<!--:en-->ミシガン雫の会による東日本大震災の支援活動<!--:--><!--:ja-->ミシガン雫の会による東日本大震災の支援活動<!--:--> 3

  震災3周年直前の3月9日(日)にNPOミシガン雫の会(以下、雫の会)の主催による「雫の一滴『東北・ミシガン交流レポート』〜世界のみんなが元気になるように〜」と題した企画がひのきインターナショナルスクールを会場にして開催された。

  雫の会は、2009年の10月から月1回、中学生を対象として「よく遊び、よく学ぶ会」を開催したのが活動の始まりで、子どもだけでなく地域に住む人々がより広い視野をもって、楽しく有意義に生活できることを目標に、多様な活動やイベントを行なっている。

  この日は雪の残る日曜日にも関わらず、中高生を含む35名以上の参加が集まった。東北でボランティア活動をしてきたミシガン在住の高校生二人によるの体験レポート、雫の会スタッフの武藤さんによる募金活動の報告と支援先団体からのお礼のメッセージの発表、さらに、ドキュメンタリー映画監督の椎木さんによる福島の子ども達のビデオや震災後に作られたアニメーション上映が行われた。参加者は、ミシガンでは知ることが難しい東北の現場の声や様子を少しでも多く理解吸収しようとするかのように、終始、発言に耳を傾け、映像に見入っていた。

  冒頭で雫の会のジョンソンさんより、震災に関する雫の会としてのこれまでの活動経緯が説明された。同会では3年前の震災後に当地でできる支援は何かと考え、まず、実際に当地からボランティアに行った人を招いで話を聴く会を催した。その発表者の一人であった三上氏の知人を通して東北のNPO団体と繋がりができ、雫の会のメンバー神保さんが2011年夏に震災ボランティアのリサーチに回った。ちなみに、その報告は雫の会のサイト(*文末に記載)に載っており、本紙にも掲載させていただいた。

  そして神保さんの訪問先や情報をもとに、当地の日本人高校生二人が昨年(2013年)の夏、それぞれボランティア活動に参加。今回はその発表を行うことになった。

  各発表の詳細は後述するが、4人それぞれが異なった角度から福島の現状を伝え、傾聴者からは意識を改めたという声やボランティアへの関心を深めたという声が寄せられた。震災後の東北と自分たちのあり方に新たな視点を与えてくれるきっかけになれば、との思いで企画されたイベントは、今後の活動にたいする意欲を高める役割を確実に果たしたといえる。

  発表の後には、3月29日にミシガン大学JSA(日本学生会)主催で開かれる日本文化祭の会場で同会が東北支援プロジェクトのために実施するバザーの品を仕分けする作業が行われた。「何ができるかを考えよう。忘れずに続けよう」という主催者と発表者の熱い思いが伝わり、行動することの大事さを痛感したイベントであった。

ミシガン雫の会のホームページ

https://sites.google.com/site/shizukunokai/

発表要約

1.2013年夏に東北で復興ポランティアに参加した高校生 畠君と安達君の体験レポート

畠駿介君 ~ 7月中旬 両親と共に仙台市

ボランティア(2種類の)内容と周辺の状況

① Re Roots:農家の支援(仙台市若林区)

  • 作業は、大豆畑に残っている瓦礫(雨が降るたびに、ガラス、瓦、ゴミなどが地面に浮き上がる)の除去。瓦礫の仕分け作業。
  • 作業した若林区荒浜地区は集落のすべてが津波で流され、多くの死者、不明者を出した。未だに家屋の土台のみが残り、見渡す限り廃墟のままだった。

② 仙台ドッグウッド:被災した犬や猫の保護センター

  • 飼い主がいなくなったり、飼い主が手元で飼えない状況にある犬猫の世話(散歩、食事、糞の始末)をしている団体の手伝い。
  • 専属スタッフもいるがボランティア不足が現在も続いている状態。

安達大晃君 ~ 6月に一人で約1週間 宮城県石巻

○ 東京国分寺に事務所を置くNPO“SOLA” (http://solailo.jp/)

石巻と南三陸に拠点を持ち東北支援を継続しているNPO

仮設住宅のサポートプログラム(子供の世話)、南三陸の児童館での活動

  • 勉強の手伝い、鬼ごっこ、花壇に花植えなど、遊び相手、専門のスタッフがボランティア活動を支える。

付近の様子

  • 近くにあるかつての防災対策庁舎: 海岸から800m離れているにも拘らず、3階建ての頑丈な建物の鉄骨のみが残っている状態。震災時、最期まで放送で避難を呼びかけた職員が亡くなった。
  • 大川小学校(南三陸町):児童の70%、教員は11人中10人が死亡または行方不明になった。

二人の感想

  • 自分はこういう被害に遭ったことがなく、災害の怖さを初めて知った。
  • 実際に行って、ボランティア不足だと実感した。・2年以上経っても未だ復興していない、被害のスケールに驚いた。

この日の傾聴者からの「なぜ行ったのか」との質問に対して、安達君は「僕に何ができるのか確かめたかった」と答えた。それを受けて畠君は「役立てると分かり、意味があると感じた」と語った。二人とも、またボランティアのために行くつもりだという。

ボランティアの見つけ方、準備

前述したように、安達君は雫の会メンバーが訪問したルートを辿った。畠君家族はインターネットで検索して、アメリカから連絡をしてから日本へ行った。事前に天災の保障のあるボランティア保険に加入する必要があるとのこと。

2.雫の会のメンバーである武藤育美さんより、原発作業員をサポートする活動について

○福島の原発作業員のための支援・募金活動

  • 福島の団体「アプリシエイトフクシマワーカーズ(Appreciate Fukushima Workers:

AFW)」によって、過酷な寒さの中で廃炉作業に従事している作業員を支援するための募金活動にアメリカから協力。11月から3月までの間に、防寒用品(機能性インナーやカイロ)を届けられた。この募金活動には、作業員の方を応援している意思や感謝とねぎらいを届ける意味もある。

  • 多くの方のご協力により募金は総額1500ドル集まり、今後、AFWの口座に振り込まれる予定。

AFW代表の吉川氏から届いた御礼に記された原発周辺の人々の状況と支援内容

  • 復旧・廃炉作業は過酷である上、避難生活も厳しい。また、作業員と他の住人との軋轢が生じてトラブルが頻発するようになっている。
  • 中央(東京)の豊かさを地方へ押し付けた結果であり、見過ごされてはならない。
  • AFWは作業員への支援だけが目的では無く、被災地(産業が壊滅)全体の本当の復興支援を目指している。地元産業復興へ向けて、広野町と共にオリーブ栽培をスタートした。
  • AFWの支援は被災地と外を結ぶ活動でもある。

3.福島のドキュメンタリー映画を作成中の椎木透子さんによる話とビデオ上映 

  ドキュメンタリー映画を制作するために自ら福島を訪れ、避難体験を持つ中学生へのインタビューを行なった際の録画と、和太鼓グループの演奏風景ビデオ、そして「レインボードラゴン」という自作アニメーション、3本が上映された。

  「レインボードラゴン」は、震災の翌年スタートした「ドラゴン・プロジェクト for 東北ジャパン」という支援活動で出来上がった共同ドラゴン作品を日本(南相馬)で展示した際に上映したアニメーションで、海外から何かできないかと思う人の想いが膨らんでドラゴンが生まれ、たくさんのドラゴンが一匹の虹色のドラゴンになり、日本へ辿り着くというストーリー。http://vimeo.com/tokoshiiki/dragon

取材で出合った中学生について

  「かわいそうと言われたくない」という中学生。ここ(福島)で生きると決めて精一杯過ごしている人がいる。大変な面や辛い人のことがニュースで多く伝わるが、出合った人々の元気さ、前向きな言葉を伝えたいと思うようになったと椎木さんは語る。

原町第一中学校(南相馬市立)吹奏楽部員の言動

  • この地域の人々は、原発事故直後に避難させられて、一ヶ月半程して他の避難先の学校で4月後半から授業を始めた。部活はスペースを分け合って行った。
  • 先生が、部員皆の『コンクールに出たい』という無言の想いを察し、『やっぱり出ようか?』と聞いたところ、『出たいです!頑張ります!』と言われた。『こんな練習では出ても…』と思いつつも、その想いをくみ取って出る事に決め、練習出来るスペースもろくにない中、余震が頻発する中で精一杯練習し、最優秀賞を受賞するに至った。
  • 中学生から海外の人へのメッセージとして、「一回見にきて! かわいそうと言わせない!」「何処にいても、いつも一緒にいる人を大切にして。バラバラになる前に気持ちを伝えて」など、前向きで逞しい言葉が続いた。

  震災3周年直前の3月9日(日)にNPOミシガン雫の会(以下、雫の会)の主催による「雫の一滴『東北・ミシガン交流レポート』〜世界のみんなが元気になるように〜」と題した企画がひのきインターナショナルスクールを会場にして開催された。

  雫の会は、2009年の10月から月1回、中学生を対象として「よく遊び、よく学ぶ会」を開催したのが活動の始まりで、子どもだけでなく地域に住む人々がより広い視野をもって、楽しく有意義に生活できることを目標に、多様な活動やイベントを行なっている。

  この日は雪の残る日曜日にも関わらず、中高生を含む35名以上の参加が集まった。東北でボランティア活動をしてきたミシガン在住の高校生二人によるの体験レポート、雫の会スタッフの武藤さんによる募金活動の報告と支援先団体からのお礼のメッセージの発表、さらに、ドキュメンタリー映画監督の椎木さんによる福島の子ども達のビデオや震災後に作られたアニメーション上映が行われた。参加者は、ミシガンでは知ることが難しい東北の現場の声や様子を少しでも多く理解吸収しようとするかのように、終始、発言に耳を傾け、映像に見入っていた。

  冒頭で雫の会のジョンソンさんより、震災に関する雫の会としてのこれまでの活動経緯が説明された。同会では3年前の震災後に当地でできる支援は何かと考え、まず、実際に当地からボランティアに行った人を招いで話を聴く会を催した。その発表者の一人であった三上氏の知人を通して東北のNPO団体と繋がりができ、雫の会のメンバー神保さんが2011年夏に震災ボランティアのリサーチに回った。ちなみに、その報告は雫の会のサイト(*文末に記載)に載っており、本紙にも掲載させていただいた。

  そして神保さんの訪問先や情報をもとに、当地の日本人高校生二人が昨年(2013年)の夏、それぞれボランティア活動に参加。今回はその発表を行うことになった。

  各発表の詳細は後述するが、4人それぞれが異なった角度から福島の現状を伝え、傾聴者からは意識を改めたという声やボランティアへの関心を深めたという声が寄せられた。震災後の東北と自分たちのあり方に新たな視点を与えてくれるきっかけになれば、との思いで企画されたイベントは、今後の活動にたいする意欲を高める役割を確実に果たしたといえる。

  発表の後には、3月29日にミシガン大学JSA(日本学生会)主催で開かれる日本文化祭の会場で同会が東北支援プロジェクトのために実施するバザーの品を仕分けする作業が行われた。「何ができるかを考えよう。忘れずに続けよう」という主催者と発表者の熱い思いが伝わり、行動することの大事さを痛感したイベントであった。

ミシガン雫の会のホームページ

https://sites.google.com/site/shizukunokai/

発表要約

1.2013年夏に東北で復興ポランティアに参加した高校生 畠君と安達君の体験レポート

畠駿介君 ~ 7月中旬 両親と共に仙台市

ボランティア(2種類の)内容と周辺の状況

① Re Roots:農家の支援(仙台市若林区)

  • 作業は、大豆畑に残っている瓦礫(雨が降るたびに、ガラス、瓦、ゴミなどが地面に浮き上がる)の除去。瓦礫の仕分け作業。
  • 作業した若林区荒浜地区は集落のすべてが津波で流され、多くの死者、不明者を出した。未だに家屋の土台のみが残り、見渡す限り廃墟のままだった。

② 仙台ドッグウッド:被災した犬や猫の保護センター

  • 飼い主がいなくなったり、飼い主が手元で飼えない状況にある犬猫の世話(散歩、食事、糞の始末)をしている団体の手伝い。
  • 専属スタッフもいるがボランティア不足が現在も続いている状態。

安達大晃君 ~ 6月に一人で約1週間 宮城県石巻

○ 東京国分寺に事務所を置くNPO“SOLA” (http://solailo.jp/)

石巻と南三陸に拠点を持ち東北支援を継続しているNPO

仮設住宅のサポートプログラム(子供の世話)、南三陸の児童館での活動

  • 勉強の手伝い、鬼ごっこ、花壇に花植えなど、遊び相手、専門のスタッフがボランティア活動を支える。

付近の様子

  • 近くにあるかつての防災対策庁舎: 海岸から800m離れているにも拘らず、3階建ての頑丈な建物の鉄骨のみが残っている状態。震災時、最期まで放送で避難を呼びかけた職員が亡くなった。
  • 大川小学校(南三陸町):児童の70%、教員は11人中10人が死亡または行方不明になった。

二人の感想

  • 自分はこういう被害に遭ったことがなく、災害の怖さを初めて知った。
  • 実際に行って、ボランティア不足だと実感した。・2年以上経っても未だ復興していない、被害のスケールに驚いた。

この日の傾聴者からの「なぜ行ったのか」との質問に対して、安達君は「僕に何ができるのか確かめたかった」と答えた。それを受けて畠君は「役立てると分かり、意味があると感じた」と語った。二人とも、またボランティアのために行くつもりだという。

ボランティアの見つけ方、準備

前述したように、安達君は雫の会メンバーが訪問したルートを辿った。畠君家族はインターネットで検索して、アメリカから連絡をしてから日本へ行った。事前に天災の保障のあるボランティア保険に加入する必要があるとのこと。

2.雫の会のメンバーである武藤育美さんより、原発作業員をサポートする活動について

○福島の原発作業員のための支援・募金活動

  • 福島の団体「アプリシエイトフクシマワーカーズ(Appreciate Fukushima Workers:

AFW)」によって、過酷な寒さの中で廃炉作業に従事している作業員を支援するための募金活動にアメリカから協力。11月から3月までの間に、防寒用品(機能性インナーやカイロ)を届けられた。この募金活動には、作業員の方を応援している意思や感謝とねぎらいを届ける意味もある。

  • 多くの方のご協力により募金は総額1500ドル集まり、今後、AFWの口座に振り込まれる予定。

AFW代表の吉川氏から届いた御礼に記された原発周辺の人々の状況と支援内容

  • 復旧・廃炉作業は過酷である上、避難生活も厳しい。また、作業員と他の住人との軋轢が生じてトラブルが頻発するようになっている。
  • 中央(東京)の豊かさを地方へ押し付けた結果であり、見過ごされてはならない。
  • AFWは作業員への支援だけが目的では無く、被災地(産業が壊滅)全体の本当の復興支援を目指している。地元産業復興へ向けて、広野町と共にオリーブ栽培をスタートした。
  • AFWの支援は被災地と外を結ぶ活動でもある。

3.福島のドキュメンタリー映画を作成中の椎木透子さんによる話とビデオ上映 

  ドキュメンタリー映画を制作するために自ら福島を訪れ、避難体験を持つ中学生へのインタビューを行なった際の録画と、和太鼓グループの演奏風景ビデオ、そして「レインボードラゴン」という自作アニメーション、3本が上映された。

  「レインボードラゴン」は、震災の翌年スタートした「ドラゴン・プロジェクト for 東北ジャパン」という支援活動で出来上がった共同ドラゴン作品を日本(南相馬)で展示した際に上映したアニメーションで、海外から何かできないかと思う人の想いが膨らんでドラゴンが生まれ、たくさんのドラゴンが一匹の虹色のドラゴンになり、日本へ辿り着くというストーリー。http://vimeo.com/tokoshiiki/dragon

取材で出合った中学生について

  「かわいそうと言われたくない」という中学生。ここ(福島)で生きると決めて精一杯過ごしている人がいる。大変な面や辛い人のことがニュースで多く伝わるが、出合った人々の元気さ、前向きな言葉を伝えたいと思うようになったと椎木さんは語る。

原町第一中学校(南相馬市立)吹奏楽部員の言動

  • この地域の人々は、原発事故直後に避難させられて、一ヶ月半程して他の避難先の学校で4月後半から授業を始めた。部活はスペースを分け合って行った。
  • 先生が、部員皆の『コンクールに出たい』という無言の想いを察し、『やっぱり出ようか?』と聞いたところ、『出たいです!頑張ります!』と言われた。『こんな練習では出ても…』と思いつつも、その想いをくみ取って出る事に決め、練習出来るスペースもろくにない中、余震が頻発する中で精一杯練習し、最優秀賞を受賞するに至った。
  • 中学生から海外の人へのメッセージとして、「一回見にきて! かわいそうと言わせない!」「何処にいても、いつも一緒にいる人を大切にして。バラバラになる前に気持ちを伝えて」など、前向きで逞しい言葉が続いた。

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