
去る10月21日、「日本人パイロットに聞く!」と題したオンラインインタビューイベントが行われた。JNC2020年11月号にてデルタ航空の最新情報をお伝えしたが、今回は三矢真己(ミツヤ マキ)氏のインタビューをご紹介。三矢氏は、デルタ航空の副操縦士として活躍するパイロットで、現在デルタ航空エアバスA350にてアトランタ – 羽田間、デトロイト – 羽田間などで乗務をしている。
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Q: 現在、(新型コロナの状況のもと)乗務中のパイロットはどのような状態なのですか。気を使っている部分は?
A: 健康状態には特に気をつけています。デトロイトー羽田間はパイロットは4名(キャプテン、副操縦士のグループx2)で、操縦を担当している最中のパイロットはマスク着用はオプションになっています。これは、緊急の際酸素マスクが必要となった場合、5秒以内に着用する義務があるためで、フライトの安全面を考慮したものです。予備乗務員(リリーフパイロット)は必ずマスクをつけています。私はCPRテストも積極的に受けています。国際線で他国へ行く時には、クルーは、ホテルから出ないことに署名をして入国し、ホテル内で過ごしています。
Q: 乗務中眠くなったら?
A:「気合で乗り切る」が一番ですが(笑)。パイロットの人数は連邦航空局が人数を定めています。長距離12時間以上のフライトになるような羽田-デトロイト、羽田-アトランタ間は、合計4名のパイロットで乗務しています。12時間のフライトの場合、半分に分け、半分休憩になります。フライト、休憩、フライト、休憩をそれぞれ3時間ずつ繰り返します。離陸してから15分は4名全員でコックピットにいますし、着陸45分前にも4名でコックピットに戻って乗務します。国際線の方が実は楽なこともあり、西海岸からの日本線は、シアトル-羽田、ロス-羽田間はフライトタイムが9時間前後で、そうなると3名で飛ぶことになりそちらの方がきついです。3人で9時間を分けることになるとフライト>休憩>フライトを3時間ずつ、または、休憩>フライト>フライトと6時間続けて乗務しなければならないこともあり、3名の乗務の方がきついと感じることもあります。
Q:4名のうち、キャプテンは、何名?
A:4名の場合は2名がキャプテン。(キャプテン&副操縦士、の2グループで交代)
3名の場合はキャプテンが1名、副操縦士2名で運行します。キャプテンが休憩に入る場合は、副操縦士が左手に座って、暫定的にキャプテンになります。我々全員副操縦士となってはいるが、いつでもキャプテンになれる資格をもっています。
米国の航空会社は年功序列のシステムになっていて、経験者しか雇用しません。私もその理由で8年間ほど下積みの時代があり、そこから、子会社で4年半ほど機長の経験をさせてもらいました。または、米軍で働いていた方がデルタ航空はじめ、他航空会社に雇用されるのが航空パイロットの事情です。
Q:操縦するにあたり、エアバスとボーイングの大きな違いは?また、どちらが好きか。
A:実際のボーイングを飛ばしたことがなく、マクドネルダグラスの機しか飛ばしたことがなくてはっきりとしたことは言えないのですが、一番の違いは、エアバスはコンピューター化が進んでいること。操縦はサイドスティックになり、フライバイワイヤ方式と言われるが、それが大きな一番の違いです。サイドスティックになったおかげで、テーブルがでるようになりました。これは、食事するだけでなく、ノートを書いたり、マニュアルを書いたり、アイパッドで書類を調べるのに便利です。A350になると、キーボードもついていて、会社との通信、万一のときの滑走路の着陸距離の計算などは、すべてコンピュータで計算できるので非常に便利です。
Q:離陸と着陸でどちらが操縦が難しいですか
A:どちらも難しいが、一番神経を使うのは着陸です。離陸も、9ヶ月に1回の模擬訓練では、バードストライクがありエンジンが離陸中に止まった場合などの操作は、重要になってくるので気を使います。ただ毎回気を使うのは、着陸で強風の時は、さらに注意が必要。着陸は腕の見せ所でもあり 「どれだけスムーズに着陸できるか」が一番の楽しみです。
Q:いろいろな機種にのったと思いますが、お気に入りはどれですか
A:A350が今のところ一番大好きな飛行機です。昔は大きな紙のマニュアルだったが、アイパッドが機内にインストールされているので、緊急時、航空機のパフォーマンスの計算が簡単になったり、何かが壊れたという警報も、二つのコンピュータが感知したり、マニュアルが準備されパイロットにとって親切に設計されています。
Q:飛行中最も素晴らしいと思った景色は?
A:一つは、ローマから、アメリカ大陸に戻る際にアルプスを通った時に見たアルプスの山がものすごくきれいでした。日本の航空会社のパイロットだとほとんど経験できないことだが、我々はヨーロッパ線があるので、大西洋の上を飛ぶことがあります。グリーンランドは、忘れられない景色のひとつです。標高の高い氷山は通常雲に覆われていることが多いが、何度か遭遇した雲のない綺麗なグリーンランドを見ることができました。かなりの数大西洋を横断したが、この景色は、指で数えられるくらいしか見ることができていません。
Q: コロナ禍で自宅にいる間、ラーメン作りをしたと聞いたが?
A: 時間ができたことから、これまでしようと思わなかったことにトライするチャンスになりました。手作りのラーメンは、麺、スープ、チャーシューを一から作ったりもしました。
Q 子供がパイロットになりたいと思う場合は、どうすればよいでしょうか。
A 実は、いろいろなところで必ずいうことがあるのですが、エアラインのパイロットの仕事は、85%が「管理する仕事」で、残り15%が「飛ぶ仕事」だということ。フライトプランをみて、「どういう経路で」「万一の状況下、代替空港までの燃料は十分か?」「データでは燃料が出ているが正しいのか」「天候により予報通りにいかない場合は?」など、常に危機管理を重要視しています。また、フライト時はパイロットはお互い空気を読み合い、話さなくても伝わるような関係をつくる上でコミュニケーション能力が重要となってきます。実際に飛行機を動かす部分はパイロットとして15%程度の割合と思っています。
アドバイスは、人との関係を大切にして欲しいということ。学校、バイト先、インターンシップを進んでやり、良い人の良いところを盗むと良い。「飛び」は楽しいので毎回初心に戻るが、その他の85%も大変重要だと感じます。
Q: 1ヶ月にどの位の頻度でフライトされてますか?その中で羽田行きはどの位ですか?
A: ウェビナーでも少し触れましたが、デルタ航空だけでなく、米航空会社の乗務員は年功序列システムになっております。入社期間が長ければ長い程、優先されるシステムになっております。たとえ子会社でどれだけ優秀な機長だったとしても、デルタ本社に入社した時点で、また1からやり直しになります。Seniorityを基に、月々のスケジュールや飛びたい機種、その機種を機長としてか、副操縦士として飛びたいか等と、全て「Bid」するシステムになっています。
私のSeniorityではデトロイトやニューヨークでB737・A220・A320の機長に今でもなれるのですが、「撤退が決まっている以上、飛ばなくなる前に自分の一番好きな成田にパイロットとして飛ばなければならない」と言う自我的な意思があった為、自分からA350の副操縦士をしています。。
その代わり、私はA350副操縦士の下っ端になります。故に、スケジュールをビッドする際も休みたい時に休みが取れない等と言う難点もあります。年功序列の世界なので仕方ない事ですが、成田にパイロットとして飛べたので、悔いはありません。(スタンバイの月でも)羽田には今のところ月一で乗務しています。
Q: 例えば、アトランタ-羽田を片道フライトを飛んだ後のインターバルはどの位ですか?
A: 仕事と仕事のインターバルは、7日間の内に30時間は必要と連邦航空法で定められております。パワフルな方は、国際線を飛び終えたあと、2日後に又飛ぶという人もいます。私はインターバルを置きたいタイプです。
Q: どの機材が飛びやすいですか?
A: デルタ航空ではA350、A330、B717、子会社の時代にはエンブラエルE-175、ボンバルディアCRJ200と飛んできました。パイロット個人個人で好みがありますので、パイロット全体代表してお答えする事はできませんが、個人的な順位は:
1位 A350
2位 A350と同点でも良いくらいですが、A330
3位 E-175
になります。
エンブラエル社がもし国際線仕様の大型機を設計し、デルタ航空が導入を決定した場合、私は問答無用でその航空機のパイロットになるつもりです。ブラジルの航空機製造会社ですが、エアバスとボーイングよりも優れたデザインを数々搭載していました。機長経験が一番多い航空機の為、特別な思いがあります。
Q: 乱気流に遭遇した際は、すごく緊張感の高いものなのでしょうか。
A: 「おおお、揺れてる揺れてる。笑」と言う程度なのですが、別な緊張感がございます。
それは、「客室乗務員とお客様の安全」です。我々は操縦中は常にシートベルトを着用していますが、客室乗務員は機内サービスがございますし、ベルトサインが点灯していない際はお客様もベルトを外しておくつろぎになられている方もいれば、お手洗いを利用されている方、ストレッチをしたいために席を離れている方と沢山いらっしゃいますので、揺れが大きい時、客室乗務員とお客様が心配になります。ベルトサインが点灯してても、席を離れるお客様が一番心配です。
Q: 私も 9歳の時に親の仕事の関係でLAに滞在し、12歳で帰国しました。三矢さんは引き続き米国に残られたわけですが、その当時日本に帰国しないことに対してどう思われましたか?不安などはありましたか?
A: 結果的に残って良かったですが、不安もあり何よりも複雑な思いをしていたのは確実に言えます。12歳の頃に初めて祖父を亡くし急遽一時帰国をし、葬儀に参加したことは今でも忘れられません。渡米後初の一時帰国が愛する祖父の葬儀でしたのでショックでした。そのため、アメリカに帰る時はかなりの抵抗がありました。「残った祖父祖母、親戚に何かあったらまた同じ悲しみを繰り返さなければいけないのか?」と言う感情が強く、少しでも近くに戻りたいという気持ちは確かにありました。このような経験もあったために、パイロットになれて良かったと思っています。日本と米国の距離が縮みました。
また、この様な経験を過去にしたからこそ、貨物航空会社ではなく旅客航空会社のパイロットになったのだと確信しています。冠婚葬祭を含め、たくさんの想いを込めて過去に乗客として搭乗していましたので、その恩返しをするためにも無感情な貨物を運ぶのではなく、旅客機のパイロットになったのです。
Q: 操縦前夜などは、必ず睡眠時間を最低何時間確保しないといけないなど、制限はあるのでしょうか。
A: 制限は特に航空法で定められてはおりません。国際線ではリリーフ・パイロットも乗務しており、夜行バスのように乗務を交代し休息を取ることができますので、前夜深い睡眠がとれなくても、個人的にはそこまで心配しておりません。
Q: 日本行きで右側、左側で綺麗な眺めを見る機会はどちらが多いでしょうか?例えばこの時間によくオーロラが見えるなど。
A: A330の副操縦士をしていた際、頻繁にデトロイト―名古屋・中部国際空港便を乗務しました。そこで感じましたのは、日本線は右席の方が景色が良いことです。日本列島に到着すると東京便では右側に本州が見えます。名古屋便では、日本アルプスを飛びこすだけでなく、中部を離陸した際、かなりの確率で富士山の近くを低高度で飛ぶことが出来、それが殆どの場合機体から右側に富士山が位置していました。同乗した日本人客室乗務員が涙する程綺麗な時もありました。
正直、オーロラは右・左席関係なく見えます。A350は特に、コックピットの窓は意外と大きいのです。
羽田のRwy22に着陸する際、右側に東京ディズニーリゾートがハッキリと見えますので、日本線の場合、右席は特等席と言えるかもしれません。
Q: フライトの時間によると思いますが出勤のシフトはどんな感じ何でですか?
A: アジア線の場合は主に正午に出発するスケジュールになっております。
デルタ航空では、国際線の場合は出発の1時間半前にブリーフィング・ルームに集合する事になっておりますので、大体午前10時半にはパイロット全員集まり、ブリーフィングとプラニングを開始します。ヨーロッパ便は主に夕方から夜の出発になりますので、遅めの出社になります。
Q: 今はコロナでホテルで軟禁状態でしょうが、通常の到着都市での過ごし方などSHAREいただけますか?
A: ステイ先では人それぞれですが、殆どの場合、パイロット同士で夕方17時半辺りにホテルロビーで集合し、外出していました。到着都市で友人と会うなど、人それぞれです。が、パイロット同士の仲が良ければ良いほど、ステイでの一泊を満喫できていました。
Q: 好きな空港、苦手な空港はありますか。
A: 苦手な空港はありません。難しければ難しいほど、腕の見せ所があり、楽しんでおります。
国内線では難しくても楽しんでいた空港はニューヨークのJFK、ラガーディア空港とワシントンDCのDCA空港でした。
オートパイロットや機械に頼らずに手動で進入を操縦し、最後の最後で昔の香港啓徳空港の様に急旋回をし直後に着陸をするような空港が大好きです。そのような空港進入を今でもできるのが、JFK、LGA、DCAです。国際線ではLGAやDCAのような複雑な空港にはほぼ飛ばないので、若干物足りなさはあります。が、JFKや羽田のRwy22とRwy23に着陸する際に緩い旋回をして着陸しますので、似た経験ができます。
逆に一番気を付ける空港は、韓国の仁川です。北に離陸する際、北朝鮮のDMZ(軍事境界線)に近寄らないために離陸直後に東か西に急旋回します。DMZ付近を飛んだ際、或いは入ってしまった際は非常に危険だからです。
Q: バードストライクに今まであったことはありますか?また、一番緊張したエピソードをお教えいただければ幸いです。
A: あります。離陸時のバードストライクはまだ未経験ですが、着陸中のバードストライクは何度も経験しています。
Q: 離陸時に一番感動した空港はどこですか?
A: 日本に初めてパイロットとして着陸した関西空港、客室乗務員の妻と一緒に働いた名古屋・中部国際空港、ホノルルやローマ等沢山ありますが、やはり小さい頃から馴染みのある成田に自分で離・着陸した時が一番感動しました。
Q: DLのパイロットになるためにはどう言うアプローチが必要ですか?
A: 一番の難関は「米国籍、あるいは永住権保持者」であることです。
パイロットと言う仕事は、米国では外国人労働ビザをスポンサーすることができません。何故かと言うと、「外国人を雇わなくても、パイロット・ライセンスを持っている自国民を雇うことができるから」です。米国でパイロットになるために私の母校に留学してきた学生を沢山見てきましたが、日本ではそのようなガイダンスを受ける環境にないため、無念に帰国する日本人留学生を目にしていました。その代わり、多少お金はかかりますが、日本のライセンスに書き換え、日本の航空会社で活躍されている人もいます。
デルタ航空だけでなく、米国でエアライン・パイロットになるには、私の様に飛行教官等をして飛行経験を積み、子会社で旅客機の経験を貯めてから大手に入る方法、あるいは米軍でパイロットとして10年以上飛び、米軍を退職してから大手航空会社に応募するという方法と、二つに分かれます。デルタのパイロット採用条件は総飛行時間1500時間、ジェット機の飛行時間が1000時間以上と記載されています。実際のところ、デルタで雇われている経験者の平均総飛行時間は8000時間です。私がデルタに入社した時点での総飛行時間は約7000時間、ジェット機の機長時間は2950時間でした。
Q: パイロットになるために一番必要な能力は何ですか?
A: ウェビナーでも回答しましたが、操縦技量は勿論ですが、「管理能力」が一番重要だと思っています。
デルタ航空では、パイロットの採用試験にシミュレーターでの飛行試験を実施していません。
個人の航空日誌を拝見した時点で、経験者だという事を把握できるだけでなく、機長になるためには「管理能力」が一番求めらるからです。ざっと言えばコミュニケーション能力とも言えますが、適切な言葉がありません。「人間と人間同士の関係を上手くできる人」こそが良いパイロットになれるかと思っております。
(だからと言って自分が優れているわけでもありません。定年退職、あるいは何らかの理由で飛べなくなるまでは、日々勉強と反省の繰り返しだと覚悟しています)
Q: 雷が飛行機にあたる事はありますか?ある場合、飛行に影響はありますか?
A: 雷の源でもあります「積乱雲」は絶対に入りません。どう間違っても入らないようにします。入った時点で航空機はバラバラになります。積乱雲はそれだけ危険な気象現象なのです。が、雷とは雲・雨・雪等の空気上の水分同士の摩擦でできる科学的現象のため、どれだけ積乱雲から距離を置いたとしても、落雷を受けないとは言えません。
万一航空機が落雷を受けたとしても、殆どの場合は影響ありません。セスナ等の小型機を含め、航空機には放電棒(針)が設置されており、万一落雷があっても車のようにグランドされているため、放電棒を使って受けた雷をそのまま放電できます。しかし、打たれどころが悪かった場合は、電子系統や計器に害をきたす事がまれにあります。が、エンジンが止まるわけでもありませんので、安全に緊急着陸ができます。
Q: パイロットになるには何を勉強すれば良いですか。
A: 操縦技量の訓練やセンスは勿論重要なのですが、何よりも「人付き合い」を勉強するように私は若い方々に伝えています。
ウェビナーでも説明しましたが、我々の職は85%以上は管理職で、残りの15%以下が飛びなのです。どれだけ操縦が上手でも、機長になれる人・なれない人の違いは管理能力に違いがあるからだと確信しています。後は、目の視力が良ければ良いほど、仕事にも役立つだけでなく、(空軍戦闘機のパイロットになれる等)職種も増えます。たとえ矯正視力でパイロットになれるとしても、ビデオゲームや漫画・小説の読書等は控えるべきかと思います。読書はやめろとは言いませんが、限度を考えほどほどにするべきだと思います。
<三矢真己氏 プロフィール>
9歳の頃に父親の仕事の都合により家族で渡米し、そのまま永住。「目が悪いためパイロットになれない」と長い間思い込んでいた中、大学2年生の頃ノース
ウェスト航空のパイロットと出会い、「目が悪くてもパイロットになれる」ことを教えてもらう。夢を実現させるためにウェスタン・ミシガン大学-航空学部に再入学。在学中に事業用操縦士資格、後に操縦士教官証明を取得。
2005年に大学を卒業し、グアム島でセスナC172の操縦訓練教官・遊覧飛行パイロットとして経験を積み、2007年にデルタ航空子会社に入社する。ボンバルディアCRJ-200型機とエンブラエルE-175型機の副操縦士として約3年、後に機長として約4年半乗務。
2014年にデルタ航空・本社に入社。ボーイングB717型機に副操縦士として国内線を3年、エアバスA330型機に副操縦士として太平洋・大西洋路線を2年乗務した後、現在エアバスA350型機の副操縦士として乗務中。日本線・韓国線・中国線・北欧線を担当中という。総飛行時間は9550時間。