喧喧諤諤
喧喧諤諤

 

五月晴れ、端午の節句の5月になりました。日本では3年ぶりに緊急事態宣言もまんぼう法も無いゴールデンウィークの連休に各地で相当の人出があったようですが、今月中旬から下旬にかけてコロナの新規感染者が急増しないことを願っています。当地ミシガンでは先月中旬に1日だけ雪が積もり、咲き始めていた草花が驚いて冬が逆戻りしたかと首をすくめたように見えましたが、翌日には雪も消えてやれやれとまた背筋を伸ばし、勢いを増した陽射しの中で若葉や芝生の緑が目立ってきました。

 スポーツの話題では日米ともプロ野球が先月開幕しましたが、日本のNPBセ・リーグでは昨年最終盤までヤクルト・スワローズとリーグ優勝を争った阪神タイガースが何と開幕9連敗のセリーグワースト新記録。一時勝率が甲子園球場のある兵庫県西宮市の市外局番063を下回るのではないか?とまでされ、最悪4月中に今季自力優勝の可能性が消滅するかもしれないとまで言われましたが、何とか踏みとどまり、直近の先月末には4連勝し、半身不随タイガースからおめでタイガースに変貌しました。パ・リーグでは千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が先月10日のオリックス・バッファローズ戦で13者連続奪三振のプロ野球新記録と毎回の1試合19奪三振のプロ野球タイ記録で元巨人の槙原投手以来28年ぶりの完全試合達成。毎回奪三振での達成は史上初、プロ通算14試合目での達成は史上最速、20歳5ヶ月(若い!)での達成は史上最年少と記録づくめのおまけ付きでした。その次の先発登板でも8回まで完全試合を継続し、17イニング連続無安打と52者連続アウトはどちらもプロ野球新記録。今後もどれだけ凄い記録を作っていくか楽しみです。

 一方米国MLBでは大谷二刀流復活。今シーズンは投打ともややスロースタートながら相変わらず話題には事欠きません。開幕戦1番・投手として先発したのが史上初ならば、開幕7試合ホームランなしも8戦目敵地で1番・指名打者で出場した対テキサス・レンジャース戦の第1打席で初球を豪快に叩き今季第1号を記録しただけでなく第3打席で第2号、翌日の試合で第3号と続けてファンの懸念を払拭しました。また、4/20敵地で先発登板した対ヒューストン・アストロズ戦では初回1球も投げる前に打者として2度打席に立ち、1900年以降では史上初の記録。この2打席は1四球、1二塁打で得点1、打点2。投げては強打のアストロズ打線を相手に6回1死まで完全試合、12奪三振の快投で投打に躍動するワンマンショーでした。今季から彼のために作られた感のある先発降板後も指名打者としてプレー継続可能になった新ルールにより同じ試合で二刀流を見る機会が増えそうですし、先発登板する度に『史上初』の新たな記録がまた幾つか生まれそうです。昨年は唯一見劣りがした打率は今年もまだ2割半ばですが、先月末には1試合3安打の猛打賞、休養日後の対クリーブランド戦では4号ホームランを含む2試合連続マルチ安打と調子を上げて来ており、まだ累積打数が少ないシーズン序盤の今は数試合マルチ安打が続けば急上昇するので期待できます。今シーズンは強打者の証であるホームラン数、長打率、打点に加えて好打者の証である打率3割も達成して欲しいですが、過剰期待でしょうか?

 ポスティング制度でシカゴ・カブスに入団した鈴木誠也選手も出だし好調で嬉しいです。日本での実績同様にMLBでも通用するか?活躍できるか?が注目されていましたが、ボール球に手を出さない選球眼の良さと左右、中央に打ち分けられる広角打法はMLBでも十分通用しますね。足の速さと広い守備範囲も合わせてカブスは理想的な外野手を手に入れたと言えます。性格も明るく球団内、選手間やメディアにも好印象を持たれており、MLB移籍は成功と思われる好スタートです。先月後半はやや勢いがしぼみましたが、大谷選手や他の日本人選手と共にシーズンを通して怪我なくこの調子を続けて完走して欲しいと願っています。気が早いですが、オールスターゲームで大谷選手と対決する夢のシーンが実現すると最高ですね。

 春めく当地を他所に、ロシア軍の侵攻・攻撃が続くウクライナからは連日悲惨なニュースと映像が届いています。和平交渉はプーチン大統領の意地を通したいロシア側が形式的なジェスチャーだけで本気で戦争を終結させる気がないと感じます。長期化しつつあるこの戦争はロシアとウクライナの国家間の戦争ではなくロシア軍を私物化して動かしているプーチン個人とウクライナの戦争の色合いが強いです。意地を張り続けるプーチンの兵力増強や兵器レベルアップと同時に民間施設、民間人攻撃も激化し、これに対抗・反発する米国・NATO陣営の兵器供与、戦術指導もレベルアップし、間接的代理戦争から米露の直接対決にエスカレートしかねない恐れもあります。万一、偶発的にでも米軍・NATO連合軍関係者やNATO陣営の地域が攻撃を受けたり、化学兵器や戦術核兵器が使われたりした場合はウクライナ一国の悲劇では済まない恐ろしく悲惨な事態になりかねません。鬱が高じて別な形の五月病にならないといいですが・・・

 先月末でウクライナから国外に避難した難民の数は550万人を超え、受け入れ先の国々もそれぞれ対応に追われていますが、ロシア軍の手中に落ちたと言われる南部のマリウポリではほとんどの建物が破壊され、投降を拒否している千人超のウクライナ軍と数百人の民間人が立て篭もるアゾフタリ製鉄所はロシア軍に包囲され蟻の這い出る隙間もない状況でしたが、グテーレス国連事務総長がプーチンと会談し人道的避難経路確保のための協議後民間人が数十人、百人単位で脱出できたとのことで、少なくとも民間人だけでも全員無事に脱出できることを祈ります。また、北部の首都キーウ(前呼称キエフ)近くのブチャーもロシア軍のコントロール下にあり、投降したウクライナ軍人が射殺され、道路に放置されていたり、無抵抗の民間人女性が自宅で子供と食事中に酒に酔った数人のロシア軍人に押し入れられ強姦されたなどという残虐で非人道的な戦争犯罪行為や国際法違反行為があったと聞いて強い憤り(いきどおり)を覚えます。こんな事があってはならず、許されてはなりません。1日でも早い戦争の終結と戦争犯罪行為の立証、犯罪者の糾弾・懲罰を願います。

 前書きはここまでにして、今月号の本題『裏から見たお風呂屋さんの話』に移ります。

何故このタイミングでこんな話題?と不思議に思われる方が多いと思いますが、お風呂屋さんと私はこの世に生まれてから今まで切っても切れない深い縁で結ばれています。読者の中にはご存知の方もいらっしゃると思いますが、実は私の生家はお風呂屋さん(公衆浴場)です。

 東京都内江戸川区の西小松川町に『小松湯』という名で店を構え、三男坊で末っ子の私が物心ついた幼稚園年少組の頃から同じ場所にありましたので、少なくとも約70年の歴史があります。その場所に移る前に別な場所で営業し、2度空襲で焼けて今の地に建て直したと亡き母から聞きましたので、店名は変わったとしても公衆浴場業としては前後4代100年近くになると思います。今回本欄で私的な記事を書くきっかけになったのは、その思い出深い小松湯が先月29日付で暖簾を下ろし、店仕舞いしたためです。3月末に廃業すると聞いて居ても立ってもいられず、日本の入国手続き、フォロー管理が緩和したのを幸いに4月4日出発、10日帰米の駆け足で一時帰国してきました。(余談ですが、私が風呂屋の息子と分かるとほとんどの人、特に男性が尋ねてくる質問は「番台に上がったことある?」ですね。耳にタコができるほど何度も訊かれるので、私は「あるよ。」と先ず答えます。相手の目が好奇心で輝くのを見てから次に「休みの日にね。」と言うと輝きが失せます。私が長男だったらひょっとして家業を継ぐか、臨時応援で番台に上がることもあったかもしれませんが、若い男性が番台に上がると若い女性のお客さんが嫌がり敬遠されます。綾小路きみまろのギャグが好きな中年のおばさん、おばあさんは若い男性でもお構いなし(むしろ歓迎?)ですが、若い女性客が他の風呂屋に鞍替えされては商売になりませんので、男性が番台に上がる場合は既婚者のおじさんかおじいさんが相場です。それにしても今改めて思うのは、不謹慎ながら「お金をもらって女性の裸を見れるのは風呂屋だけかも?」です。ヌードショーにしてもストリップショーにしても通常はお金を払わないと見れませんものね。下衆(ゲス)な話で失礼しました。話を本線に戻します。)

 私が幼稚園児の頃既に祖父は他界していましたが、祖母はまだ健在で私の両親が家業を継いでいました。父は当時江戸川保健所の所長と二足の草鞋を履いており、実際の店の切り盛りは表のお客さん相手の仕事は母が、裏の仕事は住み込みの番頭さんが当たっていました。私が小学3年生9歳の時に父が脳溢血で急逝した後しばらくは母が経営者として取り仕切っていましたが、住み込みの番頭さんの扱い対応や年配男性がほとんどの公衆浴場組合の会合、燃料供給業者との交渉など当時は女性では難しい環境であり、長兄が大学卒業のタイミングに合わせて母の余生と我々兄弟、姉が社会人として独立するまで面倒を見ることを条件にして家業を譲りました。私が社会人となって名古屋に就職後しばらくして、その長兄が時代の移り変わりに合わせて古くなった風呂屋の改築・改装という一大決断をして新しい建物となり、私が幼少時代から大学卒業まで住み慣れた住居も風呂屋の建物、店構えも様変わりし、「もうこの家は私の家ではないな。兄夫婦と姪・甥の家だな。」と実感した次第です。

 長兄は若い頃から高血圧症の気があり、結婚後姪二人、甥一人の子持ちとなってからは自分自身で食事療法と生活習慣改善にかなり気を使って、塩分を控え好きなビールも週一1本だけに抑えて数値も良好になっていたと義姉から聞いていたのですが、50代半ばの働き盛りの時に皮肉にも定期検診に出掛けた病院のロビーで待っている間に突然倒れて急逝しました。当時既に米国赴任中だった私も家内も姪からの国際電話で訃報を聞いて大いに驚きましたが、死因は動脈瘤破裂とのことでしたので若い頃の高血圧症が遠因のようでした。誰も全く予想していなかった突然のことで、慌ただしく葬儀を終えた後家業をどうするか?継続するか、廃業するか?という大問題を前にして残された家族と近しい親戚一同が熟慮の結果、当時30代半ばだった長兄の次女にあたる姪が「私がやります!」と決意を表明し、家業を承継しました。当時姪にはまだ小学生、中学生の子供がいる家庭事情でいきなり日々の現金収入がなくなり、今までの生活が続けられなくなる事態を避けるために止むを得ない選択だったかもしれませんが、清水の舞台から飛び降りるくらいの決断・決意だったと思います。それ以降先月末までの20年間表のお客さん相手の事しかやったことのない義姉を支えて交代に番台に上る役目と合わせて、住み込みの番頭さんと一緒に全く経験のない裏の仕事も切り盛りしてきたことはもの凄い忍耐と努力を必要とする大仕事だったはずです。

 裏の仕事と一言で言っても、お客さんが出入りする店側からは窺い知れない別世界で毎日店が開く前と閉めた後の数時間にわたる作業で、着替えをする板場やトイレ、ロッカー、小児用の着せ替えベッド、足拭きマット、下駄箱、出入り口周りの掃除、燃料の仕込み、下湯の準備と湯加減の調節、店舗内販売の飲料の在庫管理・補充、入浴関連用品(石鹸、シャンプー、タオル、垢すり、髭剃りなど)の品揃え在庫管理、釣り銭の準備、閉店後の湯船と洗い場・カラン・シャワー、鏡、腰掛けと湯桶の掃除・水切り・乾燥など店が閉まっている間も裏の仕事は続いており、その合間に家事と子育てをする超激務なので、それを若女将として20年も続けたことに大いに感服し頭が下がります。私にはとてもできません。今のご時世の風呂屋は人を雇って営業していたのでは利益が出ず、家族営業でなければ経営を続けるのは至難の技です。小松湯も義姉の知り合いで山梨から引っ越してきて長年働いてくれていた家族同然の住み込みの番頭さんが数年前に引退した後は雇いの番頭さんを使わず、姪が女手一つで仕入燃料の角材の切断作業など男でも大変な裏の力仕事も全て面倒見ていたそうで二重に驚きです。

 私が住んでいた頃は風呂屋の営業時間は午後3時から夜中の12時過ぎ、1時近くまででした。理由は一般のお客さんと違いそば屋、すし屋、中華料理店、飲食店などいわゆる店屋業の職人さん達が夜遅く仕事が終わってから入浴できないと困るからです。夜11時半過ぎごろには店の入り口の引き戸を半分以上閉めて細く開けておき「職人さんオンリー」を暗示していました。また、開店時間もお年寄りは身体には良くない一番風呂を好み、30分以上も前から入り口前で立ち話していることが多いので、寒い冬場は特に早めに開けて入ってもらっていました。

 店舗と住居が併設の風呂屋の建物は通常の建物より天井が高く3階建て相当の高さがあります。天井が低いと湯気が直ぐに天井に当たり結露して冷たい水滴が背中に落ちてヒヤリと感じるパターン(ドリフの「いい湯だな」の歌詞そのもの)を避けるためです。東京ディズニーランド方面に向かう首都高速道路ができる前までは、年末年始休みや台風一過のスモッグのない晴天の際には2階の窓から遠く駿河湾越しに富士山が望めました。積み上げた薪材やドラム缶入り廃油(コールタール)の燃料置き場だった隣の空き地にアパートが建つ前は夏恒例の両国隅田川の打ち上げ花火も良く見えましたね。この空き地は近所の子供達の遊び場にもなっていて、缶蹴り、かくれんぼ、馬跳び、キャッチボールやゴロピッチ(ピッチャーはボールを投げずに転がし、バッターは地面を拭き払うようにボールを打つ)の三角ベース野球(スペースが狭いためホームベース、一塁、2塁だけの三角形状)をよくやりました。また、積み上げた薪材から2〜3本薪を引き抜いて刀代わりにしたチャンバラごっこや3〜4メートルの高さの薪材の上に登って当時人気のTV番組『月光仮面』の真似をして「ターッ!」と掛け声を発しながら飛び降りたりしていました。足を捻挫したり骨折しなかったのは幸運でした。

 他の風呂屋と違う小松湯の特徴はいくつかありましたが、1番の違いは水道水ではなく井戸水を使っていたことです。井戸水と言っても昔の映画に出てくるような丸井戸に鶴瓶で組み上げる小さな井戸ではなく、長い鋼管を何本も連続して地中深く打ち込んで地下何百メートルの綺麗で潤沢な地下水を組み上げる井戸水です。地表近くの浅い井戸では雨水や生活排水が紛れ込む恐れがありますが、地下何百メートルの深さまで行くと途中何十、何百の地層がフィルターとなり極めて水質の高い天然のミネラルウオーターが汲み上げられます。実際に中学校の理科の時間にリトマス試験紙などを使った水質検査の授業があり、先生が水道水以外の水を持ってこれる人を募集したので我家の井戸水を持参して検査してみたところ水道水よりずっと上質で綺麗だったと先生に言われ嬉しかった思い出があります。

 この井戸工事が難産で、確か途中まで打ち込んだ鋼管の角度が曲がってしまい、それを引き抜いてまた打ち込み直し作業を2度繰り返したと記憶しています。工事屋のお兄さんが「過去にも親切にしてくれるお客さんほどこんな事故があった」と言っていたそうですが、今でもそのお兄さんの顔がはっきり浮かびます。眉毛が太く、キリッとした顔立ちで体格もがっちりした男らしい人で、今で言うイケメンに近い印象でした。昨日や一昨日のランチのおかずは覚えていないのにずっと昔のことは覚えているなんて不思議ですね。「三つ子の魂百まで」でしょうか?

 1ヶ月以上もかかった難産の結果、最終的に狙い通りの地点に到達し、ポンプで汲み上げた地下水に初めて触れた感触は「温かい」でした。地下水は外気温に比べて冬は温かく、夏は冷たい感じがするものですが、夏場にスイカを冷やしておくと冷蔵庫に入れておくのと同じような効果があります。家庭の電化が進んでいなかった当時はまだ冷蔵庫がなく、氷屋さんが配達する氷の塊を氷冷庫に入れてそこに肉や魚、牛乳など冷蔵の必要な食品を保管するシステムでした。懐かしいですね。

 ここまで書いて通常のページ数、行数をかなりオーバーしているのに気付き、ここで一旦中断して、続編は次号以降に致します。中途半端をご容赦ください。

執筆者紹介:小久保陽三

Premia Partners, LLC (プレミア・パートナーズ・エルエルシー) パートナー。主に北米進出の日系企業向け経営・人事関連コンサルタント業務に従事。慶応義塾大学経済学部卒。愛知県の自動車関連部品・工業用品メーカーに入社後、化成品営業、社長室、総合開発室、米国ニューヨークの子会社、経営企画室、製品開発部、海外事業室、デトロイトの北米事業統括会社、中西部の合弁会社、WIN Advisory Group, Inc.勤務を経て現在に至る。外国企業との合弁契約、技術導入・援助契約、海外現地法人設立・立ち上げ・運営、人事問題取扱い経験豊富。06年7月より本紙に寄稿中。JBSD個人会員。

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