<!--:en-->日本へ帰国した折に、出来る範囲の復興支援・応援<!--:--><!--:ja-->日本へ帰国した折に、出来る範囲の復興支援・応援<!--:--> 4

復興応援ツアー ~ 名勝観光と防潮堤見学

  大震災後の東北復興のために募金だけでは無く、自ら動いて何かしたいと思っている方は少なくないのではないだろうか。日本に一時帰国する機会があっても、遠く離れて不義理をしていた親兄弟や友人に会う、家族と旅行するなど、するべき用事やしたい事が山積み。そこで1つのアイデア。親孝行旅行や家族旅行の行き先に被災地を入れてみては?

  「東北観光に出かけることが復興支援になる」という旅行会社の謳い文句に疑問や違和感を感じたり、観光がてら行くのは不謹慎だと思っている人もいることだろう。弊紙レポーターは、昨年初夏に盛岡駅出発の 被災地応援ツアーに参加したミシガン在住のランカー弘子さんに話を伺わせていただいた。彼女が選んだのは盛岡駅出発の(*弘子さんは宮古駅から参加)一日ツアーで、浄土ヶ浜、田老、龍泉洞を巡り、途中、復旧したローカル線三陸鉄道にも乗るコース。

   浄土ヶ浜は三陸海岸を代表する景勝地の1つで国の名勝に指定されている。また、龍泉洞(岩手県)は秋芳洞(山口県)・龍河洞(高知県)と共に「日本三大鍾乳洞」の一つに数えられている。

  そして田老。ここには世界最大級といえる総延長2433m、高い場所では海面高十数メートルに及ぶ巨大な防潮堤があった。1960年に襲来したチリ地震津波では堤防が役目を果たしたため、世界の津波研究者から注目を集めるほどであった。しかし2011年3月の東日本大震災による津波は海側の防潮堤を500mにわたって一瞬で破壊、他の全ての防潮堤を乗り越え、町を飲み込んだ。人を護るための防潮堤によって、逆に海の様子が見えず迫ってきた危機に気づかず、安心感もあったがゆえに避難が遅れた。また、高い防潮堤は潮が引くのを妨げた面もあったという。

   被災地応援ツアー中、田老では防災語り部ガイドの案内が織り込まれていたが、そのボランティアガイドの女性が「観光として行くのは不謹慎だと思わないで来て欲しい。一番怖いのは、忘れ去れること」「観光にお金が落ちれば、復興に役立つ」と話したそうだ。弘子さんは、ガイドの女性が口にした「悲しい思いをしたけれど、それによって他の土地から来た大勢の人に会うことが出きて良かったと思う」という感想を耳にして「来て良かった」と嬉しさを感じた。

  弘子さんはこのツアーの他に気仙沼や塩釜なども回ったが、「行ってみて良かった」「行った後、そこが出てくるテレビ番組を見ると身近に感じます。」と話す。

被災地支援ボランティア ~家族でも寝泊まりしつつ参加が可能

  柳田國男の遠野物語のもととなった地域であり、河童などが登場する「遠野民話」で知られる岩手県遠野。この地に、東日本大震災で被災した岩手県沿岸部の被災者を支援するべく、遠野市民を中心とした支援ネットワーク『遠野まごころネット(遠野被災地支援ボランティア)』が結成され、今も活動している。

  岩手県沿岸部の三陸地方が想像をはるかに超えた甚大な被害を受けた直後に、「困難を分かち合い、復興・再建に向けて三陸地方の人々と共に行動しよう」という趣旨の下、沿岸地域への移動時間が1時間という遠野市の地の利を活かして、全国各地からのボランティアや支援物資等を受付ける拠点としての役割を担ってきた。対応が遅れがちになった行政支援を、臨機応変にカバーしてきた功績は大きい。

  震災直後には瓦礫撤去や物資配布、炊き出しといった緊急支援を行なってきたが、その段階が過ぎてからは状況に応じ各種のプロジェクトを立ち上げている。

遠野の地理的条件

  岩手県遠野市は、「盛岡・花巻・北上・一関などの東北自動車道や東北新幹線沿いの内陸地域」と「宮古・山田・大槌・釜石・大船渡・陸前高田などの沿岸地域」との中間地点に位置している。その地理的状況を生かし、内陸と沿岸を結ぶ、物や人や情報が集まって行き交うHUB(ハブ)としての役割を担っている。内陸地域から沿岸地域は片道約100kmあり、日帰りでのボランティア活動は時間的にも身体的にも余裕がなくなるが、遠野から沿岸地域は片道約40kmとあり、遠野を朝出発して沿岸地域でボランティア活動を行い、暗くなる前に遠野に帰ってきても十分に余裕がある。また遠野市内は地震の被害が少なく、直後からライフラインや商店なども通常営業しており、ボランティア生活をする上でも不自由なく過ごすことができた。まごころネット内に宿泊場所があるため、多くの人が活用してきたそうだ。

  レポーターは2013年秋、前述のランカー弘子さんの情報を得て、本拠地であるセンターの訪問取材をさせていただいた。この日は農業復興を支援するためのカボチャの仕分けが行われていた。

活動内容

  3年以上が経過した取材当時、岩手県沿岸被災地ではコミュニティの再生、そして産業の再生/雇用の創出が復興のための大きな課題となっていた。同年5月には、新たなコミュニティと「なりわい」の場をつくるために遠野まごころネットが前年からJTI財団の協力を得て進めてきた「大槌たすけあいセンター」の建設工事が完了し、運営を開始した。大槌たすけあいセンターでは、雇用創出のためのレストラン営業、海鮮餃子やハーブスティックを生産する第六次産業事業、内職の場の提供、コミュニティづくりのためのカフェやイベント開催、総合相談支援等、多様な事業を執り行っていく予定だということ。

  遠野まごころネットの良さは、個人での参加も可能である点。復興地各地域の特性、ニーズ等に合わせて活動は移り変わっており、近頃の活動は、大槌町や陸前高田市のコミュニティ農園での農作業、建築補助・修繕、イベントの開催・サポート等。力仕事もあるが、非力な女性や少年にもできることが色々あるそうだ。

  施設には数十人が泊まる(雑魚寝する)ことができるほど広い畳敷きの空間があり、ポータブルトイレや洗濯機、自炊用の台所も備えられている。壁やホワイトボードには、その日のスケジュールや伝達事項、そしてこれまでの活動の写真などの掲示が並び、活発さが窺われた。

ボランティア活動の参加に際して

  7日前の18:00までにウェブで事前登録及びボランティア保険の加入が必要。

  2013年9月より、活動協力費¥1000を徴収(高校生以下は無料。大学生は半額)。

  http://tonomagokoro.net/

☆ ☆ ☆

  随時報道で伝えられているように、津波被害による瓦礫撤去はかなり進んだ。岩手県の中で最大の(人口2万強のうち7割以上)被害を受けた陸前高田の平地部は、そこに町があった跡形がないほど、砂漠のような更地になっていた(昨年秋の時点)。プレハブ造りの『陸前高田物産センター』に置かれていた(被災前後の姿を伝える)写真集を手にして初めて、どれ程の家屋やビルがあり、活気ある営みがあったのか、そして津波の爪痕がいかに大きかったかを垣間見ることができた。丘陵地帯に住宅を新築するための整地工事が進められていた。三陸沿岸の復興支援道路の工事もあちこちで見かけ、工事用の大型車両が行きかっていた。

  『遠野まごころネット』の職員いわく、復興が進んでいる所とそうでない所があるとのこと。一時通るだけでは分からない問題がまだまだある。忘れないこと、息長く応援することの大切さを心に留めたい。

(NM記者)

復興応援ツアー ~ 名勝観光と防潮堤見学

  大震災後の東北復興のために募金だけでは無く、自ら動いて何かしたいと思っている方は少なくないのではないだろうか。日本に一時帰国する機会があっても、遠く離れて不義理をしていた親兄弟や友人に会う、家族と旅行するなど、するべき用事やしたい事が山積み。そこで1つのアイデア。親孝行旅行や家族旅行の行き先に被災地を入れてみては?

  「東北観光に出かけることが復興支援になる」という旅行会社の謳い文句に疑問や違和感を感じたり、観光がてら行くのは不謹慎だと思っている人もいることだろう。弊紙レポーターは、昨年初夏に盛岡駅出発の 被災地応援ツアーに参加したミシガン在住のランカー弘子さんに話を伺わせていただいた。彼女が選んだのは盛岡駅出発の(*弘子さんは宮古駅から参加)一日ツアーで、浄土ヶ浜、田老、龍泉洞を巡り、途中、復旧したローカル線三陸鉄道にも乗るコース。

   浄土ヶ浜は三陸海岸を代表する景勝地の1つで国の名勝に指定されている。また、龍泉洞(岩手県)は秋芳洞(山口県)・龍河洞(高知県)と共に「日本三大鍾乳洞」の一つに数えられている。

  そして田老。ここには世界最大級といえる総延長2433m、高い場所では海面高十数メートルに及ぶ巨大な防潮堤があった。1960年に襲来したチリ地震津波では堤防が役目を果たしたため、世界の津波研究者から注目を集めるほどであった。しかし2011年3月の東日本大震災による津波は海側の防潮堤を500mにわたって一瞬で破壊、他の全ての防潮堤を乗り越え、町を飲み込んだ。人を護るための防潮堤によって、逆に海の様子が見えず迫ってきた危機に気づかず、安心感もあったがゆえに避難が遅れた。また、高い防潮堤は潮が引くのを妨げた面もあったという。

   被災地応援ツアー中、田老では防災語り部ガイドの案内が織り込まれていたが、そのボランティアガイドの女性が「観光として行くのは不謹慎だと思わないで来て欲しい。一番怖いのは、忘れ去れること」「観光にお金が落ちれば、復興に役立つ」と話したそうだ。弘子さんは、ガイドの女性が口にした「悲しい思いをしたけれど、それによって他の土地から来た大勢の人に会うことが出きて良かったと思う」という感想を耳にして「来て良かった」と嬉しさを感じた。

  弘子さんはこのツアーの他に気仙沼や塩釜なども回ったが、「行ってみて良かった」「行った後、そこが出てくるテレビ番組を見ると身近に感じます。」と話す。

被災地支援ボランティア ~家族でも寝泊まりしつつ参加が可能

  柳田國男の遠野物語のもととなった地域であり、河童などが登場する「遠野民話」で知られる岩手県遠野。この地に、東日本大震災で被災した岩手県沿岸部の被災者を支援するべく、遠野市民を中心とした支援ネットワーク『遠野まごころネット(遠野被災地支援ボランティア)』が結成され、今も活動している。

  岩手県沿岸部の三陸地方が想像をはるかに超えた甚大な被害を受けた直後に、「困難を分かち合い、復興・再建に向けて三陸地方の人々と共に行動しよう」という趣旨の下、沿岸地域への移動時間が1時間という遠野市の地の利を活かして、全国各地からのボランティアや支援物資等を受付ける拠点としての役割を担ってきた。対応が遅れがちになった行政支援を、臨機応変にカバーしてきた功績は大きい。

  震災直後には瓦礫撤去や物資配布、炊き出しといった緊急支援を行なってきたが、その段階が過ぎてからは状況に応じ各種のプロジェクトを立ち上げている。

遠野の地理的条件

  岩手県遠野市は、「盛岡・花巻・北上・一関などの東北自動車道や東北新幹線沿いの内陸地域」と「宮古・山田・大槌・釜石・大船渡・陸前高田などの沿岸地域」との中間地点に位置している。その地理的状況を生かし、内陸と沿岸を結ぶ、物や人や情報が集まって行き交うHUB(ハブ)としての役割を担っている。内陸地域から沿岸地域は片道約100kmあり、日帰りでのボランティア活動は時間的にも身体的にも余裕がなくなるが、遠野から沿岸地域は片道約40kmとあり、遠野を朝出発して沿岸地域でボランティア活動を行い、暗くなる前に遠野に帰ってきても十分に余裕がある。また遠野市内は地震の被害が少なく、直後からライフラインや商店なども通常営業しており、ボランティア生活をする上でも不自由なく過ごすことができた。まごころネット内に宿泊場所があるため、多くの人が活用してきたそうだ。

  レポーターは2013年秋、前述のランカー弘子さんの情報を得て、本拠地であるセンターの訪問取材をさせていただいた。この日は農業復興を支援するためのカボチャの仕分けが行われていた。

活動内容

  3年以上が経過した取材当時、岩手県沿岸被災地ではコミュニティの再生、そして産業の再生/雇用の創出が復興のための大きな課題となっていた。同年5月には、新たなコミュニティと「なりわい」の場をつくるために遠野まごころネットが前年からJTI財団の協力を得て進めてきた「大槌たすけあいセンター」の建設工事が完了し、運営を開始した。大槌たすけあいセンターでは、雇用創出のためのレストラン営業、海鮮餃子やハーブスティックを生産する第六次産業事業、内職の場の提供、コミュニティづくりのためのカフェやイベント開催、総合相談支援等、多様な事業を執り行っていく予定だということ。

  遠野まごころネットの良さは、個人での参加も可能である点。復興地各地域の特性、ニーズ等に合わせて活動は移り変わっており、近頃の活動は、大槌町や陸前高田市のコミュニティ農園での農作業、建築補助・修繕、イベントの開催・サポート等。力仕事もあるが、非力な女性や少年にもできることが色々あるそうだ。

  施設には数十人が泊まる(雑魚寝する)ことができるほど広い畳敷きの空間があり、ポータブルトイレや洗濯機、自炊用の台所も備えられている。壁やホワイトボードには、その日のスケジュールや伝達事項、そしてこれまでの活動の写真などの掲示が並び、活発さが窺われた。

ボランティア活動の参加に際して

  7日前の18:00までにウェブで事前登録及びボランティア保険の加入が必要。

  2013年9月より、活動協力費¥1000を徴収(高校生以下は無料。大学生は半額)。

  http://tonomagokoro.net/

☆ ☆ ☆

  随時報道で伝えられているように、津波被害による瓦礫撤去はかなり進んだ。岩手県の中で最大の(人口2万強のうち7割以上)被害を受けた陸前高田の平地部は、そこに町があった跡形がないほど、砂漠のような更地になっていた(昨年秋の時点)。プレハブ造りの『陸前高田物産センター』に置かれていた(被災前後の姿を伝える)写真集を手にして初めて、どれ程の家屋やビルがあり、活気ある営みがあったのか、そして津波の爪痕がいかに大きかったかを垣間見ることができた。丘陵地帯に住宅を新築するための整地工事が進められていた。三陸沿岸の復興支援道路の工事もあちこちで見かけ、工事用の大型車両が行きかっていた。

  『遠野まごころネット』の職員いわく、復興が進んでいる所とそうでない所があるとのこと。一時通るだけでは分からない問題がまだまだある。忘れないこと、息長く応援することの大切さを心に留めたい。

(NM記者)

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