<!--:en-->Fukushima HOPE, Michigan HOPE<!--:--><!--:ja-->「Michigan HOPE」主催福島に暮らす人びとの『今』を聴く昼食会—「ふくしまHOPE」の視察スタッフを迎えて―<!--:--> 1

 今もなお、長期的支援を必要としている東日本大震災の被災者の方々に、ミシガンに住む私たちができる形で何とかその気持ちに応えたいとの思いで、昨年11月に有志たちが集まって発足した「Michigan HOPE」は、同じく昨年9月に原発被災者の方々を支援する目的で産声を上げた「ふくしまHOPE」と連携して、この夏、福島県内の20名の中高生をこの緑豊かなミシガンに迎える。遠く離れたミシガン側と福島側で手を携えて取り組む、海外での保養キャンプというこの新しい試みをより良いものとするため、さる4月9日〜15日の一週間、「ふくしまHOPE」を代表して3名のスタッフがミシガンを訪れた。二週間の夏のキャンプ(7/22〜8/5)に向けての視察と「Michigan HOPE」との意見交換をしながら、連日講演の場を設けて、福島県内の放射能被害の現状と、より深刻に放射能被害の影響を受けると心配される子どもたちの“今”なお続く制限された生活、および、その放射能被害を少なからず軽減できる対策のひとつである保養キャンプの有用性について、聴衆のみなさんに理解を求め協力を訴えた。
 ここでは、日本への帰国前日4月14日にNovi のホテル、Double Tree by Hilton で行われた「Michigan HOPE」主催の昼食会「福島に暮らす人びとの“今”を聴く会」の様子を、「ふくしまHOPE」のお二人の話を中心に紹介する。出席した方々は、竹内みどり主席領事をはじめ、当時かの地で震災の被害に実際に遭われた方々、震災後東北でボランティア活動をされた方々、そして、これから被災地でボランティア活動をしたいと考えている方々など、さまざまなバックグラウンドを持ちながら、何らかの形でこの震災とその後の支援を自分のこととして考え集まってくださった方々ばかりである。
 ランチョン形式の軽い昼食を召し上がっていただきながら、同じテープルに坐った方たちとの歓談のあと、司会の「Michigan HOPE」の三上洋輔氏による各出席者の簡単な紹介から始まり、「Michigan HOPE」運営委員長の宮本俊一氏が開会の挨拶として、草の根的運動として展開中のこのプロジェクトの意義とこの会に出席いただいたみなさんへの感謝を述べ、先の長いプロジェクトへの支援をお願いした。
 続いて、「ふくしまHOPE」から木田恵嗣氏(「ふくしまHOPE」プロジェクト代表、福島キリスト教連絡会代表、ミッション東北郡山キリスト福音教会牧師)と中島恭子氏(保守バプテスト同盟ふるさとキリスト教会牧師、にじのこども園園長、子ども保養コーディネーター)のお二人が、パワーポイントで表や写真を映しながら、それぞれの視点からの福島の現状と「ふくしまHOPE」としての取り組みを話された。木田氏は、主に俯瞰的な視点から、現状と問題を要約して報告された。

—福島県内の地域ごとに異なる被害の実態—

 福島県は、南北に走る、海に近い阿武隈山地と内陸の奥羽山脈によって、海側から浜通り、中通り、会津の三地域分かれています。その地理的な違いによって、東日本大震災の被害は、同じ福島でも大きな違いが生じました。浜通りは、地震・津波・原発事故の影響を直接受け、中通りは津波の被害はなかったのですが、原発事故により流出した放射能が、まず南東の風によって北西に流れ、その後、北西の風に押し戻されて南に下ったため、放射能被害を予想以上に受ける結果となりました。
 そういうわけで、原発からかなり離れている中通りの郡山でも、ホットスポットと呼ばれる未だに放射線量が高い場所が随所にあります。公園など、いたるところに放射線量測定器モニタリングポストが設置されていることからもわかるように、子どもたちの屋外活動が著しく制限されているのが現状です。樹木の近くは線量が高いのです。放射能物質が植物に付着して、花や草、樹木など自然に触れることができません。塵や埃に付着した放射能は風で漂い地面に落ちます。校庭の土を入れ替え、地面だった駐車場はコンクリートに変え、ブランコの下には鉛の入ったシートが敷いてあります。震災後、民間企業によって建設された「ペップキッズこうりやま」は、寄付された市が運営していますが、本来なら屋外遊びであるはずの砂場、水遊び場、三輪サーキット場が屋内に設置され、放射能を心配する必要のない疑似屋外遊びができる室内遊戯施設として賑わっています。週末は整理券を配布するほど、子どもたちと子供の健康を心配する親たちに大変人気があります。
 こういった室内遊戯場は、スーパーマーケット内の有料の施設も含め、残念ながら、今後も、福島では子どもの生活の場として重要であろうかと思います。

—福島がかかえる問題「3つのキーワード」と「ふくしまHOPE」の発足—

①「分断」……
震災前まで信頼を築いていた夫婦、家族、親族、男女、地域の関係性において、放射能に対する考え方の違いから分断が起きています。
②「不安」……
放射能汚染についての情報がさまざまで、何が正しいのか、何を信じるべきなのか、迷い不安に苛まれています。
③「麻痺」……
放射能汚染の問題が長引くにつれて、常に放射線量が高いことに対して感覚が麻痺してきます。半袖で遊ぶ子どもの姿や、長時間屋外で遊ぶ子どもの姿が見られるようになってきました。
 このような福島の閉塞的な状況の中で、「ふくしまHOPE」を立ち上げました。森の中での遊びが許されない子どもたちが、福島からしばし離れて、自然の中で思いっきり遊ぶ、そんな子どもたちの笑顔を見ることが私たちの大きな喜びなのです。

 続いて、青森で幼稚園の園長をしながら、「ふくしまHOPE」発足後は、子ども保養コーディネーターとして毎週福島を往復されている中島氏が、中学生と高校生の3人のお子さんを持つ母親の立場から、福島に暮らす子どもたちとそのご家族たちの状況について心情溢れる話をされた。事故のあった原発を石棺で封印するにしても30〜40年かかると言われ、いつ収束するかわからない状況の中、保養キャンプについての支援も細く長く続けていく必要があることを強調された。

—福島に暮らす人々の声を代弁して—

 大震災から二年が経ち、東北からは支援団体が次々に引き上げています。しかし、現実はまだまだ厳しく、支援を必要としている方たちが大勢います。ある教会の牧師は、線量計を首から下げている子どもたちの姿を見たとき、原発事故のクビキをなんの罪もない子どもたちに負わせてしまった現実を思い知らされた、と話してくれました。子どもたちは、今の現実を選ぶことができなかった一番の被害者なのです。地震、津波、に続いて起きた原発被害に関しては、深刻さはますます深くなっていると言えます。
 私は、少し前に初めての本を出しました。「子どものいのちを守りたい」(いのちの言葉社)というタイトルです。福島のお母さんたちの、今まで口に出せなかった声を伝えたくて書きました。夫婦、親子、母親同士、同じ地域内の人同士でも、意見は食い違い、だんだんと不安を胸にしまうようになりました。福島県から500キロ離れた、青森に住む私にだからこそ本当の気持ちが正直に言える、とそれまで誰にも言えなかった思いを語ってくれたのでした。あるお母さんは、震災後、夫の実家や自分の実家を点々としましたが、どこに行っても気持ちの行き違いから落ち着くことができず、困惑し疲れ果ててしまったと、苦しい胸の内を話してくれました。震災後の5月、線量の問題が浮上して福島県内は大混乱に陥りました。真実を知りたいと、専門家を呼んで話を聞きましたが、さまざまに異なる見解に、何を信じてどう行動すればいいのか途方にくれるばかりでした。このままでは子どもたちに未来はないと考えた親たちは立ち上がりました。子どもたちを思い切り遊ばせたい、外で思う存分走り回らせてあげたいという止むにやまれぬ思いから、保養プログラムができあがっていったのです。

—保養キャンプから見えてくるもの—

 私の住む青森でも、福島から家族の保養を受け入れています。青森で初めて砂遊びをする子どももいます。福島では花や草にも触れることができません。学校では、自然を利用した工作ができません。青森で、桜が見たいという家族もいます。何も気にしないで遊べる環境でリラックスできるということが何より大切なのです。何も心配せずに散歩したい、遊ばせてあげたいということでした。風を感じる、雨や雪を触る、そんな当たり前の事ができることが一番ありがたいと言われるのです。また、ある親御さんは、突然仲の良かった友だちと引き裂かれていくという日常の中で、我が子が日々ストレスをためて行くのがつらいと言われました。
 また、郡山から来た家族は、福島県から青森に出てくるときに、洗車をして、服も靴も全て着替えて来たんですと涙ながらに話されました。保養キャンプ中に、家族で出かけて行った海から戻ってくるなり、日本にもまだ泳げる所があったのだと喜び、楽しくて福島に帰りたくないと言われました。ご主人が自衛官で、震災後不眠不休で働いていたので、青森でやっと家族でゆっくりできたと喜ぶ方もいました。そうした変わらぬ状況の中で、保養キャンプを経験した方たちの気持ちにある変化がありました。福島に戻った後、前向きにがんばろうと思えるようになった、という声や、今までは自分たちだけのことで精一杯だったけれど、他人に何かをしてあげたいと思うようになった、と話される人まで出てくるようになったのです。

—「曖昧」な喪失—

 震災問題の底流に流れているのは、曖昧な喪失ともいうべきものです。まず、数多くの「不明の人が見つかっていない」状況があります。震災の日に、急にいなくなったまま見つけることができない、生きているのか死んでしまっているのか確かめられない状態がずっと続いているのです。さようならという別れが言えないままだと、自分の気持ちに終止符を打つことができないということです。これが一つ目の「曖昧」な喪失です。さようならを言えるということは、そこから希望に向かって一歩踏み出せるのですから、 それはある意味幸せなことなのです。二つ目の「曖昧」な喪失は、「そこにあるのに帰れない」ということです。浪江町、大熊町、双葉町に代表されるように、そこに故郷があるのに帰れない痛みと喪失感を抱えています。そして、三つ目は、「遊べる場所があるのに遊べない」ということです。今まで遊んでいた場所が今もあるのに、そこで遊べない子どもたちは心の中に行き場のない喪失感を覚えています。中島氏は、本の中で、「福島の子どもたちのことを考えることは、日本の子どもたち、世界の子どもたち、そしてみなさんの周りにいる子どもたちのことを考えることなのです。」と次世代を担う子どもたちへ人としての関心と愛を向けてください、と訴えるとともに、「受け身だけの保養から参加する方々が張り合いのある保養へと支援する側と支援される側がともに協力し合って、保養プログラムをつくりあげていけたら」と希望を述べている。
 福島の現実について現場を知るお二人の講演は、涙を浮かべながら聞き入る参加者もいたほど、重い内容ながら、同時に、希望と力がわいてくるような心に残るお話であった。ついで、「Michigan HOPE」プロジェクト側から、ジョンソン夢路氏が夏のミシガンキャンプのスケジュールについて簡単に紹介した後、質疑応答の時間も設けられた。最後に、主席領事からは、「現場の体験談に心を打たれました。福島の中高生達が、この夏のミシガンでの保養キャンプで心身を癒すだけでなく、その多感な年頃に新しい文化に触れることはとても意義深いことであり、人と人との出会い、命と命のふれあいの機会となることを期待します」という言葉をいただいて散会となった。散会後も、参加された皆さんの心に温かな余韻が残り、あちこちで参加者同士言葉を交わす光景がみられた。
文責(ミシガンホープ武藤育良、渡辺佳子)

「Michigan HOPE」 ホームページ:https://sites.google.com/site/michiganhope13/

 今もなお、長期的支援を必要としている東日本大震災の被災者の方々に、ミシガンに住む私たちができる形で何とかその気持ちに応えたいとの思いで、昨年11月に有志たちが集まって発足した「Michigan HOPE」は、同じく昨年9月に原発被災者の方々を支援する目的で産声を上げた「ふくしまHOPE」と連携して、この夏、福島県内の20名の中高生をこの緑豊かなミシガンに迎える。遠く離れたミシガン側と福島側で手を携えて取り組む、海外での保養キャンプというこの新しい試みをより良いものとするため、さる4月9日〜15日の一週間、「ふくしまHOPE」を代表して3名のスタッフがミシガンを訪れた。二週間の夏のキャンプ(7/22〜8/5)に向けての視察と「Michigan HOPE」との意見交換をしながら、連日講演の場を設けて、福島県内の放射能被害の現状と、より深刻に放射能被害の影響を受けると心配される子どもたちの“今”なお続く制限された生活、および、その放射能被害を少なからず軽減できる対策のひとつである保養キャンプの有用性について、聴衆のみなさんに理解を求め協力を訴えた。
  ここでは、日本への帰国前日4月14日にNovi のホテル、Double Tree by Hilton で行われた「Michigan HOPE」主催の昼食会「福島に暮らす人びとの“今”を聴く会」の様子を、「ふくしまHOPE」のお二人の話を中心に紹介する。出席した方々は、竹内みどり主席領事をはじめ、当時かの地で震災の被害に実際に遭われた方々、震災後東北でボランティア活動をされた方々、そして、これから被災地でボランティア活動をしたいと考えている方々など、さまざまなバックグラウンドを持ちながら、何らかの形でこの震災とその後の支援を自分のこととして考え集まってくださった方々ばかりである。
 ランチョン形式の軽い昼食を召し上がっていただきながら、同じテープルに坐った方たちとの歓談のあと、司会の「Michigan HOPE」の三上洋輔氏による各出席者の簡単な紹介から始まり、「Michigan HOPE」運営委員長の宮本俊一氏が開会の挨拶として、草の根的運動として展開中のこのプロジェクトの意義とこの会に出席いただいたみなさんへの感謝を述べ、先の長いプロジェクトへの支援をお願いした。
 続いて、「ふくしまHOPE」から木田恵嗣氏(「ふくしまHOPE」プロジェクト代表、福島キリスト教連絡会代表、ミッション東北郡山キリスト福音教会牧師)と中島恭子氏(保守バプテスト同盟ふるさとキリスト教会牧師、にじのこども園園長、子ども保養コーディネーター)のお二人が、パワーポイントで表や写真を映しながら、それぞれの視点からの福島の現状と「ふくしまHOPE」としての取り組みを話された。木田氏は、主に俯瞰的な視点から、現状と問題を要約して報告された。

—福島県内の地域ごとに異なる被害の実態—

 福島県は、南北に走る、海に近い阿武隈山地と内陸の奥羽山脈によって、海側から浜通り、中通り、会津の三地域分かれています。その地理的な違いによって、東日本大震災の被害は、同じ福島でも大きな違いが生じました。浜通りは、地震・津波・原発事故の影響を直接受け、中通りは津波の被害はなかったのですが、原発事故により流出した放射能が、まず南東の風によって北西に流れ、その後、北西の風に押し戻されて南に下ったため、放射能被害を予想以上に受ける結果となりました。
  そういうわけで、原発からかなり離れている中通りの郡山でも、ホットスポットと呼ばれる未だに放射線量が高い場所が随所にあります。公園など、いたるところに放射線量測定器モニタリングポストが設置されていることからもわかるように、子どもたちの屋外活動が著しく制限されているのが現状です。樹木の近くは線量が高いのです。放射能物質が植物に付着して、花や草、樹木など自然に触れることができません。塵や埃に付着した放射能は風で漂い地面に落ちます。校庭の土を入れ替え、地面だった駐車場はコンクリートに変え、ブランコの下には鉛の入ったシートが敷いてあります。震災後、民間企業によって建設された「ペップキッズこうりやま」は、寄付された市が運営していますが、本来なら屋外遊びであるはずの砂場、水遊び場、三輪サーキット場が屋内に設置され、放射能を心配する必要のない疑似屋外遊びができる室内遊戯施設として賑わっています。週末は整理券を配布するほど、子どもたちと子供の健康を心配する親たちに大変人気があります。
 こういった室内遊戯場は、スーパーマーケット内の有料の施設も含め、残念ながら、今後も、福島では子どもの生活の場として重要であろうかと思います。

—福島がかかえる問題「3つのキーワード」と「ふくしまHOPE」の発足—

①「分断」……
震災前まで信頼を築いていた夫婦、家族、親族、男女、地域の関係性において、放射能に対する考え方の違いから分断が起きています。
②「不安」……
放射能汚染についての情報がさまざまで、何が正しいのか、何を信じるべきなのか、迷い不安に苛まれています。
③「麻痺」……
放射能汚染の問題が長引くにつれて、常に放射線量が高いことに対して感覚が麻痺してきます。半袖で遊ぶ子どもの姿や、長時間屋外で遊ぶ子どもの姿が見られるようになってきました。
 このような福島の閉塞的な状況の中で、「ふくしまHOPE」を立ち上げました。森の中での遊びが許されない子どもたちが、福島からしばし離れて、自然の中で思いっきり遊ぶ、そんな子どもたちの笑顔を見ることが私たちの大きな喜びなのです。

 続いて、青森で幼稚園の園長をしながら、「ふくしまHOPE」発足後は、子ども保養コーディネーターとして毎週福島を往復されている中島氏が、中学生と高校生の3人のお子さんを持つ母親の立場から、福島に暮らす子どもたちとそのご家族たちの状況について心情溢れる話をされた。事故のあった原発を石棺で封印するにしても30〜40年かかると言われ、いつ収束するかわからない状況の中、保養キャンプについての支援も細く長く続けていく必要があることを強調された。

—福島に暮らす人々の声を代弁して—

 大震災から二年が経ち、東北からは支援団体が次々に引き上げています。しかし、現実はまだまだ厳しく、支援を必要としている方たちが大勢います。ある教会の牧師は、線量計を首から下げている子どもたちの姿を見たとき、原発事故のクビキをなんの罪もない子どもたちに負わせてしまった現実を思い知らされた、と話してくれました。子どもたちは、今の現実を選ぶことができなかった一番の被害者なのです。地震、津波、に続いて起きた原発被害に関しては、深刻さはますます深くなっていると言えます。
 私は、少し前に初めての本を出しました。「子どものいのちを守りたい」(いのちの言葉社)というタイトルです。福島のお母さんたちの、今まで口に出せなかった声を伝えたくて書きました。夫婦、親子、母親同士、同じ地域内の人同士でも、意見は食い違い、だんだんと不安を胸にしまうようになりました。福島県から500キロ離れた、青森に住む私にだからこそ本当の気持ちが正直に言える、とそれまで誰にも言えなかった思いを語ってくれたのでした。あるお母さんは、震災後、夫の実家や自分の実家を点々としましたが、どこに行っても気持ちの行き違いから落ち着くことができず、困惑し疲れ果ててしまったと、苦しい胸の内を話してくれました。震災後の5月、線量の問題が浮上して福島県内は大混乱に陥りました。真実を知りたいと、専門家を呼んで話を聞きましたが、さまざまに異なる見解に、何を信じてどう行動すればいいのか途方にくれるばかりでした。このままでは子どもたちに未来はないと考えた親たちは立ち上がりました。子どもたちを思い切り遊ばせたい、外で思う存分走り回らせてあげたいという止むにやまれぬ思いから、保養プログラムができあがっていったのです。

—保養キャンプから見えてくるもの—

 私の住む青森でも、福島から家族の保養を受け入れています。青森で初めて砂遊びをする子どももいます。福島では花や草にも触れることができません。学校では、自然を利用した工作ができません。青森で、桜が見たいという家族もいます。何も気にしないで遊べる環境でリラックスできるということが何より大切なのです。何も心配せずに散歩したい、遊ばせてあげたいということでした。風を感じる、雨や雪を触る、そんな当たり前の事ができることが一番ありがたいと言われるのです。また、ある親御さんは、突然仲の良かった友だちと引き裂かれていくという日常の中で、我が子が日々ストレスをためて行くのがつらいと言われました。
 また、郡山から来た家族は、福島県から青森に出てくるときに、洗車をして、服も靴も全て着替えて来たんですと涙ながらに話されました。保養キャンプ中に、家族で出かけて行った海から戻ってくるなり、日本にもまだ泳げる所があったのだと喜び、楽しくて福島に帰りたくないと言われました。ご主人が自衛官で、震災後不眠不休で働いていたので、青森でやっと家族でゆっくりできたと喜ぶ方もいました。そうした変わらぬ状況の中で、保養キャンプを経験した方たちの気持ちにある変化がありました。福島に戻った後、前向きにがんばろうと思えるようになった、という声や、今までは自分たちだけのことで精一杯だったけれど、他人に何かをしてあげたいと思うようになった、と話される人まで出てくるようになったのです。

—「曖昧」な喪失—

 震災問題の底流に流れているのは、曖昧な喪失ともいうべきものです。まず、数多くの「不明の人が見つかっていない」状況があります。震災の日に、急にいなくなったまま見つけることができない、生きているのか死んでしまっているのか確かめられない状態がずっと続いているのです。さようならという別れが言えないままだと、自分の気持ちに終止符を打つことができないということです。これが一つ目の「曖昧」な喪失です。さようならを言えるということは、そこから希望に向かって一歩踏み出せるのですから、 それはある意味幸せなことなのです。二つ目の「曖昧」な喪失は、「そこにあるのに帰れない」ということです。浪江町、大熊町、双葉町に代表されるように、そこに故郷があるのに帰れない痛みと喪失感を抱えています。そして、三つ目は、「遊べる場所があるのに遊べない」ということです。今まで遊んでいた場所が今もあるのに、そこで遊べない子どもたちは心の中に行き場のない喪失感を覚えています。中島氏は、本の中で、「福島の子どもたちのことを考えることは、日本の子どもたち、世界の子どもたち、そしてみなさんの周りにいる子どもたちのことを考えることなのです。」と次世代を担う子どもたちへ人としての関心と愛を向けてください、と訴えるとともに、「受け身だけの保養から参加する方々が張り合いのある保養へと支援する側と支援される側がともに協力し合って、保養プログラムをつくりあげていけたら」と希望を述べている。
 福島の現実について現場を知るお二人の講演は、涙を浮かべながら聞き入る参加者もいたほど、重い内容ながら、同時に、希望と力がわいてくるような心に残るお話であった。ついで、「Michigan HOPE」プロジェクト側から、ジョンソン夢路氏が夏のミシガンキャンプのスケジュールについて簡単に紹介した後、質疑応答の時間も設けられた。最後に、主席領事からは、「現場の体験談に心を打たれました。福島の中高生達が、この夏のミシガンでの保養キャンプで心身を癒すだけでなく、その多感な年頃に新しい文化に触れることはとても意義深いことであり、人と人との出会い、命と命のふれあいの機会となることを期待します」という言葉をいただいて散会となった。散会後も、参加された皆さんの心に温かな余韻が残り、あちこちで参加者同士言葉を交わす光景がみられた。
文責(ミシガンホープ武藤育良、渡辺佳子)

「Michigan HOPE」 ホームページ:https://sites.google.com/site/michiganhope13/

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