地域の活性化に貢献してきている。今年(2016年)の開催は10月8-9日。

☆T r i s o n i q u e の曲『トライソニーク』 『道~白磁の人』など、iTunesでダウンロードが可能。

☆初のエレクトリック・サウンド『ボーダレス・アワー(A BORDERLESS HOUR)』はamazon.comやBest Buyのオンラインで購入する方法もある。

クランブルックハウス&ガーデン 和菓子&ほうじ茶ワークショップ開催

2020年3月3日(火)、デトロイト郊外ブルーム フィールドヒルズ市にあるクランブ
ルックハウスにて、和菓子作家の杉井ステフェス淑子さんによる和菓子づくりの講習会が行われた。

  今回イベントが行われたクランブルックハウスは、1908年にクランブルックの創設者であるジョージ・ゴウ・ブースとエレン・スクリップス・ブースの住居として建てられたもの。新聞業で財を成した彼らは、この地に教会、教育施設、美術館、科学館などを建設し、現在のクランブルックコミュニティを作りあげた。

 邸宅自体は、デトロイトのフィッシャービルなどの設計で有名な建築家アルバート・カーンにより設計された英国チューダー様式の邸宅で、デトロイト近郊で一般に公開されている最古の邸宅である。ライブラリ、ダイニングルーム、ブースのオリジナルのオフィスのほか、家具や装飾品が残されている。

 今回のイベントは、クランブルックハウス&ガーデンにある日本庭園の再建プロジェクトの一環として、日本の芸術を4回にわたり紹介するレクチャーシリーズの第一回目。当時の美術品、家具がそのまま残されたライブラリルームに40名近くが集まり、日本の和菓子について熱心に耳を傾けた。

 和菓子づくりレクチャーでは、「和菓子は五感の要素を大切にする」ということで、日本人の視覚において季節を感じる心、控えめの甘さや香り、素材の大切さや、和菓子を見て想像力で聞こえる鳥のさえずりなど、生活に彩りを与えてくれる和菓子の良さについて説明し、ちょうどこの日はひなまつりということもあり、あっという間に、桃の花、そして桜、菊の花の生菓子(練り切り)を作り上げた。また、琥珀糖を例に出し、天草(Agar agar)砂糖、水、など材料はアメリカでも入手できるものであると説明した。練り切りも、「白玉粉、水、砂糖、あんは市販のものにすれば手軽にできますよ」と杉井さん。試食には、宝石のように透明感がある琥珀糖を用意し「和菓子でも繊細なつくりの生菓子は茶道でいただくもの、と敷居が高く思われがちですが、気軽に家で作って楽しんでもらいたいです」と話してくださった。杉井さん上梓の「甘くてかわいい、食べられる宝石 琥珀糖のレシピ(池田書店)」には、作って楽しいレシピがたくさん紹介されているので興味のある方はぜひ。Japan News Club Back Number 4月号P.12では、春の和菓子レシピをご紹介)

 和菓子のあとは、滋賀県の甲賀市より朝宮茶のプロモーションのためにミシガン来訪中の茶園、かたぎ古香園、七代目片木隆友氏によるお茶のレクチャーへと続いた。この茶園は、先代の片木明さんが1975年より有機栽培に切り替え、以降これまでずっと完全無農薬で茶園を営まれている数少ない茶農家だという。当日はほうじ茶をその場で煎り、試飲。現地の方もその香りに魅せられていた。現在、こちらの緑茶、ほうじ茶などはミシガン州の日本食材店ワンワールドや、近郊のカフェでも購入可能となっている。詳しくは、www.japannewsclub.comにて。当日購入された収益の一部はクランブルックコレクション研究センターに寄付された。

“夢を生きる:テイラー・アンダーソン物語” 上映される“夢を生きる:テイラー・アンダーソン物語” 上映される

東日本大震災記念行事 EMU(イースタンミシガン大学)で開催

“LIVE YOUR DREAM: The Taylor Anderson Story”

 3月4日、イースタンミシガン大学の学生会館で“夢を生きる:テイラー・アンダーソン物語”の上映会が催された。上映会は同大学とJETAA(JETアラムナイ:同窓会)により実現した。JETは「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略称で、東日本大震災の犠牲になったテイラー・アンダーソンさん(当時24歳) は、このJETプログラムの英語指導助手として、2008年8月から2011年3月11日に起きた東日本大震災の津波で亡くなるまで、宮城県石巻市に赴任していた。地震発生時には小学校で勤務しており、彼女は校庭に避難した子どもたちを保護者に引き渡した後、自転車で帰宅。その後津波に巻き込まれ、還らぬ人となった。

 映画“夢を生きる”は、テイラー・アンダーソンという人物とその生涯、そして日本とアメリカの架け橋となったことが描かれたドキュメンタリー映画で、監督とアンダーソン一家によってこの作品は、世界中の数々の上映会で発表されてきた。

 この日の上映会には、監督のライフ氏、テイラー・アンダーソンさんの父親、そしてもう一人のJET教師で陸前高田にて犠牲者となったモンティ・ディクソンさんの家族が招かれ、上映後には追悼の公開談話が行われた。

 同大学の人文科学学部長の学長は開会の辞で、「大事なメッセージが伝わることだろう。」「我々の責任は東北で起きたことを決して忘れないこと。今夜視聴した後、少なくとも一人に話をして欲しい。」と話した。

 映画の冒頭はテイラーさんの幼少期からの写真、そして家族や友人のインタビューを通して、彼女が前向きで明るく、人々に元気を与える性格で、子どもの頃から日本への強い興味があり、JETでの日本行は長年の夢であったことが分かるものであった。中盤は日本の勤務地でのJETの仲間たちや日本人教師がいかにテイラーさんが日本での暮らしを謳歌し、熱心に指導にあたっていたかを語り伝えた。そして3月11日の震災。津波が町を襲う映像が映し出される。早朝ヴァージニア州の両親に津波のニュースは届いた。「日本で大地震発生」。テイラーさんの携帯電話には何度かけても通じず安否確認が掴めない。 10 日あまりが過ぎ、駐日米国大使館から訃報が届いた。父親とテイラーさんの恋人が日本に渡り、遺体を確認した。

 石巻での生活を愛していたテイラーさんは、2011年8月にはアメリカへ帰国を予定していたが、その後も日本と関わり続けたいと願っていた。遺族は彼女の夢であったアメリカと日本の架け橋になるという想いを引継ぎ、石巻と東北地方の学生や学校、その家族の復興援助を目的として『テーラー・アンダーソンメモリアル基金』を立ち上げた。その一つである

 『テイラー文庫』は、テイラーさんが愛読していた本を、本棚と一緒に寄贈するというもので、贈与が実現した折には家族揃って石巻を訪れた。母親は語る、「娘は他人を優先する子だった。その夢を叶えなくては。」と。

 上映後、片岡総領事が壇上で、心を動かされると同時に勇気を与えられる映画であると感想を述べた。また、両親の強さに感銘し、この場で会えたことが嬉しいと伝えた。遺志は生き続け、文庫と寄付は二国の絆を強固なものにしていると語った。加えて、東日本大震災後のミシガンの人々からの寄付や励ましに対する感謝の意も伝えられた。

 談話と質問応答では、まずテイラーさんの父親が「皆さんの心の中に留まってくれれば嬉しい。」「JETで日本へ行くことは娘がしたかったこと。人の役に立ちたいという娘の想いを引き継いで活動していきたい。」と話した。観客からは映画の内容についての称賛と、家族が制作に協力し、さらに当地を訪れてくれたことへの感謝の言葉が続いた。「ストーリーを分かち合ってくれただけでなく、強い生き方を示してくれた。」という声もあり、「やりたいことを選ぶ。」と心を定め、JETプラグラム参加の気持ちを強くした学生もいた。

 イベントに参加した誰もが、夢に生きたテイラーさんのストーリーに心を動かされ、そして娘の愛した日本のために活動しているご両親と家族に対して敬服の念で一杯になったことであろう。

テイラー・アンダーソン記念基金のホームページ(日米両国語)

www.taylorandersonmemorialfund.org

東日本大震災記念行事 EMU(イースタンミシガン大学)で開催

“LIVE YOUR DREAM: The Taylor Anderson Story”

 3月4日、イースタンミシガン大学の学生会館で“夢を生きる:テイラー・アンダーソン物語”の上映会が催された。上映会は同大学とJETAA(JETアラムナイ:同窓会)により実現した。JETは「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略称で、東日本大震災の犠牲になったテイラー・アンダーソンさん(当時24歳) は、このJETプログラムの英語指導助手として、2008年8月から2011年3月11日に起きた東日本大震災の津波で亡くなるまで、宮城県石巻市に赴任していた。地震発生時には小学校で勤務しており、彼女は校庭に避難した子どもたちを保護者に引き渡した後、自転車で帰宅。その後津波に巻き込まれ、還らぬ人となった。

 映画“夢を生きる”は、テイラー・アンダーソンという人物とその生涯、そして日本とアメリカの架け橋となったことが描かれたドキュメンタリー映画で、監督とアンダーソン一家によってこの作品は、世界中の数々の上映会で発表されてきた。

 この日の上映会には、監督のライフ氏、テイラー・アンダーソンさんの父親、そしてもう一人のJET教師で陸前高田にて犠牲者となったモンティ・ディクソンさんの家族が招かれ、上映後には追悼の公開談話が行われた。

 同大学の人文科学学部長の学長は開会の辞で、「大事なメッセージが伝わることだろう。」「我々の責任は東北で起きたことを決して忘れないこと。今夜視聴した後、少なくとも一人に話をして欲しい。」と話した。

 映画の冒頭はテイラーさんの幼少期からの写真、そして家族や友人のインタビューを通して、彼女が前向きで明るく、人々に元気を与える性格で、子どもの頃から日本への強い興味があり、JETでの日本行は長年の夢であったことが分かるものであった。中盤は日本の勤務地でのJETの仲間たちや日本人教師がいかにテイラーさんが日本での暮らしを謳歌し、熱心に指導にあたっていたかを語り伝えた。そして3月11日の震災。津波が町を襲う映像が映し出される。早朝ヴァージニア州の両親に津波のニュースは届いた。「日本で大地震発生」。テイラーさんの携帯電話には何度かけても通じず安否確認が掴めない。 10 日あまりが過ぎ、駐日米国大使館から訃報が届いた。父親とテイラーさんの恋人が日本に渡り、遺体を確認した。

 石巻での生活を愛していたテイラーさんは、2011年8月にはアメリカへ帰国を予定していたが、その後も日本と関わり続けたいと願っていた。遺族は彼女の夢であったアメリカと日本の架け橋になるという想いを引継ぎ、石巻と東北地方の学生や学校、その家族の復興援助を目的として『テーラー・アンダーソンメモリアル基金』を立ち上げた。その一つである

 『テイラー文庫』は、テイラーさんが愛読していた本を、本棚と一緒に寄贈するというもので、贈与が実現した折には家族揃って石巻を訪れた。母親は語る、「娘は他人を優先する子だった。その夢を叶えなくては。」と。

 上映後、片岡総領事が壇上で、心を動かされると同時に勇気を与えられる映画であると感想を述べた。また、両親の強さに感銘し、この場で会えたことが嬉しいと伝えた。遺志は生き続け、文庫と寄付は二国の絆を強固なものにしていると語った。加えて、東日本大震災後のミシガンの人々からの寄付や励ましに対する感謝の意も伝えられた。

 談話と質問応答では、まずテイラーさんの父親が「皆さんの心の中に留まってくれれば嬉しい。」「JETで日本へ行くことは娘がしたかったこと。人の役に立ちたいという娘の想いを引き継いで活動していきたい。」と話した。観客からは映画の内容についての称賛と、家族が制作に協力し、さらに当地を訪れてくれたことへの感謝の言葉が続いた。「ストーリーを分かち合ってくれただけでなく、強い生き方を示してくれた。」という声もあり、「やりたいことを選ぶ。」と心を定め、JETプラグラム参加の気持ちを強くした学生もいた。

 イベントに参加した誰もが、夢に生きたテイラーさんのストーリーに心を動かされ、そして娘の愛した日本のために活動しているご両親と家族に対して敬服の念で一杯になったことであろう。

テイラー・アンダーソン記念基金のホームページ(日米両国語)

www.taylorandersonmemorialfund.org

滋賀県、近江の茶をPR ~Omi Tea Expo

滋賀県、近江の茶をPR ~Omi Tea Expo 4

IMG_4740滋賀県の茶業者が11月3日(金)、リボニア市のホテル(Hyatt Place)を会場にして茶商談会を開催した。滋賀県の6茶業者が参加し、デトロイト周辺地域の食に関わる事業者に対して滋賀県が誇る近江の茶の商品を披露・紹介した。

近江牛や近江米には聞きなれている読者が多いと思われるが、それらの名産に加えて、滋賀県は茶の一大産地でもある。近江地域での茶づくりは1200年前に始まったと伝えられており、日本茶の発祥地という説がある。この地域の気候と自然豊かな土地は高級な茶の栽培に最適であるとのこと。

茶業者一団による近江の茶の海外でのPRイベントは初めてだそうで、この日の茶商談会では、茶葉や粉末など一般的な煎茶はもとより、お茶入りのクッキーや、日本国内でも珍しい茶商品なども並んだ。スティック状の粉末ほうじ茶や、蜜を加えてある『糖蜜ほうじ:焙じ茶ラテシロップ』など、ほうじ茶関連のものがいくつもあったが、提供した業者によれば、試飲した人々の反応はかなり良く手ごたえを感じたとのこと。焙煎によって苦味成分のタンニン(カテキンなど)が壊れて渋味や苦味が抑えられ、香ばしさもあるので、海外に浸透しやすそうである。また、焙煎による熱でカフェインが減るので、カフェインを控えている人たちにも受けそう。日本でもほうじ茶の人気が高まっているそうだが、アメリカでヒットしそうな気がする。

IMG_4741粉末タイプを海外用に持参してきた業者が多かったが、携帯の手軽さや淹れ方の簡単さゆえかと思いきや、そればかりではなく、体に良い成分を丸ごと取り入れられる特長を説かれた。茶葉で淹れた場合は茶殻に70%ほどの栄養成分が残るとのこと。日本国内に比べ茶葉が高価で貴重な海外では、ことさら考えを改めたくなる情報であった。

IMG_5173商談会には、ロイヤルオークスやバーミングハムのティー専門店、また、大型スーパーマーケットKrogerやBusch’sの関係者も来訪。スターバックスでもグリーンティーが頂けるようになった日本茶ブームに乗って、フレーバーグリーンティーではなく、本格的な近江の茶をはじめ、様々なお茶の商品がポピュラーになる日がくることを期待したい。

滋賀県はミシガン州と姉妹県州提携を結んで来年50年を迎える。県州レベルの交流は活発で、ミシガン州内と滋賀県の市町間の姉妹提携も多数ある。州都ランシングに常駐の職員を派遣しているほど。

IMG_4737今回の商談会はデトロイト美術館の日本ギャラリーオープニングに合わせた日程で、滋賀県は、ギャラリーオープニングの祝賀晩さん会で近江米と信楽焼の茶碗を準備、一般公開のオープニングイベント中には滋賀県紹介のブースを設置したほか、前術の茶業者が協力して近江の煎茶の試飲や淹れ方指南を提供した。日本茶インストラクターが淹れたお茶は香気高く味良く、大勢の人が楽しんでいた。

ミシガン雫の会による東日本大震災の支援活動ミシガン雫の会による東日本大震災の支援活動

<!--:en-->ミシガン雫の会による東日本大震災の支援活動<!--:--><!--:ja-->ミシガン雫の会による東日本大震災の支援活動<!--:--> 3

  震災3周年直前の3月9日(日)にNPOミシガン雫の会(以下、雫の会)の主催による「雫の一滴『東北・ミシガン交流レポート』〜世界のみんなが元気になるように〜」と題した企画がひのきインターナショナルスクールを会場にして開催された。

  雫の会は、2009年の10月から月1回、中学生を対象として「よく遊び、よく学ぶ会」を開催したのが活動の始まりで、子どもだけでなく地域に住む人々がより広い視野をもって、楽しく有意義に生活できることを目標に、多様な活動やイベントを行なっている。

  この日は雪の残る日曜日にも関わらず、中高生を含む35名以上の参加が集まった。東北でボランティア活動をしてきたミシガン在住の高校生二人によるの体験レポート、雫の会スタッフの武藤さんによる募金活動の報告と支援先団体からのお礼のメッセージの発表、さらに、ドキュメンタリー映画監督の椎木さんによる福島の子ども達のビデオや震災後に作られたアニメーション上映が行われた。参加者は、ミシガンでは知ることが難しい東北の現場の声や様子を少しでも多く理解吸収しようとするかのように、終始、発言に耳を傾け、映像に見入っていた。

  冒頭で雫の会のジョンソンさんより、震災に関する雫の会としてのこれまでの活動経緯が説明された。同会では3年前の震災後に当地でできる支援は何かと考え、まず、実際に当地からボランティアに行った人を招いで話を聴く会を催した。その発表者の一人であった三上氏の知人を通して東北のNPO団体と繋がりができ、雫の会のメンバー神保さんが2011年夏に震災ボランティアのリサーチに回った。ちなみに、その報告は雫の会のサイト(*文末に記載)に載っており、本紙にも掲載させていただいた。

  そして神保さんの訪問先や情報をもとに、当地の日本人高校生二人が昨年(2013年)の夏、それぞれボランティア活動に参加。今回はその発表を行うことになった。

  各発表の詳細は後述するが、4人それぞれが異なった角度から福島の現状を伝え、傾聴者からは意識を改めたという声やボランティアへの関心を深めたという声が寄せられた。震災後の東北と自分たちのあり方に新たな視点を与えてくれるきっかけになれば、との思いで企画されたイベントは、今後の活動にたいする意欲を高める役割を確実に果たしたといえる。

  発表の後には、3月29日にミシガン大学JSA(日本学生会)主催で開かれる日本文化祭の会場で同会が東北支援プロジェクトのために実施するバザーの品を仕分けする作業が行われた。「何ができるかを考えよう。忘れずに続けよう」という主催者と発表者の熱い思いが伝わり、行動することの大事さを痛感したイベントであった。

ミシガン雫の会のホームページ

https://sites.google.com/site/shizukunokai/

発表要約

1.2013年夏に東北で復興ポランティアに参加した高校生 畠君と安達君の体験レポート

畠駿介君 ~ 7月中旬 両親と共に仙台市

ボランティア(2種類の)内容と周辺の状況

① Re Roots:農家の支援(仙台市若林区)

  • 作業は、大豆畑に残っている瓦礫(雨が降るたびに、ガラス、瓦、ゴミなどが地面に浮き上がる)の除去。瓦礫の仕分け作業。
  • 作業した若林区荒浜地区は集落のすべてが津波で流され、多くの死者、不明者を出した。未だに家屋の土台のみが残り、見渡す限り廃墟のままだった。

② 仙台ドッグウッド:被災した犬や猫の保護センター

  • 飼い主がいなくなったり、飼い主が手元で飼えない状況にある犬猫の世話(散歩、食事、糞の始末)をしている団体の手伝い。
  • 専属スタッフもいるがボランティア不足が現在も続いている状態。

安達大晃君 ~ 6月に一人で約1週間 宮城県石巻

○ 東京国分寺に事務所を置くNPO“SOLA” (http://solailo.jp/)

石巻と南三陸に拠点を持ち東北支援を継続しているNPO

仮設住宅のサポートプログラム(子供の世話)、南三陸の児童館での活動

  • 勉強の手伝い、鬼ごっこ、花壇に花植えなど、遊び相手、専門のスタッフがボランティア活動を支える。

付近の様子

  • 近くにあるかつての防災対策庁舎: 海岸から800m離れているにも拘らず、3階建ての頑丈な建物の鉄骨のみが残っている状態。震災時、最期まで放送で避難を呼びかけた職員が亡くなった。
  • 大川小学校(南三陸町):児童の70%、教員は11人中10人が死亡または行方不明になった。

二人の感想

  • 自分はこういう被害に遭ったことがなく、災害の怖さを初めて知った。
  • 実際に行って、ボランティア不足だと実感した。・2年以上経っても未だ復興していない、被害のスケールに驚いた。

この日の傾聴者からの「なぜ行ったのか」との質問に対して、安達君は「僕に何ができるのか確かめたかった」と答えた。それを受けて畠君は「役立てると分かり、意味があると感じた」と語った。二人とも、またボランティアのために行くつもりだという。

ボランティアの見つけ方、準備

前述したように、安達君は雫の会メンバーが訪問したルートを辿った。畠君家族はインターネットで検索して、アメリカから連絡をしてから日本へ行った。事前に天災の保障のあるボランティア保険に加入する必要があるとのこと。

2.雫の会のメンバーである武藤育美さんより、原発作業員をサポートする活動について

○福島の原発作業員のための支援・募金活動

  • 福島の団体「アプリシエイトフクシマワーカーズ(Appreciate Fukushima Workers:

AFW)」によって、過酷な寒さの中で廃炉作業に従事している作業員を支援するための募金活動にアメリカから協力。11月から3月までの間に、防寒用品(機能性インナーやカイロ)を届けられた。この募金活動には、作業員の方を応援している意思や感謝とねぎらいを届ける意味もある。

  • 多くの方のご協力により募金は総額1500ドル集まり、今後、AFWの口座に振り込まれる予定。

AFW代表の吉川氏から届いた御礼に記された原発周辺の人々の状況と支援内容

  • 復旧・廃炉作業は過酷である上、避難生活も厳しい。また、作業員と他の住人との軋轢が生じてトラブルが頻発するようになっている。
  • 中央(東京)の豊かさを地方へ押し付けた結果であり、見過ごされてはならない。
  • AFWは作業員への支援だけが目的では無く、被災地(産業が壊滅)全体の本当の復興支援を目指している。地元産業復興へ向けて、広野町と共にオリーブ栽培をスタートした。
  • AFWの支援は被災地と外を結ぶ活動でもある。

3.福島のドキュメンタリー映画を作成中の椎木透子さんによる話とビデオ上映 

  ドキュメンタリー映画を制作するために自ら福島を訪れ、避難体験を持つ中学生へのインタビューを行なった際の録画と、和太鼓グループの演奏風景ビデオ、そして「レインボードラゴン」という自作アニメーション、3本が上映された。

  「レインボードラゴン」は、震災の翌年スタートした「ドラゴン・プロジェクト for 東北ジャパン」という支援活動で出来上がった共同ドラゴン作品を日本(南相馬)で展示した際に上映したアニメーションで、海外から何かできないかと思う人の想いが膨らんでドラゴンが生まれ、たくさんのドラゴンが一匹の虹色のドラゴンになり、日本へ辿り着くというストーリー。http://vimeo.com/tokoshiiki/dragon

取材で出合った中学生について

  「かわいそうと言われたくない」という中学生。ここ(福島)で生きると決めて精一杯過ごしている人がいる。大変な面や辛い人のことがニュースで多く伝わるが、出合った人々の元気さ、前向きな言葉を伝えたいと思うようになったと椎木さんは語る。

原町第一中学校(南相馬市立)吹奏楽部員の言動

  • この地域の人々は、原発事故直後に避難させられて、一ヶ月半程して他の避難先の学校で4月後半から授業を始めた。部活はスペースを分け合って行った。
  • 先生が、部員皆の『コンクールに出たい』という無言の想いを察し、『やっぱり出ようか?』と聞いたところ、『出たいです!頑張ります!』と言われた。『こんな練習では出ても…』と思いつつも、その想いをくみ取って出る事に決め、練習出来るスペースもろくにない中、余震が頻発する中で精一杯練習し、最優秀賞を受賞するに至った。
  • 中学生から海外の人へのメッセージとして、「一回見にきて! かわいそうと言わせない!」「何処にいても、いつも一緒にいる人を大切にして。バラバラになる前に気持ちを伝えて」など、前向きで逞しい言葉が続いた。

  震災3周年直前の3月9日(日)にNPOミシガン雫の会(以下、雫の会)の主催による「雫の一滴『東北・ミシガン交流レポート』〜世界のみんなが元気になるように〜」と題した企画がひのきインターナショナルスクールを会場にして開催された。

  雫の会は、2009年の10月から月1回、中学生を対象として「よく遊び、よく学ぶ会」を開催したのが活動の始まりで、子どもだけでなく地域に住む人々がより広い視野をもって、楽しく有意義に生活できることを目標に、多様な活動やイベントを行なっている。

  この日は雪の残る日曜日にも関わらず、中高生を含む35名以上の参加が集まった。東北でボランティア活動をしてきたミシガン在住の高校生二人によるの体験レポート、雫の会スタッフの武藤さんによる募金活動の報告と支援先団体からのお礼のメッセージの発表、さらに、ドキュメンタリー映画監督の椎木さんによる福島の子ども達のビデオや震災後に作られたアニメーション上映が行われた。参加者は、ミシガンでは知ることが難しい東北の現場の声や様子を少しでも多く理解吸収しようとするかのように、終始、発言に耳を傾け、映像に見入っていた。

  冒頭で雫の会のジョンソンさんより、震災に関する雫の会としてのこれまでの活動経緯が説明された。同会では3年前の震災後に当地でできる支援は何かと考え、まず、実際に当地からボランティアに行った人を招いで話を聴く会を催した。その発表者の一人であった三上氏の知人を通して東北のNPO団体と繋がりができ、雫の会のメンバー神保さんが2011年夏に震災ボランティアのリサーチに回った。ちなみに、その報告は雫の会のサイト(*文末に記載)に載っており、本紙にも掲載させていただいた。

  そして神保さんの訪問先や情報をもとに、当地の日本人高校生二人が昨年(2013年)の夏、それぞれボランティア活動に参加。今回はその発表を行うことになった。

  各発表の詳細は後述するが、4人それぞれが異なった角度から福島の現状を伝え、傾聴者からは意識を改めたという声やボランティアへの関心を深めたという声が寄せられた。震災後の東北と自分たちのあり方に新たな視点を与えてくれるきっかけになれば、との思いで企画されたイベントは、今後の活動にたいする意欲を高める役割を確実に果たしたといえる。

  発表の後には、3月29日にミシガン大学JSA(日本学生会)主催で開かれる日本文化祭の会場で同会が東北支援プロジェクトのために実施するバザーの品を仕分けする作業が行われた。「何ができるかを考えよう。忘れずに続けよう」という主催者と発表者の熱い思いが伝わり、行動することの大事さを痛感したイベントであった。

ミシガン雫の会のホームページ

https://sites.google.com/site/shizukunokai/

発表要約

1.2013年夏に東北で復興ポランティアに参加した高校生 畠君と安達君の体験レポート

畠駿介君 ~ 7月中旬 両親と共に仙台市

ボランティア(2種類の)内容と周辺の状況

① Re Roots:農家の支援(仙台市若林区)

  • 作業は、大豆畑に残っている瓦礫(雨が降るたびに、ガラス、瓦、ゴミなどが地面に浮き上がる)の除去。瓦礫の仕分け作業。
  • 作業した若林区荒浜地区は集落のすべてが津波で流され、多くの死者、不明者を出した。未だに家屋の土台のみが残り、見渡す限り廃墟のままだった。

② 仙台ドッグウッド:被災した犬や猫の保護センター

  • 飼い主がいなくなったり、飼い主が手元で飼えない状況にある犬猫の世話(散歩、食事、糞の始末)をしている団体の手伝い。
  • 専属スタッフもいるがボランティア不足が現在も続いている状態。

安達大晃君 ~ 6月に一人で約1週間 宮城県石巻

○ 東京国分寺に事務所を置くNPO“SOLA” (http://solailo.jp/)

石巻と南三陸に拠点を持ち東北支援を継続しているNPO

仮設住宅のサポートプログラム(子供の世話)、南三陸の児童館での活動

  • 勉強の手伝い、鬼ごっこ、花壇に花植えなど、遊び相手、専門のスタッフがボランティア活動を支える。

付近の様子

  • 近くにあるかつての防災対策庁舎: 海岸から800m離れているにも拘らず、3階建ての頑丈な建物の鉄骨のみが残っている状態。震災時、最期まで放送で避難を呼びかけた職員が亡くなった。
  • 大川小学校(南三陸町):児童の70%、教員は11人中10人が死亡または行方不明になった。

二人の感想

  • 自分はこういう被害に遭ったことがなく、災害の怖さを初めて知った。
  • 実際に行って、ボランティア不足だと実感した。・2年以上経っても未だ復興していない、被害のスケールに驚いた。

この日の傾聴者からの「なぜ行ったのか」との質問に対して、安達君は「僕に何ができるのか確かめたかった」と答えた。それを受けて畠君は「役立てると分かり、意味があると感じた」と語った。二人とも、またボランティアのために行くつもりだという。

ボランティアの見つけ方、準備

前述したように、安達君は雫の会メンバーが訪問したルートを辿った。畠君家族はインターネットで検索して、アメリカから連絡をしてから日本へ行った。事前に天災の保障のあるボランティア保険に加入する必要があるとのこと。

2.雫の会のメンバーである武藤育美さんより、原発作業員をサポートする活動について

○福島の原発作業員のための支援・募金活動

  • 福島の団体「アプリシエイトフクシマワーカーズ(Appreciate Fukushima Workers:

AFW)」によって、過酷な寒さの中で廃炉作業に従事している作業員を支援するための募金活動にアメリカから協力。11月から3月までの間に、防寒用品(機能性インナーやカイロ)を届けられた。この募金活動には、作業員の方を応援している意思や感謝とねぎらいを届ける意味もある。

  • 多くの方のご協力により募金は総額1500ドル集まり、今後、AFWの口座に振り込まれる予定。

AFW代表の吉川氏から届いた御礼に記された原発周辺の人々の状況と支援内容

  • 復旧・廃炉作業は過酷である上、避難生活も厳しい。また、作業員と他の住人との軋轢が生じてトラブルが頻発するようになっている。
  • 中央(東京)の豊かさを地方へ押し付けた結果であり、見過ごされてはならない。
  • AFWは作業員への支援だけが目的では無く、被災地(産業が壊滅)全体の本当の復興支援を目指している。地元産業復興へ向けて、広野町と共にオリーブ栽培をスタートした。
  • AFWの支援は被災地と外を結ぶ活動でもある。

3.福島のドキュメンタリー映画を作成中の椎木透子さんによる話とビデオ上映 

  ドキュメンタリー映画を制作するために自ら福島を訪れ、避難体験を持つ中学生へのインタビューを行なった際の録画と、和太鼓グループの演奏風景ビデオ、そして「レインボードラゴン」という自作アニメーション、3本が上映された。

  「レインボードラゴン」は、震災の翌年スタートした「ドラゴン・プロジェクト for 東北ジャパン」という支援活動で出来上がった共同ドラゴン作品を日本(南相馬)で展示した際に上映したアニメーションで、海外から何かできないかと思う人の想いが膨らんでドラゴンが生まれ、たくさんのドラゴンが一匹の虹色のドラゴンになり、日本へ辿り着くというストーリー。http://vimeo.com/tokoshiiki/dragon

取材で出合った中学生について

  「かわいそうと言われたくない」という中学生。ここ(福島)で生きると決めて精一杯過ごしている人がいる。大変な面や辛い人のことがニュースで多く伝わるが、出合った人々の元気さ、前向きな言葉を伝えたいと思うようになったと椎木さんは語る。

原町第一中学校(南相馬市立)吹奏楽部員の言動

  • この地域の人々は、原発事故直後に避難させられて、一ヶ月半程して他の避難先の学校で4月後半から授業を始めた。部活はスペースを分け合って行った。
  • 先生が、部員皆の『コンクールに出たい』という無言の想いを察し、『やっぱり出ようか?』と聞いたところ、『出たいです!頑張ります!』と言われた。『こんな練習では出ても…』と思いつつも、その想いをくみ取って出る事に決め、練習出来るスペースもろくにない中、余震が頻発する中で精一杯練習し、最優秀賞を受賞するに至った。
  • 中学生から海外の人へのメッセージとして、「一回見にきて! かわいそうと言わせない!」「何処にいても、いつも一緒にいる人を大切にして。バラバラになる前に気持ちを伝えて」など、前向きで逞しい言葉が続いた。

5月のAsian Pacific American Heritage Month:アジア系アメリカ人月間を祝して


デトロイト美術館でアジアイベント

  日本では子供の日に当たる5月5日に、アジア月間を祝う文化紹介とパフォーマンスショーがデトロイト美術館のグループの一つFriends of Asian Arts and Culturesの協力によって催された。 

祖国から遠く離れ、人によっては幾世代かを経ていながらも、伝統の文化にいそしむ人の多さ、そして、それを指導する人々が存在することが貴い。

同美術館が誇る広間、リベラコートで繰り広げられたパフォーマンスでは、中国、韓国、日本、台湾、ベトナム、インドの他、ポリネシアンなどの踊りが年代順に組まれ、それぞれの衣装や音楽、楽器に独自の民族色が満ち溢れ、カラフルかつバラエティー豊かなステージが生まれていた。

  ようやく陽気が良くなった時期とあって多数の観客が訪れ、アジアの伝統のユニークさに触れた。パフォーマンス後には称賛の声が飛び交い、美しい衣装を纏ったパフォーマーに記念撮影を乞う多くの人の姿が見られた。パフォーマー同志も励ましや称賛の声をかけあい、貴重な交流の場になっていた。


Splendor of the East 踊りと音楽の祭典

アジア系アメリカ人月間の5月には例年、全米各地で様々な文化や経済のイベントが開かれている。そのひとつとしてメトロデトロイト地区では、当地最大のアジア系文化団体であるCAPA(Council of Asian Pacific American)の主催による‘Splendor of the East:東洋の素晴らしさ’という名称の、踊りと音楽の祭典が恒例で行なわれている。月間の祝賀と民族の交流、そして地元の人々にアジアの文化を紹介する場になっている。

  今年の‘Splendor of the East’は5月12日(土)に例年同様ディアボーン市にあるパフォーマンスセンターで開催された。昨年までここ数年は応募の中からオーディションに通ったグループが出演していたが、今年は“BATTLE OF THE STARS”と銘打ち、1位には1000ドルのビッグな懸賞を贈るタレントショー形式で実施。応募者や内容に関してアジア系に限ることなく公募し、ビデオ選考、そして、ライブオーディションに残った十数の個人やグループがファイナリストとして当日のバトルでパフォーマンスを競った。

  ライブオーディションには全員参加が条件であったためか、ソロ(1人)による歌やダンスがファイナリストの半数近くを占めた。衣装や演目に民族色の無いものもあり、昨年までのアジア系の音楽・踊りの祭典要素、民族衣装のきらびやかさには欠けた感があったが、若者が多く、これまでになるバイタリティ溢れる催しとなった。民族衣装を纏っての、中国、インド系の集団の踊りが豪華さを与えていた。

  バトルの枠外、カルチャーグループとして、ベトナムのダンスやハワイアンなど、いくつかのパフォーマンスが民族色を添えていた。日本の顔としてパフォーマンスグループSakuraがヨサコイ風アレンジの軽快な踊りと音楽を披露。今回、唯一の楽器演奏となった篠笛や金の音が加わり、お祭り感の溢れる演目であった。

  審査員と会場投票の結果、優勝は民族カラーも濃いダンスを踊った少女。2位はソロのラッパー、3位もソロのダンスという結果となった。フィナーレの後の表彰式で、JBSD(日本商工会)Fundを含むスポンサー代表やCAPAの役員たちから賞金が手渡された。

  祭典の前にはGala(祝宴)が盛大に催され、スポンサーに対するアワードの授与のほか、会食中にはユース・パフォーマンスが組まれた。日本の代表として森みゆきさんとDream Singersがハッピ姿も可愛く、溌剌と歌と踊りを届けた。

  CAPAはアジア・パシフィック系アメリカ人と地域社会を文化・教育・コミュニティーサービスを通して結びつけることをミッションとして掲げ、学習会やサミットなどの集会開催や奨学金提供などを推進している。このSplendor of the Eastは毎年5月の一大イベントとして定着している。今年はバトル形式を取り入れたが、今後の方向が気になるところ。CAPAの趣旨に協賛・支援しようという人はアジア系アメリカ人に限らず誰でもCAPAの会員になることが出来る。www.capa-mi.org

男声合唱団ホワイトパイン・グリークラブ主催第19回 スプリング・ファミリー・コンサート

男声合唱団ホワイトパイン・グリークラブ主催第19回 スプリング・ファミリー・コンサート 2

IMG_25256月4日(日)、ホワイトパイン・グリークラブ(以下WPGC)の第19回“スプリング・ファミリー・コンサート”が、昨年同様Faith Covenant Church(Farmington Hills, MI)で催された。

デトロイト地区で活動するWPGCは主に日本人ビジネスマンで構成されている男声合唱団で、コミュニティやビジネス関連のイベントに出演するなど、歌を通して文化紹介や日米交流も行なっている。例年、春と冬に定期コンサートを開き、歌声を届けている。

IMG_2502今回は客演にJSDウィメンズクラブのコーラス同好会である「トリリアム」と、混声合唱グループ「音もだち(otomodachi)」を迎え、バラエティー溢れるプログラム構成となった。

第1ステージはトリリアムの穏やかな歌声による「浜辺の歌」で幕開け。大正7年に作られ、戦後の音楽教材となり、現代も親しまれている愛唱歌が多くの観客に日本の情景を思い浮かばせたことであろう。わらべ歌「ほたるこい」の輪唱バージョン、そしてオペラ‟ファウスト”より「宝石の歌」、奴隷制度が廃止されても厳しい生活を強いられた人たちを描いたオペラ‟ポーギー・アンド・べス”より「サマータイム」の他、ゴスペルも披露した。時に母のように慈愛に満ち、時に華やかに、時に切なく・・・、女性ならではの豊かな表情と声で歌い上げた。

IMG_2528第2ステージは「音もだち(otomodachi)」‟ユタと不思議な仲間たち”の劇中歌として作曲されのちに合唱曲として編曲された「友だちはいいもんだ」を皮切りに、バッハの作品の中で最高峰に位置するといわれる「ミサ曲ロ短調」より、冒頭のKyrieと最終局のDona nobis pacemなどを選曲。男声と女声による幅広い音域と音色が織りなす深みのある歌声が会場に満ちた。

IMG_2550最終ステージ。満を持してWPGCが舞台に上がり、まず、日本を代表するシンの登場。WPGC、トリリアムのメンバーも含んでおり、より難しいことに挑戦したい人々が集まっただけあり、難易度の高い曲に取り組んでいる。今回はミュージカルガーソングライター中島みゆき作詞作曲の「糸」を重厚なハーモニーで届けた。そして、アメリカ映画「ローズ」の主題歌であり近年日本のドラマの主題歌にも使われた「The Rose」、1965年初演のブロードウェイミュージカル「ラ・マンチャの男」の主題歌などポピュラーな曲に続いて、合唱組曲「新しい歌」の5曲の内、3曲を披露した。合唱曲は概して合唱経験者のみに親しまれているものも多いが、この組曲の詩は、まど・みちお、谷川俊太郎によるもので、リズム感のあることばやシンプルさで、初めて聴く人にもなじみ易い。頭や体を動かしてリズムを取りながら聴いている人が少なくなかった。

Trillium「日本の愛唱歌を聴くと胸がジーンとする」「讃美歌が好きなので、それが多くて良かった」「知らなかった良い曲を聴けて面白かった」など、観客の曲の好みや感想は様々であったが、「すてきな歌声に癒された。贅沢な時間」「いろいろな曲に触れられて楽しかった。何度もコンサートに来ているが、毎回新しい曲が何曲もあって感心する」など、感謝や称賛の声が集まった。今回逃した方は次回是非!