<!--:en-->挑む~NASCARドライバー 尾形明紀~ 第5回:スタート<!--:--><!--:ja-->挑む~NASCARドライバー 尾形明紀~ 第5回:スタート<!--:-->

文:城 俊之   写真提供: AKINORI PERFORMANCE LLC

2010年夏に渡米した尾形の生活は、とにかく 苦難の連続。生活習慣、文化の違い、法律上の手続きなど不慣れなことばかり。加えて安定した収入も無く、その日々は過酷を極めた。

それでも、渡米してしばらく暮らしていた事務所生活から、友人でもあった事務所オーナーが、彼の自宅ベースメントに住む事を勧めてくれた。内装は無く、柱はむき出し。とても汚くておよそ人が住める場所ではなかったが、自ら掃除をすることからはじめ、住めるように少し改築を施し、ほんの少しではあるが人間らしい生活が始まったと思えるようになった。

そんな状況の中でも「TOTO」がスポンサーとして付き、レースカーや必要なものを用意し、年間の計画を立てることができたのは唯一の慰めになる出来事だった。依然、工具すら満足にそろっていない状況ではあったが、最低限2011年シーズンを戦う準備が整い、スタートすることができるのだ。これは本当に大きなことだった。

しかし間もなく、3月11日に東日本を襲った震災のニュースは、NCの尾形にもすぐに届く。そのとき家族は神奈川にいた。情報は限られ日本の状況がわからない。家族の無事は確認できたものの、度重なる余震と放射能問題のニュースなどを耳にするたびに不安が胸をよぎる。とにかく心配だった。家族を日本に置いておくことに居ても経ってもいられなくなった。

生活環境が落ち着いてから家族を呼び寄せるつもりだったが、アメリカに来る事に戸惑う家族を説得して急遽来てもらうことに。NC到着までわずか2週間、まさに身の回りの荷物だけを持っての渡米であり、家族にとっても厳しいアメリカ生活のスタートとなった。

こうして2011年は波乱のスタートとなったが、十分ではないが数戦のレース活動の目処が立ち、一戦一戦のレースを戦いながらアメリカでのレース活動がスタートできていることを尾形は感じ始める。日本で苦しみ、限界を感じて渡米。渡米後は様々な課題や不安と格闘。しかし「前に進めてきた」ことが少しずつではあるが、確かに形になりつつあった。

営業として数多くの企業を訪問する中で、尾形の活動に協賛してくれる企業も出始めていた。その中には数年前からエンジンオイルを支給してくれていた企業があった。このENEOSとの関係がやがて太く、強固になっていき、2012年はENEOSカラーのトヨタ・カムリでの参戦へと繋がっていくことになる。

NASCARからも尾形のローカルレース シリーズでの戦績が認められ、リージョナルシリーズのひとつである「NASCAR K&Nプロシリーズ」への参戦が決まり、NASCARドライバーにとって大きなステップを踏む事になった。