予想以上に早く、2月は瞬く間に過ぎてしまいました。誕生日も特にいつもと変わりもなく、むしろちょっと余分にデスクワークが多かっただけで「ハッピー・バースデーとはなんぞや?」と自問自答。朝目覚めてベッドから起き上がって何も支障なく動き回れる事。医者に掛かってもいないし処方薬、サプリメントも服用せずに済んでいる事。もうそれだけで十分ハッピーと自分に言い聞かせて過ぎた誕生日。そう言えばはるか昔の独身時代、当時の勤務先であった会社の100%米国子会社の米人副社長から聞かされたジョークを思い出しました。

 老夫婦の朝の会話:(夫)目覚めてベッドから「ハニー、ちょっと。」(妻)「何ですよ。さあ起きて、起きて!」 (夫)「何かおかしいんだ。」 (妻)「何が?」(夫)「わしゃ、生きているのかな?」 (妻)「当たり前ですよ。何でそんな馬鹿なこと聞くんだね?」 (夫)「いやあ、いつもと違って今朝は体のどこも痛くないんだ。」・・・

 分かります? つまり、人間歳を取ると誰でも腰や背中、首、ひざ、関節、手指などどこかしら痛いところがあるのが普通で、特に起き抜け動き始めの際に「アツツ!」、「ウッ!」、「イタッ!」と感じることが多い訳です。それなのに、その朝だけ夫は嘘のように何も痛みを感じなかったので、喜ぶよりも痛みを感じない=自分は死んでいる、のでは?といぶかった訳です。文章にすると余り面白くないのですが、その副社長(当然年配でした)が話し上手でまるで自分の体験のようにジェスチャー入りで腰や腕を押さえながらの熱演で笑えたものです。他にも色々教えてもらいましたが、本紙では倫理規定に引っ掛かるようなものまであるので自重します。(閑話休題)

 前書きが長くなりましたが、老人の長話とご容赦頂き本題に入ります。

 ところで、本題は何でしたかな?おっと、今度は老人ボケ(差別用語はいけませんので言い換えて『認知症』)ですかな?・・さて、ここから真面目になります。

 首都ワシントンでは「またか!?」というようにオバマ大統領率いる民主党と敵役の共和党が3月1日期限で自動発動する政府支出削減法の見直し・改訂・代案に関して相も変わらず、また懲りもせず相手側を非難し、その提案は受け入れずあら探しして難癖をつけ合うばかり。正に醜い泥仕合、足の引っ張り合いです。世界の政治・経済のリーダーであるべき最先進国の米国がもう何年も議会承認された正式年度予算が成立していない事実は驚くべきことです。世界の模範となるべきリーダー国がこの体たらくでは、他の諸国が畏敬を持って接しようと思っていてもそれこそ国家としての『品格』が寂しく映りますよね。

 米国風に(?)自分の責任ではない、と保身に走り他責=他人の所為・責任にして自分以外の誰かを悪者にして難を逃れたり、雲隠れする輩も多いですが、所詮『同じ穴のムジナ』でワシントンの政治家は与野党の区別なく多かれ少なかれ皆責を負う罪人(つみびと)です。

 5年前の金融破綻で金融・住宅バブルが弾けるまで「消費は美徳」とばかりに投資家、企業株主・経営者、個人事業主、一般消費者を巻き込んで節操のない投機熱、消費熱を煽り、働く前から遊ぶ、稼ぐ前からお金を使う、しかも入って来る以上にお金を使うという支出・消費パターンが20年以上も続き、日本の悪しき前例から学び二の舞を避けようとしていた数少ない心ある良識派の「バブルが弾ける。危ないぞ。」との警告を黙殺し押し込めて我が世の春を謳歌していたら案の定バブルが弾けて自国だけでなく世界中を巻き添えにして急転直下、奈落の底へ落ちた次第です。国自体収支のバランスが取れなくては、いわんや国民おや。

 基本的人権では何人(なんびと)も健康で文化的な最低限度の生活を保障されており、余力があり事情が許せばそれ以上に豊かな生活を送る権利がありますが、権利には同時にまた同程度の義務を伴います。どちらか一方だけを取るのは片手落ちで公正・公平ではありません。最近はどうも権利を声高に主張・要求する人達がやけに目立ちますが、そういう人たちに限って(語弊があれば、そういう人達の多くが)得てして義務を怠っている気がします。権利と義務は一対。料理で言えばセット・メニューです。権利は美味しくて自分が好きな材料と味付けだから残さずしっかり食べる。大盛りやお替りも欲しい。しかし、義務は見栄えも悪く、嫌いな材料で味付けもいまいち。でもですね、それが体に良いのですよ。人間に必要不可欠なのですね。

 自由と責任も同様です。自由を求め謳歌すると同時に法律や規則を守る、他人に迷惑を掛けない、わざとではなくても何か失敗して他人に迷惑や損害を与えたらきちんと責任を取るのが当然で、自由とは切り離せない一心同体のものです。こちらも昨今『自由』を要求する声は大きく度々聞こえても『責任』、特に自らを律し何か齟齬を来たしたら自分自身を責めて反省する謙虚な『自責』の態度が失われつつあるようです。中には反省・陳謝するどころか開き直って逆切れし、相手構わず噛み付き、見境なく当り散らす輩も見受けられます。

 前号で取り上げた『本質を見極める』気持ちを忘れなければ、権利と自由ばかりを追い求めて義務と責任を疎かあるいはないがしろにする事にはならない筈です。

 人生を歩むのに自由は軽く責任は重いですが、ヘルシーな権利と義務のセット・メニューと合わせて、皆さんご一緒に体力強化、健康維持に励みましょう!!

執筆者紹介:小久保陽三

Premia Partners, LLC (プレミア・パートナーズ・エルエルシー) パートナー。主に北米進出の日系企業向け経営・人事関連コンサルタント業務に従事。慶応義塾大学経済学部卒。愛知県の自動車関連部品・工業用品メーカーに入社後、化成品営業、社長室、総合開発室、米国ニューヨークの子会社、経営企画室、製品開発部、海外事業室、デトロイトの北米事業統括会社、中西部の合弁会社、WIN Advisory Group, Inc.勤務を経て現在に至る。外国企業との合弁契約、技術導入・援助契約、海外現地法人設立・立ち上げ・運営、人事問題取扱い経験豊富。06年7月より本紙に寄稿中。JBSD個人会員。

 予想以上に早く、2月は瞬く間に過ぎてしまいました。誕生日も特にいつもと変わりもなく、むしろちょっと余分にデスクワークが多かっただけで「ハッピー・バースデーとはなんぞや?」と自問自答。朝目覚めてベッドから起き上がって何も支障なく動き回れる事。医者に掛かってもいないし処方薬、サプリメントも服用せずに済んでいる事。もうそれだけで十分ハッピーと自分に言い聞かせて過ぎた誕生日。そう言えばはるか昔の独身時代、当時の勤務先であった会社の100%米国子会社の米人副社長から聞かされたジョークを思い出しました。

 老夫婦の朝の会話:(夫)目覚めてベッドから「ハニー、ちょっと。」(妻)「何ですよ。さあ起きて、起きて!」 (夫)「何かおかしいんだ。」 (妻)「何が?」(夫)「わしゃ、生きているのかな?」 (妻)「当たり前ですよ。何でそんな馬鹿なこと聞くんだね?」 (夫)「いやあ、いつもと違って今朝は体のどこも痛くないんだ。」・・・

 分かります? つまり、人間歳を取ると誰でも腰や背中、首、ひざ、関節、手指などどこかしら痛いところがあるのが普通で、特に起き抜け動き始めの際に「アツツ!」、「ウッ!」、「イタッ!」と感じることが多い訳です。それなのに、その朝だけ夫は嘘のように何も痛みを感じなかったので、喜ぶよりも痛みを感じない=自分は死んでいる、のでは?といぶかった訳です。文章にすると余り面白くないのですが、その副社長(当然年配でした)が話し上手でまるで自分の体験のようにジェスチャー入りで腰や腕を押さえながらの熱演で笑えたものです。他にも色々教えてもらいましたが、本紙では倫理規定に引っ掛かるようなものまであるので自重します。(閑話休題)

 前書きが長くなりましたが、老人の長話とご容赦頂き本題に入ります。

 ところで、本題は何でしたかな?おっと、今度は老人ボケ(差別用語はいけませんので言い換えて『認知症』)ですかな?・・さて、ここから真面目になります。

 首都ワシントンでは「またか!?」というようにオバマ大統領率いる民主党と敵役の共和党が3月1日期限で自動発動する政府支出削減法の見直し・改訂・代案に関して相も変わらず、また懲りもせず相手側を非難し、その提案は受け入れずあら探しして難癖をつけ合うばかり。正に醜い泥仕合、足の引っ張り合いです。世界の政治・経済のリーダーであるべき最先進国の米国がもう何年も議会承認された正式年度予算が成立していない事実は驚くべきことです。世界の模範となるべきリーダー国がこの体たらくでは、他の諸国が畏敬を持って接しようと思っていてもそれこそ国家としての『品格』が寂しく映りますよね。

 米国風に(?)自分の責任ではない、と保身に走り他責=他人の所為・責任にして自分以外の誰かを悪者にして難を逃れたり、雲隠れする輩も多いですが、所詮『同じ穴のムジナ』でワシントンの政治家は与野党の区別なく多かれ少なかれ皆責を負う罪人(つみびと)です。

 5年前の金融破綻で金融・住宅バブルが弾けるまで「消費は美徳」とばかりに投資家、企業株主・経営者、個人事業主、一般消費者を巻き込んで節操のない投機熱、消費熱を煽り、働く前から遊ぶ、稼ぐ前からお金を使う、しかも入って来る以上にお金を使うという支出・消費パターンが20年以上も続き、日本の悪しき前例から学び二の舞を避けようとしていた数少ない心ある良識派の「バブルが弾ける。危ないぞ。」との警告を黙殺し押し込めて我が世の春を謳歌していたら案の定バブルが弾けて自国だけでなく世界中を巻き添えにして急転直下、奈落の底へ落ちた次第です。国自体収支のバランスが取れなくては、いわんや国民おや。

 基本的人権では何人(なんびと)も健康で文化的な最低限度の生活を保障されており、余力があり事情が許せばそれ以上に豊かな生活を送る権利がありますが、権利には同時にまた同程度の義務を伴います。どちらか一方だけを取るのは片手落ちで公正・公平ではありません。最近はどうも権利を声高に主張・要求する人達がやけに目立ちますが、そういう人たちに限って(語弊があれば、そういう人達の多くが)得てして義務を怠っている気がします。権利と義務は一対。料理で言えばセット・メニューです。権利は美味しくて自分が好きな材料と味付けだから残さずしっかり食べる。大盛りやお替りも欲しい。しかし、義務は見栄えも悪く、嫌いな材料で味付けもいまいち。でもですね、それが体に良いのですよ。人間に必要不可欠なのですね。

 自由と責任も同様です。自由を求め謳歌すると同時に法律や規則を守る、他人に迷惑を掛けない、わざとではなくても何か失敗して他人に迷惑や損害を与えたらきちんと責任を取るのが当然で、自由とは切り離せない一心同体のものです。こちらも昨今『自由』を要求する声は大きく度々聞こえても『責任』、特に自らを律し何か齟齬を来たしたら自分自身を責めて反省する謙虚な『自責』の態度が失われつつあるようです。中には反省・陳謝するどころか開き直って逆切れし、相手構わず噛み付き、見境なく当り散らす輩も見受けられます。

 前号で取り上げた『本質を見極める』気持ちを忘れなければ、権利と自由ばかりを追い求めて義務と責任を疎かあるいはないがしろにする事にはならない筈です。

 人生を歩むのに自由は軽く責任は重いですが、ヘルシーな権利と義務のセット・メニューと合わせて、皆さんご一緒に体力強化、健康維持に励みましょう!!

執筆者紹介:小久保陽三

Premia Partners, LLC (プレミア・パートナーズ・エルエルシー) パートナー。主に北米進出の日系企業向け経営・人事関連コンサルタント業務に従事。慶応義塾大学経済学部卒。愛知県の自動車関連部品・工業用品メーカーに入社後、化成品営業、社長室、総合開発室、米国ニューヨークの子会社、経営企画室、製品開発部、海外事業室、デトロイトの北米事業統括会社、中西部の合弁会社、WIN Advisory Group, Inc.勤務を経て現在に至る。外国企業との合弁契約、技術導入・援助契約、海外現地法人設立・立ち上げ・運営、人事問題取扱い経験豊富。06年7月より本紙に寄稿中。JBSD個人会員。

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