
(JNC 2020年5月号掲載)
久しぶりに包丁を研ぎました。無欲無心で臨みかつ気の抜けない単純作業というものは、知らぬうち積もるストレスの解消法として相応しく、爽やかな充足感をもたらせてくれます。水と砥石の狭間から発せられる日本ハガネの、薄い鉄のしなる伸びのある独特の音。身の引き締まる音がシュ、シュ、時代劇の効果音をも彷彿とさせる硬く鋭い音がシャキーン。それぞれが織りなす懐かしい緊張感が、次々心地良く精神に浸透してゆきます。住み慣れた我が家、そこで過ごす時間が増しますと、普段は気にも留めぬ些細な事に喜びを見出せ幸せな気持ちとなります。温もりのある木の床に裸足で触れながら、折に触れ味わってまいりました世界の巨木にまつわる話など、思い出しておりました。
私はオークの木に思い入れがございます。神の宿る木、生命力の象徴。森の王と称えられる厳かで立派な姿。文明への用途は宮殿や教会など歴史的建造物の材料としては勿論のこと、宗教芸術、家具、酒樽等様々で、綺麗な木目も馴染み深く、何世代も受け継がれてゆく魅力は洋の東西を問いません。滋養なその実どんぐりは、家畜の飼料、またパンやだんごの材料にと人々の生活にも密着して来ました。残念ながら大航海時代に船舶の材料とされてグレイトブリテン島ではオークの大森林が姿を消しました。松、杉、クヌギといった利用価値があり商品価値も高い木は、どこの国でも人間にどんどん切られ、しかし節々が多すぎて無用の長物とされるガジュマルの木などは残り、大きく育ち木陰を作り、世界の文化や生き物の安らぎの拠り所となり、静かに時を刻みつづけます。
我が家の庭にはいつも通り球根からシーラの花が開き始めましたが、今春は暮らしに異例の規制があり、夏のお花や野菜を適時にスタートさせることができませんでした。ミシガンは夏が短いので早いうちから室内で種まきを始めませんと、秋風が吹く頃になっても花は咲かず実も生らず、夏を楽しむには間に合いません。他にも、例年ならば母の日をターゲットに市場に出回り楽しまれるはずの風物詩が、非エッセンシャルとの指定を受けた「楽しみ狩り」に遭い、無下に奪われた悲しい春です。私は「無駄」と「遊び、ゆとり」は違うものと考えます。先の見えない不安のどん底にいるからこそ、人々はゆとりを求めます。ふっと笑い緊張をほぐせ、恐怖を束の間忘れる一息から、戦い続ける活力を得る。これは大切なエッセンシャルです。緊張の連続のご職業の方は特に、落語を聞いたりゴルフに出かけたりの気分転換を大切な時間とみなされますし、人気のある作家や映画監督は、緊迫の連続の御自分の作品の中には必ず、わっと緩み笑える場面を織り込みます。そうすることでメリハリが生まれ、次の展開がより生かされてゆきます。線の引き方が大変難しい事であるのを重々承知の上で物申せば、自由主義社会にありながらゆとりは当面我慢なさいと規制されてしまったことはゆゆしき事態で、今はそれほどの、非常事態なのです。尚更、人々が前へ進んでゆく為には、飲み水と食料の確保のみならず、別に精神面の支えとなる、開かれたものが必要となってまいります。
日本のチューリップの名所で、今を盛りと咲き誇っていた花々が首をすべて刈り取られる「処分」を受けたというニュースには肩を落としました。外出自粛要請に反し人々が見に来ていたので、見物客の数が400人を超えてしまうとの配慮から、というのがその言い分でした。都内の桜の憩いの場も工事現場用テープで通り抜け禁止とされていて、戸惑う親子連れの姿も見られました。やっと訪れた春に、今年は花を愛でることすら許されないのでしょうか。そのうちもしやもっと乱暴な意見をも実行に移す輩が出て来るのかと空恐ろしく、方向を見失いかけた人間の危うさに尊い地球の行く末が案じられます。ウイルス感染の有無に関わらぬペットの殺処分が命ぜられたとの背筋も凍る某
国家のありよう。民主主義国家に生きている筈なのに、互いの監視や密告を奨励せん行政も出て来てしまった恐ろしい現実。樹齢何千年の木にしてみれば人の一生など塵のごとき時間、しかしその一瞬に、取り返しのつかぬ事態をも引き起こしかねない人類の罪。
生きてゆくことがティームワークであることを、これほど思い知らされた時はございません。重要で人々を助けるアカデミックに、ゆとりを与え人々を癒し不安を軽減させるアートに、人々を統率すべきポリティックスに、各フィールドの優れ秀でた才能と、既に最前線で挑戦し続けている経験豊かなスペシャリストたちを今はあらゆる方面から全力で支援せねばならない正念場です。主観の強すぎる扇動は控え、自らも何に貢献できるかに真剣に取り組まねばなりません。暮らしが尋常を取り戻し、晴れた心で青空を見上げることの出来る日が、早く巡ってまいりますよう、地球の片隅で祈りつづけます。