(JNC 2020年1月号掲載)

先月フィラデルフィアで開かれたアメリカ心臓病学会の学術集会に行ってきました。アメリカで医療をしていて、気持ちが良いのは、学術集会が日々の臨床と直結しており、学術集会で発表された治験の結果が、すぐさま臨床に反映されることです。そのようなことができるためには、発表される研究結果が、製薬会社や、デバイス会社の利益誘導の下に行われていないこと、統計処理に無理やこじつけがないこと、研究結果の元になったデータに、改ざんや意図的な除外や編入などが行われていないこと、などが大変大事になります。こうして、厳しい審査の後に採用された研究発表成果は、どれも聞いていて面白く、興味があるものでした。そのうちのいくつかをご紹介しましょう。

DAPA-HF 治験:

ダパグリフロジンというお薬は、最近注目を集めている、糖尿病薬グリフロジンのひとつですが、この治験においては、このお薬が、糖尿病以外の心不全の患者さんにも使えるか、という大規模無作為抽出臨床研究がなされ、驚いたことに、このお薬は、糖尿病のあるなしにかかわらず、入院を必要とする心不全または心循環器原因による死亡を26パーセント、最初の心不全の増悪を30パーセント、循環器原因の死亡を18%、総死亡率を17パーセント減少させるという、いずれも統計学的に有意な結果が出されました。グリフロジンは、腎臓の近位尿細管という場所に働き、原尿からのブドウ糖の再吸収を阻害することによって、体内から余分のブドウ糖を排出するのを助けます。このブドウ糖の再吸収には、ナトリウムブドウ糖共同運輸タンパクというものが関与していますので、ブドウ糖の再吸収を抑えるということは、血圧上昇や心不全の原因となるナトリウムも一緒に体外に排出することになります。こうして、今やグリフロジンは、心不全治療治療に欠かせない薬となろうとしています。昔、高血圧治療薬として開発されたミノキシジルというお薬が、いまでは、主として男性のハゲの治療薬として使われている例や、同じく循環器薬として開発されたシルデナフィルというお薬が、みなさんも良くご存知のバイアグラという名の商品名で、主として男性の勃起不全に使用されている例を引くまでもなく、糖尿病薬として開発されたこのお薬が、糖尿病のあるなしにかかわらず、心不全の欠かせない治療薬として使われる日があまり遠くないと思います。

PARAGON-HF治験

最近の心不全の治療に画期的な変化をもたらしたお薬の一つに、サクビトリル/バルサルタン合剤(米国での商品名エントレスト)があります。前者は体内で自然的に合成される、BNPというホルモンを分解するネプロライシンを阻害して、BNPを増加させます。このBNPは体内で自然に合成されるホルモンで、このものは、自然の血管拡張薬および利尿薬として働き、サクビトリル投与により体内で増加し、心不全を防ぎます。ところが、ネプロライシンには、他にも、ブラジカイニンや、アンギオテンシン2という、体にあまり良くないホルモンを分解する作用があり、このネプロライシンを阻害するお薬だけを使用すると、これらの悪いホルモンが過剰作用し、良い効果と悪い効果が互いに打ち消し合ってしまいます。これを防ぐために、ネプロライシン阻害薬であるサクビトリルとアンギオテンシン阻害薬を合剤にして、サクビトリルの良い効果だけが現れるようにしたのが、この合剤で、数年前にこのお薬を使い、アンギオテンシン阻害剤を対照群にした大規模無作為臨床治験PARADIGM-HFにおいて、入院を必要とする心不全、循環器原因による死亡、総死亡率のいずれも、統計学的に有意な改善を見ました。このPARADIGM-HFは数年前に発表され、エントレストは、今や、米国での心不全治療に欠かせない武器となっていますが、今回、PARAGON-HF治験の結果として発表されたのは、このエントレストというお薬が左心躯出率が正常な心不全にも効果があるかという、野心的な研究で、結果が楽しみに待たれていましたが、残念ながら、統計学的有意さを証明することができず、この左心躯出率が正常な心不全患者群については、まだいまだに決め手となる治療法が見つかっていません。

ISCHEMIA治験

無症候型慢性安定型狭心症において、ステントや心臓バイパス手術は、将来の心筋梗塞や心死亡率を改善しないという、循環器医にとっては、今までよく知られていた経験を追証することになったこの治験は、ニュースなどで華々しく報じられましたが、私たち循環器医にとっては、あまり新しい知識が増えたという印象はありませんでした。この治験においては、急性心筋梗塞などの急性冠動脈症候群や、左主幹部病変、不安定な症状、血行動態の患者さんは除外されていますし、この治験自体の結果の中でも、ステントやバイパス手術による狭心症症状の有意な改善は認められていますから、冠状動脈再疎通療法の重要性が否定されたというものではありません。ただ、症状がない患者さんについては、まずとりあえずスタチンや、抗血小板療法、血圧コントロールなどの積極的な薬剤療法を行うということの重要性が再確認された意義はあると思います。

ORION-10 治験

今や、LDL コレステロールが、動脈硬化性疾患の元凶であるということが、日に日に強いエビデンスで証明され、血液中のLDLコレステロールに付いては、低ければ低いほど良いというのが、アメリカの循環器学会での通説になりつつあります。昔は、悪玉コレステロールの値が100くらいだと、まあ良いと言われていましたが、最近では、動脈硬化症のある人については、30とか20mg/dlとかまで下げることを勧める人もいるほどです。それを強力に推進したのが、PCSK9阻害剤です。PCSK9は、体内で自然に生産され、肝臓でのLDLレセプターの分解を促進します。肝臓は、このLDLレセプターを介して、血中のLDLを肝臓内に取り込み、LDL の血中濃度を下げます。したがって、PCSK9が高値であると、LDL レセプターの分解が促進され、LDLが肝臓に取り込まれなくなって、LDL の血中濃度が上がります。先天的にPCSK9が欠損している家族も見つかっており、この家系では、悪玉コレステロールが15前後で、心筋梗塞や脳卒中などの循環器系の病気で亡くなった人は見つからず、PCSK9が低いことによる副作用も見つかっていないそうです。現在、PCSK9を下げる方法としては、マウスに抗体を作らせて製造した抗体製剤が2つ(エボロクマブ および アリロクマブ)米国で承認されていますが、これらのものの欠点としては、高価なことと、1月に1度か2度の皮下注射を必要とすることです。これに対して、今脚光を浴びているのが、PCSK9のメッセンジャーRNAの補完的な配列を遺伝子工学的に合成し、これに、肝細胞を標的とするための”おとり”をくっつけた、インクリセリンというお薬です。smRNA(Small Interfering RNA)と名付けられたこのテクノロジーは、原理的には、他の病気にも適応が可能で、今世界中の研究者がこのクラスのお薬の開発にしのぎをけずっています。さて、このインクリセリンを使った、ORION 11の臨床治験において最大限のスタチンが使用されている患者において、偽薬に比べて、インクリセリンを追加投与すると1年半後、使用前に比べて血中LDLをさらに56%減少させたとの驚くべき結果が報告されました。しかも、このお薬は、6ヶ月に1度皮下注射するだけで良いのです。つまり、インフルエンザのワクチンを1年に2回投与するような感覚で、悪玉コレステロールを劇的に減少させ、それによって、将来の心筋梗塞などを劇的に減少させることができると考えられています。このお薬はまだ米国薬剤食品局の許可申請中で、臨床で使うことはできませんが、発売になれば、動脈硬化症の治療が劇的に変わるのは間違い無いと思います。大手製薬会社のノバーチス社がこのお薬を開発した会社を97億ドル(日本円で約1兆円)で買収したとのニュースが2週間前報道されました。

REDUCE-IT治験

この治験は1年前、高脂肪酸血症の患者さんに対して、魚油に含まれている、EPA、エイコサペンテチルを抽出したもの2グラムを1日2回服用することは、偽薬に比べて、急性心筋梗塞及び心臓血管死亡率を25%程度、統計学的に有意に減少させるという報告がなされたものを、今回、米国の患者さんに限って、分析を行ったものです。今回、米国のみの患者さんにおいても、米国以外の患者と同程度かそれ以上の利益があることが証明されました。この治験が今までと違うところは、魚油の中から、DHAを除き、EPAだけを純粋に抽出して使用したという点です。これまでの臨床試験では、魚油そのものでは、臨床的な利益が証明されていませんでした。この発表がなされてから、1ヶ月もしないうちに、米国食品薬剤局はこの薬の適用を広げ、心臓事故率の削減という項目などを追加することを許可しました。今まで、高脂肪酸血症に対しては、血中濃度を下げることはできても、それが急性膵炎の防止および治療という以外には、必ずしも循環器的な利益、心臓事故率の減少という臨床的な改善にはつながっていなかっただけに、この治験の結果は、大きな意味があります。

筆者 プロフィール:
山崎博
循環器専門医   日米両国医師免許取得
デトロイト市サントジョン病院循環器科インターベンション部長
京都大学医学部循環器科臨床教授
Eastside cardiovascular Medicine, PC
Roseville Office
25195 Kelly Rd
Roseville,  Michigan  48066
Tel: 586-775-4594     Fax: 586-775-4506

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