高温多湿の続く週に、私は閉店間際の小さなスーパーマーケットに立ち寄りました。小さい店舗ながらもセンスの良い生花コーナーの充実しているところで、ただ一目眺める為だけにも、四季を通じてその品揃えを楽しみに、好んできた処でした。その日も、よそでの出来合いの花束では決して見ることの無いお花が小ぶりのバケツに分けられ足元の高さに並んでいたので、もっとよく見ようと軽くひとつのバケツを持ち上げましたら拍子抜けするほど軽く、水が入っていませんでした。担当の方が後で水を入れようとしていてうっかり忘れたのかしら、このまま閉店されてしまったらと心配になり、私がお隣のバケツから自分で半分水を分けてあげようかと覗きましたが、隣のバケツも下2センチほどの水しか入っておらず、そのお隣も空でした。余計な事とは思いつつ、傍で別な作業をしていた若い女性に声をかけてしまいました。「お忙しい時間にごめんなさいね、でもここに水が入ってないからお花が心配で。」その方はまず私を見つめ、次に指差されたバケツを覗き、そして周囲を見渡すと、隣のバケツをいきなり持ち上げその少ない水をただ空だったバケツの方にザッと全部注ぎ、コン!と音を立てバケツを床に置くと、目を丸くした私には目もくれずさっさとまたご自分の作業に戻ってしまいました。呆気にとられ、頭ではこれを「アメリカらしい」と片付け笑って流せば良いのだろうなと考えつつも、私の余計な一言の為に入れ替わりに空にされてしまったバケツの方には綺麗なミニ薔薇が入っていたものですから、あれは一晩置かれ売り物にならなくなり捨てられてしまったか、と長く引きずり心を痛めることになりました。店舗側にしてみれば「迅速なカスタマーサービス」と二重丸を付けられる対応であったのでしょうか。

 心の伴わない所作に遭遇してしまうのは残念ながら耳新しい事ではなく、そもそも赤の他人に過剰に自分と同じ心づもりを期待しなければよいことなのです。けれど、小さな事にも心を配ってくれる人が身近に増えてくれたら、ほんの少しでも、より住みやすい世になってくれるのではないかと、淡く脆い期待を抱き続けてしまうのです。以前歴史ある驕奢なレストランで、綺麗に盛られたディナープレートのトレイを上手に肩に担ぎ身なりもきちんとされていた給仕の女性が、カランと音を立てて落としてしまった銀のフォークを、立ち止まりかがんで拾い上げるのかと思いきや、いきなり足を振り上げ「カーン!」と音を立て傍の重厚な古い木の家具の下へ勢いよく蹴り入れそのまま歩いて行ってしまい、それを食事しながら目の当たりにしてしまった周囲の客らは苦笑するしかありませんでした。その行動には一瞬の迷いも見られませんでしたから、それが当たり前の生き方をなさって来た方だったのでしょう。がっかり、さみしい、でもどうしようもなく可笑しい。困ったな、これじゃあいけない筈だけれども。しかしとにかく忙しい現代のテンポの観点からプライオリティーとタイムマネジメントの天秤にかけられたら、あの判断は見事だったのか。あのフォークは何年も後にレストランが解体されるまで出てこないだろうなあ。背後で静かに流れる室内管弦楽が哀しい余韻を残しました。

 夏の終わりを嫌でも意識するこの季節、そばで必死に生きる野生の生き物たちから多くの事を考えさせられ学ばせてもらっております。遅生まれのカーディナルの雛が両親の愛情を一身に受け8月の終わりの暑いさなかでもクラブアップルの低い木の枝を伝って移動の身のこなしの練習をしています。車庫の屋根の上からお父さんが、近くのサービスベリーの枝からお母さんが、それぞれに短く甲高い声で雛に声をかけながら近寄りまた遠ざかり、周囲を鋭く見渡しながら子育てを頑張り、雛はして良いことと悪いことひとつひとつを実践で教わっています。伸び放題の庭の木々の剪定も、それを見てはもう少しの我慢と先送りしております。ハチドリは、自分が既にどの花に嘴を突っ込んだかちゃんと覚えているそうです。人類の悪い例として私のように忘れ、間違い、無駄だらけの時間をよろよろの手探りで歩み、また戻っては躓き転び、失敗を何度も繰り返すうち時間切れのゲームオーバーを迎えそうな生き物とはわけが違うようです。ハチドリの好む鮮やかな色合いの夏の花に肥料と水を遣り、せっせと咲かせては訪れを待ちます。

 「ホーオ、へー!」甲高い声。鳥の鳴き声辞典があれば良いのにと私は子供の頃から思っておりました。オノマトペア。デジタル音声の技術にたけた今ならば、同じ興味を持って下さる方がいれば無理なく実現可能でしょう。世界の人間の言語のみならず野生の生き物の言葉の翻訳や同時通訳もなされるようになったら、平和共存も夢でなくなり誤解の少ない世界になりうるか。暗黙で絶対のルールとして自然界の生き物たちは天敵ともバランスをとりながら上手に共存していたはずでした。どこぞの人間社会の、反対意見は全く聞かず短絡的思考や感情に訴え、針の先ほどの大きさの例をあたかも巨大な山のごときイメージにすり替えながら押し出し、勢いだけで異なる意見や思想を封じ込め抹殺せんとする暗い動きには大きな危険を感じ、将来を憂います。往年の子供向けクラシックフィルム、アカデミー賞すら受賞したトムとジェリーのエピソードのハラハラで終始笑える展開の数々を思い出しながら、敵を知り敵を生かし、互いの長所短所をよく理解して上手に補いながら楽しく共存して生きてゆく術を冷静に考察致しております。

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