新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

皆さんの年末年始は如何でしたか?昨年一年の疲れを取り、新年を迎える英気を養えたでしょうか?私事ですが、義父の13回忌法事のため昨年下旬から年末にかけて久し振りに一時帰国しました。年明けまでは居られなかったので、日本の正月を味わえず帰米したのは残念ですが、年の瀬迫る日本の雰囲気を多少なりとも直接肌で感じることが出来ました。日本と言っても、名古屋駅および自宅のある春日井市周辺に限られましたが、名古屋駅周辺や途中経由した地下鉄栄駅の人混みは半端ではなく、久し振りに米国では味わえない喧騒と密着感を体験しました。折りしも衆議院の年末解散・選挙直後で、滞在中に第三次安倍内閣誕生となりましたが、世間一般は政治とは無関係に忙しなく動き続けているようでした。街中の雰囲気も時節柄か表面上は円安による輸入品物価の上昇や消費税率アップが一般庶民の生活を圧迫している感じは見受けられませんでしたが、ボクシングのボディーブローのようにジワジワと効いてくるのかもしれません。

さて、今回のテーマは「未年(ひつじどし)に誓う」です。

義父の13回忌は、義母の他には我が家と義妹の家族という近い親族9名のみで自宅にお寺さんをお迎えして執り行い、途中小休憩を挟んで読経と簡単な講話をして頂きました。講話の中では仏壇に供えるお花と床の間に飾る花の違い、一般的に言う花と仏教で言う華の違い、回向(えこう)と清浄光明(しょうじょうこうみょう)の意味を分かりやすくお話して頂き、日頃法事に縁遠く、信心の浅い私も心静かに聞き入りました。

折りしもテレビでは、連日のように昨年一年の十大(重大)ニュースや思い出に残る出来事を振り返る特集番組を流しており、米国同様に日本でも人騒がせで世間迷惑な事件や出来事、暗いニュース、感動や感銘を与えたパフォーマンスや行動など明るいニュースもありましたが、そのような下世話の世界をしばし離れて、純真で高尚な世界に触れる時間を多少なりとも持てたことは、忙しさに埋没して見失いがちな自分自身と心のバランスを保つ上で極めて幸運でありました。

同じような感覚は、友人から時々お誘いを頂くキリスト教信者の方々の集まりに参加させて頂いた際に抱く厳かで神聖なものと共通する感じがします。宗教・宗派の違いに拘わらず、また信心の深さに拘わらず、神や仏に祈りを捧げると同時に自分自身と真摯に向き合い、自己を省みる行為と時間を持つことは、人生において極めて重要な意味を持つと思います。目まぐるしいスピードで世の中や取り巻く環境が変化し、国や会社、個人の価値観と目標・目的も激しく変化し、多様化しがちな現代にあっては、唯一無二の存在であり変わらぬ絶対的価値感を持つ神・仏と共有する時間は自分自身を取り戻し、文字通り我を取り戻すためには必要不可欠に近い貴重なものかもしれません。

過去の記事でも触れたことがありますが、「忙しい」や「忘れる」に使われる漢字『忙』も『忘』も「心を亡くす」ことを意味し、自分を見失い、他人を思いやる優しい心を亡くすことに繋がります。そうなることを未然に防ぎ、いかなる状況下にあっても自分自身を平常に保ち、心のバランスを崩さないようにする手段と方法、それに費やす時間をしっかり確保することを、年頭に当たり今年の抱負の一つとして自分自身に誓いたいと思います。

皆さんも未年(ひつじどし)の今年、種々多様な悩みのために「羊が一匹、羊が二匹、・・・」と眠れぬ夜を過ごさずに済むように、同じような予防策を考えられてはいかがでしょうか?

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

皆さんの年末年始は如何でしたか?昨年一年の疲れを取り、新年を迎える英気を養えたでしょうか?私事ですが、義父の13回忌法事のため昨年下旬から年末にかけて久し振りに一時帰国しました。年明けまでは居られなかったので、日本の正月を味わえず帰米したのは残念ですが、年の瀬迫る日本の雰囲気を多少なりとも直接肌で感じることが出来ました。日本と言っても、名古屋駅および自宅のある春日井市周辺に限られましたが、名古屋駅周辺や途中経由した地下鉄栄駅の人混みは半端ではなく、久し振りに米国では味わえない喧騒と密着感を体験しました。折りしも衆議院の年末解散・選挙直後で、滞在中に第三次安倍内閣誕生となりましたが、世間一般は政治とは無関係に忙しなく動き続けているようでした。街中の雰囲気も時節柄か表面上は円安による輸入品物価の上昇や消費税率アップが一般庶民の生活を圧迫している感じは見受けられませんでしたが、ボクシングのボディーブローのようにジワジワと効いてくるのかもしれません。

さて、今回のテーマは「未年(ひつじどし)に誓う」です。

義父の13回忌は、義母の他には我が家と義妹の家族という近い親族9名のみで自宅にお寺さんをお迎えして執り行い、途中小休憩を挟んで読経と簡単な講話をして頂きました。講話の中では仏壇に供えるお花と床の間に飾る花の違い、一般的に言う花と仏教で言う華の違い、回向(えこう)と清浄光明(しょうじょうこうみょう)の意味を分かりやすくお話して頂き、日頃法事に縁遠く、信心の浅い私も心静かに聞き入りました。

折りしもテレビでは、連日のように昨年一年の十大(重大)ニュースや思い出に残る出来事を振り返る特集番組を流しており、米国同様に日本でも人騒がせで世間迷惑な事件や出来事、暗いニュース、感動や感銘を与えたパフォーマンスや行動など明るいニュースもありましたが、そのような下世話の世界をしばし離れて、純真で高尚な世界に触れる時間を多少なりとも持てたことは、忙しさに埋没して見失いがちな自分自身と心のバランスを保つ上で極めて幸運でありました。

同じような感覚は、友人から時々お誘いを頂くキリスト教信者の方々の集まりに参加させて頂いた際に抱く厳かで神聖なものと共通する感じがします。宗教・宗派の違いに拘わらず、また信心の深さに拘わらず、神や仏に祈りを捧げると同時に自分自身と真摯に向き合い、自己を省みる行為と時間を持つことは、人生において極めて重要な意味を持つと思います。目まぐるしいスピードで世の中や取り巻く環境が変化し、国や会社、個人の価値観と目標・目的も激しく変化し、多様化しがちな現代にあっては、唯一無二の存在であり変わらぬ絶対的価値感を持つ神・仏と共有する時間は自分自身を取り戻し、文字通り我を取り戻すためには必要不可欠に近い貴重なものかもしれません。

過去の記事でも触れたことがありますが、「忙しい」や「忘れる」に使われる漢字『忙』も『忘』も「心を亡くす」ことを意味し、自分を見失い、他人を思いやる優しい心を亡くすことに繋がります。そうなることを未然に防ぎ、いかなる状況下にあっても自分自身を平常に保ち、心のバランスを崩さないようにする手段と方法、それに費やす時間をしっかり確保することを、年頭に当たり今年の抱負の一つとして自分自身に誓いたいと思います。

皆さんも未年(ひつじどし)の今年、種々多様な悩みのために「羊が一匹、羊が二匹、・・・」と眠れぬ夜を過ごさずに済むように、同じような予防策を考えられてはいかがでしょうか?

執筆者紹介:小久保陽三

Premia Partners, LLC (プレミア・パートナーズ・エルエルシー) パートナー。主に北米進出の日系企業向け経営・人事関連コンサルタント業務に従事。慶応義塾大学経済学部卒。愛知県の自動車関連部品・工業用品メーカーに入社後、化成品営業、社長室、総合開発室、米国ニューヨークの子会社、経営企画室、製品開発部、海外事業室、デトロイトの北米事業統括会社、中西部の合弁会社、WIN Advisory Group, Inc.勤務を経て現在に至る。外国企業との合弁契約、技術導入・援助契約、海外現地法人設立・立ち上げ・運営、人事問題取扱い経験豊富。06年7月より本紙に寄稿中。JBSD個人会員。