喧喧諤諤 ケンケンガクガク
喧喧諤諤

師走に入り今年も残すところひと月を切りました。先月末のサンクスギビング週末が 過ぎて、街角や店舗の賑やかな飾り付け、イルミネーションがあちこちに見受けられ、ク リスマスソングが流れて一気にホリデー気分が増している読者の方も多いと思います。

本紙新春1月号に今年年男の私の年頭所感として、「欲張らずに一つでも二つでも何 かお役に立てれば」と書きましたが、欲張らなかったせいか現時点まで大した事はや れていません。強いて言えば、スケールは小さいですが二つありました。一つは、7月に 知人の紹介で依頼された日系企業米国事務所の至急求人案件で、クライアントの希 望要件、給与・待遇条件ではマッチングする候補者探し、紹介はかなり難度が高いと 予想し当初はやはり苦戦していましたが、運良く以前から面識のあった方に8月初旬に 連絡を取ったところ、その時点で定職のないご自分の状況からピーク時の給与待遇よ り低くても構わないので紹介して欲しいとのことで、推薦文に気を遣いながら早速クラ イアントにご紹介したところ、盆休み前の1次及び2次(最終)WEB面接後に採用内 定、休み明け直後に正式オファーレター合意とトントン拍子に話が進み、9月のLabor Day明けから正式勤務開始となってクライアントに大変喜ばれ感謝されたこと。

もう一つは、夏の間アウトドアでの週末テニスでなかなか決まった時間にプレー できず運動不足で欲求不満が溜まっていましたが、ちょっと時間が空いた時にフラッ と自宅近くのハイスクールのコートに出掛け、サーブと壁打ちでも体を動かせればOK と思っていたのですが、たまたまやはり一人でサーブ練習している人が居たり、親子連 れ3人が練習していて小さな弟が相手をしてもらえず手持ち無沙汰で退屈して居たり で、面識はなかったものの声がけしたところ一緒にプレーしようということになり、良い 運動になったと同時に相手にも感謝されことです。他人のためと言うより自分のためで したが、結果的に相手にも喜ばれ「終わり良ければ全て良し。」でした。

前書きはこのくらいにして本題に移ります。 今回の本題は「2022年(令和4年)寅年の終わりに」です。

ホリデーシーズンに向かって日本も米国も国内問題を抱えながら、国際的な問題に も同時に対応していかなければならない難しい状況が続いています。今年の総括、締 めくくりにはまだ数週間あり、またいつ、どこで予想外の事態が起こるかもしれません が、現時点で気になることを書き留めてみます。

先ず、初めに私事で恐縮ですが、10月末に東京の姉が亡くなりました。

私の唯一の実姉で年が11離れており高齢ではありましたが、ごくたまにしか会えな くてもいつも明るく元気で私より長生きすると思っていたので、突然の訃報に大変驚 き、直ぐには信じられませんでした。内輪だけの葬儀も済んだ11月6日に姪の一人か ら連絡をもらいましたが、故人の強い希望で持病があったこと、6年近く前に入院治療 していたことも兄弟、姉妹にも伏せていたため、日本在住の親戚一同も姉の家族以外 は誰も知らず同様に驚いていました。甥(姉の実の息子)にお悔やみメールを送ったと ころ返事が来て、内緒にしていた詫びと共に姉の最後の様子を書いてきましたが、8月 下旬から体調が悪化して入院し、緩和療法をしていたようですが、(恐らく死期が近い ことを自覚した)姉が希望して9月21日から自宅療養に切り替えたそうです。亡くなっ たその日も姉と会って言葉を交わした後一旦帰宅した1時間後に義兄(甥の父親)から 連絡があり直ぐに駆けつけた時には既に息を引き取っていて彼も信じられなかったそ うです。その最後の日まで姉は自分で食事を摂り、自分の足で歩いて時間をかけても 用足しに行き決して人に迷惑をかけないようにしていたと聞いて涙が止まりませんでし た。甥も「本当に強い人でした。」と書いていました。(合掌)

本紙5月・6月号で寄稿しましたように長年公衆浴場を営んでいた東京の生家が閉 業するにあたって、4月初めに急遽一時帰国した際にも久しぶりに兄弟・姉妹が一堂に 会して食事と談話を楽しんだ時も病気持ちとは微塵も感じさせない立ち振る舞いでしたので、余計に信じられませんでした。今思い返すと私たちに心配をかけないように、 折角の再会の楽しい場の雰囲気を壊さぬようにとの姉の優しい気遣いだったと思いま す。まさかそれが最後の面会になるとは思いもしませんでしたが、今更ながら理由はとも かく急遽一時帰国して皆と一緒に姉にも会っておいて本当に良かったと思います。

私の直ぐ上の兄と私は父が第二次世界大戦時の東南アジア出兵でフィリピン戦線か ら復員した後に生まれたため長兄とは14、姉とは11も年が離れていましたし、男女 の性差もあって小さい時から一緒に遊んだ記憶はないのですが、私が小学生の頃に は既に女高生で江戸川と荒川放水路という南北に並行して流れる2本の川を跨ぐ小松 川大橋・小橋の連続する橋を毎日歩いて渡り、いわゆる川向こうの高校に通っていまし た。橋は川面からの高さが数十メートルあり、雨の日や風が強い日は大変だったと思い ますが、1日も休んだことはなかったようです。高校では学業のかたわら女子に人気の バレーボールをクラブ活動として選び、私は一度もプレーする姿を見る機会がなかった のですが、体は小さいのにいつも元気一杯で我々兄弟は『豆タンク』とアダ名していま した。家に帰るといつの間にか宿題を済ませて、家業に忙しい母をサポートして台所や 掃除、洗濯、買い物など家事を手伝っていた記憶があります。

食べ物も好き嫌いなく何でも食べ極めて健康で、当時好き嫌いの激しかった私が 手付かずで残したおかずを「もったいない」ときれいに平げて(食べ切って)いました。 それでも太らなかったのは、それ以上に良く動いていたからだと思います。私が大学卒 業後建て直しする前の古い風呂屋では急な階段下の薄暗い狭いスペースに丸い小さな ちゃぶ台を置いて姉と次兄の3人で朝ごはんを食べてから学校へ出掛けたことも思い 出しました。高校卒業後は進学せず、料理や家事を手伝いながら生花を習ったり、当 時は一般的だった花嫁修行をしたりしていましたが、私が中学生の時に伯父が経営し ていた米屋の正月用餅つきの親戚総出の手伝いが縁で知り合った今の義兄に嫁いで いきました。今は姉に先立たれて独りぼっちになったその義兄のことが気がかりです。 幸い近くに住む甥(義兄の息子)が同じ心配をして電話をしたり、訪ねて様子を見てい るようなので安心しています。

「結婚した息子は自分の実家よりも大事にされる嫁の実家に行くが、娘は自分の 実家に帰ってくる」と言われますが、姉も嫁いだ後の私が居た頃も就職して名古屋に 引っ越した後も実家の母のことをいつも気にかけて電話をかけてきたり、特に用事 がなくても立ち寄って一緒に買い物に出かけたり愚痴を聞いたりして親孝行していた ようです。

今こうして思い出すと本当にいつも明るく元気で誰にでも礼儀正しく分け隔てなく接 し、人の話を聞くのも自分が話すのも上手でした。常に前向きで愚痴も他人の悪口も 言うのも聞いたことがありません。私にとっては躾や食事の世話を含めて姉と言うより パートタイムの母親代わりの面もありました。家族の中で一番甘えん坊だった末っ子 の私は父が来客から頂いた珍しいお菓子やフルーツなどのお土産を一旦仏前にお供 えしたお下がりを姉・兄弟で均等に分けると自分の分をサッサと食べて人の分まで欲 しいとわがままを言うと「ダメ、ダメ、それはダメだよ。」としっかり釘を刺され、「兄弟 (姉妹)は他人の始まり」ではないですが、子ども時代に家庭や社会のルール、秩序、 常識、公平と平等、人間関係の初歩を教えてもらえたお陰で、トランプのようにはなら ずに済んだのかもしれません。そうかと言って決して冷たい訳ではなく、家族思い、兄 弟思いの人でお互いに家族持ちになってからもたまに東京で会うと一緒に墓参りした り、歓迎してくれて楽しい食事と談話で毎回元気をもらって帰途についたものでした。

年齢は11も離れていましたが、誕生日は私が2月19日、姉が2月20日と1日違い でしたので、自分の誕生日が近づいて来ると姉のことを思い出し、「今頃どうしている かな?」と思ったものです。姉も全く同じ思いをしていたようです。姉夫婦はインターネッ トやEメールとは無縁の世界で暮らしており、自宅には迷惑電話や押し売り、ゴリ押し セールスを嫌ってボイスメール付きの電話がなく、発信者の番号表示も出ないので外 出中はもちろん、自宅に居ても電話に出ないことがあり、留守電メッセージも残せな かったため、名古屋で暮らしていた当時も米国駐在・出向、延長・継続居住となった後 もほとんど連絡が取れず、東京で春秋のお彼岸やお盆と正月に兄弟・姉妹が集まった 際に電話口で少し話す程度でしたが、今思うともっと会いたかった、話をしたかったと 残念でなりません。今はただ「天国で他人のことを気にせず、自分の好きなことだけし てゆっくりしてください」と祈るばかりです。(再び合掌)  読者の皆さんの中にも日本からの駐在・出向者や帯同家族の方が多いと思います。 昔も今も日本に残してきた年老いていく親の面倒見と米国に帯同したお子さんの教 育・将来に関して共通の悩みをお持ちと思いますが、今回姉の突然の訃報に際し改 めて思ったことは、「家族や身内、ご縁のある大事な人たちを大切に」と言うことです。 「時間ができたら」とか「休みが取れれば」ではなく、思い立ったら直接会えなくても 電話をするなり、メールをするなり、ビデオチャット、WEB面談でもいいので直ぐにする ことです。時間は自分で作り、休みは自分で取るものです。タラ、レバの時間や休みは 待っていてはいつまでも手に入りません。あの時に会っておけば良かった、電話してお けば良かった、などと後悔しないようになさってください。「無くして気付く大切な人、 大切な物」とならないように自戒を込めて私からのお願いです。「やって良かった」と必 ず思うはずです。

以上、姉のことを書かずにはおれず、長々となってしまいました。この他にも記事にす るつもりで米国中間選挙の結果、今後の政局予想、上院での同性婚・異人種間婚保 護法案可決通過、下院での鉄道スト回避法案の可決通過、1/6議会乱入事件調査委 員会がトランプの直近6年分の連邦税個人所得申告書を正式入手と事件に関与した オース・キーパーズの創設者他に対する扇動的陰謀容疑者有罪判決、ハワイ休火山の 噴火、イーロン・マスクによる買収後のTwitter社のドタバタ、ウクライナ近況、北朝鮮連 続ミサイル発射、中国全土でコロナ規制、都市封鎖に対する抗議デモ、大学フットボー ルミシガン大対オハイオ州立大戦とプレーオフ展望、FIFAワールドカップなどネタ探 し、情報収集・確認はしていたのですが、ニュースを見たり、ネット検索したりしながら ふっと姉の思い出や種々の思いが湧き出すと集中できず、申し訳ありませんが今回は見 送ることにしました。文脈や表現のおかしな所にお気づきの場合を含めて、悪しからず ご理解とご容赦をお願い申し上げます。

末尾になりますが、喪中につき年末年始のご挨拶を差し控えさせていただきます。

皆様には健康で安全な良い新年をお迎えください。

 

執筆者紹介:小久保陽三

Premia Partners, LLC (プレミア・パートナーズ・エルエルシー) パートナー。主に北米進出の日系企業向け経営・人事関連コンサルタント業務に従事。慶応義塾大学経済学部卒。愛知県の自動車関連部品・工業用品メーカーに入社後、化成品営業、社長室、総合開発室、米国ニューヨークの子会社、経営企画室、製品開発部、海外事業室、デトロイトの北米事業統括会社、中西部の合弁会社、WIN Advisory Group, Inc.勤務を経て現在に至る。外国企業との合弁契約、技術導入・援助契約、海外現地法人設立・立ち上げ・運営、人事問題取扱い経験豊富。06年7月より本紙に寄稿中。JBSD個人会員。

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