Thursday, June 20, 2024

JETプログラム参加者 ~ 壮行会

JETプログラム参加者 ~ 壮行会

07_IMG_3565  去る7月31日、平成27度JETプログラム参加者の壮行レセプションが総領事公邸で開催された。在デトロイト総領事館の管轄地域であるミシガン州とオハイオ州からのJET参加者約50名を送り出した。

JETプログラムとは「The Japan Exchange and Teaching Programme」の略称で、総務省、外務省、文部科学省及び財団法人自治体国際化協会(CLAIR)の協力の下、地方公共団体が主体となり実施している国際交流事業。

1987年に4か国からの848名の参加で始まり、統計では、平成25年までに6万人に近い数の人々が本事業により訪日、その内の半数である3万人が米国からの参加者だという。JET参加者は言語指導員(ALT)、国際交流員(CIR)、そしてスポーツ交流員(SEA)3つの職種に分かれており、北米からは主にALTとCIRとして派遣される。派遣先は、要請を出した地方公共団体の何処かで、大都市から地方の中小都市、農村漁村に至るまで全国津々浦々。参加者の希望により1年から3年の滞在となる。

この日の歓送レセプションでは片山総領事より、「個々の振る舞いは“アメリカ人”として評価される。アメリカ人の代表であり行使なのだという意識をもつように」との忠告を伝えた。ご自身が外交官として諸国に勤務した経験に照らして、その国の人々と日々交わり、文化歴史・伝統に直接触れる経験は何物にも代えがたく、人生を豊かにしてくれたと述懐。ヘミングウェイの「どこで過ごそうともパリはついてくる」の言葉を引用し、経験は必ず糧になると伝え、猛暑日が続く日本に飛び立つ若者たちに、「実り多い日々になるように」とエールを贈った。

また、JET経験者であり、ミシガン地区のJETアルミニ(同窓会)の代表者からは、日本の“先生”はこことは異なることを示唆。友人、同僚、隣人、JETメンバーと接点を持ち連絡を取りづづける大切さを述べた。「百聞は一見に如かず」、多くの経験をすることを強く勧めた。特にお祭りは地域を理解し絆を深めるのに非常に有意義なので極力足を運ぶように、また伝統文化を習うことも奨励した。

数日後の日本のニュースで、4年半前の東日本大震災で尊い命をなくしたJET参加者テイラー・アンダーソンの弟さんが8月3日の東京でのオリエンテーションに参加している姿とコメントが取り上げられた。日本を愛し、言語指導と交流に尽くしていた姉の遺志を受け継ぎたい思いに胸を打たれると同時に、全参加者の覚悟と意欲が窺われた。

異国での任務を決意し国際交流に役立とうという意欲に溢れるJETプログラム参加者らが、日米両国の架け橋として成果を上げることを期待したい。

過去の参加者は、母国に帰った後、単なる日本研究者とは違った知日家、親日家として様々な分野で活躍している。外交官として各国の大使館や総領事館に勤務している人も少なくないそうである。07_IMG_3565  去る7月31日、平成27度JETプログラム参加者の壮行レセプションが総領事公邸で開催された。在デトロイト総領事館の管轄地域であるミシガン州とオハイオ州からのJET参加者約50名を送り出した。

JETプログラムとは「The Japan Exchange and Teaching Programme」の略称で、総務省、外務省、文部科学省及び財団法人自治体国際化協会(CLAIR)の協力の下、地方公共団体が主体となり実施している国際交流事業。

1987年に4か国からの848名の参加で始まり、統計では、平成25年までに6万人に近い数の人々が本事業により訪日、その内の半数である3万人が米国からの参加者だという。JET参加者は言語指導員(ALT)、国際交流員(CIR)、そしてスポーツ交流員(SEA)3つの職種に分かれており、北米からは主にALTとCIRとして派遣される。派遣先は、要請を出した地方公共団体の何処かで、大都市から地方の中小都市、農村漁村に至るまで全国津々浦々。参加者の希望により1年から3年の滞在となる。

この日の歓送レセプションでは片山総領事より、「個々の振る舞いは“アメリカ人”として評価される。アメリカ人の代表であり行使なのだという意識をもつように」との忠告を伝えた。ご自身が外交官として諸国に勤務した経験に照らして、その国の人々と日々交わり、文化歴史・伝統に直接触れる経験は何物にも代えがたく、人生を豊かにしてくれたと述懐。ヘミングウェイの「どこで過ごそうともパリはついてくる」の言葉を引用し、経験は必ず糧になると伝え、猛暑日が続く日本に飛び立つ若者たちに、「実り多い日々になるように」とエールを贈った。

また、JET経験者であり、ミシガン地区のJETアルミニ(同窓会)の代表者からは、日本の“先生”はこことは異なることを示唆。友人、同僚、隣人、JETメンバーと接点を持ち連絡を取りづづける大切さを述べた。「百聞は一見に如かず」、多くの経験をすることを強く勧めた。特にお祭りは地域を理解し絆を深めるのに非常に有意義なので極力足を運ぶように、また伝統文化を習うことも奨励した。

数日後の日本のニュースで、4年半前の東日本大震災で尊い命をなくしたJET参加者テイラー・アンダーソンの弟さんが8月3日の東京でのオリエンテーションに参加している姿とコメントが取り上げられた。日本を愛し、言語指導と交流に尽くしていた姉の遺志を受け継ぎたい思いに胸を打たれると同時に、全参加者の覚悟と意欲が窺われた。

異国での任務を決意し国際交流に役立とうという意欲に溢れるJETプログラム参加者らが、日米両国の架け橋として成果を上げることを期待したい。

過去の参加者は、母国に帰った後、単なる日本研究者とは違った知日家、親日家として様々な分野で活躍している。外交官として各国の大使館や総領事館に勤務している人も少なくないそうである。

Michigan 2015 Japanese Language Speech Contestミシガン2015日本語スピーチ・コンテスト

<!--:en-->Michigan 2015 Japanese Language Speech Contest<!--:--><!--:ja-->ミシガン2015日本語スピーチ・コンテスト<!--:--> 1

  ミシガン州内の高校と大学の日本語学習者を対象とした日本語スピーチコンテストが在デトロイト日本国総領事館の主催で3月28日(土)に行なわれた。このコンテストは毎年、デトロイト日本商工会、ミシガン南西オンタリオ日米協会、ミシガン日本語教師会、国際交流基金など多くの団体の支援や協力、そしてノバイ市、デルタ航空の協賛を得て実施されている。今年は高校部門5名と大学部門10名が事前の選考を経て本大会に出場し、学習の成果を披露した。

  審査員の一人として参加した片山総領事は開会にあたり、ミシガン州における日本語学習の状況として、56のK-12(キンダーからハイスクール)、そして17の大学に日本語クラスが設置されており、計6,100名以上が学校や大学で学んでいることを伝えた。参加者らがコンテストのために多くの時間を費やしたことであろうと、その努力とチャレンジ意欲を称え、日米間の良好な関係を構築するための重要な役割を果たすであろうと、期待の言葉を寄せた。

  当大会への応募条件は、日本に長期滞在していないこと。よって、日本渡航の無経験者か、あるいは短期の滞在を経験した出場者たちであるにも拘らず、滑らかな話し方をする参加者が年々増えている。インターネット環境が整う昨今、幼少期から日本語のアニメを原語で視聴してきたなど、耳で学んできた生徒が少なくない。特に、高校生のスピーチ内容や会話レベルが高くなっている。

  本コンテストでは規定時間内に、暗記したスピーチの発表を課せられる。語彙の豊富さと正しい使い方、話題の展開やまとまりといった作文の要素に加えて、発表の際の話し方などが総合的に評価される。片山総領事をはじめ、JBSD文化部会、JSDウィメンズクラブ、日米協会の代表、そしてコミュニティーの代表として和田氏が審査員を務めた。

   高校の部で第1位に輝いたカングさんは、嫌われている気がして不安だったかつての自分について率直に語った。クラスメートの言葉によって気持ちが変化し自信がついたという彼女のスピーチは、“言葉”が人を変え、人と人を繋ぐことを再認識させる内容であり、得られた自信と心の安定さを表すかのように、明瞭で堂々たる話し方であった。スピーチ後の審査員による質問の意味も理解し、分かり易い言葉で返答できていたが、日本滞在経験は全く無いとのこと。

   大学の部の第1位となったラトカウスキさんは、日本で経験したカプセルホテルにもう二度と泊まりたくない、その理由を解析紹介した。トイレとシャワーがある分、ビジネスホテルの方がマシで、カプセルホテルは音が漏れる上、マナーの悪さが問題だと指摘。旅行好きで、日本各地を巡ったという彼がカプセルホテルをテーマに選んだ理由が「話すのは楽しい」と答えただけあって、始終楽し気に語り続けた。スピーチ後に話を伺ったところ、日本では京都、大阪、神戸といった都市の他、自殺の名所である青木ケ原樹海にも「死体を見つけられれば…」との関心を抱いて訪れたいうこと。将来は日本語を使って仕事をし、日本と行き来したいと話す。大学では日本語の他に言語学と数学を学んでいるそうだが、チャレンジ精神の旺盛さ、コミュニケーション力の高さに、日米の懸け橋としての稀有な活躍を期待したい。

  スピーチ内容の多くが、日本での経験により広がった視野や気づき、あるいは日本語学習を通じて得た思いを題材としている。言語だけではなく、日本の習慣や価値観も学ぶ若者たちの新鮮な観点や感想を垣間見ることができるこのイベントは、聴く人々にとっても得るところが大きい。

  以下に、全参加者のスピーチ内容の要約と各部門の優勝者の原稿全文を紹介させていただく。

原稿要約

プログラム順に氏名、題名、学校名「 」内は原文引用。*一部平仮名を漢字に変換。

高校(ハイスクール)部門

KRISTINE BASSETT (特別賞) 
Troy Athens High School 
せいとからならったこと

『八才の子ども達に神様について教えてから私は辛抱強くなりました。』先生(私)が若いので子どもがうるさくなり、話を聞き流すようになった。先輩のアドバイスで、神様は子ども達を愛していることを教えていることが大事だと分かった。『私は先生ですから導くだけです。』

MONIQUE HAKAM  (3位) 
Groves High School 
おもてなし

日本のレストランでは寒い日は温かく、暑い日は冷たいおしばりを出す。美容員はお客の化粧をするとき、顔を触らない。和食にももてなしがたくさんあり、レストランでは葉っぱを使い、客は季節を楽しむ。

お客さんの満足を大切する。『日本のもてなしは最高です。』

GLORIA KANG  (1位) 
Troy Athens High School 
かべをやぶること

  すべての人はある日人生の中でのりこえることがで出来ないかべに出会います。ふあん。なやみ。こどく。このかべは自分の力だけでかてない。だけど他の人はそのかべをかんたんにやぶることが出来る。

  私は中学一年生の時にとてもしずかな子だった。知ってる人は私のえがおをめったに見なかった。私は時々元気だったけどたいていさびしかった。こわかった。

  「ああこの女の子は私のことがたぶん大きらい・・・」とか「この男の子も私のことがきらい・・・」と思った。

  なやみがたくさんあっていつもふあんだった。でもある日それはぜんぶかわった。ある日かぜで学校を休んだ。つぎの日一人の女の子が私に来てこう言った。

  「ああ〜どこにいたの?かぜひっちゃった?会いたかったよ!友達がいない日はほんとうにつまんない〜〜。。。」

  そのしゅんかん私のせかいがかわった。「友達」。その言葉はいちどもかんがえなかった。「けっきょくみんなは私のことがきらいだから、だれにもは話したくない」と思った。かの女とのかんけいはとてもふつうのかんけいだった。だから私たちはただ知り合いだと思っていた。でもそういうことじゃなかった。学校の始まる時から私は友達をつくった。初めての友達じゃなかったけど、自分でみとめることが初めてだった。大きいふたんが私のかたからもち上げくれたようにかんじた。私はきらわれていなかった。うれしいくてなきたかった。もちろん私はこのきもちを表さなかった。でも自分の中で何かがかわった。私はもっとじしんがあったから人ともっとはなした。心からたくさんわらった。そのふつうの言葉は私にはとても大切な言葉だった。今あっさり言うことが出来ます。「私は今しあわせだ」。

  その友達はあの言葉のじゅうようせいをまだ知らない。ちょっとはずかしい話から私はまだ言いたくないけど、いつか私はかの女にこの話をおしえて上げたい。心から「ありがとう」と言いたい。

HUIYI LIU (2位) 
Troy Athens High School 
カラオケ

日本へ6週間行き、学校や花火大会、メイドカフェ、カラオケに行くなど、色々な事をした。カラオケに行く前は何で好きなんだろう、と思っていたが、行ってみて「しまった、はまってしまった」と思った。歌が下手でも同じレベルの人となら自由に歌える。歌うだけではなく、上手く歌うことで問題をクリアするタイプのカラオケもある。

DAVIS WHITE  (総領事賞) 
Stevenson High School 
日本の京都へ行った事

去年、5位のチームまで日本行をもらえる(ナショナルの)日本語クイズ大会に出たが、10位だった。父が計画して、父と一緒に日本の6つの市に行った。京都が一番。楽しく面白くて美しい。父の友達の案内で、平等院、清水寺、二条城に行った。クジラ肉を食べた。食べたことがなかったがあまり悪くなかった。

大学生部門 

JOSHUA ABRAHAM( 総領事賞) 
Michigan State University 
忘れない夢

子供の時の夢を忘れずに叶えた。日本のマンガを読んで、日本の文化に興味を持ち、「日本語を習って、絶対に日本に行く!」と自分に約束。学校に日本語クラスが無く、習うのは難しくて放ってしまったが、友人の叱咤を受けて学び直した。母の怪我のせいで時間を作れなくなっても、あきらめなかった。去年日本行を叶え、たくさん良い経験をし、多くの日本語を習った。

『諦めないで』『夢が叶ったら幸せになれるはずです。』

DANNY BENSALEM 
Michigan State University 
命の意味:大学生の心の中

『命は本当に不思議ですね。何度考えても完璧な意味を見つけれません。』どうすればよいのか、行きたい方向は分かるけど正しいか分からない。答えは人によって違う。自分で判断しなければならない。ワンパターンで目的が無い生き方に不満を感じ、人生を変えようと思った。目標を持って生活をしてこの世界に役立つことをしたいと思うようになった。

SARAH BENSON 
Oakland University 
仙台市 ラブ

仙台市はきれいで面白い。人が元気。愛情深い。ピープル・トー・ピープルの代表として仙台市に行き、日本の高校にも行った。セレモニーで歓迎を受け、英語のスピーチを楽しんでもらえ嬉しかった。『私の一番好きな街は仙台市です。仙台市は私のラブそのものですから!』

TYLER HOWE 
Michigan State University 
日本の音楽の影響

日本語を選んで勉強している理由。好きな音楽を聴くと、悪いことを忘れ嬉しくなった。ある日、一番好きなミュージシャンを見つけた。「ヌジャベス」と呼ばれている日本人の瀬葉淳。それを通して「shing02」という日本語と英語で歌うラッパーに興味を持った。英語の歌の内容が時に社会問題なので、考えが変化した。日本語は分からなかったので、勉強することに。

『音楽を通して、彼が僕の生活に大きな影響をあたえました。』

LAI PAK KUEN (2位) 
University of Michigan 
アニメが好きな私がヒッキーにならなかった理由

ミシガン大学でアニメクラブの部長をしている。“ヒッキー”と呼ばれる“ひきこもり”とアニメの関係について、ヒッキーは家で一人でアニメを見ているという偏見があるが、アニメ見てもヒッキーにならなかった私がいる。原因はアニメでは無く家族との関係性にある。自分が興味をもったドラえもんを両親は禁止にせず一緒に見るなど、興味と時間を共有してくれた。また、小さな努力が大切なことも家庭教師を通して知った。努力は達成感と満足感に繋がる。専門家によれば、人と関わる経験と、自分のアイデンティティに対する自信がヒッキーの課題だということだ。社会に貢献できると分かれば自分の存在意義を感じられるはず。アニメクラブはヒッキーの解決になっている。

VEGEESHA LIYANA GUNAWA (特別賞) 
Kalamazoo College 
あの日であった警察官は僕の名前を知らない

スリランカ生まれで、カナダの高校、アメリカの大学に行き、早稲田大学に留学。日本での留学中、13回も警官の職務質問を受けた。最初は面白かったが、面倒になった。職務質問をさた理由を尋ねると、外国人による犯罪が多いからだと言われたが、人種差別を隠す言い訳にしか聞こえなかった。様々な国の人に出会ううち、世界が狭くなってきたと感じる。人との出会いを大切にすることが大事。警官が外国人を誤解するのは出会う機会が少ないからという可能性がある。ノーベル平和賞受賞者の言葉「世界平和の前に人々の協力が必要。協力の前に人々の出会いが必要。」を引用。平和は世界の人々の交流を基盤として実現する。交流とは単なる関わり合いではなく、精神的なつながり育てること。

MANAL NIZAM 
Wayne State University 
一番の名作

平家物語について。源氏が平家を激戦で倒した後、平家物語を坊様が歌い始め、今、人々は物語を読んだり能楽を見たりできる。私は、日本の歴史の授業で英訳を読むだけにした。

『仏教の原理があるし、強い武士がいるし、平家物語は世界の物語の中で一番の名作です。』諸行無常について説明している。陸から遠い船の上の扇子に矢を貫通した武士がいる。日本語の平家物語と古典文学を読もうと思っている。

KATIE PENVOSE  (3位) 
Michigan State University 
コミュニケーションの大切さ

日本へ行く前の私は、日本語の授業で日本語を話すチャンスがあってもあまり利用しなかった。すぐに英語を使っていた。去年東京の日本語学校に留学した。クラスメートで英語を話せる人が少なく、先生たちも英語が話せないので日本語を使わなけばならず、“間違っても正確でなくも言う”というモットーを作った。コミュニケーションが大切。間違いを恐れていたら、いつまでも上手に話せない。『外国語の勉強は文法や単語を覚えるのみならず、コミュニケーションも大切にすることだと思う』

JAMES RUTKOWSKI (1位) 
Eastern Michigan University 
カプセルホテル

  「宇宙船のカプセルみたいです!」とあるテレビ番組が言っていました。しかし、それは大きな嘘です。カプセルホテルは、宇宙船からほど遠いものでした。逆に、犬小屋みたいだと思いました。私は二回カプセルホテルに泊まりましたが、二度と泊まりたくありません。今日は、それがなぜかということについてお話したいと思います。

  カプセルホテルの特徴は安さのはずです。 お金があまりないので、私にとっては、料金は重要なポイントでした。料金は二千六百円。ビジネスホテルに比べると、カプセルホテルのほうが安いのですが、 ビジネスホテルの部屋は自分のトイレとシャワーがついています。私にとって、他の人と一緒にお風呂に入ることは考えられません。家族とでもいやです。だから、ビジネスホテルのトイレつき料金はカプセルホテルより「まだ、まし。」ということになります。

  カプセルホテルはまだまだ悪い点があります。まずは狭さです。私は旅行する時、いつもバックパックで移動します。バックパックに服、コンピューター、おみやげなどを入れると、大きくて、重くなります。ホテルにロッカーがあって、持っている物を入れられますが、私のバックパックは大き過ぎたので、 バックパックと一緒にカプセルの中で寝ました。

  もう一つの悪い点はテレビです。泊まり客はヘッドホンを使ったらいいのですが、ヘッドホンを使わなかったら、他のカプセルにテレビの音が漏れてしまいます。私の場合も例外ではなく、隣のおじさんは夜遅くまで、女性の怪しげな声のする番組をずっと見ていました。

  他には、上と下のカプセルがあって、下のカプセルはまだいいのですが、上のカプセルはちょっと背が高すぎて入りにくいです。私の下のカプセルの人は、はずかしげもなく、おならをブリブリとしていたのを今でも鮮明に覚えています。

  いうまでもなく、悪い点はまだまだあります。でも、色々な問題はそこで働いている従業員のせいではなくて、そこに泊まっているお客さんのマナーの悪さからくるものなのだと思います。

  わたしは、いつしか「迷惑なお客さんって、どんな人なんだろう?」と考え始めるようになりました。ある調査によると、終電を逃すと10%の人はホテルに泊まるそうです。カプセルホテルは予約せずに泊まれるので、便利なのでしょう。では、なぜ終電を逃すのでしょうか?インターネットで調べてみると、カプセルホテルに泊まった人のうち、「飲み過ぎた」「タクシーで帰るには遅すぎる」という理由が多かったです。だから、カプセルホテルに泊まる人が酔っている可能性はかなり高いのです。それに、珍しい場合ですが、カプセルホテルに住んでいる人もいます。

  また、普通は、カプセルホテルは男性客だけです。なぜかというと、カプセルは鍵がかけられないからです。最近、女性もカプセルホテルに泊まれますが、別のフロアになっています。

  さて、文句ばかり言っていると、カプセルホテルで働いている人達に失礼だと思いますので、良いことも少し述べたいと思います。カプセルホテルは、交通のアクセスがいい場所に建てられているため、例えば、地方から就活でやってくるお金のない学生にとっては、絶好の宿泊施設です。また、施設によっては、大浴場やサウナなどもついていて、ビジネスホテル顔負けの所もあるようです。私はそれには興味はありませんが、日本のサラリーマンにとっては、魅力なのだと思います。

  さて、私のカプセルホテルの経験はあまりよくないものでしたが、その経験について話すのは、どんなことよりも楽しいものです。ただ、納豆を食べるのと同じように、経験は一回で十分だと思います。 ですから、皆さんも、是非「一回だけ」お試し下さい。

  どうもご清聴ありがとうございました。

DEV SOMGHAL
Oakland University 
私が日本語を勉強したい理由

去年の秋、最初の日本語クラスを取った。難しかったが、難しいからこそ日本語を学ぶのが好き。漢字や文法は私には簡単。難しい部分は話すこと。挑戦することが好きなので、良い会話をした時、達成感を感じる。私の目的はいつか日本に行って日本人と話せるようになること。

  ミシガン州内の高校と大学の日本語学習者を対象とした日本語スピーチコンテストが在デトロイト日本国総領事館の主催で3月28日(土)に行なわれた。このコンテストは毎年、デトロイト日本商工会、ミシガン南西オンタリオ日米協会、ミシガン日本語教師会、国際交流基金など多くの団体の支援や協力、そしてノバイ市、デルタ航空の協賛を得て実施されている。今年は高校部門5名と大学部門10名が事前の選考を経て本大会に出場し、学習の成果を披露した。

  審査員の一人として参加した片山総領事は開会にあたり、ミシガン州における日本語学習の状況として、56のK-12(キンダーからハイスクール)、そして17の大学に日本語クラスが設置されており、計6,100名以上が学校や大学で学んでいることを伝えた。参加者らがコンテストのために多くの時間を費やしたことであろうと、その努力とチャレンジ意欲を称え、日米間の良好な関係を構築するための重要な役割を果たすであろうと、期待の言葉を寄せた。

  当大会への応募条件は、日本に長期滞在していないこと。よって、日本渡航の無経験者か、あるいは短期の滞在を経験した出場者たちであるにも拘らず、滑らかな話し方をする参加者が年々増えている。インターネット環境が整う昨今、幼少期から日本語のアニメを原語で視聴してきたなど、耳で学んできた生徒が少なくない。特に、高校生のスピーチ内容や会話レベルが高くなっている。

  本コンテストでは規定時間内に、暗記したスピーチの発表を課せられる。語彙の豊富さと正しい使い方、話題の展開やまとまりといった作文の要素に加えて、発表の際の話し方などが総合的に評価される。片山総領事をはじめ、JBSD文化部会、JSDウィメンズクラブ、日米協会の代表、そしてコミュニティーの代表として和田氏が審査員を務めた。

   高校の部で第1位に輝いたカングさんは、嫌われている気がして不安だったかつての自分について率直に語った。クラスメートの言葉によって気持ちが変化し自信がついたという彼女のスピーチは、“言葉”が人を変え、人と人を繋ぐことを再認識させる内容であり、得られた自信と心の安定さを表すかのように、明瞭で堂々たる話し方であった。スピーチ後の審査員による質問の意味も理解し、分かり易い言葉で返答できていたが、日本滞在経験は全く無いとのこと。

   大学の部の第1位となったラトカウスキさんは、日本で経験したカプセルホテルにもう二度と泊まりたくない、その理由を解析紹介した。トイレとシャワーがある分、ビジネスホテルの方がマシで、カプセルホテルは音が漏れる上、マナーの悪さが問題だと指摘。旅行好きで、日本各地を巡ったという彼がカプセルホテルをテーマに選んだ理由が「話すのは楽しい」と答えただけあって、始終楽し気に語り続けた。スピーチ後に話を伺ったところ、日本では京都、大阪、神戸といった都市の他、自殺の名所である青木ケ原樹海にも「死体を見つけられれば…」との関心を抱いて訪れたいうこと。将来は日本語を使って仕事をし、日本と行き来したいと話す。大学では日本語の他に言語学と数学を学んでいるそうだが、チャレンジ精神の旺盛さ、コミュニケーション力の高さに、日米の懸け橋としての稀有な活躍を期待したい。

  スピーチ内容の多くが、日本での経験により広がった視野や気づき、あるいは日本語学習を通じて得た思いを題材としている。言語だけではなく、日本の習慣や価値観も学ぶ若者たちの新鮮な観点や感想を垣間見ることができるこのイベントは、聴く人々にとっても得るところが大きい。

  以下に、全参加者のスピーチ内容の要約と各部門の優勝者の原稿全文を紹介させていただく。

原稿要約

プログラム順に氏名、題名、学校名「 」内は原文引用。*一部平仮名を漢字に変換。

高校(ハイスクール)部門

KRISTINE BASSETT (特別賞) 
Troy Athens High School 
せいとからならったこと

『八才の子ども達に神様について教えてから私は辛抱強くなりました。』先生(私)が若いので子どもがうるさくなり、話を聞き流すようになった。先輩のアドバイスで、神様は子ども達を愛していることを教えていることが大事だと分かった。『私は先生ですから導くだけです。』

MONIQUE HAKAM  (3位) 
Groves High School 
おもてなし

日本のレストランでは寒い日は温かく、暑い日は冷たいおしばりを出す。美容員はお客の化粧をするとき、顔を触らない。和食にももてなしがたくさんあり、レストランでは葉っぱを使い、客は季節を楽しむ。

お客さんの満足を大切する。『日本のもてなしは最高です。』

GLORIA KANG  (1位) 
Troy Athens High School 
かべをやぶること

  すべての人はある日人生の中でのりこえることがで出来ないかべに出会います。ふあん。なやみ。こどく。このかべは自分の力だけでかてない。だけど他の人はそのかべをかんたんにやぶることが出来る。

  私は中学一年生の時にとてもしずかな子だった。知ってる人は私のえがおをめったに見なかった。私は時々元気だったけどたいていさびしかった。こわかった。

  「ああこの女の子は私のことがたぶん大きらい・・・」とか「この男の子も私のことがきらい・・・」と思った。

  なやみがたくさんあっていつもふあんだった。でもある日それはぜんぶかわった。ある日かぜで学校を休んだ。つぎの日一人の女の子が私に来てこう言った。

  「ああ〜どこにいたの?かぜひっちゃった?会いたかったよ!友達がいない日はほんとうにつまんない〜〜。。。」

  そのしゅんかん私のせかいがかわった。「友達」。その言葉はいちどもかんがえなかった。「けっきょくみんなは私のことがきらいだから、だれにもは話したくない」と思った。かの女とのかんけいはとてもふつうのかんけいだった。だから私たちはただ知り合いだと思っていた。でもそういうことじゃなかった。学校の始まる時から私は友達をつくった。初めての友達じゃなかったけど、自分でみとめることが初めてだった。大きいふたんが私のかたからもち上げくれたようにかんじた。私はきらわれていなかった。うれしいくてなきたかった。もちろん私はこのきもちを表さなかった。でも自分の中で何かがかわった。私はもっとじしんがあったから人ともっとはなした。心からたくさんわらった。そのふつうの言葉は私にはとても大切な言葉だった。今あっさり言うことが出来ます。「私は今しあわせだ」。

  その友達はあの言葉のじゅうようせいをまだ知らない。ちょっとはずかしい話から私はまだ言いたくないけど、いつか私はかの女にこの話をおしえて上げたい。心から「ありがとう」と言いたい。

HUIYI LIU (2位) 
Troy Athens High School 
カラオケ

日本へ6週間行き、学校や花火大会、メイドカフェ、カラオケに行くなど、色々な事をした。カラオケに行く前は何で好きなんだろう、と思っていたが、行ってみて「しまった、はまってしまった」と思った。歌が下手でも同じレベルの人となら自由に歌える。歌うだけではなく、上手く歌うことで問題をクリアするタイプのカラオケもある。

DAVIS WHITE  (総領事賞) 
Stevenson High School 
日本の京都へ行った事

去年、5位のチームまで日本行をもらえる(ナショナルの)日本語クイズ大会に出たが、10位だった。父が計画して、父と一緒に日本の6つの市に行った。京都が一番。楽しく面白くて美しい。父の友達の案内で、平等院、清水寺、二条城に行った。クジラ肉を食べた。食べたことがなかったがあまり悪くなかった。

大学生部門 

JOSHUA ABRAHAM( 総領事賞) 
Michigan State University 
忘れない夢

子供の時の夢を忘れずに叶えた。日本のマンガを読んで、日本の文化に興味を持ち、「日本語を習って、絶対に日本に行く!」と自分に約束。学校に日本語クラスが無く、習うのは難しくて放ってしまったが、友人の叱咤を受けて学び直した。母の怪我のせいで時間を作れなくなっても、あきらめなかった。去年日本行を叶え、たくさん良い経験をし、多くの日本語を習った。

『諦めないで』『夢が叶ったら幸せになれるはずです。』

DANNY BENSALEM 
Michigan State University 
命の意味:大学生の心の中

『命は本当に不思議ですね。何度考えても完璧な意味を見つけれません。』どうすればよいのか、行きたい方向は分かるけど正しいか分からない。答えは人によって違う。自分で判断しなければならない。ワンパターンで目的が無い生き方に不満を感じ、人生を変えようと思った。目標を持って生活をしてこの世界に役立つことをしたいと思うようになった。

SARAH BENSON 
Oakland University 
仙台市 ラブ

仙台市はきれいで面白い。人が元気。愛情深い。ピープル・トー・ピープルの代表として仙台市に行き、日本の高校にも行った。セレモニーで歓迎を受け、英語のスピーチを楽しんでもらえ嬉しかった。『私の一番好きな街は仙台市です。仙台市は私のラブそのものですから!』

TYLER HOWE 
Michigan State University 
日本の音楽の影響

日本語を選んで勉強している理由。好きな音楽を聴くと、悪いことを忘れ嬉しくなった。ある日、一番好きなミュージシャンを見つけた。「ヌジャベス」と呼ばれている日本人の瀬葉淳。それを通して「shing02」という日本語と英語で歌うラッパーに興味を持った。英語の歌の内容が時に社会問題なので、考えが変化した。日本語は分からなかったので、勉強することに。

『音楽を通して、彼が僕の生活に大きな影響をあたえました。』

LAI PAK KUEN (2位) 
University of Michigan 
アニメが好きな私がヒッキーにならなかった理由

ミシガン大学でアニメクラブの部長をしている。“ヒッキー”と呼ばれる“ひきこもり”とアニメの関係について、ヒッキーは家で一人でアニメを見ているという偏見があるが、アニメ見てもヒッキーにならなかった私がいる。原因はアニメでは無く家族との関係性にある。自分が興味をもったドラえもんを両親は禁止にせず一緒に見るなど、興味と時間を共有してくれた。また、小さな努力が大切なことも家庭教師を通して知った。努力は達成感と満足感に繋がる。専門家によれば、人と関わる経験と、自分のアイデンティティに対する自信がヒッキーの課題だということだ。社会に貢献できると分かれば自分の存在意義を感じられるはず。アニメクラブはヒッキーの解決になっている。

VEGEESHA LIYANA GUNAWA (特別賞) 
Kalamazoo College 
あの日であった警察官は僕の名前を知らない

スリランカ生まれで、カナダの高校、アメリカの大学に行き、早稲田大学に留学。日本での留学中、13回も警官の職務質問を受けた。最初は面白かったが、面倒になった。職務質問をさた理由を尋ねると、外国人による犯罪が多いからだと言われたが、人種差別を隠す言い訳にしか聞こえなかった。様々な国の人に出会ううち、世界が狭くなってきたと感じる。人との出会いを大切にすることが大事。警官が外国人を誤解するのは出会う機会が少ないからという可能性がある。ノーベル平和賞受賞者の言葉「世界平和の前に人々の協力が必要。協力の前に人々の出会いが必要。」を引用。平和は世界の人々の交流を基盤として実現する。交流とは単なる関わり合いではなく、精神的なつながり育てること。

MANAL NIZAM 
Wayne State University 
一番の名作

平家物語について。源氏が平家を激戦で倒した後、平家物語を坊様が歌い始め、今、人々は物語を読んだり能楽を見たりできる。私は、日本の歴史の授業で英訳を読むだけにした。

『仏教の原理があるし、強い武士がいるし、平家物語は世界の物語の中で一番の名作です。』諸行無常について説明している。陸から遠い船の上の扇子に矢を貫通した武士がいる。日本語の平家物語と古典文学を読もうと思っている。

KATIE PENVOSE  (3位) 
Michigan State University 
コミュニケーションの大切さ

日本へ行く前の私は、日本語の授業で日本語を話すチャンスがあってもあまり利用しなかった。すぐに英語を使っていた。去年東京の日本語学校に留学した。クラスメートで英語を話せる人が少なく、先生たちも英語が話せないので日本語を使わなけばならず、“間違っても正確でなくも言う”というモットーを作った。コミュニケーションが大切。間違いを恐れていたら、いつまでも上手に話せない。『外国語の勉強は文法や単語を覚えるのみならず、コミュニケーションも大切にすることだと思う』

JAMES RUTKOWSKI (1位) 
Eastern Michigan University 
カプセルホテル

  「宇宙船のカプセルみたいです!」とあるテレビ番組が言っていました。しかし、それは大きな嘘です。カプセルホテルは、宇宙船からほど遠いものでした。逆に、犬小屋みたいだと思いました。私は二回カプセルホテルに泊まりましたが、二度と泊まりたくありません。今日は、それがなぜかということについてお話したいと思います。

  カプセルホテルの特徴は安さのはずです。 お金があまりないので、私にとっては、料金は重要なポイントでした。料金は二千六百円。ビジネスホテルに比べると、カプセルホテルのほうが安いのですが、 ビジネスホテルの部屋は自分のトイレとシャワーがついています。私にとって、他の人と一緒にお風呂に入ることは考えられません。家族とでもいやです。だから、ビジネスホテルのトイレつき料金はカプセルホテルより「まだ、まし。」ということになります。

  カプセルホテルはまだまだ悪い点があります。まずは狭さです。私は旅行する時、いつもバックパックで移動します。バックパックに服、コンピューター、おみやげなどを入れると、大きくて、重くなります。ホテルにロッカーがあって、持っている物を入れられますが、私のバックパックは大き過ぎたので、 バックパックと一緒にカプセルの中で寝ました。

  もう一つの悪い点はテレビです。泊まり客はヘッドホンを使ったらいいのですが、ヘッドホンを使わなかったら、他のカプセルにテレビの音が漏れてしまいます。私の場合も例外ではなく、隣のおじさんは夜遅くまで、女性の怪しげな声のする番組をずっと見ていました。

  他には、上と下のカプセルがあって、下のカプセルはまだいいのですが、上のカプセルはちょっと背が高すぎて入りにくいです。私の下のカプセルの人は、はずかしげもなく、おならをブリブリとしていたのを今でも鮮明に覚えています。

  いうまでもなく、悪い点はまだまだあります。でも、色々な問題はそこで働いている従業員のせいではなくて、そこに泊まっているお客さんのマナーの悪さからくるものなのだと思います。

  わたしは、いつしか「迷惑なお客さんって、どんな人なんだろう?」と考え始めるようになりました。ある調査によると、終電を逃すと10%の人はホテルに泊まるそうです。カプセルホテルは予約せずに泊まれるので、便利なのでしょう。では、なぜ終電を逃すのでしょうか?インターネットで調べてみると、カプセルホテルに泊まった人のうち、「飲み過ぎた」「タクシーで帰るには遅すぎる」という理由が多かったです。だから、カプセルホテルに泊まる人が酔っている可能性はかなり高いのです。それに、珍しい場合ですが、カプセルホテルに住んでいる人もいます。

  また、普通は、カプセルホテルは男性客だけです。なぜかというと、カプセルは鍵がかけられないからです。最近、女性もカプセルホテルに泊まれますが、別のフロアになっています。

  さて、文句ばかり言っていると、カプセルホテルで働いている人達に失礼だと思いますので、良いことも少し述べたいと思います。カプセルホテルは、交通のアクセスがいい場所に建てられているため、例えば、地方から就活でやってくるお金のない学生にとっては、絶好の宿泊施設です。また、施設によっては、大浴場やサウナなどもついていて、ビジネスホテル顔負けの所もあるようです。私はそれには興味はありませんが、日本のサラリーマンにとっては、魅力なのだと思います。

  さて、私のカプセルホテルの経験はあまりよくないものでしたが、その経験について話すのは、どんなことよりも楽しいものです。ただ、納豆を食べるのと同じように、経験は一回で十分だと思います。 ですから、皆さんも、是非「一回だけ」お試し下さい。

  どうもご清聴ありがとうございました。

DEV SOMGHAL
Oakland University 
私が日本語を勉強したい理由

去年の秋、最初の日本語クラスを取った。難しかったが、難しいからこそ日本語を学ぶのが好き。漢字や文法は私には簡単。難しい部分は話すこと。挑戦することが好きなので、良い会話をした時、達成感を感じる。私の目的はいつか日本に行って日本人と話せるようになること。

西暦2015年 平成27年を迎えて西暦2015年 平成27年を迎えて

<!--:en-->西暦2015年 平成27年を迎えて<!--:--><!--:ja-->西暦2015年 平成27年を迎えて<!--:-->

新年のご挨拶

 JAPANニュース倶楽部読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。在デトロイト総領事館に赴任してから1年3ヶ月余りが経過し、2014年は総領事として公私に亘り充実した有意義な日々を送らせて頂きました。

昨年を振り返ると、冬は記録的な大寒波に見舞われましたが、北米国際オートショー(デトロイト)はお膝元である自動車産業の再生を反映して2004年以降最大となる入場者数を記録し、春はデトロイト美術館やクリーブランド美術館で日本美術展覧会が開催され、夏には数多くの様々な会議やセミナー、また姉妹都市交流の行事に出席しました。秋は第46回日本・米国中西部合同会議がアイオワ州デモインで開催された他、米国内政では中間選挙もありました。

   当館が所在するデトロイト市は2013 年7月に地方自治体としては米国史上最大の負債額を抱え財政破綻しましたが、昨年11月には再建計画が連邦破産裁判所判事に承認され、わずか17ヶ月の早さで同市は昨年12月に破綻からの脱却を公式に宣言しました。デトロイト市の再建計画案には、デトロイト美術館所有の美術品を債務の引き当てにしない代わりに同美術館が独自で1億ドルの資金を調達することなどが盛り込まれた「Grand Bargain」と呼ばれるユニークな財源確保策が含まれています。その中で、デトロイト美術館所蔵の美術品を維持等するため、当地の日系企業や個人の皆さまが多大なるご貢献をされ、合計で約3 2 0 万ドルもの寄付を同美術館へ約束したことは、在デトロイト総領事として心から誇りに思います。

   さて、今年の注目すべき行事を一部挙げますと、シンシナティ美術館等での日本美術特別展覧会が開催される他、初夏には中西部で最大級の規模となる日本庭園がグランドラピッズのフレデリック・マイヤー庭園・彫刻公園内に開園し、ミシガン・南西オンタリオ日米協会は設立25周年を迎えます。日・ミシガン州及びオハイオ州間の姉妹都市では最も長い歴史を持つ豊田市とデトロイト市は姉妹都市提携55周年を迎え、記念行事も予定されていると聞いています。また、米国内政では2016年大統領選挙に向けた動き、日米関係に於いてはTPP交渉妥結の行方も注目されます。本年は第二次世界大戦終戦70周年に当たる年でもありますが、戦後70年間に亘り日米両国が双方のたゆまぬ努力によって築き上げてきた強固な同盟関係を今一度再確認し、更なる発展への契機となることを願っています。

  在留邦人の皆さまへは迅速な公的サービスの提供を行うとともに各日本人関係団体のご協力も得て実施している領事出張サービスを含め、在外選挙登録、旅券、戸籍・国籍等の各種証明関係など多岐にわたるサービスの更なる充実・向上に努めて参ります。また、タイムリーな安全情報の発信を行うとともに、当地の警察や治安機関との協力体制を密にし皆様が安心して生活できる様に安全対策の拡充を続けて参ります。情報発信の重要なツールであるホームページでは皆様にお役立て頂ける情報を、分かり易くお伝えすべく努めて参ります。お気づきの点がございましたら、ご遠慮なく当館までご連絡下さい。そして、赴任当初から継続してる「デトロイト総領事便り」も昨年末までに200話を越えました。こちらもホームページと併せてご覧頂ければと思います。

  今年もミシガン州及びオハイオ州の米国人及び地域の方々に対しては、日本が信頼できる真のパートナーであること、そして、在留邦人の皆様に対しては頼りになる存在であることを目指して館員一同尽力する所存ですので、宜しくお願い致します。今年一年の皆様のご活躍とご多幸を心より祈念申し上げます。

新年のご挨拶

 JAPANニュース倶楽部読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。在デトロイト総領事館に赴任してから1年3ヶ月余りが経過し、2014年は総領事として公私に亘り充実した有意義な日々を送らせて頂きました。

昨年を振り返ると、冬は記録的な大寒波に見舞われましたが、北米国際オートショー(デトロイト)はお膝元である自動車産業の再生を反映して2004年以降最大となる入場者数を記録し、春はデトロイト美術館やクリーブランド美術館で日本美術展覧会が開催され、夏には数多くの様々な会議やセミナー、また姉妹都市交流の行事に出席しました。秋は第46回日本・米国中西部合同会議がアイオワ州デモインで開催された他、米国内政では中間選挙もありました。

   当館が所在するデトロイト市は2013 年7月に地方自治体としては米国史上最大の負債額を抱え財政破綻しましたが、昨年11月には再建計画が連邦破産裁判所判事に承認され、わずか17ヶ月の早さで同市は昨年12月に破綻からの脱却を公式に宣言しました。デトロイト市の再建計画案には、デトロイト美術館所有の美術品を債務の引き当てにしない代わりに同美術館が独自で1億ドルの資金を調達することなどが盛り込まれた「Grand Bargain」と呼ばれるユニークな財源確保策が含まれています。その中で、デトロイト美術館所蔵の美術品を維持等するため、当地の日系企業や個人の皆さまが多大なるご貢献をされ、合計で約3 2 0 万ドルもの寄付を同美術館へ約束したことは、在デトロイト総領事として心から誇りに思います。

   さて、今年の注目すべき行事を一部挙げますと、シンシナティ美術館等での日本美術特別展覧会が開催される他、初夏には中西部で最大級の規模となる日本庭園がグランドラピッズのフレデリック・マイヤー庭園・彫刻公園内に開園し、ミシガン・南西オンタリオ日米協会は設立25周年を迎えます。日・ミシガン州及びオハイオ州間の姉妹都市では最も長い歴史を持つ豊田市とデトロイト市は姉妹都市提携55周年を迎え、記念行事も予定されていると聞いています。また、米国内政では2016年大統領選挙に向けた動き、日米関係に於いてはTPP交渉妥結の行方も注目されます。本年は第二次世界大戦終戦70周年に当たる年でもありますが、戦後70年間に亘り日米両国が双方のたゆまぬ努力によって築き上げてきた強固な同盟関係を今一度再確認し、更なる発展への契機となることを願っています。

  在留邦人の皆さまへは迅速な公的サービスの提供を行うとともに各日本人関係団体のご協力も得て実施している領事出張サービスを含め、在外選挙登録、旅券、戸籍・国籍等の各種証明関係など多岐にわたるサービスの更なる充実・向上に努めて参ります。また、タイムリーな安全情報の発信を行うとともに、当地の警察や治安機関との協力体制を密にし皆様が安心して生活できる様に安全対策の拡充を続けて参ります。情報発信の重要なツールであるホームページでは皆様にお役立て頂ける情報を、分かり易くお伝えすべく努めて参ります。お気づきの点がございましたら、ご遠慮なく当館までご連絡下さい。そして、赴任当初から継続してる「デトロイト総領事便り」も昨年末までに200話を越えました。こちらもホームページと併せてご覧頂ければと思います。

  今年もミシガン州及びオハイオ州の米国人及び地域の方々に対しては、日本が信頼できる真のパートナーであること、そして、在留邦人の皆様に対しては頼りになる存在であることを目指して館員一同尽力する所存ですので、宜しくお願い致します。今年一年の皆様のご活躍とご多幸を心より祈念申し上げます。

第7回 領事団サッカートーナメント第7回 領事団サッカートーナメント

<!--:en-->第7回 領事団サッカートーナメント<!--:--><!--:ja-->第7回 領事団サッカートーナメント<!--:--> 1

  10月4日と5日の2日間にわたり、ミシガン在住の外国人コミュニティをつなぐイベント、第7回領事団サッカートーナメントがポンティアックのインドアサッカーアリーナで開催された。このイベントはメキシコ領事館の発案で始まり、その後も同領事館の運営で継続され、年々参加チームが増えてきた。それぞれ国の名前を背負っての試合が展開された。領事団サッカートーナメントと称しているが、選手は当地でチームに入ってプレーをしている人々が結集し、どのチームも技術レベルは驚くほど高く、熱戦が繰り広げられた。試合は20分ハーフと、正式なゲームの半分以下で行われるため、見た目のゲーム展開と結果が必ずしも繋がらず、観戦者たちをヤキモキさせた。

  日本チームは第2回トーナメントから毎年出場しており、今年もデトロイト郊外で活動する「ブリリアント」を中心とする当日本コミュニティ選り抜きの選手らが代表として参加した。

   大会は16のチームが4つのグループに分かれ、上位2チームが決勝リーグに進む方式で、初日はグループ内での総当たり戦が繰り広げられた。日本は初戦イタリアに2-0で勝利し、メキシコ相手の2回戦も2-1。3回戦は相手のブラジルチームが全試合での負傷のためにメンバー不足となり試合放棄したため不戦勝となり、Dグループトップの成績で次の日の決勝トーナメントに進んだ。ルーマニアに勝って駒を進めた準決勝で、アメリカ相手に互角に戦ったもののPKにて2-3となり、惜しくも敗れた。そのアメリカが決勝でイタリアを抑えて優勝。日本は3位決定戦でパキスタンを下して勝利を収めた。

  「日本の代表としてプレーができ、選手にとって大変やり甲斐のあるトーナメントです」「強いメンバーを選び練習も重ねました。優勝を目指しています。」と意気込みを語っていた高橋監督が率いる日本チームにとっては無念な結果ではあろうが、来年も当地のインターナショナル交流への貢献も兼ね、心意気と技を発揮することを期待したい。

  10月4日と5日の2日間にわたり、ミシガン在住の外国人コミュニティをつなぐイベント、第7回領事団サッカートーナメントがポンティアックのインドアサッカーアリーナで開催された。このイベントはメキシコ領事館の発案で始まり、その後も同領事館の運営で継続され、年々参加チームが増えてきた。それぞれ国の名前を背負っての試合が展開された。領事団サッカートーナメントと称しているが、選手は当地でチームに入ってプレーをしている人々が結集し、どのチームも技術レベルは驚くほど高く、熱戦が繰り広げられた。試合は20分ハーフと、正式なゲームの半分以下で行われるため、見た目のゲーム展開と結果が必ずしも繋がらず、観戦者たちをヤキモキさせた。

  日本チームは第2回トーナメントから毎年出場しており、今年もデトロイト郊外で活動する「ブリリアント」を中心とする当日本コミュニティ選り抜きの選手らが代表として参加した。

   大会は16のチームが4つのグループに分かれ、上位2チームが決勝リーグに進む方式で、初日はグループ内での総当たり戦が繰り広げられた。日本は初戦イタリアに2-0で勝利し、メキシコ相手の2回戦も2-1。3回戦は相手のブラジルチームが全試合での負傷のためにメンバー不足となり試合放棄したため不戦勝となり、Dグループトップの成績で次の日の決勝トーナメントに進んだ。ルーマニアに勝って駒を進めた準決勝で、アメリカ相手に互角に戦ったもののPKにて2-3となり、惜しくも敗れた。そのアメリカが決勝でイタリアを抑えて優勝。日本は3位決定戦でパキスタンを下して勝利を収めた。

  「日本の代表としてプレーができ、選手にとって大変やり甲斐のあるトーナメントです」「強いメンバーを選び練習も重ねました。優勝を目指しています。」と意気込みを語っていた高橋監督が率いる日本チームにとっては無念な結果ではあろうが、来年も当地のインターナショナル交流への貢献も兼ね、心意気と技を発揮することを期待したい。

Michigan 2014 Japanese Language Speech Contestミシガン 2014日本語スピーチ・コンテスト

<!--:en-->Michigan 2014 Japanese Language Speech Contest<!--:--><!--:ja-->ミシガン 2014日本語スピーチ・コンテスト<!--:--> 3

 ミシガン州内の高校と大学の日本語学習者を対象とした日本語スピーチコンテストが在デトロイト日本国総領事館の主催で2月8日(土)に行なわれた。事前選考を経て、今年は高校部門11名と大学部門12名が本大会に出場した。

 片山総領事は開会にあたり「日本語の学習者数が多く、喜ばしい」と切り出し、熱心に学ぶ姿勢とコンテストにチャレンジする意志を称えた。日本語を学ぶだけでなく文化も学んで欲しいと伝え、さらに言葉は相互理解のため最も大切であり、考え方も変え、有意義であると述べた。またミシガン州立大学連合日本センター(JCMU)やJETプログラム(Japan Exchange and Training Programme)などによる訪日の機会も紹介。ミシガン州には27の日本との姉妹都市があることにも触れ、参加者が日本と米国の架け橋になることを期する言葉で結んだ。総領事は、審査にも参加した。

 進行役が「日本語を普及することが本大会の主目的である」と伝え、学習意欲のさらなる向上を願う言葉でスピーチ発表に移った。

 応募資格と条件は、日本に長期滞在していないこと。よって日本渡航の無経験者か、あるいは短期滞在のみを経験した出場者たちであるにも拘らず、よりネイティブスピーカーに近い、滑らかな話し方をする参加者が年々増えている。インターネット環境が整う昨今、日本語のアニメやドラマに親しんできた者も多く、日本語に限らず母国語以外の音楽をよく聴いているという若者もいた。

 本コンテストでは規定時間内に、暗記したスピーチの発表を課せられる。語彙の豊富さと正しい使い方に加え、上手な内容の展開やまとまりなどの大切な要素の他、発表の際の程よいテンポと流暢さ、表現の豊かさを要され、さらには度胸と記憶力も試される。

 高校生部門第1位に輝いたブラブズさんのスピーチは、語彙と言い回しはシンプルながら、気持ちを分かり易くストレートに表現していた。『ありがとう』の題で、日本人の友達との出会いが自分を「考えの大きな」人間にしてくれたことへの感謝の気持ちを、朗らかな声で大変嬉しそうに話し、聴衆にも笑顔が広がった。

 大学生部門の第1位となったトロングさんは、日本に留学した時に学んだ『心象絵図』について紹介した。心象絵図とは、地域で共に生きる人々の生活の記憶を元に、土地の生活、行事、自然などを一枚の絵として表現するもので、「お年寄りに思い出話をしたくさせる作用があると実感した」とのこと。転じて、ベトナム戦争で全てを失い移民としてアメリカに渡った祖父母をもつトロングさんが、ベトナムのことを知る手立てになるであろうと、自身の身上を織り込み切々と語った。本人の願いと人々の未来への提唱が籠められ、高い関心を集めていた。

 スピーチ内容の多くが、日本での経験により広がった視野、あるいは日本語学習を通じて得た発見や思いを題材としている。日米の比較も多い。大学生の参加者にはアジア出身者が高い割合を占め、母国の事情と日・米との違いに言及した内容もあった。日本の習慣や価値観をも学ぶ当地の若者たちの新鮮な観点や多様な姿勢を垣間見ることができるこのスピーチコンテストは、聴く者たちにとっても得るところが大きい。

  以下に、全参加者のスピーチ内容の要約と各部門の優勝者の原稿全文を紹介する。

原稿要約

プログラム順に氏名、題名、学校名
「 」内は原文引用。*一部平仮名を漢字に変換。

高校(ハイスクール)部門

TIM ARVAN (総領事賞) 「日本と中国をむすぶはし」Huron High School

母親が親と共に5歳で台湾から米国に移住。中国に住んでいる祖父から、日本と戦争があったと聞き、信じられなかった。日本語を学び、二つの国の共通点をみつけ嬉しかった。両国共に食事を大切にする。政治家は時に怒りを作るが、料理人は愛情を作る。箸で結びつく。

STUART BRABBS (1位)「ありがとう 」Huron High School

今まで知り合った日本人の友だちの話。会ったから今の僕になった。日本そして世界の人と友達になりたい、世界の人のことが知りたいと思うようになった。「僕を考えの大きい人間してくれて、ありがとう」

JULLE CHAMBEERS「大学」Stevenson High School

ハイスクールを卒業したらUCLAに行くつもり。行けなければハワイ大学。どちらも良い。アニメーションを勉強し、アジア研究のクラスを取るつもり。韓国で娯楽産業につきたい。

BENJAMIN FREEDMAN (2位)「理想の詩とむずかしいじんせい」Pioneer High School

宮沢賢治の『雨にも負けず』の詩にはたくさんの“頑張ろう”がこめられ、人のために生きる理想を描いている。私が尊敬するユダヤ人の祖父と賢治の似ているところは、苦労をしても目的に向かって貫いくということ。祖父の人生は現実。現実はすべでを完璧にすることはできない。祖父のお蔭で、私の人生は幸せだ感謝している。

MARISA HOCKING「きゅうりサラダ」Utica Academy for International Studies

6年前にベジタリアンになった。日本へ行ってテンプラが出され、食べるのが怖かった。きゅうりサラダが出て良かったと思ったが、ラディッシュに見えたのはタコだった。日本食は怖いがホームステイは楽しかった。また日本へ行きたい。

JENNIFER HUANG「日本のむかしばなし」West Bloomfield High School

語りづがれている昔話の内容と好かれる理由を列挙。『ももたろう』は勇敢なので、子どもが好き。『かぐや姫』からたくさんの話ができた。

CHRISTION JUNCAJ「おりました。」Stevenson High School

「人生完璧です」家族も友達も学校もMP3プレーヤーも完璧だった。MP3プレーヤが壊れて、フォークとナイフでは直すことができず、最悪。物を大事にすることを学んだ。

ELI KNAPP (3位)「ジャメリカ人」Saline High School

日本とアメリカのライフスタイルの違いについて。日本の平均寿命は長く、健康で小食。よりよい保険がある。肥満(率)は日本では3%、アメリカでは30%。日本人は、より多くの人がタバコを吸う。「互いにアイデアを共同すれば、素晴らしい国になる」「僕は両方の良いところをもつジャメリカ人になる」

DANA KOROGODSKY「いつも日本語を勉強したいです。」West Bloomfield High School

3年前、6年生の時に日本語をクラスをとり始めて、すぐに大好きになった。平仮名、片仮名、漢字、文化が好き。もっと学びたい。日本語は特別。

CHISTINA MCNELLEN「先夏休み」Detroit Country Day

昨年の夏休みに2週間、日本でホームステイをした。家族のようだった。いっしょにしたことと、お別れにもらったギフトについて。

MY NGUYEN(特別賞)「しょう来」Stevenson High School

高校4年生。卒業後、ウエインステイト(大学)に進んで心理学を学ぶつもり。アジア文化に関心がある。日本と韓国に留学したい。日本に行きたい理由は日本語を学びたいから。韓国に行きたいのは文化がおもしろいから。

大学生部門

KATHERRINE BALLEW(特別賞)「人種差別のない世界を目指して」Kalamazoo College

甲府市の高校に留学。10カ月に5件のホストファミリーと住んで強いきずなを作ったし、友達ができたが、小さい町では人種の多様性が無く、外見が違うために特別扱いされ、辛いことが多かった。30年以上日本で生活をしているのに特別扱いされ続けているアメリカ人や、外見が西洋人なので社会に溶け込めない様子のハーフの高校生に会って、悲しくなった。特別扱いは世界の深刻な問題。それを無くす為には、ステレオタイプを知らない子供のうちに教えるのが良い。その為に、卒業後には国際交流を推進する活動をするのが私の夢。

SORA CHOI(3位)「俺は、アメリカ人が嫌いだ」Michigan State University

「俺は、アメリカ人が嫌いだ。」これは、去年の夏に参加した第65回日米学生会議(JASC)で、日本人学生が言った言葉。JASCは日米の大学生が一ヶ月の共同生活を送り、議論やイベントに参加し、両国の相互理解を深めるのが目的。長崎で平和祈念式典に参加する機会を得た。市民のアメリカへの嫌悪感は無く、大事なのは「悲劇を繰り返さないように、平和な世界を構築する努力を続けることだ」という未来志向のメッセージが伝わり、平和を願う気持ちが強くなった。意見交換で、冒頭の「俺は、アメリカ人が嫌いだ」爆発宣言があり、ショックを受けたが、壁を取り去るために過去を知ることが大切だと気づいた。「必要なのは、心の壁を取り去り、平和な未来への架け橋を作る為の、勇気ある一歩なのではないでしょうか。」

MEGAN DAVIS「世界を新しく理解した瞬間」Kalamazoo College

アニメに興味があり、小さい頃に自分から頼んでクリスマスに日本語の教科書を買ってもらった。高校で夢見た日本行が実現。行ったことはなくても本で知っているつもりだった。日本人はロボットみたいだと思っていたが、違った。日本の女の子と母親が手を繋いで道を渡る様子を見て、自分と同じだと思った。人間は同じだと気づいた。外観を超えて愛することを学んだ

LIJA GUDRAIS(2位)「日本がくれた奇跡」Eastern Michigan University

日本語の勉強を始めるまでは、何をしたいのか分からなかった。ドラマがきっかけで日本語に興味が湧き、日本語を専攻。「生まれて初めて、私の居場所を見つけた気持ちになりました。」日本に遊学し、日本の景色に何度も感動して涙が出てきた。私を最も変えたのは大阪での1年間。知らない人でもすぐに親しくなり、毎日みんなと勉強して、良く遊び、素敵な人に恋をした。辛いこともあったが、応援してくれる人がいて、恵まれた環境にいると感動。「目の前の全てに対してしっかりと向き合うことができるようになった」

ERIC HAENGEL「キーワードは「つなぐ」」University of Michigan

百人一首の一句を詠みあげてスタート。「深い意味が素晴らしい」のが好きな理由。百人一首の素晴らしさを列挙。1.美しい言葉で自然と心を描写している、2.それぞれの詩に歴史がある。3.多くの場所が今も実際にあり、その場に行って詠み人と心が繋がった。

ミシガン大学に百人一首競技クラブを立ち上げた。百人一首は、自然と心、昔と今、手とカルタ、そして日米を繋ぐこともできる。

GHIA-YIN JUAN「人見知り国家」Michigan State University

日本人はあまり進んでコミュニケーションをとらない。特に異文化背景のある知らない人に対して反応が違う。研究によれば、同一性の要求が高く、日本人にとって外人は特別。目を合わせようとしないこともある。会話をしやすくする3つのポイントは、①自然なあいさつ。②接点を見つける。③相手に興味をもち、よく聞く。文化を研究して工夫したらより良いコミュニケーションができる。

ENJOLIE KOLLEN「言語は理解への扉」Hope College

アメリカ人は他の言葉や文化をあまり勉強しないのが残念。他の国の人は英語を学んでいる。日米が良い関係を持つには、みんなが日本語を学んだらいい。

KALILA MCCOY「音楽が与える影響 ―日本と韓国の関係― 」Michigan State University

多くの韓国の音楽が日本に入っている。日本の曲ばかり聴いていたがボア(韓国人歌手)を聴いてファンになった。韓国の音楽は様々な国の人に向けて作られている。国や文化の壁がない。音楽のお蔭で人種や国の不和を超えることができる。

ALLISON TOBIN「ポケモンは大ヒット」Michigan State University

任天堂が1998年に生み出したポケモンは世界でヒットし、21歳になった今も魅了されている。は世界で2億3千万個、4兆円の売り上げを記録した要因を解析。①プレーヤーとはトレーナー関係があり、我が子のように育てる。②一人では多くゲットするのは無理で、皆と楽しめる。③切手などと同じく中毒性がある。自分はポケモンをやると優しい気持ちになる。

PATRICIA TRUONG(1位)「心象絵図(しんしょうえず)」Wayne State University

*全文を次頁に掲載。

WHITNEY YODER「日本料理との出会い」Hope College

日本料理では、魚はそのままの形で頭や骨もついている。エビも殻ごと。見たことも無いものが出てくる。キクラゲやレンコンのように、味が好きではなくても体に良いと信じて食べるようにしている。形が変でも知りたい。

YUNJIE ZHU(総領事賞)「未来の私へ」University of Michigan

経済学を学んでいる中国からの留学生自身による留学の是非について。中国では5割の卒業生が留学をする高校もあるほど留学ブーム。要因は、大学受験の厳しさ、人口に比べ大学数が少ないなど々。違う文化や習慣に接触でき、語学も堪能になり、いいことだと考えられるが、私には辛いことが多かった。寂しさが強く、生活に慣れるのも大変で、勉強をしながら身の回りのことをするのは苦労。孤独の暗闇から救ってくれたのが日本のマンガ。熱血マンガが勇気や希望を与え、友情や努力の意味を教えてくれた。世界の色々な事に関心を持ち、積極的になった。これは留学のお蔭。卒業後は中国に帰って、アメリカと日本の文化や習慣、異文化を理解する喜びを伝えたい。

受賞作品

「ありがとう」ステュアート・ブラブズ

皆さんは、どうして日本語を勉強したい、勉強しようと思いましたか。僕の場合は、ユキちゃんに会ったからです。

ユキちゃんは僕のはじめての日本人の友だちです。あれは小学校二年生の時でした。ユキちゃんは背が低くて、かみがとても黒かったです。僕の初めての日本語もユキさんが教えてくれました。黒」です。ユキさんのハムスターの名前でした。僕はユキさんに会って、初めて女の子が好きになりました。僕はユキさんが大好きでした。でも、ユキさんは四年生の時に、日本に帰ってしまいました。

中学の時にはリョウタに会いました。リョウタは英語があまり好きじゃなくて、クラスで本を読む時には、英語の本の上に日本語の本をのせて、先生が分からないように読んでいました。とにかく、面白くて元気がありました。

高校ではまた、日本人の女の子と友だちになりました。イノキ・カイさんは頭がよくて、一緒にいると、気持ちが明るくなります。僕が「イノキさん」と呼ぶと、体の小さいイノキさんは「やめて、カイと読んでよ。」といやな顔をします。

僕は時々、考えます。もし、ユキさんに会わなかったら、僕はどうなっていたでしょう。ユキさんとリョウタとカイに会ったから、僕は今の僕になりました。日本人の友だちに会ったから、僕はアメリカだけじゃなくて、日本、そして、世界の人と友達になりたい、世界の人のことが知りたいと思いました。とにかく、世界の人たちのことを考えるようになりました。

ユキさん、リョウタ、カイ、ありがとう。本当にありがとう。

僕を考え方の大きい人間にしてくれて、ありがとう。

そして、皆さん、今日、僕の日本語を聞いてくれて、ありがとうございました。

 

「心象絵図」 パトリシア・トロング

  始めまして。私はウェイン州立大学で日本語と薬学を専攻しているパトリシア・トロングと申します。今日は皆さんに、留学している時に学んだ「心象絵図」についてお話ししたいと思います。

皆さん、「心象絵図」と聞くと、どんなことが頭に浮かぶでしょうか。初めてその言葉を聞いた時、私はそれがどんな絵なのか分かりませんでした。「心象絵図」というのは、ある地域で共に生きる人々の生活の記憶を元に、ある時代に見られた土地の生活、行事、自然などを一枚の絵として表現するものです。

  去年の二月に、友達と心象絵図についてのイベントへ行きました。その時心象絵図の制作に参加した日本人のお年寄りの話を聞いてから、心象絵図の大切さが分かってきたのです。心象絵図というのはただ懐かしいものを見せるというだけでなく、お年寄りと次世代を担う若者が会話するいい機会を作るものだと思うのです。

私が見た心象絵図は滋賀県草津市にある矢倉(やぐら)地域のもので、色々なものが表現されています。例えば、季節の祭り、昔の踊り、建物、そして、人々の暮らしぶりが見られます。

このイベントで、草津市の市長が心象絵図を使って、思い出話を始めたのですが、夢中になってしまって、話がなかなか止まりませんでした。心象絵図は、お年寄りに思い出話をしたくさせる作用があるようで、市長だけでなく多くのお年寄りが次々に話し始めたのです。しかし、心象絵図を作ることの意義は、老若男女、誰もが参加できるということにあると思います。お年寄りの話を聞いて、若者が下書きを描き、お年寄りに確認してもらったりして、みんなで話し、みんなで作 る共同作業なのです。その過程でお年寄りと若者が過去を共有するということは、私が思うに、みんなの未来を作るヒントになると思うのです。

その経験から、そのようなプロジェクトを他の国でもしたらいいのではないかと思いました。というのは、わたしは、祖父母の故郷の話をもっと知りたいと思ったからです。わたしの祖父母は、ベトナム戦争で、すべてを失い、移民としてアメリカに来ました。故郷の写真もないし、故郷で一緒に暮らしていた人々とのつながりも失ってしまったし、家族の間でも故郷であった出来事について全く話さなくなりました。

わたしたち子供が小学校に入ってから、英語を習うために、家族は母国語をあまり話さなくなりました。「ベトナムにはどんな行事があったのか」とか「故郷ではどんな建物に住んでいたのか」など、疑問に思った私でしたが、言葉の壁のせいで、祖父母に聞くことが難しかったのです。しかし、祖父母の故郷の心象絵図さえあれば、言語の障壁を取り除き、言いたい事を伝わりや すくすることができます。私たちの知らない環境や生活の知識を得ることができるだけでなく、祖父母とのきずなも強くなるでしょう。

心象絵図作りは地域としてできるだけではありません。家族内でもできるでしょうし、また家族のいない若者にとっても家族を知っているお年寄りなどを通じて家族のルーツを 知る手段にもなるのではないでしょうか。地域や個人の過去の生活を知るということは、誰にとってもすばらしい事なのではないでしょうか。

ご清聴ありがとうございました。

 ミシガン州内の高校と大学の日本語学習者を対象とした日本語スピーチコンテストが在デトロイト日本国総領事館の主催で2月8日(土)に行なわれた。事前選考を経て、今年は高校部門11名と大学部門12名が本大会に出場した。

 片山総領事は開会にあたり「日本語の学習者数が多く、喜ばしい」と切り出し、熱心に学ぶ姿勢とコンテストにチャレンジする意志を称えた。日本語を学ぶだけでなく文化も学んで欲しいと伝え、さらに言葉は相互理解のため最も大切であり、考え方も変え、有意義であると述べた。またミシガン州立大学連合日本センター(JCMU)やJETプログラム(Japan Exchange and Training Programme)などによる訪日の機会も紹介。ミシガン州には27の日本との姉妹都市があることにも触れ、参加者が日本と米国の架け橋になることを期する言葉で結んだ。総領事は、審査にも参加した。

 進行役が「日本語を普及することが本大会の主目的である」と伝え、学習意欲のさらなる向上を願う言葉でスピーチ発表に移った。

 応募資格と条件は、日本に長期滞在していないこと。よって日本渡航の無経験者か、あるいは短期滞在のみを経験した出場者たちであるにも拘らず、よりネイティブスピーカーに近い、滑らかな話し方をする参加者が年々増えている。インターネット環境が整う昨今、日本語のアニメやドラマに親しんできた者も多く、日本語に限らず母国語以外の音楽をよく聴いているという若者もいた。

 本コンテストでは規定時間内に、暗記したスピーチの発表を課せられる。語彙の豊富さと正しい使い方に加え、上手な内容の展開やまとまりなどの大切な要素の他、発表の際の程よいテンポと流暢さ、表現の豊かさを要され、さらには度胸と記憶力も試される。

 高校生部門第1位に輝いたブラブズさんのスピーチは、語彙と言い回しはシンプルながら、気持ちを分かり易くストレートに表現していた。『ありがとう』の題で、日本人の友達との出会いが自分を「考えの大きな」人間にしてくれたことへの感謝の気持ちを、朗らかな声で大変嬉しそうに話し、聴衆にも笑顔が広がった。

 大学生部門の第1位となったトロングさんは、日本に留学した時に学んだ『心象絵図』について紹介した。心象絵図とは、地域で共に生きる人々の生活の記憶を元に、土地の生活、行事、自然などを一枚の絵として表現するもので、「お年寄りに思い出話をしたくさせる作用があると実感した」とのこと。転じて、ベトナム戦争で全てを失い移民としてアメリカに渡った祖父母をもつトロングさんが、ベトナムのことを知る手立てになるであろうと、自身の身上を織り込み切々と語った。本人の願いと人々の未来への提唱が籠められ、高い関心を集めていた。

 スピーチ内容の多くが、日本での経験により広がった視野、あるいは日本語学習を通じて得た発見や思いを題材としている。日米の比較も多い。大学生の参加者にはアジア出身者が高い割合を占め、母国の事情と日・米との違いに言及した内容もあった。日本の習慣や価値観をも学ぶ当地の若者たちの新鮮な観点や多様な姿勢を垣間見ることができるこのスピーチコンテストは、聴く者たちにとっても得るところが大きい。

  以下に、全参加者のスピーチ内容の要約と各部門の優勝者の原稿全文を紹介する。

原稿要約

プログラム順に氏名、題名、学校名
「 」内は原文引用。*一部平仮名を漢字に変換。

高校(ハイスクール)部門

TIM ARVAN (総領事賞) 「日本と中国をむすぶはし」Huron High School

母親が親と共に5歳で台湾から米国に移住。中国に住んでいる祖父から、日本と戦争があったと聞き、信じられなかった。日本語を学び、二つの国の共通点をみつけ嬉しかった。両国共に食事を大切にする。政治家は時に怒りを作るが、料理人は愛情を作る。箸で結びつく。

STUART BRABBS (1位)「ありがとう 」Huron High School

今まで知り合った日本人の友だちの話。会ったから今の僕になった。日本そして世界の人と友達になりたい、世界の人のことが知りたいと思うようになった。「僕を考えの大きい人間してくれて、ありがとう」

JULLE CHAMBEERS「大学」Stevenson High School

ハイスクールを卒業したらUCLAに行くつもり。行けなければハワイ大学。どちらも良い。アニメーションを勉強し、アジア研究のクラスを取るつもり。韓国で娯楽産業につきたい。

BENJAMIN FREEDMAN (2位)「理想の詩とむずかしいじんせい」Pioneer High School

宮沢賢治の『雨にも負けず』の詩にはたくさんの“頑張ろう”がこめられ、人のために生きる理想を描いている。私が尊敬するユダヤ人の祖父と賢治の似ているところは、苦労をしても目的に向かって貫いくということ。祖父の人生は現実。現実はすべでを完璧にすることはできない。祖父のお蔭で、私の人生は幸せだ感謝している。

MARISA HOCKING「きゅうりサラダ」Utica Academy for International Studies

6年前にベジタリアンになった。日本へ行ってテンプラが出され、食べるのが怖かった。きゅうりサラダが出て良かったと思ったが、ラディッシュに見えたのはタコだった。日本食は怖いがホームステイは楽しかった。また日本へ行きたい。

JENNIFER HUANG「日本のむかしばなし」West Bloomfield High School

語りづがれている昔話の内容と好かれる理由を列挙。『ももたろう』は勇敢なので、子どもが好き。『かぐや姫』からたくさんの話ができた。

CHRISTION JUNCAJ「おりました。」Stevenson High School

「人生完璧です」家族も友達も学校もMP3プレーヤーも完璧だった。MP3プレーヤが壊れて、フォークとナイフでは直すことができず、最悪。物を大事にすることを学んだ。

ELI KNAPP (3位)「ジャメリカ人」Saline High School

日本とアメリカのライフスタイルの違いについて。日本の平均寿命は長く、健康で小食。よりよい保険がある。肥満(率)は日本では3%、アメリカでは30%。日本人は、より多くの人がタバコを吸う。「互いにアイデアを共同すれば、素晴らしい国になる」「僕は両方の良いところをもつジャメリカ人になる」

DANA KOROGODSKY「いつも日本語を勉強したいです。」West Bloomfield High School

3年前、6年生の時に日本語をクラスをとり始めて、すぐに大好きになった。平仮名、片仮名、漢字、文化が好き。もっと学びたい。日本語は特別。

CHISTINA MCNELLEN「先夏休み」Detroit Country Day

昨年の夏休みに2週間、日本でホームステイをした。家族のようだった。いっしょにしたことと、お別れにもらったギフトについて。

MY NGUYEN(特別賞)「しょう来」Stevenson High School

高校4年生。卒業後、ウエインステイト(大学)に進んで心理学を学ぶつもり。アジア文化に関心がある。日本と韓国に留学したい。日本に行きたい理由は日本語を学びたいから。韓国に行きたいのは文化がおもしろいから。

大学生部門

KATHERRINE BALLEW(特別賞)「人種差別のない世界を目指して」Kalamazoo College

甲府市の高校に留学。10カ月に5件のホストファミリーと住んで強いきずなを作ったし、友達ができたが、小さい町では人種の多様性が無く、外見が違うために特別扱いされ、辛いことが多かった。30年以上日本で生活をしているのに特別扱いされ続けているアメリカ人や、外見が西洋人なので社会に溶け込めない様子のハーフの高校生に会って、悲しくなった。特別扱いは世界の深刻な問題。それを無くす為には、ステレオタイプを知らない子供のうちに教えるのが良い。その為に、卒業後には国際交流を推進する活動をするのが私の夢。

SORA CHOI(3位)「俺は、アメリカ人が嫌いだ」Michigan State University

「俺は、アメリカ人が嫌いだ。」これは、去年の夏に参加した第65回日米学生会議(JASC)で、日本人学生が言った言葉。JASCは日米の大学生が一ヶ月の共同生活を送り、議論やイベントに参加し、両国の相互理解を深めるのが目的。長崎で平和祈念式典に参加する機会を得た。市民のアメリカへの嫌悪感は無く、大事なのは「悲劇を繰り返さないように、平和な世界を構築する努力を続けることだ」という未来志向のメッセージが伝わり、平和を願う気持ちが強くなった。意見交換で、冒頭の「俺は、アメリカ人が嫌いだ」爆発宣言があり、ショックを受けたが、壁を取り去るために過去を知ることが大切だと気づいた。「必要なのは、心の壁を取り去り、平和な未来への架け橋を作る為の、勇気ある一歩なのではないでしょうか。」

MEGAN DAVIS「世界を新しく理解した瞬間」Kalamazoo College

アニメに興味があり、小さい頃に自分から頼んでクリスマスに日本語の教科書を買ってもらった。高校で夢見た日本行が実現。行ったことはなくても本で知っているつもりだった。日本人はロボットみたいだと思っていたが、違った。日本の女の子と母親が手を繋いで道を渡る様子を見て、自分と同じだと思った。人間は同じだと気づいた。外観を超えて愛することを学んだ

LIJA GUDRAIS(2位)「日本がくれた奇跡」Eastern Michigan University

日本語の勉強を始めるまでは、何をしたいのか分からなかった。ドラマがきっかけで日本語に興味が湧き、日本語を専攻。「生まれて初めて、私の居場所を見つけた気持ちになりました。」日本に遊学し、日本の景色に何度も感動して涙が出てきた。私を最も変えたのは大阪での1年間。知らない人でもすぐに親しくなり、毎日みんなと勉強して、良く遊び、素敵な人に恋をした。辛いこともあったが、応援してくれる人がいて、恵まれた環境にいると感動。「目の前の全てに対してしっかりと向き合うことができるようになった」

ERIC HAENGEL「キーワードは「つなぐ」」University of Michigan

百人一首の一句を詠みあげてスタート。「深い意味が素晴らしい」のが好きな理由。百人一首の素晴らしさを列挙。1.美しい言葉で自然と心を描写している、2.それぞれの詩に歴史がある。3.多くの場所が今も実際にあり、その場に行って詠み人と心が繋がった。

ミシガン大学に百人一首競技クラブを立ち上げた。百人一首は、自然と心、昔と今、手とカルタ、そして日米を繋ぐこともできる。

GHIA-YIN JUAN「人見知り国家」Michigan State University

日本人はあまり進んでコミュニケーションをとらない。特に異文化背景のある知らない人に対して反応が違う。研究によれば、同一性の要求が高く、日本人にとって外人は特別。目を合わせようとしないこともある。会話をしやすくする3つのポイントは、①自然なあいさつ。②接点を見つける。③相手に興味をもち、よく聞く。文化を研究して工夫したらより良いコミュニケーションができる。

ENJOLIE KOLLEN「言語は理解への扉」Hope College

アメリカ人は他の言葉や文化をあまり勉強しないのが残念。他の国の人は英語を学んでいる。日米が良い関係を持つには、みんなが日本語を学んだらいい。

KALILA MCCOY「音楽が与える影響 ―日本と韓国の関係― 」Michigan State University

多くの韓国の音楽が日本に入っている。日本の曲ばかり聴いていたがボア(韓国人歌手)を聴いてファンになった。韓国の音楽は様々な国の人に向けて作られている。国や文化の壁がない。音楽のお蔭で人種や国の不和を超えることができる。

ALLISON TOBIN「ポケモンは大ヒット」Michigan State University

任天堂が1998年に生み出したポケモンは世界でヒットし、21歳になった今も魅了されている。は世界で2億3千万個、4兆円の売り上げを記録した要因を解析。①プレーヤーとはトレーナー関係があり、我が子のように育てる。②一人では多くゲットするのは無理で、皆と楽しめる。③切手などと同じく中毒性がある。自分はポケモンをやると優しい気持ちになる。

PATRICIA TRUONG(1位)「心象絵図(しんしょうえず)」Wayne State University

*全文を次頁に掲載。

WHITNEY YODER「日本料理との出会い」Hope College

日本料理では、魚はそのままの形で頭や骨もついている。エビも殻ごと。見たことも無いものが出てくる。キクラゲやレンコンのように、味が好きではなくても体に良いと信じて食べるようにしている。形が変でも知りたい。

YUNJIE ZHU(総領事賞)「未来の私へ」University of Michigan

経済学を学んでいる中国からの留学生自身による留学の是非について。中国では5割の卒業生が留学をする高校もあるほど留学ブーム。要因は、大学受験の厳しさ、人口に比べ大学数が少ないなど々。違う文化や習慣に接触でき、語学も堪能になり、いいことだと考えられるが、私には辛いことが多かった。寂しさが強く、生活に慣れるのも大変で、勉強をしながら身の回りのことをするのは苦労。孤独の暗闇から救ってくれたのが日本のマンガ。熱血マンガが勇気や希望を与え、友情や努力の意味を教えてくれた。世界の色々な事に関心を持ち、積極的になった。これは留学のお蔭。卒業後は中国に帰って、アメリカと日本の文化や習慣、異文化を理解する喜びを伝えたい。

受賞作品

「ありがとう」ステュアート・ブラブズ

皆さんは、どうして日本語を勉強したい、勉強しようと思いましたか。僕の場合は、ユキちゃんに会ったからです。

ユキちゃんは僕のはじめての日本人の友だちです。あれは小学校二年生の時でした。ユキちゃんは背が低くて、かみがとても黒かったです。僕の初めての日本語もユキさんが教えてくれました。黒」です。ユキさんのハムスターの名前でした。僕はユキさんに会って、初めて女の子が好きになりました。僕はユキさんが大好きでした。でも、ユキさんは四年生の時に、日本に帰ってしまいました。

中学の時にはリョウタに会いました。リョウタは英語があまり好きじゃなくて、クラスで本を読む時には、英語の本の上に日本語の本をのせて、先生が分からないように読んでいました。とにかく、面白くて元気がありました。

高校ではまた、日本人の女の子と友だちになりました。イノキ・カイさんは頭がよくて、一緒にいると、気持ちが明るくなります。僕が「イノキさん」と呼ぶと、体の小さいイノキさんは「やめて、カイと読んでよ。」といやな顔をします。

僕は時々、考えます。もし、ユキさんに会わなかったら、僕はどうなっていたでしょう。ユキさんとリョウタとカイに会ったから、僕は今の僕になりました。日本人の友だちに会ったから、僕はアメリカだけじゃなくて、日本、そして、世界の人と友達になりたい、世界の人のことが知りたいと思いました。とにかく、世界の人たちのことを考えるようになりました。

ユキさん、リョウタ、カイ、ありがとう。本当にありがとう。

僕を考え方の大きい人間にしてくれて、ありがとう。

そして、皆さん、今日、僕の日本語を聞いてくれて、ありがとうございました。

 

「心象絵図」 パトリシア・トロング

  始めまして。私はウェイン州立大学で日本語と薬学を専攻しているパトリシア・トロングと申します。今日は皆さんに、留学している時に学んだ「心象絵図」についてお話ししたいと思います。

皆さん、「心象絵図」と聞くと、どんなことが頭に浮かぶでしょうか。初めてその言葉を聞いた時、私はそれがどんな絵なのか分かりませんでした。「心象絵図」というのは、ある地域で共に生きる人々の生活の記憶を元に、ある時代に見られた土地の生活、行事、自然などを一枚の絵として表現するものです。

  去年の二月に、友達と心象絵図についてのイベントへ行きました。その時心象絵図の制作に参加した日本人のお年寄りの話を聞いてから、心象絵図の大切さが分かってきたのです。心象絵図というのはただ懐かしいものを見せるというだけでなく、お年寄りと次世代を担う若者が会話するいい機会を作るものだと思うのです。

私が見た心象絵図は滋賀県草津市にある矢倉(やぐら)地域のもので、色々なものが表現されています。例えば、季節の祭り、昔の踊り、建物、そして、人々の暮らしぶりが見られます。

このイベントで、草津市の市長が心象絵図を使って、思い出話を始めたのですが、夢中になってしまって、話がなかなか止まりませんでした。心象絵図は、お年寄りに思い出話をしたくさせる作用があるようで、市長だけでなく多くのお年寄りが次々に話し始めたのです。しかし、心象絵図を作ることの意義は、老若男女、誰もが参加できるということにあると思います。お年寄りの話を聞いて、若者が下書きを描き、お年寄りに確認してもらったりして、みんなで話し、みんなで作 る共同作業なのです。その過程でお年寄りと若者が過去を共有するということは、私が思うに、みんなの未来を作るヒントになると思うのです。

その経験から、そのようなプロジェクトを他の国でもしたらいいのではないかと思いました。というのは、わたしは、祖父母の故郷の話をもっと知りたいと思ったからです。わたしの祖父母は、ベトナム戦争で、すべてを失い、移民としてアメリカに来ました。故郷の写真もないし、故郷で一緒に暮らしていた人々とのつながりも失ってしまったし、家族の間でも故郷であった出来事について全く話さなくなりました。

わたしたち子供が小学校に入ってから、英語を習うために、家族は母国語をあまり話さなくなりました。「ベトナムにはどんな行事があったのか」とか「故郷ではどんな建物に住んでいたのか」など、疑問に思った私でしたが、言葉の壁のせいで、祖父母に聞くことが難しかったのです。しかし、祖父母の故郷の心象絵図さえあれば、言語の障壁を取り除き、言いたい事を伝わりや すくすることができます。私たちの知らない環境や生活の知識を得ることができるだけでなく、祖父母とのきずなも強くなるでしょう。

心象絵図作りは地域としてできるだけではありません。家族内でもできるでしょうし、また家族のいない若者にとっても家族を知っているお年寄りなどを通じて家族のルーツを 知る手段にもなるのではないでしょうか。地域や個人の過去の生活を知るということは、誰にとってもすばらしい事なのではないでしょうか。

ご清聴ありがとうございました。

Consulate-General of Japan Hosts JET Program Reception To Honor Returning Educators在デトロイト総領事館主催 JETプログラム帰任者 / 語学教育関係者 交流レセプション

<!--:en-->Consulate-General of Japan Hosts JET Program Reception To Honor Returning Educators<!--:--><!--:ja-->在デトロイト総領事館主催  JETプログラム帰任者 / 語学教育関係者 交流レセプション<!--:--> 1

 去る10月26日、在デトロイト総領事公邸に於いて、JETプログラム帰任者の歓迎並びに語学教育関係の分野で活躍している教師/教授等の交流を意図した場が設けられた。

 JETプログラムはThe Japan Exchange and Teaching Programme(語学指導等を行う外国青年招致事業)の略称で、海外の若者が日本で英語教師のアシスタントなどとして働くプログラム。

 この日の集まりには、今年JETプログラムの任を終えて当地へ帰国した参加者や、JET同窓会(alumni)の当地区(Great Lakes Chapter)会長を始めとするJET経験者、また、ミシガン州とオハイオ州のミドルスクールやハイスクール、大学で日本語の研究や指導に携わっている教師に加え、ミシガン州で研修中の日本の中学校や高校の英語教員、そして日本商工会の役員も出席し られた。また、当地の日系企業や日米バイリンガルの求人に関する経験が豊富な リクルーターも招かれ、ミシガン州を中 心とした雇用状況などの説明の時間も 設けられた。 活発な歓談が行われ、有意義な情報 交換と交流のひと時となった。

 在デトロイト総領事館片山和之総領事は歓迎の英語挨拶で、「異文化理解が交流の根幹であり、語学は非常に重要」「ルーツを強くすることがJETプログラムの大きな目的」と語った。また、派遣によって日本をより深く理解し、同時にアメリカの文化を日本人に伝えてくれたJET参加者の果たした意義を評価した。JETプログラムには63か国からの参加があり、全世界に51の同窓会があることに触れ、派遣終了後もネットワークがあり国際交流に努めている旨が伝えられた。

 この8月に日本から帰任しレセプショ ンに参加したJET経験者は8名。赴任 期間は1年から5年とまちまちだが、皆、 自己紹介の中、日本滞在の貴重さと素 晴らしさを告げた。強力な日本ファンの 増加である。自然の豊かさや好きな土 地、余暇をいかに過ごしたかなどが披 露されたが、多くの参加者がたくさんの 友人を得たことなど人的財産を最たる 収穫に挙げた。鳥取県に4年間滞在し たエイリーンさんは「私の人生を大きく 変え、やり抜くことを学んだ。一番は友 人。」と笑顔で語った。異国に自ら飛び 込み、異文化で生き抜いた人達とあっ て、参加者たちは一様にコミュニケーシ ョン力が高く、快活。日本滞在中には、 英語を教える助けとなっただけではな く、人間関係を築く手本となり、受け入 れ側にも刺激と活力を与えてきてくれた ことであろう。

 2年半以上赴任した参加者は、東日 本大震災発生時に日本に居たことにな るが、赴任先によってその影響には大 差がある。 2011年1月から宮城県気仙沼市 に赴任したポールさんは、訪日し て2か月後にその日を迎えた。折 しも、船が交通手段である離島(大 島)の学校を訪れていた時のこと。 地震と津波の影響で連絡船は不 通に。島中が停電となった中、体 育館へ避難。島外との連絡が全く 途絶えた状態が続き、ポールさん の両親は当地総領事館に安否確 認を求めたが、情報が得られず不 安な時が過ぎた。たまたまCNNが 島の様子を取材したニュースにポール さんが映ったことで、所在が明らかにな ったそうだ。5日間の離島の体育館での 避難生活は船による救出によりピリオド を打ったが、気仙沼の彼のアパートは 被災し、中学校の職員室で電気の無い 生活を送る状況に陥った。それでも震 災直後に日本を離れなかったのは「手 助けしたかったから」と話す。去らなか ったポールさんは多くの地元の人、とり わけ生徒たちに心強さを与え信頼され たことであろう。

 参加者のひとりは「海外に長く住む と、自分の国と比べることができる。多く の米人はアメリカが一番だと言うが、他 のやり方があって、良いところがあると 分かる。」と話す。日本だけでなく全て の国について、その国の文化や背景を 知らずに、間違っていると決めつけるの は正しくないとも。 視野を広げた日本ファンの若者達の 更なる活躍を期待すると同時に、国外 長期滞在の経験者あるいは移民が異 文化理解に果たせる可能性について 考えさせられた。

 去る10月26日、在デトロイト総領事公邸に於いて、JETプログラム帰任者の歓迎並びに語学教育関係の分野で活躍している教師/教授等の交流を意図した場が設けられた。

 JETプログラムはThe Japan Exchange and Teaching Programme(語学指導等を行う外国青年招致事業)の略称で、海外の若者が日本で英語教師のアシスタントなどとして働くプログラム。

 この日の集まりには、今年JETプログラムの任を終えて当地へ帰国した参加者や、JET同窓会(alumni)の当地区(Great Lakes Chapter)会長を始めとするJET経験者、また、ミシガン州とオハイオ州のミドルスクールやハイスクール、大学で日本語の研究や指導に携わっている教師に加え、ミシガン州で研修中の日本の中学校や高校の英語教員、そして日本商工会の役員も出席し られた。また、当地の日系企業や日米バイリンガルの求人に関する経験が豊富な リクルーターも招かれ、ミシガン州を中 心とした雇用状況などの説明の時間も 設けられた。 活発な歓談が行われ、有意義な情報 交換と交流のひと時となった。

 在デトロイト総領事館片山和之総領事は歓迎の英語挨拶で、「異文化理解が交流の根幹であり、語学は非常に重要」「ルーツを強くすることがJETプログラムの大きな目的」と語った。また、派遣によって日本をより深く理解し、同時にアメリカの文化を日本人に伝えてくれたJET参加者の果たした意義を評価した。JETプログラムには63か国からの参加があり、全世界に51の同窓会があることに触れ、派遣終了後もネットワークがあり国際交流に努めている旨が伝えられた。

 この8月に日本から帰任しレセプショ ンに参加したJET経験者は8名。赴任 期間は1年から5年とまちまちだが、皆、 自己紹介の中、日本滞在の貴重さと素 晴らしさを告げた。強力な日本ファンの 増加である。自然の豊かさや好きな土 地、余暇をいかに過ごしたかなどが披 露されたが、多くの参加者がたくさんの 友人を得たことなど人的財産を最たる 収穫に挙げた。鳥取県に4年間滞在し たエイリーンさんは「私の人生を大きく 変え、やり抜くことを学んだ。一番は友 人。」と笑顔で語った。異国に自ら飛び 込み、異文化で生き抜いた人達とあっ て、参加者たちは一様にコミュニケーシ ョン力が高く、快活。日本滞在中には、 英語を教える助けとなっただけではな く、人間関係を築く手本となり、受け入 れ側にも刺激と活力を与えてきてくれた ことであろう。

 2年半以上赴任した参加者は、東日 本大震災発生時に日本に居たことにな るが、赴任先によってその影響には大 差がある。 2011年1月から宮城県気仙沼市 に赴任したポールさんは、訪日し て2か月後にその日を迎えた。折 しも、船が交通手段である離島(大 島)の学校を訪れていた時のこと。 地震と津波の影響で連絡船は不 通に。島中が停電となった中、体 育館へ避難。島外との連絡が全く 途絶えた状態が続き、ポールさん の両親は当地総領事館に安否確 認を求めたが、情報が得られず不 安な時が過ぎた。たまたまCNNが 島の様子を取材したニュースにポール さんが映ったことで、所在が明らかにな ったそうだ。5日間の離島の体育館での 避難生活は船による救出によりピリオド を打ったが、気仙沼の彼のアパートは 被災し、中学校の職員室で電気の無い 生活を送る状況に陥った。それでも震 災直後に日本を離れなかったのは「手 助けしたかったから」と話す。去らなか ったポールさんは多くの地元の人、とり わけ生徒たちに心強さを与え信頼され たことであろう。

 参加者のひとりは「海外に長く住む と、自分の国と比べることができる。多く の米人はアメリカが一番だと言うが、他 のやり方があって、良いところがあると 分かる。」と話す。日本だけでなく全て の国について、その国の文化や背景を 知らずに、間違っていると決めつけるの は正しくないとも。 視野を広げた日本ファンの若者達の 更なる活躍を期待すると同時に、国外 長期滞在の経験者あるいは移民が異 文化理解に果たせる可能性について 考えさせられた。

Dennis Archer Honored by Nation of Japanアーチャー前デトロイト市長への勲章授与

<!--:en-->Dennis Archer Honored by Nation of Japan<!--:--><!--:ja-->アーチャー前デトロイト市長への勲章授与<!--:--> 2

デトロイト市の前市長であるデニス・アーチャー氏が2013年春の叙勲における外国人受賞者として選ばれ、6月3日に催されたミシガン・南西オンタリオ日米協会の年次晩餐会の場において、旭日(きょくじつ)中綬章(英訳:The Order of the Rising Sun, Gold Rays with Neck Ribbon)が授与された。この勲章は、日本との相互関係の強化への重要かつ顕著な貢献を行った外国籍の個人に対し、天皇陛下および日本国政府から外国籍の個人に贈られる高位の勲章である。

およそ130名の参加者がこの栄誉ある授与の場に列席する中、松田在デトロイト総領事より勲記ならびに勲章がアーチャー氏に授与され、会場は同氏への祝福と称賛を示す盛大な拍手に包まれた。

松田総領事は挨拶の中、アーチャー氏による日米相互の関係に対する強力な関与を強調し、“日本とデトロイト市、日本とミシガン州、そして、日本とアメリカ間の文化、政治および経済的な関係を強化する上での甚大なる貢献”と称賛し、「日本は多大な恩恵を受けた」と感謝の意を述べた。

これを受けて、アーチャー氏は「私は、法律家として、また、市長として、正しいと考えたことを行ってきただけ」と謙虚に応えつつも、高位の勲章を受けた感激を示した。

アーチャー氏は元デトロイト市長であり、元デトロイト・ウィンザー日米協会長、元米国法曹協会会長、元ミシガン州最高裁判所判事の経歴ももつ。

在留邦人の利益保護、日本・アメリカ合衆国間の文化交流、政治経済関係強化などに寄与したことが受賞にあたっての主な貢献内容として掲げられた。デトロイト市長在任中(1994年-2001年)は姉妹都市である豊田市との活発な交流を支えた。ベルアイルへの桜植樹も行われた。デトロイト日本商工会のミーティングに初めて参加した市長でもある。また日本に関わる様々な会議にも数多く参加。ミシガン州全体の日系経済界との関係を構築し、日米間の友好を深めるために尽くした。

デトロイト市の前市長であるデニス・アーチャー氏が2013年春の叙勲における外国人受賞者として選ばれ、6月3日に催されたミシガン・南西オンタリオ日米協会の年次晩餐会の場において、旭日(きょくじつ)中綬章(英訳:The Order of the Rising Sun, Gold Rays with Neck Ribbon)が授与された。この勲章は、日本との相互関係の強化への重要かつ顕著な貢献を行った外国籍の個人に対し、天皇陛下および日本国政府から外国籍の個人に贈られる高位の勲章である。

およそ130名の参加者がこの栄誉ある授与の場に列席する中、松田在デトロイト総領事より勲記ならびに勲章がアーチャー氏に授与され、会場は同氏への祝福と称賛を示す盛大な拍手に包まれた。

松田総領事は挨拶の中、アーチャー氏による日米相互の関係に対する強力な関与を強調し、“日本とデトロイト市、日本とミシガン州、そして、日本とアメリカ間の文化、政治および経済的な関係を強化する上での甚大なる貢献”と称賛し、「日本は多大な恩恵を受けた」と感謝の意を述べた。

これを受けて、アーチャー氏は「私は、法律家として、また、市長として、正しいと考えたことを行ってきただけ」と謙虚に応えつつも、高位の勲章を受けた感激を示した。

アーチャー氏は元デトロイト市長であり、元デトロイト・ウィンザー日米協会長、元米国法曹協会会長、元ミシガン州最高裁判所判事の経歴ももつ。

在留邦人の利益保護、日本・アメリカ合衆国間の文化交流、政治経済関係強化などに寄与したことが受賞にあたっての主な貢献内容として掲げられた。デトロイト市長在任中(1994年-2001年)は姉妹都市である豊田市との活発な交流を支えた。ベルアイルへの桜植樹も行われた。デトロイト日本商工会のミーティングに初めて参加した市長でもある。また日本に関わる様々な会議にも数多く参加。ミシガン州全体の日系経済界との関係を構築し、日米間の友好を深めるために尽くした。

Cherry Blossom and Business Network in Lansing州都ランシングで桜植樹とビジネスネットワーク

<!--:en-->Cherry Blossom and Business Network in Lansing<!--:--><!--:ja-->州都ランシングで桜植樹とビジネスネットワーク<!--:--> 2

 昨年2012年は日米桜寄贈100周年を迎え、桜を介した交流を首都ワシントンのみならず全米に広げたいという趣旨のもとにスタートした事業によって、全米各地で植樹やその関連の友好イベントが実施された。そして桜植樹は100周年の年でピリオドを打つことなく、日米友好関係の一層の発展を願い続けられている。

ランシング市副市長、松田総領事、同市レクレーションディレクター

 4月26日(月)、ミシガン州の州都ランシング市にて桜の植樹式が行われた。ランシング市の観光やビジネス、教育関係者並びに在デトロイト日本国総領事館、日系企業、日米協会、ミシガン滋賀姉妹州県委員会の代表者など多くが参列した。今年は4月中旬を過ぎても霜が降りるほどの寒さが続き、天候が心配されたが、この日は打って変わって暖かな日となり、若い桜の木に眩い日差しが降り注いだ。4月26日はArbor Day:アーバーデイと称される植樹の日であり、それに合わせた式典であったが、桜の花がタイミング良く咲き、祝賀のムードに文字通り華を添えていた。

 植樹式に先立ってシティーホールにて親睦の時間が設けられ、ランシング市のVirg Bernero市長より、訪日した折には篤い歓迎を受け、日本は大好きな国であるとの談話を交え、日米の交流が植樹を機に一層深まることを期する言葉が伝えられた。松田総領事からも桜が更に強い絆を結ぶ役割を果たすことへの祈願が述べられた後、日米桜寄贈100周年にあたり日本で発行された記念切手を収めた額が同市に寄贈された。

 3本の桜の苗木は、ランシング市の中心を流れる川沿いの公園(Adado Riverfront Park)に植えられた。同市のハイスクールで日本語を習得中の生徒も駆けつけ、日米の友好を願う多くの人々により植樹が行われた。ランシング市の副市長はアーバーデイに日本との友好の新たな歴史がスタートすることを祝う言葉を述べ、また、姉妹都市である大津市のみならず日米交流が活発良好に続いてゆくことを願った。

 松田総領事は、日本語を履修している生徒達に日本語を選んでくれたことに対する喜びと激励を伝えた後、日米桜寄贈の歴史をかいつまんで説明した。「今後はここで家族や友人と共に花見を楽しんで欲しい」との希望を述べた。続いて同市のレクリエーション関係の担当者より更なる説明が加えられた。この公園は市民の憩いの場であり、多くのイベントが開催される場所だという。日米交流のシンボルである桜が、多くの人の目を楽しませ、心を癒してゆくことであろう。

 日米交流のシンボルである桜の木がしっかりと根付いて、厳しい寒さに見舞われてもなお、枝を伸ばし美しい花を咲かせ続けることを祈り、参列者が順々に若木を守るマルチ(ウッドチップ)を加えていった。

 同日の午後には、ランシング地区商工会議所を会場にビジネス・ランチョンが催され、様々な分野の代表によるプレゼンテーションが行われた。まず市長が、ランシング市は近年著しいビジネス発展を遂げていると強調、自動車産業の新展開やグローバルな企業の増加などの点を指摘し、今後も成長が期待されると述べた。

 松田総領事は、日本のミシガンにおける投資の多くは自動車産業に向けられているといった現状を挙げ、何が新しい機会となりうるかを提起した後、ランシング地区におけるビジネスチャンスについて、日系企業が理解を深めることを促した。

 ランシング地区商工会の会長は、保険会社が多いこの地区はポートランシングとして多数のカルゴが入ってきており、海外貿易の拠点として向いているといった特色を提示。

観光局長は、州都であるランシングには州議事堂の他にミシガン歴史博物館や交通博物館、ミシガン州立大学の美術館や植物園といった公開施設やフェスティバルやスポーツイベントも多く、観光要素が充実しており、コンベンションの開催にも向いているとアピール。

 企業(Lansing Economic Area Partnership)の代表は、ミシガン州立大学の研究を一例とし、当地域の人的あるいは技術的な資源の豊かさを強調して「米国内で6番目に成長を遂げている市であるランシングの変化をぜひ実際に見て欲しい」と訴えた。

 芸術関連のPRでは、芸術系のイベントやフェスティバルに携わっているNPO‘Michigan Institute for Contemporary Art(MICA)’代表より、ランシングは実に多様なイベントの開催地であることが紹介された他、教育関係者からは、当学区ではいくつかの言語を取り入れているが中でも日本語に力を入れているとの報告が、更にミシガン州立大学のアジア研究センター代表から、同学では日本と提携して日本語並びに日本文学、地理など充実したカリキュラムがあることが伝えられた。

 再び市長が挨拶に立ち、両国の友好と交流がより構築されることを願ってやまないと締めくくった。

  昨年2012年は日米桜寄贈100周年を迎え、桜を介した交流を首都ワシントンのみならず全米に広げたいという趣旨のもとにスタートした事業によって、全米各地で植樹やその関連の友好イベントが実施された。そして桜植樹は100周年の年でピリオドを打つことなく、日米友好関係の一層の発展を願い続けられている。

ランシング市副市長、松田総領事、同市レクレーションディレクター

 4月26日(月)、ミシガン州の州都ランシング市にて桜の植樹式が行われた。ランシング市の観光やビジネス、教育関係者並びに在デトロイト日本国総領事館、日系企業、日米協会、ミシガン滋賀姉妹州県委員会の代表者など多くが参列した。今年は4月中旬を過ぎても霜が降りるほどの寒さが続き、天候が心配されたが、この日は打って変わって暖かな日となり、若い桜の木に眩い日差しが降り注いだ。4月26日はArbor Day:アーバーデイと称される植樹の日であり、それに合わせた式典であったが、桜の花がタイミング良く咲き、祝賀のムードに文字通り華を添えていた。

 植樹式に先立ってシティーホールにて親睦の時間が設けられ、ランシング市のVirg Bernero市長より、訪日した折には篤い歓迎を受け、日本は大好きな国であるとの談話を交え、日米の交流が植樹を機に一層深まることを期する言葉が伝えられた。松田総領事からも桜が更に強い絆を結ぶ役割を果たすことへの祈願が述べられた後、日米桜寄贈100周年にあたり日本で発行された記念切手を収めた額が同市に寄贈された。

 3本の桜の苗木は、ランシング市の中心を流れる川沿いの公園(Adado Riverfront Park)に植えられた。同市のハイスクールで日本語を習得中の生徒も駆けつけ、日米の友好を願う多くの人々により植樹が行われた。ランシング市の副市長はアーバーデイに日本との友好の新たな歴史がスタートすることを祝う言葉を述べ、また、姉妹都市である大津市のみならず日米交流が活発良好に続いてゆくことを願った。

 松田総領事は、日本語を履修している生徒達に日本語を選んでくれたことに対する喜びと激励を伝えた後、日米桜寄贈の歴史をかいつまんで説明した。「今後はここで家族や友人と共に花見を楽しんで欲しい」との希望を述べた。続いて同市のレクリエーション関係の担当者より更なる説明が加えられた。この公園は市民の憩いの場であり、多くのイベントが開催される場所だという。日米交流のシンボルである桜が、多くの人の目を楽しませ、心を癒してゆくことであろう。

 日米交流のシンボルである桜の木がしっかりと根付いて、厳しい寒さに見舞われてもなお、枝を伸ばし美しい花を咲かせ続けることを祈り、参列者が順々に若木を守るマルチ(ウッドチップ)を加えていった。

 同日の午後には、ランシング地区商工会議所を会場にビジネス・ランチョンが催され、様々な分野の代表によるプレゼンテーションが行われた。まず市長が、ランシング市は近年著しいビジネス発展を遂げていると強調、自動車産業の新展開やグローバルな企業の増加などの点を指摘し、今後も成長が期待されると述べた。

 松田総領事は、日本のミシガンにおける投資の多くは自動車産業に向けられているといった現状を挙げ、何が新しい機会となりうるかを提起した後、ランシング地区におけるビジネスチャンスについて、日系企業が理解を深めることを促した。

 ランシング地区商工会の会長は、保険会社が多いこの地区はポートランシングとして多数のカルゴが入ってきており、海外貿易の拠点として向いているといった特色を提示。

観光局長は、州都であるランシングには州議事堂の他にミシガン歴史博物館や交通博物館、ミシガン州立大学の美術館や植物園といった公開施設やフェスティバルやスポーツイベントも多く、観光要素が充実しており、コンベンションの開催にも向いているとアピール。

 企業(Lansing Economic Area Partnership)の代表は、ミシガン州立大学の研究を一例とし、当地域の人的あるいは技術的な資源の豊かさを強調して「米国内で6番目に成長を遂げている市であるランシングの変化をぜひ実際に見て欲しい」と訴えた。

 芸術関連のPRでは、芸術系のイベントやフェスティバルに携わっているNPO‘Michigan Institute for Contemporary Art(MICA)’代表より、ランシングは実に多様なイベントの開催地であることが紹介された他、教育関係者からは、当学区ではいくつかの言語を取り入れているが中でも日本語に力を入れているとの報告が、更にミシガン州立大学のアジア研究センター代表から、同学では日本と提携して日本語並びに日本文学、地理など充実したカリキュラムがあることが伝えられた。

 再び市長が挨拶に立ち、両国の友好と交流がより構築されることを願ってやまないと締めくくった。

2013 New Years西暦2013年 平成25年を迎えて

<!--:en-->2013 New Years<!--:--><!--:ja-->西暦2013年 平成25年を迎えて<!--:--> 1

新年のご挨拶

在デトロイト日本国総領事館 松田邦紀総領事

 あけまして、おめでとうございます。

 皆様におかれましては、2013年の新春をご健勝にてお迎えのこととお慶び申し上げます。在デトロイト日本国総領事館は、ミシガン州の皆様のご支援を受け、今年で開設20周年を迎えました。これまで以上に皆様のお役に立てるよう館員一同、努力して参りますので、引き続きご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

 昨年は、米国の大統領選挙を始め、中国の政権交代、韓国の大統領選挙、そして我が国における総選挙等、政治的に大きな動きの多い年でした。また、欧州債務危機や中国の景気減速による世界的な景気低迷、福島原発事故を背景とした原発の安全性に係る世界的な議論や米国におけるシェールガス開発の活発化によるエネルギー情勢の変化等、経済的にも非常に大きな動きのあった年であったと思います。このような政治・経済状況の下で、我が国としては、同盟国である米国との更なる関係強化に努めるとともに、全世界において、高いレベルの経済連携の推進、インフラ輸出のグローバルな展開、資源・エネルギー・食料の安定供給の確保など経済外交を引き続き積極的に推進していく必要があると考えています。

 ミシガン州においては、主産業である自動車産業の復権、住宅市場の改善等、明るい兆しが見えてきたところですが、依然として高い失業率等、厳しい経済状況は続いています。当館としては、自動車産業に加え、素材産業やエネルギー産業、医療産業等、多様な分野における日米企業間の連携・協力を応援するとともに、デトロイト市とカナダ・ウィンザー市を結ぶ第二橋建設の実現等を通じて、ミシガン州経済が益々発展していくことを期待し、皆様と密接に協力して、当地での日系企業の経済活動を盛り上げていきたいと思います。

 一方、日米関係の益々の発展に向けて、日本語教育支援や文化交流、また、姉妹都市交流を含む人的交流の支援を様々な関係団体と協力して積極的に行っていきます。ミシガン州では、中学、高校、大学の全課程において、69校が日本語講座を開設し、約6,200名の学生が日本語を学んでいます。この日本語教育を支援すべく、当館は、国費留学生の募集や外国語指導助手として日本へ派遣するJETプログラムの実施、日本語学習者の就職支援、その他、日本語教育に必要な施策を講じていきます。また、日本語クイズボウルや日本語弁論大会、日本文化の紹介行事の実施等に加え、州内各地の美術館等での日本美術展の支援を通じ、文化交流を促進していきます。姉妹都市交流においても、人的・経済交流、姉妹学校や姉妹図書館の提携等、様々な広がりが見られる中、各姉妹都市の支援に力を入れていきたいと思います。

 皆様が必要とされる、当館の各種領事サービスについては、これまで皆様から頂いたご意見をもとに右サービスの向上に努めて参りました。各日本人関係団体のご協力を得て実施しております領事出張サービス、在外選挙登録、旅券業務や戸籍・国籍等の各種証明関係など多岐にわたる領事サービスの充実・向上に引き続き努めて参ります。何かお気づきの点などございましたら、ご遠慮なく当館までご連絡下さい。

 皆様の安全面における支援については、タイムリーな安全情報の発信や、自然災害発生時における緊急連絡体制の構築など、安全対策の拡充を図って参ります。当地の警察や治安機関との連絡・協力体制を密にしつつ、支援活動を続けて参ります。

 末筆となりましたが、皆様の一年のご多幸をお祈りいたします。

新年のご挨拶

デトロイトりんご会補習授業校 君島憲治校長先生

  あけましておめでとうございます。

 昨年は皆様より温かいご支援・ご協力を賜り、心よりお礼を申し上げます。

 2012年の授業や学校行事が大過なく終了し、新しい年を迎えることができました。これは保護者の皆様のご協力、ノバイ市の関係者、デトロイト総領事館、文部科学省、本校の理事・運営委員、父母会等の学校関係者のご尽力のたまものと感謝しています。

 昨年は本校創立40周年の節目の年でした。6月には「40周年記念大運動会」と銘打ち記念式典、子ども達と関係者の集合写真撮影等が行われ、40周年にふさわしい運動会になりました。また、幼稚園の年中クラスが本校に初めて開設され、現在は在籍数は800名を超える北米有数の大規模校になっています。一昨年発足した生徒会は「挨拶委員会」「生活委員会」「美化委員会」「広報委員会」の4つの組織に分かれて生徒の自主的な活動はますます充実した年でした。この事は子ども達の望ましい人間関係を形成し,集団の一員としてよりよい学校生活づくりに参画し,協力して諸問題を解決しようとする,実践的な態度と「生きる力」を育む教育の大切な機会となっています。

 校舎が2011年7月にノバイ市に移転し、1校体制になって早くも1年余が経過しました。園児から小・中高校生までの11学年の異年齢集団が同じ校舎で一斉に学習する機会は補習授業校ならではの機会です。このことは子ども達に貴重な経験をもたらします。

 昨年12月に中高生が初の「ミニ文化祭」を企画しました。舞台での発表、クイズ大会、ゲーム大会、お化け屋敷など多彩な発表がありました。この行事が大成功を収めたのは準備や練習の過程を通して集団生活への関心や仲間との協調性を図ることができたのが要因です。さらに園児や小学生に門戸を開いた結果、中高等部の上学年の生徒がごく自然に園児や小学生に温かい思いやりの言動で接し、異学年の交流が促進され、文化的行事を通して学校全体に一体感が育まれたことも大きな収穫でした。まさに在外教育施設の特徴を生かした特色ある教育活動になったと思っています。

 さて昨年4月から中学校では新しい学習指導要領に基づいた学習が開始されて各教科の学習内容が増加、教科書のページ数も増えています。具体的な指導については前年度の小学校に続き、日本人学校や補習授業校などの在外教育施設等で一斉に実施されています。学習内容は子ども達の教科書を見れば一目瞭然ですが、「総則」には今回の改訂の方針、教科等内容の取り扱い、授業の時数配慮事項が記載されています。特に補習授業校と関わりの深い項目を引用すると「海外から帰国した生徒や外国人の生徒は,日本の生徒が経験していない外国での貴重な生活経験をもっている。外国での生活や外国の文化に触れた体験を,本人の各教科等の学習に生かすようにするとともに,他の生徒の学習にも生かすようにすることが大切である。さらに,外国で身に付けたものの見方や考え方,感情や情緒,外国語の能力などの特性を生かすよう配慮することも大切である。」と掲げられています。また、いじめ問題に絡んでネット掲示板上での誹謗中傷や情報モラルを確実に身に付けさせることが必要であることも明記されています。

 補習授業校の設置目的は文部科学省が示すように「現地校に通学する児童生徒が日本国内の学校に編入した際に円滑に適応できるよう、国語、算数等の基幹教科の基礎・基本的知識・技能および日本の学校文化を、日本語によって学習する教育施設」となっています。週一度の補習校では指導要領の全ての目標や配慮事項の内容を達成するのは難しいことは事実です。各在外教育施設においてどのように学習指導要領に織り込まれた考え方や改訂の方針を具現化していくかが検討課題になっていくことでしょう。

 2013年も補習授業校が日本につながる地域の拠点として、より多くの皆様との関わりが期待されています。安全と安心を軸に、子ども達が誇れる学校、地域の皆様に親しまれる開かれた学校を目指し、一層の教育活動の充実を図っていきたいと考えています。今年も皆様方のご支援・ご理解をお願い申し上げます。

新年のご挨拶

在デトロイト日本国総領事館 松田邦紀総領事

 あけまして、おめでとうございます。

 皆様におかれましては、2013年の新春をご健勝にてお迎えのこととお慶び申し上げます。在デトロイト日本国総領事館は、ミシガン州の皆様のご支援を受け、今年で開設20周年を迎えました。これまで以上に皆様のお役に立てるよう館員一同、努力して参りますので、引き続きご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

 昨年は、米国の大統領選挙を始め、中国の政権交代、韓国の大統領選挙、そして我が国における総選挙等、政治的に大きな動きの多い年でした。また、欧州債務危機や中国の景気減速による世界的な景気低迷、福島原発事故を背景とした原発の安全性に係る世界的な議論や米国におけるシェールガス開発の活発化によるエネルギー情勢の変化等、経済的にも非常に大きな動きのあった年であったと思います。このような政治・経済状況の下で、我が国としては、同盟国である米国との更なる関係強化に努めるとともに、全世界において、高いレベルの経済連携の推進、インフラ輸出のグローバルな展開、資源・エネルギー・食料の安定供給の確保など経済外交を引き続き積極的に推進していく必要があると考えています。

 ミシガン州においては、主産業である自動車産業の復権、住宅市場の改善等、明るい兆しが見えてきたところですが、依然として高い失業率等、厳しい経済状況は続いています。当館としては、自動車産業に加え、素材産業やエネルギー産業、医療産業等、多様な分野における日米企業間の連携・協力を応援するとともに、デトロイト市とカナダ・ウィンザー市を結ぶ第二橋建設の実現等を通じて、ミシガン州経済が益々発展していくことを期待し、皆様と密接に協力して、当地での日系企業の経済活動を盛り上げていきたいと思います。

 一方、日米関係の益々の発展に向けて、日本語教育支援や文化交流、また、姉妹都市交流を含む人的交流の支援を様々な関係団体と協力して積極的に行っていきます。ミシガン州では、中学、高校、大学の全課程において、69校が日本語講座を開設し、約6,200名の学生が日本語を学んでいます。この日本語教育を支援すべく、当館は、国費留学生の募集や外国語指導助手として日本へ派遣するJETプログラムの実施、日本語学習者の就職支援、その他、日本語教育に必要な施策を講じていきます。また、日本語クイズボウルや日本語弁論大会、日本文化の紹介行事の実施等に加え、州内各地の美術館等での日本美術展の支援を通じ、文化交流を促進していきます。姉妹都市交流においても、人的・経済交流、姉妹学校や姉妹図書館の提携等、様々な広がりが見られる中、各姉妹都市の支援に力を入れていきたいと思います。

 皆様が必要とされる、当館の各種領事サービスについては、これまで皆様から頂いたご意見をもとに右サービスの向上に努めて参りました。各日本人関係団体のご協力を得て実施しております領事出張サービス、在外選挙登録、旅券業務や戸籍・国籍等の各種証明関係など多岐にわたる領事サービスの充実・向上に引き続き努めて参ります。何かお気づきの点などございましたら、ご遠慮なく当館までご連絡下さい。

 皆様の安全面における支援については、タイムリーな安全情報の発信や、自然災害発生時における緊急連絡体制の構築など、安全対策の拡充を図って参ります。当地の警察や治安機関との連絡・協力体制を密にしつつ、支援活動を続けて参ります。

 末筆となりましたが、皆様の一年のご多幸をお祈りいたします。

新年のご挨拶

デトロイトりんご会補習授業校 君島憲治校長先生

  あけましておめでとうございます。

 昨年は皆様より温かいご支援・ご協力を賜り、心よりお礼を申し上げます。

 2012年の授業や学校行事が大過なく終了し、新しい年を迎えることができました。これは保護者の皆様のご協力、ノバイ市の関係者、デトロイト総領事館、文部科学省、本校の理事・運営委員、父母会等の学校関係者のご尽力のたまものと感謝しています。

 昨年は本校創立40周年の節目の年でした。6月には「40周年記念大運動会」と銘打ち記念式典、子ども達と関係者の集合写真撮影等が行われ、40周年にふさわしい運動会になりました。また、幼稚園の年中クラスが本校に初めて開設され、現在は在籍数は800名を超える北米有数の大規模校になっています。一昨年発足した生徒会は「挨拶委員会」「生活委員会」「美化委員会」「広報委員会」の4つの組織に分かれて生徒の自主的な活動はますます充実した年でした。この事は子ども達の望ましい人間関係を形成し,集団の一員としてよりよい学校生活づくりに参画し,協力して諸問題を解決しようとする,実践的な態度と「生きる力」を育む教育の大切な機会となっています。

 校舎が2011年7月にノバイ市に移転し、1校体制になって早くも1年余が経過しました。園児から小・中高校生までの11学年の異年齢集団が同じ校舎で一斉に学習する機会は補習授業校ならではの機会です。このことは子ども達に貴重な経験をもたらします。

 昨年12月に中高生が初の「ミニ文化祭」を企画しました。舞台での発表、クイズ大会、ゲーム大会、お化け屋敷など多彩な発表がありました。この行事が大成功を収めたのは準備や練習の過程を通して集団生活への関心や仲間との協調性を図ることができたのが要因です。さらに園児や小学生に門戸を開いた結果、中高等部の上学年の生徒がごく自然に園児や小学生に温かい思いやりの言動で接し、異学年の交流が促進され、文化的行事を通して学校全体に一体感が育まれたことも大きな収穫でした。まさに在外教育施設の特徴を生かした特色ある教育活動になったと思っています。

 さて昨年4月から中学校では新しい学習指導要領に基づいた学習が開始されて各教科の学習内容が増加、教科書のページ数も増えています。具体的な指導については前年度の小学校に続き、日本人学校や補習授業校などの在外教育施設等で一斉に実施されています。学習内容は子ども達の教科書を見れば一目瞭然ですが、「総則」には今回の改訂の方針、教科等内容の取り扱い、授業の時数配慮事項が記載されています。特に補習授業校と関わりの深い項目を引用すると「海外から帰国した生徒や外国人の生徒は,日本の生徒が経験していない外国での貴重な生活経験をもっている。外国での生活や外国の文化に触れた体験を,本人の各教科等の学習に生かすようにするとともに,他の生徒の学習にも生かすようにすることが大切である。さらに,外国で身に付けたものの見方や考え方,感情や情緒,外国語の能力などの特性を生かすよう配慮することも大切である。」と掲げられています。また、いじめ問題に絡んでネット掲示板上での誹謗中傷や情報モラルを確実に身に付けさせることが必要であることも明記されています。

 補習授業校の設置目的は文部科学省が示すように「現地校に通学する児童生徒が日本国内の学校に編入した際に円滑に適応できるよう、国語、算数等の基幹教科の基礎・基本的知識・技能および日本の学校文化を、日本語によって学習する教育施設」となっています。週一度の補習校では指導要領の全ての目標や配慮事項の内容を達成するのは難しいことは事実です。各在外教育施設においてどのように学習指導要領に織り込まれた考え方や改訂の方針を具現化していくかが検討課題になっていくことでしょう。

 2013年も補習授業校が日本につながる地域の拠点として、より多くの皆様との関わりが期待されています。安全と安心を軸に、子ども達が誇れる学校、地域の皆様に親しまれる開かれた学校を目指し、一層の教育活動の充実を図っていきたいと考えています。今年も皆様方のご支援・ご理解をお願い申し上げます。

Consul General’s Commendation Awardsミシガン経済開発公団とノバイ市警察へ在外公館長表彰を授与

<!--:en-->Consul General’s Commendation Awards<!--:--><!--:ja-->ミシガン経済開発公団とノバイ市警察へ在外公館長表彰を授与<!--:--> 1

 松田総領事は、ミシガン経済開発公団とノバイ市警察に対し、日米の友好関係への多大な貢献を評して、在外公館長表彰を授与しました。

ミシガン経済開発公団 ダグ・スミス経済開発局
シニア副局長(左)と松田総領事(右)

 ミシガン州・スナイダー州知事は、2011年に東京、2012年にミネアポリスで開催された日米中西部会合にそれぞれ出席し、ミシガンと日本との関係強化を促進するとともに、新しい関係を構築しました。ミシガン経済開発公団はその背景で活躍するとともに、日本の企業によるミシガン州への投資を支援し、拡大に成功するなど、日・ミシガン間で多くのパートナーシップを結び、日・ミシガン間の経済関係に多大な貢献を行いました。

ノバイ市警察 デイビッド・マロイ警察署長(左)と松田総領事(右)

 また、ノバイ市警察においては、2,400名以上の日本人居住者や約800名の生徒を抱える日本語補習校に加え、ミシガン最大の日本祭り(デトロイト商工会及びJSDウィメンズ・クラブ共催)やミシガン日本語弁論大会といった日本関連のイベントが実施されることが多い中、日本人居住者や生徒、イベントへの参加者を含め、日本のコミュニティに真摯に接し、その安全を守ることで、日・ミシガン間の友好関係に多大な貢献を行いました。

 11月16日、ミシガン経済開発公団による日・ミシガン間の経済関係の促進、そして、ノバイ市警察による日・ミシガン間の友好関係の促進に対し、松田総領事より、ミシガン経済開発公団を代表してダグ・スミス経済開発局シニア副局長に、また、ノバイ警察を代表して、デイビッド・マロイ警察署長兼公共安全局局長に、在外公館長表彰を授与しました。

 松田総領事は、ミシガン経済開発公団とノバイ市警察に対し、日米の友好関係への多大な貢献を評して、在外公館長表彰を授与しました。

ミシガン経済開発公団 ダグ・スミス経済開発局
シニア副局長(左)と松田総領事(右)

 ミシガン州・スナイダー州知事は、2011年に東京、2012年にミネアポリスで開催された日米中西部会合にそれぞれ出席し、ミシガンと日本との関係強化を促進するとともに、新しい関係を構築しました。ミシガン経済開発公団はその背景で活躍するとともに、日本の企業によるミシガン州への投資を支援し、拡大に成功するなど、日・ミシガン間で多くのパートナーシップを結び、日・ミシガン間の経済関係に多大な貢献を行いました。

ノバイ市警察 デイビッド・マロイ警察署長(左)と松田総領事(右)

 また、ノバイ市警察においては、2,400名以上の日本人居住者や約800名の生徒を抱える日本語補習校に加え、ミシガン最大の日本祭り(デトロイト商工会及びJSDウィメンズ・クラブ共催)やミシガン日本語弁論大会といった日本関連のイベントが実施されることが多い中、日本人居住者や生徒、イベントへの参加者を含め、日本のコミュニティに真摯に接し、その安全を守ることで、日・ミシガン間の友好関係に多大な貢献を行いました。

 11月16日、ミシガン経済開発公団による日・ミシガン間の経済関係の促進、そして、ノバイ市警察による日・ミシガン間の友好関係の促進に対し、松田総領事より、ミシガン経済開発公団を代表してダグ・スミス経済開発局シニア副局長に、また、ノバイ警察を代表して、デイビッド・マロイ警察署長兼公共安全局局長に、在外公館長表彰を授与しました。

5th Japan Consulate in Detroit Soccer Tournament第5回領事団サッカートーナメント

<!--:en-->5th Japan Consulate in Detroit Soccer Tournament<!--:--><!--:ja-->第5回領事団サッカートーナメント<!--:-->

 10月13日、14日の2日間にわたり、ミシガン在住の外国人コミュニティをつなぐイベント、第5回領事団サッカートーナメントがポンティアックのアルティメット・サッカー・アリーナ(インドア)で開催されました。メキシコ領事館が運営し、参加数は、昨年の12チームから16チームに増え、日本はデトロイト郊外で活動する「ブリリアント」が代表として参加しました。

 試合は10分間の休憩をはさむ20分ハーフで行われました。参加選手の技術レベルは高く、熱戦が繰り広げられました。日本は、イエメンに3-1で初戦を落としたものの、韓国に2-1、フランスに3-2で勝利し、Dグループ2位で14日の決勝トーナメントに進みました。Cグループ1位のイエメンに1-1と互角に戦いましたが、PKにて2-3となり、惜しくも敗れました。優勝は、決勝でメキシコを4-1と粉砕したレバノン。3位はイタリアを下したイエメンでした。

監督  長尾謙さんのコメント

 “今年は残念ながら、決勝まで進出することはできませんでしたが、サポーターの皆様のおかげで、とても思い出に残る、充実した大会となりました。

 お休みの中、応援に駆け付けてくれたサポーターの皆様、そして毎週金曜日の練習に参加して頂いたF.C. Dontokoi と F.C. Brilliantの皆様、本当にお忙しい中ありがとうございました!”

 10月13日、14日の2日間にわたり、ミシガン在住の外国人コミュニティをつなぐイベント、第5回領事団サッカートーナメントがポンティアックのアルティメット・サッカー・アリーナ(インドア)で開催されました。メキシコ領事館が運営し、参加数は、昨年の12チームから16チームに増え、日本はデトロイト郊外で活動する「ブリリアント」が代表として参加しました。

 試合は10分間の休憩をはさむ20分ハーフで行われました。参加選手の技術レベルは高く、熱戦が繰り広げられました。日本は、イエメンに3-1で初戦を落としたものの、韓国に2-1、フランスに3-2で勝利し、Dグループ2位で14日の決勝トーナメントに進みました。Cグループ1位のイエメンに1-1と互角に戦いましたが、PKにて2-3となり、惜しくも敗れました。優勝は、決勝でメキシコを4-1と粉砕したレバノン。3位はイタリアを下したイエメンでした。

監督  長尾謙さんのコメント

 “今年は残念ながら、決勝まで進出することはできませんでしたが、サポーターの皆様のおかげで、とても思い出に残る、充実した大会となりました。

 お休みの中、応援に駆け付けてくれたサポーターの皆様、そして毎週金曜日の練習に参加して頂いたF.C. Dontokoi と F.C. Brilliantの皆様、本当にお忙しい中ありがとうございました!”

General Consulate of Japan JET Program and Language Teacher Reception在デトロイト総領事館主催 JETプログラム帰任者と語学教育関係者 交流レセプション

<!--:en-->General Consulate of Japan JET Program and Language Teacher Reception<!--:--><!--:ja-->在デトロイト総領事館主催 JETプログラム帰任者と語学教育関係者 交流レセプション<!--:--> 2

 去る10月29日、在デトロイト総領事公邸に於いて、JETプログラム帰任者の歓迎と、語学教育関係の分野で活躍している教師/教授等の交流を意図した場が設けられた。

 JETプログラムはThe Japan Exchange and Teaching Programme(語学指導等を行う外国青年招致事業)の略称で、海外の若者が日本で英語教師のアシスタントなどとして働くプログラム。

 この日の集まりには、今年JETプログラムの任を終えて当地へ帰国した参加者や、JETアルミニ(同窓会)の幹事など、また、ミシガン州とオハイオ州の中・高、大学で日本語や日本文化の研究や指導に携わっている教師に加え、ミシガン州で研修中の日本の中学校や高校の英語教員、そして日本紹介の役員も出席。また、日系企業や日米バイリンガルの求人に関する経験が豊富なリクルーターも招かれ、ミシガン州を中心とした雇用状況などの説明の時間も設けられた。活発な歓談が行われ、有意義な情報交換と交流のひと時になった。

 在デトロイト総領事館松田邦紀総領事は挨拶の中で「外国語を学ぶことは一度の人生を2度3度経験できること」と外国語を学ぶ素晴らしさに触れ、JETプログラムを経験した人たちに対しては「その楽しみを多くの人に伝えて欲しい」と告げ、研修中の日本人教員には「学生に戻って大いにエンジョイし、日本に帰ってから子ども達に英語を学ぶ楽しさと意味を伝えていただけたら幸い」と願いを伝えた。

 今回参加したJET帰任者は8名。赴任期間は1年から5年とまちまちだが、皆、実に流暢な日本語で自己紹介のスピーチを行った。トニーさんは、「僕は」を「私は」に言い直してから「栃木県でALT(英語教師アシスタント)をしていました」と話した後、「人生で一番楽しかったです」と、満面の笑顔で言い放ち、会場を沸かした。異国に自ら飛び込んで務め上げた人たちとあって、歓談中も8名共通してコミュニケーション能力に長け、表情も声も朗らか。日本滞在の経験は、生きた英語を教える助けとなっただけではなく、人間関係を築く見本となり、受け入れ側にも刺激と活力を与えてきてくれたことであろう。

 日本人英語教員たちは、昨年スタートした派遣研修プログラムで日本から研修に来ており、夏から半年間、アメリカ人家庭にホームステイをして、ウエスタン・ミシガン大学(カラマズー市)で教授法を学ぶと同時に、文化・社会の理解に役立つ見聞も広めている。この日の午前中には、デトロイトりんご会補習授業校を見学。この日は丁度、現地校の先生が授業を参観するオープンハウスの日で、ETJ(Educators to Japan:現地校教育関係者日本派遣)プログラムに参加した米人教育関係者の報告を聴く機会も得た。

 日本人英語教員は、補習授業校の児童生徒がいかに英語を習得しているのかに高い関心を示していた。中学校の英語教員の一人は、昨年(平成23年)度より、小学校において新学習指導要領が実施されたことを踏まえて、英語指導のあり方が大きく変わっている時期だと話す。千葉県出身の教員の話では、英語ができれば雇用機会が多い成田空港周辺では自治体による無料ESLクラスもあり、英語習得に対する熱が高いという。動機は意欲の源。グローバル化の中、言語能力は掛けがえのない財産といえる。‘使える英語’の教授法が構築されるとともに、外国語指導者が生徒の習得意欲をも喚起するようになることを期待したい。

 去る10月29日、在デトロイト総領事公邸に於いて、JETプログラム帰任者の歓迎と、語学教育関係の分野で活躍している教師/教授等の交流を意図した場が設けられた。

 JETプログラムはThe Japan Exchange and Teaching Programme(語学指導等を行う外国青年招致事業)の略称で、海外の若者が日本で英語教師のアシスタントなどとして働くプログラム。

 この日の集まりには、今年JETプログラムの任を終えて当地へ帰国した参加者や、JETアルミニ(同窓会)の幹事など、また、ミシガン州とオハイオ州の中・高、大学で日本語や日本文化の研究や指導に携わっている教師に加え、ミシガン州で研修中の日本の中学校や高校の英語教員、そして日本紹介の役員も出席。また、日系企業や日米バイリンガルの求人に関する経験が豊富なリクルーターも招かれ、ミシガン州を中心とした雇用状況などの説明の時間も設けられた。活発な歓談が行われ、有意義な情報交換と交流のひと時になった。

 在デトロイト総領事館松田邦紀総領事は挨拶の中で「外国語を学ぶことは一度の人生を2度3度経験できること」と外国語を学ぶ素晴らしさに触れ、JETプログラムを経験した人たちに対しては「その楽しみを多くの人に伝えて欲しい」と告げ、研修中の日本人教員には「学生に戻って大いにエンジョイし、日本に帰ってから子ども達に英語を学ぶ楽しさと意味を伝えていただけたら幸い」と願いを伝えた。

 今回参加したJET帰任者は8名。赴任期間は1年から5年とまちまちだが、皆、実に流暢な日本語で自己紹介のスピーチを行った。トニーさんは、「僕は」を「私は」に言い直してから「栃木県でALT(英語教師アシスタント)をしていました」と話した後、「人生で一番楽しかったです」と、満面の笑顔で言い放ち、会場を沸かした。異国に自ら飛び込んで務め上げた人たちとあって、歓談中も8名共通してコミュニケーション能力に長け、表情も声も朗らか。日本滞在の経験は、生きた英語を教える助けとなっただけではなく、人間関係を築く見本となり、受け入れ側にも刺激と活力を与えてきてくれたことであろう。

 日本人英語教員たちは、昨年スタートした派遣研修プログラムで日本から研修に来ており、夏から半年間、アメリカ人家庭にホームステイをして、ウエスタン・ミシガン大学(カラマズー市)で教授法を学ぶと同時に、文化・社会の理解に役立つ見聞も広めている。この日の午前中には、デトロイトりんご会補習授業校を見学。この日は丁度、現地校の先生が授業を参観するオープンハウスの日で、ETJ(Educators to Japan:現地校教育関係者日本派遣)プログラムに参加した米人教育関係者の報告を聴く機会も得た。

 日本人英語教員は、補習授業校の児童生徒がいかに英語を習得しているのかに高い関心を示していた。中学校の英語教員の一人は、昨年(平成23年)度より、小学校において新学習指導要領が実施されたことを踏まえて、英語指導のあり方が大きく変わっている時期だと話す。千葉県出身の教員の話では、英語ができれば雇用機会が多い成田空港周辺では自治体による無料ESLクラスもあり、英語習得に対する熱が高いという。動機は意欲の源。グローバル化の中、言語能力は掛けがえのない財産といえる。‘使える英語’の教授法が構築されるとともに、外国語指導者が生徒の習得意欲をも喚起するようになることを期待したい。

Consulate General of Japan in Detroit Remembrance Ceremony在デトロイト日本国領事館主催 Remembrance Ceremony

<!--:en-->Consulate General of Japan in Detroit Remembrance Ceremony<!--:--><!--:ja-->在デトロイト日本国領事館主催 Remembrance Ceremony<!--:--> 1

東日本大震災一周年にあたり、支援に対する感謝をこめて

 東日本大震災が発生してからのこの1年間、デトロイト周辺でさまざまな義捐活動が行われてきた。学校やコミュニティーが軸となり、あるいは知人が声を掛け合い行なわれた募金運動やチャリティーセール、ミュージシャンによるチャリティーコンサートなど多数。大勢の人が日本から遠く離れた地で出来ることは何かと心を砕き、迅速に行動に移してきた。

 3月27日(火)、ミシガン州都の議事堂において、在デトロイト日本国領事館主催による式典が厳かにとり行われた。式典には州知事及びランシング市長が臨席、州議員等約80名、そして他市からの市長らも列席し、日系企業関係者や義援金を寄せた個人や団体、大学関係者、姉妹都市関係者など、多数のアメリカ人および日本人が出席した。両国の国歌が流れた後、黙禱が捧げられ、続いて竹内みどり首席領事より、開式の辞として感謝の言葉が述べられた。

 松田邦紀総領事は挨拶の中で、震災による被害の規模を示した後、発生直後に米国軍が救援に駆けつけたことに触れ、「ミシンガンにいる皆様の家族も加わってくれたことでしょう」と切り出し、地元の学校の生徒たちが手紙や何千もの折り鶴を届けてくれたことなど、さまざまな被災者支援活動の話を挙げ、ミシガンの人々から届けられた、出来る限りの心からの励ましに対して、在留邦人を代表して改めて感謝の言葉を伝えた。そして、我々日本のコミュニティーは今後これに報いるよう、恩返しに努めてゆく所存との抱負を語った。また、当地に直接影響した内容として、大震災により自動車関連のサプライヤーが打撃を受けたことに言及し「その混乱と対応から学んだ教訓を、将来に役立てていただければ」とも続けた。復興には何十年とかかり、まだ苦渋の中にいる被災者も多いが、日本の民は忍耐強く団結力があり、必ず立ち直り安全な国になると言明。日本へのビジネス渡航や旅行について奨励する言葉を加えた。最後に、この苦難にあたってより深く結びついた絆を大切にしてゆきたいとの旨を伝え、ミシガンの人々の温かい支援を決して忘れないと締めくくると、会場に大きな拍手が響き渡った。

 ランシング市長Mr. Virg Berneroは大災害に対するお悔やみを述べ、日本の復興の見事さについて触れた後、当地に於いて日本との結びつきを強め、日本の文化紹介や日米交流に尽力している松田総領事のリーダーシップを称賛。「我々は常にあなた方と一緒にいる」と、親善と友好関係を強調した。

 ミシガン州知事Mr. Rick Snyderは、日本人が被災時に見せた姿や行動に感銘を受けたと語り、苦難に遭っても団結し乗り越える力を称えた。さらに家や仕事、そして何より掛けがえのない家族を失った被災者に対して、我々に何ができるかを考え続け、ここで終わることなく、継続した支援に努めてゆきたいと語った。また、日本人と日本は必ず立ち直ると確信していると述べ、築いた友情を更に強固にしてより良い世界へ繋げようと力強く呼びかけた。

 列席者の中には、JETプログラム(Japan Exchange and Teaching Programme: 語学指導等を行う外国青年招致事業)に参加して宮城県気仙沼市に赴き、昨年の大震災に遭いながらも、故郷アメリカへ戻る選択をせず、教師を続けている青年の両親の姿もあった。母親メアリー・フェールズさんはスピーチに立ち、被災直後から5日間音信普通になった際のことやその後の状況、そして息子ポールさんの決意などを語った。ポールさんの消息を掴むため、領事館をはじめ日本とミシガン両方のコミュニティや姉妹都市団体、また、ポールさんが通った関西外国語大学の関係者などがさまざまな手段で呼びかけ、情報入手に尽力した。5日後、ついにポールさんの無事が確認される。彼は3月11日、津波被害で孤立集落となった気仙沼市沖の大島で勤務中に被災し、その後5日間、アパートのある気仙沼市に戻る手段も連絡手段も絶たれ避難所に居たことが、ようやく息子と話せたメアリーさんに伝わった。

 日本のニュースでは大方の外国人が東北から退去したとの報道が多かったが、ポールさんはダメージを受けた自分のアパートの片付けもままならない状態で2ヶ月近く避難所生活を送りながら、学校などの修復作業に加わった。以後も「人々が自分を必要としている」と当地に留まり、現地の人々と共に被災者の救済と復興活動にあたってきた。

 式の終盤には、ウエスタン・ミシガン大学准教授で、日本文学及び日本文化の研究者、ジェフリー・アングルス氏が詩を朗読。恐ろしい体験をし、今も不安を抱えている人々の思いをあらわす2つの翻訳詩と、自作の詩を穏やかに読みあげた。氏は高校生の時に日本に留学して以来、日本文学に魅せられその研究者となり、特に日本の現代詩を精力的に英訳し続けている。2011年3月まで東京大学に客員准教授として滞在していた。

 朗読には震災後の不安や暗さを謳ったものと、前向きな光を放つ詩との両方が織り込まれ、聴衆に被災者の気持ちを思い描かせる内容となっていた。

 最後に、ミシガンで活躍しているバイオリン奏者である柏木響子氏が、ヤング亜矢子氏のピアノ伴奏で「エレジー」(Elegie by Gabriel Faure)を演奏し、物悲しさを感じさせる美しい調べに、会場は厳粛な雰囲気に包まれた。

 被害者への哀悼と、ミシガンと日本の絆を深く心に刻み、記念式典は終了した。

 式典会場の回廊には、「TOHOKU REGION – Rebuilding for a Better Tomorrow: 東北復興・明日への力」と題されたパネル写真と、姉妹都市の子供たちが交流プロジェクトとして描いた絵の数々が展示されていた。一連の写真には、大地震が奪ったライフラインや人々の営みを取り戻してゆく努力の様子、それを支えるボランティアの活動、津波被害を受けた土地で農作業を再開している人の姿、などが捉えられており、少しずつ確実に再建されている社会と、健気に前向きに歩む人々の日常が伺えた。姉妹都市の子供たちのカラフルな絵と活力に満ちた題材が、未来への希望と光を与えてくれたかのようであった。

東日本大震災一周年にあたり、支援に対する感謝をこめて

 東日本大震災が発生してからのこの1年間、デトロイト周辺でさまざまな義捐活動が行われてきた。学校やコミュニティーが軸となり、あるいは知人が声を掛け合い行なわれた募金運動やチャリティーセール、ミュージシャンによるチャリティーコンサートなど多数。大勢の人が日本から遠く離れた地で出来ることは何かと心を砕き、迅速に行動に移してきた。

 3月27日(火)、ミシガン州都の議事堂において、在デトロイト日本国領事館主催による式典が厳かにとり行われた。式典には州知事及びランシング市長が臨席、州議員等約80名、そして他市からの市長らも列席し、日系企業関係者や義援金を寄せた個人や団体、大学関係者、姉妹都市関係者など、多数のアメリカ人および日本人が出席した。両国の国歌が流れた後、黙禱が捧げられ、続いて竹内みどり首席領事より、開式の辞として感謝の言葉が述べられた。

 松田邦紀総領事は挨拶の中で、震災による被害の規模を示した後、発生直後に米国軍が救援に駆けつけたことに触れ、「ミシンガンにいる皆様の家族も加わってくれたことでしょう」と切り出し、地元の学校の生徒たちが手紙や何千もの折り鶴を届けてくれたことなど、さまざまな被災者支援活動の話を挙げ、ミシガンの人々から届けられた、出来る限りの心からの励ましに対して、在留邦人を代表して改めて感謝の言葉を伝えた。そして、我々日本のコミュニティーは今後これに報いるよう、恩返しに努めてゆく所存との抱負を語った。また、当地に直接影響した内容として、大震災により自動車関連のサプライヤーが打撃を受けたことに言及し「その混乱と対応から学んだ教訓を、将来に役立てていただければ」とも続けた。復興には何十年とかかり、まだ苦渋の中にいる被災者も多いが、日本の民は忍耐強く団結力があり、必ず立ち直り安全な国になると言明。日本へのビジネス渡航や旅行について奨励する言葉を加えた。最後に、この苦難にあたってより深く結びついた絆を大切にしてゆきたいとの旨を伝え、ミシガンの人々の温かい支援を決して忘れないと締めくくると、会場に大きな拍手が響き渡った。

 ランシング市長Mr. Virg Berneroは大災害に対するお悔やみを述べ、日本の復興の見事さについて触れた後、当地に於いて日本との結びつきを強め、日本の文化紹介や日米交流に尽力している松田総領事のリーダーシップを称賛。「我々は常にあなた方と一緒にいる」と、親善と友好関係を強調した。

 ミシガン州知事Mr. Rick Snyderは、日本人が被災時に見せた姿や行動に感銘を受けたと語り、苦難に遭っても団結し乗り越える力を称えた。さらに家や仕事、そして何より掛けがえのない家族を失った被災者に対して、我々に何ができるかを考え続け、ここで終わることなく、継続した支援に努めてゆきたいと語った。また、日本人と日本は必ず立ち直ると確信していると述べ、築いた友情を更に強固にしてより良い世界へ繋げようと力強く呼びかけた。

 列席者の中には、JETプログラム(Japan Exchange and Teaching Programme: 語学指導等を行う外国青年招致事業)に参加して宮城県気仙沼市に赴き、昨年の大震災に遭いながらも、故郷アメリカへ戻る選択をせず、教師を続けている青年の両親の姿もあった。母親メアリー・フェールズさんはスピーチに立ち、被災直後から5日間音信普通になった際のことやその後の状況、そして息子ポールさんの決意などを語った。ポールさんの消息を掴むため、領事館をはじめ日本とミシガン両方のコミュニティや姉妹都市団体、また、ポールさんが通った関西外国語大学の関係者などがさまざまな手段で呼びかけ、情報入手に尽力した。5日後、ついにポールさんの無事が確認される。彼は3月11日、津波被害で孤立集落となった気仙沼市沖の大島で勤務中に被災し、その後5日間、アパートのある気仙沼市に戻る手段も連絡手段も絶たれ避難所に居たことが、ようやく息子と話せたメアリーさんに伝わった。

 日本のニュースでは大方の外国人が東北から退去したとの報道が多かったが、ポールさんはダメージを受けた自分のアパートの片付けもままならない状態で2ヶ月近く避難所生活を送りながら、学校などの修復作業に加わった。以後も「人々が自分を必要としている」と当地に留まり、現地の人々と共に被災者の救済と復興活動にあたってきた。

 式の終盤には、ウエスタン・ミシガン大学准教授で、日本文学及び日本文化の研究者、ジェフリー・アングルス氏が詩を朗読。恐ろしい体験をし、今も不安を抱えている人々の思いをあらわす2つの翻訳詩と、自作の詩を穏やかに読みあげた。氏は高校生の時に日本に留学して以来、日本文学に魅せられその研究者となり、特に日本の現代詩を精力的に英訳し続けている。2011年3月まで東京大学に客員准教授として滞在していた。

 朗読には震災後の不安や暗さを謳ったものと、前向きな光を放つ詩との両方が織り込まれ、聴衆に被災者の気持ちを思い描かせる内容となっていた。

 最後に、ミシガンで活躍しているバイオリン奏者である柏木響子氏が、ヤング亜矢子氏のピアノ伴奏で「エレジー」(Elegie by Gabriel Faure)を演奏し、物悲しさを感じさせる美しい調べに、会場は厳粛な雰囲気に包まれた。

 被害者への哀悼と、ミシガンと日本の絆を深く心に刻み、記念式典は終了した。

 式典会場の回廊には、「TOHOKU REGION – Rebuilding for a Better Tomorrow: 東北復興・明日への力」と題されたパネル写真と、姉妹都市の子供たちが交流プロジェクトとして描いた絵の数々が展示されていた。一連の写真には、大地震が奪ったライフラインや人々の営みを取り戻してゆく努力の様子、それを支えるボランティアの活動、津波被害を受けた土地で農作業を再開している人の姿、などが捉えられており、少しずつ確実に再建されている社会と、健気に前向きに歩む人々の日常が伺えた。姉妹都市の子供たちのカラフルな絵と活力に満ちた題材が、未来への希望と光を与えてくれたかのようであった。