芸術の秋にぴったりなミニトリップ ~ Grand Rapids, MI 街ぐるみのアートコンテスト ArtPrize 2016 9/21~10/9 7

dscn2667この夏に日本に一時帰国した人も多いだろう。日本のビール業界もかきいれどきだった。今回は日本のビール界の歴史等を交えた内容だ。

日本地ビール免許取得&製造第一号は新潟県の「越後ビール」。1994年に酒税法が改正され、ビール醸造の免許を得るには1日あたり大瓶25本を販売するぐらいの量までに生産基準が下げられた。これにより、日本各地に地ビールが誕生する。

dscn2700今年日本で目にした「越後ビール」の数あるラインナップの中でよいと感じたのが、「ビアブロンド」。缶を開けるとホップ香がするのは、アメリカ産のビールであってもなかなかない。ブロンドのボディーと重圧感がある風味もよかった。

次に興味をひいたのが、サッポロ・クラシック。以前は北海道しか流通していなかったが、首都圏等で入手できた。シリーズ物の「数量限定 クラシック 夏の爽快」が北海道限定で発売されていた。サッポロビールは苦いイメージがあったが、これはやや高アルコール度(5.5%)と炭酸が多めのせいか、スムーズさが光った。これがツアー参加のきっかけになった。

dscn2699「麦とホップを製すればビイルとゆふ酒になる」(開業式)

日本で初めてのビール醸造所は明治政府の殖産興業事業の一つだったことをご存知だろうか。今から140年前、北海道開拓使が置かれた札幌に官営のビール醸造所が誕生した。明治政府が外貨獲得のため当時北海道に寄港する外国船の船員に販売するビールを製造したと言う。「開拓使麦酒醸造所」だ。そこには中川清兵衛とそれを支えた、後の外交官の青木周蔵の存在があった。

dscn2644現在の新潟県長岡市に生まれた中川清兵衛は17歳でベルリンに渡った。当時は自由な海外渡航は許されておらず、ドイツでは苦労を重ねた。その苦労と努力が実り、日本人として初めてベルリンビール醸造会社から修了書を授けられた。ドイツで青木と運命の出会いをし、ビール作りを政府に売り込むことを提案された1877年、初めてサッポロビールが出荷された。現在、札幌にある「ビール博物館」は当時の工場。のちに、官営工場は民間に払い下げられ、ホテル業の大倉喜八郎、セメント王 浅野総一郎、実業家渋沢栄一によって「札幌麦酒株式会社」が誕生する。第二次世界大戦後、寡占を避けるために巨大会社は解体され、現在のサッポロ、アサヒ、キリン、サントリーの各社が業界をリードした。

dscn2657ビール博物館は、今年展示物を一新してリニューアル。館内は自由見学(無料)。歴史を写真と文献の12のブース、そしてミニシアターでのビデオで紹介。ブースには説明が多くつけられ、わかりやすくなった。プレミアム・ツアー(有料)ではコミュニケーターによるガイドと、赤レンガのホールで「開拓使時代そのままの製法によるビール」と「現在の黒ラベル」の飲み比べもできる。炭酸の清涼感では現在の黒ラベルの方が洗練されているが、「開拓使時代の製法」の方がスムーズなのどごしで負けていない。飲み物の種類が限られていた時代にこれを口にした諸氏の感想はすがすがしい、の一言だったろう。

ツアーでは伝統の「三度注ぎ」も実演してくれる。三度目の注ぎで、泡を盛り上げ香りと炭酸をキープし、新鮮さを保つようにするのが流儀。その三度注ぎを試飲した感想は「グラスで飲むほうがまろやか。缶のはピリッとしている」。

ミシガンのブリューガイのチャレンジ精神もたくましいが、斬新なアイディアを実現させていった明治期の人々のスピリットを感じさせるツアーだった。

サッポロビール博物館  http://www.sapporobeer.jp/brewery/s_museum/