「生姜が無くっちゃぁショウガ、ねえ。」で呟いた料理人の背後で私は思わずけたたましい笑い声を上げました。俗世間に言う「おやじギャグ」というものが、私のツボには恐らく、よそ様の受けるおよそ5倍のインパクトで入ってしまうらしきことが、最近よくわかってまいりました。その生姜、湿度の高い日本での生活とは異なりこの辺の気候ではすぐに乾燥しミイラになってしまいますので、すりおろしラップに小分けし冷凍保存など致しております。秋も終わりゆく今頃は紫蘇、三つ葉、ニラ、ネギなどそれまで野外で強い太陽を浴び栄養満点に育ってきた新鮮な野菜たちにしばしの別れを告げる季節でもあり、出来れば冬の間も楽しめるようにと、色々の工夫を試しております。

 この夏のある日、車庫のシャッターを開けましたらすぐ足元のコンクリートに大きな蝉がじっとしておりました。あれれ、生きているのか死んでいるのか、ともかくこんな暑い処にいないでお外へ、と手でつかむ勇気がなかったものですから紙を折りたたみ、蝉の足の下へ滑り込ませようと一所懸命になっていたところ、気づけば蝉が、私がその紙を掴んでいる親指にしっかりと掴まり始めたではないですか。私は、普段虫に話しかけたり距離をおいて観察する分には平気で頓着しないのですが、実は、苦手なのです。昆虫にしっかり六肢ですがられたのには「ぎ、や、あ、あ、おおうう。」言葉にならない低い唸り声を絞り出し全身にオンブレで鳥肌が立って行くのを感じながら、がまん、がまん、蝉は何年も地中で暮らしやっと地上に出て来ても、地球を楽しめるのはたった2週間程と子供の時図鑑で読んだではないか、私がここでえこの子を払いのけ吹っ飛ばしてしまって頭でもぽろんと取れてしまったら、蝉のお母様に何と言って謝れば良いのか、とにかく、がまん。目をつむり歯を食いしばり全身を凍り付かせたまま「嚙まないでね」と蝉に囁き、とにかく私の指を放してと願いながらあっちの茂みにピタ、こっちのお花にピタ、とくっつけてみましたが蝉は動きません。そうか、蝉なら木の幹じゃないとと閃き古いカバノキの日陰まで走ってゆき、そこへ手をぐっと押し付けてみました。すると蝉はゆっくり、ゆっくり、確かな足取りで即刻木の幹へと移動し始めたのです。なんだ、ちゃっかり者だ。こいつ白目は無いけどしっかり周囲が見えてるじゃないか。蝉と自分との意外で当たり前な共通点を見つけとても嬉しくなり、見送りました。

 空気は冷え、風が強まり、気持ちもきりり引き締まる美しい秋。星座の綺麗な厳冬を目前に色々なことに思いめぐらせるこの季節の庭仕事の最後の楽しみは、来年の春夏のお花を植えつけること。土を耕しバランスの取れた弱い栄養をき込み、枯葉を利用したマルチやバーラップでミシガンの寒さ対策を万全に施します。店ではもう半額以下にされて処分目前の多年草や薔薇の鉢植えの数々は、霜が降り本格的な冬が到来するまでに植えつければ大地に根を張り成長し続けてくれますので、大いに穴掘りを楽しみます。グローバルパンデミックの間に、不思議なことにお気に入りの服は皆縮んでしまったようですので、気合を入れ運動しませんと。来春向けの球根の植えつけで注意せねばなりませんのは、地元の近くの店に出回っているからといって、植えれば必ず育つわけでは決してない、という大きな落とし穴があることです。USDA (United States Department of Agriculture) によるゾーンPlant Hardiness Zone Map (PHZM)の注意書きに必ず目を通してから、お買い上げなさってください。アメリカは東西にも南北にも桁違いに大きな国ですので、ご自分のお住まいのあたりの気候風土に適したものを、またミシガンの寒さにも強いものを、特に慎重に選ばねばなりません。私も一度にも、ラナンキュラスの球根を見つけてあら珍しい、ミシガンでも地植えに出来るのね、と勘違いして衝動買いし、帰宅後よくパッケージを読んでみますと「Product of Israel」とあり、ミシガンの寒さではとてもとても、生き残るはずの無いものでした。仕方なく屋内で植木鉢に植え付けましたものは発芽はしたものの元気は悪く、結局腐らせてしまいました。過剰な商業主義を恨めしく思いました。寒暖、日当たり、風通し、水の量、水はけ具合、土の質、栄養の有無、そして根気と運。すべてが完璧に調和されて初めて奇跡は起こります。

 最近気になりだしたのが、自分に幸せでない人間が増えているのではないだろうかと。自分に不幸であれば他人を思い遣る気持ちなど生まれるはずもなく、ごみの捨て方ひとつとりましても地球上には悲しいことに、身勝手な人間が増えすぎたのではないかと。自分さえ便利で都合が良ければ、たとえ世界規模で見ても宇宙規模で考えても決して宜しくないとわかることにも平気で目をつむりやり過ごしてしまう。「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」日本にゆかりのある方々は、たとえ地球のどこにお住まいであろうとも、この「詠み人知らず」のの美しき言葉を、忘れるべきでないと私は考えます。往々にして横柄で乱暴で威圧的になりがちな自分にもしも、幸運にも気づくチャンスを遅かれ早かれ与えられたのなら、心に手を置き目をつむり、今の自分は礼儀正しく親切であるのか、自分を幸せに出来ているか、先見性と洞察力を持ち過ごせているか尋ね見つめ直すことが出来れば、周囲を思いやることが出来るようになるのでは、と。

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