
(JNC 2020年11月号掲載)
第二次大戦後すぐにアメリカで行われた、大規模な疫学調査フラミンガム研究の結果、血液中の高コレステロール値が、心筋梗塞や狭心症などの虚血性心疾患の発生と強く相関していることがわかりました。このコレステロールは、さらに細かく分けると、善玉コレステロール、悪玉コレステロール、総コレステロールなどに分けられることがわかりました。善玉コレステロールは、高比重コレステレロールとも呼ばれ、このものは、末梢からコレステロールを抜き取ってきて、肝臓に戻す働きがあることがわかり、この善玉コレステロールの値の高い人は、虚血性心疾患にかかりにくいことがわかりました。これに対して、悪玉コレステロールは、低比重コレステロールや、極低比重コレステロールとも呼ばれ、このものは、肝臓で作られたコレステロールを末梢血管に運び、血管壁などにコレステロールを沈着させる作用があることがわかりました。それで、悪玉コレステロールと名前がつけられています。総コレステロールは、善玉と悪玉の合計値です。
こうして、総コレステロール値や、悪玉コレステロール値の高い人は、心筋梗塞などの虚血性心疾患にかかりやすいという疫学的な関係はわかってきましたが、それを治療する手段がなかったので、昔は、はいそうですかで議論が終わっていました。ところが、日本の東北大学農学部出身で、三共製薬の研究所におられた遠藤章(えんどうあきら)先生が、コレステロールの生成を阻害する物質を、1970年代に発見されてから、これが、スタチンという名前で全世界に使用されるようになりました。
遠藤先生は、1933年秋田県に生まれ、1957年に東北大学農学部を卒業、1966年には同大学で農学博士となられました。その後三共製薬の研究所で、カビなどから抗生物質を抽出する研究をされていましたが、カビが寄生虫などから身を守るために、コレステロールの生成を妨害する物質を出しているのではないかとの仮説を立てられました。カビは、自分の細胞膜の生成には、エルゴステロールという物質を使い、コレステロールは使わないので、敵を攻撃し、自分には害を及ぼさない物質として、コレステロールの生成阻害剤を出しているのではないかとの仮説だったわけですが、この仮説が見事に的中し、カビが生成する物質の中から、コレステロール生成を阻害し、しかも人体に対する副作用が少ない物質を見つけられました。とはいえ、これは気の遠くなる程根気がいる仕事で、コレステロールの生成を阻害する物質を六千個以上の候補物質の中から、藁の山から針一本を見つけるような作業の後にこれを見つけ、この物質に、コンパクチンという名前をつけられました。今では、世界中でリピトールという商品名でお馴染みの、アトロバスタチンも、クレストールという名前でお馴染みのロスバスタチンもこの遠藤先生の発見に基づいてその類似物として発見、合成されたものです。遠藤先生は、まだノーベル賞をもらっておられませんが、いまだ86歳で元気で日本でご存命ですので、近々受賞されるのではないかと私は思っています。それくらいすごい発見でした。この薬のすごいところは、ただ血中の悪玉コレステロールの値を下げるというだけではなく、実際に心筋梗塞などの心血管事故率を、5年で25%から30%程度下げることができるということが1990年代に行われた大規模臨床治験で証明されたことです。
こうして、今では、私たちは急性心筋梗塞後の患者さんや、心臓バイパス手術後の患者さん、ステント治療後の患者さんには、必ずスタチンの薬を服用するよう勧めます。
ところがこのスタチンにも、弱点があります。それは、服用された患者さんのうちで、かなりの割合で、筋肉痛を訴える患者さんが出てくることです。これに対しては、服用量を軽減したり、違うスタチンに変えてみたりしますが、それでも、かなりの割合の患者さんでスタチンを服用することができないジレンマを避けることは難しい状況でした。
これに対して、最近、救世主が現れました。それは、PCSK9阻害剤というお薬で、これは、肝臓表面にある悪玉コレステロール受容体の分解を促進するPCSK9という物質を阻害することにより、受容体を増加させ、悪玉コレステロールが、血中から肝臓に取り込まれることを促進し、
それによって血中悪玉コレステロール値を激減させます。このPCSK9という物質は、体内で自然に作られる物質なのですが、このものがなぜヒトの体内に存在するのかということはよくわかっていません。というのは、突然変異により、この物質が体内に存在しないか、極く少量しか存在しない、或いは突然変異により、その機能が失われてしまった人たちが見つかっており、この人たちを調べてみると、心筋梗塞や狭心症の発生率が極く低いということ以外には、何の機能的な異常も見つかっていないのです。この人たちは普通に成長し、知能も運動能力も正常で、結婚し、子供を作り、その子供にも特に異常が見つからない、という結果が報告されています。ということは、このPCSK9という物質は、これまで分かっている限りでは、人の体内で自然に作られる物質でありながら、その宿主のヒトに対しては何の役にも立たず、ただ害悪をもたらすのみという物質であることになります。そんなわけで、今世界中の研究者が、この物質を抑える薬を開発中で、現在、臨床で使われているものは、このPCSK9に対する抗体で、エボロキュマブという名前のお薬ですが、それを二週間から四週間に一回、皮下注射することで、PCSK9の作用を抑え、悪玉コレステ
ロール値を激減させることができるというもので、これにより、悪玉コレステロール値を半減またはそれ以下に抑えることができます。この薬を使用することにより、今では、血中の悪玉コレステロール値に、20ミリとか30ミリとか、昔では考えることもできなかったような低い値が出ることも稀ではなくなりました。
エボロキュマブはPCSK9に対する抗体なのですが、そのほかのメカニズムでPCSK9を阻害する試みも進んでいます。インクリセランというお薬は、肝臓でPCSK9のメッセンジャーRNAを阻害することにより、効果が持続し、
1年に1回か2回の皮下注射で抗体をベースにしたPCSK9阻害剤と同等かそれ以上の効果を得ることができます。こうなれば、1年に1回か2回のインフルエンザの予防注射を打ってもらう感覚で、悪玉コレステロール値を下げることができそうです。この薬は、2021年の春頃にはアメリカ合衆国食品薬剤局の承認が受けられ、市販され始めるのではないかとの予想がされています。また、PCSK9という物質が本当に、百害あって一利なしの物質であるならば、子供の時にこの物質に対する、ワクチンのようなものを投与すれば、一生の間、コレステロールの低値が保たれ、“虚血性心疾患に対する生涯免疫”のようなものを獲得することができるのではないかというような、未来小説のような話もぼちぼち出始めており、この領域での新薬の開発には目が離せないところです。
エボロキュマブの欠点は、注射でしか投与できないことで、錠剤にすることができません。これに対して、最近、ベンペドイック酸という錠剤がネクスレトールまたはネクスリゼットという名前で、市販され始めました。これは、スタチンと同じように、コレステロールの生成を阻害するお薬で、スタチンと比べて良い点は、肝臓に取り込まれない限り、活性されないということです。これにより、筋肉痛という副作用がほぼなくなり、スタチンを服用できなかった患者さんに、大きな光明となりました。
ベンペドイック酸はスタチンよりは、悪玉コレステロール値改善作用が弱いと言われていますが、筋肉痛でスタ
チンが服用できない人で、PCSK9阻害剤の注射が嫌いという人にとっては、良い選択肢と言えます。
ヨーロッパ心臓学会では、昨年ごろより、虚血性心疾患などのある患者さんについては、悪玉コレステロール値のターゲットを55mg以下と設定しました。つい最近のニュースによると、アメリカ心臓学会も近くこのターゲットを承認する予定であると言われています。アメリカ心臓学会は、最近まで、“低ければ低いほど良い”と言いながら具体的な目標値は示していなかったので、これは、大きな前進です。
虚血性心疾患のある患者さんの二次予防として、悪玉コレステロール値55ミリ以下を掲げて、高悪玉コレステロール血症と人の戦いはまだまだ続きそうです。
monoclonal antibodies to PCSK9 ーベンペドイック酸はコレステロール合成経路のうち、スタチンより 2箇所上流のACLという酵素を阻害する。ウイキペディアより。 Image from www.esperion.com
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筆者 プロフィール:
山崎博
循環器専門医 日米両国医師免許取得
デトロイト市サントジョン病院循環器科インターベンション部長
京都大学医学部循環器科臨床教授
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