5月(さつき)になりました。日本にいれば4月の桜に続いて端午の節句で5月の大空を泳ぐ鯉のぼりや五月人形を見掛ける頃ですが、当地米国に住んでいるとそういう年中行事、文化・慣習と縁が薄いですね。因みに端午の節句とこどもの日の由来を調べてみると、前者は古代中国発祥の厄払い行事で、5月は雨期を迎えることから病気や災厄のお祓いは大事なこととされ、この時期に盛りを迎える菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)で邪気祓いをしたそうです。それが神聖な行事として早乙女がしていた田植え月の5月に行う『5月忌み』という日本古来の行事に結びつき、早乙女は菖蒲や蓬で邪気を祓って神聖な存在になってから田植えを行うようになったもの。つまり、元々女性のためのお祭りだったのです。お呼びでなかった男共がしゃしゃり出て来たのは鎌倉時代。武士の力が強くなって行くと同時に邪気祓いの菖蒲と韻を踏む『尚武』、『勝負』と変化し、徐々に男の子の成長を祝う日として広まって行きました。私の所為ではありませんが、女性の方々ごめんなさい。国民の祝日である後者のこどもの日になったのは昭和23年(1948年)。『国民の祝日に関する法律』で「こどもの人格を重んじ、こども幸福をはかるとともに、母に感謝する日」となり、こどもは男女関係なくお祝いするように変わりました。世の男性諸氏、この末尾の「母に感謝する日」をゆめゆめお忘れなきように!法律でそうなっているのです。米国に居るからと言って適用外ではありませんよ。休日だからと言って、自分だけゴルフなどに行かないように。母の日より一足早く「母に感謝」ですぞ!(閑話休題)
 今月号のテーマは『バカの効用』です。前号で四月馬鹿について書きましたが、今回もバカなタイトルです。決して読者をバカにしている訳ではありませんので、馬鹿馬鹿しいと思わないでしばしお付き合い願います。(駄じゃれオンパレード)
 実はこれもつい先日の夕方車を運転している時に流れて来たCBSラジオ(だと思いましたが)のニュース・トピックの受け売りですが、大人数の説明会やグループ・ディスカッションでは、表現は悪いですが、「頭が余り良くない人が大勢いた方が話がまとまりやすい」という研究レポートに関する内容でした。その心は?聞き流し程度でしたので精度を欠くかもしれませんが、つまり、参加者にいわゆる頭の良い人が多いと自己主張の強いその人達が主に発言し、独自の意見を述べたり、質問、反論などをして時間が掛かり過ぎ、全体の意見がまとまらず合意に至るのが難しくなる。逆に頭の良くない人(ラジオではレポートにあるままにStupidという言葉を使っていました)が多数を占めると余り質問や反論をせず、説明会や議論がスムースに進み、意見のまとまりも早く、決定・合意まで短い時間で済む傾向がある、というものでした。
 皆さんはどう思われますでしょうか?思い当たる事がお有りでしょうか?
それを聞いた私は「なるほど、さも有りなん」という思いでした。
 米国では学校でいわゆるディベート(討論)のスキルを学びます。その際にはテーマに選んだ事の善悪よりも賛成派と反対派に分かれて(分けて)とにかく論理を尽くして相手方を言い負かすことに主眼が置かれます。そういう機会や訓練を繰り返し経てスキルアップして行き、実社会に出て会社や団体・組織、政界で自分の意見を通して活躍する術を身に着ける訳です。テレビのニュースチャンネル、報道番組、特番などで賛否両派を揃えてライブ討論させる放送をご覧になった事が必ずやあると思います。その最たるものが大統領選挙前のプレジデンシャル・ディベートです。時には相手の発言の途中で遮ったり、割り込んだりして丁々発止の激しい論戦になったり、両者が同時に発言して視聴者が聞き取れない状態になったり、感情的になって司会者がコントロール出来ない程見苦しい展開になることさえあります。金銭、利権がらみだと余計に熱が上がります。連日報道される注目度の高い刑事裁判における原告側、被告側の有罪・無罪を巡る陳述や証人喚問、証拠資料提示も正に命がけで手に汗握る緊張の連続です。
 また、米国内のMIT(マサチューセッツ工科大学)、スタンフォード、ハーバードなど有名大学を超優秀な成績で卒業した学生や海外からのピカイチの留学生、研究開発者を採用、ヘッドハントして抱え込むグローバル企業や研究機関においても各個人が優秀過ぎて(=自信過剰で)自分の開発能力や技術理論に拘り続けて自分の世界に閉じこもってしまい、他のメンバーの意見に耳を貸さず、自分より良いアイデアでも賛同・協力せず、結局その企業や研究機関全体としてチームワークが発揮されず、優秀な頭脳が宝の持ち腐れとなり、期待されるようなあるいは期待以上の画期的な成果に結びつかないケースもあるようです。それって結局頭が良い事になるのでしょうか?私のような凡人には計り知れない世界ですね。
 そもそも何をもって頭が良い、悪いと判断するかも議論のあるところですが、自分の意見を押し付けたり、詭弁を弄して黒を白と言いくるめて相手をやりこめたり、いたずらに知識を詰め込んで自慢げに他人にひけらかしたり、詰め込み教育、点取り虫、受験競争の結果としてテストの成績が良いだけで頭が良いと言うのではちょっと寂しいですよね。少なからず知識を智恵として活かせる能力を持ち、自分だけでなく周りの人や組織、社会に役立ち、日々の生活を豊かで潤いのあるように(一昔前の新製品PR広告みたいですね)利用出来る人、であって欲しいものです。決して出しゃばらず、時には凛とした態度で言うべきことは言い、やるべき事をやる人が理想でしょうか。特に悪影響や問題がなければ、バカな振りをして質問、反論をせず粛々と受け止め、受け入れるのも本当の意味で『頭が良い人』と言える場合も多々あるような気がします。要は地アタマの良さですね。
 但し、上述のラジオ番組の最後でパーソナリティーが「このバカの効用はバカでいてはいけない時にバカにならなければ、意味があるかもしれない」と結んでいました。意味ある『バカの効用』、機会があればお試し下さい。

執筆者紹介:小久保陽三

Premia Partners, LLC (プレミア・パートナーズ・エルエルシー) パートナー。主に北米進出の日系企業向け経営・人事関連コンサルタント業務に従事。慶応義塾大学経済学部卒。愛知県の自動車関連部品・工業用品メーカーに入社後、化成品営業、社長室、総合開発室、米国ニューヨークの子会社、経営企画室、製品開発部、海外事業室、デトロイトの北米事業統括会社、中西部の合弁会社、WIN Advisory Group, Inc.勤務を経て現在に至る。外国企業との合弁契約、技術導入・援助契約、海外現地法人設立・立ち上げ・運営、人事問題取扱い経験豊富。06年7月より本紙に寄稿中。JBSD個人会員。