紅葉のピークが過ぎ、フェアウェイやグリーンの落ち葉をよけながらゴルフする季節になりました。「ひと月1作品」、今月は2016年に発表された映画”TheFounders”をご紹介します。アメリカ初の女子プロスポーツ組織LPGA(LadiesProfessionalGolfAssociation)の設立時に、プロ登録した13人の創設者たち(ファウンダーズ)のドキュメンタリー映画です。
1940年代、アメリカでも女性は家のことをするのが普通だった時代ですが、世界大戦が始まると戦地に向かう男性に代わって、女性が工場やガソリンスタンドなど外の仕事に就きました。広報官やパイロットとして軍に従事する女性もいました。第二次大戦が終わって戦地から戻って来た男性たちは元の仕事に戻ったため、活躍していた女性の多くが仕事を失いました。アスレチックな女性たちは「家にいるのは嫌だ。教師や秘書ではなく、別のことを仕事にしたい」と考えるようになりました。戦後まもなくの1948年、LPGAの前身であるWPGA(Women’sProfessionalGolfAssociation)が設立されましたが、わずか3年で消滅してしまいました。選手が集まらない、女性アスリートは受け入れられない、スポンサーが見つからない、などが理由だったようです。
ゴルフをしたいけどゴルフで食べられない…窮地に陥った女子ゴルフ業界に、救世主のカリスマスター、ベイブ・ディドリクソン(BabeDidrikson)が現れました。ベイブはテキサス出身のノルウェー系アメリカ人で、小さい頃から洋裁、ハーモニカ、スポーツ、あらゆることに長けた子供でした。ベイブはニックネームですが、小学校時代に野球の試合で5本ホームランを打ったのでベイブ・ルースから取ったそうです。1932年22歳の時にロサンジェルスオリピックに出場し、50mハードルと槍投げで金メダル、高跳びで銀メダルを取りました。現代に至るまで、走跳投の3種でメダルを取った選手は男女合わせても彼女だけだと言われます。オリンピックの後はバスケットボールのオールアメリカンチームに選ばれたり、ポケットビリヤードの試合に出たりしましたが、25歳からゴルフを始めました。28歳でPGA主催のロサンジェルス・オープンに参加、女性がPGAの試合に出場したのはこれが初めてでした。35歳の時にはPGAの3試合のうち2つで予選を通過。2000年初頭にバブリーな気運があり、アニカ・ソレンスタムやミシェル・ウィがPGAに招待され参加したことがありますが、ベイブ以外に男子ツアーで予選を通過できた女子選手はいません。そして1950年、ベイブが39歳の時にLPGAが発足しました。密かにスポンサーにアピアランスマネー(参加報償)を要求し懐に入れていた、自分が勝つように他の選手に圧力をかけた、など陰の側面もありましたが、明るくて面白いキャラクターのベイブの人気が創設時のLPGAツアーを牽引したことは間違いありません。1950-1951年の賞金女王と最多勝利はベイブでした。しかし程なくして大腸ガンが見つかり、ベイブは42歳で生涯を閉じることになりました。1950年にわずか13人、6試合から始まったLPGAツアーは、今や460人、35試合が行われる大組織になりました。
映画の制作には、オーストラリアのキャリー・ウェブ(1999-2000年の賞金女王と最多勝利)とアメリカのステイシー・ルイス(2010年の賞金女王と最多勝利)が資金支援をしています。2011年からはFoundersCupがツアーに加わりました。70年以上前ですが13人のスイングは力強くしなやかです。伸びないコットンのブラウスとタイトスカートであんなに綺麗にスイングできるのはすごいことだと思います。ぜひ映画でご覧ください。
(参照:”TheFounders”©︎2016Level33Entertainment)
<プロフィール> 東京都出身、慶応大学法学部卒。駐在員の妻としてミシガン滞在中にゴルフを始め、ゴルフ好きが高じて2009年にPGAメンバーとなる。「もっと遠くの、狙った場所へ」をモットーに、Links of Noviでレッスンを行なっている。
(sonya_nomura@pga.com / www.crazygolfersworld.com)