心臓病治療の最前線:蚊除けダニ除け対策は十分ですか?
ミシガンにも本格的な夏がやってきて、野外で過ごすことも多くなってきました。その時に気になるのが、蚊やダニなどの害虫に刺されることです。
心臓病治療の最前線: 日本の歴史を振り返る〜幕末、明治、大正の女性たち〜楠本 稲
楠本稲(失本稲、シーボルト・イネ) は1827年、31歳のドイツ人、フィリッ プ・フランツ・フォン・シーボルトと、日本人の20歳の娘楠本滝(くすもとたき)の間に長崎出島で生まれました。
心臓病治療の最前線:マスクについての考察
この原稿を書いている9月の終わりには、もう夏はとうの昔に過ぎ去り、朝夕は肌寒くさえ感じられる今日この頃です。今年は、“実り年”なのか、家の前の大きな樫の木から、たくさんのドングリが霰のように朝夕降り注いで、一日中コツコツ、パチパチと賑やかな音を立てています。
心臓病治療の最前線:コロナワクチンの接種をまだ迷っている人たちへ
2019年の年末ごろ中国武漢に発生した新型コロナウイルスは、今や、日本や米国を含めて世界中に広がり、2020年の7月に世界的大流行という宣言が、世界保健機構より出されて以来、もう1年以上経ちますが、いまだに先行きの不透明感が必ずしも払拭されていないのが残念ながら現状のようです。
心臓病治療の最前線: 第169回 Flu ショット 及び COVID ショットについて
秋の紅葉がきれいな季節となりましたが、この原稿が皆様のお手元に届くのは、もう紅葉も終わっている頃かもしれません。それと共に朝晩の冷え込みも厳しくなってきており、もうすぐ来る冬の訪れを感じさせるようになりました。
心臓病治療の最前線:新たな目標 55 mg/dlまで 悪玉コレステロールを下げるには?
第二次大戦後すぐにアメリカで行われた、大規模な疫学調査フラミンガム研究の結果、血液中の高コレステロール値が、心筋梗塞や狭心症などの虚血性心疾患の発生と強く相関していることがわかりました。このコレステロールは、さらに細かく分けると、善玉コレステロール、悪玉コレステロール、総コレステロールなどに分けられることがわかりました。
心臓病治療の最前線:菅総理、ご苦労様でした。
9月3日、日本の菅総理は、今回の自民党総裁選挙に立候補しないという声明を発表され、事実上の退陣を宣言されました。コロナワクチンの積極的な導入と普及を始め、数々の良い施策を次々に実行し、成功されたのにも関わらず、地味な人柄からか、国民からあまり高く評価されなかったことは大変残念で、これからまだまだやり残したことが多くありそうですが、次の首相へバトンタッチされることとなりそうです。
心臓病治療の最前線:高脂血症仮説と動脈硬化症
(JNC 2020年7月号掲載)新型コロナウイルスの感染は、一部の国や地域では落ち着きを見せはじめているものの、全世界的にみれば、まだまだ猖獗(しょうけつ)を極めているというのが現状のようですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
心臓病治療の最前線: 日本の歴史を振り返る〜江戸から昭和時代の日本人たち〜伊能 忠敬
江戸時代に、歩測と天体観測で子午線1度の距離 を求め、正確な日本沿岸地図を作った伊能忠敬。
伊能忠敬(いのうただたか)は、江戸時代中期の 1745年、上総国(現在の千葉県山武郡)佐原村の名 主の家に小関三治郎として生まれました。6歳の時に母 を亡くし、小関家は叔父が継ぐことになったため、婿 養子であった父神保貞恒(じんぽさだつね)は家を出、 三治郎は小関家の祖父母のもとに残りました。
心臓病治療の最前線:マスクについて その2
(JNC 2020年12月号掲載) ジャパンニュースクラブ10月号の本稿にて、マスクについての病院の在庫の点からお話をしましたが、今日は、マスクの効用についてお話をします。
心臓病治療の最前線:最近の話題
最近お世話した患者さんの話をします。プライバシー保護のため、細部は少し変えてあります。
症例1:
70数歳の男性。18年ぐらい前、他州で心臓バイパス手術をおこなったが、その後、別の州に引っ越し、最近ミシガン州にやってきた。
心臓病治療の最前線:新型コロナウイルス感染症について
中国武漢市に2019年12月に発生した新型コロナウイルスは中国全土に広がり、この原稿を書いている2月16日の段階で、中国政府発表によると中国国内で確認された感染者数は6万8千500人、中国の外でも、691人(このうち、横浜港で停泊中のダイヤモンドプリンス号の患者356人)これ以外の日本で53人、米国内で15人(カリフォルニア州8人、イリノイ州2人、ワシントン州、ウィスコンシン州、アリゾナ州、テキサス州、マサチューセッツ州各1人ずつ。
心臓病治療の最前線:日本の歴史を振り返る〜江戸から昭和時代の日本人たち〜田川 松
17世紀の初頭、日本では徳川家康が、江戸に徳川幕府を打ち立てた頃、大陸でも大きな変化が起ころうとしていました。この大激動の時代に台湾の英雄国姓爺(こくせんや)を産み、育てた日本人のことはあまり知られていません。