初夏の早朝、外で鉢植えに水遣りをしておりましたら私の膝の高さ50センチの距離にハチドリが現れました。鮮やかなピンクのバーベナの花の中心ひとつひとつに順番に忙しく嘴を入

れてゆきます。夢中で私の存在に気づきもしません。力強く羽ばたき続ける美しいブルーグリーンの背中には多めに皺が寄っています。そうか、お前もコロナ太りか。相当な運動量で心拍数も上がりましょう。長い長い冬を越し、やっと暖かになった春先にどんどん出荷されてくる綺麗なお花に気分もほだされ、ついあれもこれもと買い込んでしまって気付けば鉢植えの数は大変なもの。真夏の水遣りの大変さに軽い後悔の念をおぼえることは毎年毎度のルーティーン。されど、今年も学習しませんでした。

 今年は裏庭のキイチゴが豊作で、鳥や小動物が毎日競って熟れた実に舌鼓を打っております。鳥の糞から種が運ばれあちこちから芽が出てコントロールは大変ですが、それでも生き物が好んで毎日我が家を訪れてくれる嬉しさに、体力の続く限り時間の許す限り草木の統制に励みます。庭で孵った鳥の雛たちがおぼつかない伝い歩きから飛ぶ練習をし始めるため、下の方の枝は極力残します。産毛のヨタヨタ歩きの頃からの成長を見守り続けその安全と、親鳥の賢い教育ぶりや忍耐力をつぶさに観察し、喜び感心致しております。危険を察せず土の上で呑気に遊ぶ子には、親は口いっぱいにミミズを銜えそれをちらつかせながら少しずつ高い枝へ雛を誘導し、子が自分の足で枝を掴み横へ伝って登り、安全な高さのところで寛げるよう上手に教えています。雨上がりにエアコンの室外機カバーの上にできた水溜りでいつまでもはしゃいで遊んでいる子には、溺れていないか危険に面していないか冷や冷やで、男親も女親も代る代る飛んで来ては様子見をしあっという間に日は暮れます。親の便利で「今日は5時間ゲームしていなさいね」などと子らに言い目を離す鳥は、私はまだ見たことがありません。2秒の油断で命を奪われるかもしれない生きてゆく真剣勝負のために、親は片時も目を離さず、生き延びるすべを実践で、子を教育し続けます。子を守り導き、繰り返し繰り返し、知恵を伝授します。

 ある日私が大型スーパーのダブルドアから入店した日没前、その2枚目の扉が開く前、足下の靴ふきマットの真ん中で小鳥の雛が途方に暮れているのを見つけました。辺りに人は見当たりませんでした。どうしましょう、でも放っておいたら次の人がぺっしゃんこに踏んでしまう。とにかく拾い上げ外に出たものの、周りはアスファルトの駐車場。いったいどこから来て何故こんなところに迷い込んだのか謎でした。雛は黙り込んだままけだるそうに綺麗な黒い瞳を半開きにしてただ私を見つめ返しておりました。死んじゃうのかなあ、声もあげないし疲れているのだろうなあ。車のカップホルダーの一コマにそうっと鎮座頂き、買い物のことはすっかり忘れ家に連れて帰りました。小さめの箱を用意し、遠い昔に母がまだ羽も生え揃わぬインコの雛を育てた時にしていたことを思い出しながら、白米を炊くときに混ぜる雑穀パックをアワ玉餌としてお湯を注ぎ、それをふやかし冷まし、竹べらが無いのでストローの先を丸くハサミで切りそれを使って雛の口元に持って行きました。すると、喉が渇いていたのか大変な勢いで飲み込み始めました。持って行くたび綺麗にたいらげ、用意した分がほとんどなくなる頃に雛は箱の中ですやすや眠ってしまいました。全身から生きようとする力が伝わってまいりました。

 一夜明け日が昇り、私はあてもなくその箱を日向に出し一緒に座っておりました。すると雛が突然、耳もつんざくような甲高い声で力いっぱい鳴き始めたのです。そうすること15分。なんと、雌雄の鳥が突如すぐ頭上の雨樋のふちに現れ、私と箱の雛を覗き込みこちらも鋭い声で鳴き始めました。呆気にとられている私を残し、雛はガタン、ゴトンとぎこちない動きで箱から飛び出し、芝生へと躍り出ました。二羽の鳥に誘導されながらあっという間に隣の芝生へ、歩道を超え街路樹へ、跳ねながら飛びながら嬉しそうに、本当に嬉しそうに、通りを曲がり消えてゆきました。あれは、あの子の親だったのでしょうか、それとも自分の子を失い養子を迎えたかった鳥たちだったか。距離にして約2マイル、車で約7分のところのマーケットからでしたが、もしかしたら私の車の後を追いずっと飛んで来て、近くで眠れぬ夜を過ごしていたのかと思うと、子を思う親の想い、若い命を助ける周りの力、自分が生長できた奇跡に、感謝で胸一杯となります。

 子の成長と親の白髪は正比例。無心無償の愛に支えられ、無邪気な子どももどんどん大きくなります。立派な体格で色々自分でできるようになりましても甘え、美味しそうなキイチゴをねだり親に付いて回っています。時にまるで一人で大きくなったような顔で胸を張っていても、頭に寝ぐせのような産毛と幼さの面影を残しながら興味本位の不用意さで人に近づき、手元で何をしているのか伺っているようでは、まだまだ。多雨の続いた週の深夜、私は白い紫陽花の中に上品で静かな光の点滅をみとめ、不思議に思い外へ出ますと、それは花の中にとまっていた蛍でした。静寂の中幻想的な即興曲を音なく奏でておりました。月の美しい別の夜には、空き家となった鳥の巣のかかる樺の木に何故、6月に雪が積もっているのかと目をこすりよく眺めてみますと、駆除せず根元から這わせていた野薔薇が生育し、初めて見事な白い花が満開したところでございました。

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