<!--:en-->演奏と演奏会 - 春のブリランテ演奏会を終えて・・・京都で思うこと・・・<!--:--><!--:ja-->演奏と演奏会 - 春のブリランテ演奏会を終えて・・・京都で思うこと・・・<!--:--> 4

 春の「軽音楽とJazz」コンサートの幕を無事下ろすことができました。演奏会のたびに、何度も、逃げ出したくなる気持ちにおそわれることが多々ありますが、何とかこれまでやってこれたのも、周りの方々のあたたかいサポートのおかげと感謝しています。

 今回も共演のイアン・スミス・トリオのベースとドラムが、2人とも、演奏会3週間前に、急遽出演不可能になり、一度は「公演取りやめ・・・」か「プログラム変更・・・」の最悪の事態まで考えました。イアンの音楽に対する熱意と尽力のおかげで、何とか彼の元生徒を含み、ミシガン州立大のJazz科の生徒2名を確保し、無事前日のドレスリハーサルにこぎつけました。最初は若い二人に、大きな不安をかんじていましたが、いざふたを開けてみると、二人ともテクニックも音楽性も素晴らしく、いうことなし。彼らの若さ・新鮮さが、逆に大きなプラスになり、イアンも私も、前日2時間のリハーサルを大いに楽しむことができました。

 当日は、演奏会に来ていただいた多くの方々から、若い2人のミュージシャンへの絶賛のみならず、「さすがぴったり息があっていましたね・・・」、「かなり長い間、一緒に合わせてこられたのですか・・・?」というコメント等をたくさんいただき、本当に穴があれば入りたい気持ちでいっぱいでした。

 今日本でこの手記を書いていますが、昨日は、久方ぶりの5月の京都。半年ぶりに再会した京都在住の大学時代の友人と銀閣寺を散策。初夏の冬型の低気圧の大雨の後のさわやかな新緑の中、東山の木々や苔の匂いに包まれた庭園を歩いていると、500年以上も人々を魅了してきた空間と一体となった不思議な感覚におちいります。(広大な宇宙

 時空間のなかに人間は生かせれられているものなのだという気持ちをあらたにしました。) 雑草ひとつない庭を見ていると義政公が500年以上前に見、追求した「自然の美の空間」は、綿々と庭師によって手入れされ、伝えられてきたのだと思います。

 音楽もまた、作曲家によって見出されたメッセージを演奏家によって伝えることがあって、はじめて次世代に受け継がれていくことが可能になるのだと思います。その場にいあわせなければ、いくら写真やビデオを見ても、実際の空間体験はできません。実際の空間体験なしに、建築や絵画芸術を「自分のものとして」体験することはまず不可能といっていいでしょう。

 そのような、聴衆が他時空間とのつながりを経験できる場を提供できる音楽演奏会というものが我々演奏家にとっては目指すべきものだと、銀閣寺を散策しながら、あらためて、思いました。演奏会には、CDや音楽メディアでは味わえない一種独特の空間体験が、可能になります。  もちろん音楽とかテクニックだけなら、演奏会に足を運ばなくてもメディアを聴きこめば理解できるでしょう。

 音楽はもちろん、演奏家の息遣いや演奏家間のコミュニケーション、会場の空気・雰囲気、その他もろもろが一体となった「つながり」を体験をしていただけるひとつの共通した『場』を提供していくことを、これからも・・・色々なドラマを生みながら?も・・・続けていきたいな・・・と考えています。

eBrillante 主宰 小西孝和

(写真提供:ケニー鈴木氏)

 春の「軽音楽とJazz」コンサートの幕を無事下ろすことができました。演奏会のたびに、何度も、逃げ出したくなる気持ちにおそわれることが多々ありますが、何とかこれまでやってこれたのも、周りの方々のあたたかいサポートのおかげと感謝しています。

 今回も共演のイアン・スミス・トリオのベースとドラムが、2人とも、演奏会3週間前に、急遽出演不可能になり、一度は「公演取りやめ・・・」か「プログラム変更・・・」の最悪の事態まで考えました。イアンの音楽に対する熱意と尽力のおかげで、何とか彼の元生徒を含み、ミシガン州立大のJazz科の生徒2名を確保し、無事前日のドレスリハーサルにこぎつけました。最初は若い二人に、大きな不安をかんじていましたが、いざふたを開けてみると、二人ともテクニックも音楽性も素晴らしく、いうことなし。彼らの若さ・新鮮さが、逆に大きなプラスになり、イアンも私も、前日2時間のリハーサルを大いに楽しむことができました。

 当日は、演奏会に来ていただいた多くの方々から、若い2人のミュージシャンへの絶賛のみならず、「さすがぴったり息があっていましたね・・・」、「かなり長い間、一緒に合わせてこられたのですか・・・?」というコメント等をたくさんいただき、本当に穴があれば入りたい気持ちでいっぱいでした。

 今日本でこの手記を書いていますが、昨日は、久方ぶりの5月の京都。半年ぶりに再会した京都在住の大学時代の友人と銀閣寺を散策。初夏の冬型の低気圧の大雨の後のさわやかな新緑の中、東山の木々や苔の匂いに包まれた庭園を歩いていると、500年以上も人々を魅了してきた空間と一体となった不思議な感覚におちいります。(広大な宇宙

 時空間のなかに人間は生かせれられているものなのだという気持ちをあらたにしました。) 雑草ひとつない庭を見ていると義政公が500年以上前に見、追求した「自然の美の空間」は、綿々と庭師によって手入れされ、伝えられてきたのだと思います。

 音楽もまた、作曲家によって見出されたメッセージを演奏家によって伝えることがあって、はじめて次世代に受け継がれていくことが可能になるのだと思います。その場にいあわせなければ、いくら写真やビデオを見ても、実際の空間体験はできません。実際の空間体験なしに、建築や絵画芸術を「自分のものとして」体験することはまず不可能といっていいでしょう。

 そのような、聴衆が他時空間とのつながりを経験できる場を提供できる音楽演奏会というものが我々演奏家にとっては目指すべきものだと、銀閣寺を散策しながら、あらためて、思いました。演奏会には、CDや音楽メディアでは味わえない一種独特の空間体験が、可能になります。  もちろん音楽とかテクニックだけなら、演奏会に足を運ばなくてもメディアを聴きこめば理解できるでしょう。

 音楽はもちろん、演奏家の息遣いや演奏家間のコミュニケーション、会場の空気・雰囲気、その他もろもろが一体となった「つながり」を体験をしていただけるひとつの共通した『場』を提供していくことを、これからも・・・色々なドラマを生みながら?も・・・続けていきたいな・・・と考えています。

eBrillante 主宰 小西孝和

(写真提供:ケニー鈴木氏)

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