喧喧諤諤
喧喧諤諤

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 皆さん年末年始はどのようにお過ごしでしたでしょうか?日本への入国手続きの厳格化にもめげず一時帰国された方、米国内で小旅行された方、ご自宅で家族団欒(カウチ・ポテト化?)された方、医療関係などのエセンシャル・ワークでお仕事されていた方など様々でしょうが、どなたもつつがなく新年をお迎えになったことを願います。我家では家内と長女が一昨年見合わせた一時帰国を昨年末にする予定でしたが、米国内でもサンクスギビング連休以降デルタ変異株に加えてオミクロン変異株の感染急増に伴い、日本の入国手続き、到着後の強制・自粛隔離、滞在中の行動管理・監視厳格化に一時帰国を諦めキャンセルしました。塞翁が馬と言うべきか、一つだけ良かったのはクリスマスにミシガンの自宅で家族4人全員で過ごせたことです。今の状況下で家族全員の安全と健康が確保され、一緒に食事しオンラインで映画鑑賞などして過ごせたことが何よりありがたいことでした。

 さて、2022年寅年。五黄(ごおう)の寅年生まれの私は年男です。来月誕生日を迎えると話半分として36歳になります。(笑)お陰様でこの歳になるまで大きな怪我・病気をせず、入院・手術もせずに来ております。加齢による体力・気力の衰えは明らかですが、幸いにして今も週末テニスを続けられており、本当にありがたいことです。同年代や私より若い友人・知人の病気や怪我のニュースを耳にすると余計にそう思います。この幸運が少しでも長く続きますように、年初の祈願をすると同時に魔除けの意味で英語では“Knock on wood.”(木を叩く)ことにします。また、年男と言っても単に『年をとった男』にならないように、欲張らずに一つでも二つでも何かお役に立てることができればと思っております。

 当地ミシガンでは先月クリスマスに雪がなくホワイト・クリスマスになりませんでしたが、元日の夕方から雪が積もり綺麗な雪景色となりました。一昨年、昨年と世の中コロナ騒ぎで混乱し良い年と言えませんでしたが、嫌なことは雪の白色で白紙に戻し心機一転、皆様にとっても良い1年になることを願います。

 では、スポーツの話題です。米国プロ野球MLBでは球団オーナー陣と選手団の団体労使協定が昨年12月1日深夜過ぎに期限切れとなり、労使間交渉も合意を見ないまま年越しとなりロックアウト状態が続いています。従って、シーズンオフとは言えMLBとしての公式行事・活動が一切なく、広島東洋カープからポスティングシステムを使ってMLB移籍を目指している鈴木誠也選手を始め、移籍・新規入団希望の選手たちも具体的に動けず不安とイライラがつのっていると思います。交渉妥結が長引くと、最悪の事態にはならなくともそれらの選手たちの移籍・入団が見送りになったり、レギュラーシーズン開始のズレや期間短縮、試合数減になる恐れもあります。昨シーズンの大活躍で日本と日本人だけでなく世界中を明るくしてくれた大谷選手の姿を見る機会が制限されたら失望する人たちが後を断ちません。そうならないことを切に願います。

 プロテニスでは、今月初めにオーストラリアで開催された男子のATPカップを皮切りに男女のメジャートーナメント前哨戦に続いて1/17からオーストラリアオープンが始まります。最大の注目は女子シングルスで3度目の優勝を目指す大坂なおみ選手ですが、若手の台頭も見られた昨年後半公式戦をプレーせず今月前哨戦1イベントのみの出場で実戦感覚がどこまで戻っているかが鍵ですね。男子の錦織、西岡両選手にもひと頑張りして欲しいので、遠くから応援します!

 さて、今月のテーマはいつもと趣を変えて「ご存知でしたか?」です。

 もうここ2年ほどトランプ絡み、政治絡みにコロナ関連の話が多くて、良い話、明るい話が少なかったので、私と同様に読者の皆さんも気持ちが沈み食傷気味ではないかと思い、年の初めだけでも少しでも気分が軽くなるようにと考えました。いつもと同じようなテーマをご期待されていた方々には申し訳ありませんが、ご容赦願います。なお、ネタは全て受け売りか又聞きですが、古いネタも含めて出所元、引用元がはっきりしないものが多く引用クレジットを付与できないことを合わせてご容赦願います。

 初笑いとまではいかないかもしれませんが、気分転換になれば幸いです。では、
最初の「ご存知でしたか?」から始めます。  

「ご存知でしたか?」     

先ずは簡単なものから。双六やゲームで使う6面サイコロの対面数字の合計はどの対面も全て7です。これは皆さん既にご存知ですよね。

西欧ではキリスト教信者を中心に13日の金曜日を厄日として忌み嫌っていますが、日曜日から始まる全ての月は13日が金曜日になります。今年は5月がそうですね。

シマウマの白黒縞は縦縞ではなく横縞です。生物学上では脊椎に対して縞模様の縦・横を言うためです。

同じくシマウマの白黒縞ですが、遺伝学的には白い地肌に黒縞ではなく、黒い地肌に白縞です。白毛の下も黒色です。パンダはこの逆で黒い体毛部分は白い地肌に黒毛です。尾も白い?=面白いですね。

和名では『べにづる』と呼ばれるフラミンゴ。元々の体色は白です。主食であるエビ、カニなどの甲殻類に含まれるベータ・カロチンが体内に蓄積してピンク色になります。甲殻類を食べないフラミンゴは白色のままです。

フラミンゴでもう一つ。米国では本物のフラミンゴよりプラスチック製フラミンゴの数の方が多いです。数えたことはありませんが・・・

英国に住む白鳥は全て女王陛下の所有物です。盗んだり傷つけたりすると国家反逆罪です。英国訪問時にはご注意を!

タイムマガジン誌1938年のマン・オブ・ザ・イヤーはアドルフ・ヒトラーでした。私もまだ生まれていません!

もう一つヒトラーで。彼の私有専用列車の名称は”Amerika”でした。皮肉か?羨望か?

地球の南緯60度に沿って航海すると陸地に一切タッチせずに世界一周航海が可能です。船酔いが激しそう!?

 まだまだありますが、出し惜しみして今回はここまでとします。皆さんの受けがそこそこ良くて、また機会がありましたら続編を試みます。

 となるとこの原稿がここで終わってしまうので、もう一つおまけに昨年のMLBワールドシリーズで26年ぶりに球団史上3度目の栄冠を勝ち取ったアトランタ・ブレーブスに関する「ご存知でしたか?」エピソードです。本当は優勝達成直後に書きたかったのですが、他の記事を優先したため実現しませんでした。かなり事後になりましたが、この機会を利用して書き留めます。

 これは出所元、引用元がはっきりしており、ブレーブスの対戦相手であったロスアンジェルス・ドジャースの専属ブロードキャスターとして2016年まで67年間勤め、現在94歳の高齢にも関わらずツイッターは続けているビン・スカリー氏の昨年11月5日付けツイートからです。原文は英語ですが和訳すると以下のようになります。

 「あなたはハンク・アーロン(注:日本の王さんに抜かれるまで通算ホームラン数世界一)が亡くなった年(注:昨年2021年)にブレーブスがオールスターゲーム前に44試合、またその後にも44試合勝ち、その年の44週目にワールドシリーズを勝ったことを信じられますか?もちろん、アーロンは背番号44番をまとっていました。もしかして、結局のところブレーブスはある秘密兵器を持っていたのかもしれません。」

 数字44にまつわる奇跡的な一致ですが、アーロン氏が亡くなられた2021年の1月早々に長年連れ添ったスカリー氏の愛妻サンドラさんも亡くなられていたので、勝敗に関係なくあらゆる意味で思い出深いものがあるのでしょう。奥様とアーロン氏のご冥福をお祈りします。(合掌)

 この他にも昨年末押し迫ってから異なる分野・業界で3人の著名人が相次いで亡くなられました。

政界では元民主党上院議員・院内総務のハリー・リード氏(享年82歳)。

スポーツ界では元NFLオークランド・レイダース監督、アメフト解説者のジョン・マッデン氏(享年85歳)。

そして芸能界では大ヒットしたTV番組ゴールデン・ガールズのスター女優ベティ・ホワイト女史(享年99歳)。

 余談と言っては失礼になりますが、リード氏はネバダ州出身で元ボクサー。国のため、国民のために善政を施そうとする信念と闘争心は並大抵ではなかったのも頷けます。同州副知事を経て1982年に民主党から下院議員に初当選。1987年から上院議員となり、不慮の転倒事故で右目を打撲・失明のため2016年の上院議員選には出馬せず、2017年に引退するまで民主党上院のリーダーとして手腕を発揮。民主党内の説得、調整はもちろんとして党派を超えて共和党議員にも自ら接触し、信義を通して協力を仰ぎ超党派の法案成立も実現しました。オバマ政権下で国民皆保険制度(いわゆるオバマケア)の立法化に尽力し、法制化したのは最大の成果といえます。オバマ元大統領が大統領出馬を決めたのも「リード氏のためだった」と本人が惜別のコメントをしています。

 マッデン氏はアメフトファンなら知らない人がいない程の有名人。膝の怪我のためプロ現役期間は1年のみと短かったものの、その後カレッジフットボールのコーチ経験を重ね、1967年にNFLオークランド・レイダースのラインバッカーコーチを経て1969年に当時史上最年少の32歳でヘッドコーチに就任。1978年までの10年間でスーパーボウル優勝は1977年の第11回のみですが、レギュラーシーズン通算成績103勝32敗7分け、勝率0.750は100勝以上挙げたヘッドコーチでは最高勝率。歴史に残る名監督と言えます。また、コーチ引退後はTV解説者としてCBS、FOX、ABC、NBCとフットボール中継放送の4大ネットワーク全てでナンバーワン解説者として人気を保ち、2006年には元コーチとしてNFL殿堂入り。エミー賞のスポーツ解説者部門受賞は通算16回。2010年には功労賞も受賞し、2009年に引退するまでの30年間でTV放送におけるフットボールの存在価値を最大のレベルにまで高めた貢献度は再論を待ちません。また、1988年から彼の監修で製作されていたアメフトTVゲームは彼の名前を冠してマッデンNFLと呼ばれ、今も世界中でファンを楽しませています。大の飛行機恐怖症でキャンピングカーで全米中を移動していたため、例年ハワイで開催されるNFLオールスタープロボウルの解説を務めることは一度もなかったことも一つのエピソードです。

 ホワイト女史は私の知らない1950年代から60年代のTVクイズ番組にレギュラー出演し「クイズの女王」的存在だったとのことで頭も切れる女性だったのでしょう。1983年に女性司会者としては初受賞のデイタイム・エミー賞番組司会者賞を含め7度のエミー賞受賞。2009年には全米映画俳優組合賞として生涯功労賞を受賞しましたが、その後も引退とは無縁で生涯現役として通し、動物愛護活動とともにTVや種々イベント、関連ニュースで元気な姿を見せてくれていたのに、後2週間ほどで迎えるはずだった100歳の誕生日を前に亡くなられたのは大変残念です。近年で特に記憶に残っているのは2010年1月のスーパーボウル用に製作されたスナック菓子「スニッカーズ」のフットボール版特別CMに出演し、雨の中パスを受けて走り屈強な大の男にタックルされ、泥水の中で顔まで汚れて大の字に倒れても意に介せずというヒロイン役が受けてFacebook上で彼女をNBC土曜日深夜のコメディーバラエティー番組「SNL(サタデー・ナイト・ライブ)のホストにしよう!」というキャンペーンが突然起こり、結果として同年5月8日の同番組のライブ放送で88歳6ヶ月の史上最年長ホスト役を務めることになったことですね。私とは親子ほどの年上ですが、いつ見てもおばあさんと言う感じは全くせず「元気なおばさん」と言う感じで、元気とエネルギーをもらっていただけに残念至極です。

 ご三方のご冥福をお祈りします。(合掌)

 年初に明るい話題を、と思っていたのにやや暗い気分にさせてしまい申し訳ありません。罪滅ぼしができませんので、代わりにと言っては何ですが、ベティー・ホワイト女史の出演した番組の再放送かビデオクリップをオンライン配信またはストリーミングでお楽しみいただければ幸いです。きっと元気が出ますよ!

 では、皆さんにとって寅年の今年が素晴らしい1年になりますようにお祈りして筆を置きます。

執筆者紹介:小久保陽三

Premia Partners, LLC (プレミア・パートナーズ・エルエルシー) パートナー。主に北米進出の日系企業向け経営・人事関連コンサルタント業務に従事。慶応義塾大学経済学部卒。愛知県の自動車関連部品・工業用品メーカーに入社後、化成品営業、社長室、総合開発室、米国ニューヨークの子会社、経営企画室、製品開発部、海外事業室、デトロイトの北米事業統括会社、中西部の合弁会社、WIN Advisory Group, Inc.勤務を経て現在に至る。外国企業との合弁契約、技術導入・援助契約、海外現地法人設立・立ち上げ・運営、人事問題取扱い経験豊富。06年7月より本紙に寄稿中。JBSD個人会員。

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