
東日本大震災一周年にあたり、支援に対する感謝をこめて
東日本大震災が発生してからのこの1年間、デトロイト周辺でさまざまな義捐活動が行われてきた。学校やコミュニティーが軸となり、あるいは知人が声を掛け合い行なわれた募金運動やチャリティーセール、ミュージシャンによるチャリティーコンサートなど多数。大勢の人が日本から遠く離れた地で出来ることは何かと心を砕き、迅速に行動に移してきた。
3月27日(火)、ミシガン州都の議事堂において、在デトロイト日本国領事館主催による式典が厳かにとり行われた。式典には州知事及びランシング市長が臨席、州議員等約80名、そして他市からの市長らも列席し、日系企業関係者や義援金を寄せた個人や団体、大学関係者、姉妹都市関係者など、多数のアメリカ人および日本人が出席した。両国の国歌が流れた後、黙禱が捧げられ、続いて竹内みどり首席領事より、開式の辞として感謝の言葉が述べられた。
松田邦紀総領事は挨拶の中で、震災による被害の規模を示した後、発生直後に米国軍が救援に駆けつけたことに触れ、「ミシンガンにいる皆様の家族も加わってくれたことでしょう」と切り出し、地元の学校の生徒たちが手紙や何千もの折り鶴を届けてくれたことなど、さまざまな被災者支援活動の話を挙げ、ミシガンの人々から届けられた、出来る限りの心からの励ましに対して、在留邦人を代表して改めて感謝の言葉を伝えた。そして、我々日本のコミュニティーは今後これに報いるよう、恩返しに努めてゆく所存との抱負を語った。また、当地に直接影響した内容として、大震災により自動車関連のサプライヤーが打撃を受けたことに言及し「その混乱と対応から学んだ教訓を、将来に役立てていただければ」とも続けた。復興には何十年とかかり、まだ苦渋の中にいる被災者も多いが、日本の民は忍耐強く団結力があり、必ず立ち直り安全な国になると言明。日本へのビジネス渡航や旅行について奨励する言葉を加えた。最後に、この苦難にあたってより深く結びついた絆を大切にしてゆきたいとの旨を伝え、ミシガンの人々の温かい支援を決して忘れないと締めくくると、会場に大きな拍手が響き渡った。
ランシング市長Mr. Virg Berneroは大災害に対するお悔やみを述べ、日本の復興の見事さについて触れた後、当地に於いて日本との結びつきを強め、日本の文化紹介や日米交流に尽力している松田総領事のリーダーシップを称賛。「我々は常にあなた方と一緒にいる」と、親善と友好関係を強調した。
ミシガン州知事Mr. Rick Snyderは、日本人が被災時に見せた姿や行動に感銘を受けたと語り、苦難に遭っても団結し乗り越える力を称えた。さらに家や仕事、そして何より掛けがえのない家族を失った被災者に対して、我々に何ができるかを考え続け、ここで終わることなく、継続した支援に努めてゆきたいと語った。また、日本人と日本は必ず立ち直ると確信していると述べ、築いた友情を更に強固にしてより良い世界へ繋げようと力強く呼びかけた。
列席者の中には、JETプログラム(Japan Exchange and Teaching Programme: 語学指導等を行う外国青年招致事業)に参加して宮城県気仙沼市に赴き、昨年の大震災に遭いながらも、故郷アメリカへ戻る選択をせず、教師を続けている青年の両親の姿もあった。母親メアリー・フェールズさんはスピーチに立ち、被災直後から5日間音信普通になった際のことやその後の状況、そして息子ポールさんの決意などを語った。ポールさんの消息を掴むため、領事館をはじめ日本とミシガン両方のコミュニティや姉妹都市団体、また、ポールさんが通った関西外国語大学の関係者などがさまざまな手段で呼びかけ、情報入手に尽力した。5日後、ついにポールさんの無事が確認される。彼は3月11日、津波被害で孤立集落となった気仙沼市沖の大島で勤務中に被災し、その後5日間、アパートのある気仙沼市に戻る手段も連絡手段も絶たれ避難所に居たことが、ようやく息子と話せたメアリーさんに伝わった。
日本のニュースでは大方の外国人が東北から退去したとの報道が多かったが、ポールさんはダメージを受けた自分のアパートの片付けもままならない状態で2ヶ月近く避難所生活を送りながら、学校などの修復作業に加わった。以後も「人々が自分を必要としている」と当地に留まり、現地の人々と共に被災者の救済と復興活動にあたってきた。
式の終盤には、ウエスタン・ミシガン大学准教授で、日本文学及び日本文化の研究者、ジェフリー・アングルス氏が詩を朗読。恐ろしい体験をし、今も不安を抱えている人々の思いをあらわす2つの翻訳詩と、自作の詩を穏やかに読みあげた。氏は高校生の時に日本に留学して以来、日本文学に魅せられその研究者となり、特に日本の現代詩を精力的に英訳し続けている。2011年3月まで東京大学に客員准教授として滞在していた。
朗読には震災後の不安や暗さを謳ったものと、前向きな光を放つ詩との両方が織り込まれ、聴衆に被災者の気持ちを思い描かせる内容となっていた。
最後に、ミシガンで活躍しているバイオリン奏者である柏木響子氏が、ヤング亜矢子氏のピアノ伴奏で「エレジー」(Elegie by Gabriel Faure)を演奏し、物悲しさを感じさせる美しい調べに、会場は厳粛な雰囲気に包まれた。
被害者への哀悼と、ミシガンと日本の絆を深く心に刻み、記念式典は終了した。
式典会場の回廊には、「TOHOKU REGION – Rebuilding for a Better Tomorrow: 東北復興・明日への力」と題されたパネル写真と、姉妹都市の子供たちが交流プロジェクトとして描いた絵の数々が展示されていた。一連の写真には、大地震が奪ったライフラインや人々の営みを取り戻してゆく努力の様子、それを支えるボランティアの活動、津波被害を受けた土地で農作業を再開している人の姿、などが捉えられており、少しずつ確実に再建されている社会と、健気に前向きに歩む人々の日常が伺えた。姉妹都市の子供たちのカラフルな絵と活力に満ちた題材が、未来への希望と光を与えてくれたかのようであった。
東日本大震災一周年にあたり、支援に対する感謝をこめて
東日本大震災が発生してからのこの1年間、デトロイト周辺でさまざまな義捐活動が行われてきた。学校やコミュニティーが軸となり、あるいは知人が声を掛け合い行なわれた募金運動やチャリティーセール、ミュージシャンによるチャリティーコンサートなど多数。大勢の人が日本から遠く離れた地で出来ることは何かと心を砕き、迅速に行動に移してきた。
3月27日(火)、ミシガン州都の議事堂において、在デトロイト日本国領事館主催による式典が厳かにとり行われた。式典には州知事及びランシング市長が臨席、州議員等約80名、そして他市からの市長らも列席し、日系企業関係者や義援金を寄せた個人や団体、大学関係者、姉妹都市関係者など、多数のアメリカ人および日本人が出席した。両国の国歌が流れた後、黙禱が捧げられ、続いて竹内みどり首席領事より、開式の辞として感謝の言葉が述べられた。
松田邦紀総領事は挨拶の中で、震災による被害の規模を示した後、発生直後に米国軍が救援に駆けつけたことに触れ、「ミシンガンにいる皆様の家族も加わってくれたことでしょう」と切り出し、地元の学校の生徒たちが手紙や何千もの折り鶴を届けてくれたことなど、さまざまな被災者支援活動の話を挙げ、ミシガンの人々から届けられた、出来る限りの心からの励ましに対して、在留邦人を代表して改めて感謝の言葉を伝えた。そして、我々日本のコミュニティーは今後これに報いるよう、恩返しに努めてゆく所存との抱負を語った。また、当地に直接影響した内容として、大震災により自動車関連のサプライヤーが打撃を受けたことに言及し「その混乱と対応から学んだ教訓を、将来に役立てていただければ」とも続けた。復興には何十年とかかり、まだ苦渋の中にいる被災者も多いが、日本の民は忍耐強く団結力があり、必ず立ち直り安全な国になると言明。日本へのビジネス渡航や旅行について奨励する言葉を加えた。最後に、この苦難にあたってより深く結びついた絆を大切にしてゆきたいとの旨を伝え、ミシガンの人々の温かい支援を決して忘れないと締めくくると、会場に大きな拍手が響き渡った。
ランシング市長Mr. Virg Berneroは大災害に対するお悔やみを述べ、日本の復興の見事さについて触れた後、当地に於いて日本との結びつきを強め、日本の文化紹介や日米交流に尽力している松田総領事のリーダーシップを称賛。「我々は常にあなた方と一緒にいる」と、親善と友好関係を強調した。
ミシガン州知事Mr. Rick Snyderは、日本人が被災時に見せた姿や行動に感銘を受けたと語り、苦難に遭っても団結し乗り越える力を称えた。さらに家や仕事、そして何より掛けがえのない家族を失った被災者に対して、我々に何ができるかを考え続け、ここで終わることなく、継続した支援に努めてゆきたいと語った。また、日本人と日本は必ず立ち直ると確信していると述べ、築いた友情を更に強固にしてより良い世界へ繋げようと力強く呼びかけた。
列席者の中には、JETプログラム(Japan Exchange and Teaching Programme: 語学指導等を行う外国青年招致事業)に参加して宮城県気仙沼市に赴き、昨年の大震災に遭いながらも、故郷アメリカへ戻る選択をせず、教師を続けている青年の両親の姿もあった。母親メアリー・フェールズさんはスピーチに立ち、被災直後から5日間音信普通になった際のことやその後の状況、そして息子ポールさんの決意などを語った。ポールさんの消息を掴むため、領事館をはじめ日本とミシガン両方のコミュニティや姉妹都市団体、また、ポールさんが通った関西外国語大学の関係者などがさまざまな手段で呼びかけ、情報入手に尽力した。5日後、ついにポールさんの無事が確認される。彼は3月11日、津波被害で孤立集落となった気仙沼市沖の大島で勤務中に被災し、その後5日間、アパートのある気仙沼市に戻る手段も連絡手段も絶たれ避難所に居たことが、ようやく息子と話せたメアリーさんに伝わった。
日本のニュースでは大方の外国人が東北から退去したとの報道が多かったが、ポールさんはダメージを受けた自分のアパートの片付けもままならない状態で2ヶ月近く避難所生活を送りながら、学校などの修復作業に加わった。以後も「人々が自分を必要としている」と当地に留まり、現地の人々と共に被災者の救済と復興活動にあたってきた。
式の終盤には、ウエスタン・ミシガン大学准教授で、日本文学及び日本文化の研究者、ジェフリー・アングルス氏が詩を朗読。恐ろしい体験をし、今も不安を抱えている人々の思いをあらわす2つの翻訳詩と、自作の詩を穏やかに読みあげた。氏は高校生の時に日本に留学して以来、日本文学に魅せられその研究者となり、特に日本の現代詩を精力的に英訳し続けている。2011年3月まで東京大学に客員准教授として滞在していた。
朗読には震災後の不安や暗さを謳ったものと、前向きな光を放つ詩との両方が織り込まれ、聴衆に被災者の気持ちを思い描かせる内容となっていた。
最後に、ミシガンで活躍しているバイオリン奏者である柏木響子氏が、ヤング亜矢子氏のピアノ伴奏で「エレジー」(Elegie by Gabriel Faure)を演奏し、物悲しさを感じさせる美しい調べに、会場は厳粛な雰囲気に包まれた。
被害者への哀悼と、ミシガンと日本の絆を深く心に刻み、記念式典は終了した。
式典会場の回廊には、「TOHOKU REGION – Rebuilding for a Better Tomorrow: 東北復興・明日への力」と題されたパネル写真と、姉妹都市の子供たちが交流プロジェクトとして描いた絵の数々が展示されていた。一連の写真には、大地震が奪ったライフラインや人々の営みを取り戻してゆく努力の様子、それを支えるボランティアの活動、津波被害を受けた土地で農作業を再開している人の姿、などが捉えられており、少しずつ確実に再建されている社会と、健気に前向きに歩む人々の日常が伺えた。姉妹都市の子供たちのカラフルな絵と活力に満ちた題材が、未来への希望と光を与えてくれたかのようであった。