
ミシガン在住の日本人女性による福島の被災者の声を集めたドキュメンタリーフィルム
震災4周年前夜3月10日、UMMA(ミシガン大学美術館)のオーディトリウムで、Threshold: Whispers of Fukushimaという福島の被災者の声を集めたドキュメンタリーフィルムの無料試写会が催された。日本やドイツ、他の地域での上映に先駆けた初めての公開試写には200人ほどの観衆が訪れ、一時間半を立ち見で通した人もいたほどの盛況ぶりをみせた。一見したところ日本人ではない観客が多く、地球の裏側の話でありながら、高い関心を寄せていることが窺えた。
監督の椎木透子さんはミシガン在住で、震災の翌年に「ドラゴン・プロジェクト for 東北ジャパン」という、世界各地から集まったドラゴンの絵をつなげた作品と人々の思い、そして各地での支援イベントによる収益金を東北へ届ける活動をスタートした。そして、自ら福島を訪れて実状を知り、被災者の声を人々に届けたいという思いに駆られ、2013年の春にドキュメンタリーフィルムを作ろうと奮起。同年8月には、福島第一原発から25kmの自宅で原発被災した作家たくきよしみつ氏とコンタクトを取って情報を収集し、11月に再度福島を訪れてインタビューを行なった。昨年(2014年)春に、撮影スタッフも伴い、より多くの声と姿を収集した。
インタビューに応じた人々は、避難勧告地区となった南相馬市から避難した先でブラスバンド部を再開した中学生と指導者、前述の作家たくき氏、和太鼓グループ、元東京電力社員、オリーブ生産者など多様。原発から20Kmに位置する獏原人村(ばくげんじんむら)という理想郷コミューンに住む夫妻も登場する。福島で生きると決めて過ごしている人たちの声である。そして、相反して他県に家族ぐるみで避難した人の声も収めてある。皆、それぞれの居場所と価値観で精一杯生きていることが伝わってきた。
練習不足と部員減少にも拘わらずコンクールに挑戦し全国大会で優勝したブラスバンド部員は「かわいそうと決めつけないで」「楽しいこともたくさんある」と涙ながら伝える。指導者の阿部和代さんは「生徒たちは打ち込めるもの、音楽があったので前向きになれた」と話す。打ち込んでいた活動を続けることや仲間と目標に向かうことが傷ついた心の復興に役立ったことは、和太鼓グループの指導者も当時を振り返りそう語った。
オリーブ生産者佐藤氏は元消防士で震災時に過酷な状況に遭遇したが、この地に留まり、放射線に強いオリーブを育てると決めた。オリーブは5年でようやく実が成るという。まだ出荷の目処は立っていないとこぼすが、決意のほどが窺える。そうした地元の人たちの活動を元東京電力社員であった吉川彰浩氏は団体を立ち上げて支えている。そして、いがみ合うのではなく、一緒に再生していく道を探せたらと彼らは語る。
獏原人村の創始者マサイさんは、森の奥での原始時代のような暮らしを貫いているだけに、今の日本に生きる人たちに疑問を投げかける。「皆が、地球が本当に壊れる前に気づかないと…」と。
誰からか指示を受け自分の生き方を決められてしまうのではなく、自分の意思で選択し生きたい、村を離れる気はないと語る。
岡山県に避難した女性大塚愛さんは、避難先の仲間たちや一時保養で福島からくる方々の受け入れ活動を通し、“残る”“離れる”の選択によって生じた壁に直面するが、直接話し合える機会を設け、そうすることで溝が埋まり、分かり合えることを感じていった。「皆それぞれに立場も違うしどっちが正しいとか間違っているということではない。残った、逃げたと選択は違っても原発事故に遭ってしまったということは皆同じ。だから、いがみ合うのではなく、話し合い分かち合い、歩み合うことが大切」と話す。
このドキュメンタリーフィルムは、ブラスバンドや和太鼓のパフォーマンス、そして透子さんの夫で音楽家であるエリックさん(Erik Santos)を含めた出演者達の心のつぶやきのような歌声やギター演奏
が散りばめられ、より胸を打つものになっている。クライマックスで演奏される たくきよしみつ氏の『奇跡の星』はこの地球上に生きる全ての人に送られるメッセージとも言えるだろう。約1時間半のフィルムは、和太鼓メンバーが“Rolling on…”
という歌詞が繰り返されるオリジナル曲を飾り気なく歌う映像でエンディングとなった。4年の歳月が過ぎたが、復興への道はまだまだ続いていく。
上映後、透子さんと音楽担当のエリックさん(ミシガン大学ミュージックスクール作曲科教授)、そして透子さんと共に撮影を務めたカメラマン(Chris Asadian)の3人が舞台に上がり、タグを組んだ経緯や日本での撮影について話した。透子さん以外は日本語が理解できないが、
「音楽がコミュニケーションの手段になった」「素晴らしい経験だった。言葉は違っても、笑顔や涙はどこの国の人も同じ」とエリックさんは述懐した。
音楽がこのフィルムの軸なのかとの観客からの質問に、「インタビューした人が図らずも音楽家でもあったなど、偶然こうなった」と返答。復興に際して“歌の力、音楽の力”が取り上げらることが多々ある。この日米をつなぐフィルムも音楽が大きな役を果たしたといえる。ちなみに、登場した和太鼓奏グループ“山木屋太鼓”の指導者遠藤元気氏が透子さんの橋渡しで、この夏、ミシガンに来訪し、地元の人々と交流する予定になっている。
別の観客からは、予告編では福島に留まることを選んだ人たちの話であるかのようだったが、もっと広い内容とメッセージがあったと指摘し、「友人にも見せたい。ぜひまた上映会を企画して欲しい」と称賛をこめた懇願の声が寄せられた。予告より広がりがあることについて透子さんは「来て、見て、それぞれの人に考えて欲しかった」と答え、何を伝えたかったかも会場では敢えて語らなかった。
★映画のサイトアドレス
映画は今後他の地域で上映後、再びミシガンでの上映を予定している。再上映や今後の活動について、弊紙でフォローし情報をお伝えしていきたい。
以下、映画に取り組んだ動機や取材を通して感じたことなどについて、上映会終了後に透子さんより頂いたコメントを紹介させていただく。
★ ★ ★
福島の学生達の「福島は福島は放射能汚染や問題ばかりということでもないです。色々なものがあります。」「ここにいるのは、福島で生きることを決めた人達です。生活を立て直していく為、皆で努力しています。だから、福島にいるなんて可哀想な子達だとか、がんの危険性についてばかり話すのではなくて、海外の皆さんが、よりよい未来を築いていくには何ができるのかとか、そういうことを考えて欲しいです。」「二度とこんなことはおこすまいと肝に銘じてほしい」といった言葉に心を動かされ、同じ目線に立って、もっと話を聞いてみたい、そして福島から遠く離れた人達にも伝えたいと思い、福島で今を生きる人達を追った映画を撮ろうと心を決めました。そしてこの映画制作を通し、実際、本当にそれぞれに違った人生の選択をしながら、またそれぞれに違った立場ではあるけれど、でも同じく今をひたすら模索しながらも一生懸命生きている方々に出会う事が出来ました。そうして、震災の話だけでなく、人生の話、生きる知恵、そしてそれぞれの方々が奏でる音楽も聴くことが出来ました。映画制作を通し聴くこと、知ることが出来たことは、本当に自分の人生に於いても大切なものであり、そしてここから何ができるだろうという新たな自分への問いにもなりました。本当にここから、何ができるか、それをさらに考えていきたいと思いつついます。
椎木透子
ミシガン在住の日本人女性による福島の被災者の声を集めたドキュメンタリーフィルム
震災4周年前夜3月10日、UMMA(ミシガン大学美術館)のオーディトリウムで、Threshold: Whispers of Fukushimaという福島の被災者の声を集めたドキュメンタリーフィルムの無料試写会が催された。日本やドイツ、他の地域での上映に先駆けた初めての公開試写には200人ほどの観衆が訪れ、一時間半を立ち見で通した人もいたほどの盛況ぶりをみせた。一見したところ日本人ではない観客が多く、地球の裏側の話でありながら、高い関心を寄せていることが窺えた。
監督の椎木透子さんはミシガン在住で、震災の翌年に「ドラゴン・プロジェクト for 東北ジャパン」という、世界各地から集まったドラゴンの絵をつなげた作品と人々の思い、そして各地での支援イベントによる収益金を東北へ届ける活動をスタートした。そして、自ら福島を訪れて実状を知り、被災者の声を人々に届けたいという思いに駆られ、2013年の春にドキュメンタリーフィルムを作ろうと奮起。同年8月には、福島第一原発から25kmの自宅で原発被災した作家たくきよしみつ氏とコンタクトを取って情報を収集し、11月に再度福島を訪れてインタビューを行なった。昨年(2014年)春に、撮影スタッフも伴い、より多くの声と姿を収集した。
インタビューに応じた人々は、避難勧告地区となった南相馬市から避難した先でブラスバンド部を再開した中学生と指導者、前述の作家たくき氏、和太鼓グループ、元東京電力社員、オリーブ生産者など多様。原発から20Kmに位置する獏原人村(ばくげんじんむら)という理想郷コミューンに住む夫妻も登場する。福島で生きると決めて過ごしている人たちの声である。そして、相反して他県に家族ぐるみで避難した人の声も収めてある。皆、それぞれの居場所と価値観で精一杯生きていることが伝わってきた。
練習不足と部員減少にも拘わらずコンクールに挑戦し全国大会で優勝したブラスバンド部員は「かわいそうと決めつけないで」「楽しいこともたくさんある」と涙ながら伝える。指導者の阿部和代さんは「生徒たちは打ち込めるもの、音楽があったので前向きになれた」と話す。打ち込んでいた活動を続けることや仲間と目標に向かうことが傷ついた心の復興に役立ったことは、和太鼓グループの指導者も当時を振り返りそう語った。
オリーブ生産者佐藤氏は元消防士で震災時に過酷な状況に遭遇したが、この地に留まり、放射線に強いオリーブを育てると決めた。オリーブは5年でようやく実が成るという。まだ出荷の目処は立っていないとこぼすが、決意のほどが窺える。そうした地元の人たちの活動を元東京電力社員であった吉川彰浩氏は団体を立ち上げて支えている。そして、いがみ合うのではなく、一緒に再生していく道を探せたらと彼らは語る。
獏原人村の創始者マサイさんは、森の奥での原始時代のような暮らしを貫いているだけに、今の日本に生きる人たちに疑問を投げかける。「皆が、地球が本当に壊れる前に気づかないと…」と。
誰からか指示を受け自分の生き方を決められてしまうのではなく、自分の意思で選択し生きたい、村を離れる気はないと語る。
岡山県に避難した女性大塚愛さんは、避難先の仲間たちや一時保養で福島からくる方々の受け入れ活動を通し、“残る”“離れる”の選択によって生じた壁に直面するが、直接話し合える機会を設け、そうすることで溝が埋まり、分かり合えることを感じていった。「皆それぞれに立場も違うしどっちが正しいとか間違っているということではない。残った、逃げたと選択は違っても原発事故に遭ってしまったということは皆同じ。だから、いがみ合うのではなく、話し合い分かち合い、歩み合うことが大切」と話す。
このドキュメンタリーフィルムは、ブラスバンドや和太鼓のパフォーマンス、そして透子さんの夫で音楽家であるエリックさん(Erik Santos)を含めた出演者達の心のつぶやきのような歌声やギター演奏
が散りばめられ、より胸を打つものになっている。クライマックスで演奏される たくきよしみつ氏の『奇跡の星』はこの地球上に生きる全ての人に送られるメッセージとも言えるだろう。約1時間半のフィルムは、和太鼓メンバーが“Rolling on…”
という歌詞が繰り返されるオリジナル曲を飾り気なく歌う映像でエンディングとなった。4年の歳月が過ぎたが、復興への道はまだまだ続いていく。
上映後、透子さんと音楽担当のエリックさん(ミシガン大学ミュージックスクール作曲科教授)、そして透子さんと共に撮影を務めたカメラマン(Chris Asadian)の3人が舞台に上がり、タグを組んだ経緯や日本での撮影について話した。透子さん以外は日本語が理解できないが、
「音楽がコミュニケーションの手段になった」「素晴らしい経験だった。言葉は違っても、笑顔や涙はどこの国の人も同じ」とエリックさんは述懐した。
音楽がこのフィルムの軸なのかとの観客からの質問に、「インタビューした人が図らずも音楽家でもあったなど、偶然こうなった」と返答。復興に際して“歌の力、音楽の力”が取り上げらることが多々ある。この日米をつなぐフィルムも音楽が大きな役を果たしたといえる。ちなみに、登場した和太鼓奏グループ“山木屋太鼓”の指導者遠藤元気氏が透子さんの橋渡しで、この夏、ミシガンに来訪し、地元の人々と交流する予定になっている。
別の観客からは、予告編では福島に留まることを選んだ人たちの話であるかのようだったが、もっと広い内容とメッセージがあったと指摘し、「友人にも見せたい。ぜひまた上映会を企画して欲しい」と称賛をこめた懇願の声が寄せられた。予告より広がりがあることについて透子さんは「来て、見て、それぞれの人に考えて欲しかった」と答え、何を伝えたかったかも会場では敢えて語らなかった。
★映画のサイトアドレス
映画は今後他の地域で上映後、再びミシガンでの上映を予定している。再上映や今後の活動について、弊紙でフォローし情報をお伝えしていきたい。
以下、映画に取り組んだ動機や取材を通して感じたことなどについて、上映会終了後に透子さんより頂いたコメントを紹介させていただく。
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福島の学生達の「福島は福島は放射能汚染や問題ばかりということでもないです。色々なものがあります。」「ここにいるのは、福島で生きることを決めた人達です。生活を立て直していく為、皆で努力しています。だから、福島にいるなんて可哀想な子達だとか、がんの危険性についてばかり話すのではなくて、海外の皆さんが、よりよい未来を築いていくには何ができるのかとか、そういうことを考えて欲しいです。」「二度とこんなことはおこすまいと肝に銘じてほしい」といった言葉に心を動かされ、同じ目線に立って、もっと話を聞いてみたい、そして福島から遠く離れた人達にも伝えたいと思い、福島で今を生きる人達を追った映画を撮ろうと心を決めました。そしてこの映画制作を通し、実際、本当にそれぞれに違った人生の選択をしながら、またそれぞれに違った立場ではあるけれど、でも同じく今をひたすら模索しながらも一生懸命生きている方々に出会う事が出来ました。そうして、震災の話だけでなく、人生の話、生きる知恵、そしてそれぞれの方々が奏でる音楽も聴くことが出来ました。映画制作を通し聴くこと、知ることが出来たことは、本当に自分の人生に於いても大切なものであり、そしてここから何ができるだろうという新たな自分への問いにもなりました。本当にここから、何ができるか、それをさらに考えていきたいと思いつついます。
椎木透子