Sunday, July 21, 2024
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Miyuki Mori ひな祭りコンサートMiyuki Mori ひな祭りコンサート

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  『おかあさんといっしょ』の第15代 ‘歌のお姉さん’

   デイライト・セービング・タイムに変わった3月8日、寒さが緩み明るい陽射しに恵まれた午後、森みゆきさんによるコンサートがノバイミドルスクールにおいて催された。

   みゆきさんはNHK子供番組『おかあさんといっしょ』の第15代‘歌のお姉さん’として1983年にデビュー。結婚を機に1999年よりミシガン州に在住し、日本とアメリカで、音楽活動のほか、豊かな経験や見聞をもとに、講演や執筆など幅広く活躍を続けている。2007年、ライフワークの一つとして「日本の歌を通して美しい日本語や日本文化を習得し、チームワークの貴さを学べるように」と、ユースを対象としたミュージックパフォーマンスグループ‘Dream Singers(以下D.S.)’を発足した。毎年メンバーを募集し、自ら指導にあたっている。技術習得だけでなく、パフォーマーとしての意識、仲間との協調を大切にしている。D.S.は、コミュニティーイベント、インターナショナル子供フェスティバルなどに参加し、国際交流、文化紹介の担い手としても活躍。今年のメンバーは8期生にあたる。

   D.S.の活動のなかでも大きなゴールである年に一度の“Miyuki Mori Concert with Dream Singers” は今年で7回目を迎えた。今回の“ひなまつりコンサート”は、「ともだちっていいね」がテーマ。友達の大切さを感じる曲を中心にしたプログラムが組まれ、ほのぼの感があふれるコンサートとなった。

   過去にも共演してきた音楽友達として、邦楽グループ『雅』、そしてピアノ伴奏に加藤乃扶子さん、デュエットパートナーとして近藤まりなさんを迎え、温かさと豊かさを添えた。

  舞台は、みゆきさんのソロによる日本の名曲「浜辺の歌」のしっとりとした歌声で開幕。「ザ・日本、という感じで始まりましたので、品よく・・・こんにちは!」とのユーモアを交えた挨拶に観客が応え、一体感のあるコンサートがスタートした。『雅』のお二方の琴の音とD.S.の愛らしい声が加わった「うれしいひな祭り」が流れ、会場は懐かしい日本の雰囲気に包まれた。

   『おかあさんと一緒』で培った温かいトークと参加型の演目など、ライブならではの演出がみゆきさんのコンサートの特色だが、さっそく観客を「うれしいひな祭り」の一番の歌詞で童謡「うさぎとかめ」「線路は続くよどこまでも」の替え歌を歌ったり、隣の人と握手する動きをつける遊びに誘いこんだ。

   アメリカで大ヒットしたフォークソング「Puff the Magic Dragon」には優雅な琴の伴奏がつき、日本語と英語の歌詞両方で優しく歌い上げた。和洋合わさった趣ある演奏に、幼い子供も夢見るように聴き入っていた。

  一変して、チェックのスカートに白いブラウスとネクタイという制服っぽい衣装が初々しさを放つD.S.が「歌えバンバン」をボディパーカッションを加えて元気はつらつと歌唱。間を空けずに、みゆきさんのソロ、D.S.のユニットなど、形態を変えて日本の童謡やポピュラーな歌謡曲が続いた。

   「縦の糸(あなた)と横の糸(私)が織りなす布が、いつか誰かを温め得るかもしれない」との共感的な歌詞の「糸(中島みゆき作)」の演奏は、みゆきさんのピアノの弾き語りと、みゆきさんと幼いころから既知の仲で、音楽スクールに通いつつ歌唱活動をしている近藤まりなさんとのデュエットで届けられた。二人が織りなしたハーモニーは、多くの人の心を温めたことであろう。

  D.S.のメンバーは英語と日本語で曲紹介やソロもこなし、異文化の中でたくましく自己表現の力を伸ばしていることが窺えた。年少のメンバーが手を取り合って歌った「たいせつなともだち」では、

「二人だと心が温かい。君と一緒ならもっと勇気をもてる」との歌詞と、ひたむきで愛くるしい姿が、聴く人の涙を誘った。

  後半はD.S.メンバーの一人による切れの良い和太鼓演奏でスタート。ハッピ姿のD.S.による「南中ソーラン節」の元気いっぱいな踊りで会場は祭りムードに盛り上がった。

  「サウンドオブミュージック」のモデルとなった実在のトラップファミリーとの、みゆきさん自身の交流話のあと、恒例となった「ドレミのうた」の即席替え歌づくりに観客と共にチャレンジした。

   そしてまた穏やかなムードに一転。みゆきさんが愛娘とD.S.の子供たちを見ていて「こんな風に育ってくれたら嬉しいなという気持ちを歌にしたい」との思いで作詞作曲した「さくらの子」を熱唱。終盤は、東日本大震災の復興ソング「花は咲く」の他、「いじめや孤独感に負けないで、自分自身を信じて生き、自分の人生を好きになって」という思いが込められた「LOVE YOUR LIFE(森みゆき作詞作曲)」など、人生応援ソングが続いた。

   プログラムの最後。「アメリカにいればこそ、より友達の大切さを感じる。親族がそばにいないので友達が家族のように思えるのでは・・」との、みゆきさんの心からの声を前置きに、みゆきさん作詞作曲による「See you again Smile again…」で穏やかな空気が漂うなか、再会を祈る思いを余韻に残して幕が閉じた。

「ともだちっていいね」

みゆきさんよりメッセージ

  このアメリカに駐在や永住という形で過ごしている日本人の子供たちにとって「ともだち」という存在は、言葉の面はもちろん、様々な精神面での影響を大きく受けるに違いないと感じます。今時の子供たち同士の接し方を見ていると、子供自身が本来持っている本質的ものは何も昔と変わらないのかもしれませんが、社会的環境が大きく変化したために、ケンカしたり仲直りしたりという場面も素朴さ(素直さ)が乏しくなり、言いたいこともうまく言えない子、相手の気持ちを考えずに自分の主張だけを強く言ってしまう子、頭では理解していても行動に出せない子、様々な問題を抱えている子が多くなっているように感じます。何か物がないと遊ぶアイディアも出にくい様子や、目と目を見ながら会話することもうまく出来ない子供も見かけます。

  子供たちは子供たち同士、いつの間にか仲良く遊んでいることも多いのですが、友達との接し方、友達がいてくれるおかげでという気持ちがあれば、思いやりや協調性も自然に身についてくるのではないでしょうか。私たち大人は、子供たちの様子を見守りながら友達の尊さを教えてあげたいとも思います。そのためには、まず私達大人が友達の存在を大切に想う気持ちや姿を見せてあげることも重要かもしれませんね。

  『おかあさんといっしょ』の第15代 ‘歌のお姉さん’

   デイライト・セービング・タイムに変わった3月8日、寒さが緩み明るい陽射しに恵まれた午後、森みゆきさんによるコンサートがノバイミドルスクールにおいて催された。

   みゆきさんはNHK子供番組『おかあさんといっしょ』の第15代‘歌のお姉さん’として1983年にデビュー。結婚を機に1999年よりミシガン州に在住し、日本とアメリカで、音楽活動のほか、豊かな経験や見聞をもとに、講演や執筆など幅広く活躍を続けている。2007年、ライフワークの一つとして「日本の歌を通して美しい日本語や日本文化を習得し、チームワークの貴さを学べるように」と、ユースを対象としたミュージックパフォーマンスグループ‘Dream Singers(以下D.S.)’を発足した。毎年メンバーを募集し、自ら指導にあたっている。技術習得だけでなく、パフォーマーとしての意識、仲間との協調を大切にしている。D.S.は、コミュニティーイベント、インターナショナル子供フェスティバルなどに参加し、国際交流、文化紹介の担い手としても活躍。今年のメンバーは8期生にあたる。

   D.S.の活動のなかでも大きなゴールである年に一度の“Miyuki Mori Concert with Dream Singers” は今年で7回目を迎えた。今回の“ひなまつりコンサート”は、「ともだちっていいね」がテーマ。友達の大切さを感じる曲を中心にしたプログラムが組まれ、ほのぼの感があふれるコンサートとなった。

   過去にも共演してきた音楽友達として、邦楽グループ『雅』、そしてピアノ伴奏に加藤乃扶子さん、デュエットパートナーとして近藤まりなさんを迎え、温かさと豊かさを添えた。

  舞台は、みゆきさんのソロによる日本の名曲「浜辺の歌」のしっとりとした歌声で開幕。「ザ・日本、という感じで始まりましたので、品よく・・・こんにちは!」とのユーモアを交えた挨拶に観客が応え、一体感のあるコンサートがスタートした。『雅』のお二方の琴の音とD.S.の愛らしい声が加わった「うれしいひな祭り」が流れ、会場は懐かしい日本の雰囲気に包まれた。

   『おかあさんと一緒』で培った温かいトークと参加型の演目など、ライブならではの演出がみゆきさんのコンサートの特色だが、さっそく観客を「うれしいひな祭り」の一番の歌詞で童謡「うさぎとかめ」「線路は続くよどこまでも」の替え歌を歌ったり、隣の人と握手する動きをつける遊びに誘いこんだ。

   アメリカで大ヒットしたフォークソング「Puff the Magic Dragon」には優雅な琴の伴奏がつき、日本語と英語の歌詞両方で優しく歌い上げた。和洋合わさった趣ある演奏に、幼い子供も夢見るように聴き入っていた。

  一変して、チェックのスカートに白いブラウスとネクタイという制服っぽい衣装が初々しさを放つD.S.が「歌えバンバン」をボディパーカッションを加えて元気はつらつと歌唱。間を空けずに、みゆきさんのソロ、D.S.のユニットなど、形態を変えて日本の童謡やポピュラーな歌謡曲が続いた。

   「縦の糸(あなた)と横の糸(私)が織りなす布が、いつか誰かを温め得るかもしれない」との共感的な歌詞の「糸(中島みゆき作)」の演奏は、みゆきさんのピアノの弾き語りと、みゆきさんと幼いころから既知の仲で、音楽スクールに通いつつ歌唱活動をしている近藤まりなさんとのデュエットで届けられた。二人が織りなしたハーモニーは、多くの人の心を温めたことであろう。

  D.S.のメンバーは英語と日本語で曲紹介やソロもこなし、異文化の中でたくましく自己表現の力を伸ばしていることが窺えた。年少のメンバーが手を取り合って歌った「たいせつなともだち」では、

「二人だと心が温かい。君と一緒ならもっと勇気をもてる」との歌詞と、ひたむきで愛くるしい姿が、聴く人の涙を誘った。

  後半はD.S.メンバーの一人による切れの良い和太鼓演奏でスタート。ハッピ姿のD.S.による「南中ソーラン節」の元気いっぱいな踊りで会場は祭りムードに盛り上がった。

  「サウンドオブミュージック」のモデルとなった実在のトラップファミリーとの、みゆきさん自身の交流話のあと、恒例となった「ドレミのうた」の即席替え歌づくりに観客と共にチャレンジした。

   そしてまた穏やかなムードに一転。みゆきさんが愛娘とD.S.の子供たちを見ていて「こんな風に育ってくれたら嬉しいなという気持ちを歌にしたい」との思いで作詞作曲した「さくらの子」を熱唱。終盤は、東日本大震災の復興ソング「花は咲く」の他、「いじめや孤独感に負けないで、自分自身を信じて生き、自分の人生を好きになって」という思いが込められた「LOVE YOUR LIFE(森みゆき作詞作曲)」など、人生応援ソングが続いた。

   プログラムの最後。「アメリカにいればこそ、より友達の大切さを感じる。親族がそばにいないので友達が家族のように思えるのでは・・」との、みゆきさんの心からの声を前置きに、みゆきさん作詞作曲による「See you again Smile again…」で穏やかな空気が漂うなか、再会を祈る思いを余韻に残して幕が閉じた。

「ともだちっていいね」

みゆきさんよりメッセージ

  このアメリカに駐在や永住という形で過ごしている日本人の子供たちにとって「ともだち」という存在は、言葉の面はもちろん、様々な精神面での影響を大きく受けるに違いないと感じます。今時の子供たち同士の接し方を見ていると、子供自身が本来持っている本質的ものは何も昔と変わらないのかもしれませんが、社会的環境が大きく変化したために、ケンカしたり仲直りしたりという場面も素朴さ(素直さ)が乏しくなり、言いたいこともうまく言えない子、相手の気持ちを考えずに自分の主張だけを強く言ってしまう子、頭では理解していても行動に出せない子、様々な問題を抱えている子が多くなっているように感じます。何か物がないと遊ぶアイディアも出にくい様子や、目と目を見ながら会話することもうまく出来ない子供も見かけます。

  子供たちは子供たち同士、いつの間にか仲良く遊んでいることも多いのですが、友達との接し方、友達がいてくれるおかげでという気持ちがあれば、思いやりや協調性も自然に身についてくるのではないでしょうか。私たち大人は、子供たちの様子を見守りながら友達の尊さを教えてあげたいとも思います。そのためには、まず私達大人が友達の存在を大切に想う気持ちや姿を見せてあげることも重要かもしれませんね。

ミシガン&オハイオ州 日本庭園 リスト

ミシガン州、オハイオ州の日本庭園が今シーズンオープンしました。お出かけの際は、引き続き、マスク着用の上、まわりと距離を取り安全にお楽しみください。現在、新型コロナ対策で、それぞれの入場時に何らかの規制があります。訪問前にご確認をお勧めします。(2021.05)

MI 州
1.  Meijer Gardens & Sculpture Park  – DeVos Japanese Garden
1000 East Beltline Ave NE, Grand Rapids, MI 49525
https://www.meijergardens.org/

2.  Japanese Cultural Center in Saginaw – Tokushima-Saginaw Friendship Garden  527 Ezra Rust Dr, Saginaw, MI 48601
http://japaneseculturalcenter.org/

3.   Cranbrook Educational Community – Japanese Garden
1342 East Commerce Rd, Commerce Twp, MI 48382
https://www.longsorchard.com/

OH 州
4.   Cleveland Botanical Garden in Kirtland
11030 East Blvd, Cleveland, OH 44106
https://holdenfg.org/cleveland-botanical-garden

5.   The Dawes Arboretum
7770 Jacksontown Rd., SE, Newark, OH 43056
https://dawesarb.org/

6.  Schedel Arboretum & Gardens in Elmore
19255 West Portage River South Rd, Elmore, OH 43416
https://www.schedel-gardens.org/

※ コロナ対策による入場制限あり。営業時間等に関しては変更がある場合もあるため 確認してから出発を。

日本語学習、応援します! in ミシガン Hinoki Cup Roadshow & Japanese Jobs 101

ここミシガン州では、世界初のユニークな活動が始まった。それは、「Hinoki Cup Roadshow & Japanese Jobs 101」という教育とキャリアに関係するコラボレーションだ。目的は、日本語を学んでいる生徒に、バイリンガル人材の魅力を含めて日本語を学ぶ重要性を説明し、バイリンガルスキルを活かして楽しめる「ひのき杯~Hinoki Cup~」という日本語を使ったクイズ大会を紹介することだ。ボランティア活動でもあるので、ミシガン州の小中高等学校と短大・大学は無料で参加できる。

 この「ひのき杯ロードショーとJapanese Jobs入門講座」は、先月10月10日にデトロイトのFLICS (Foreign Language Immersion and Cultural Studies School) にて始まった。5年生〜8年生に対して日本語の言葉が含まれる発表をし、4クラスで行われた。この学校の生徒は入学してから他言語で授業を取っているため、日本語はかなり高いレベルに達成している。

 2回目は、ガーデンシティー高校にて10月14日行われた。日本語のレベルは高校1年目より5年目までで、発表には日本語の発言が多くみられた。

 当日の流れとしては、発表者の自己紹介の後に、日本語の大切さやバイリンガル人材の重要さに関してパッションあふれる発表がある。最後は、エネルギッシュな学生達にひのき杯のクイズを実際に体験してもらう。このゲームは、Jeopardy!というテレビ番組クイズショーに基づいており、それぞれのチームが日本語と英語を使って質問に答える。(第3回ひのき杯はミシガン大学で2020年3月8日に行われる予定。)

 発表を行っているのは、Hinoki FoundationのDr. Anne HooghartとIkigai Connections社のKasia Lynchだ。ひのきバイリンガル教育振興財団は、小中高等学校でのバイリンガル教育を促進し、国際交流基金(ジャパンファウンデーション)の補助金をこのロードショーに申請し、承認を得た。そのボランティアのアン・ホガート先生は、バイリンガルなキャリアウーマンとして、高校と大学の日本語講師をはじめ、大学教授、学部長、翻訳者、そして在デトロイト日本総領事館の上級文化広報専門官と経験豊かである。Ikigai Connectionsは、オンラインのジョブ・ボードやオンライントレーニングの提供により、バイリンガル人材とグローバル会社の架け橋という役割を担っている。Ikigai Connectionsのカーシャ氏は、日本とポーランド、イタリア、アメリカで、日本語、ポーランド語と母国の英語を使用した仕事の経験を通して、生徒に日本語学習への動機づけを与えたいと言う。

 また、プレゼンテーションには時によりスペシャル・ゲストとして、国際交流基金(ジャパン・ファウンデーション)のGEN-J 文化交流ファシリテーター、澤井美奈江氏も参加する。米国ディズニーワールドや日本の自動車業界の経験に加え、カンボジアでのNGO活動もあり、グローバル人材(国際人)のカテゴリーに入る澤井氏は学生の前で注目を集める。もう一人のスペシャルゲストは、プロの和英通訳者を30年間近くも行っているアンドリュー・ギルマン氏だ。

 ガーデンシティー高校の生徒は授業後に「とても興味深かった」と感想を寄せてくれた。また、日本語教師からは、生徒たちのために良いプログラムで、学習意欲が高くなるであろうと評価している。

今後の日程は、ランシング市のSexton高校、Everett高校とランシング短期大学(LCC)であり、Clarkston高校やミシガン大学、ミシガン州立大学へも訪問をする予定だ。ロードショーは2020年3月まで続くので、興味のある教師・日本語学習に関わる方々はウエブサイトIkigaiConnections.com/Roadshowにて登録することが出来る。また、ひのきバイリンガル教育振興財団に関する情報は、hinokifoundation.orgをご覧ください。

日本語の学習のモチベーションの向上に成果あり~「サマーキャンプ in ぎふ」を振り返って

日本語の学習のモチベーションの向上に成果あり~「サマーキャンプ in ぎふ」を振り返って 4

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目的:海外に暮らし日本語学習中の子どもが日本の自然、文化、歴史に触れ、地元の人々と交流することによって日本語・日本文化を心と体で体感し、積極的に日本語を学習し、日本の生活習慣を習得しようとする意欲を芽生えさせる。

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活動拠点―岐阜県山県(やまがた)市内の里山(美山・伊自良地区)

参加対象―海外に暮らす日本語学習中の小学4~6年生、中学生、高校生 *第1期は中高校生、第2期は小中学生対象

実施期間―第1期:7月1日から11日(10泊11日)、第2期:7月27日から8月2日(6泊7日)

参加した子どもたちの様子

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過去に参加したことのあるリピーターは7人、兄弟での参加が2組4人、友人同士での参加が2人で、全くの初対面という子どもが少なかったせいか、あっという間に打ち解け、キャンプ地に向かうバスの中から大騒ぎでした。

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「サマーキャンプ in ぎふ」の活動内容

ここで、今年実施した体験プログラムのいくつかを紹介します。

●スポーツ交流

最初に2泊する元小学校を改修した

「北山交流センター」の体育館にて、ドッジボールをしました。子どもたちだけでなく、インストラクターやスタッフもともに楽しみ、この後の体験での円滑な交流につながりました。

●古民家生活体験

築100年の古民家にて、薪割りをして、かまどでご飯を炊き、おにぎりを作りました。また、竹を利用してそうめん流し器を作り、そうめん流しも楽しみました。昼食後には、古民家の脇を流れる源流近くの川で泳いだり、水鉄砲をしたりしました。水はとてもきれいですが、とても冷たく寒くなるほどです。冷えた体は、薪で沸かした五右衛門風呂に入って温めました。親の世代でも経験がない昭和初期以前の生活を体感しました。

●農作業&食つくり体験

山の斜面の畑にて、地元のおばあさんやおじいさんの指導の下、なす、ピーマン、オクラなどを収穫し、炒め物や天ぷらなどの料理を作りました。収穫にも料理にも、集中して取り組み、作った料理もきれいに平らげ、ご飯もおかわりする子どもが目立ちました。日常では感じられない野菜のおいしさを実感できました。

●ものつくり体験

北山交流センターの近くで、檜や杉の枝を切り、その他の山の木々も利用して、鉛筆とボールペンを作りました。指導者は、岐阜大学の先生と学生さんです。木の枝の中心に穴をあけたり、先をカッターナイフで削ったりする作業は難しいのですが、子どもたちは集中して取り組み、山の自然に触れる良い機会となりました。

●ホームステイ

2泊3日でお世話になりますが、半日は川下りで乗船するいかだを一緒に作り、もう1日はいかだで川を下りました。家庭で過ごす時間は少なかったですが、夜は、花火やバーベキューを楽しみました。子どもたちにとっては、里山の家庭での生活を知る良い機会となりましたし、地元の人々にとっては、海外の子どもとの交流を楽しんでいただけました。

今年は14人に対し、10家庭のホストファミリーが受け入れをしてくれました。その内半数は、過去にも受け入れをしてくれた家庭です。過去のサマーキャンプの子どもたちを気に入ってくださったのだと嬉しく思います。

●いかだ川下り体験

鵜飼で有名な長良川の支流の武芸川で28年間にわたって行われているイベント「美山いかだ川下り」(YACC主催) に参加しました。ホストファミリーとともに半日かけて作ったいかだは、途中で転覆したり、破損したりというトラブルもありましたが、岐阜の自慢の清流を肌で感じることができました。川下りの後は、バーベキューを楽しみながら、心行くまで川遊びをしました。

●伝統工芸体験

山県市特産の渋柿を利用した柿渋染めを体験しました。柿渋独特のにおいにもすぐになれ、思い思いの作品(手ぬぐいとランチョンマット)を仕上げました。指導者は、地域おこしのために横浜から移住した方です。子どもたちのオリジナリティーあふれる作品を高評くださいました。

●寺院体験

450年前に創建された禅宗の寺院にて、座禅と習字を体験しました。座禅では、いつもおしゃべりの多い子どもたちも、住職の話にしっかり耳を傾け、真剣に取り組んでいたのが印象的でした。座禅の後は、好きな字や言葉を筆で書く練習をし、最後はうちわに清書をしました。思い出に残る良いお土産になりました。

「サマーキャンプ in ぎふ」の成果と課題

これまでの11年間の実施にて、日本の里山で日本文化を体感しながら日本語に触れることで、参加した子どもたちの日本語学習のモチベーションが上がったということは、保護者からのご報告によって実感していますし、参加者のリピーターの日本語での会話も、過去に比べると向上しているのを感じます。そういう意味では、「サマーキャンプ in ぎふ」は確実に成果を上げているといえます。

また、ホストファミリーや宿泊施設、各種体験の指導者の皆さんなど、受け入れ機関や受け入れ者の皆さんが、歓迎してくれ、毎年楽しみにしてくれているのも感じます。そして、共催者のNPO法人山県楽しいプロジェクト、山里生活推進委員会、協力団体のYACCでは、20 ~40代の方々が、ボランティアで協力をしてくださいます。子どもたちとの年齢も近く、一緒に遊んでくれるので大喜びです。皆さんは、お仕事を持っておられますが、休日や仕事が終わってから時間を作ってくださいますし、中には仕事をお休みして協力くださる方もおられ、本当に頭の下がる思いです。

また、当キャンプは、2年前から岐阜県、岐阜県教育委員会、山県市、山県市教育委員会という行政機関の後援もいただいています。海外在住の子どもたちのためのプログラムですが、今後は、地元の活性化、グローバル化にも貢献することを目指したいと考えています。

執筆者のプロフィール:河合塾で十数年間にわたり、大学入試データ分析、大学情報の収集・提供、大学入試情報誌「栄冠めざして」などの編集に携わるとともに、大学受験科クラス担任として多くの塾生を大学合格に導いた。また、全国の高等学校での進学講演も多数行った。一方、米国・英国大学進学や海外サマーセミナーなどの国際教育事業も担当。米国移住後は、CA、NJ、NY、MI州の補習校・学習塾講師を務め、2006年に「米日教育交流協議会(UJEEC)」を設立し、日本での日本語・日本文化体験学習プログラム「サマー・キャンプ in ぎふ」など、国際的な交流活動を実践。また、帰国生入試や帰国後の学校選びのアドバイスも行っており、北米各地で進学講演も行っている。河合塾海外帰国生コース北米事務所アドバイザー、名古屋国際中学校・高等学校アドミッションオフィサー北米地域担当、名古屋商科大学アドミッションオフィサー北米地域担当、デトロイトりんご会補習授業校講師(教務主任兼進路指導担当)

◆米日教育交流協議会(U J E E C )  Website:www.u j e e c .org

Michigan 2016 Japanese Language Speech Contest ミシガン2016日本語スピーチ・コンテスト

ミシガン州内の高校と大学の日本語学習者を対象とした日本語スピーチコンテストが在デトロイト日本国総領事館の主催で2月27日(土)にノバイ市のシビックセンターを会場にして行なわれた。このコンテストは毎年、デトロイト日本商工会、ミシガン南西オンタリオ日米協会、ミシガン日本語教師会、国際交流基金など複数の団体の支援や協力、そしてデルタ航空の協賛を得て実施されている。事前の選考を経て、今年は高校部門7名と大学部門6名が本大会に出場し、学習の成果を披露した。

審査員の一人として同イベントに初めて参加された和田総領事は開会にあたり、まず、世界中の日本語学習者は400万人ほど、米国では11万5千人おり、前年より増えていることを伝えた。当地赴任後7カ月経ったが、ミシガン州での日本語学習に対する意欲の高さを既に見聞していると告げた。また、本イベント参加者らは何カ月も準備に費やしてきたことであろうと、その努力への称賛に重ね、教師の献身、同イベント支援者への謝辞を寄せた。言語は異文化理解のエッセンシャルであり、ツールであり、また、世界を広げ人生を豊かにし、生涯役立つものと信じていると述べ、「参加者が日米両国の懸け橋になることを願っている」との期待の言葉で結んだ。

当大会への応募資格と条件は、日本に長期滞在していないこと。よって、日本渡航の無経験者か、あるいは短期の滞在を経験した出場者たちであるにも拘らず、滑らかな話し方をする参加者が年々増えている。特に高校生は吸収力の高い時期とあって、数カ月の留学経験を通して驚異的な会話力をつけている学生もおり、滞在期間の違いがスピーチにも現れる傾向が強いと言える。一方、インターネット環境が整う昨今、幼少期から日本語のアニメを原語で視聴してきたなど、当地に居ながら吸収してきた学生も少なくない。今回に限らず、日本に一度も行ったことのない学生が優勝を飾るケースも珍しくない。作文(論文)コンクールではないため、語彙力や知識、文章構成力が高いからといって必ずしも上位入賞するとも限らない点もスピーチコンテストの難しさであり、面白さでもあると言える。

本コンテストでは規定時間内に、暗記したスピーチの発表を課せられる。語彙の豊富さと正しい使い方、話題の展開やまとまりといった作文の要素に加えて、発表の際の話し方などが総合的に評価される。

和田総領事をはじめ、JBSD文化部会ならびにJSDウィメンズクラブ、日米協会の代表が審査を務めた。

高校の部で第1位に輝いたナヒュン・アンさんは、「私には将来を決めることが一番難しい」と、将来の夢を題材に、迷いの多い思春期の高校生らしい率直で真面目な本音を語った。スピーチも滑らかで澱みが無く、その後の審査員による質問への応答も、理由も織り込んで、すらすらと長く話せるレベルであった。

大学の部の第1位となったマリアン・キャンデラーさんは、「自分の民族的背景や文化的習慣は、アイデンティティを形成するのに大切な役割を果たすと言われています。しかし、はっきりとした民族的背景や習慣がない私にとっては、このアイデンティティというのは、これまでずっと探し求めてきたものでした。」とスピーチを切り出した。家系のルーツや伝統が明白な人がいる一方で、様々な血や文化が混じった家族も少なくないアメリカの多様性、そして、そこで育つ「人種を問われても答えられない」子供の悩みを知ることができるスピーチ内容であった。大学という多様性豊かな環境で、同じような友に出会い、そして「日本語を話すことによってアイデンティティの基礎を作り始められた」とのくだりが、印象的であった。

「私にとっての『マルチカルチャー』というのは、『色々な人と交わり、相手を受け入れることができる人』という意味に変わっていました。」との言葉が表明された。(日本の英語指導のアシスタントをする)JETプログラムに応募しており、日本の子供たちに、「グローバル化する世界では、他の文化や民族背景を持つ人と交わり、その人たちを受け入れることが、どれだけ大切であるか、を伝えたい」とスピーチを結んだ。他の文化や民族背景を持つ人との関わりに不可欠な言語を習得し、マルティカルチャーを豊かにとらえている彼女のような若者の活躍に期待したい。日本語を聞き取る力が高く、明瞭な発音ができるマリアンさんに、スピーチ後に習得方法を探ってみたところ、日本の歌謡曲が好きで、インターネットでよく聞いていたとのこと。インターネットを上手に活用したいものである。

スピーチ内容の多くが、日本での経験により広がった視野や気づき、あるいは日本語学習を通じて得た思いを題材としている。言語だけではなく、日本の習慣や価値観をも学んでいる若者たちの新鮮な観点や感想を垣間見ることができるこのイベントは、聴く人々、特に日本人にとっても得るところが大きい。

以下(P7,P8)に、全参加者のスピーチ内容の要約と各部門の優勝者の原稿全文を紹介させていただく。

スピーチコンテストの後には、今回初めての試みとして、企業と学生を結ぶネットワーキングフェアが開催された、審査員も務め、このフェアをオーガナイズしたカーシャさんによれば、「日本語を学んでいる学生に、日本語を使える人は様々な企業で求められることを知って欲しい」、いわば、語学を身につける意義や貴重さを伝えることが主目的。翻訳通訳、語学教師になる以外に様々な分野・職種で 語学力は活かせ、世界を広げられることを認識して欲しいとのこと。また、企業側も日本語履修者をどう使えるか模索している実情にも寄与したいと話す。実際の求人求職活動を目的としたジョブフェアとは異なり、和やかなネットワーキングの風景が広がっていた。

原稿要約

プログラム順に氏名、学校名、題名

*H.S. : High School

「 」内は原文引用。一部平仮名を漢字に変換。

高校(ハイスクール)部門

Hannah Ackman (Stevenson H.S.)

実紅さんのホームステイ

2014年の夏、実紅という留学生のホームステイをホストした。「蛇とトカゲは好きですか」と尋ねたり、好きなバンドを聞かれて「ビートルズが大好きだ。」と答えたりした会話の内容や交流の話。「毎日楽しかったです。」

Nahyun Ahn (Troy H.S.) 優勝

ゆめをみつけるほうほう

「夢が分からないことが当たり前で、今から見つけても良いと努力すれば叶うと思います。」

*全文次ページに掲載

Elliot Boinais (Groves H.S.) 特別賞

生まれた時、家族はフランスに住んでいた。5年前に姉とフランスに旅行し、ヨーロッパの城をたくさん見た。少し、城のオタク。日本とヨーロッパの城は、丘の上にあるなど同じところもあるが違いもある。日本の城には、敵が攻撃できない格子窓や、歩くと音がする鴬張りの廊下など、おもしろい発明がある。

「松本城は私の一番好きな城です。」

Walter Davis II (Groves H.S.) 総領事賞

日本のクラスメート

5年くらい日本語を勉強している。今年私のクラスはオンラインの文通友達のプログラムKACに参加し、日本人と話すことが出来た。私たちの国の文化を紹介でき、お土産交換もした。パートナー校から、たくさんのお菓子をもらった。すごく違う。きな粉のお菓子はドッグフードの味だと思った。小魚とピーナッツのお菓子もあって、魚の頭が怖かったので誰も食べたくなかった。「日本が学びたくて流暢になりたいんです。だからKACが大好きです。」

Natalie Harshman

(Clarkston H.S.) 第3位

なぜ日本語がすき

高校で4年間日本語を勉強。日本語は一番好きな科目で、大学でも続ける。大学の後、JETプログラムで英語を教えに日本に行きたい。仕事は日本語に関与したい。日米の文化は違い、日本の文化は面白いと思う。違う文化の人との交流はとても大事。去年、千葉東高校の学生をホストした。その経験は面白くて楽しかったので、今年またホストする。この夏、修学旅行で日本に行くことになっていて、ドキドキしている。「親しい友達と新しい記憶を作り、日本語を習うのが楽しみです!」

Scott Schaefer (Groves H.S.)

おもてなし

「私は日本のおもてなしが好きです。」外国人がアメリカの家に行くとアメリカ人は「自分の家のようにしてください」と言う。日本人は一生懸命ゲストを喜ばせ、王様と同じに扱う。日本に行った友達が、皆優しかったと言った。「私はおもてなしを経験したいです。」ミシガンで日本のレストランに行ったとき、おしばりをもらった。温かく、きれいな感じで好き。父の日本人の友達は、知り合ったばかりの私に寛大だった。いつかアメリカで日本みたいなおもてなしがあったらいい。

Jenny Zhi (Troy H.S.) 第2位

昨年の自転車旅 

昨年の夏、中国の人権問題をアメリカの人々に知らせるため、ロサンゼルスからワシントンDCまで自転車で渡った。法輪功という修行は中国の政府に16年間差別されていて、多くの法輪功の子供は孤児になってしまった。私も法輪功を信じているので、孤児のことをとても心配している。だから、いろいろな国から来た25人の法輪功の子供たちと一緒に「自由へと向かう」というプロジェクトでアメリカを渡る旅をし、この問題について話した。2カ月掛かり、疲れて汚くて痛かったけど、みんなの手伝いや励ましで、多くの障害を克服して、楽しい思い出を作って、私の一番の友達になった。差別の終わりへの一歩を進んだ。「私は将来にも続けたい」

大学生部門 

James Alessandrini

(Eastern Michigan University ) 第2位

僕が大好きな困っている日本

最近日本に留学し、忘れられない友達も思い出もたくさん作れた。日本に住んで働くのもいいなあと思ったが、やっぱり無理。それは日本語の能力ではなく、「問題は働き過ぎの社会です」。残業や休みに働くことは珍しくなく、働きすぎで病気になって死んだり、仕事のストレスで自殺する場合もある。働き過ぎは他にも影響。結婚、子育てのお金がないことが少子化の一つの理由だと思う。改善するには、高齢化を利用したらいい。お年寄りにパートやボランティアで職場に戻ってきてもらえば、一人一人の仕事を減らせると思う。「僕が喜んで働けるような日本に変わってほしい」

Jamie Heywood

(Kalamazoo College) 総領事賞

同性愛者としての経験

「私は同性愛者なんです」と告げ、大学留学した日本と、アメリカでの、同性愛者としての経験を語った。日本でボーイフレンドについて聞かれて同性愛者だと答えたら、「じゃ、ガールフレンドは」と聞いてきてほっとした。スピーチクラスで話題にしたら、先生が励ましてくれた。レズビアンバーを案内してくれる人がいたり、親切だったので楽しかった。アメリカでは同性婚ができようになったが、世界中で差別がある。住めなかったり、合法的に殺される国もある。「人を性・身分・宗教・人種などで差別するのはまちがいです。私たちは本当に同じ」「人が差別されているのを見たら私を思い出して。大きな声で反対してください。」

Marian Kandler

(Eastern Michigan Universit y) 優勝

マルチカルチャーと私

多文化背景をもつ自分について

*全文次ページに掲載

Huiyi Liu (Michigan State Univ ersity)

一期一会

「日本語のことわざが面白い」「ことわざの中で四字熟語が一番好き」。好きな理由は四文字で多くを表わせられるから。一番印象的なのは「一期一会」で、それを初めて聞いたのは好きなバンドのコンサートのテーマ。「一つ一つの出会いは一生に一度で、友達と一緒に過ごした時間はもう二度と戻れない。毎日会っても一緒に過ごす時間は違う」「条件がそろわないと同じ感情はいだけない」など、その具体的な話を挙げた。

Christa Scheck

(Kalamazoo College) 第3位

直訳の問題

高校1年生で日本語の翻訳クラスを取り、日本語が大好きに。大学1年生の時には歌や小説を翻訳し、多くのことを学んだ。最も注意すべきことは直訳。正確な意味を伝えられない。まず漢字。例えば電車はTrainでありElectric Carではない。

「日本文化では、皆が知っていることは文章で言わず推測することがある。また、悪いことは言わず途中で止める」と特徴を指摘。

Ka Sheng (Kalamazoo College) 特別賞

日本の携帯電話

ガラケーの携帯電話について

日本人が使っている携帯電話と他の国のを比べ、違いがはっきり見られる、と高校生の時に思った。理由は、そのころ(*2015年)のアニメのキャラクターはガラケーを使っていたため。しかしインターネットでデータを探して、ガラケーの使用者は約20%に過ぎず、他はスマートフォン使用者であることに驚いた。2008年にはガラケーはスマートフォンの10倍くらい。1999年に日本では携帯電話でインターネットサーフィンができ、便利なソフトウェアがあったため、2007年に海外でスマートフォンが作り出されたが、ガラケーの方が便利で使いやすいと思った日本人が多く、その結果、スマートフォンを開発しなかった。201 0年、4代目のアイフォンが日本で大ヒット。そして去年、ガラケーはスマートフォンの5分の1に。キーボードの触感が素晴らしいなどの考えを持つ人がガラケーの使用者かもしれない。去年5%増えたが増加していくかは明らかではない。「ガラケーは日本文化の一つだと考える人は多いので、絶滅したらとても残念でしょう。」

高校生部門 優勝

「ゆめをかなえる ほうほう」

ナヒュン・アン

小さい頃にお姫様になりたかったです。すこし大きくなって学校に行くときにはテレビに出るアイドルになりたかったです。でも何時かから私が何が好きなのか、何に得意なのかもわからなくなてしまいました。私の周りには好きなことをやりたい人や、自分が何をしたいのかをわかってるひともいました。でも、わたしにはしょうらいをきめることがいちばんむずかしいことでわからないしつもんでした。こんなじぶんにしつぼうもしました。でもあるひとつぜんしっかりじぶんしょうらいをわかってるひとがたくさんいるかどうかかんがえました。たぶんそんなにないとおもいます。だからかんがえをかえることにしました。ひとりでなやむかわりに、みんながおなじだっとおもうことにしました。きまるときがきってたらいっしょけんめいがんばりましょう。たぶんいっぱいな人たちがしょうらいのことをなやんでるとおもいます。でもあまりネガティヴにかんがえたりかんがえすぎないようにしてほしいです。ゆめはかんがえだけではかなうものじゃないとおもいます。じぶんの夢がわからないことがあたりまえでいまからみつけてもいいとどりょくすればかなうとおもいます。(原文ママ)

大学生部門 優勝

「マルチカルチャーと私」

マリアン・キャンデラー

皆さんは、「子どものアイデンティティはどのように形成されるのか」についてかんがえられたことはありますか。

子どもにとって、自分の民族的背景や文化的習慣は、アイデンティティを形成するのに大切な役割を果たすと言われています。しかし、はっきりとした民族的背景や習慣がない私にとっては、このアイデンティティというのは、これまでずっと探し求めてきたものでした。今日は、そのお話をちょっと聞いていただければと思います。

歴史や伝統がある家庭に生まれたクラスメートを見て、うらやましく思ったことがあります。みんなは、自分がどんな人か、はっきり知っているように感じました。しかし、私は、と言えば、母国であるアメリカでも、自分が外国人のように感じました。母はいつも私に「誰かが、人種は何?と尋ねたら、『人間です。』と答えればいいのよ。」と言いました。中学校の時、母から「マルチカルチャー」という言葉を教わりました。そして、母から「私たちの祖先は世界中から来た。」と聞きました。しかし、当時の私は容易に識別ができる人種がほしかったのです。「白人」「ネイティブアメリカン」「アジア人」などのようにです。

当時、私はすごく内向的で、一人で考えるのが好きでした。人と話す代わりに、観察するのが好きでした。そのために、よくクラスメートに誤解されました。私は特定の文化や習慣やアイデンティティを持っていなかっただけではなく、人間関係を作ることもできなかったのです。私は疎外された感じがし、当時の私にとっての「マルチカルチャー」というのは、「何もない人」、「自分の国でも外国人」、「文化がない人」を意味しました。

しかし、大学入学あたりから私の中の何かが変わってきたのです。私と同じような学生の友達ができました。三学期から、長年自習していた日本語を専攻することに決めました。私は日本語を話すことによって、自分のアイデンティティの基礎を作り始められたように思います。日本語を通して、他の人と関わるすべを見つけたように感じました。文化や民族というのは、中学生や高校生の時に感じたように、疎外するものではなく、人と人をつなげるものだと、少しずつ学び始めました。私は自分を受け入れられるようになっていくと同時に、他の人も受け入れられるようになっていきました。

三回生の時に、日本への留学が決まりました。日本に着くと、不思議なぐらい日本のすべてが私を迎えてくれました。カルチャーショックなんて一度も経験しませんでした。でも、それはなぜだったのでしょうか。私ははっきり決まった人種や習慣がないため、日本の文化も人も、人一倍受け入れられる能力を持っていたのだと思います。子供の時から、私は常に色々な文化や習慣に浸っていたからです。日本での経験のおかげで、私は色々な文化や習慣を持つ人と、もっと交わりたい、という思いにかられました。子供の時に、よく無視されて、誤解された私には、他の人が誰であっても受け入れられる人になりたい、と思うようになったのです。そして、気がついてみると、私にとっての「マルチカルチャー」というのは、「色々な人と交わり、相手を受け入れることができる人」という意味に変わっていました。

今年、JETプログラムに応募した私は、これまでの体験を日本の子どもたちに伝えたいと思っています。このどんどんグローバル化する世界では、他の文化や民族背景を持つ人と交わり、その人たちを受け入れることが、どれだけ大切であるか、を伝えたいと思います。

ミシガン大学で開催された東日本大震災3周年追悼イベントミシガン大学で開催された東日本大震災3周年追悼イベント

<!--:en-->ミシガン大学で開催された東日本大震災3周年追悼イベント<!--:--><!--:ja-->ミシガン大学で開催された東日本大震災3周年追悼イベント<!--:--> 2

   東日本大震災から3年経過した3月11日、ミシガン大学アジア言語・文化学部の日本語課の教師および学生によるイベントが催された。昨年も同日に追悼イベントが行われたが、今年も昨年同様、大勢の日本語クラスの学生を中心に、外部からも人が訪れ、2時間半にわたって支援に関するプレゼンテーションやトークが(英語で)行われた。

  プログラムには「東日本大震災は、2万人の犠牲者が出た1件の震災ではありません。悲しい1件1件の事件が2万件も起きたのです。(スコップ団 平了)」という言葉が記され、人々の声や状況に焦点をあてた追悼イベントになっていた。

  進行役の学生(アイ チョウンさん)からの「ともに何ができるか考えよう。」との呼びかけでスタート。まず“フォトボイス・プロジェクト”に関する翻訳コースでの取り組みについて、2年にわたって携わっている大学生(ロデリックさん)と指導担当の望月先生より説明があった。

  “フォトボイスプロジェクト”はミシガン大学(社会福祉学)吉浜教授が、復興支援を模索するための調査として被災者の声を収集するために選んだ方法で、被災地の女性達が地震や津波、原発事故に関する自分自身の経験を撮影した写真に、撮影者の自身のつぶやきのような言葉が添えられている。言葉だけ、あるいは写真だけでは伝わりにくいことを社会に発信する手法である。大震災1周年に同学内で写真展が開催されたが、今回の会場には日本語翻訳コースの学生達が手がけた英文を添えた20あまりの作品が展示されていた。崩れた橋や瓦礫の写真もあれば、立入禁止区域の家の台所(冷蔵庫の中身が腐っているだろうからとテープでぐるぐると封印)やがらんとした保育園舎を写したものもあり、今も手つかずな地域があることを再認識させられる。それを撮っているのは避難生活が終わらない被災者たちだと思うと胸が塞がる。英訳は共同的に何十ものプロセスを経て多くの時間をかけて行われ、原文の声を発した被災者の思いをより反映した翻訳をするために、学生達は被災や避難の状況を学び気持ちを推し測ったという。フォトボイスの写真と文は、今までに東京やパリでも展示され、今後も継続していくとのこと。

   ゲストスピーカー(学生のエルズベリーさんが紹介)として、震災時に気仙沼市でJETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)の英語指導助手をしていたポール・フェレズ氏が体験を語った。震災後、2013年夏にミシガンに帰還するまで気仙沼に留まり、復興をその目で見てきたポールさんは「震災時に起きたことや自身の経験、その後の状況について共有することで復興支援の役にたてれば幸いです」と切り出し、まず被災経験を語り始めた。3月11日には離島で勤務していた時に地震が発生し、島自体は津波被害は無かったが、アパートがある本土に戻る連絡船が不通になり、電気・通信が途絶えた状態で学校の体育館での避難生活を余儀なくされた。5日後に本土に戻り、被害の甚大さにショックを受けた。アパートは残っていたが住める状態では無く、別の学校での避難生活や仮住まいが数カ月続いた。

  ポール・フェレズ氏による講演の後には、同大学院生(ブラッドリーさん)がインタビュアを務めて、公開インタビューの時間が設けられ、心境やその後の状況についてより深く明かされた。日本を離れたJETプログラム参加者が少なくない中で、ポールさんは勇敢にも留まった理由を「皆が何かしらしているように、自分にできることをしたかった。するべき務めを果たしただけ」と淡々と話す。そして、3年経ったが、すさまじい光景は記憶に突き刺さり忘れることが無いと胸の内を吐露する。一方で、ポールさん用の救援物資をきちんと確保してくれたことなど、人々の態度や温情も忘れない。復興するための労力や金銭の支援は今も必要で、「もう遅いということはない」「まだまだすることが沢山ある」と強調し、また、「忘れていないことを示すことにも意義があり、応援になるであろう。」と示唆した。近い将来、東北に戻ってボランティアをしたいという。

プログラムの最後に、3年後の復興状況を伝えるビデオが流され、家屋の復興が農地や漁港に比べて桁外れに遅れている現状が示された。

  日本語プログラムのディレクターを務める岡先生より、震災の次の年は一人の留学生も日本へ行かなかったが、今年と来年は約20人が交換留学を決めているとの明るい報告があった。岡先生は「今日は震災3周年で日本について取り上げたが、世界中の災害に目を向けるきっかけとなれば」と言葉を加えた。榊原先生は「日本に行くと、(当地との)温度差を感じる。私たちがミシガンでできることは、今の日本を伝え、忘れないこと」と伝え、追悼イベントに幕を下ろした。

   東日本大震災から3年経過した3月11日、ミシガン大学アジア言語・文化学部の日本語課の教師および学生によるイベントが催された。昨年も同日に追悼イベントが行われたが、今年も昨年同様、大勢の日本語クラスの学生を中心に、外部からも人が訪れ、2時間半にわたって支援に関するプレゼンテーションやトークが(英語で)行われた。

  プログラムには「東日本大震災は、2万人の犠牲者が出た1件の震災ではありません。悲しい1件1件の事件が2万件も起きたのです。(スコップ団 平了)」という言葉が記され、人々の声や状況に焦点をあてた追悼イベントになっていた。

  進行役の学生(アイ チョウンさん)からの「ともに何ができるか考えよう。」との呼びかけでスタート。まず“フォトボイス・プロジェクト”に関する翻訳コースでの取り組みについて、2年にわたって携わっている大学生(ロデリックさん)と指導担当の望月先生より説明があった。

  “フォトボイスプロジェクト”はミシガン大学(社会福祉学)吉浜教授が、復興支援を模索するための調査として被災者の声を収集するために選んだ方法で、被災地の女性達が地震や津波、原発事故に関する自分自身の経験を撮影した写真に、撮影者の自身のつぶやきのような言葉が添えられている。言葉だけ、あるいは写真だけでは伝わりにくいことを社会に発信する手法である。大震災1周年に同学内で写真展が開催されたが、今回の会場には日本語翻訳コースの学生達が手がけた英文を添えた20あまりの作品が展示されていた。崩れた橋や瓦礫の写真もあれば、立入禁止区域の家の台所(冷蔵庫の中身が腐っているだろうからとテープでぐるぐると封印)やがらんとした保育園舎を写したものもあり、今も手つかずな地域があることを再認識させられる。それを撮っているのは避難生活が終わらない被災者たちだと思うと胸が塞がる。英訳は共同的に何十ものプロセスを経て多くの時間をかけて行われ、原文の声を発した被災者の思いをより反映した翻訳をするために、学生達は被災や避難の状況を学び気持ちを推し測ったという。フォトボイスの写真と文は、今までに東京やパリでも展示され、今後も継続していくとのこと。

   ゲストスピーカー(学生のエルズベリーさんが紹介)として、震災時に気仙沼市でJETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)の英語指導助手をしていたポール・フェレズ氏が体験を語った。震災後、2013年夏にミシガンに帰還するまで気仙沼に留まり、復興をその目で見てきたポールさんは「震災時に起きたことや自身の経験、その後の状況について共有することで復興支援の役にたてれば幸いです」と切り出し、まず被災経験を語り始めた。3月11日には離島で勤務していた時に地震が発生し、島自体は津波被害は無かったが、アパートがある本土に戻る連絡船が不通になり、電気・通信が途絶えた状態で学校の体育館での避難生活を余儀なくされた。5日後に本土に戻り、被害の甚大さにショックを受けた。アパートは残っていたが住める状態では無く、別の学校での避難生活や仮住まいが数カ月続いた。

  ポール・フェレズ氏による講演の後には、同大学院生(ブラッドリーさん)がインタビュアを務めて、公開インタビューの時間が設けられ、心境やその後の状況についてより深く明かされた。日本を離れたJETプログラム参加者が少なくない中で、ポールさんは勇敢にも留まった理由を「皆が何かしらしているように、自分にできることをしたかった。するべき務めを果たしただけ」と淡々と話す。そして、3年経ったが、すさまじい光景は記憶に突き刺さり忘れることが無いと胸の内を吐露する。一方で、ポールさん用の救援物資をきちんと確保してくれたことなど、人々の態度や温情も忘れない。復興するための労力や金銭の支援は今も必要で、「もう遅いということはない」「まだまだすることが沢山ある」と強調し、また、「忘れていないことを示すことにも意義があり、応援になるであろう。」と示唆した。近い将来、東北に戻ってボランティアをしたいという。

プログラムの最後に、3年後の復興状況を伝えるビデオが流され、家屋の復興が農地や漁港に比べて桁外れに遅れている現状が示された。

  日本語プログラムのディレクターを務める岡先生より、震災の次の年は一人の留学生も日本へ行かなかったが、今年と来年は約20人が交換留学を決めているとの明るい報告があった。岡先生は「今日は震災3周年で日本について取り上げたが、世界中の災害に目を向けるきっかけとなれば」と言葉を加えた。榊原先生は「日本に行くと、(当地との)温度差を感じる。私たちがミシガンでできることは、今の日本を伝え、忘れないこと」と伝え、追悼イベントに幕を下ろした。

駐在員母娘のバレエアカデミー体験記

by 平塚 弥生

 ミシガン州で最も多くの日本人が暮らすノバイ市の北隣、ウィクソムに娘の通ったバレエ教室「Academy of Russian Classical Ballet」(略称ARCB)があります。ここでの経験が私たち母娘にとって貴重なものになりました。

ARCBはバレエの指導法として有名なワガノワメソッドで指導するロシア流のバレエ教室です。ロシア出身の有名なバレエ団でプロとして踊り、国立バレエ学校で指導してきた先生が在籍することもあって、「東海岸や西海岸に行かなくても、本場ロシアのバレエを学べる」とカナダやミシガン州外から来る生徒もいます。また、場所柄、日本人の生徒が多く、英語が苦手だった私達はスタジオに通う日本人の皆さんに助けていただきました。またロシア人の先生をはじめ、世界中にルーツを持つ生徒さんが在籍していて、多民族の国アメリカを実感しました。

 四年前、はじめてのアメリカ駐在で右も左もわからないまま、娘のバレエ教室を探してこのスタジオを訪ねました。大小のレッスン室が四つもあっていろんなレベルの子供達が練習がしている様子に緊張しつつもワクワクしたのを覚えています。当初、英語のわからない娘はレッスンも見よう見まね。先生は、そんな娘に丁寧に指導してくれました。少しずつ英語を理解できるようになるとお友達もでき、レッスン後の更衣室でのおしゃべりで娘の英語はどんどん上達しました。同時にバレエに夢中になり、気が付けば毎日のようにスタジオに通うようになりました。

 ロシア出身のイヴァン先生、ナタリア先生、ニコライ先生は、ロシアのバレエ学校で学び、プロのダンサーとして舞台に立ち、ロシア国内だけでなく、ヨーロッパや日本など国外公演に行ったこともあるそうです。

また、ペルミバレエ学校(ロシア)やキーロフ(ワシントンD.C. )で数多くのダンサーを指導し、日本からの留学生も沢山指導されてきたので「日本人の生徒やダンサーは、礼儀正しく、まじめで、練習熱心。だから日本人が大好き」と話します。日本人が世界中で頑張っていることを知り、とてもうれしい気持ちになりました。

ARCBで特に娘が夢中になったのは、年に二回ある発表会です。冬はクリスマスの風物詩「くるみ割り人形」全幕を、春は「ドン・キホーテ」や「眠れる森の美女」など毎年異なる全幕作品に挑戦します。数ヶ月のリハーサルを通して、衣装の早着替えを助け合ったり、お互いの成功を励ましあって、仲良くなって皆で一つの舞台を作ります。ペアレントミーティングの日には、ポットラックパーティをします。アメリカ、メキシコ、中国など、インターナショナルなお料理をみんなでワイワイ食べて、ママ達も仲良くなります。

 また発表会の演目の主役には州外やアメリカ国外のバレエ団からプロのダンサーをゲストとしてお招きします。先生の人脈のお陰でプリンシパル(バレエ団のトップレベル)の方が来てくださることもあります。現役で活躍するバレエダンサーのテクニックや表現力、練習中の振る舞いなど、間近で見られるのは特別なことです。素人の私も、ボランティアでバックステージからそっと覗いて、プロのテクニックにうっとりしました。

発表会以外にも、地元の小学校、老人ホーム、図書館などに招かれて、踊りを披露する機会もあります。他には、お祭りのステージやデトロイトファッションウィークのランウェイ、豪華ホテルのアフタヌーンティーパーティ、デトロイトレッドウィングスのイベント、スクールクラフト大学の世界交流イベントなど。どの舞台も、お客様の反応を感じながらパフォーマンスできる、とても貴重な経験です。

ARCBの生徒達は、舞台の大小関係なく堂々と楽しそうに踊っていて、バレエが好き、踊ることが好き、観ている人に楽しんでもらいたいという気持ちが伝わってきて、自然とどの子も応援したくなりました。

今年も新学期が始まると、16回目の「くるみ割り人形」の練習がはじまります。今年はどんな舞台になるのか今から楽しみです。

[アナーバー校がオープンします]

8月6日、ミシガンシアタービル(右写真)2階にARCBのスタジオがオープン!

ARCBホームページ: russianclassicalballet.com

ARCB日本語ブログ: japaneseballetmichigan.com

JBSD Women’s Club and JBSD presents 2013 Japan FestivalJSDウィメンズクラブ・JBSD文化部会共催 2013年度 日本まつり開催

<!--:en-->JBSD Women's Club and JBSD presents 2013 Japan Festival<!--:--><!--:ja-->JSDウィメンズクラブ・JBSD文化部会共催 2013年度 日本まつり開催<!--:--> 3

 去る10月6日(日)、JSDウィメンズクラブとJBSD(デトロイト日本商 工会)文化部会の共催による日本まつりがノバイ市のハイスクールを会場に開催 された。当日はあいにくのぐずつき模様の天候にも拘らず、1時から4時までの 開催時間を通して大勢の人で溢れた。

 この日本まつりは、アメリカ人や他 の文化背景を持つ人たちへの文化紹介 と交流を主目的に日本文化紹介の様々 な展示や実演などが行われ、訪問者に 日本人以外の人が多いことが特徴。も ちろん周辺に滞在している日本人が楽 しむ場にもなっている。 当地の日米協会、滋賀県が協賛、ノ バイ市並びにノバイ地域学校区、在デ トロイト日本総領事館が協力して毎年 開催している。今年は多数の団体や個 人ボランティアなど300人を超す人々 が協力してこの一大イベントを支え た。ノバイハイスクールの生徒10人も 自らボランティアを志願したそうだ。 毎年手伝っている人、そして毎年訪れ る人も多く、秋の行事として定着して いる。 オープニングのセレモニーでは、デ トロイト日本商工会の文化部会長の挨 拶に続き、在デトロイト日本国総領事 館の片山和之総領事、ノバイ市長代理 と教育委員長による開会の辞が述べら れた。それぞれに、このイベントの開催と日米の文化交流と友好親善を祝福する言葉を伝えた。

 アトリウムと呼ばれる広々としたオ ープンスペースには茶の湯実演や、書 道と折り紙体験のコーナーが設けら れ、手馴れた日本人女性たちを中心に 実演や体験ワークショップが提供さ れた。異文化を実際に体験して心から 楽しむ多くの人々の姿があった。茶の 湯実演には、当地で活動する裏千家・ 表千家・石州流、3つの流派の方々が 手を携えて、お点前に英語の説明を添 えて紹介したうえ、何十もの器で薄茶 をたててお菓子とともに観客に振舞っ た。合わせて6回の実演が行なわれ、 どの回も立ち見の人壁ができるほど高 い関心を集めていた。書道コーナー は、用意した600枚近くの半紙が底を つくほどの人気ぶり。お手本を見なが ら、スタッフによる丁寧な指導を受け て書き上げた字を満足気に見せ合う姿 が見られた。 また、在デトロイト総領事館や、ミ シガン州と姉妹県関係にある滋賀県による文化紹介ブースを始め、デトロイ トりんご会補習授業校やひのきインタ ーナショナルスクールの学校紹介、JC MU(Japan Center for Michigan University)や JET(The Japan Exchange and Teaching Programme)など、日本に関連した団体 のブースが並んだ。日本生まれの商標 デザインを元にタオル帽子を作製しミ シガン内の病院などの患者さんに寄贈 する活動をしている「ミシガン・タオ ル帽子の会」もブースを出し、活動内 容や作り方を説明していた。日本まつ りの場で近隣の様々な活動を知ること ができる意義も大きい。 滋賀県のブースには‘シスターステ イトワイン’が展示されていた。ボト ルに「ミシガン州と滋賀県との姉妹県州関係を讃えて」と示されている通 り、絆の産物。製造ワイナリーである Leelanau Cellarsの試飲ルームのみで の販売だが、米国内への宅配が可能。 ちなみに、価格の半額は姉妹交流の為 に寄付されるとのこと。(右下写真)

 金魚すくいや輪投げなどの日本の縁日遊びの体験コーナーでは、大人も童心に返って縁日遊びを楽しむ姿があった。割り箸と輪ゴムを材料に自分で作る‘割り箸鉄砲’は人種を問わず人気を博し、昨年よりも回転を良くする工夫をしたそうだが、それでも長蛇の列ができていた。いずれのコーナーも大盛況をみせ、活気と嬉しそうな笑顔で溢れていた。

 音楽演奏はオーディトリアム(講 堂)を舞台にして、5つのグループと 一人のパフォーマーが順次出演。5つ のグループはいずれもノバイ市周辺を 拠点に活動し、地元の学校や図書館、 日米イベント、チャリティー演奏会な どで音楽を通して日本紹介や交流に活 躍している。プログラムは「五大湖太 鼓センター」による和太鼓からスター ト。大太鼓のみの曲そして十数人によ る多種類の太鼓での曲など、日本の御 祭りで見聞きするものとは違った太鼓 の魅力を披露した。女声コーラス「ト リリアム」、男声コーラス「ホワイト パイン」は、それぞれ大人の声と人生 経験の豊かさが醸し出されたハーモニ ーを披露。日本で世代を超えて親しま れている歌謡曲の他、ホワイトパインは英語曲も織り込んだ。大人のコーラ スの間には、少女たちのパフォーマン スグループ「ドリームシンガーズ」が 元気はつらつと、わらべ歌やアニメの 主題歌そして‘祭り’ムードを高める 『ソーラン節』のポップバージョンな 踊りを届けた。邦楽グループ「雅」に よる琴の合奏やピアノとのアンサンブ ルでは優雅な音色が会場に流れた。代 表的な古典曲『千鳥の曲』、映画『ス ティング』の挿入歌『エンターテイナ ー』など和洋・古今、取り合わせて琴 の世界を紹介した。ソロ演奏は近藤ま りなさん(18歳)による独唱。この夏 に東日本大震災の被災地を訪れた際に 撮影した写真をスクリーンに映し出 し、トークも交えつつ表情豊かに熱唱 した。日本祭りの舞台には10年ぶりの出演。豊かに成長した姿と、デトロイ トで行われた第一回 Sphinx Star(若 手音楽家のコンテスト)のファイナリ ストに選ばれた実力を披露した。ステ ージの最後に再び「五大湖太鼓センタ ー」が登場し、子どもグループ、プロ 奏者による演奏の後、全員揃って『虫 送り』という豊作や幸を祈念する曲で 賑やかにフィナーレを迎えた。全体を 通し、ジャンルも年齢も幅広い充実し たプログラムになっていた。

 茶の湯を鑑賞していた日本人女性は 国際結婚でミシガンに60年以上住んで おり、数年ぶりに娘さんと孫と共に来 場したそうで、縁日や日本の音色に触 れ「日本に居る気分になった」「若い 頃に習った茶道や生け花をまたやってみようかと思い始めた」と感想を話し てくれた。「いろいろなタレントの人 がいるのねえ」と感嘆の声もあげてい た。「ミシガンで生まれて日本のお祭 りを経験したことがない3歳の子に雰 囲気を味あわせることができて有難 い」というお母さんの声もあった。日 本人以外の人に来場のきっかけを尋ね たところ、‘ESLの日本人クラスメ ートから聞いた’‘子供の友達が演奏 している’など、人つながりで足を運 んだ人が多いようだが、インターネッ トで知ったと言う人もかなりいた。様 々なネットワークによって、日本理解 が進んでいくことであろう。来場者が 年々増加し、準備やオーガナイズが大 変なことと察するが、ぜひとも長く盛 大に続くことを願いたい。

 

 去る10月6日(日)、JSDウィメンズクラブとJBSD(デトロイト日本商 工会)文化部会の共催による日本まつりがノバイ市のハイスクールを会場に開催 された。当日はあいにくのぐずつき模様の天候にも拘らず、1時から4時までの 開催時間を通して大勢の人で溢れた。

 この日本まつりは、アメリカ人や他 の文化背景を持つ人たちへの文化紹介 と交流を主目的に日本文化紹介の様々 な展示や実演などが行われ、訪問者に 日本人以外の人が多いことが特徴。も ちろん周辺に滞在している日本人が楽 しむ場にもなっている。 当地の日米協会、滋賀県が協賛、ノ バイ市並びにノバイ地域学校区、在デ トロイト日本総領事館が協力して毎年 開催している。今年は多数の団体や個 人ボランティアなど300人を超す人々 が協力してこの一大イベントを支え た。ノバイハイスクールの生徒10人も 自らボランティアを志願したそうだ。 毎年手伝っている人、そして毎年訪れ る人も多く、秋の行事として定着して いる。 オープニングのセレモニーでは、デ トロイト日本商工会の文化部会長の挨 拶に続き、在デトロイト日本国総領事 館の片山和之総領事、ノバイ市長代理 と教育委員長による開会の辞が述べら れた。それぞれに、このイベントの開催と日米の文化交流と友好親善を祝福する言葉を伝えた。

 アトリウムと呼ばれる広々としたオ ープンスペースには茶の湯実演や、書 道と折り紙体験のコーナーが設けら れ、手馴れた日本人女性たちを中心に 実演や体験ワークショップが提供さ れた。異文化を実際に体験して心から 楽しむ多くの人々の姿があった。茶の 湯実演には、当地で活動する裏千家・ 表千家・石州流、3つの流派の方々が 手を携えて、お点前に英語の説明を添 えて紹介したうえ、何十もの器で薄茶 をたててお菓子とともに観客に振舞っ た。合わせて6回の実演が行なわれ、 どの回も立ち見の人壁ができるほど高 い関心を集めていた。書道コーナー は、用意した600枚近くの半紙が底を つくほどの人気ぶり。お手本を見なが ら、スタッフによる丁寧な指導を受け て書き上げた字を満足気に見せ合う姿 が見られた。 また、在デトロイト総領事館や、ミ シガン州と姉妹県関係にある滋賀県による文化紹介ブースを始め、デトロイ トりんご会補習授業校やひのきインタ ーナショナルスクールの学校紹介、JC MU(Japan Center for Michigan University)や JET(The Japan Exchange and Teaching Programme)など、日本に関連した団体 のブースが並んだ。日本生まれの商標 デザインを元にタオル帽子を作製しミ シガン内の病院などの患者さんに寄贈 する活動をしている「ミシガン・タオ ル帽子の会」もブースを出し、活動内 容や作り方を説明していた。日本まつ りの場で近隣の様々な活動を知ること ができる意義も大きい。 滋賀県のブースには‘シスターステ イトワイン’が展示されていた。ボト ルに「ミシガン州と滋賀県との姉妹県州関係を讃えて」と示されている通 り、絆の産物。製造ワイナリーである Leelanau Cellarsの試飲ルームのみで の販売だが、米国内への宅配が可能。 ちなみに、価格の半額は姉妹交流の為 に寄付されるとのこと。(右下写真)

 金魚すくいや輪投げなどの日本の縁日遊びの体験コーナーでは、大人も童心に返って縁日遊びを楽しむ姿があった。割り箸と輪ゴムを材料に自分で作る‘割り箸鉄砲’は人種を問わず人気を博し、昨年よりも回転を良くする工夫をしたそうだが、それでも長蛇の列ができていた。いずれのコーナーも大盛況をみせ、活気と嬉しそうな笑顔で溢れていた。

 音楽演奏はオーディトリアム(講 堂)を舞台にして、5つのグループと 一人のパフォーマーが順次出演。5つ のグループはいずれもノバイ市周辺を 拠点に活動し、地元の学校や図書館、 日米イベント、チャリティー演奏会な どで音楽を通して日本紹介や交流に活 躍している。プログラムは「五大湖太 鼓センター」による和太鼓からスター ト。大太鼓のみの曲そして十数人によ る多種類の太鼓での曲など、日本の御 祭りで見聞きするものとは違った太鼓 の魅力を披露した。女声コーラス「ト リリアム」、男声コーラス「ホワイト パイン」は、それぞれ大人の声と人生 経験の豊かさが醸し出されたハーモニ ーを披露。日本で世代を超えて親しま れている歌謡曲の他、ホワイトパインは英語曲も織り込んだ。大人のコーラ スの間には、少女たちのパフォーマン スグループ「ドリームシンガーズ」が 元気はつらつと、わらべ歌やアニメの 主題歌そして‘祭り’ムードを高める 『ソーラン節』のポップバージョンな 踊りを届けた。邦楽グループ「雅」に よる琴の合奏やピアノとのアンサンブ ルでは優雅な音色が会場に流れた。代 表的な古典曲『千鳥の曲』、映画『ス ティング』の挿入歌『エンターテイナ ー』など和洋・古今、取り合わせて琴 の世界を紹介した。ソロ演奏は近藤ま りなさん(18歳)による独唱。この夏 に東日本大震災の被災地を訪れた際に 撮影した写真をスクリーンに映し出 し、トークも交えつつ表情豊かに熱唱 した。日本祭りの舞台には10年ぶりの出演。豊かに成長した姿と、デトロイ トで行われた第一回 Sphinx Star(若 手音楽家のコンテスト)のファイナリ ストに選ばれた実力を披露した。ステ ージの最後に再び「五大湖太鼓センタ ー」が登場し、子どもグループ、プロ 奏者による演奏の後、全員揃って『虫 送り』という豊作や幸を祈念する曲で 賑やかにフィナーレを迎えた。全体を 通し、ジャンルも年齢も幅広い充実し たプログラムになっていた。

 茶の湯を鑑賞していた日本人女性は 国際結婚でミシガンに60年以上住んで おり、数年ぶりに娘さんと孫と共に来 場したそうで、縁日や日本の音色に触 れ「日本に居る気分になった」「若い 頃に習った茶道や生け花をまたやってみようかと思い始めた」と感想を話し てくれた。「いろいろなタレントの人 がいるのねえ」と感嘆の声もあげてい た。「ミシガンで生まれて日本のお祭 りを経験したことがない3歳の子に雰 囲気を味あわせることができて有難 い」というお母さんの声もあった。日 本人以外の人に来場のきっかけを尋ね たところ、‘ESLの日本人クラスメ ートから聞いた’‘子供の友達が演奏 している’など、人つながりで足を運 んだ人が多いようだが、インターネッ トで知ったと言う人もかなりいた。様 々なネットワークによって、日本理解 が進んでいくことであろう。来場者が 年々増加し、準備やオーガナイズが大 変なことと察するが、ぜひとも長く盛 大に続くことを願いたい。

 

30周年を迎えたサギノー市の日本文化センター『阿波鷺能庵』主催 日本祭

30周年を迎えたサギノー市の日本文化センター『阿波鷺能庵』主催 日本祭 11

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サギノー市にある本格的茶室と日本庭園を擁する日本文化センター『阿波鷺能庵(あわさぎのうあん)』で、9月11日(日)に日本祭が催された。サギノー市は徳島市と姉妹都市であり、今から30年前の1986年に両市の友好のシンボルとして阿波鷺能庵が造られた。両市が建設費を出し合い敷地を共有し、維持が容易ではない茶室を含めて共同で管理を継続している。

両市が姉妹都市提携を結んだのは1961年。徳島からの全米派遣農業実習生がサギノー市に滞在中に現地ホストファミリーと親しくなり、帰国後も交流を続けたことがきっかけとなって話が持ち上がり、提携が実現した。個人からスタートした珍しいケースであり、熱意のある人々による草の根交流が根を張り、幹となったといえる。

茶室の設立にあたっては、1957年に同市に移り住んだモスナー陽子さんが資金集めに乗り出し、奔走した末に茶室の着工に漕ぎつけた。その後も陽子さんはセンターの管理と運営に携わり、交流を支えている。赤い太鼓橋や竹垣もある庭園は緑も美しい日本的な空間であり、日米の訪問者が和やかに交わる場所となっている。

例年秋に開催される同センター主催の日本祭には、サギノー市や近隣に在住している日本人・日系人、交換留学生やビジネス関係者たちが協力して日本文化を紹介している。今年は生け花や書道、折り紙の実演や体験のブースなどが設けられた。快晴に恵まれ、3時間の開催中、室内外で途切れなく続くプログラムやワークショップを興味深げに見て回る多くの姿があった。

img_0246img_0263茶室ではJSDウィメンズクラブによる茶の湯の実演が3回行われた。茶室には見学用に数十人が座ることのできる長椅子が備えられているが、どの回も満席となった。日本祭自体は無料で一般公開であるが、茶の湯は有料にも拘わらず、行列ができたほどの関心の高さであった。お点前の実演の後には参観者全員に和菓子と薄茶が振る舞われ、目と口で実際に和に触れる好機を楽しんでいた。「前々から関心があった。やっと来訪が叶った」と老母を伴って訪れた婦人は、「茶室の佇まい、雰囲気や動作、全てが美しく、ここにいることが爽快。お菓子とお茶もワンダフル!」といった感想を笑顔で話してくれた。

川に面した庭園に設置されたテントステージでは、絶え間なくプログラムが進行。

dsc_6633メトロデトロイト地区から和太鼓グループ『雷音』、男性コーラス『ホワイトパイン』が演奏、そしてデトロイト剣道道場が形や稽古の実演を届けた。また、同日本文化センターで練習をしているタイチー(太極拳)グループ20名ほどが演武を紹介。さらに、ミシガンに住んでいた縁で、花柳流の名取である小山みち江さん(花柳徳猿)がオハイオ州から駆けつけ、『黒田節』『さくら』などの日本舞踊を披露した。

サギノーに住む日本人/日系人は少数であるが、このように多彩な文化紹介が例年実現するのも同施設の歴史と、日本コミュニティーとの絆があればこそと言える。

img_0293そして、徳島と言えば『阿波踊り』。同センターの造設式典に日本より阿波踊り団が来訪したが、その後、徳島と繋がりがある阿波鷺能庵での日本祭でありながら、長らくここで阿波踊りが演じられることがなかったが、2年前にそれが実現。サギノーバレー州立大学に派遣されていた研究者と徳島出身の夫人が中心になり、近隣に在住している日系人が集まって出演を目的に練習をはじめ、総勢20人近いメンバーで踊りを披露した。

img_0300阿波踊りの集まりは研究者夫妻が去った後も続き、今回は阿津ますみさんがまとめ役となり、子供も含めた一団を率いて出演した。サギノーバレー州立大学に四国大学から留学している4名の徳島育ちの学生も加わり、ますみさんを始め、子どものころから阿波踊りに親しんでいる人たちの本格的で美しい舞いのような動きやメンバーたちの軽快な踊り、子ども達の可愛らしい姿が観客の称賛を集めた。ますみさんのご主人であり、日本滞在歴6年半で日本社会学ならびに人類学を専門とするボールズ教授(サギノーバレー州立大学)が解説役を務め、お盆に3日かけて踊られる阿波踊りの背景や踊りの種類、そして「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なりゃ踊らにゃ損損」という言葉があることを観客に伝えた。阿波踊りのグループは

『連』と呼ばれるが、当地のグループは、徳島の‘徳’とサギノーの当て字表記『鷺能』の‘能’をとった『徳能連』という名を付けたとのこと。アメリカ育ちの子ども達が祖先から受け継がれた芸能を継承していることも尊く、日米交流の担い手として長く結束を続けて欲しいものである。

同センターは一般公開しており、様々なプログラムを組んでおり、他州からの観光客も多い。観光名所フランケンムースやアウトレットモールBurch Runと20~30分の距離。

www.japaneseculturalcenter.org/

【ミシガン州】日系・アジア系レストラン Local Carry-out List

ミシガン州の非常事態宣言、自宅待機令が発令され、外食産業も店内での食事は不可能ですが、現在もキャリーアウト(持ち帰り)は可能です。また、スーパーマーケットも開店しています。<編集:2020.7 自宅待機令は解除され、レストランは再開されているところもあり>

電話やオンラインでオーダーができるところもありますので、下記のとおりご紹介します。(通常の営業日・時間ではない可能性があり、変更もありますので詳細は各店舗様またはウェブサイトをご確認ください)

ご利用の場合は、ご自身やご家族、周囲の方のために細心の注意をはらいご利用することをおすすめします。

<日本食材店>

<レストラン>

<他>

 

<編集:2020年9月1日>

University of Michigan ‘PRESS START’University of Michigan ‘PRESS START’

<!--:en-->University of Michigan ‘PRESS START’<!--:--><!--:ja-->University of Michigan ‘PRESS START’<!--:--> 4

 3月18日、University of Michigan (UofM)のJapan Student Association (JSA)による文化紹介・交流イベントが行われた。当イベントはキャンパス内で行なわれているものの、学生に限らず一般公開で無料。昨年まで数年は、日本の武道や茶道、邦楽などのグループを招いて日本文化を紹介したり、屋台フードを提供する『日本祭り』を開催してきたが、今回は遊びやゲームに的を絞った企画を催した。剣玉やダルマ落とし、輪投げなどの伝統的な遊びのコーナーが設けられた1階から階段を上るとそこにはファミコンがあり、遊び文化の移り変わりが実感された。壁に貼られたサインにもファミコンゲームのキャラクターが描かれ、微笑ましい空間になっていた。現役の大学生達は平成生まれ。幼少期にブームになったスーパーヨーヨーやミニ四駆で遊ぶコーナーがあったが、既に「懐かしい」という声が上がり、大ブームがあったことを知らない若者がいるほど。流行り廃りの速さも痛感させられた。

 ステージスペースでは、初代ゲームボーイを楽器にした演奏や、電子的なピコピコ音を取り入れたポップな音楽に歌うパフォーマンスが披露された。80年代のサウンドと現代の音楽ジャンルが融合した珍しい世界観に興味を示す観客もいた。ステージの横ではパフォーマーの機材と共に、初代のファミコンを含む懐かしいゲーム機やゲームソフトが展示されていた。

U of M JSAについて

 UofMのJSAは日本人会ではなく、日本語や日本に関心のある学生の同好会で、人種や文化背景の多様な学生が交流や学習出来る場を提供する為に立ち上がった組織。『たくさんの人達と触れ合い、助け合い、そして楽しい時間を一緒に』が活動目的。

 3月18日、University of Michigan (UofM)のJapan Student Association (JSA)による文化紹介・交流イベントが行われた。当イベントはキャンパス内で行なわれているものの、学生に限らず一般公開で無料。昨年まで数年は、日本の武道や茶道、邦楽などのグループを招いて日本文化を紹介したり、屋台フードを提供する『日本祭り』を開催してきたが、今回は遊びやゲームに的を絞った企画を催した。剣玉やダルマ落とし、輪投げなどの伝統的な遊びのコーナーが設けられた1階から階段を上るとそこにはファミコンがあり、遊び文化の移り変わりが実感された。壁に貼られたサインにもファミコンゲームのキャラクターが描かれ、微笑ましい空間になっていた。現役の大学生達は平成生まれ。幼少期にブームになったスーパーヨーヨーやミニ四駆で遊ぶコーナーがあったが、既に「懐かしい」という声が上がり、大ブームがあったことを知らない若者がいるほど。流行り廃りの速さも痛感させられた。

 ステージスペースでは、初代ゲームボーイを楽器にした演奏や、電子的なピコピコ音を取り入れたポップな音楽に歌うパフォーマンスが披露された。80年代のサウンドと現代の音楽ジャンルが融合した珍しい世界観に興味を示す観客もいた。ステージの横ではパフォーマーの機材と共に、初代のファミコンを含む懐かしいゲーム機やゲームソフトが展示されていた。

U of M JSAについて

 UofMのJSAは日本人会ではなく、日本語や日本に関心のある学生の同好会で、人種や文化背景の多様な学生が交流や学習出来る場を提供する為に立ち上がった組織。『たくさんの人達と触れ合い、助け合い、そして楽しい時間を一緒に』が活動目的。

2013 JBSD 40th Anniversary New Year’s Event2013年 JBSD(デトロイト日本商工会) 会員総会・40周年記念新年会開催

<!--:en-->2013 JBSD 40th Anniversary New Year's Event<!--:--><!--:ja-->2013年 JBSD(デトロイト日本商工会) 会員総会・40周年記念新年会開催<!--:--> 5

 去る1月27日(日)、2013年度JBSDの通常会員総会とJBSD Foundation年次総会がノバイ市にあるSuburban Collection Showplaceにて開催された。

 会員総会は今年退任となった寺師茂樹JBSD前会長(Toyota Motor North America Inc.)の挨拶で始まり2012年度の活動等について報告が行なわれた。法人会員社数・会員数は年々減り続けていたが底を打った感があるとの報告の他、JBSD主催によるセミナー、スポーツ・文化行事など多数の行事に、延べ1万人超の参加があったことなどが告げられた。続いて各部会の活動方針報告の中で、詳細が伝えられた。

 今年度の役員案に承認が得られた後、新会長の任に就いた杉光氏(DENSO INTERNATIONAL AMERICA. INC.)より「40周年という記念の年に拝命したことは誠に光栄」との挨拶、そして、日本の政権やアジアが大きく変化しいる中で株価など、やや明るさが見えてきていると言及した後、「全力で臨みたい」との抱負が述べられた。

 続いて開催されたJBSD Foundation(基金)の総会も滞りなく進行終了し、午後からはJBSD40周年記念の新年会が開かれ、会員のみならずJBSD並びに日系コミュニティと関わりのある多数の米人も参席し、盛大な催しになった。新会長の開会挨拶に続いて、在デトロイト日本国総領事館の松田邦紀総領事より日本語と英語で挨拶が述べられた。更に、ミシガン州経済開発公社のディレクターよりSnyder州知事のメッセージが伝えられた。

 フルコースランチの後には、今回の40周年特別企画として、“Harmony of East and West”と銘打って、津軽三味線・日本笛とピアノという和洋楽器のコラボレーションによる演奏が行われた。津軽三味線と日本笛は国内外で活躍している日本の若手実力奏者である木村俊介氏と小野越郎氏、そしてピアノはニューヨークを拠点に音楽プロデューサーなど幅広く活躍している徳家“TOYA”敦氏による今回初合わせの豪華共演。三人のアーティストたちのコラボあり、デュオあり、ソロありの演奏形態で、津軽じょんがら節などの伝統的な曲、またデトロイトにちなみモータウンミュージック、さらには徳家氏作曲による初公開の『新風』という新曲まで、様々な曲を90分に及んで届けた。素晴らしい音色と技巧、表現力に称賛の声が集まった。

 会の終盤は恒例のドアプライズ抽選に移り、航空会社はじめ多数の企業や個人から寄せられたプライズに、およそ二人に一人という高い確率で多くの人が幸運に授かった。新年会の参席者は、日本の伝統芸能と西洋音楽のコラボを鑑賞する貴重な機会にも恵まれ、優雅な雰囲気に溢れる催しであった。

 JBSD(デトロイト日本商工会)はグレーター・デトロイト地域の日本人子女教育の充実を図るため、補習授業校の運営組織として、1973年にデトロイト日本人会(JSD)が組織された。その後、日本人社会の拡大と共に、教育問題のみならず、地域社会全体に対する貢献も必要との判断により、補習授業校の支援に加えて、より広範囲な活動を展開 すべく1993年7月1日にデトロイト日本商工会へと名称及び組織の変更を行い今日に至っている。(HPより抜粋)

活動案内、入会の詳細は下記ホームページで。www.jbsd.org/

 

 去る1月27日(日)、2013年度JBSDの通常会員総会とJBSD Foundation年次総会がノバイ市にあるSuburban Collection Showplaceにて開催された。

 会員総会は今年退任となった寺師茂樹JBSD前会長(Toyota Motor North America Inc.)の挨拶で始まり2012年度の活動等について報告が行なわれた。法人会員社数・会員数は年々減り続けていたが底を打った感があるとの報告の他、JBSD主催によるセミナー、スポーツ・文化行事など多数の行事に、延べ1万人超の参加があったことなどが告げられた。続いて各部会の活動方針報告の中で、詳細が伝えられた。

 今年度の役員案に承認が得られた後、新会長の任に就いた杉光氏(DENSO INTERNATIONAL AMERICA. INC.)より「40周年という記念の年に拝命したことは誠に光栄」との挨拶、そして、日本の政権やアジアが大きく変化しいる中で株価など、やや明るさが見えてきていると言及した後、「全力で臨みたい」との抱負が述べられた。

 続いて開催されたJBSD Foundation(基金)の総会も滞りなく進行終了し、午後からはJBSD40周年記念の新年会が開かれ、会員のみならずJBSD並びに日系コミュニティと関わりのある多数の米人も参席し、盛大な催しになった。新会長の開会挨拶に続いて、在デトロイト日本国総領事館の松田邦紀総領事より日本語と英語で挨拶が述べられた。更に、ミシガン州経済開発公社のディレクターよりSnyder州知事のメッセージが伝えられた。

 フルコースランチの後には、今回の40周年特別企画として、“Harmony of East and West”と銘打って、津軽三味線・日本笛とピアノという和洋楽器のコラボレーションによる演奏が行われた。津軽三味線と日本笛は国内外で活躍している日本の若手実力奏者である木村俊介氏と小野越郎氏、そしてピアノはニューヨークを拠点に音楽プロデューサーなど幅広く活躍している徳家“TOYA”敦氏による今回初合わせの豪華共演。三人のアーティストたちのコラボあり、デュオあり、ソロありの演奏形態で、津軽じょんがら節などの伝統的な曲、またデトロイトにちなみモータウンミュージック、さらには徳家氏作曲による初公開の『新風』という新曲まで、様々な曲を90分に及んで届けた。素晴らしい音色と技巧、表現力に称賛の声が集まった。

 会の終盤は恒例のドアプライズ抽選に移り、航空会社はじめ多数の企業や個人から寄せられたプライズに、およそ二人に一人という高い確率で多くの人が幸運に授かった。新年会の参席者は、日本の伝統芸能と西洋音楽のコラボを鑑賞する貴重な機会にも恵まれ、優雅な雰囲気に溢れる催しであった。

 JBSD(デトロイト日本商工会)はグレーター・デトロイト地域の日本人子女教育の充実を図るため、補習授業校の運営組織として、1973年にデトロイト日本人会(JSD)が組織された。その後、日本人社会の拡大と共に、教育問題のみならず、地域社会全体に対する貢献も必要との判断により、補習授業校の支援に加えて、より広範囲な活動を展開 すべく1993年7月1日にデトロイト日本商工会へと名称及び組織の変更を行い今日に至っている。(HPより抜粋)

活動案内、入会の詳細は下記ホームページで。www.jbsd.org/

 

ミシガン州ーJapan News Club 2023年
9月号ー

Japan News Club 9月号です!

9月に入りました🍎 新学期も始まり、ミシガンの夏を謳歌した後ですが、まだまだ良い気候が続くこの時期、りんご狩りやコーンメイズ、ドーナッツ&アップルサイダーと、まだまだアクティブにお楽しみください。
今月号のJNCもぜひお時間許すときにゆっくりお読みいただけましたら幸いです。

03・・・ コミュニティニュースつづき
04・・・ 喧喧諤諤
06・・・ 心臓病医療の最前線
07・・・ アメリカ生活の豆知識  / ゴルフのススメ
09・・・ 言葉の架け橋
11・・・ ミシガン会月例会結果 / スタンダードゴルフ            
12・・・ Dr.Kのミシガン育児相談室
13・・・ クラシファイド広告
14・・・ ブリューワリー
15・・・ コミュニティインフォメーション         

デトロイト補習授業校高等部宿泊交流学習

デトロイト補習授業校高等部宿泊交流学習 1

Roebling Suspension Bridgeの下でいつもの教室では体験できないことを学び、考え、表現した2日間

デトロイト補習授業校高等部は、同校行事である「宿泊交流学習」で11月11日から1泊2日でシンシナティを訪れた。宿泊交流学習は、次の点を目標に毎年実施しているもので、同校高等部の1年生から3年生が授業の一環として参加する。

①企画、運営に関する自主的な活動を通して、責任感と協調性を育む。

②他補習授業校との交流活動を通して、幅広いものの見方、考え方を培う。

③集団生活を通して、集団の一員としてのあり方や公衆道徳などについて望ましい体験を積む。

④訪れた場所で、アメリカの自然や文化、歴史などに親しみ、見聞を広める。

交流会での代表者の発表同校の「宿泊交流学習」は今回が21回目となり、シカゴ、コロンバス、インディアナ、クリーブランドなどを訪問し、当地の補習授業校と交流を行っている。

今年度は、昨年に引き続き、シンシナティ補習授業校を訪問し、高等部の生徒との交流会を行った。1年ぶりの再会となった生徒も初めて出会った生徒も、あっという間に打ち解けていた。

交流会では、両校の自己紹介企画を皮切りに、高校生にとって重要な将来の進路(大学進学、就職)について、学年を超えたグループに分かれてディスカッションを行い、最後にまとめの発表も行った。様々な進路を考えている同年代の考え方を聞くことは、お互いにとって良い刺激となったようだ。

交流会で出会った高校生と連絡を取り合っている生徒も少なくない。また、帰国後に進学した大学で再会した生徒たちもおり、今後も交流の輪が広がることを願っている。

翌日は、1866年に開通した伝統的なRoebling Suspension Bridgeを歩いて渡り、1881年創立と米国で最も古い美術館の一つであるシンシナティ美術館を見学した。デトロイトとは異なる街の雰囲気を肌で感じたようだ。

シンシナティ補習校高等部と一緒に2日間の宿泊交流学習では、この他にもホテルやバス内での話し合い活動、リクリエーションなどが行われ、教室では学ぶことのできない貴重な体験をすることができた。教室内では見られない同級生や先輩、後輩たちと楽しく有意義に過ごした時間を忘れないだろう。

(執筆・教務主任 丹羽筆人)

豊田市 x デトロイト市 姉妹都市提携60周年

る令和2年(2020年)9月21日、デトロイト市と豊田市は姉妹都市60周年を迎えた。

 自動車産業を中心に発展してきた両市は昭和35年(1960年)に姉妹都市提携を結んで以来、学生の相互派遣を中心に文化交流なども交えて友好関係を育んできた。豊田市国際まちづくり推進課が管理運営しているFacebook「豊田市国際交流推進ページ」では、各年代における交流の様子がうかがえる写真も多数紹介されており、これまでの交流を振り返っている。特に両市の学生たちがお互いの文化や人と触れ、国際感覚を育みながら交流している様子を垣間見ることができる。

 写真の中でも特に目を引くのが、半世紀以上に渡り継続してきた交換学生事業だ。海外渡航が自由化されてまだ間もない昭和41年(1966年)に第1回派遣団としてデトロイトから学生が豊田市を訪問して以来、概ね隔年で合計310人の学生の受入と派遣が両市の間で続けられている。

 写真で振り返ると時代の流れを感じる。緊張気味に白黒写真に写るデトロイトからの第1回派遣団と豊田市からの第1回訪米派遣団の学生たち。デトロイトからの第1回訪日派遣団の学生たちは、豊田市で剣道や琴に触れホストファミリーと過ごし、当時のトヨタ自動車の工場見学を経験した。現在では珍しくない海外旅行だが、当時、遠い日本という国を交換学生事業で訪れ、その国の人、文化や習慣に触れ、一体どれほどの刺激を受けたのだろうか。それから半世紀が過ぎ、令和元年(2019年)のデトロイトからの第25回派遣学生たちは、トヨタ工業学園の生徒たちのサポートでものづくり技術を学び、豊田市ならではの交流を楽しんだ。

 また、文化交流も行われてきた。100年以上の歴史を持つデトロイト・シンフォニー・オーケストラは平成10年(1998年)の豊田市コンサートホール開館記念の際に初来日・初公演を果たし、市内の中学校へも訪問した。平成29年(2017年)のデトロイト美術館の「ジャパン・ギャラリー」開設記念イベントにおいては、豊田市棒の手保存会が渡米し、伝統芸能である棒の手演武を披露した。

「クルマのまち」という縁から始まった姉妹都市としての交流や協力は、これからも一層絆を深くして発展し、何より若い世代の国際感覚や向上心を育んでいってくれることだろう。 

文・Mayumi
写真提供・豊田市国際まちづくり推進 (JNC 2021年1月号掲載)

2019 指南車制作中の両市学生
2019 第25回デトロイト交換学生(さよならパーティ)
2018 第25回豊田市派遣学生 デトロイトのベルアイルにて
2017 棒の手演武 デトロイト美術館にて

 

 

 

 

 

1998 デトロイトシンフォニーオーケストラ豊田市中学校訪問

 

 

 

 

 

 

1965 第1回デトロイト交換学生(集合写真)
1966 第1回豊田市派遣学生
1965 第1回デトロイト交換学生(剣道)
1965 第1回デトロイト交換学生 (トヨタ自動車見学)
1965 第1回デトロイト交換学生 (お琴)

 

MICHIGAN 2013 JAPANESE LANGUAGE SPEECH CONTESTミシガン 2013 日本語スピーチコンテスト

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 ミシガン州内の高校と大学の日本語学習者を対象にした日本語スピーチコンテストが在デトロイト総領事館の主催で2月9日(土)に行なわれた。事前選考を経て、高校部門16名と大学部門8名が本大会に出場した。

 恒例となったこのコンテストでは、語彙の豊富さや言葉遣いの正しさなどの日本語の能力に加えて、興味を惹く題材選びや話題の展開が上手く、感心させられる。今年は語りかけが生き生きした発表が多く、また例年、大学生の内容は自身の専門や書物などから学んだ知識を生かしたアカデミックなものが見られる傾向が強かったが、今年は経験談や大衆的な話題を選んだ人が多く、観客から「楽しかった」との感想が多く聞かれた。

 応募資格は日本に長期滞在していないことが条件。つまり短期滞在を経験しただけか、若しくは全く日本に行った経験のない若者たちであるにも拘らず、日本語話者に近い、アクセントのない話し方をする参加者が年々増えている。また、文章としてはシンプルでも会場の笑いや共感を誘ったスピーチもあり、「伝えよう。聴いてもらいたい」という意欲が感じられた。大学生はいずれも、かなり難解な言葉や言い回しを駆使できるレベル。スピーチ後の審査員からの質問にも大方淀みがなく、楽しんで受け答えをする姿が見られた。最後の発表者となった男子大学生ブラックウェルさんは「美空ひばりと私」のタイトルで、美空ひばりさんの魅力を語りつつ、自身は演歌歌手になる夢を持っていることを述べたが、発表と質問応答の後、「歌って!」とのリクエストに応えて堂々と一曲披露。大いに盛り上げ、コンテスト会場の緊張感を一掃した。

身につけた言葉を使って聞き手に伝えようとする気持ち、そして対話を楽しむことが、コミュニケーションを豊かにする大切な要素であることを再認識させられる大会であった。審査結果にもこれらがプラスの影響となったことが伺えた。

 高校生部門第1位に輝いたブレンナンさんのスピーチは語彙も文法も難しいものではないが、彼女の言葉で分かりやすく気持ちを表現していた。題材にした大阪弁については、友人宅に交換留学生として渡米してきた大阪の子と友達になり交流を続けて大阪弁が大好きになったということ。大阪弁の勢いも借りて、表情も豊かに生き生きとしたスピーチを披露した。ブレンナンさんの通う学校には日本語クラスは無く、好きなアニメから身に付けた日本語に、日本語塾で磨きをかけてきた。指導者である大原氏は「個性や興味を生かすようにしている」「本人が話せる言葉で伝えるのが大切だと考えている」と話す。意欲的に学び続け、彼女の夢である「大阪で英語の先生になること」をぜひ実現して欲しい。

 大学生の第1位となったチェンさんは中国の北京大学を19歳で卒業し、現在ミシガン大学の大学院4年目で宇宙科学が専門。日本語はミシガン大学に入ってからスタートし、3年間日本語クラスを履修した後、独学で学び続けている。就職活動中だが、日本語力を駆使する職業は考えていない。「今後も日本語を勉強し続けたい」という彼にとって外国語習得のメリットは何なのか。「言葉が分かると、ニュースが伝える一部の内容だけではなく、日本語インターネットを読んで大勢の人の考えを知ることができる」と語る。日本語を学んで日本の印象が変わったとも話してくれた。いずれは中国に戻る予定だということだが、トップレベルの技術開発や研究に携わってゆくであろう若者が日本語と日本人の理解に努めてくれることは心強い。

 二人とも日本に行った経験はないがスピーチの緩急や強弱の付け方が上手く、表現力が高いことに多くの聴衆の称賛が寄せられた。

 受賞者の発表の折、在デトロイト日本国総領事館より竹内首席領事が挨拶に立ち、日本語や日本について熱心に学んでくれていることは喜びであり、コンテストの審査は大変難しかったと伝えた。今回は出場者に笑顔が多く、また、聞いていて楽しくなるものが多く、日本の文化についてよく理解した上での内容や、より良い世界について考察した内容がいくつもあり、感銘を受けたと加えた。

 多くのスピーチ内容が、日本に行った時に感じたことや、日本の生活・文化について、あるいはを日本語学習を通して得た考えや思いを題材にしている。日本の習慣や価値観も学んでいる当地の若者たちの視点や考えを垣間見ることができる。全参加者のスピーチ内容の要約と大学部門の入賞者の原稿を紹介したい。

日本語スピーチ原稿要約

プログラム順に氏名、学校名、題名、
*「 」内は原文引用。一部、原文の平仮名を漢字に置き換えてあります。

Highscool(ハイスクール)部門

*H.S. : High School 略

ANNA LATOS Detroit Country Day School
私に大切な人
「私に大切な人は父です。」父は高校生の時によく勉強し、MITに行けた。父の勉強好きは私を感化した。父にピアノを教えてあげている。「父によく感謝をしています。」

MATT WINKLER Clarkston H.S.
からて習う 
4歳から空手を始め、12年間練習。母は、私が父に似て背が低くなるといじめられると思い、空手クラスに入れた。初めは簡単なパンチとキックだけだと思っていた。「真意がありませんでした。」「空手はしんぼうを教えて、やめるのはだめです。」空手から多くを習った。

CHRISTIAN JUNCAJ Stevenson H.S.
せかいのごみ
みんなごみを作る。「私は考えがあります。ごみをつくらないでください」「何ができますか?」
人間と世界と一緒になってきれいにしようとのメッセージ。

KATY ROSS Pioneer H.S.
私の中の日本人 3位
私は四世日系アメリカ人。家で日本語はあまり話さないが、小さい時から日本の文化を知りたいと思っていた。本をたくさん読み、中学3年では祖父をインタビューしてレポートを書いた。祖父は第二次世界大戦のキャンプに入れられ、戦後復興のために日本に行き、広島の様子を見て牧師になった。中学3年の時、日本に旅行。「私の人生で一番よかった」半分日本人だが、日本と繋がっている。

NANI WOLF PioneerH.S.
日本の首都
去年日本語のクラスの人と行った東京と京都、奈良について。東京は忙しくて人工的で人がたくさん。木より自動販売機の方が多かった。鉄道がとても発達していて駅が紛らわしい。京都は山と草がもっとあり、忙しい町だが寺や神社があった。奈良は古くて木がたくさんあり自然が多くて一番きれい。「私は京都が一番好きでした」「日本に行ったことに感謝しています。」

MAGGIE LUNDQUIST Clarkston H.S.
日本のしゅうがくりょこう
日本語のクラスの人と日本に行き、京都、奈良、大阪、広島に行った。千葉県でホームステイをして、高校に通った。教室はとても清潔、学生は静かでノートをたくさん書く。「アメリカの生徒はうるさくてきたないです。」日本の学校はもっときびしい。

BEN FREEDMAN Pioneer H.S.
広島の平和
昨年初めて日本へ行った。広島は一番特別な場所。「特にアメリカ人としてそう思います。」授業で習っていたが、記念館で実際どうだったかを見てびっくり。立ち直って今平和で美しいことに感動した。「広島に行って戦争のひどさ、人の苦しみが分かるようになった」

TIM ARVAN Huron H.S.
まぐろがあたえたえいきょう
5才の頃からおさしみが好き。友だちがくれたいろいろな魚のボスターを面白いと思い、食べてみたくなった。マグロが一番。マグロの絵を描き、部屋にも飾るようになった。4年生で日本語の授業が始まり、とても興味が持てた。「私の日本語学習はマグロに始まったといってもいいほど」 日本に行った時の回転寿司は一生の思い出になる経験。

STUART BRABBS Huron H.S.
アジア人?僕が?どうして?
高校9年生だが10年生の数学を取っている。クラスには7年が1人と8年生が5人いる。6人中5人はアジア人。7年生の時、オーケストラのテストで初めて百点を取ったら、友人が僕に「今日からステュワートはアジア人だ」と言った。「アジア人?どうして?」その時初めてアジア人の一番の気持ちが分かった。「95点はだめです。99点も全然良くないです。百点でなくてはいけないんです。」

KRITHIKA SWAMINATHAN Novi H.S.
音楽の贈り物
2年前、デトロイト交響楽団の青年アンサンブルのメンバーに選ばれ、最近、有名な音楽家・後藤みどり先生に会うことが出来た。指揮をしてくれ教え方に感動。「先生のおかげで、今まで以上にもっと深いレベルで音楽を鑑賞することが出来るようになりました。」

YASHA SCHULTZ Community H.S.
茶道の体験  特別賞
日本語の授業で茶道の歴史や考え方・作法を習った。茶道の教え「和敬清寂」と「一期一会」について説明。建築家になりたくて、茶室のデザインを考えている。茶室は美しい。「建築家が一期一会のことを考え、客がその茶室を一生に一回しか見られないかも知れないので美しくしたいと思ったのでしょう。」「私も人に心の平和を与えるようなものをデザインしてみたいです。」

CALEB NUSBAUM Green hills H.S.
日本人と自然 2位
日本人は自然をとても大切にしている。建築、庭園、神社・寺にも自然の役割は大事。自然を敬うのは、日本人の宗教観からきている。神道の考え方では自然に色々な神様がいて、自然から必要な分だけ取り、それを全部使う。仏教も命を全部尊敬し大切にする、自然に優しい教え。文化でも自然は大事。「最も自然をうまく使った芸術は日本庭園だと思います。」きれいなだけでなく、禅の瞑想も奨励し、自然と一体になれる。「銀閣寺で平和な気持ちになって自然の気を体に感じました。」

ALEC GREENE Saline H.S.
侍的な日本人の美
 小さい時から日本の文化に興味があった。侍の文化が大好き。「侍の名誉とか忠義という考え方はおもしろい」弁慶が主人に仕える姿に感動。また、恥という日本的な考えがあり、四十七士は家族の名誉を守り主人の仇を討った。「僕は、自分を犠牲にし、何か大切なものを守る、この日本時の侍的な考えは美しく、好きです。」「その生き方から学び、行動できるようになりたい」

ALAHNA BRENNAN Saline H.S.
めっちゃめっちゃすきやねん 1位 *全文を次頁に掲載。
日本が好き。まだ行ったことがないがインターネットでみている。AKB48もきゃりーぱみゅぱみゅもネットで聴き、アニメも好き。一番は日本語のダジャレ。おおさかべんがすき。「めっちゃ日本がすきやねん。おおさかにいきたいんやねん。」

OLGA SOKOLOVA Pioneer H.S.
私の中の日本人
日本の文化がいつも大好き。「禅の庭はとてもきれいだし、日本の伝統としきたりはとてもすごいと思います。」宗教や生活も素晴らしい。去年、日本旅行の時に行った神社で、どれほど日本の宗教にひかれているか感じた。アメリカに帰って神道のことを知りたくて居合道クラスに。居合道は刀の戦いに見えるが、本当の狙いは、集中し瞑想し、心の平和を得ること。居合道を経験して、外人として日本を外から見るのではなく、初めて日本人の中に入れそうな気がしている。

MIRANDA CHAMBERS Community H.S.
私のうまさがし
2011年末に馬の買い物を始めた。簡単ではなかった。8歳の時に乗馬を始め、先生の馬に乗っていた。先生は何頭か持っているがどれも似ている。探し始めると「十人十色」という諺があるが、それぞれちがう。この経験から人の違いを認め、受け入れるようになった。諦めないで探し続けて自分に合った馬に会えた。諦めない大切さを知った。

University(大学)部門

DILLON JAGHORY Michigan State University
存在しない色
16才の時に出た陸上競技大会の前夜、負けて全国大会に行く夢を叶えられなければ人生は台無しになると思いこみ、プレッシャーで寝られなかった。レース中に倒れて負け、その後の2年、悲しみ以外感じない気分変調性障害になった。大会翌日に友人が言った励ましの言葉を、3年後に症状が良くなってやっと思い出せ、走る情熱が掻き立てられ今また走ることが出来る。「今度は僕が立ち上がれない人を助けたい」新たに得た世界観のお蔭で、喜びも感じられるようになり、時々心が存在しない色を通して世界を見ている気がするほど興奮する。

VAGEESHA LIYANA GUNAWARDANA Kalamazoo College
ながれこむ
2004年、11歳の時にスリランカのゴールという町に住む親戚の家に泊まっていた折、近くの町に海水が流れ込んだ。津波という言葉も聞いたことがなく、状況は分かり辛かった。停電の中、ラジオでゴールの海もおかしいと聞いたが、家は海から遠く高いところにあったので避難はせず朝を待った。朝、電気が戻りテレビで被害の大きさを知った。「壊滅的な状況は想像を絶するものでした。」ゴールの町に行き様子を見た。「幼かった私でさえ、その町の深い悲しみと苦しみはよく感じました」今、被害はほとんど直ったが人の心の傷は消えていない。

ANDREW KAUFFMAN Wayne State University
偶然性について
ある女の子がメッセージ付きの風船を空に放ったところ、同姓同名、同年齢、目と髪も同じ色の女の子に届いた。この話と、硬貨をはじいて裏が連続7度出る確率の話を合わせ、数多い出来事のうち不思議なことは起きるものであることを指摘。不思議な話とは、思考力によって他の詳細を省いて面白くしている。また、思考力を使って不思議な話を楽しむこともできる。「出来事を楽しみそれを生かすようにすれば、人生を楽しめる確率は百パーセントになる」

PAVAN POLICHERLA Kalamazoo College
人の気持ちは複雑
他の国どこでも行ける世界になり人々の世界は広がったが、昔のことを忘れるのは難しいようだ。アジアで中国と韓国と日本の中に憎みあう人がいる。去年、中国に留学する前に中国からの留学生に日中間の近代史における残念な過去について聞き、中国人皆、日本人が好きでないと思ったが、留学してみて、もっと複雑だと分かった。「私があった若い学生の気持ちはアメリカの学生の気持ちとよく似ていました。」アニメなど日本のポップカルチャーが好きで、日本の格闘技も人気がある。首相の靖国神社参拝などを中国メティアが悪く言っていても、日本をよく思う中国人がいる。その人たちは時が心の痛みを癒してくれると信じている。自分自身、インド人なのにテロリスト扱いされて罵られ、驚き、その時の悲しみは心にある。「複雑ですが、時が心の痛みを癒してくれると信じて頑張っていこうと思います。」
  
MISTI NESBITT Michigan State University
夢を実現するために    特別賞
大切な夢がある人にとって、多分一番大変なことは、困った時でも頑張り続けること。何をすればいいか。私の夢は日本で英語を教えること。日本語を勉強する学生として普通だが、自分は27歳で、アルバイトで生活をするシングル・マザー。多くの困難があるが、夢のために、娘のために、一歩一歩頑張っている。諦めたいと思ったときには泣いていい。次の日もう一回頑張ってください。道に迷っても心配しないで。「良い日がもうすぐきますから!」「明日はあなたの味方です。自分のことを信じていれば、大丈夫!きっと出来ます!」

YI HANG CHIEW University of Michigan
日本の声優が教えてくれたこと 3位
日本のアニメが大好き。一番印象に残っているのがドラゴンボール。仲間と一緒に地球を守る主人公の情熱と根性に感動。日本語で観ていたが、英語版を見てがっかり。キャラクターが変わっていた。元々のキャラクターをうまく表現している日本人の声優の力に感心した。違いは声優が本当にキャラクターの個性や心を理解しているかどうかではないか。現実世界にもあてはまり、理解したい相手の立場に立って考えてこそ、本当に理解できる。日本の声優は外国映画の吹替えも上手い。それは日本が相手の気持ちを察することを重んじるハイコンテキスト文化であることも関係しているのではないか。私も声優のように他の人を理解したい。相手の立場に立って考え声を出せば、それは届くはず。そうすればもっと分かり合える。

ANBO CHEN University of Michigan
囲碁 - 手でする会話   1位  *全文を次頁に掲載。
中国から留学して、大学で始めた囲碁について、その魅力。全米大学囲碁選手権で、チーム一丸となって闘い一位になった。子供の時に読んだ日本の漫画に、主人公がクラブの友達と一緒にがんばって全国大会の優勝を目指すという物語があり、勉強しか活動が無い中国の高校で灰色の楽生活を送っていた私は、日本の高校生がうらやましいと思っていた。だからアメリカで全国大会に出て優勝できたことはまるで夢のよう。囲碁は精神世界の交流。言葉ではあまり交流できない人が、心の距離を近くすることができる。日中関係が良くないが、囲碁が関係を回復させる力を秘めている。

ZACHARY BLACKWELL Eastern Michigan University
美空ひばりと私   2位
演歌歌手になるのが夢。日本の音楽との出会いは高校。JPOPがきっかけで、段々ジャンルを広げた。ネット上で面白そうな動画を検索していて美空ひばりさんの曲「人生一路」のサイトに出合った。歌詞に感動し、頭にすーっと曲が入って一度でほとんど覚えた。関心が募り、見つけられるもの全て手に入れ、いつも聞くように。同時に日本語と日本文化への情熱も強くなり日本語を専攻に勉強しようと決めた。
昨年初めて日本に留学。カラオケで「みそら」と入力したら数えられないほど曲が出てきて興奮。美空ひばり博物館で、日本語の情報が全てわかり、勉強してきた事と人生の大切なことが100%重なり、涙があふれた。「歌手になって人の心の痛みを理解し歌で悲しみ苦しみを癒したいと思った」夢があるからこそ今生きている喜びを感じている。

「めっちゃめっちゃすきやねん」

アリー・ブレンナン

 こんにちは、アリー・ブレンナンです。こうこう四年生です。よろしくおねがいします。
 わたしは日本がすきです。日本人も日本ごも日本のたべものも日本のうたもすきです。わたしはまだ日本にいったことがありませんが、日本のことをよくインターネットでみています。
 AKB48もきゃりーぱみゅぱみゅもすきです。とくに、きゃりーぱみゅぱみゅはドレスもかみもうたもへんだけど、わたしもへんだから、すきです。
 それから、アニメもすきです。フルーツバスケットのほんだとおるがすきです。とおるはおとうさんもおかあさんもいません。私もおとうさんもおかあさんもいません。だから、きもちが分かります。だから、だいすきです。
 でも、でも、いちばんは日本ごです。 ダジャレです。
 ダジャレをしっていますか。たとえば、「ねえ、ちゃんと、おふろにはいってる?」と「ねえちゃんと、おふろにはいってる?」 いみがぜんぜんちがいますね。
 わたしはことしの七月にともだちと三人でおおさかにいきます。そうです。とうきょうじゃなくて、おおさかです。おおさかべんがすきです。「なんでやねん?」はとてもきれいです。おおさかでは、たこやきをたべて、きゃりーぱみゅぱみゅをきいて、アニメをみて、だじゃれをべんきょうして、それに、こどもがすきだから、しょうらいはおおさかでえいごのせんせいになりたいです。
めっちゃ日本がすきやねん。おおさかにいきたいんやねん。

囲碁 – 手でする会話

アンボ•チェン

 初めまして、ミシガン大学で宇宙科学を研究している陳安博と申します。今日は皆様に私の趣味の「囲碁」について少しお話ししたいと思います。
 みなさん、囲碁をなさったことがありますか。したことがない方も、囲碁、チェス、将棋(しょうぎ)などはご存知でしょう。囲碁は、世界三大ボードゲームの一つで、二人が碁盤の上に順番に白と黒の石を置いていき、石が囲んだ部分の広さを争うものです。起源はよくわかりませんが、「論語」の中に囲碁の話題があるので、少なくとも紀元前8世紀には、すでに存在したようです。囲碁は世界でもっとも古いボードゲームと言えるでしょう。
 現代の囲碁の形は四百年ぐらい前に日本で確立されました。そして、戦後、日本人棋士の努力によって、世界中に広がりました。囲碁は英語でも「Go」と呼ばれ、「アタリ、ハネ、定石」といった言葉も、日本語の言い方がそのまま使われます。日本語が全然話せないアメリカ人が「アタリ」「ハネ」と言って囲碁を楽しんでいるのは、何度見ても面白いものです。私はまだ日本に行ったことがありませんが、私が日本語を勉強し始めた理由も、インターネットで流れる日本人プロ棋士のコメントを理解したいと思ったからです。
 私が碁を始めたのは、ミシガン大学に来てからでした。そして、すぐに碁に魅せられ、夢中になりました。それから五年、数々の対局を経て、今は六段になりました。そして、去年の春にはミシガン大学チームの副将として、全米大学囲碁選手権でチームのみんなと一緒に闘い、なんと優勝してしまいました。
 その経験から、私はあることを学びました。子供の時から大学まで、ずっと1人で、試験の合格だけを目指す闘いをしてきた私は、初めて「自分1人の力には限界がある。時には他の人に頼ってもいいんだ」ということに気付いたのです。碁を学んで本当によかったと心の底から思った瞬間でした。
 私にとって碁の対局は、ただの試合ではありません。相手の動きを予想し、何手も先を考え、石を打つのは、「精神世界の交流だ」と思います。例えば、対局中に相手が予想外の手を打った時、「あー、彼はそう思うか」と気付いたら、言葉で返すのではなく、石で「私はそう思わないよ」と返事をします。そうすると、相手の顔に苦笑いが浮かびます。だからこそ、碁をすることは、「手談」とも呼ばれます。「手で談話をする」という意味なのです。
 うちのクラブはいつも大学近くの喫茶店で活動をしています。そこで、世界各国の人達が、毎週のように碁盤の上で、手で話し合いをしています。みんな母語が異なり英語が流暢でない人もいるのですが、碁盤の上では会話が可能です。
 言葉であまり自由に交流できない人達を集めて、精神的な会話を成立させ、心の距離を近くする。それが碁の「真の魅力」であると、私は考えます。
 ところで、最近、日中関係は、必ずしもいいとは言えませんが、私は碁が両国の関係を「回復させる力」を秘めていると思っています。反日デモの時も、中国の棋士達は「相手を責めるより、お互いに理解するための話し合いをすべきだ」と訴えました。彼らは長い間日本人棋士と交流があるため、理性的に対応できたのです。
 実際の領土を争うのではなく、心で会話をしながら、碁盤の上で石のやりとりを楽しむ。碁を通して日本と中国の棋士達が親善を深めたように、囲碁を世界中に広めることで、きっと世界平和に貢献(こうけん)できるのではないかと願っています。
 ご清聴ありがとうございました。

 ミシガン州内の高校と大学の日本語学習者を対象にした日本語スピーチコンテストが在デトロイト総領事館の主催で2月9日(土)に行なわれた。事前選考を経て、高校部門16名と大学部門8名が本大会に出場した。

 恒例となったこのコンテストでは、語彙の豊富さや言葉遣いの正しさなどの日本語の能力に加えて、興味を惹く題材選びや話題の展開が上手く、感心させられる。今年は語りかけが生き生きした発表が多く、また例年、大学生の内容は自身の専門や書物などから学んだ知識を生かしたアカデミックなものが見られる傾向が強かったが、今年は経験談や大衆的な話題を選んだ人が多く、観客から「楽しかった」との感想が多く聞かれた。

 応募資格は日本に長期滞在していないことが条件。つまり短期滞在を経験しただけか、若しくは全く日本に行った経験のない若者たちであるにも拘らず、日本語話者に近い、アクセントのない話し方をする参加者が年々増えている。また、文章としてはシンプルでも会場の笑いや共感を誘ったスピーチもあり、「伝えよう。聴いてもらいたい」という意欲が感じられた。大学生はいずれも、かなり難解な言葉や言い回しを駆使できるレベル。スピーチ後の審査員からの質問にも大方淀みがなく、楽しんで受け答えをする姿が見られた。最後の発表者となった男子大学生ブラックウェルさんは「美空ひばりと私」のタイトルで、美空ひばりさんの魅力を語りつつ、自身は演歌歌手になる夢を持っていることを述べたが、発表と質問応答の後、「歌って!」とのリクエストに応えて堂々と一曲披露。大いに盛り上げ、コンテスト会場の緊張感を一掃した。

身につけた言葉を使って聞き手に伝えようとする気持ち、そして対話を楽しむことが、コミュニケーションを豊かにする大切な要素であることを再認識させられる大会であった。審査結果にもこれらがプラスの影響となったことが伺えた。

 高校生部門第1位に輝いたブレンナンさんのスピーチは語彙も文法も難しいものではないが、彼女の言葉で分かりやすく気持ちを表現していた。題材にした大阪弁については、友人宅に交換留学生として渡米してきた大阪の子と友達になり交流を続けて大阪弁が大好きになったということ。大阪弁の勢いも借りて、表情も豊かに生き生きとしたスピーチを披露した。ブレンナンさんの通う学校には日本語クラスは無く、好きなアニメから身に付けた日本語に、日本語塾で磨きをかけてきた。指導者である大原氏は「個性や興味を生かすようにしている」「本人が話せる言葉で伝えるのが大切だと考えている」と話す。意欲的に学び続け、彼女の夢である「大阪で英語の先生になること」をぜひ実現して欲しい。

 大学生の第1位となったチェンさんは中国の北京大学を19歳で卒業し、現在ミシガン大学の大学院4年目で宇宙科学が専門。日本語はミシガン大学に入ってからスタートし、3年間日本語クラスを履修した後、独学で学び続けている。就職活動中だが、日本語力を駆使する職業は考えていない。「今後も日本語を勉強し続けたい」という彼にとって外国語習得のメリットは何なのか。「言葉が分かると、ニュースが伝える一部の内容だけではなく、日本語インターネットを読んで大勢の人の考えを知ることができる」と語る。日本語を学んで日本の印象が変わったとも話してくれた。いずれは中国に戻る予定だということだが、トップレベルの技術開発や研究に携わってゆくであろう若者が日本語と日本人の理解に努めてくれることは心強い。

 二人とも日本に行った経験はないがスピーチの緩急や強弱の付け方が上手く、表現力が高いことに多くの聴衆の称賛が寄せられた。

 受賞者の発表の折、在デトロイト日本国総領事館より竹内首席領事が挨拶に立ち、日本語や日本について熱心に学んでくれていることは喜びであり、コンテストの審査は大変難しかったと伝えた。今回は出場者に笑顔が多く、また、聞いていて楽しくなるものが多く、日本の文化についてよく理解した上での内容や、より良い世界について考察した内容がいくつもあり、感銘を受けたと加えた。

 多くのスピーチ内容が、日本に行った時に感じたことや、日本の生活・文化について、あるいはを日本語学習を通して得た考えや思いを題材にしている。日本の習慣や価値観も学んでいる当地の若者たちの視点や考えを垣間見ることができる。全参加者のスピーチ内容の要約と大学部門の入賞者の原稿を紹介したい。

日本語スピーチ原稿要約

プログラム順に氏名、学校名、題名、
*「 」内は原文引用。一部、原文の平仮名を漢字に置き換えてあります。

Highscool(ハイスクール)部門

*H.S. : High School 略

ANNA LATOS Detroit Country Day School
私に大切な人
「私に大切な人は父です。」父は高校生の時によく勉強し、MITに行けた。父の勉強好きは私を感化した。父にピアノを教えてあげている。「父によく感謝をしています。」

MATT WINKLER Clarkston H.S.
からて習う 
4歳から空手を始め、12年間練習。母は、私が父に似て背が低くなるといじめられると思い、空手クラスに入れた。初めは簡単なパンチとキックだけだと思っていた。「真意がありませんでした。」「空手はしんぼうを教えて、やめるのはだめです。」空手から多くを習った。

CHRISTIAN JUNCAJ Stevenson H.S.
せかいのごみ
みんなごみを作る。「私は考えがあります。ごみをつくらないでください」「何ができますか?」
人間と世界と一緒になってきれいにしようとのメッセージ。

KATY ROSS Pioneer H.S.
私の中の日本人 3位
私は四世日系アメリカ人。家で日本語はあまり話さないが、小さい時から日本の文化を知りたいと思っていた。本をたくさん読み、中学3年では祖父をインタビューしてレポートを書いた。祖父は第二次世界大戦のキャンプに入れられ、戦後復興のために日本に行き、広島の様子を見て牧師になった。中学3年の時、日本に旅行。「私の人生で一番よかった」半分日本人だが、日本と繋がっている。

NANI WOLF PioneerH.S.
日本の首都
去年日本語のクラスの人と行った東京と京都、奈良について。東京は忙しくて人工的で人がたくさん。木より自動販売機の方が多かった。鉄道がとても発達していて駅が紛らわしい。京都は山と草がもっとあり、忙しい町だが寺や神社があった。奈良は古くて木がたくさんあり自然が多くて一番きれい。「私は京都が一番好きでした」「日本に行ったことに感謝しています。」

MAGGIE LUNDQUIST Clarkston H.S.
日本のしゅうがくりょこう
日本語のクラスの人と日本に行き、京都、奈良、大阪、広島に行った。千葉県でホームステイをして、高校に通った。教室はとても清潔、学生は静かでノートをたくさん書く。「アメリカの生徒はうるさくてきたないです。」日本の学校はもっときびしい。

BEN FREEDMAN Pioneer H.S.
広島の平和
昨年初めて日本へ行った。広島は一番特別な場所。「特にアメリカ人としてそう思います。」授業で習っていたが、記念館で実際どうだったかを見てびっくり。立ち直って今平和で美しいことに感動した。「広島に行って戦争のひどさ、人の苦しみが分かるようになった」

TIM ARVAN Huron H.S.
まぐろがあたえたえいきょう
5才の頃からおさしみが好き。友だちがくれたいろいろな魚のボスターを面白いと思い、食べてみたくなった。マグロが一番。マグロの絵を描き、部屋にも飾るようになった。4年生で日本語の授業が始まり、とても興味が持てた。「私の日本語学習はマグロに始まったといってもいいほど」 日本に行った時の回転寿司は一生の思い出になる経験。

STUART BRABBS Huron H.S.
アジア人?僕が?どうして?
高校9年生だが10年生の数学を取っている。クラスには7年が1人と8年生が5人いる。6人中5人はアジア人。7年生の時、オーケストラのテストで初めて百点を取ったら、友人が僕に「今日からステュワートはアジア人だ」と言った。「アジア人?どうして?」その時初めてアジア人の一番の気持ちが分かった。「95点はだめです。99点も全然良くないです。百点でなくてはいけないんです。」

KRITHIKA SWAMINATHAN Novi H.S.
音楽の贈り物
2年前、デトロイト交響楽団の青年アンサンブルのメンバーに選ばれ、最近、有名な音楽家・後藤みどり先生に会うことが出来た。指揮をしてくれ教え方に感動。「先生のおかげで、今まで以上にもっと深いレベルで音楽を鑑賞することが出来るようになりました。」

YASHA SCHULTZ Community H.S.
茶道の体験  特別賞
日本語の授業で茶道の歴史や考え方・作法を習った。茶道の教え「和敬清寂」と「一期一会」について説明。建築家になりたくて、茶室のデザインを考えている。茶室は美しい。「建築家が一期一会のことを考え、客がその茶室を一生に一回しか見られないかも知れないので美しくしたいと思ったのでしょう。」「私も人に心の平和を与えるようなものをデザインしてみたいです。」

CALEB NUSBAUM Green hills H.S.
日本人と自然 2位
日本人は自然をとても大切にしている。建築、庭園、神社・寺にも自然の役割は大事。自然を敬うのは、日本人の宗教観からきている。神道の考え方では自然に色々な神様がいて、自然から必要な分だけ取り、それを全部使う。仏教も命を全部尊敬し大切にする、自然に優しい教え。文化でも自然は大事。「最も自然をうまく使った芸術は日本庭園だと思います。」きれいなだけでなく、禅の瞑想も奨励し、自然と一体になれる。「銀閣寺で平和な気持ちになって自然の気を体に感じました。」

ALEC GREENE Saline H.S.
侍的な日本人の美
 小さい時から日本の文化に興味があった。侍の文化が大好き。「侍の名誉とか忠義という考え方はおもしろい」弁慶が主人に仕える姿に感動。また、恥という日本的な考えがあり、四十七士は家族の名誉を守り主人の仇を討った。「僕は、自分を犠牲にし、何か大切なものを守る、この日本時の侍的な考えは美しく、好きです。」「その生き方から学び、行動できるようになりたい」

ALAHNA BRENNAN Saline H.S.
めっちゃめっちゃすきやねん 1位 *全文を次頁に掲載。
日本が好き。まだ行ったことがないがインターネットでみている。AKB48もきゃりーぱみゅぱみゅもネットで聴き、アニメも好き。一番は日本語のダジャレ。おおさかべんがすき。「めっちゃ日本がすきやねん。おおさかにいきたいんやねん。」

OLGA SOKOLOVA Pioneer H.S.
私の中の日本人
日本の文化がいつも大好き。「禅の庭はとてもきれいだし、日本の伝統としきたりはとてもすごいと思います。」宗教や生活も素晴らしい。去年、日本旅行の時に行った神社で、どれほど日本の宗教にひかれているか感じた。アメリカに帰って神道のことを知りたくて居合道クラスに。居合道は刀の戦いに見えるが、本当の狙いは、集中し瞑想し、心の平和を得ること。居合道を経験して、外人として日本を外から見るのではなく、初めて日本人の中に入れそうな気がしている。

MIRANDA CHAMBERS Community H.S.
私のうまさがし
2011年末に馬の買い物を始めた。簡単ではなかった。8歳の時に乗馬を始め、先生の馬に乗っていた。先生は何頭か持っているがどれも似ている。探し始めると「十人十色」という諺があるが、それぞれちがう。この経験から人の違いを認め、受け入れるようになった。諦めないで探し続けて自分に合った馬に会えた。諦めない大切さを知った。

University(大学)部門

DILLON JAGHORY Michigan State University
存在しない色
16才の時に出た陸上競技大会の前夜、負けて全国大会に行く夢を叶えられなければ人生は台無しになると思いこみ、プレッシャーで寝られなかった。レース中に倒れて負け、その後の2年、悲しみ以外感じない気分変調性障害になった。大会翌日に友人が言った励ましの言葉を、3年後に症状が良くなってやっと思い出せ、走る情熱が掻き立てられ今また走ることが出来る。「今度は僕が立ち上がれない人を助けたい」新たに得た世界観のお蔭で、喜びも感じられるようになり、時々心が存在しない色を通して世界を見ている気がするほど興奮する。

VAGEESHA LIYANA GUNAWARDANA Kalamazoo College
ながれこむ
2004年、11歳の時にスリランカのゴールという町に住む親戚の家に泊まっていた折、近くの町に海水が流れ込んだ。津波という言葉も聞いたことがなく、状況は分かり辛かった。停電の中、ラジオでゴールの海もおかしいと聞いたが、家は海から遠く高いところにあったので避難はせず朝を待った。朝、電気が戻りテレビで被害の大きさを知った。「壊滅的な状況は想像を絶するものでした。」ゴールの町に行き様子を見た。「幼かった私でさえ、その町の深い悲しみと苦しみはよく感じました」今、被害はほとんど直ったが人の心の傷は消えていない。

ANDREW KAUFFMAN Wayne State University
偶然性について
ある女の子がメッセージ付きの風船を空に放ったところ、同姓同名、同年齢、目と髪も同じ色の女の子に届いた。この話と、硬貨をはじいて裏が連続7度出る確率の話を合わせ、数多い出来事のうち不思議なことは起きるものであることを指摘。不思議な話とは、思考力によって他の詳細を省いて面白くしている。また、思考力を使って不思議な話を楽しむこともできる。「出来事を楽しみそれを生かすようにすれば、人生を楽しめる確率は百パーセントになる」

PAVAN POLICHERLA Kalamazoo College
人の気持ちは複雑
他の国どこでも行ける世界になり人々の世界は広がったが、昔のことを忘れるのは難しいようだ。アジアで中国と韓国と日本の中に憎みあう人がいる。去年、中国に留学する前に中国からの留学生に日中間の近代史における残念な過去について聞き、中国人皆、日本人が好きでないと思ったが、留学してみて、もっと複雑だと分かった。「私があった若い学生の気持ちはアメリカの学生の気持ちとよく似ていました。」アニメなど日本のポップカルチャーが好きで、日本の格闘技も人気がある。首相の靖国神社参拝などを中国メティアが悪く言っていても、日本をよく思う中国人がいる。その人たちは時が心の痛みを癒してくれると信じている。自分自身、インド人なのにテロリスト扱いされて罵られ、驚き、その時の悲しみは心にある。「複雑ですが、時が心の痛みを癒してくれると信じて頑張っていこうと思います。」
  
MISTI NESBITT Michigan State University
夢を実現するために    特別賞
大切な夢がある人にとって、多分一番大変なことは、困った時でも頑張り続けること。何をすればいいか。私の夢は日本で英語を教えること。日本語を勉強する学生として普通だが、自分は27歳で、アルバイトで生活をするシングル・マザー。多くの困難があるが、夢のために、娘のために、一歩一歩頑張っている。諦めたいと思ったときには泣いていい。次の日もう一回頑張ってください。道に迷っても心配しないで。「良い日がもうすぐきますから!」「明日はあなたの味方です。自分のことを信じていれば、大丈夫!きっと出来ます!」

YI HANG CHIEW University of Michigan
日本の声優が教えてくれたこと 3位
日本のアニメが大好き。一番印象に残っているのがドラゴンボール。仲間と一緒に地球を守る主人公の情熱と根性に感動。日本語で観ていたが、英語版を見てがっかり。キャラクターが変わっていた。元々のキャラクターをうまく表現している日本人の声優の力に感心した。違いは声優が本当にキャラクターの個性や心を理解しているかどうかではないか。現実世界にもあてはまり、理解したい相手の立場に立って考えてこそ、本当に理解できる。日本の声優は外国映画の吹替えも上手い。それは日本が相手の気持ちを察することを重んじるハイコンテキスト文化であることも関係しているのではないか。私も声優のように他の人を理解したい。相手の立場に立って考え声を出せば、それは届くはず。そうすればもっと分かり合える。

ANBO CHEN University of Michigan
囲碁 - 手でする会話   1位  *全文を次頁に掲載。
中国から留学して、大学で始めた囲碁について、その魅力。全米大学囲碁選手権で、チーム一丸となって闘い一位になった。子供の時に読んだ日本の漫画に、主人公がクラブの友達と一緒にがんばって全国大会の優勝を目指すという物語があり、勉強しか活動が無い中国の高校で灰色の楽生活を送っていた私は、日本の高校生がうらやましいと思っていた。だからアメリカで全国大会に出て優勝できたことはまるで夢のよう。囲碁は精神世界の交流。言葉ではあまり交流できない人が、心の距離を近くすることができる。日中関係が良くないが、囲碁が関係を回復させる力を秘めている。

ZACHARY BLACKWELL Eastern Michigan University
美空ひばりと私   2位
演歌歌手になるのが夢。日本の音楽との出会いは高校。JPOPがきっかけで、段々ジャンルを広げた。ネット上で面白そうな動画を検索していて美空ひばりさんの曲「人生一路」のサイトに出合った。歌詞に感動し、頭にすーっと曲が入って一度でほとんど覚えた。関心が募り、見つけられるもの全て手に入れ、いつも聞くように。同時に日本語と日本文化への情熱も強くなり日本語を専攻に勉強しようと決めた。
昨年初めて日本に留学。カラオケで「みそら」と入力したら数えられないほど曲が出てきて興奮。美空ひばり博物館で、日本語の情報が全てわかり、勉強してきた事と人生の大切なことが100%重なり、涙があふれた。「歌手になって人の心の痛みを理解し歌で悲しみ苦しみを癒したいと思った」夢があるからこそ今生きている喜びを感じている。

「めっちゃめっちゃすきやねん」

アリー・ブレンナン

 こんにちは、アリー・ブレンナンです。こうこう四年生です。よろしくおねがいします。
 わたしは日本がすきです。日本人も日本ごも日本のたべものも日本のうたもすきです。わたしはまだ日本にいったことがありませんが、日本のことをよくインターネットでみています。
 AKB48もきゃりーぱみゅぱみゅもすきです。とくに、きゃりーぱみゅぱみゅはドレスもかみもうたもへんだけど、わたしもへんだから、すきです。
 それから、アニメもすきです。フルーツバスケットのほんだとおるがすきです。とおるはおとうさんもおかあさんもいません。私もおとうさんもおかあさんもいません。だから、きもちが分かります。だから、だいすきです。
 でも、でも、いちばんは日本ごです。 ダジャレです。
 ダジャレをしっていますか。たとえば、「ねえ、ちゃんと、おふろにはいってる?」と「ねえちゃんと、おふろにはいってる?」 いみがぜんぜんちがいますね。
 わたしはことしの七月にともだちと三人でおおさかにいきます。そうです。とうきょうじゃなくて、おおさかです。おおさかべんがすきです。「なんでやねん?」はとてもきれいです。おおさかでは、たこやきをたべて、きゃりーぱみゅぱみゅをきいて、アニメをみて、だじゃれをべんきょうして、それに、こどもがすきだから、しょうらいはおおさかでえいごのせんせいになりたいです。
めっちゃ日本がすきやねん。おおさかにいきたいんやねん。

囲碁 – 手でする会話

アンボ•チェン

 初めまして、ミシガン大学で宇宙科学を研究している陳安博と申します。今日は皆様に私の趣味の「囲碁」について少しお話ししたいと思います。
 みなさん、囲碁をなさったことがありますか。したことがない方も、囲碁、チェス、将棋(しょうぎ)などはご存知でしょう。囲碁は、世界三大ボードゲームの一つで、二人が碁盤の上に順番に白と黒の石を置いていき、石が囲んだ部分の広さを争うものです。起源はよくわかりませんが、「論語」の中に囲碁の話題があるので、少なくとも紀元前8世紀には、すでに存在したようです。囲碁は世界でもっとも古いボードゲームと言えるでしょう。
 現代の囲碁の形は四百年ぐらい前に日本で確立されました。そして、戦後、日本人棋士の努力によって、世界中に広がりました。囲碁は英語でも「Go」と呼ばれ、「アタリ、ハネ、定石」といった言葉も、日本語の言い方がそのまま使われます。日本語が全然話せないアメリカ人が「アタリ」「ハネ」と言って囲碁を楽しんでいるのは、何度見ても面白いものです。私はまだ日本に行ったことがありませんが、私が日本語を勉強し始めた理由も、インターネットで流れる日本人プロ棋士のコメントを理解したいと思ったからです。
 私が碁を始めたのは、ミシガン大学に来てからでした。そして、すぐに碁に魅せられ、夢中になりました。それから五年、数々の対局を経て、今は六段になりました。そして、去年の春にはミシガン大学チームの副将として、全米大学囲碁選手権でチームのみんなと一緒に闘い、なんと優勝してしまいました。
 その経験から、私はあることを学びました。子供の時から大学まで、ずっと1人で、試験の合格だけを目指す闘いをしてきた私は、初めて「自分1人の力には限界がある。時には他の人に頼ってもいいんだ」ということに気付いたのです。碁を学んで本当によかったと心の底から思った瞬間でした。
 私にとって碁の対局は、ただの試合ではありません。相手の動きを予想し、何手も先を考え、石を打つのは、「精神世界の交流だ」と思います。例えば、対局中に相手が予想外の手を打った時、「あー、彼はそう思うか」と気付いたら、言葉で返すのではなく、石で「私はそう思わないよ」と返事をします。そうすると、相手の顔に苦笑いが浮かびます。だからこそ、碁をすることは、「手談」とも呼ばれます。「手で談話をする」という意味なのです。
 うちのクラブはいつも大学近くの喫茶店で活動をしています。そこで、世界各国の人達が、毎週のように碁盤の上で、手で話し合いをしています。みんな母語が異なり英語が流暢でない人もいるのですが、碁盤の上では会話が可能です。
 言葉であまり自由に交流できない人達を集めて、精神的な会話を成立させ、心の距離を近くする。それが碁の「真の魅力」であると、私は考えます。
 ところで、最近、日中関係は、必ずしもいいとは言えませんが、私は碁が両国の関係を「回復させる力」を秘めていると思っています。反日デモの時も、中国の棋士達は「相手を責めるより、お互いに理解するための話し合いをすべきだ」と訴えました。彼らは長い間日本人棋士と交流があるため、理性的に対応できたのです。
 実際の領土を争うのではなく、心で会話をしながら、碁盤の上で石のやりとりを楽しむ。碁を通して日本と中国の棋士達が親善を深めたように、囲碁を世界中に広めることで、きっと世界平和に貢献(こうけん)できるのではないかと願っています。
 ご清聴ありがとうございました。

Michigan 2015 Japanese Language Speech Contestミシガン2015日本語スピーチ・コンテスト

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  ミシガン州内の高校と大学の日本語学習者を対象とした日本語スピーチコンテストが在デトロイト日本国総領事館の主催で3月28日(土)に行なわれた。このコンテストは毎年、デトロイト日本商工会、ミシガン南西オンタリオ日米協会、ミシガン日本語教師会、国際交流基金など多くの団体の支援や協力、そしてノバイ市、デルタ航空の協賛を得て実施されている。今年は高校部門5名と大学部門10名が事前の選考を経て本大会に出場し、学習の成果を披露した。

  審査員の一人として参加した片山総領事は開会にあたり、ミシガン州における日本語学習の状況として、56のK-12(キンダーからハイスクール)、そして17の大学に日本語クラスが設置されており、計6,100名以上が学校や大学で学んでいることを伝えた。参加者らがコンテストのために多くの時間を費やしたことであろうと、その努力とチャレンジ意欲を称え、日米間の良好な関係を構築するための重要な役割を果たすであろうと、期待の言葉を寄せた。

  当大会への応募条件は、日本に長期滞在していないこと。よって、日本渡航の無経験者か、あるいは短期の滞在を経験した出場者たちであるにも拘らず、滑らかな話し方をする参加者が年々増えている。インターネット環境が整う昨今、幼少期から日本語のアニメを原語で視聴してきたなど、耳で学んできた生徒が少なくない。特に、高校生のスピーチ内容や会話レベルが高くなっている。

  本コンテストでは規定時間内に、暗記したスピーチの発表を課せられる。語彙の豊富さと正しい使い方、話題の展開やまとまりといった作文の要素に加えて、発表の際の話し方などが総合的に評価される。片山総領事をはじめ、JBSD文化部会、JSDウィメンズクラブ、日米協会の代表、そしてコミュニティーの代表として和田氏が審査員を務めた。

   高校の部で第1位に輝いたカングさんは、嫌われている気がして不安だったかつての自分について率直に語った。クラスメートの言葉によって気持ちが変化し自信がついたという彼女のスピーチは、“言葉”が人を変え、人と人を繋ぐことを再認識させる内容であり、得られた自信と心の安定さを表すかのように、明瞭で堂々たる話し方であった。スピーチ後の審査員による質問の意味も理解し、分かり易い言葉で返答できていたが、日本滞在経験は全く無いとのこと。

   大学の部の第1位となったラトカウスキさんは、日本で経験したカプセルホテルにもう二度と泊まりたくない、その理由を解析紹介した。トイレとシャワーがある分、ビジネスホテルの方がマシで、カプセルホテルは音が漏れる上、マナーの悪さが問題だと指摘。旅行好きで、日本各地を巡ったという彼がカプセルホテルをテーマに選んだ理由が「話すのは楽しい」と答えただけあって、始終楽し気に語り続けた。スピーチ後に話を伺ったところ、日本では京都、大阪、神戸といった都市の他、自殺の名所である青木ケ原樹海にも「死体を見つけられれば…」との関心を抱いて訪れたいうこと。将来は日本語を使って仕事をし、日本と行き来したいと話す。大学では日本語の他に言語学と数学を学んでいるそうだが、チャレンジ精神の旺盛さ、コミュニケーション力の高さに、日米の懸け橋としての稀有な活躍を期待したい。

  スピーチ内容の多くが、日本での経験により広がった視野や気づき、あるいは日本語学習を通じて得た思いを題材としている。言語だけではなく、日本の習慣や価値観も学ぶ若者たちの新鮮な観点や感想を垣間見ることができるこのイベントは、聴く人々にとっても得るところが大きい。

  以下に、全参加者のスピーチ内容の要約と各部門の優勝者の原稿全文を紹介させていただく。

原稿要約

プログラム順に氏名、題名、学校名「 」内は原文引用。*一部平仮名を漢字に変換。

高校(ハイスクール)部門

KRISTINE BASSETT (特別賞) 
Troy Athens High School 
せいとからならったこと

『八才の子ども達に神様について教えてから私は辛抱強くなりました。』先生(私)が若いので子どもがうるさくなり、話を聞き流すようになった。先輩のアドバイスで、神様は子ども達を愛していることを教えていることが大事だと分かった。『私は先生ですから導くだけです。』

MONIQUE HAKAM  (3位) 
Groves High School 
おもてなし

日本のレストランでは寒い日は温かく、暑い日は冷たいおしばりを出す。美容員はお客の化粧をするとき、顔を触らない。和食にももてなしがたくさんあり、レストランでは葉っぱを使い、客は季節を楽しむ。

お客さんの満足を大切する。『日本のもてなしは最高です。』

GLORIA KANG  (1位) 
Troy Athens High School 
かべをやぶること

  すべての人はある日人生の中でのりこえることがで出来ないかべに出会います。ふあん。なやみ。こどく。このかべは自分の力だけでかてない。だけど他の人はそのかべをかんたんにやぶることが出来る。

  私は中学一年生の時にとてもしずかな子だった。知ってる人は私のえがおをめったに見なかった。私は時々元気だったけどたいていさびしかった。こわかった。

  「ああこの女の子は私のことがたぶん大きらい・・・」とか「この男の子も私のことがきらい・・・」と思った。

  なやみがたくさんあっていつもふあんだった。でもある日それはぜんぶかわった。ある日かぜで学校を休んだ。つぎの日一人の女の子が私に来てこう言った。

  「ああ〜どこにいたの?かぜひっちゃった?会いたかったよ!友達がいない日はほんとうにつまんない〜〜。。。」

  そのしゅんかん私のせかいがかわった。「友達」。その言葉はいちどもかんがえなかった。「けっきょくみんなは私のことがきらいだから、だれにもは話したくない」と思った。かの女とのかんけいはとてもふつうのかんけいだった。だから私たちはただ知り合いだと思っていた。でもそういうことじゃなかった。学校の始まる時から私は友達をつくった。初めての友達じゃなかったけど、自分でみとめることが初めてだった。大きいふたんが私のかたからもち上げくれたようにかんじた。私はきらわれていなかった。うれしいくてなきたかった。もちろん私はこのきもちを表さなかった。でも自分の中で何かがかわった。私はもっとじしんがあったから人ともっとはなした。心からたくさんわらった。そのふつうの言葉は私にはとても大切な言葉だった。今あっさり言うことが出来ます。「私は今しあわせだ」。

  その友達はあの言葉のじゅうようせいをまだ知らない。ちょっとはずかしい話から私はまだ言いたくないけど、いつか私はかの女にこの話をおしえて上げたい。心から「ありがとう」と言いたい。

HUIYI LIU (2位) 
Troy Athens High School 
カラオケ

日本へ6週間行き、学校や花火大会、メイドカフェ、カラオケに行くなど、色々な事をした。カラオケに行く前は何で好きなんだろう、と思っていたが、行ってみて「しまった、はまってしまった」と思った。歌が下手でも同じレベルの人となら自由に歌える。歌うだけではなく、上手く歌うことで問題をクリアするタイプのカラオケもある。

DAVIS WHITE  (総領事賞) 
Stevenson High School 
日本の京都へ行った事

去年、5位のチームまで日本行をもらえる(ナショナルの)日本語クイズ大会に出たが、10位だった。父が計画して、父と一緒に日本の6つの市に行った。京都が一番。楽しく面白くて美しい。父の友達の案内で、平等院、清水寺、二条城に行った。クジラ肉を食べた。食べたことがなかったがあまり悪くなかった。

大学生部門 

JOSHUA ABRAHAM( 総領事賞) 
Michigan State University 
忘れない夢

子供の時の夢を忘れずに叶えた。日本のマンガを読んで、日本の文化に興味を持ち、「日本語を習って、絶対に日本に行く!」と自分に約束。学校に日本語クラスが無く、習うのは難しくて放ってしまったが、友人の叱咤を受けて学び直した。母の怪我のせいで時間を作れなくなっても、あきらめなかった。去年日本行を叶え、たくさん良い経験をし、多くの日本語を習った。

『諦めないで』『夢が叶ったら幸せになれるはずです。』

DANNY BENSALEM 
Michigan State University 
命の意味:大学生の心の中

『命は本当に不思議ですね。何度考えても完璧な意味を見つけれません。』どうすればよいのか、行きたい方向は分かるけど正しいか分からない。答えは人によって違う。自分で判断しなければならない。ワンパターンで目的が無い生き方に不満を感じ、人生を変えようと思った。目標を持って生活をしてこの世界に役立つことをしたいと思うようになった。

SARAH BENSON 
Oakland University 
仙台市 ラブ

仙台市はきれいで面白い。人が元気。愛情深い。ピープル・トー・ピープルの代表として仙台市に行き、日本の高校にも行った。セレモニーで歓迎を受け、英語のスピーチを楽しんでもらえ嬉しかった。『私の一番好きな街は仙台市です。仙台市は私のラブそのものですから!』

TYLER HOWE 
Michigan State University 
日本の音楽の影響

日本語を選んで勉強している理由。好きな音楽を聴くと、悪いことを忘れ嬉しくなった。ある日、一番好きなミュージシャンを見つけた。「ヌジャベス」と呼ばれている日本人の瀬葉淳。それを通して「shing02」という日本語と英語で歌うラッパーに興味を持った。英語の歌の内容が時に社会問題なので、考えが変化した。日本語は分からなかったので、勉強することに。

『音楽を通して、彼が僕の生活に大きな影響をあたえました。』

LAI PAK KUEN (2位) 
University of Michigan 
アニメが好きな私がヒッキーにならなかった理由

ミシガン大学でアニメクラブの部長をしている。“ヒッキー”と呼ばれる“ひきこもり”とアニメの関係について、ヒッキーは家で一人でアニメを見ているという偏見があるが、アニメ見てもヒッキーにならなかった私がいる。原因はアニメでは無く家族との関係性にある。自分が興味をもったドラえもんを両親は禁止にせず一緒に見るなど、興味と時間を共有してくれた。また、小さな努力が大切なことも家庭教師を通して知った。努力は達成感と満足感に繋がる。専門家によれば、人と関わる経験と、自分のアイデンティティに対する自信がヒッキーの課題だということだ。社会に貢献できると分かれば自分の存在意義を感じられるはず。アニメクラブはヒッキーの解決になっている。

VEGEESHA LIYANA GUNAWA (特別賞) 
Kalamazoo College 
あの日であった警察官は僕の名前を知らない

スリランカ生まれで、カナダの高校、アメリカの大学に行き、早稲田大学に留学。日本での留学中、13回も警官の職務質問を受けた。最初は面白かったが、面倒になった。職務質問をさた理由を尋ねると、外国人による犯罪が多いからだと言われたが、人種差別を隠す言い訳にしか聞こえなかった。様々な国の人に出会ううち、世界が狭くなってきたと感じる。人との出会いを大切にすることが大事。警官が外国人を誤解するのは出会う機会が少ないからという可能性がある。ノーベル平和賞受賞者の言葉「世界平和の前に人々の協力が必要。協力の前に人々の出会いが必要。」を引用。平和は世界の人々の交流を基盤として実現する。交流とは単なる関わり合いではなく、精神的なつながり育てること。

MANAL NIZAM 
Wayne State University 
一番の名作

平家物語について。源氏が平家を激戦で倒した後、平家物語を坊様が歌い始め、今、人々は物語を読んだり能楽を見たりできる。私は、日本の歴史の授業で英訳を読むだけにした。

『仏教の原理があるし、強い武士がいるし、平家物語は世界の物語の中で一番の名作です。』諸行無常について説明している。陸から遠い船の上の扇子に矢を貫通した武士がいる。日本語の平家物語と古典文学を読もうと思っている。

KATIE PENVOSE  (3位) 
Michigan State University 
コミュニケーションの大切さ

日本へ行く前の私は、日本語の授業で日本語を話すチャンスがあってもあまり利用しなかった。すぐに英語を使っていた。去年東京の日本語学校に留学した。クラスメートで英語を話せる人が少なく、先生たちも英語が話せないので日本語を使わなけばならず、“間違っても正確でなくも言う”というモットーを作った。コミュニケーションが大切。間違いを恐れていたら、いつまでも上手に話せない。『外国語の勉強は文法や単語を覚えるのみならず、コミュニケーションも大切にすることだと思う』

JAMES RUTKOWSKI (1位) 
Eastern Michigan University 
カプセルホテル

  「宇宙船のカプセルみたいです!」とあるテレビ番組が言っていました。しかし、それは大きな嘘です。カプセルホテルは、宇宙船からほど遠いものでした。逆に、犬小屋みたいだと思いました。私は二回カプセルホテルに泊まりましたが、二度と泊まりたくありません。今日は、それがなぜかということについてお話したいと思います。

  カプセルホテルの特徴は安さのはずです。 お金があまりないので、私にとっては、料金は重要なポイントでした。料金は二千六百円。ビジネスホテルに比べると、カプセルホテルのほうが安いのですが、 ビジネスホテルの部屋は自分のトイレとシャワーがついています。私にとって、他の人と一緒にお風呂に入ることは考えられません。家族とでもいやです。だから、ビジネスホテルのトイレつき料金はカプセルホテルより「まだ、まし。」ということになります。

  カプセルホテルはまだまだ悪い点があります。まずは狭さです。私は旅行する時、いつもバックパックで移動します。バックパックに服、コンピューター、おみやげなどを入れると、大きくて、重くなります。ホテルにロッカーがあって、持っている物を入れられますが、私のバックパックは大き過ぎたので、 バックパックと一緒にカプセルの中で寝ました。

  もう一つの悪い点はテレビです。泊まり客はヘッドホンを使ったらいいのですが、ヘッドホンを使わなかったら、他のカプセルにテレビの音が漏れてしまいます。私の場合も例外ではなく、隣のおじさんは夜遅くまで、女性の怪しげな声のする番組をずっと見ていました。

  他には、上と下のカプセルがあって、下のカプセルはまだいいのですが、上のカプセルはちょっと背が高すぎて入りにくいです。私の下のカプセルの人は、はずかしげもなく、おならをブリブリとしていたのを今でも鮮明に覚えています。

  いうまでもなく、悪い点はまだまだあります。でも、色々な問題はそこで働いている従業員のせいではなくて、そこに泊まっているお客さんのマナーの悪さからくるものなのだと思います。

  わたしは、いつしか「迷惑なお客さんって、どんな人なんだろう?」と考え始めるようになりました。ある調査によると、終電を逃すと10%の人はホテルに泊まるそうです。カプセルホテルは予約せずに泊まれるので、便利なのでしょう。では、なぜ終電を逃すのでしょうか?インターネットで調べてみると、カプセルホテルに泊まった人のうち、「飲み過ぎた」「タクシーで帰るには遅すぎる」という理由が多かったです。だから、カプセルホテルに泊まる人が酔っている可能性はかなり高いのです。それに、珍しい場合ですが、カプセルホテルに住んでいる人もいます。

  また、普通は、カプセルホテルは男性客だけです。なぜかというと、カプセルは鍵がかけられないからです。最近、女性もカプセルホテルに泊まれますが、別のフロアになっています。

  さて、文句ばかり言っていると、カプセルホテルで働いている人達に失礼だと思いますので、良いことも少し述べたいと思います。カプセルホテルは、交通のアクセスがいい場所に建てられているため、例えば、地方から就活でやってくるお金のない学生にとっては、絶好の宿泊施設です。また、施設によっては、大浴場やサウナなどもついていて、ビジネスホテル顔負けの所もあるようです。私はそれには興味はありませんが、日本のサラリーマンにとっては、魅力なのだと思います。

  さて、私のカプセルホテルの経験はあまりよくないものでしたが、その経験について話すのは、どんなことよりも楽しいものです。ただ、納豆を食べるのと同じように、経験は一回で十分だと思います。 ですから、皆さんも、是非「一回だけ」お試し下さい。

  どうもご清聴ありがとうございました。

DEV SOMGHAL
Oakland University 
私が日本語を勉強したい理由

去年の秋、最初の日本語クラスを取った。難しかったが、難しいからこそ日本語を学ぶのが好き。漢字や文法は私には簡単。難しい部分は話すこと。挑戦することが好きなので、良い会話をした時、達成感を感じる。私の目的はいつか日本に行って日本人と話せるようになること。

  ミシガン州内の高校と大学の日本語学習者を対象とした日本語スピーチコンテストが在デトロイト日本国総領事館の主催で3月28日(土)に行なわれた。このコンテストは毎年、デトロイト日本商工会、ミシガン南西オンタリオ日米協会、ミシガン日本語教師会、国際交流基金など多くの団体の支援や協力、そしてノバイ市、デルタ航空の協賛を得て実施されている。今年は高校部門5名と大学部門10名が事前の選考を経て本大会に出場し、学習の成果を披露した。

  審査員の一人として参加した片山総領事は開会にあたり、ミシガン州における日本語学習の状況として、56のK-12(キンダーからハイスクール)、そして17の大学に日本語クラスが設置されており、計6,100名以上が学校や大学で学んでいることを伝えた。参加者らがコンテストのために多くの時間を費やしたことであろうと、その努力とチャレンジ意欲を称え、日米間の良好な関係を構築するための重要な役割を果たすであろうと、期待の言葉を寄せた。

  当大会への応募条件は、日本に長期滞在していないこと。よって、日本渡航の無経験者か、あるいは短期の滞在を経験した出場者たちであるにも拘らず、滑らかな話し方をする参加者が年々増えている。インターネット環境が整う昨今、幼少期から日本語のアニメを原語で視聴してきたなど、耳で学んできた生徒が少なくない。特に、高校生のスピーチ内容や会話レベルが高くなっている。

  本コンテストでは規定時間内に、暗記したスピーチの発表を課せられる。語彙の豊富さと正しい使い方、話題の展開やまとまりといった作文の要素に加えて、発表の際の話し方などが総合的に評価される。片山総領事をはじめ、JBSD文化部会、JSDウィメンズクラブ、日米協会の代表、そしてコミュニティーの代表として和田氏が審査員を務めた。

   高校の部で第1位に輝いたカングさんは、嫌われている気がして不安だったかつての自分について率直に語った。クラスメートの言葉によって気持ちが変化し自信がついたという彼女のスピーチは、“言葉”が人を変え、人と人を繋ぐことを再認識させる内容であり、得られた自信と心の安定さを表すかのように、明瞭で堂々たる話し方であった。スピーチ後の審査員による質問の意味も理解し、分かり易い言葉で返答できていたが、日本滞在経験は全く無いとのこと。

   大学の部の第1位となったラトカウスキさんは、日本で経験したカプセルホテルにもう二度と泊まりたくない、その理由を解析紹介した。トイレとシャワーがある分、ビジネスホテルの方がマシで、カプセルホテルは音が漏れる上、マナーの悪さが問題だと指摘。旅行好きで、日本各地を巡ったという彼がカプセルホテルをテーマに選んだ理由が「話すのは楽しい」と答えただけあって、始終楽し気に語り続けた。スピーチ後に話を伺ったところ、日本では京都、大阪、神戸といった都市の他、自殺の名所である青木ケ原樹海にも「死体を見つけられれば…」との関心を抱いて訪れたいうこと。将来は日本語を使って仕事をし、日本と行き来したいと話す。大学では日本語の他に言語学と数学を学んでいるそうだが、チャレンジ精神の旺盛さ、コミュニケーション力の高さに、日米の懸け橋としての稀有な活躍を期待したい。

  スピーチ内容の多くが、日本での経験により広がった視野や気づき、あるいは日本語学習を通じて得た思いを題材としている。言語だけではなく、日本の習慣や価値観も学ぶ若者たちの新鮮な観点や感想を垣間見ることができるこのイベントは、聴く人々にとっても得るところが大きい。

  以下に、全参加者のスピーチ内容の要約と各部門の優勝者の原稿全文を紹介させていただく。

原稿要約

プログラム順に氏名、題名、学校名「 」内は原文引用。*一部平仮名を漢字に変換。

高校(ハイスクール)部門

KRISTINE BASSETT (特別賞) 
Troy Athens High School 
せいとからならったこと

『八才の子ども達に神様について教えてから私は辛抱強くなりました。』先生(私)が若いので子どもがうるさくなり、話を聞き流すようになった。先輩のアドバイスで、神様は子ども達を愛していることを教えていることが大事だと分かった。『私は先生ですから導くだけです。』

MONIQUE HAKAM  (3位) 
Groves High School 
おもてなし

日本のレストランでは寒い日は温かく、暑い日は冷たいおしばりを出す。美容員はお客の化粧をするとき、顔を触らない。和食にももてなしがたくさんあり、レストランでは葉っぱを使い、客は季節を楽しむ。

お客さんの満足を大切する。『日本のもてなしは最高です。』

GLORIA KANG  (1位) 
Troy Athens High School 
かべをやぶること

  すべての人はある日人生の中でのりこえることがで出来ないかべに出会います。ふあん。なやみ。こどく。このかべは自分の力だけでかてない。だけど他の人はそのかべをかんたんにやぶることが出来る。

  私は中学一年生の時にとてもしずかな子だった。知ってる人は私のえがおをめったに見なかった。私は時々元気だったけどたいていさびしかった。こわかった。

  「ああこの女の子は私のことがたぶん大きらい・・・」とか「この男の子も私のことがきらい・・・」と思った。

  なやみがたくさんあっていつもふあんだった。でもある日それはぜんぶかわった。ある日かぜで学校を休んだ。つぎの日一人の女の子が私に来てこう言った。

  「ああ〜どこにいたの?かぜひっちゃった?会いたかったよ!友達がいない日はほんとうにつまんない〜〜。。。」

  そのしゅんかん私のせかいがかわった。「友達」。その言葉はいちどもかんがえなかった。「けっきょくみんなは私のことがきらいだから、だれにもは話したくない」と思った。かの女とのかんけいはとてもふつうのかんけいだった。だから私たちはただ知り合いだと思っていた。でもそういうことじゃなかった。学校の始まる時から私は友達をつくった。初めての友達じゃなかったけど、自分でみとめることが初めてだった。大きいふたんが私のかたからもち上げくれたようにかんじた。私はきらわれていなかった。うれしいくてなきたかった。もちろん私はこのきもちを表さなかった。でも自分の中で何かがかわった。私はもっとじしんがあったから人ともっとはなした。心からたくさんわらった。そのふつうの言葉は私にはとても大切な言葉だった。今あっさり言うことが出来ます。「私は今しあわせだ」。

  その友達はあの言葉のじゅうようせいをまだ知らない。ちょっとはずかしい話から私はまだ言いたくないけど、いつか私はかの女にこの話をおしえて上げたい。心から「ありがとう」と言いたい。

HUIYI LIU (2位) 
Troy Athens High School 
カラオケ

日本へ6週間行き、学校や花火大会、メイドカフェ、カラオケに行くなど、色々な事をした。カラオケに行く前は何で好きなんだろう、と思っていたが、行ってみて「しまった、はまってしまった」と思った。歌が下手でも同じレベルの人となら自由に歌える。歌うだけではなく、上手く歌うことで問題をクリアするタイプのカラオケもある。

DAVIS WHITE  (総領事賞) 
Stevenson High School 
日本の京都へ行った事

去年、5位のチームまで日本行をもらえる(ナショナルの)日本語クイズ大会に出たが、10位だった。父が計画して、父と一緒に日本の6つの市に行った。京都が一番。楽しく面白くて美しい。父の友達の案内で、平等院、清水寺、二条城に行った。クジラ肉を食べた。食べたことがなかったがあまり悪くなかった。

大学生部門 

JOSHUA ABRAHAM( 総領事賞) 
Michigan State University 
忘れない夢

子供の時の夢を忘れずに叶えた。日本のマンガを読んで、日本の文化に興味を持ち、「日本語を習って、絶対に日本に行く!」と自分に約束。学校に日本語クラスが無く、習うのは難しくて放ってしまったが、友人の叱咤を受けて学び直した。母の怪我のせいで時間を作れなくなっても、あきらめなかった。去年日本行を叶え、たくさん良い経験をし、多くの日本語を習った。

『諦めないで』『夢が叶ったら幸せになれるはずです。』

DANNY BENSALEM 
Michigan State University 
命の意味:大学生の心の中

『命は本当に不思議ですね。何度考えても完璧な意味を見つけれません。』どうすればよいのか、行きたい方向は分かるけど正しいか分からない。答えは人によって違う。自分で判断しなければならない。ワンパターンで目的が無い生き方に不満を感じ、人生を変えようと思った。目標を持って生活をしてこの世界に役立つことをしたいと思うようになった。

SARAH BENSON 
Oakland University 
仙台市 ラブ

仙台市はきれいで面白い。人が元気。愛情深い。ピープル・トー・ピープルの代表として仙台市に行き、日本の高校にも行った。セレモニーで歓迎を受け、英語のスピーチを楽しんでもらえ嬉しかった。『私の一番好きな街は仙台市です。仙台市は私のラブそのものですから!』

TYLER HOWE 
Michigan State University 
日本の音楽の影響

日本語を選んで勉強している理由。好きな音楽を聴くと、悪いことを忘れ嬉しくなった。ある日、一番好きなミュージシャンを見つけた。「ヌジャベス」と呼ばれている日本人の瀬葉淳。それを通して「shing02」という日本語と英語で歌うラッパーに興味を持った。英語の歌の内容が時に社会問題なので、考えが変化した。日本語は分からなかったので、勉強することに。

『音楽を通して、彼が僕の生活に大きな影響をあたえました。』

LAI PAK KUEN (2位) 
University of Michigan 
アニメが好きな私がヒッキーにならなかった理由

ミシガン大学でアニメクラブの部長をしている。“ヒッキー”と呼ばれる“ひきこもり”とアニメの関係について、ヒッキーは家で一人でアニメを見ているという偏見があるが、アニメ見てもヒッキーにならなかった私がいる。原因はアニメでは無く家族との関係性にある。自分が興味をもったドラえもんを両親は禁止にせず一緒に見るなど、興味と時間を共有してくれた。また、小さな努力が大切なことも家庭教師を通して知った。努力は達成感と満足感に繋がる。専門家によれば、人と関わる経験と、自分のアイデンティティに対する自信がヒッキーの課題だということだ。社会に貢献できると分かれば自分の存在意義を感じられるはず。アニメクラブはヒッキーの解決になっている。

VEGEESHA LIYANA GUNAWA (特別賞) 
Kalamazoo College 
あの日であった警察官は僕の名前を知らない

スリランカ生まれで、カナダの高校、アメリカの大学に行き、早稲田大学に留学。日本での留学中、13回も警官の職務質問を受けた。最初は面白かったが、面倒になった。職務質問をさた理由を尋ねると、外国人による犯罪が多いからだと言われたが、人種差別を隠す言い訳にしか聞こえなかった。様々な国の人に出会ううち、世界が狭くなってきたと感じる。人との出会いを大切にすることが大事。警官が外国人を誤解するのは出会う機会が少ないからという可能性がある。ノーベル平和賞受賞者の言葉「世界平和の前に人々の協力が必要。協力の前に人々の出会いが必要。」を引用。平和は世界の人々の交流を基盤として実現する。交流とは単なる関わり合いではなく、精神的なつながり育てること。

MANAL NIZAM 
Wayne State University 
一番の名作

平家物語について。源氏が平家を激戦で倒した後、平家物語を坊様が歌い始め、今、人々は物語を読んだり能楽を見たりできる。私は、日本の歴史の授業で英訳を読むだけにした。

『仏教の原理があるし、強い武士がいるし、平家物語は世界の物語の中で一番の名作です。』諸行無常について説明している。陸から遠い船の上の扇子に矢を貫通した武士がいる。日本語の平家物語と古典文学を読もうと思っている。

KATIE PENVOSE  (3位) 
Michigan State University 
コミュニケーションの大切さ

日本へ行く前の私は、日本語の授業で日本語を話すチャンスがあってもあまり利用しなかった。すぐに英語を使っていた。去年東京の日本語学校に留学した。クラスメートで英語を話せる人が少なく、先生たちも英語が話せないので日本語を使わなけばならず、“間違っても正確でなくも言う”というモットーを作った。コミュニケーションが大切。間違いを恐れていたら、いつまでも上手に話せない。『外国語の勉強は文法や単語を覚えるのみならず、コミュニケーションも大切にすることだと思う』

JAMES RUTKOWSKI (1位) 
Eastern Michigan University 
カプセルホテル

  「宇宙船のカプセルみたいです!」とあるテレビ番組が言っていました。しかし、それは大きな嘘です。カプセルホテルは、宇宙船からほど遠いものでした。逆に、犬小屋みたいだと思いました。私は二回カプセルホテルに泊まりましたが、二度と泊まりたくありません。今日は、それがなぜかということについてお話したいと思います。

  カプセルホテルの特徴は安さのはずです。 お金があまりないので、私にとっては、料金は重要なポイントでした。料金は二千六百円。ビジネスホテルに比べると、カプセルホテルのほうが安いのですが、 ビジネスホテルの部屋は自分のトイレとシャワーがついています。私にとって、他の人と一緒にお風呂に入ることは考えられません。家族とでもいやです。だから、ビジネスホテルのトイレつき料金はカプセルホテルより「まだ、まし。」ということになります。

  カプセルホテルはまだまだ悪い点があります。まずは狭さです。私は旅行する時、いつもバックパックで移動します。バックパックに服、コンピューター、おみやげなどを入れると、大きくて、重くなります。ホテルにロッカーがあって、持っている物を入れられますが、私のバックパックは大き過ぎたので、 バックパックと一緒にカプセルの中で寝ました。

  もう一つの悪い点はテレビです。泊まり客はヘッドホンを使ったらいいのですが、ヘッドホンを使わなかったら、他のカプセルにテレビの音が漏れてしまいます。私の場合も例外ではなく、隣のおじさんは夜遅くまで、女性の怪しげな声のする番組をずっと見ていました。

  他には、上と下のカプセルがあって、下のカプセルはまだいいのですが、上のカプセルはちょっと背が高すぎて入りにくいです。私の下のカプセルの人は、はずかしげもなく、おならをブリブリとしていたのを今でも鮮明に覚えています。

  いうまでもなく、悪い点はまだまだあります。でも、色々な問題はそこで働いている従業員のせいではなくて、そこに泊まっているお客さんのマナーの悪さからくるものなのだと思います。

  わたしは、いつしか「迷惑なお客さんって、どんな人なんだろう?」と考え始めるようになりました。ある調査によると、終電を逃すと10%の人はホテルに泊まるそうです。カプセルホテルは予約せずに泊まれるので、便利なのでしょう。では、なぜ終電を逃すのでしょうか?インターネットで調べてみると、カプセルホテルに泊まった人のうち、「飲み過ぎた」「タクシーで帰るには遅すぎる」という理由が多かったです。だから、カプセルホテルに泊まる人が酔っている可能性はかなり高いのです。それに、珍しい場合ですが、カプセルホテルに住んでいる人もいます。

  また、普通は、カプセルホテルは男性客だけです。なぜかというと、カプセルは鍵がかけられないからです。最近、女性もカプセルホテルに泊まれますが、別のフロアになっています。

  さて、文句ばかり言っていると、カプセルホテルで働いている人達に失礼だと思いますので、良いことも少し述べたいと思います。カプセルホテルは、交通のアクセスがいい場所に建てられているため、例えば、地方から就活でやってくるお金のない学生にとっては、絶好の宿泊施設です。また、施設によっては、大浴場やサウナなどもついていて、ビジネスホテル顔負けの所もあるようです。私はそれには興味はありませんが、日本のサラリーマンにとっては、魅力なのだと思います。

  さて、私のカプセルホテルの経験はあまりよくないものでしたが、その経験について話すのは、どんなことよりも楽しいものです。ただ、納豆を食べるのと同じように、経験は一回で十分だと思います。 ですから、皆さんも、是非「一回だけ」お試し下さい。

  どうもご清聴ありがとうございました。

DEV SOMGHAL
Oakland University 
私が日本語を勉強したい理由

去年の秋、最初の日本語クラスを取った。難しかったが、難しいからこそ日本語を学ぶのが好き。漢字や文法は私には簡単。難しい部分は話すこと。挑戦することが好きなので、良い会話をした時、達成感を感じる。私の目的はいつか日本に行って日本人と話せるようになること。

College for Creative Studies Automotive Culture Immersion Workshop 2014日本の自動車企業数社の若手カーデザイナー対象に デトロイトの美術大学 CCSで夏期ワークショップ

<!--:en-->College for Creative Studies Automotive Culture Immersion Workshop 2014<!--:--><!--:ja-->日本の自動車企業数社の若手カーデザイナー対象に デトロイトの美術大学 CCSで夏期ワークショップ<!--:--> 1

College for Creative Studies(通称CCS)では、今年も“Automotive Cultural Immersion Workshop”が開講された。このワークショップは、日本の自動車企業の若手カーデザイナーを対象とした3週間の夏期特別強化特訓クラスで、CCS学舎に隣接する学生寮に滞在し、カーデザインの醍醐味を学ぶようにプランされた体験型ワークショップで、今年で4回目の開講となる。

参加者は、トヨタ自動車(株)、ヤマハ発動機(株)、(株)テクノアートリサーチ、スバル/富士重工業(株), 日野自動車、いすゞ自動車(株)、マツダ(株)、日産自動車(株)、アイシン精機(株)、(株)豊田自動織機, トヨタ車体(株)の11社からの13名に加えて中国のInterior Motivesの受賞者4名の合計17名の受講となった。

教鞭は、同大学のトランスポーテーション・デザイン学科の伊藤邦久教授とブライアン・ベイカー准教授がとった。

CCSは美術学校として創立100年以上の歴史がある中、トランスポーテーション・デザインに関しては、他のデザイン学校と比べるとかなり特化している。理由は土地柄、自動車産業の発展が大きく関与していることに他ならないが、車のデザインにおける徹底した教育理念とプロフェッショナルスキルの習得には業界からの定評がある。この“Automotive Cultural Immersion Workshop”は、日本の自動車企業から、若手デザイナーの特訓を依頼されたことがきっかけで、「CCS流の教育を自動車文化発祥の聖地にて学ぶ」という信条を基に考案されたもので、講義は教室内のクラスワークだけでなく、アメリカの自動車文化を体感するリサーチトリップがともにあることに大きな意味を占める。リサーチトリップとは、自動車が誕生したデトロイト界隈をはじめアメリカ中西部にある自動車に関する博物館やイベントに参加し、自動車のデザインの歴史、アメリカ人の車に対する思い、などを見て知って体験する野外活動で、リサーチトリップで習得したことは自分のデザインコンセプトに活かすことが課題付けられている。

訪れた箇所は以下の通り、ミシガン州をはじめ5州にわたり10カ所を超える。

今年の課題は「American Style Hot-Rod with Japanese Components for 2030」

(自分の会社の特性を込めた2030年のアメリカ流のホットロッド)で、自社の看板を背負ってのデザイン構築は、各社の好調な北米での販売を思えば、北米のマーケットを考えて車一台をデザインできる絶好の機会であった。リサーチトリップの感想は「アメリカの大型トラックやトレーラーは、想像以上に大きくてビックリした。実際に高速道路を走行しているのを間近にみてダイナミックさを体で感じた。」

「アメリカ人の車好きがここまで深く広いことに感心した。」 「空がどこまでも広がっていて、本当に広いなー、と実感した。」

「車のデザインに、実はこんなに飛行機の影響があったとことを知った。エアーショウとカーショウ両方を訪れて本当にそれが随所に発見できた。」など、見て知って体感した文化や歴史、人々の趣味趣向は、大きな感動や衝撃となったようで、各自が収めたカメラやビデオそしてスケッチブックの描写は膨大なものになった。

学舎に戻って、いわゆるCCS流の講義および実技指導(Design Methodology, Design Concepts, Ideation Sketching, Rendering, Packaging, Model Making)がほどこされた。伊藤教授いわく、「コンピューターに頼りすぎたデザインに日本の自動車会社からも嘆きを聞く昨今、小さなイラスト画のようなものを描いて、後はコンピューターの技術に任せて拡大、適当な傾斜を入れて、3Dまで出来上がってしまうのは効率的かもしれないが、それではきちんとした根拠有るデザインにはならない。やはりカーデザイナー足るや、自分で描いて自分で立体を理解してクリエイトするべき。」と、描くことや立体を表現することの大切さをデモンストレートしながら講じた。リサーチトリップで受けた刺激を持って自らのデザインに向き合うために、何十何百にのぼるアイディアスケッチを描き、随時Hands-onの指導がはいり、参加者たちの試行錯誤の作業が続く。極限に追い込まれた苦悩の末に出来上がるプロセスがあってこそ、自信のあるデザインは生み出されるようで、誰もが夜を徹して自分の作品に没頭した最後の一週間であった。

ファイナルプレゼンテーションは、地元の自動車関係者の招待客を前に英語でのプレゼンテーションが課せられた。はじめての英語のプレゼンとなった参加者がほとんどだったが、要所を得たポイントの掲げ方や英語の指導もリハーサルを通して行われた。プレゼンにこぎ着けた各々の立体モデルには、各社の会社のロゴマークがつけられて、課題どおり自社の特性をデザインに込めた思いの発表となった。

プレゼンテーションが終わると招待客も一同着席し、ワークショップ期間中の3週間のハイライトのビデオが披露された。これはワークショップ参加者から集められた9万枚に及ぶ写真をCCSのエンターテイメント学科3年生が編集制作したもので、授業風景、リサーチトリップ、寮での生活、自分のデザインと向き合う苦闘の様子、などが見てよくわかるストーリーになっていた。最後にはCCSの学長より修了証の授与があり、2014年度の”Automotive Cultural Immersion Workshop”は幕を閉じることになった。

参加者からは、「日本とは全く違うアメリカの文化、人々の考え方、車に対する思いを感じることができた。」「カーデザイナーとして大切なことを改めて考える機会となった」「これまで知らなかったテクニックを教えてもらって、これからの自分のデザインに活かすことができる。」「他の会社の同業者(カーデザイナー)と親しくなることは普通ではありえないこと。今回の3週間の共同生活で一生の友情が築けた。」と、それぞれのこの三週間は有意義なものになった様子が伺えた。

今後、ワークショップに参加した各社から素晴らしいデザインが生まれ、日本自動車企業のデザインの活力となってくれることを願いたい。

College for Creative Studies(通称CCS)では、今年も“Automotive Cultural Immersion Workshop”が開講された。このワークショップは、日本の自動車企業の若手カーデザイナーを対象とした3週間の夏期特別強化特訓クラスで、CCS学舎に隣接する学生寮に滞在し、カーデザインの醍醐味を学ぶようにプランされた体験型ワークショップで、今年で4回目の開講となる。

参加者は、トヨタ自動車(株)、ヤマハ発動機(株)、(株)テクノアートリサーチ、スバル/富士重工業(株), 日野自動車、いすゞ自動車(株)、マツダ(株)、日産自動車(株)、アイシン精機(株)、(株)豊田自動織機, トヨタ車体(株)の11社からの13名に加えて中国のInterior Motivesの受賞者4名の合計17名の受講となった。

教鞭は、同大学のトランスポーテーション・デザイン学科の伊藤邦久教授とブライアン・ベイカー准教授がとった。

CCSは美術学校として創立100年以上の歴史がある中、トランスポーテーション・デザインに関しては、他のデザイン学校と比べるとかなり特化している。理由は土地柄、自動車産業の発展が大きく関与していることに他ならないが、車のデザインにおける徹底した教育理念とプロフェッショナルスキルの習得には業界からの定評がある。この“Automotive Cultural Immersion Workshop”は、日本の自動車企業から、若手デザイナーの特訓を依頼されたことがきっかけで、「CCS流の教育を自動車文化発祥の聖地にて学ぶ」という信条を基に考案されたもので、講義は教室内のクラスワークだけでなく、アメリカの自動車文化を体感するリサーチトリップがともにあることに大きな意味を占める。リサーチトリップとは、自動車が誕生したデトロイト界隈をはじめアメリカ中西部にある自動車に関する博物館やイベントに参加し、自動車のデザインの歴史、アメリカ人の車に対する思い、などを見て知って体験する野外活動で、リサーチトリップで習得したことは自分のデザインコンセプトに活かすことが課題付けられている。

訪れた箇所は以下の通り、ミシガン州をはじめ5州にわたり10カ所を超える。

今年の課題は「American Style Hot-Rod with Japanese Components for 2030」

(自分の会社の特性を込めた2030年のアメリカ流のホットロッド)で、自社の看板を背負ってのデザイン構築は、各社の好調な北米での販売を思えば、北米のマーケットを考えて車一台をデザインできる絶好の機会であった。リサーチトリップの感想は「アメリカの大型トラックやトレーラーは、想像以上に大きくてビックリした。実際に高速道路を走行しているのを間近にみてダイナミックさを体で感じた。」

「アメリカ人の車好きがここまで深く広いことに感心した。」 「空がどこまでも広がっていて、本当に広いなー、と実感した。」

「車のデザインに、実はこんなに飛行機の影響があったとことを知った。エアーショウとカーショウ両方を訪れて本当にそれが随所に発見できた。」など、見て知って体感した文化や歴史、人々の趣味趣向は、大きな感動や衝撃となったようで、各自が収めたカメラやビデオそしてスケッチブックの描写は膨大なものになった。

学舎に戻って、いわゆるCCS流の講義および実技指導(Design Methodology, Design Concepts, Ideation Sketching, Rendering, Packaging, Model Making)がほどこされた。伊藤教授いわく、「コンピューターに頼りすぎたデザインに日本の自動車会社からも嘆きを聞く昨今、小さなイラスト画のようなものを描いて、後はコンピューターの技術に任せて拡大、適当な傾斜を入れて、3Dまで出来上がってしまうのは効率的かもしれないが、それではきちんとした根拠有るデザインにはならない。やはりカーデザイナー足るや、自分で描いて自分で立体を理解してクリエイトするべき。」と、描くことや立体を表現することの大切さをデモンストレートしながら講じた。リサーチトリップで受けた刺激を持って自らのデザインに向き合うために、何十何百にのぼるアイディアスケッチを描き、随時Hands-onの指導がはいり、参加者たちの試行錯誤の作業が続く。極限に追い込まれた苦悩の末に出来上がるプロセスがあってこそ、自信のあるデザインは生み出されるようで、誰もが夜を徹して自分の作品に没頭した最後の一週間であった。

ファイナルプレゼンテーションは、地元の自動車関係者の招待客を前に英語でのプレゼンテーションが課せられた。はじめての英語のプレゼンとなった参加者がほとんどだったが、要所を得たポイントの掲げ方や英語の指導もリハーサルを通して行われた。プレゼンにこぎ着けた各々の立体モデルには、各社の会社のロゴマークがつけられて、課題どおり自社の特性をデザインに込めた思いの発表となった。

プレゼンテーションが終わると招待客も一同着席し、ワークショップ期間中の3週間のハイライトのビデオが披露された。これはワークショップ参加者から集められた9万枚に及ぶ写真をCCSのエンターテイメント学科3年生が編集制作したもので、授業風景、リサーチトリップ、寮での生活、自分のデザインと向き合う苦闘の様子、などが見てよくわかるストーリーになっていた。最後にはCCSの学長より修了証の授与があり、2014年度の”Automotive Cultural Immersion Workshop”は幕を閉じることになった。

参加者からは、「日本とは全く違うアメリカの文化、人々の考え方、車に対する思いを感じることができた。」「カーデザイナーとして大切なことを改めて考える機会となった」「これまで知らなかったテクニックを教えてもらって、これからの自分のデザインに活かすことができる。」「他の会社の同業者(カーデザイナー)と親しくなることは普通ではありえないこと。今回の3週間の共同生活で一生の友情が築けた。」と、それぞれのこの三週間は有意義なものになった様子が伺えた。

今後、ワークショップに参加した各社から素晴らしいデザインが生まれ、日本自動車企業のデザインの活力となってくれることを願いたい。

December 5th: JSD Women’s Club Chrismas Party12月5日:JSDウィメンズクラブ クリスマスパーティー

<!--:en-->December 5th: JSD Women's Club Chrismas Party<!--:--><!--:ja-->12月5日:JSDウィメンズクラブ クリスマスパーティー<!--:-->

日時:2012年12月5日(水)11:00AM〜2:30PM

場所:Suburban Collection Showplace
46100 Grand River Avenue, Novi, MI 48374

マジックショー、お楽しみ出し物、抽選会などなど、日々の慌しさ忘れて至福のひと時をご一緒しませんか!

会費:ウィメンズクラブ会員35㌦、非会員50㌦

募集人数:60名(受付先着順にて締め切らせていただきます。)
※ベビーシッター(無料):定員20名 ウイメンズクラブ会員のお子様を優先とさせて頂きます。

締め切り:11月15日(木)必着

申し込み:申込書に必要事項をご記入の上、参加費のチェックを添えてご郵送ください。
※ウィメンズクラブへ入会希望の方は、入会費と参加費は別々のチェックを切ってください。

チェック支払先:JSD Women’s Club

郵送先:JSD Women’s Club/Attn: Program
3000 Town Center, Suite 606, Southfield, MI 48075

申込書ダウンロード ウィメンズクラブ HP:www.jsdwomensclub.org

お問い合わせ:jsdwomensclub@hotmail.com

日時:2012年12月5日(水)11:00AM〜2:30PM

場所:Suburban Collection Showplace
46100 Grand River Avenue, Novi, MI 48374

マジックショー、お楽しみ出し物、抽選会などなど、日々の慌しさ忘れて至福のひと時をご一緒しませんか!

会費:ウィメンズクラブ会員35㌦、非会員50㌦

募集人数:60名(受付先着順にて締め切らせていただきます。)
※ベビーシッター(無料):定員20名 ウイメンズクラブ会員のお子様を優先とさせて頂きます。

締め切り:11月15日(木)必着

申し込み:申込書に必要事項をご記入の上、参加費のチェックを添えてご郵送ください。
※ウィメンズクラブへ入会希望の方は、入会費と参加費は別々のチェックを切ってください。

チェック支払先:JSD Women’s Club

郵送先:JSD Women’s Club/Attn: Program
3000 Town Center, Suite 606, Southfield, MI 48075

申込書ダウンロード ウィメンズクラブ HP:www.jsdwomensclub.org

お問い合わせ:jsdwomensclub@hotmail.com

はばたけ、りんご会補習校 卒園・卒業生! 今年は 対面&オンライン両形式で挙行

2021年3月20日(日)デトロイトりんご会補習授業校で午前中は幼稚園部の卒園式と、午後は第48回卒業証書授与式が今年はオンライン・対面の両形式にて、ノバイメドウズ小学校の体育館にて挙行された。

 昨年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により急遽中止となった同式だが、家から安全に式に参加する生徒と、当日マスクをして距離を保ちながら参加する生徒とその保護者(一名のみ入館可)と、学校運営側も細心の注意を払い準備をすすめ、午前は幼稚園、午後は小中高学年の卒園・卒業式がかたちとなった。

 今年度行われたすべての授業がオンラインとなった生徒たちは、最初で最後のクラスメイトとの対面となった。現時点では、次年度は5月より対面とオンラインのハイブリッド形式の授業が始まる予定となっているが、皆が顔を合わせて賑やかな学校生活が戻る日が来ることを願うばかり。

 当日は卒業生一人ひとりの名前が読み上げられると、対面・オンラインにかかわらず皆大きな声で返事をし、対面参加をした生徒たちは卒業証書を恭しく受け取る姿に教師、保護者たちは成長を感じたことだろう。

 この日、早期日本帰国された井口豪校長は、日本からオンラインで臨席。小中高校生の卒業式では、「コロナ禍で各自が成長できたプラスの面を振り返ることも重要」と話し、未来へ羽ばたく71名に「あなたにはいつまでも忘れられない景色は残っていますか?」と問いかけた。浮かんだ景色にはその画だけでなく、空気感も思い浮かぶのではないか。ある学校ではバーチャルリアリティで京都の寺を回ったと聞いたが、境内に満ちる線香の香りは感じられない。コロナが収束した暁には、五感を使った本物に触れる機会も忘れないでほしい、と話した。

 続いて、来賓として在デトロイト日本国総領事館中川勉総領事がスクリーン越しに祝辞を述べた。コロナ禍で培った予期せぬ事態への対応力をもった卒業生へ、「どんな困難な状況下もでも、支えてくれる方に感謝し、失敗を恐れずチャレンジを。日々学ぶ姿勢を大切に」と温かなメッセージを送った。

 その後、デトロイトりんご会水野浩介理事長は、挨拶で「着眼大局 着手小局。夢は大きく持ち、その実現に向けできることから始めよう。一歩を踏み出そう。そして、『ありがとう』の気持ちを忘れないこと」と語りかけた。補習授業運営委員長、デトロイトりんご会父母会執行部長も臨席し、また参加が叶わなかった教師からもお祝いのことばが読み上げられた。高校生との運動会やキャンプで語りあった思い出を紹介し「清く、正しく、しかも豪快に、それぞれの夢のひとつひとつを両手でつかみとって」とエールを送った。

 最後は、卒業生代表として、幼稚園部から高等部3年までの13年間同校に通い続けた三浦大和さんのスピーチだが、残念なことに、当日現地校のクラスからコロナ感染者が出たことにより出席が叶わなかったが、ビデオメッセージで会場に素晴らしいスピーチを披露した。「現地校との両立に、何度断念しようと思ったか」「どうして二つの学校に通う必要があるのか」と考えたことも。しかし、出した答えは「僕が僕であるために」。アメリカ人であり、日本人でもあるというアイデンティティの形成に、どちらも必要な場であった。この一年、人と人とのつながりの大切さ、また、運動会、キャンプ、ミニ文化祭など「当たり前」は当たり前でなく全てが貴重な時間だったことに気づいたと話す。補習校はかけがえのない場所のひとつだったと述べ、これまで指導を受けた先生や関係者、両親に感謝の言葉を述べた。

 卒業生は友達と過ごした楽しい思い出を胸に、それぞれ次のステージへの階段をのぼる。