
サギノー市にある本格的茶室と日本庭園を擁する日本文化センター『阿波鷺能庵(あわさぎのうあん)』で、9月11日(日)に日本祭が催された。サギノー市は徳島市と姉妹都市であり、今から30年前の1986年に両市の友好のシンボルとして阿波鷺能庵が造られた。両市が建設費を出し合い敷地を共有し、維持が容易ではない茶室を含めて共同で管理を継続している。
両市が姉妹都市提携を結んだのは1961年。徳島からの全米派遣農業実習生がサギノー市に滞在中に現地ホストファミリーと親しくなり、帰国後も交流を続けたことがきっかけとなって話が持ち上がり、提携が実現した。個人からスタートした珍しいケースであり、熱意のある人々による草の根交流が根を張り、幹となったといえる。
茶室の設立にあたっては、1957年に同市に移り住んだモスナー陽子さんが資金集めに乗り出し、奔走した末に茶室の着工に漕ぎつけた。その後も陽子さんはセンターの管理と運営に携わり、交流を支えている。赤い太鼓橋や竹垣もある庭園は緑も美しい日本的な空間であり、日米の訪問者が和やかに交わる場所となっている。
例年秋に開催される同センター主催の日本祭には、サギノー市や近隣に在住している日本人・日系人、交換留学生やビジネス関係者たちが協力して日本文化を紹介している。今年は生け花や書道、折り紙の実演や体験のブースなどが設けられた。快晴に恵まれ、3時間の開催中、室内外で途切れなく続くプログラムやワークショップを興味深げに見て回る多くの姿があった。
茶室ではJSDウィメンズクラブによる茶の湯の実演が3回行われた。茶室には見学用に数十人が座ることのできる長椅子が備えられているが、どの回も満席となった。日本祭自体は無料で一般公開であるが、茶の湯は有料にも拘わらず、行列ができたほどの関心の高さであった。お点前の実演の後には参観者全員に和菓子と薄茶が振る舞われ、目と口で実際に和に触れる好機を楽しんでいた。「前々から関心があった。やっと来訪が叶った」と老母を伴って訪れた婦人は、「茶室の佇まい、雰囲気や動作、全てが美しく、ここにいることが爽快。お菓子とお茶もワンダフル!」といった感想を笑顔で話してくれた。
川に面した庭園に設置されたテントステージでは、絶え間なくプログラムが進行。
メトロデトロイト地区から和太鼓グループ『雷音』、男性コーラス『ホワイトパイン』が演奏、そしてデトロイト剣道道場が形や稽古の実演を届けた。また、同日本文化センターで練習をしているタイチー(太極拳)グループ20名ほどが演武を紹介。さらに、ミシガンに住んでいた縁で、花柳流の名取である小山みち江さん(花柳徳猿)がオハイオ州から駆けつけ、『黒田節』『さくら』などの日本舞踊を披露した。
サギノーに住む日本人/日系人は少数であるが、このように多彩な文化紹介が例年実現するのも同施設の歴史と、日本コミュニティーとの絆があればこそと言える。
そして、徳島と言えば『阿波踊り』。同センターの造設式典に日本より阿波踊り団が来訪したが、その後、徳島と繋がりがある阿波鷺能庵での日本祭でありながら、長らくここで阿波踊りが演じられることがなかったが、2年前にそれが実現。サギノーバレー州立大学に派遣されていた研究者と徳島出身の夫人が中心になり、近隣に在住している日系人が集まって出演を目的に練習をはじめ、総勢20人近いメンバーで踊りを披露した。
阿波踊りの集まりは研究者夫妻が去った後も続き、今回は阿津ますみさんがまとめ役となり、子供も含めた一団を率いて出演した。サギノーバレー州立大学に四国大学から留学している4名の徳島育ちの学生も加わり、ますみさんを始め、子どものころから阿波踊りに親しんでいる人たちの本格的で美しい舞いのような動きやメンバーたちの軽快な踊り、子ども達の可愛らしい姿が観客の称賛を集めた。ますみさんのご主人であり、日本滞在歴6年半で日本社会学ならびに人類学を専門とするボールズ教授(サギノーバレー州立大学)が解説役を務め、お盆に3日かけて踊られる阿波踊りの背景や踊りの種類、そして「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なりゃ踊らにゃ損損」という言葉があることを観客に伝えた。阿波踊りのグループは
『連』と呼ばれるが、当地のグループは、徳島の‘徳’とサギノーの当て字表記『鷺能』の‘能’をとった『徳能連』という名を付けたとのこと。アメリカ育ちの子ども達が祖先から受け継がれた芸能を継承していることも尊く、日米交流の担い手として長く結束を続けて欲しいものである。
同センターは一般公開しており、様々なプログラムを組んでおり、他州からの観光客も多い。観光名所フランケンムースやアウトレットモールBurch Runと20~30分の距離。
www.japaneseculturalcenter.org/