
卯月4月、日本では政府や多くの企業、各種学校の新年度、新学期になりました。桜前線も南から北へ移動し、各地でサクラ便りが聞かれます。『まんぼう法』が解除された直後の週末には場所によってはかなりの人混みが見られたようですが、オミクロン株の主流系統だけでなく派生変異種で感染性が更に強いBA.2が新たな感染爆発に繋がらないように個人、個人がガードを下げないように要注意ですね。米国では先月末FDAとCDCが2回目のブースターショット使用を承認した2社のワクチンでブースター1回目から4ヶ月以上経過した50歳以上の人に2回目のブースターショット(合計4回目のワクチン接種)を奨励したのに続き、バイデン大統領が記者会見で直々にパンデミック収束に向けて最新の対策方針を発表し、特に未接種もしくは、接種回数不足の国民の理解と協力を求めました。早速自分が2回目のブースターショットを受ける映像もニュースで流れていましたね。またコロナに関する総合的な情報を一元的に管理・掲示する連邦政府のウェブサイトを立ち上げ、国民が偽情報・誤情報に振り回されないように正確で有用な情報を提供するシステムが遅ればせながら2年越しで出来上がりました。これであちこちのウェブサイトに行って個別の情報を探さなくても1箇所で済むのは時間の節約上もありがたいですね。料理のメニューで言えば、好みの料理が単品のアラカルトではなく定食セットメニューで提供されるのに似ています。
先月割愛したスポーツの話題では、待ちに待った球春到来です!
日本ではいち早くレギュラーシーズンが開幕し、見どころや期待の選手、優勝チーム予想などがニュースになっています。昨シーズン終了後から大きな話題となっていた日本ハム・ファイターズの「ビッグボス」こと新庄新監督が注目されていましたが、期待とは裏腹に開幕5連敗のスタートとなり、本人も周囲も心穏やかでなくなりました。初勝利を挙げられればチームも彼も心機一転で流れが変わると思うのですが、本紙が皆さんのお手元に届く頃には初勝利の祝杯を挙げているでしょうか? 就任1年目は何かと多難と思いますが、リーグ優勝とまで行かなくとも話題先行だけにで終わらず実力、実績もついてくるといいですね。
当地米国では、長引いていたMLBオーナー会と選手会の団体交渉がようやく合意に達し、各球団のトレーニングキャンプとオープン戦が始まりました。レギュラーシーズン開幕は今月7日、1週間ほど遅れましたが、シーズンの試合数が大幅に減らずに済んで本当に良かったです。今年も楽しみにしていたSHOTIME=二刀流大谷劇場が観られるのは「めでたし、めでたし。」また、ポスティングシステムでシカゴ・カブス入団が決まった鈴木誠也選手もホッとしたことでしょう。今やベテラン組のダルビッシュ投手、前田投手、菊池投手らと共に同姓のイチローさんの後継者として日本から移籍した他の野手も活躍できることを実証して欲しいですね。テニスでは男子の錦織選手は今年初めに実施した股関節手術の術後ケアで引続き長期離脱中。西岡選手やプレーが進化したダニエル太郎選手が頑張っていますが、錦織選手が引退する前に有望な新人は出て来ないでしょうか?
女子では昨年出場試合数、獲得ポイント数が少なくランクが一時80位まで落ちた大坂選手が先月末週に開催されたマイアミオープンではかなり復調し、本稿作成時では準決勝進出が決まっていましたが、最終結果はどうなったでしょうか? これからシーズンが本格化するので、とにかく心身ともに健康で伸び伸びプレーする姿を見せて欲しいですね。今回はダメでしたが、ベテランの土井選手やダブルスの青山・柴原組も応援したいです。
では、今月号の本題『ロシア軍の攻撃続くウクライナの春』に入ります。
皆さんも連日のニュースでご存知の通り、北京冬季五輪閉幕直後の2月24日に始まったロシア軍のウクライナ侵攻は1ヶ月余り経過した今なお続いています。ウクライナの東部、南部、北部の3方から次々と侵入を繰り返し、国境近辺の地上部隊やクリミア半島南部の黒海沖に停泊中の艦艇からのミサイル攻撃、戦闘機やヘリコプターによる空爆、戦車・装甲車と歩兵部隊による地上攻撃など連日にわたる攻撃でウクライナ国軍や義勇軍、空港などの軍事施設、官庁・政府機関の建物、原子力発電所、通信アンテナ・施設などのインフラだけでなくロシアの国連代表や外相の「民間人、民間施設は攻撃しない。していない。」との公式発言とは真逆で民間施設、民間人を標的として意識的に攻撃している節があります。犠牲者のニュースを見るたびに心が痛みますが、特に悲惨だったのは『難民回廊』と呼ばれる幾つかの指定避難経路を通って両軍が攻撃休止合意した時間帯に国外に避難しようとしていた幼少の子供連れの家族が本来ならあるはずのないミサイル攻撃の巻き添えで亡くなったり、400人以上の民間人が観劇中の劇場がミサイルの直撃を受けて崩壊し、100人程は救出されたものの瓦礫の中に埋もれた300人以上(正確な数は未だに不明)は継続するロシア軍の攻撃下では直ぐに捜査・救出作業が出来ず、残念ながら次々と遺体として発見される結末となったことです。
この21世紀の時代に空襲警報のサイレンが鳴り、人々が建物の地下や地下鉄の駅構内に避難する映像を見て、亡くなった母が私の子供時代に話してくれた第二次世界大戦末期の東京大空襲の話を思い出しました。戦時経験者の多くは酷くて悲しく恐ろしい戦争体験談を思い出すのが嫌で余り子供や孫には話さないようですが、私が小学生高学年だったその時に一度だけふと話をしてくれたのが印象に残っています。
東京大空襲は1942年4月18日から1945年3月10日の長期間にわたり東京都市部を標的に60回(都下、諸島を含めると100回以上)を超えた無差別空爆のことですが、南方から飛来するB−29戦略爆撃機の大編隊が何列も横並びになって一つも目標を外さないように大量のナパーム弾と呼ばれる油脂の雨を降らせたいわゆる『爆撃』を繰り返し、確認された遺体数だけでも10万5千人超、負傷者は約15万人、罹災者(焼け出されて家の無くなった人)約300万人、罹災住宅戸数約70万戸の被害をもたらした大空襲ですが、最も大規模で被害が酷かったのが3月10日夜間に低高度から軍需施設がほとんどない下町の住宅密集地帯と民間人の殺戮と戦意喪失を狙った下町大空襲です。折りからの強風に煽られた火災は直接標的だった地域だけに留まらず、下町の大部分を焼き尽くし一帯は地獄絵となりました。
母の話によると空襲の際には「空襲警報発令」とともに今はない火の見の半鐘が鳴らされ、各家庭では電灯の灯りが漏れて標的にされないように電灯の傘の周りを黒い布切れで覆い地下に潜るか、指定の防空壕に避難するかして空襲が終わるのをひたすら耐え忍ぶだけだった由。防空壕に避難する途中で体の近くに爆弾が着弾するとその衝撃で目玉が飛び出すこともあるので、避難する際には手で瞼を押さえて逃げ込んだ、という嘘のような話も聞きました。3月10日夜の大空襲では江戸川区側の自宅近くを流れる江戸川と荒川放水路の向こう側(いわゆる川向こう)江東区の本所、深川辺りが遠目からでも見渡す限り一面の火の海で夜空を明々と照らしていたそうです。当時の自宅は今も続いている公衆浴場(風呂屋)でしたが、戦時中に2度も空襲で焼け出されそこは3軒目で、それがなければもう少し財産が残っていたはずと一度だけ母がこぼしていたのも覚えています。そんな絵空事のような昔話を思い出すようなウクライナでの空爆は本当に信じられない出来事です。余談を元に戻します。
国外に避難したウクライナ難民は隣国ポーランドやルーマニア、ハンガリー、スロバキア、モルドバ、更に西方のチェコやドイツにも達し、遠く米国や日本も含めると先月末で総数400万人を超えたとのことで、とんでもない数の人々が悲惨な目に遭っています。中でも目立つのは小さな子供連れの女性や高齢者の姿ですが、18歳から60歳(先月号の50歳は誤りでした。訂正してお詫びに代えさせていただきます。)までの男性は国内に留まる義務を命じた国令で家族とは離れ離れになっても武器を持って国を守る意思のある者には武器が与えられてロシア軍に抵抗しています。米国やNATO加盟諸国からの武器・物資供給、軍事支援・指導を受けながら国家の存亡を賭けた戦いに臨む義勇軍や民間人志願者の意志は強烈でロシアのプーチン大統領や軍幹部の予想を遥かに上回る抵抗に合いロシア軍にもかなりの死亡者、負傷者や戦車、装甲車、ヘリコプターなどに物的損害が出ているようです。『ジャべリン』と呼ばれる人が持ち運び可能な歩兵携行式多目的ミサイル発射装置や携帯式防空ミサイルシステム『スティンガー』の攻撃で撃墜炎上した軍用ヘリ、破壊されたロシア軍の戦車や装甲車、兵運搬車両が道路に放置されたり、その近くに横たわるロシア兵士の死体を映したニュース報道もありました。
ロシア側は認めても公表もしていませんが、一説では既に1万から1万五千人の死亡者とその何倍かの負傷者が出ているのではないかと見られています。歩兵部隊による地上銃撃戦と異なり、軍用ヘリや戦車・装甲車などは必ず複数の乗員で出撃するため1機、1台が破壊されると複数の犠牲者が出るので必然的に被害が大きくなります。プーチン大統領と軍幹部は、ウクライナの抗戦力を物質・精神両面で過小評価していたと同時に、トランプ前政権時代に「NATOは時代遅れの遺物」とか「NATOを継続・維持するためには加盟国がそれ相当の費用を負担すべき。米国は余分には負担しない」と言って従来の慣例を突然変えて結束力を弱め、自分の考えや意向に従わない国を名指しで非難して相互の信頼・尊重関係が崩れていると見て、ウクライナ侵攻を実行してもNATOが即時に結束して対応策を取らないうちにウクライナの主要都市占拠、現政権転覆、ロシア寄りの傀儡政権樹立が極めて短期間で完了すると予測していたと思われますが、予想に反して驚くほどの抵抗力、反発力に遭遇し思い通りに事が運ばず、自軍の損害と犠牲者は増えるばかり。長期戦に備えていなかった兵線が断続的になり物資供給不足でカサにかかった攻撃が続けられず、一時は占拠しかけた都市もウクライナ側の反攻に遭い直ぐに明け渡して退却せざるを得ない場面があり、一進一退の状況が続いています。
驚くべき事に、ウクライナから国外に避難する人の流れに逆行して家族を見送った後ウクライナに戻り、国を守るためにロシア軍と戦う勇敢な戦士たちや国外から生まれた国ウクライナに戻り仲間と一緒に戦う愛国者もいます。中には戦争が始まってから結婚した若夫婦や武器を一度も扱ったことのない一般の若者や隠居暮らしの老人、火炎瓶製造や食料・飲水の配布で活躍する家庭の主婦の姿もあり、映画やドラマではないリアルな世界での愛国心と信念の強さに心を打たれました。
ベラルーシ国境付近で複数回開催された二国間の直接和平交渉もロシア側の本気度が疑わしく、単なる時間稼ぎでその間にも抜き打ちの攻撃を計画・実行していたようでまとまる道理がありませんでした。最新の状況ではトルコのエルドアン大統領が仲介役を買って出て新たな和平交渉が始まりましたが、今回は話がまとまるかどうかは疑問です。私見では、プーチン大統領が「ウクライナは歴史的に旧ソビエト連邦、ロシア連邦の属領であり独立国と認めない。親ロシア派住民が虐待され、虐殺されている2州はロシア連邦内の自立国として承認し、保護する」と自分勝手なをつけてウクライナに対して最後通牒も宣戦布告もなしにこの気違い染みた戦争を始めた以上、予想以上の多大な損害と犠牲者が出たまま振り上げた拳を下ろして、国全体の占拠、政権交代、属領化は無理としても、何も戦果も手土産もなしで手ぶらでおめおめと軍隊を引き上げるわけにはいかず、和平交渉が合意するには、強盗に押し込まれたようなウクライナ側が何らかの譲歩をしないと更に攻撃が無差別で熾烈・凄惨なものとなり事態は悪化、泥沼化するのではないかと思います。喩えとしては適当でないかもしれませんが、大分以前にある知人が「会社に国税の調査が入った場合は何も手土産なしでは帰らない。何か出るまで居座られて調査が長引くよりも、多少議論の余地や疑問があっても先方の言い分を受け入れて、そこそこの手土産(追加納税)を持たせて早く引き上げてもらう方がいい」と言っていましたが、それと似た感じです。
真冬でも凍らない不凍港が喉から手が出るほど欲しいロシアは、黒海に通じるクリミア半島を強奪しましたが、それと連動して国際交易の要衝でウクライナ第三の都市オデッサを手に入れたいのでしょうが、そこはウクライナにとっても国家経済の太い生命線でもあるため譲るわけにはいかないので、南部か南東部でそれより格下の都市を一つか二つ含む地域を渋々でも譲渡しないと収まらず、戦争は終わらないのではないでしょうか?
それ以外の考えられるシナリオとしては、米国とNATO加盟国を始め、人権と自由民主主義を支持・擁護する西側諸国、アジア、アフリカ、南米の諸国が結束してロシアやプーチン大統領と取り巻きの大富豪など国や企業、個人に対して実行しているかつてない規模とレベルの金融・経済制裁が時間経過とともにロシア経済、国民生活に致命的な打撃となってロシア国内の戦争反対・終結を求める声が大きくなり、全国的な大きな波となってプーチン政権を揺るがし、戦争を止めざるを得ない状況に追い込まれるかでしょう。いずれにしても多数の犠牲者、崩壊された都市、国外に逃れた何百万人の難民、直接当事者の両国だけでなく何らかの形で関与した国々の疲弊し活力を失った経済、何も生産的な効果に結びつかない巨額のお金の無駄遣い等々でこの戦争は(この戦争も)結果として敗者が残るだけで、誰も勝者なき戦いに終わりますね。ホモサピエンス=賢い人は幻か、人類の自惚(うぬぼれ)に過ぎませんでした。本当にやり切れない、悲しい事です。
現地取材の多数のレポーターから送られる悲惨な光景やインタビューの映像を見ると時々小雪がチラつく画面がありましたが、この悲惨で無慈悲、無意味な戦争が終わり、ウクライナに本当の春が訪れるのはいつのことでしょうか?
敵味方の区別なく、犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、ウクライナ国外に避難された方々や国内に留まっている方々の苦難が少しでも軽く済みますようにお祈りして末筆とします。(合掌)
執筆者紹介:小久保陽三
Premia Partners, LLC (プレミア・パートナーズ・エルエルシー) パートナー。主に北米進出の日系企業向け経営・人事関連コンサルタント業務に従事。慶応義塾大学経済学部卒。愛知県の自動車関連部品・工業用品メーカーに入社後、化成品営業、社長室、総合開発室、米国ニューヨークの子会社、経営企画室、製品開発部、海外事業室、デトロイトの北米事業統括会社、中西部の合弁会社、WIN Advisory Group, Inc.勤務を経て現在に至る。外国企業との合弁契約、技術導入・援助契約、海外現地法人設立・立ち上げ・運営、人事問題取扱い経験豊富。06年7月より本紙に寄稿中。JBSD個人会員。