<!--:en-->挑む~NASCARドライバー 尾形明紀~ 第1回:プロローグ<!--:--><!--:ja-->挑む~NASCARドライバー 尾形明紀~ 第1回:プロローグ<!--:-->

NASCAR—日本ではなじみの薄いこのモータースポーツは、北米のTV視聴率ではNFLアメリカンフットボールに次ぐ人気を誇る。日本で人気のメジャーリーグやバスケットボールをも凌駕するほどポピュラーな自動車レースである。規格を厳密に管理されたストックカーを使い、イコールコンディションで争われる。750馬力をしぼりだす5,700ccのエンジンを積んだ1.5トンの車43台が時速200マイルオーバーで駆け抜ける迫力は、観る者を圧倒、魅了する。

過去何度か、F1ドライバーがNASCARに挑戦したことがあった。彼らのように世界で一流と言われるドライバーも、走行ラインのすぐ脇にコンクリートの壁が手招きしているオーバルコースと、ヨーロッパのレースカーの倍の重さがある、まったく勝手のちがう車に手をやき、ほとんどが実績を残せないまま戻っていった。尾形明紀(おがた あきのり)—日本のレース界で名をあげていた訳ではないこのドライバー、何のつても後ろ盾も無い状況にも関わらず、文字通り身一つで2003年に渡米。草レースの小さなプライベートチームを片っ端から訪問、車に乗せてもらえるよう慣れない英語で交渉を始めるが、ここで最初の壁に当たる。スポンサーが決まっているにも関わらず、どのチームも受け入れてはくれない。資金や実績の問題ではなく、彼が“日本人”であることが原因だった。しかし彼はアメリカの中に“居場所”を作るところからスタートすることを覚悟した。一見物静かにすら見える彼をここまで突き動かしているものは・・・

まずはそんな彼の生い立ちから見てみたい。

1973年、神奈川県相模原市に生まれた尾形は、小さい頃叔父にレース観戦に連れていってもらったり、また家の隣がバイク屋だったということもあり、自然とバイクに親しみ始める。14歳になるとモトクロッサーを与えられ、川原で走ってみたらもうこれが面白くて仕方が無い。片道2時間、毎日のようにバイクを押して川原まで通った。やがてレースに出るようになり、とにかくがむしゃらに「速く」なることだけを考えていた。スピードメーターを持たない純粋なレース用のモトクロッサーで育った尾形には「時速200km/hの恐怖感」というような、いわゆる一般の人々が持つ「速度との比較による感覚」は無い。ただ純粋に「誰よりも速く!」だけを求めて活動を続けた。

そうして優勝を重ねてモトクロス国際B級ライセンスを取得、全日本選手権に出場するようになる。このころには「プロとしてやっていきたい」と強く思うようになっていた。そんな矢先、練習中の大ケガで入院。リハビリを兼ねて散歩に行ったおもちゃ屋で、見たことのない形をしたミニカーに釘付けになる。赤いバドワイザーカラーに大きなゼッケン11。これが尾形とNASCARの出会いであった。

文:城 俊之   写真提供: AKINORI PERFORMANCE LLC