福島原発事故による避難地区の太鼓グループ指導者来訪 1

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この8月上旬、日本から和太鼓グループ“山木屋太鼓”のリーダーである遠藤元気さん(以下、元気さん)がミシガンを訪れ、太鼓の響きを届けた。

発端は、ミシガン在住のアーティスト椎木透子さんのドキュメンタリー制作。東日本大震災の翌年に「ドラゴン・プロジェクト for 東北ジャパン」という、世界各地から集まったドラゴンの絵をつなげた作品と支援イベントによる収益金を東北へ届けようという活動をスタートした。そして、自ら福島に訪れ実状を目の当たりにし、福島に住む方々の声を海外に住む人々に届けたいという思いに駆られ、2013年より福島を数回再訪して取材をしてドキュメンタリー映画Threshold: Whispers of Fukushimaを今年(2015年冬)完成させた。その取材の中でインタビューに応じ、映画にも登場しているのが和太鼓奏グループ“山木屋太鼓”であり、そのリーダーである元気さんである。

IMG_3676そもそもは山木屋太鼓をグループとして呼び、当地で演奏する機会を設けることが目標で、今回はリーダーである元気さんが下見とコネクションづくりをするのが目当て。同時に、「太鼓の音を通して海外の人に故郷に対する想いを伝えたい」という熱意をもとに当地での演奏を行なった。透子さんによれば、「皆の夢はなんですか?」という質問に「震災後すぐに招待してくれ演奏の機会を作ってくれて元気づけてくれたアメリカの地でもう一度恩返しの想いも込めて演奏したい」と答えた彼らに、自身の住むミシガンで演奏してもらいたい、「デトロイトも福島も原因は異なるけれど乗り越え進んでいかなくてはいけない状況にある。福島の太鼓パワーを届けて欲しい」というアイデアに山木屋太鼓が賛同したのだそうだ。

IMG_3646そこに、震災後に義援バザーなどを数回行い、2013年には被災中高生を対象にした保養キャンプを他の団体との協力でミシガンで実施するなど、当地で震災支援をしてきたNPOミシガン雫の会 http://shizukunokai.wix.com/shizukunokai(以下、雫の会)も手を携えて、今回の元気さんのミシガン招へいが実現した。雫の会は、2009年に中学生対象の「よく遊び、よく学ぶ会」を開催したのが活動の始まりで、その後、子どもだけでなく地域に住む人々がより広い視野をもって楽しく有意義に生活できることを目標に、多様な活動やイベントを企画実施してきている。その雫の会が、かねてから東北支援のために行ってきた募金活動やバザーなどからの収益金および東北支援活動の目的で拝受したJBSD基金から、今回の渡航費を負担した。そして、椎木夫妻が滞在中の宿泊や経費をサポートした。お子さんが和太鼓を習っている雫の会メンバーのひとりが調整役や実務処理を務めた尽力も大きい。

IMG_3595まず、8月2日には雫の会主催で、「遠藤元気さんの和太鼓ワークショップ&ベイクセール」がひまわり幼稚園(リボニア市)にて、同園の場所と設備の提供を得て無料で開催された。元気さんの太鼓や篠笛のソロ演奏に始まり、元気さんによる福島の現状に関するプレゼンテーション、そして雫の会のメンバーによる東北への「手紙プロジェクト」の紹介の後、多くの提供者によるベイクセール&バザー、終盤に、和太鼓ワークショップという盛りだくさんのイベントとなった。

多数の写真やデータ資料を映し出しながらのプレゼンテーションでは、福島の地理や気候、生活などの概説、そして東日本大震災による被害状況が伝えられた。

元気さんがリーダーを務める山木屋太鼓は、2001年に結成され、故郷の自然をテーマに曲を創作し活動を続けており、これまで様々な賞を獲得している。本拠地を構えていた福島県川俣町の山木屋地区は東京電力福島第1原発事故に伴い、震災から1カ月ほど経ってから避難区域に指定された。人々が散り散りになり、混乱と放射線への不安のなかにあって、山木屋太鼓は「太鼓の灯を消したくない」という強い思いによって、2カ月後に移転先で以前より少ない太鼓と半数ほどのメンバーで再開。避難生活を続けながら、困難を乗り越えてグループの結束を強め、最近は日本各地で精力的に演奏活動をするまでになった。2012年

4月には支援を得てワシントンDCの100周年桜祭りに参加した経験もある。「その(北米での)演奏機会を通して、和太鼓の持つ力を認識し、力を得ると同時に、もっと還元したいという思いも生まれ、震災前以上の練習や活動ができている。」と、元気さんは力強い口調で語った。

現在の山木屋地域が直面しているのは、同地区内で、避難指示解除準備区域と、依然として居住制限区域に分類されていることだという。そのような状況下にありながら、結成15年を迎える山木屋太鼓が「応援を胸に、大切な仲間と共に新たな一歩を踏み出します!」との決意のもと、前向きに練習と演奏活動に励んでいることに胸が熱くなった。

IMG_3639プレゼンテーションとベークセールや歓談の後、五大湖太鼓センター(ノバイ市拠点)が用意した和太鼓約20台を使って、日本人に限らない老若男女30人ほどが真剣かつ熱心に太鼓の叩き方を学んでいた。

「来年、ぜひ大勢でのパフォーマンスを聴きたい。」「無料での太鼓練習の機会はラッキー。こんなに心弾んで打ち込んだのは久しぶり」「元気さんの太鼓の響きと話によって、福島の避難地区の人々が通ってきた困難と同時に、前向きなエネルギーを体と心で深く感じた」など、大きな反響の声が届いた。

イベント後、雫の会代表の一人であるジョンソンさんは、「時期的なこともあり、人が集まるかどうか心配でしたが、元気さんの演奏や発表、ワークショップにも、ちょうどいい人数の方々に集まっていただき、スムーズに進行できました。元気さんも、とてもいい体験になったと、喜んでくださいました。これも、ひとえに皆さんお一人お一人のご協力の賜物です。」との事後感想と、関係者一同に対する感謝を伝えた。

ベイクセールとバザー、寄付を合わせて、円に換算すると約95、000円になり、それを10万円にして、日本に帰国前の元気さんに手渡すことができた。

後日、五大湖太鼓センターで生徒対象に実施された元気さんによるワークショップや、イプシランティ図書館での演奏イベントでの寄付金と合わせ、来年3月に予定されている山木屋太鼓メンバーの渡航費に充てるとのこと。

library_genki8月4日に催されたイプシランティ図書館での音楽イベントでは、元気さんのソロ演奏の他、ミシガン大のエリック・サントス教授や地元のミュージシャンたち、五大湖太鼓センター主宰者ソウル・ブライアン氏及びセンターのメンバーとのセッションを中心に、夕暮れ時の図書館横のプラザに集まった人々は和洋混合の軽快かつダイナミックな音を楽しみ、透子さんの声掛けでダンスも盛り上がった。

正味5日間の滞在で、和太鼓と故郷福島の魅力を伝え、当地の人々の心を動かした元気さん。帰国前に感想を伺ったところ、「ここで見聞き経験したことをしっかりと故郷にもって帰り、山木屋太鼓のメンバーに伝え、恩返しできるように、来年3月の再訪に生かしたい」と決意を語った。

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この8月上旬、日本から和太鼓グループ“山木屋太鼓”のリーダーである遠藤元気さん(以下、元気さん)がミシガンを訪れ、太鼓の響きを届けた。

発端は、ミシガン在住のアーティスト椎木透子さんのドキュメンタリー制作。東日本大震災の翌年に「ドラゴン・プロジェクト for 東北ジャパン」という、世界各地から集まったドラゴンの絵をつなげた作品と支援イベントによる収益金を東北へ届けようという活動をスタートした。そして、自ら福島に訪れ実状を目の当たりにし、福島に住む方々の声を海外に住む人々に届けたいという思いに駆られ、2013年より福島を数回再訪して取材をしてドキュメンタリー映画Threshold: Whispers of Fukushimaを今年(2015年冬)完成させた。その取材の中でインタビューに応じ、映画にも登場しているのが和太鼓奏グループ“山木屋太鼓”であり、そのリーダーである元気さんである。

IMG_3676そもそもは山木屋太鼓をグループとして呼び、当地で演奏する機会を設けることが目標で、今回はリーダーである元気さんが下見とコネクションづくりをするのが目当て。同時に、「太鼓の音を通して海外の人に故郷に対する想いを伝えたい」という熱意をもとに当地での演奏を行なった。透子さんによれば、「皆の夢はなんですか?」という質問に「震災後すぐに招待してくれ演奏の機会を作ってくれて元気づけてくれたアメリカの地でもう一度恩返しの想いも込めて演奏したい」と答えた彼らに、自身の住むミシガンで演奏してもらいたい、「デトロイトも福島も原因は異なるけれど乗り越え進んでいかなくてはいけない状況にある。福島の太鼓パワーを届けて欲しい」というアイデアに山木屋太鼓が賛同したのだそうだ。

IMG_3646そこに、震災後に義援バザーなどを数回行い、2013年には被災中高生を対象にした保養キャンプを他の団体との協力でミシガンで実施するなど、当地で震災支援をしてきたNPOミシガン雫の会 http://shizukunokai.wix.com/shizukunokai(以下、雫の会)も手を携えて、今回の元気さんのミシガン招へいが実現した。雫の会は、2009年に中学生対象の「よく遊び、よく学ぶ会」を開催したのが活動の始まりで、その後、子どもだけでなく地域に住む人々がより広い視野をもって楽しく有意義に生活できることを目標に、多様な活動やイベントを企画実施してきている。その雫の会が、かねてから東北支援のために行ってきた募金活動やバザーなどからの収益金および東北支援活動の目的で拝受したJBSD基金から、今回の渡航費を負担した。そして、椎木夫妻が滞在中の宿泊や経費をサポートした。お子さんが和太鼓を習っている雫の会メンバーのひとりが調整役や実務処理を務めた尽力も大きい。

IMG_3595まず、8月2日には雫の会主催で、「遠藤元気さんの和太鼓ワークショップ&ベイクセール」がひまわり幼稚園(リボニア市)にて、同園の場所と設備の提供を得て無料で開催された。元気さんの太鼓や篠笛のソロ演奏に始まり、元気さんによる福島の現状に関するプレゼンテーション、そして雫の会のメンバーによる東北への「手紙プロジェクト」の紹介の後、多くの提供者によるベイクセール&バザー、終盤に、和太鼓ワークショップという盛りだくさんのイベントとなった。

多数の写真やデータ資料を映し出しながらのプレゼンテーションでは、福島の地理や気候、生活などの概説、そして東日本大震災による被害状況が伝えられた。

元気さんがリーダーを務める山木屋太鼓は、2001年に結成され、故郷の自然をテーマに曲を創作し活動を続けており、これまで様々な賞を獲得している。本拠地を構えていた福島県川俣町の山木屋地区は東京電力福島第1原発事故に伴い、震災から1カ月ほど経ってから避難区域に指定された。人々が散り散りになり、混乱と放射線への不安のなかにあって、山木屋太鼓は「太鼓の灯を消したくない」という強い思いによって、2カ月後に移転先で以前より少ない太鼓と半数ほどのメンバーで再開。避難生活を続けながら、困難を乗り越えてグループの結束を強め、最近は日本各地で精力的に演奏活動をするまでになった。2012年

4月には支援を得てワシントンDCの100周年桜祭りに参加した経験もある。「その(北米での)演奏機会を通して、和太鼓の持つ力を認識し、力を得ると同時に、もっと還元したいという思いも生まれ、震災前以上の練習や活動ができている。」と、元気さんは力強い口調で語った。

現在の山木屋地域が直面しているのは、同地区内で、避難指示解除準備区域と、依然として居住制限区域に分類されていることだという。そのような状況下にありながら、結成15年を迎える山木屋太鼓が「応援を胸に、大切な仲間と共に新たな一歩を踏み出します!」との決意のもと、前向きに練習と演奏活動に励んでいることに胸が熱くなった。

IMG_3639プレゼンテーションとベークセールや歓談の後、五大湖太鼓センター(ノバイ市拠点)が用意した和太鼓約20台を使って、日本人に限らない老若男女30人ほどが真剣かつ熱心に太鼓の叩き方を学んでいた。

「来年、ぜひ大勢でのパフォーマンスを聴きたい。」「無料での太鼓練習の機会はラッキー。こんなに心弾んで打ち込んだのは久しぶり」「元気さんの太鼓の響きと話によって、福島の避難地区の人々が通ってきた困難と同時に、前向きなエネルギーを体と心で深く感じた」など、大きな反響の声が届いた。

イベント後、雫の会代表の一人であるジョンソンさんは、「時期的なこともあり、人が集まるかどうか心配でしたが、元気さんの演奏や発表、ワークショップにも、ちょうどいい人数の方々に集まっていただき、スムーズに進行できました。元気さんも、とてもいい体験になったと、喜んでくださいました。これも、ひとえに皆さんお一人お一人のご協力の賜物です。」との事後感想と、関係者一同に対する感謝を伝えた。

ベイクセールとバザー、寄付を合わせて、円に換算すると約95、000円になり、それを10万円にして、日本に帰国前の元気さんに手渡すことができた。

後日、五大湖太鼓センターで生徒対象に実施された元気さんによるワークショップや、イプシランティ図書館での演奏イベントでの寄付金と合わせ、来年3月に予定されている山木屋太鼓メンバーの渡航費に充てるとのこと。

library_genki8月4日に催されたイプシランティ図書館での音楽イベントでは、元気さんのソロ演奏の他、ミシガン大のエリック・サントス教授や地元のミュージシャンたち、五大湖太鼓センター主宰者ソウル・ブライアン氏及びセンターのメンバーとのセッションを中心に、夕暮れ時の図書館横のプラザに集まった人々は和洋混合の軽快かつダイナミックな音を楽しみ、透子さんの声掛けでダンスも盛り上がった。

正味5日間の滞在で、和太鼓と故郷福島の魅力を伝え、当地の人々の心を動かした元気さん。帰国前に感想を伺ったところ、「ここで見聞き経験したことをしっかりと故郷にもって帰り、山木屋太鼓のメンバーに伝え、恩返しできるように、来年3月の再訪に生かしたい」と決意を語った。

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