One Detroitoは、パネリストとKubota氏(上から2段目左端)。 Photo courtesy of Detroit Public Television

新緑の鮮やかさとミシガンの桜が美しい色どりを迎えた5月はAsia/Pacific American Heritage Month。日系人がはじめてアメリカに移住を始めた月、大陸横断鉄道が中国系人の力を主として完成した月でもある。それを記念して1977年Norman Y. Mineta議員のイニシアチブのもと始まった。コロナ禍の下、アジア系に対する暴力、偏見、そして殺害事件が増加している。バイデン米大統領は「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」への対策を強化する法律を5月20日に署名。憎悪が許される場所はアメリカにない、と明言。ウィットマー・ミシガン州知事も、ヘイトクライムの撲滅を宣言している。5月にデトロイト近辺でオンライン開催されたイベントを紹介する。

 One DetroitはDetroit Public TVの番組の一つで、社会、文化、芸術、環境などの問題を偏見なく公正な視点から取り上げている。そのタウンホール・ミーティングが5月19日にオンラインで行われた。

“How we got here: The Asian American Experience in Metro Detroit”

 One Detroitのシニア・プロデューサー、Bill Kubota氏が司会を司り、5つのセクションにわたってメトロ・デトロイト在住、前在住者、ジャーナリスト、ライター、弁護士、活動家たちとパネルディスカッションを行った。ディスカッションに先立ってAPIA Vote Michigan(Asia Pacific Islander American Vote Michigan)の代表者は、「アジア系の歴史はVincent Chin事件(日米自動車摩擦の1982年、デトロイトで中国系Chin氏が日本人と間違われ、二人のアメリカ人自動車産業従事者に殺害された事件)をなくしては語れない」とミーティングの指針を示した。事件後の裁判とそれが結審するまで、殺害されたVincent Chinの母であるLily Chinとともにアジア系の偏見への抗議、法による平等を求めて活動したHellen Zia氏がこの事件の影響の大きさを振り返った。

 歴史を振り返り現在を検証した最初のパネルディスカッションが印象に残る。事件当時、さまざまなアジア系市民を一つの目標、“法の下の公平さ”を求めての結束を率いた弁護士Ronald Hwang氏、Jim Shimoura氏、そして事件後にDetroit News社に入り、現在はカリフォルニア州在住のPaula Yoo氏が登場した。Yoo氏は今年、事件を扱った「From a Whisper to a Rallying Cry」を発表している。1980年代、アメリカは深刻な不況など多くの問題に直面。デトロイトは現在よりも小さな町だったが日系、中国系、フィリピン系、ベトナム系、韓国系を問わずアジア系は「One basket」に入れられていた(Shimoura氏)、いつも攻撃への恐れを感じていた。事件をきっかけに一握りから始まった集会がフォード社のHQを会場にしてと広がり、ほかの人種とも連携し、検察官やUAW(全米自動車労働者組合)との対話への協力を模索した。事件はアジア系アメリカ人の意識の高揚となった。

 司会のKubota氏はさらに現在と今後について三氏から意見を引き出した。1980年代よりも地位向上すべきだったが置かれている立場が悪化していることへの懸念が挙げられた。「same barrier, same problem」。一方、アジア系に対する差別や攻撃が繰り返されるという歴史は必ずしも否定的な面ばかりではない、当時、アジア系としての意識を高揚させた人々と同じように、 “立ち向かう” ことを今の若い世代も感じることができるから、と立ち向かうことへの必要性をYoo氏は力強く語った。そして、三氏の意見は「事件は無視できない歴史の一つ。イリノイ州のようにK-12(幼稚園から高校卒業学年)のカリキュラムの中にアメリカの歴史の中の一つとしてアジア系アメリカ人の歴史を教えるべきである」と共通していた。カリキュラムに取り上げるべき重要な点として、事件の裁判は法律上複雑な要素が含まれている、白人とアフリカ系アメリカ人というパラダイムではなく人種を超えた人権擁護のための公平な法律の適用、評決の舞台がオハイオ州のシンシナティ—に移ったことで陪審員構成が複雑になったこと、この事件が他の事件の場合でも繰り返されるという面でも検証に値するとHwang氏は語った。

 次はKubota氏と2012年Troy HSの卒業生でWhenever We’re Neededの活動の主催者Cena Vang氏との対談へと移った。アトランタでの8人の殺害事件の翌日に、少数民族(モン族出身)として常に不安を感じていた思いを街頭で訴えた。歴史という面ではVincent Chin事件については「一ヶ月前に知った。どうして今まで知らなかったのか」と言った。アジア系の女性は自分の意見をあまり話さない方がいいという美徳観があるが、世の中は変わってきている、異なる人種との橋渡しをして公平さを訴え続けたい、と若い世代の声を代表していた。

 最後に全員のパネリストが集まり、Kubota氏が「次に我々はどうするか」を再び問うた。ここでも「教育の大切さ」が挙げられた。例えば、MI Reads リストの四分の一がアジア系アメリカ人の作品で、それを教師に学校教育で読んでもらうようにするのが親が努力することだ、という意見が出た。意識の変化には行政の指針の変化が必要、1日で成し遂げられないものだから教育者へのトレーニングをして行っていかなければならないと、アジア系議員からの声もあった。さらに、「急速にアジア系人口は伸びており、経済的な面で消費者、労働者としても才能ある集団としてアメリカの発展に見逃せない存在になっている」「ものを言わぬ集団が声を出すことを発見した」「昨今のアジア系に対する動きにどのような対策を行うか、の手腕が経営者に問われているのも今後が明るい方向へと向かっていく要素になるだろう」「片方では公民権問題、もう一方では経済の発展という観点で見るとアジア系の社会的な前途は明るい」という意見も出た。

 約2時間にわたり、1980年代から現在のアジア系の40年間を振り返り、当時の公民権活動の中心者からそれを知らない若い世代までを含み、次に進む方向を確かめあった意義のあるタウンホール・ミーティングだった。 

 このミーティングは本紙発行時点、以下で公開中。
https://www.youtube.com/watch?v=_ocbH8ncqy0

Photo courtesy of Detroit Public Television

 

 コミュニティーのリアクション
“Who Killed Vincent Chin?”  
映画視聴会を通して

くしくもジョージ・フロイド氏の殺害から1年経つ5月25日、一般向けのScreening of “Who Killed Vincent Chin”(1987年制作。事件を加害者Ebensと被害者側と社会運動の複眼的視点から描いたドキュメンタリー)の視聴とディスカッションが行われた。オークランド大学(ミシガン州の州立大学。Rochester市。OU)のDr. Wakabayashi (Associate Professor of Human Development and Child Studies) と大学図書館が協力し実施。以下は視聴会の前後のDr.Wakabayashiと本紙のインタビュー。

今回のイベントの開催理由は:

学長のDI(Diversity &Inclusion)への理解もあった。イベントも多く行われたが、アジア系の話題が欠如していた。アトランタの事件へのOUの声明の遅れ、OUの一人のアジア系PhDの学生の苦しみを知り、行動を起こした。

この映画を選んだ理由は:

地元の事件だったこと、1982年の事件とコロナ禍でのアジア系に対する暴力や脅威の平行性、そして被害者側の声と加害者側の声の両方を描いていること。学生、教授、スタッフは少なからず内外を問わず差別に直面している。アメリカ社会のアジア系への問題を確認するためでもある。

さらに詳しいことを:

アジア系は“Perpetual foreigner(永住する外国人)”として扱われることが多い。実際アメリカ生まれのわが子も現地校で「あなたの祖国の日本が戦争を引き起こした」と責められたことがあった。1980年代もコロナ禍でもアジア系は同じ思いを感じているのではないか。

 視聴後のグループディスカッションには約45人が参加した。社会システムの崩壊、社会責任の欠如、出自は何であれ人命軽視という意見、また、現代との平行性として加害者の“It was an accident”という言葉からmicroaggression(意識ない差別)、忘れてはならない事件であるという声も出た。 

 アジア系の生徒の小さな声に耳を傾け広く意識喚起を行ったDr.Wakabayashiは今後、学内のアジア系教員の連携を組織づくっていくことにリーダーシップを発揮していく。

 

 

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