<!--:en-->挑む~NASCARドライバー 尾形明紀~ 第2回:プロセス<!--:--><!--:ja-->挑む~NASCARドライバー 尾形明紀~ 第2回:プロセス<!--:-->

勝利。ツインリンクもてぎで開催されるミジェットカーレースの表彰台に尾形の姿があった。NASCARとの出会いから12年が経っていた。

NASCARと出会って数年後、新婚旅行で行った初めてのアメリカにはNASCARのミニカーがたくさん売っていた。幼少の頃からミニカー好きだった尾形は、さっそく実家のインテリアショップに展示。「ずっとNASCARに触れていたい」。そう思うようになるのに時間はかからず、尾形は翌年、地元相模原でNASCARショップを始めることを決意した。

同時に、実際にNASCARのレースを観戦するために再度渡米。場所はDAYTONA INTERNATIONAL SPEEDWAY。その爆音とスピードは、尾形にとってただただ衝撃的だった。

完全にNASCARの虜になった尾形は、ショップの経営を通して貪欲にNASCARの世界に飛び込んでいく。その頃NASCARはミニカーやグッズの展開を「大きなビジネス」として進めており、ファンを中心に、ドライバー、チーム、スポンサー、メディアをまるで大きな輪のようにつないでいった。この時期にミニカーショップを経営していた尾形には「NASCARというビジネス」を理解するのに絶好のタイミングであった。

またミニカーの世界からNASCARの歴史を自然に学ぶ事ができた。NASCARは現在でも、67年間の歴史を尊びながら進化を続けている。往年のドライバー達が繰り広げてきた名レースは、現在のファン達にメディアによって常に伝えれ、それらの当時のレースカーはレプリカとして再現されたり、カラーリングを現在のレースカーに施すなどして、歴史を学びながら楽しめるようなしかけに満ちていた。

そう、もはやNASCARは「アメリカの文化」なのだ。

それを学んだ尾形は「NASCARこそ、プロとしていられる世界」であると確信した。

だから彼が「レーサーとしてプロを目指す」と決めたとき、NASCARを目標にしたのは自然なことだった。日本での活動でも、彼はメジャーなレースではなく、むしろ日本ではマイナーとされてきたダートオーバルを選んだ。NASCARを目指すなら「オーバルレース」で学ぶべき。彼は「アメリカン・モータースポーツ」からブレなかった。

日本のオーバルレースでは、自分がアメリカの舞台に立っている事を想定して徹底的に「プロ」を意識して活動をした。走りは勿論、インタビューもNASCARドライバーのように 協力してくれた方々に敬意を表する事など徹底した。

「周囲は『尾形が何をしたいのか』明確にわかってくれた」と彼は言う。やがて次のステップが見えてきた。

NASCARへの挑戦。

文:城 俊之   写真提供: AKINORI PERFORMANCE LLC