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挑む~NASCARドライバー

今回のNASCARフェニックス戦に行くにあたって、「何か持っていくものあります?」に対する、日本人唯一の現役NASCARドライバー尾形明紀選手からの返信。
ミジェットカー参戦3年目の2002年、初めてのスポンサーとなってくれた会社から「翌年も」とオファー。そこで「来年はアメリカに行ってNASCARに乗りたい」と切り出すと、承諾してもらえた。
2014年11月。尾形の姿はアリゾナ州フェニックスにあった。NASCARのトップカテゴリーであるNational シリーズのひとつ、Camping World Truck Seriesに出場するためだ。NASCARから認められ昇格、このフェニックスでデビューとなったのだ。元F1ドライバーなど世界屈指のドライバーも戦っていたシリーズである。尾形はついにここまで来た。
初日、朝からフェニックス・インターナショナル・レースウェイに入ると、すでに今回共に戦うWin-Tron Racing のメンバーが整備を進めていた。尾形選手の新しいクルマ「ENEOSトヨタ・タンドラ」のサスペンションのセッティングを入念に繰り返している。
勝利。ツインリンクもてぎで開催されるミジェットカーレースの表彰台に尾形の姿があった。NASCARとの出会いから12年が経っていた。
NASCAR---日本ではなじみの薄いこのモータースポーツは、北米のTV視聴率ではNFLアメリカンフットボールに次ぐ人気を誇る。日本で人気のメジャーリーグやバスケットボールをも凌駕するほどポピュラーな自動車レースである。規格を厳密に管理されたストックカーを使い、イコールコンディションで争われる。750馬力をしぼりだす5,700ccのエンジンを積んだ1.5トンの車43台が時速200マイルオーバーで駆け抜ける迫力は、観る者を圧倒、魅了する。
2010年夏に渡米した尾形の生活は、とにかく 苦難の連続。生活習慣、文化の違い、法律上の手続きなど不慣れなことばかり。加えて安定した収入も無く、その日々は過酷を極めた。
2010年8月、以前から借りていたノース・カロライナの事務所に到着。ここを拠点に新たな挑戦を始めようとしていた。「日本人カーレーサーがNASCARの本場アメリカに活動拠点を移す」というと華やかなイメージがあるが、日本での資金調達に限界を感じてアメリカに来た尾形が用意できた資金の額は想像に難くない。アパートを借りるお金など持っていないので、窓も無い狭い事務所に寝泊りする生活がアメリカ進出のスタートとなったが、勿論これは覚悟の上であった。そんな尾形がまず始めるのは「尾形明紀という人間が、アメリカにNASCARのレースをしにきた、ということを“知って”もらうこと」。スポンサー探し以前に、尾形はとにかく”人”伝えに”人”と会っていった。
ミシガンに慣れた体には厳しい36℃の中、ダラスのテキサス・モーター・スピードウェイに到着。以前、当地の日本まつりやりんご会補習授業校に来てくれた、日本人唯一のNASCARナショナルシリーズドライバー尾形明紀選手が、NASCAR Xfinityシリーズにトヨタ・スープラで参戦するのだ。初のミシガン戦になった8月のレースに応援に行きたかったが、今回のダラスとなってしまった。ミシガン戦でも今回と同じスープラでの参戦だったが残念ながら予選落ち。Xfinityシリーズは厳しい......