心臓病治療の最前線
心臓病治療の最前線

コロナの世界的流行も、ワクチンの成功により、アメリカでは、病院や診療所では、まだ100%マスク着用は続いているものの、ワクチンを打った人たちの間でのマスクなし会合は徐々に始まっていますし、全体として随分と落ち着いてきたようで、大変喜ばしいことです。私が通っているジムでも、マスク着用は不要となりました。日本でも、この原稿を書いている時点で、約3000万本、全人口比で約15%のワクチン注射が達成されたというようなニュースもあり、菅総理の提唱していた1日100万本のワクチン注射を行うという意欲的な計画も達成されたもようで、オリンピックを前に、全国民に対するワクチン注射が進んでいることは喜ばしいことです。東京オリンピックについては、色々賛否もあるようですが、オリンピックを行うという目標があるからこそ、ワクチン注射が加速されているようで、もしオリンピックがなければ、保守的な世論の強い日本で、ワクチン注射はいつまで経ってもぐずぐずしていたのではないかと思います。黒船の到着で明治維新が始まったように、オリンピックという黒船の到来で、日本の次の進路がひらけて行くことを祈っています。

 個人的には、オリンピックに向けて大変な努力をして準備をしてきた日本代表選手達の活躍を見てみたいという希望があります。卓球の伊藤美誠、石川佳純、急性白血病を克服してオリンピック代表に選ばれた水泳の池江璃花子、マラソンの鈴木亜由子、体操の内村航平、テニスの大坂なおみ、中距離トラックの田中希実など、日本が世界に誇る選手達が東京オリンピックという世界の大舞台で活躍するのを見るのは、コロナで打ちひしがれた世界に大きな希望を与えてくれるに違いありません。

 今日は、心臓カテーテル検査室における日本企業の活躍というテーマでお話しします。あまり知られていない話かもしれませんが、心臓病治療の最先端をゆく心臓カテーテル検査室で、日本企業の製品が、存在感を増しています。その代表的なものが、朝日インテックという会社とテルモという会社です。

 朝日インテックという会社ですが、心臓カテーテル治療に欠かせないワイヤーを作るのを得意にしています。昔は、私を含めて、多くのアメリカの医者達は、ガイダント(アボット)という会社の作るワイヤーを使っていましたが、心臓カテーテル治療が次第に複雑化するに従い、それぞれの状況に特化したワイヤーが必要となり、そのためのワイヤーとして、朝日インテック社製のシオン、シオンブルー、シオンブラックなどのワイヤーを使うようになりました。その他にも朝日の製品には、ガイヤ、ガイヤネクスト、フィールダー、ミラクル、スオーなどそれぞれの状況に合わせて使う特殊ワイヤーの品揃えが豊富です。また分岐部病変に使う、サスケという、側孔カテーテルもあります。また慢性閉塞病変の通過に欠かせない、極小カテーテルのコーセア、カラベル、トーナスなども朝日の製品です。心臓カテーテル治療が複雑さを増せば増すほど、日本製品が欠かせないものになって行くというのは間違いない傾向だと思います。

 また、テルモという会社ですが、もともと体温計メーカーとして日本で設立された会社ですが、今では、アメリカを含め多くの国に子会社や関連会社を持つ世界的大企業となっています。テルモは、滑りやすいワイヤーの得意な会社で、ワイヤーやカテーテルのコーチングの工夫により、滑りやすいワイヤーやカテーテルの市場で絶対的な存在感を示しています。滑りやすいコーチングは、海藻などのヌルヌルしたぬめりを研究して開発されたという話を聞いたことがあります。手首からカテーテル検査や治療をする際に、テルモのシースは、滑りやすく、挿入がしやすいのが特徴です。テルモのグライドアドバンテッジというワイヤーは少し値段が張るのですが、0.035インチのワイヤーの中では、先端の滑りやすさに加えて、群を抜いた安定性と操作性があり、優れ者のワイヤーです。またテルモのランスルーというワイヤーは、操作性、反応性に優れており、私の冠動脈治療に使う汎用性ワイヤーの第一選択の一つです。治療中に二本、三本と複数のワイヤーを使うことも多いのですが、その時に、ワイヤーの終末端に特徴的なマーカーが入っており、これも、混乱を防ぐために大変有用な、私が気に入っている特性の一つです。

 こうした日本企業の製品を使っていての楽しみは、製品に日本語名が付けられていることが多く、それぞれの製品につけられた名前の由来を想像しながら、私一人で密かに楽しんでいます。もちろん私以外に日本語がわかる医者はいませんので、私一人の楽しみということになります。

 例えば、シオンというのは、菊科の植物の紫苑(シオン)に由来しているのではないかと想像しています。またサスケというのは、真田十勇士に出てくる、猿飛佐助を想像させますし、タケルというバルーンは、日本武尊(ヤマトタケル)をおそらく念頭においたネーミングだと思われます。スオーはおそらく、周防(山口県)のことではないでしょうか?

猿飛佐助:

真田幸村に仕えた真田十勇士の一人で、甲賀流忍術使い。大坂夏の陣で徳川方に敗れたのちは、幸村と共に薩摩に逃れたと言われている。明治末期から大正期にかけて作られた立川文庫の作者達によって作られた架空の人物という説もあるが、実在の人物をモデルとして作られたという説もある。漫画などでは、忍術使いのスーパーヒーローとして描かれることが多い。

ヤマトタケル:

日本武尊は、日本の古事記、日本書紀、常陸国風土記など多くの実在する歴史書に描かれた日本古代の英雄。古代の英雄の中では、聖徳太子とともに、天皇の皇子でありながら、結局天皇にならなかった、数少ない人物の一人。父の景行(けいこう)天皇に命じられて、双子の兄の大碓尊の代わりに、西国にゆき、クマソタケル兄弟退治をする。女装をしてクマソ兄弟の宴会場に忍び込み、まず兄を、そして弟タケルを殺したが、その際、弟は、日本武尊の武勇を認め、タケルという自分の名前を彼に与えた。西征が勝利に終わって都に帰ると父景行天皇は、タケルに直ちに東征を命じた。タケルは、伊勢神宮に参拝し、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を与えられ、東征にでかけたが、静岡県の焼津というところで、敵に野中で火責めに遭う。タケルは草薙剣で草を払い、火打ち石で迎え火をつけ、炎を退ける。生還したタケルは敵を殺し、敵の死体に火をつけて焼いたことから、その地が焼津と呼ばれるようになった。タケルはさらに東征を続け、相模国(現在の静岡県)から、上総(現在の千葉県)に渡る際、にわかに海が荒れ、これを鎮めるために、妻の弟橘媛(おとたちばなひめ)が海中に身を投じると、たちまち海は静まった。入水の際に弟橘媛は、ヤマトタケルの優しさを回想する歌を詠んだ。

さねさし相模の小野に燃ゆる火の

火中に立ちて問ひし君はも

訳: 相模野の燃える火の中で、私を気遣って声をかけて下さったあなたよ……

 その後、タケルは東征を続けたが、行く先々の各地で、自分のために海に身を投げて死んだ弟橘媛を悼み、思い出して、“吾妻はや” 我妻よ!と嘆いた。それにより、関東各地に吾妻という地名が残っている。信濃を経て、尾張(愛知県)に戻ったタケルは、そこで美夜受比売と結婚する。タケルは、草薙剣を美夜受比売の元に置き、素手で伊吹山の荒ぶる神退治に出かけた。山に登る途中で白い大猪が現れるが、タケルはこれを単なる荒ぶる神の使者として見逃すが、実は、それは荒ぶる神自身であった。これにより、神は大氷雨を降らし、タケルは失神する。その後ようやく山を降りたタケルは、病の身となっており、能褒野(のぼの、現在の三重県亀山市)にて死亡する。この時、「倭(やまと)は国のまほろば たたなづく 青垣(あおがき) 山隠れる 倭(やまと)し麗(うるわ)し」から、「乙女の床のべに 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや」に至る4首の国偲び歌を詠って亡くなった。ヤマトタケルの息子の一人が第14代天皇仲哀天皇である。仲哀天皇の妃が、三韓征伐で有名な神功皇后である。

(猿飛佐助およびヤマトタケル:ウイキペヂアの叙述を下に、著者が要約した。文責著者)

 悲劇の英雄ヤマトタケルを偲びながら、冠動脈複雑閉塞病変を治療している今日この頃です。

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筆者 プロフィール:
山﨑博
循環器専門医   日米両国医師免許取得
デトロイト市サントジョン病院循環器科インターベンション部長
京都大学医学部循環器科臨床教授
Eastside cardiovascular Medicine, PC
Roseville Office
25195 Kelly Rd
Roseville,  Michigan  48066
Tel: 586-775-4594     Fax: 586-775-4506

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