名古屋市の東山動物園で、この令和4年の6月26日にアジアゾウの赤ちゃんが誕生したとの明るいニュースに心がときめきました。体重130キロ、体長130センチ。両親は2007年にスリランカから来園したカップルで、2013年には長女の「さくら」ちゃんが生まれているそうです。スリランカ。はるばる異国からどんな運命を経てどんな気持ちで、どんな面持ちで日本の土を踏んだのか。不安だったでしょう、心細かったでしょう。平均気温ひとつとりましても母国のものとは違う環境にいきなり置かれ、未知の天地で二頭励まし合

いながら生きて来ること15年。また新たに家族が増えたのね、と思いを巡らせますと、ひとりじゃなくって良かったね、がんばったね。

お誕生心からおめでとう、と言葉をかけ労ってあげたい気持ちで胸いっぱいになりました。

 暦の上で正式な夏が始まる週、私は久しぶりに大西洋沿岸を訪れる機会に恵まれました。大切な用事があったのですが、それにも勝りミシガンとは気候の異なるところの植物たちにじかに触れることのできる希少なチャンスと心躍らせました。飛行機を降りた瞬間から肌を包む湿気。強い太陽の光の下で伸び伸び育った高齢の大木の、枝葉の数々から所狭しとぶら下がり潮風になびくスパニッシュ・モス。ああ、さすが南部。アメリカは本当に広くて大きい。ミシガンではまずお目にかかれない天然の色鮮やかで大ぶりな花々。木々の緑の、何層にもわたる豊かで奥深い色彩。副交感神経が刺激され心身が温かくほぐされてゆきました。瞼に浮かぶのはプランテーションの御屋敷の大きなフロントポーチで揺り椅子に腰かけ寛ぐお帽子を被った貴婦人。ゆったりとした優しい南部なまりの英語で礼儀正しく語りかけてくださる穏やかな心休まる光景。それは、出勤時間や雑事に秒刻みに追い立てられ目を回しながら車を運転し、携帯電話やソーシャルメディアに刻々翻弄される己の日常とは別世界の安らぎ。人間が人間らしく自分の持ち場で集中し一途に頑張ることのできた「古き良き時代」へご褒美とし

てタイムスリップできたような。脳へ酸素を充分行き渡らせしばしの骨休めを致しました。昔、良家の御令嬢や御婦人が足首を見せることはみだらでだらしがないとされていた頃、きちんとロングスカートで足首が隠されているかどうか、お出かけ前の着装の再確認をする角度に設定された鏡が、各家庭の玄

関扉の内側近くに置かれていたといいます。規律や風紀はそれぞれの心構えや美しく生きる姿勢の寄り処として、在り続けて欲しいと願うところです。

 待ちに待ったお花のシーズンが遂に開幕した春、オダマキ、シャクヤク、アルケミラモリス、ブリーディングハートと次々違う色や質感に心癒されたのも束の間、今年は一気に大変な猛暑と日照りに見舞われたため、植えたばかりの地植えの花々が可哀想な姿になってしまい、幾度か掘り上げレスキューせねばなりませんでした。そんな中私が楽しみを見出しましたのは、過去の植木鉢の土をそのまま表面に使い一体何が生えてくるのか観察すること。干からびていた土が水を含むと、色を気に入りよく咲かせていた松葉牡丹、ビオラ、アリッサム、ペチュニアなどからこぼれていた種が発芽するので、成長を待てば、また同じ花を届けてくれるのです。雑草と勘違いして途中で抜いてしまわないよう気を付けねばなりませんが、もともと自分が好きで手元で大事にした花の色の数々ですから、新たに買い足すものとも自然と調和が叶い、うまい具合に陰影がブレンドされより味わいのある風景が描かれてゆくのです。また、バーベナやパンジーなど茎を切り水や土に挿しておくだけで根の出るものも自分で増やせます。燃料費の高騰とインフレでお花の値段もわじわじわ吊り上がっておりますから、工夫に知恵を絞ります。

 今年は食糧難に備えて観るだけの花より野菜を育てると仰った方があり、考えさせられました。今まで先人らの苦労により格段に豊かな生活を日々当たり前として享受してきた我々現代人たちは、迫り来る危機について十分な

備えがあるでしょうか。喉が渇いた時には綺麗な飲み水が蛇口をひねるだけでふんだんに溢れ出る。使いたい時には清潔な水洗トイレがすぐそばに専用で在る。使い捨てのぺーパータオルは子供らが幾らでも出し屑籠に押し込み遊べる程供給されている。そんな住み慣れた世界が、ある時当たり前でなくなるかもしれない。その時の驚きと戸惑いはいかばかりか。ああ、いけない。また考え過ぎて白髪が増えてしまう。目を閉じ深呼吸をして鳥の声をききなが

ら、美しく心安らぐお花たちの命の世話に尊く限りある時間をつむぎ、過ごしてまいりましょう。

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